妹のように、恋人のように Vol.3

― プロローグ ―

 朝の光を感じて、わたしは目を開いた。
 隣には、大好きなお兄ちゃんの寝顔。
 掛け替えの無い、大切な大切な人。
 ぼんやりとそんな事を考えていると、だんだん頭がはっきりとしてきた。
 昨日は安息日で、もうひとりのわたしがお兄ちゃんとえっちをして、そのまま寝ちゃったんだ。もうひとりのわたしが何を言って、どんな事をしたのか、全部憶えてる。
 それは、胸が締め付けられるほどに切ない、大切な記憶。

「あ・・・」

 もぞもぞと身体を動かしたからか、あそこからお兄ちゃんの精液が流れ出るのを感じた。わたしのなかで暖められた、不思議な匂いと味のそれを、わたしは手で受け止めた。しばらくどうしようかと考えてから、舌先でぺろりと舐め取った。なんだか変態さんみたいだけど、これがお兄ちゃんのだと思ったら、なんだか捨てるなんていけないことみたいに思えて。
 舐め取ったそれは、やっぱり不思議な味で、なぜだか身体が熱くなった気がした。

「んっ・・・」

 隣で、まだお兄ちゃんは寝てる。いつだって起こすのは大変なんだから、今はまだ起きないよね。
 お兄ちゃんの匂いに包まれて、どうしようもなく昂ぶった身体を、自らの指で慰める。隣にお兄ちゃんがいるのに。

「ん、ふ・・・」

 漏れそうになる喘ぎ声を噛み殺して、まるでお兄ちゃんの精液とわたしの愛液を混ぜ合わせるように、指を動かす。お兄ちゃんとする前から比べると、信じられないほど気持ちいい。けど、それと同じくらい、物足りない。多分、身体がお兄ちゃんを求めてるから。

「あ・・・おにい、ちゃ・・・」

 ぎゅっと目を閉じて、もう一人のわたしの記憶を辿る。
 それだけで、もうイってしまいそうだった。
 ねっとりと舌を絡ませてキスをするもう一人のわたし。
 手のひら全体で胸を擦られて、ビクビクと反応するもう一人のわたし。
 乳首をお兄ちゃんに甘噛みされて、頭の中が真っ白になるもう一人のわたし。
 身体をお兄ちゃんのもので貫かれて、気持ちよさで咽び泣くもう一人のわたし。

「んぅっ!」

 身体をバラバラにするような絶頂が来て、それから緩やかな痺れが身体中に広がった。
 隣で安らかに眠っているお兄ちゃんが、目を覚ましてくれないのが少しだけ淋しかった。見られたら、恥ずかしくて顔を合わせられないって判ってるのに。
 小さい溜息を一つ吐いて、わたしは身体を起こした。
 朝ごあん、つくらなくちゃ。

- 1 -

「じゃあ、ちょっと行ってくるわ。ちゃんとお昼ご飯、食べるんだぞ」

 学校の制服に身を包んだお兄ちゃんが、いかにも心配だって顔で言う。
 嬉しいけど、切ない。
 だって、自分で食べられないって、判ってるから。
 でも、お兄ちゃんに心配をかけたくはないから。

「だいじょうぶ。お兄ちゃんも車とかに気をつけてね」
「子供じゃないって」

 わたしの言葉に苦笑いを浮かべて、お兄ちゃんはぽふっとわたしの頭に手を乗せた。撫でるというよりも強く。まるでそこに手を置くのが当たり前っていう風にさりげない仕草に、わたしは笑顔で応えた。

「でも、本当に気をつけてね。それで・・・早く帰ってきてくれると、嬉しいな」

 一人の家は広すぎて、静かすぎて、考えなくてもいい事まで考え込んでしまいそうだから。赦されてはいけないわたしだけど、それでも耐えられないって思ってしまうから。

「まかしとけ。ついでに葉月の好物のアイスも買ってきてやるさ。んじゃ」

 お兄ちゃんはどことなく子供扱いした言い方でにやりと笑うと、颯爽と学校へ向かった。わたしはしばらく玄関からお兄ちゃんを見送ると、ドアに鍵を閉めて誰もいない家の中に戻る。家のお掃除とか洗濯とか、やることは沢山あるから。

「ふふ」

 リビングの掃除をしていて、ふいに笑いの発作に襲われた。つい、昨日の夜の事を思い出してのこと。
 もう一人のわたしは、自由で、奔放で、お兄ちゃんがほんとうに好きで。
 えっちな事だって、ものすごく積極的で。
 でも、不思議と嫉妬する気にもならなかった。
 それは、わたしがもう一人のわたしと同じって、思ってるからかも知れない。
 それとも、わたしがもう一人のわたしの事を、好ましく思っているからかも。
 もう一人のわたしがえっちの時にどう感じていたかを『思い出し』て、わたしは幸せな笑いが浮かぶのを、押さえられなかった。

 ぞくり。

 また、だ。
 わたしが嬉しかったり、幸せだって思ったりすると、感じる視線。
 非難と、糾弾がこもった視線。
 本当はそんな事、あるはずがないって判ってる。
 でも、物理的な圧力すら感じるほどの視線は、わたしの皮膚をじりじりを焦がすようで、いくら理性がありえないって判ってても、心が納得してくれない。
 どこからその視線を感じるのか、ずっと前から判ってる。

