イルス物語 序章 女神隷従?

序章  女神隷従?

 まったく一点の曇りのない空にむけてまるで雲の変わりに、とでもいうように真っ白な斜面が続いている。
 つもった雪はそれほど深くはなく所々岩が顔をだしていたし、点々と生えている木々の様子からも見てとれた。
 それになにより麓のほうからえんえんと続いている足跡から、はっきりとわかる。
 ひとのくるぶしほどの高さ、せいぜい2セームから3セームくらいのものだろう。
 けして、この中を歩くのに苦痛を感じるような深さではない。
 だから、その足跡の主がぶつぶつと何やら不平不満を言い続けている理由に、そのことは含まれていないはずだ。
 ほんのわずかに、茶色味を帯びた麻地の服を着ている。
 フィッツと呼ばれるその服は、よく巫女や神官が好んで着る服で、軽くて丈夫でとても通気性にとんでいる。ただ通気性に富み過ぎているために、うっすらとではあるけど雪のつもっているような、こんな場所で着るには少々不向き……どころか、はっきり言って非常識な服だ。
 おまけに、元々長袖のはずのその服は肩口のところから先がない。
 断面が、ぽろぽろとやたらほつれているところを見ると、切ったのではなく力まかせに一気に引き千切ったらしい。とんでもなく荒っぽく、ラフな着こなしだ。
 ただ、そういった格好が似合う者もいる。
 巌のような肉体を持ち、あふれんばかりの熱量をその体内に封じ込めているような男だったら……。
 けれど引き千切られた袖口から見えている腕は、袖口の3分の1にも満たない細さで、露出している肌は透き通るように白い。さらにその先にはその腕にふさわしく、やわらな弧を描きながら首筋へと続く肩がある。
 そして、細く繊細な首の上にあるのは……。
 歴史上最高の芸術家でさえ、それを見たとき自身の才能の限界を思い知ることになるだろう。
 無限に近い時と、かぎりなくゼロに等しい偶然のみが生み出しうる至高の美。
 プラチナに輝く髪。日光の光を受け、髪と同じ色の光をきらめせる瞳。最高級のロゼワインの色をした唇。
 どこから見ても淡雪のごときはかなさを秘めた、幻のような美しさを持った少女そのものだ。
 ただ腰までとどく美しい髪を束ねているのは、それに似合った愛らしいリボンなどではなく粗末な麻縄だし、その美しい唇から聞こえてくる言葉は、その美しさに似合った妙なる調べなどではなく口ぎたないののしりの言葉だった。
「くそじじいめ、もうろくしてんじゃねぇだろうな? なぁにが最高の女を抱かしてやるから、だ。こんなもん取りに行かせやがって。あいつの頭ん中にゃあ、脳みその代わりに、くそでもつまってんじゃねぇのか?」
 見た目はともかく、中身は見た目そのままのものではないことは明らかだろう。
 でも、その背中に背負っているものを見たときの衝撃にくらべれば言葉遣いの悪さぐらい、どってことないと誰もが思うはずだ。
 自分の体の百倍もある、巨大な石像。戦女神アシュティアを象ったそれは、大理石でできている。力自慢の男たちが何百人かかろうと、動かせるようなしろものではない。
 それを、はかなげな美しい少女にしか見えない人物が、はるか山の麓の方から背中に担ぎ急な斜面を駆け登っているのだ。それも尋常な速さではなく、馬が平地を失踪するのとあまり変わらない速さで。
 その現場を目撃したとしても、自分が見ているそれを信じられる人間がはたして何人いるだろうか?