 判ってる。
 判ってる。
 わかってる。
 けど、心が認められないだけ。
 みとめたくなんて、ないだけ。

 両親の遺影から睨まれてるなんて、錯覚以外の何者でもないのに。

 心が軋む。
 心が痛む。
 心が歪む。

 これが、お兄ちゃんを好きになった、わたしへの罰。
 わたしは力なく、部屋の片隅に座り込んだ。身体が畏れに震え、自分を抱き締めても治まらない。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 謝ったって、両親の遺影からの視線は緩まる気配も無くて。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 いくら謝っても、それを受け止めてくれる人はいなくて。
 いくら苦しくても、わたしを抱き締めてくれる人はいなくて。
 お兄ちゃんが帰ってくるまで、わたしはずっとそうしていた。

- 2 -

 家から、両親の写真が姿を消した。
 隠したのは、俺。
 葉月の罪の意識は、両親の姿を見かけた時に感じるものだと、気が付いたから。
 自傷癖こそないものの、拒食症としか思えないような状態で、葉月は日を追うごとに衰弱していった。
 前から肉付きの良い方ではなかった葉月の身体は、いまや危うさを感じるほどになっていた。
 必要最小限しか肉が残ってなさそうな腕。
 ざらついた肌。
 こけて鋭角になった頬。
 優しく微笑むというだけでも、体力を振り絞っているかのような、苦しそうな表情。
 このままでいたら、取り返しがつかないんじゃないか、そう思わせるほどの消耗。
 俺は、残された時間が少ない事に、気が付いた。

「あれれ、なんだかえらくスマートになってる?」

 今日は安息日、目を覚ましてベッドを下りたもう一人の葉月が、驚いたように自分の身体を見下ろしている。
 目覚めたばかりで、着ているものはパジャマだけ。
 何ていうか、肩からお腹まで、パジャマを押し上げる要素がすっかり無くなっている事に気が付いたらしい。

「し、しかもっ!慎ましくも微笑ましい胸が!まるで平野部のようだしっ!」

 いや、ソコまではペタンとはしてない・・・多分。ってか、微笑ましい胸ってどんなんだ?そんな事言われると、悩むぞ、まぢで。
 しかし、コンプレックスは無さ気だったのに、気にはしてたんだな。一応。

「まぁいーかー。きっと、お腹一杯にごあんを食べたら、胸なんてすぐに膨らむよね?」

 無理だろ、それは。
 無邪気ににししー、なんて微笑む葉月に、俺は苦笑を返した。

「まぁ、無理にならない程度に、栄養のあるものを腹一杯食べること。胸は・・・諦めろ。最初からだ」
「えー、だって沢山あった方がよくない?わたしじゃなくて、隆宏が、よ」

 にやり、なんて笑いながら、俺を斜めに見上げる。誘惑というよりも、俺の反応を楽しんでいるような表情で。

「俺は無ければ諦めるタイプなんだよ。第一、あんなに揉んでるのに育たなかったんだから、もともとの見込みがなかったんじゃないか?」
「なんでそういうこと言うかなーっ。今から5年後を見てなさい!今の倍くらいにはしてみせるから!」
「・・・ゼロって、何をかけてもゼロなんだよな、確か」
「むきーっ!」

 お猿さんのように顔を赤くする葉月の頭をぽんと撫でる。それだけで怒ってる顔から不機嫌な顔に変わるのが、なんだか嬉しい。
 普通に話せるという事が、すごく嬉しい。
 いつから、『普通』がこんなに難しいものになってしまったんだろう。

「栄養のある朝ごはん、作ってくれるんだろ?」
「・・・うん」

 俺の言葉に、こくん、と葉月が頷いた。

「あれ?」

 葉月が素っ頓狂な声を上げたのは、食べ始めてすぐの事。
 今朝はやけに具とボリュームが多い中華丼だった訳だけど、俺の目の前で、葉月がきょとんとした顔で手にしたレンゲを見詰めている。

「なんだ?思いもよらない具でも発見したか?色違いの素麺とか」
「確かにそんなのが中華丼に入ってたらびっくりだよね」

 葉月は呆れたような声で律儀に答えた。わざとボケて聞き返したというのに、なんだこの敗北感は。

「じゃ、どうしたんだ?」

 ココロの中で復讐の二文字を誓いつつ、俺はさらに聞き返した。やっぱり会話はキャッチボールな訳で、俺ってがんばるなぁと自分で感心しつつ、だ。

「うん・・・なんか、お腹一杯になっちゃった。まだ一口しか食べてないのにね」

 それを聞いて、俺の手も止まった。
 もう一人の葉月にとって、それは初めての事だったからだ。なにしろ、いままではガツガツと食べていたし。

「やっぱ、朝から重たいモノを作ったのが敗因じゃないか?今からおじやにするか?」
「うん・・・いいや、もうご馳走様する。悪いけど、わたしの分も食べてくれる?」

 どんぶり2杯分のたっぷり中華丼を朝から俺に食せと言いますか、この娘は。

「いや・・・俺もさすがに無理。取っておいて、お昼にでも食べるよ。あと、葉月もお昼はちゃんと食べる事。おじやなり、おかゆなりでもいいから。おっけ?」
「うん、ごめんね」

 ちょっと落ち込んだ様子で葉月は中華丼にラップすると、苦労して残りを食べ始めた俺を、両方の手で頬杖をついて、にこにこと見詰め始めた。

「・・・見てて、面白いか?」
「うん」

 躊躇せずに答えやがった。

「顔に、『朝からこんなに食えるかーっ』って書いてあるの。それなのに、いつもちゃんと残さず食べてくれるんだよね」
「う・・・」

 幸せそうに言う葉月に、俺は何も言えなくなって、仕方なく中華丼を食べ続けた。
 気まずいというのと微妙に違う沈黙が流れた。

「あ、イイコト思い付いた☆」

 葉月が両手をぱん!と打ち鳴らした。だいたい、コイツのこういう顔の時には碌な事を言わないと俺の中の経験則が泣き叫ぶのだけど、止められないのもまた事実。

「・・・で?」

 イヤそうに言う俺の心情など1ミクロンも慮らず、葉月はテーブルに身を乗り出した。

「えっちすれば、お腹もすくよねっ?」

 おまいというヤツは・・・。

「そしたら、お昼だって食べられるよ、きっと!あ、隆宏はごあん食べてていいから。わたしが食べ終わるまでの間、テーブルの下でお口でしてあげるし。そういえばアレ、栄養価が高そうだよね。どことなく、中華丼のとろみにも似てるしっ」

 いま、本気で食欲が無くなった。どうしてくれるんだ、コレ。

「おーまーいーはーっ!」
「きゃー♪」

 くねくねと嬉しそうに悲鳴をあげるお馬鹿は置いといて、一気に重くなったような気のするレンゲを意思の力で持ち上げる。ご飯とその上のとろみが、忘れたかった俺の記憶を呼び覚ました。
 あれは、忘れもしないいつかの事。「お口でするー♪」なんてほざいたもう一人の葉月が、口の中に出されたアレを、口移しで俺に強制的に流し込みやがってさ。
 いや・・・いいんだ・・・もう・・・。
 あぁ、なんだか風景が歪んで見えるよ。この込み上げて来るものはなんだろうか。
 ヂヂヂヂー。
 熱くなる目頭を押さえる俺の耳に、ふと聞こえるなんかの音。

「じゃあ、するね?」
「いつの間にっ!」

 気が付けば、嬉しそうにいそいそと俺のズボンのチャックを開けた葉月が、テーブルの下で跪いてて。俺のモノを幸せそうに引っ張り出しながら、上目遣いで「あ、いいから食べてて。わたしも食べるから」とか言ってるし。
 冗談抜きで、葉月のフェラは上手い。
 自慢でも惚気でも無くて、これは厳然たる事実。
 そんなテクを駆使されながら、中華丼なんて食べられるはずも無い。
 俺は、溜息を吐きながらレンゲを置いた。
 これで、お昼に食べる中華丼は、1.5杯か・・・。

 俺達は服を脱いで居間に移った。
 明るい光の下で見る葉月の身体は、本当に痛々しいものがあった。
 以前はふくよかとは言えないまでも、柔らかい女の子特有の曲線を描いていた身体は、今は必要な肉すら落ちて、体重を聞くのが怖いくらいになっている。

「んっ、んふっ」

 葉月が俺の身体に密着して、爪先で伸びをして俺にキスをした。少しだけ顔を傾けて、まるで唇で唇を愛撫するような、身体が熱くなるような、キス。
 ちゅっ、ちゅぴっ。
 ちゅく。
 ちゅぅ。
 舌を遣い始めると、吸う音がぬめりを帯びた。
 葉月は積極的に、舌を俺の中に侵攻させて、貪り尽くすように蹂躙する。
 激しいのに、優しさという矛盾する感覚を感じて、いつも不思議に思う。
 奪うのではなく、与えるものだからかも知れない。何となく俺はそう思った。

「あむ・・・ん、っぷはぁ・・・」

 暫くして、葉月は息継ぎの為に唇を離して、色気の無い声を上げた。
 それでもディープなキスの効果はあったらしく、葉月の表情は欲情に緩み、蕩けていた。誘うような笑みを浮かべて、俺を見上げる。

「ふふ、キスが気持ち良くて、すっごく濡れちゃった。ね、調べてみたい?」
「ふぅん、調べるだけでいいのか?」

 自分で主導権を取ろうとしたのか、にやにやとそんな事を言う葉月に、俺も余裕ぶって聞き返した。ちなみに今までの行為で、葉月から挿入を求められても、俺から『入れさせて欲しい』とは言った事が無い。まぁ、『入れるぞ』って言う事は良くあるけどな。詰まらない意地というヤツだ。

「じゃあ、しょうがないから、入れさせてあげるよ」

 俺の固くなったモノを、葉月は自分のアソコに擦り付けるようにして、にししっと笑いながら言った。濡れて戦慄くような感触を俺のモノに伝えながら、それでも強気な発言をする。

「む。よぉく判った。泣かしたる」

 俺は短く断言して、そのまま腰を前後に動かし始めた。いわゆるスマタというやつで、違いは俺が気持ち良くなる事ではなく、葉月をよがらせるのが目的って事だ。
 まるでバイオリンを弾くように、位置を変え、角度を変え、強弱を付け、時にはリズムを変えて、俺のモノで葉月という楽器を奏でる。

「やっ、あ、ちょっ、ああっ、ひぁ、あ、はんっ!」

 立ったままで行われる愛撫は、絶頂には遠く、けれど快感を高めていく。葉月は俺に抱きつきながら、腰だけを蠢かしている。立っているのも辛そうに、だけど言葉を堪えるように。

「あんっ、ひっ、こ、これっ、これえっ、や、やだよぉっ」

 俺の肩に顔を押し付けながら、葉月が今にも泣き出しそうな震える声で言った。
 もう下半身に力が入らないのだろう。俺が抱き締める手を離したら、そのまま床に崩れ落ちそうだ。葉月の愛液が俺のモノどころか膝まで濡らし、葉月自身も足首まで自分の愛液にまみれている。

「入れて欲しくて、たまらないんだろ?」

 俺の言葉に、葉月が俺の肩に顔を押し付けるように、こくこくと頷く。
 これ以上焦らしたら、本当に泣いてしまうかも知れない。

「おっけ。じゃ、たっぷりしてやる、っと」
「ひうああああっ!」

 俺が片手で葉月の脚を持ち上げ、立ったままで挿入すると、まるで感電したようにガクガクと身体を震わせ、葉月は絶頂に達した。

「はやっ!」

 俺がわざと驚いたような口調で言うと、葉月が荒い息のままで、上半身を少しだけ逸らせて俺と見詰め合える位置に顔を動かした。

「だって・・・あんなに焦らされたんだもー。あたま、へんになっちゃうかと思った」

 少しだけふくれっ面で、そのうえ恥ずかしそうに、葉月は上目遣いでそう言った。凶悪なまでの可愛らしさに、俺までつられて顔が熱くなる。

「でも、隆宏はまだイッてないよね。じゃあ・・・ッ!」

 きゅきゅっと、葉月の中がうねるのが判った。
 入れたままの俺のモノを、吸いたてるような、擦り上げるような、なんとも言えない快感が走った。

「えへへぇ、どぅお?」
「・・・どこでそういうテクを覚えてくるかなおまいは・・・。いや、気持ちいいんだけどさ」

 葉月の自慢げな様子に、つい素直に答えてしまう俺。

「じゃあ、もっとしたげるっ」

 嬉しそうな葉月の宣言とともに、またも翻弄される俺のモノ。しかも今度は途切れる事無く続いている。俺は歯を食い縛ると、気合を入れて腰を動かし始めた。

「あっ!はひ、はっ、た、たかひろは、うごいちゃ、ぁんっ!あ、だめぇっ」

 俺のモノが擦られるって事は、葉月の中が擦られるっていうのと同じ事で、つまりは普通に抽送されるよりも感じてしまうって事なんだろう。もっとも、葉月が本気で感じ始めたら、そんな技を使う余裕は無いとは思うが。

「ひあ!は!またっ、また、きちゃっ!」

 葉月の声が、切羽詰ったものに変わる。
 俺はもう片方の手で葉月の脚を持ち上げ、いわゆる駅弁の形を取った。曲げた膝の裏側に腕を通して、腰を抱き締めるように葉月の身体を押さえる。葉月が俺の首に抱き付くような姿勢を取っているし、これで葉月が落ちる事はないだろう。

「はっ、ひゃんっ、あっ、ああっ!ふ、ふかっ!あ、ひっ!」

 途切れる事無く、葉月の口から悩ましい喘ぎが漏れる。
 いつもよりも感じ方が鋭く思えるのは、葉月の奥深くまで、俺のモノが抉っているからだろうか。俺のモノの先端に、いつもと違う感触――恐らくは子宮口――が、コツコツと当たっている。

「いやか?」

 俺が短く聞くと、葉月はふるふると小さく左右に首を振った。

「いやじゃ・・・いやじゃないっ、け・・・けどっ・・・あっ・・・へん・・・へんにぃっ・・・ッ!」

 思いっきり悩乱したような様子で、歯を食い縛るようにして葉月が答えた。なんだか、イク寸前というよりも、ずっとイキっぱなしになっているようにも見える。身体の反応もいつもよりも激しくて、太腿の内側とか、お腹とかがヒクヒクと痙攣して、葉月の中に至っては俺を一刻も早くイカせようとしているみたいに、苦痛に感じる寸前のきつさで責め立てている。正直、まだ自分がイッていないのは、ただの偶然なんじゃないかとすら思う。

「ひうっ、あ、はっ、んぅっ、は、はやっ、きてっ!こわれちゃ、よぉっ!」

 涙を浮かべた葉月の表情に、俺の背筋にぞくぞくとした快感が走る。葉月は俺のもの、という思いと、葉月をずっと守りたいという願いが、矛盾しているのになぜか等価に感じられた。
 それも、どうでもいいと思う。
 重要なのは、葉月になにをしてあげられるか、それだけだと思う。
 両親の死を自分のせいと思ってしまった葉月を。
 俺の事を愛してると言ってくれた葉月を。
 幸せにしてあげたい。
 だから。

「おまたせ。一緒に、イこうか」

 こくこく。
 嬉しそうな顔で必死に頷く葉月に、俺も笑みを返す。
 もう、爆発しそうなのを抑えなくてもいい。

「くうっ!」
「ッ!!ああああああっ!!」

 葉月の一番奥で、全てを吐き出した。
 目の前が白く染まるような錯覚を覚えるほどに、身体の全ての感覚が馬鹿になっている。
 葉月を感じる事を、全てにおいて優先しているかのように。
 俺の身体が、葉月以外は要らないって、言ってるみたいに。

「・・・あは・・・だいすき・・・おにいちゃ・・・」

 耳元で囁かれる声に、俺は愕然として目を見張った。
 葉月は夢見心地で半分意識が無い状態のようだ。
 だとしたら、今の言葉は・・・。
 俺の中で、なんとも言えないイヤな予感が渦巻いた。
 今まで危ういバランスでぎりぎり保たれていたのが、破滅へと向かって大きく傾いたような、そんな気がしてならなかった。

- 3 -

 年齢を詐称して取った宿は、絶えず潮騒が身体をざわめかせるような、海に近い場所にあった。俺は多少の騒音は気にならないタイプと自認してるんだが、葉月は逆に、潮騒がまるで何かの音楽のように感じられるみたいだった。どこかうっとりとした表情で、うっすらと目を閉じて身体の力を抜いている。

「結構、いい部屋だよな」

 俺がそういうと、葉月は力無く微笑んだ。

「うん、来て良かったね」
「げ」

 けど残念な事に、俺は葉月の背後の壁の染みが、人の顔に見える事に気が付いてしまった。しかも、なんだか恨み骨髄って感じに、ねめつける様なイヤな目付きまで見えるようで。
 後で葉月に気付かれる前に、なんらかの対応が必要だ。さり気なく荷物で隠すとか、上着をハンガーに掛けて見えなくするとか。そう思って見渡すと、なんだかあっちこっちにヤヴァげな染みとか汚れとか光が届いているはずなのに翳って見える所とか・・・まさか、格安な料金には原因ガッ!

「・・・どうしたの?」

 訝しげな葉月の声に、俺は表情を引き締めた。葉月を不安にさせない為にも、早急に別の事を話題にしなければならない。俺の頭の中で、今の状況に適した案件が飛び交う。それはもう、ネット上に溢れ返る情報並に凄い量と速度で。

「ここ、家族用の露天風呂があるのな。一緒に入ろう、葉月」
「お兄ちゃん、真面目な顔で言われると、わたし反応に困っちゃう」

 俺が真面目な顔で言うと、やっぱり真面目な顔で、葉月が答えた。
 結局、お風呂は別々に入った。

 ・
 ・
 ・

 あの後、もう一人の葉月は食欲も減衰して、存在自体がゆっくりと消えていくようだった。
 催眠術が自然と解けていったのかも知れないし、葉月自身の衰弱に影響を受けたのかも知れない。俺の事を「おにいちゃん」と呟いた事から考えると、本当の葉月の意識に吸収・同化されていったという可能性もある。
 ひとつだけ判っている事は、もう安息日は安息日足り得ないという事。
 立つことすら難儀するようになった葉月を見て、俺は決断しなければならない事を悟った。というか、覚悟を決める事を迫られた。
 葉月の反対を押し切って病院に入院させるか。
 それとも・・・。
 俺は、決断を実行に移すため、葉月を伴って海へと旅立った。
 知り合いの誰にも会いそうにない、日常から遠く離れた海へと。

 ・
 ・
 ・

「ね、灯り・・・消して欲しいな」

 他のイミに取り様が無いほどきっちりとくっついて敷かれた布団の上で、浴衣の前をもじもじと指先で抓みながら、葉月が上目遣いで囁くように言った。
 多分それは、恥ずかしさとは別に、今の衰弱した身体を見せたくない・・・そんな事を考えているんだと思う。
 それなのに、身体の繋がりを自分から求めてくるのは、心細さがあるからだろうか。
 俺は葉月にとって、傍にいるだけで安心できる存在ではないのではないか、そんな苦い思いが瞬間湧き上がって、それを葉月に気取られないようににやりと笑って見せた。

「いいけど、葉月の身体、触りまくるぞ。暗闇だったらもぉ、徹底的にねちっこく。それでも良ければ灯りは消すけど?」

 パントマイム風に記憶の中にある葉月の身体のラインを表現してみる。途端に葉月の顔が赤く染まって、ついでとばかりに頬がぷぅっと膨らんだ。

「わたし、そんなに寸胴なラインじゃないの、知ってるでしょ」

 そこですか。背中とも胸ともつかない、つるつるのラインを描いたのは気にならないのね。ま、いいけど。

「じゃあさ、やっぱり確認しないと、さ」
「きゃっ」

 俺は葉月の背中に手を添えてから、もう片方の手で身体に負担を掛けないように押し倒した。葉月のに覆い被さるようにして、息の掛かりそうな至近距離でその顔を覗きこむ。

「それに、密着しちゃえば、かえって見えないもんだろ?」

 揶揄するように言って、俺は葉月にキスをした。少しだけかさかさとした感触の唇を、まるで唇で突くように何度も何度も触れ合わせる。それで、葉月の唇が少しでも柔らかく戻ってくれればいいと思いながら。
 途中から、キスを少しずつ変えていった。長く触れ合わせたり、葉月の唾液を吸ったり、舌を挿し込んでみたり。「んっ」とか「ぁッ」とかいう葉月の小さい喘ぎが、だんだんと大きくなっていく。それだけで、俺もなぜだか嬉しくなってくる。

「ほんと、葉月ってキスが好きだよな」

 どれだけ唇を触れ合わせたのかも判らなくなってきた頃、俺は息継ぎの合間にそんな言葉を漏らした。目をとろんと潤ませた葉月が、「ふえ?」と半疑問系の声を上げた。もう一人の葉月はえっち自体が好きなのだけど、葉月はキスとかぎゅっと抱き締めるとか、なんかそういうスキンシップが好きらしい。だから、俺は身体を葉月に密着させるようにして、再度キスを繰り返した。葉月も両手を俺の背中に回して、嬉しそうに微笑みながら受け止める。

「ん、ふ・・・あむ・・・」

 甘える子猫のように、葉月はキスを交わす唇の隙間から、喘ぎを漏らした。
 繰り返し行われる、けれど少しずつディープになっていくキスに、葉月の身体から力が抜けていく。それは、俺に全てを任せているように感じられて、嬉しくてこそばゆい。
 俺はキスを繰り返しながら、葉月の浴衣をはだけた。全身が脱力したようにだらんとした葉月は、抵抗の欠片も見せずに俺に肌を晒した。

「う、ぁん・・・ちゅ・・・ん・・・んっ!」

 緩く開かれた葉月の脚の付け根に、俺はそっと右手を伸ばした。いきなり葉月の一番弱い場所――クリトリスだ――に触れると、葉月が息が詰まったような声をあげた。
 それから柔らかく粘膜を擦るように、俺は下へと指をずらしていく。ひくひくと震えているソコは、暖かい愛液を溢れ返させて、俺を待っているようだった。

「んあぁっ!そんな、くちゅくちゅしちゃやだっ!あっああっ!」

 俺が中指の第一関節までを葉月の中に沈めて、入り口の形を確認するように動かすと、ソコから濡れた音が響いて、葉月の羞恥を煽ったようだった。けれど、それは快感と紙一重で、いやといいつつも葉月は腰を突き上げるようにして、俺の指を追いかける仕草を見せている。
 取り合えず、俺は確認したい事があるので、葉月の中から指を抜いた。葉月が、「え?」といった表情で俺を見上げるのに、ニっと笑みを返して右手を見せた。

「やっ、は・・・はずかしいよぉ・・・」

 中指がてらてらと愛液で濡れているのを見て、葉月は消え入りそうな声を上げた。ふいっと俺から目線も逸らすけど、その表情はどきどきと艶めいて、えっちな気分なのがまる判りだった。

「あぁ、別に羞恥ぷれいをしようって訳じゃなくてだな・・・えっと、この手は『魔法の手』だ」

 口調こそ普通に聞こえるようにしていたけど、内心どきどきしながら俺は葉月に鍵言葉を告げた。
 この鍵言葉が通じないのであれば、明日の決行は難しい事になるかもしれない。
 この鍵言葉が通じるのであれば、葉月の身体に負担がないように気を付けないといけない。
 結構、ぎりぎりな事をしている気がした。

「あ・・・あたたかいひかりぃ・・・」

 とろんとした目で、葉月が俺の右手を見詰めている。
 葉月の目に光が見えているという事は、暗示はまだ生きていそうだった。

「この手で触られると、凄く気持ちがいい・・・」

 呟くように口にしながら、俺は右手を見せびらかすように動かして、葉月の左手の人差し指をきゅっと握った。そのまま指をぐにぐにと動かして、人差し指を刺激する。

「ん、ふぅっ・・・あん・・・はぁ・・・あ、んぅ・・・」

 葉月はうっとりと、喘ぎを漏らした。
 その反応に、おかしな所は見当たらない。
 俺は、明日行うつもりの行動に支障が無いと判断し、秘かに安堵の溜息を吐いた。
 あとは、葉月の負担にならない程度に可愛がって、寝るだけだ。
 俺は、葉月の指と指の間に俺の指を絡ませるようにして、左手全体を愛撫した。

「んあぅっ!」

 ビクっと葉月が身体を震わせた。
 明るい光の下、葉月はきめ細かい肌にうっすらと汗を滲ませて、恥ずかしがりながらも俺が与える快感を受け止める。

「おにい・・・ひゃぅっ・・・あっ・・・き、きて・・・おねが・・・ああっ・・・」

 絶頂が近いのか、酷く切なげな様子で葉月は俺を求める。けど、今日は・・・今日からはもうしないって決めてる。だから、俺は葉月の開かれた唇を覆うみたいにキスをした。
 息苦しくならないように、キスをしては唇を離し、息を継いではまた唇を塞ぐ。
 葉月もすぐにこのやり方が気に入ったようで、嬉しそうに鼻を鳴らしてキスに応じる。

「んん・・・は、ちゅ・・・んぁ・・・あ、んぅ・・・」

 小さく何度もイッているのか、葉月の身体に時折痙攣したような震えが走る。
 葉月の左手を握った俺の右手が、より深く触れ合いたいというのか、葉月から強く握り返される。
 応じてぎゅっと握ると、葉月の身体がまた、ビクン、と仰け反る。
 葉月の身体に負担を与えたくは無いのに、押さえようのないナニカに、だんだんと唇の擦り合わせる時間が長くなって行く。

「どう・・・して・・・?」

 長いキスの合間に、葉月は快感に翻弄されながら、それでも挿入しない俺に訝しげな声を掛けた。
 いつもだったら、もう入れてくれてるよね?
 そんな、淋しさと疑問が混ざり合った表情を浮かべて、俺を見上げている。

「たまには、こうしてまったりするのも良いと思ったから、な」

 言わないよりは良いというだけで、信憑性の欠片も無い言葉を俺は口にした。
 多分、何を言っても葉月を安心させられないのだったら。
 俺は葉月とぴったり重なるように位置を変えて、俺のモノを葉月のアソコに擦り付けた。破裂しそうなほどに昂ぶったモノが、葉月の濡れた粘膜に触れてぞくぞくとした快感を生み出した。

「あんっ!あ、あつっ!」

 ヒク、と震える葉月の身体を俺の身体で感じながら、腰を動かして俺のモノを葉月に擦りつけ続けた。それまで刺激を与えなかったからか、ただ擦っているだけなのに気持ち良い。これでは、すぐにでもイッてしまいそうだった。

「ああっ!あっ、あっ、あっ、あっ!」

 葉月の声が、絶頂が近い事を俺に教えてくれる。
 それにつられてか、俺の中の性感が急速に高まった。
 その瞬間に向けて、ヒクヒクと痙攣している葉月のアソコに、俺のモノを擦り付ける。反り返った先端から、ぬるぬるとした液が漏れているのが見えた。

「い、イク!イッちゃう!くぅ、ああああっ!!」
「くっ!」

 葉月が絶頂の悲鳴を上げるのとほぼ同時に、俺も葉月の腹から胸に掛けて、大量の精液をびゅくびゅくと射精した。一回では終わらずに、2回、3回と精液が放たれて、葉月を白く汚した。

「あぁ・・・はぁ・・・あったかいよぉ、おにいちゃ・・・ん・・・」

 ほわんとした顔で、妙に間延びした口調で呟いて、葉月はぱたりと眠りに落ちた。やっぱり、それなりに身体に負担があったという事なんだと思う。何しろ、今の葉月は一人で立ち上がるのも大変なのだから。お風呂にしたって、実は倒れていないか心配だったし。

「明日・・・明日には全部が良くなる・・・いや、良くするから。もうちょっとだけ、待っててくれよ」

 俺は、葉月の髪を撫でて、その寝顔を飽きること無く見詰めながら、そう呟いた。

- 4 -

 天気は悪かった。
 波もあてつけのように荒れていて、海を渡った風が何かの罰のように俺達を打ち据える。一言で言うと、海を見に来るには最悪の天気だ。見渡す限り、俺達の他には誰もいない。
 俺たちは旅館から海を見に来た訳だが、これなら旅館の中に引っ込んでた方が良かったんじゃないかと、自分の判断を呪いたくなってくるほど、最低な天気だった。

「貸切・・・だね」

 健気に明るく言おうとして、思いっきり失敗してる口調で、葉月が呟いた。
 昨日よりも、顔色が悪く見えるのは、俺の気のせいだろうか。
 俺と並んでベンチに座りながら、どこと無く気だるげな様子で、葉月は海を見ている。

「まぁ、芋を洗うようなのはさすがにゴメンしたい訳だけど・・・これはちょっと・・・な」

 溜息とともに言うと、葉月は小さくくすくすと笑った。
 俺が憮然とした表情を見せると、葉月は嬉しそうに微笑んでから、ことんと俺の肩に頭を乗せた。切ないほどの軽さに、俺は心の中で溜息を吐いた。

「・・・ね」
「ん?」

 その姿勢で暫く海を見ていると、葉月がぽつりと呟いた。

「お兄ちゃん、昨日はどうしたのかな・・・とか」

 心配そうに、ちろちろと俺を覗い見る葉月。少しだけ頬が赤いのは、聞いてる内容がえっち関係の事だからだろう。

「そんなに入れて欲しかったんだ?・・・葉月のえっち☆」

 俺がふざけて言うと、葉月は顔を真っ赤にしてわたふたと手を振った。

「ち、ちがっ!だって、だってお兄ちゃんが!」
「俺が?」
「よっ、様子がヘンだし、ううん、ヘンなのはいつもだけど、昨日はいつもと違うヘンだしっ!それに、急に海に行こうとか言ってるしっ!」

 思った通りの葉月の反応に、ついいじめたくなってにやりと笑う。それにしても、おまえが俺の事、どういうふうに見てるのか、よぉく判った。
 でも、これからやろうとしている事を思い出して、笑みを引っ込めた。楽しいからって、楽な方に逃げてちゃだめだしな。
 俺はわたふたしている葉月を、きゅっと抱き締めた。

「心配させてごめんな」
「きゃっ」

 驚いて悲鳴を上げる葉月を、力を入れすぎないように抱き締める。

「それと、嘘をついててごめん」
「・・・うそ?」

 きょとん、と俺を見上げる葉月に、俺はそっと頷いた。

「ああ、前に葉月に催眠術を掛けた時、一つ暗示を仕込んでおいたんだ。親父とお袋の死を、過剰に受け止めずに済むような忘却系のを、さ。もう一人の葉月がうまくいってれば良かったんだけど、葉月の罪の意識に飲み込まれて出てこれなくなったみたいだし、もうこれしかないと思うから」

 徐々に葉月が理解するにつれて、顔が青ざめていった。まるで酷い風邪をひいたみたいに、身体がガクガクと震えている。
 事情を説明しない方が良かっただろうか。だけど、最終的には忘れてしまうにしても、何も言わずに葉月の心を操るのは、俺がいやだったから。結局は全部、俺の我侭って事なんだろう。

「だって、それはわたしが悪かったから、当然の報いなのに・・・」
「違う」

 俺は葉月の言葉を遮るようにして断言した。

「それは違う。責めを負うなら、俺だって同罪だ」
「ううん、わたしの方が、先にお兄ちゃんのことを好きになったから・・・わたしがお兄ちゃんを誘惑したから・・・ッ!」

 違う。

「わたしが悪い子だから、だから苦しいのは当然なの!」

 違う。

「お父さんも、お母さんも、怒って当然だから!」
「違う」

 もう、我慢出来なかった。

「親父やお袋が、葉月が死にそうになるまで怒るかよ!あんなに二人して葉月を可愛がってたのに、幸せを願わないなんて、あるはずが無いに決まってる!」
「あ・・・」

 もう一度葉月を抱き締めて、茫然とした様子の葉月の額にキスをした。
 こういう事をするのも、もう最後だと思いながら。

「だから、葉月は幸せにならなくちゃだめだ。あると幸せになれない記憶なら、ぜんぶ俺が持っていくから。
・・・葉月の意思を無視して進めるのを、先に謝っておくよ。ごめんな」

 俺の言葉に、葉月が泣きながら首を振った。
 それがどういう事か、判ったからだろう。
 葉月の目から溢れる涙を見て、俺は葉月の事を綺麗だと、思った。頬がこけているし、全身から柔らかさが失われている。けど、本当に綺麗だと・・・そう、思った。
 こんなに間近で葉月と見詰め合うのはこれが最後だろうから、俺は葉月の今の顔をずっと憶えていようと思った。きっと、これからの葉月は、普通の兄妹としての顔しか見せてくれなくなるだろうから。

「だいじょうぶ。俺達はふつうの兄妹になるだけだから。だから、『全てを忘れて、幸せになってくれ・・・葉月』」
「あ・・・」

 ふっ、と葉月の目から、力が失われた。
 昨日の『魔法の手』で大丈夫だとは思っていたけど、実際に鍵言葉が機能して安心した。あとは、葉月の記憶の細かい部分のつじつまを合わせるだけでいい。
 俺は手を伸ばして、指先で葉月の頬を伝う涙を拭った。

「幸せに・・・葉月・・・」

 俺は、目を開けたまま茫としているような様子の葉月に、祈るように囁いた。

― エピローグ ―

「もう、心配したんだからねーっ!」
「あはは、ごめんごめん。お詫びに今度ケーキをご馳走するから」
「ホントだよ?ケーキの一つや二つじゃ済まないよ?」
「ふとるよー」
「心配して痩せちゃったから、ちょうどいいよーだ」
「あはは」

 学校の帰り道、葉月と三原さんのハイテンションな会話が、男どもを遥か彼方に置き去りに、止まる事無く続いていた。
 俺は葉月の久し振りに元気な様子にほっとし、俺の隣の裕も、久し振りに4人そろった事に安堵しているようだった。
 今まで当たり前だったこの光景に辿り着くまで、本当に遠回りしていたんだなと思う。
 アレから、葉月は辛い記憶を取り戻した様子は無かった。ただの普通の兄妹として、普通に話したりするだけ。時に怒って、時に笑って。けど、きっとそれが正しい結末というやつなんだろう。

「じゃ、また明日ねー」
「うん、じゃーねー」
「二人とも、また明日」
「おう。んじゃ」

 それぞれに挨拶を交わして、俺と葉月は自宅への道を二人で歩く。
 二人の距離は、あの日とは変わってしまった。
 それが、俺達が失ってしまったモノ。
 少しだけ胸の奥に重たいものを感じながら、これが最善なのだと、自分に言い聞かせるように思い続ける。

「お兄ちゃんっ!」

 葉月の切羽詰った声とともに、俺の右腕が引っ張られた。
 どんっ!と、柔らかいものが俺の正面からぶち当たる感触――葉月だ。
 それと、驚くほど近くを通り過ぎる、スクーターのエンジン音。

「もう、ぼーっと歩いてたら危ないじゃない!今、スクーターに当たりそうになったんだよ!」
「あ、わりぃ。考え事してた」
「・・・」
「葉月?」

 気が付くと、俺達は驚くほど近い場所で、見詰め合っていた。
 俺がすぐに気付かなかったのは、この距離は今まで当たり前の距離だったから。
 でも、葉月はこんな近くで見詰め合う記憶なんて、今はもう無いはずで。

「・・・あ、あれ?」

 茫とした葉月の顔に、赤い色が浮かんだ。
 まるで、恋する女の子のように。
 恥じらいと、ときめきと。
 なんでそうなるのか、自分自身も判らないという、戸惑いといっしょに。

「ご、ごめんね。でっ、でもっ、お兄ちゃんだって気を付けなきゃだめなんだからねっ」

 誤魔化すように早口で言うと、葉月は俺から距離を取った。
 恥ずかしそうに顔を伏せながら、それでも何かに引き寄せられるように、ちろちろと俺を見上げている。

「ああ、気を付けるよ」

 俺が頷くと、葉月は赤い顔のままでニコっと微笑みを浮かべた。
 それからおずおずと右手を俺に伸ばして。

「危ないから、手、繋いでてあげる。・・・はい」

 どうやら、葉月よりも年上である俺を、手を繋いであげないとキケンだと判断したらしい。

「ほら、は・いっ」

 しかも繋がないという選択肢は無いらしい。
 俺は仕方なく葉月の手を握った。小さな手が、すっぽりと俺の手に収まる。葉月はきゅっと俺の手を握り返すと、嬉しそうに笑った。それがどことなく、今はもういないもう一人の葉月の表情と重なって、一瞬ドキっとした。

「さ、帰ろ。美味しいごあん、作ってあげるね」
「はいはい」

 俺は、葉月と手を繋いで家路を辿った。
 妹のように。
 恋人のように。
 失くしたと思っていたものは、まだそこにあるのかも知れない。

< おわり >

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