 そんな非常識なことをやっている美しい少女……などと言ったら、まず間違いなくはりたおされるだろう。
 非常識というところには目をつぶれても、美しい少女呼ばわりされることにはがまんできないとイルスは言うはずだ。
 イルセウス=ラ=クーンツ。
 彼を知っている者は、彼のことをイルスと呼んでいる。
 イルスは3日ほど前に誕生日を迎え、18才になったばかりの男である。そんなことなど容易には誰も信じちゃくれなくても、間違いなくイルスは男だった。
 雪の積もっている中薄手のフィッツを着ているのも、両手の袖をわざと手荒く引きちぎって腕を肩口からむきだしにしているのも、自分の男としての肉体に絶対の自信を持っているからなのだ。
 力強くタフで少々のことでは壊れそうもない、鋼のごとき肉体。
 少々甘いが、それでも男くささを失うことのない精悍なマスク。
 それらは、イルスの自分自身に対する認識だった。
 まったく、とんでもない自己評価だった。それはあまりに現実とはなれすぎていて、誤解というよりは幻想と言うべきかもしれない。
 ごつごつとして、それでいてしなやかな肉食の獣のごとき自分の肉体には簡素でラフな服が一番よく似合っているのだ、とそう思い込んでいる。
 周りから見ればその姿は痛々しく、へたをすればレイプされかけた少女と間違われかねない。
 ただ無意味に露出度の高いそのかっこうを、手放しに歓迎するものも多い。
 特に、男共に。
 頭の中では相手が男なのだとそう判ってはいても、奇跡のように美しい少女にしか見えないイルスにしどけない格好をされて目の前を歩かれると、たいがいの男のものはたちどころに反応してしまうことになる。
 だからイスルが好んでする格好自体は、おおむね好評といえなくもない。
 ただ、イルス自身が意図したうけ方とは大幅に違ってはいたが……。
「ひげじじいめ、こんな非常識なもん取りに行かせやがって。むちゃくちゃ重てぇじゃねぇか。もし、これで、“ツィスクからあるものを取ってくれば、この世で一番きれーなねぇーちゃんと、いやというほどやらせてやるわい”ってセリフを、“をを、連れてきたな。そのきれぇなねぇちゃんは、ほれ、今おんしが背負っておるではないか。フォッフォッフォッ”なんて、寒いギャグなんかでかえしやがったら、やつの頭をこいつでタタキ割ってやる」
 流麗な口から、銀鈴の響きを持った声とともに吐き出された言葉は、かなりキケンな内容だった。
 走る速度も落ちないし、たいしてつかれた表情もしてないから非常にわかりづらいが、さすがに20階建てくらいの家くらいはありそうな巨大な石像をかかえて走るのは、けっこうしんどいらしい。
 目がマジだった。冗談やグチなんかじゃなく本気でやりかねない、そんな目だ。
 こんな石像でなんかで殴られたら、あたまだけですむはずがない。人がアリを踏みつぶしたときみたいに、プチッとたやすくつぶれてしまうに決まってる。
……普通は。
 イルスはそれからまったく速度を落とすことなく、雪に覆われた急な斜面を駆け登り続け頂上付近にまでたどり着いたときには、体力よりは感情のほうが限界に近づいていた。
 まるで速度を落とすことなく一気に山頂まで駆け上ったイルスは、投石器から射出された岩みたいに巨大な石像ごと高々と空中に舞い上がる。
 空中からは、山頂の様子が簡単に見てとれた。なにか刃物のようなもので切り取ったように、平らな地面が広がっている。たいした広さではない。せいぜい直径が100メイル(約100メートル)ほど。大人の男が少し大またで100歩も歩けば、端から端まで行きついてしまう。
 その中央には家があった。
 木で出来た、家というより小屋と呼んだ方がよいような、そまつな建物だ。
 大きさからいえばイルスが背負っている荷物のほうが、その家より何十倍も大きい。
 その家に向かって、巨大な石像が落下してゆく。
 イルスつきで。
 直撃すればイルスはともかく、木で出来た小さな小屋など跡形なく消し飛んでしまうだろう。
「破ッ!!」
 裂ぱくの気合が、イルスの口からほとばしる。その気合すら玲瓏たる響きをもち、聞くものを魅了するのはイルスならではだろう。
 世にも美しい気合とともに巨大な石像は落下速度を急速にゆるめ、落下コースも直撃から玄関前1メイルに変更される。
 着地の衝撃はなかった。
 風に舞った羽毛がゆっくりと舞い降りるよう、まるで重さなど感じさせない着地だった。
 魔法などではない。
 熟達した魔導師や神官ならば魔力が動いた形跡がないことや、それらが唱えられなかったことくらいは、すぐに見てとれたはず。
 魔法は神々か魔物と契約を交わし特定の呪文を唱えることで、その力のほんの一部を引き出して使う技術。
 ただ、呪文を唱えれば無制限に使える、というわけではなくより強力な魔法にはそれに見合った魔力と呼ばれる力が必要とされる。
 魔力によって契約者の力に触れ、呪文によってそれを目的に見合った形にしてその力を引き出す。
 つまり、その一方のどちらかが欠けても魔法は使えないはず。だからイルスがやったのは、魔法ではない他の力ということになる。
「出て来い、ひげじじい。てめぇの言っていた、ちょっとした荷物ってぇのを取ってきてやったぜ」
 よっぽど頭にきていたのだろう。その声は小屋の入り口のドアを振るわせる。ただ美しすぎるその声には、まるで迫力というものなど、ありはしなかったが……。
「そんな大声など出さんでも聞こえとる。おんしに、そんな大声を出されると、つい聞きほれてしまうわい」
 声は背後からだった。
 そこには、誰もいないはずだ。
 上からそれは確認していたし、家の中に気配があることもわかってた。
 でも今声は背後から聞こえ、気配も等しくそこにある。
 イルスがもの心ついてから、ずっと一緒に暮らしてきた。当然こんなことくらい日常茶飯事だ。それでもイルスは、つぶやかずにはいられなかった。
「なんて、非常識な……」と。
 イルスの背後、石像の向こう側には老人が立っていた。頭には一本の毛もなく、代わりに顔の下半分は真っ白なひげに覆われていて、その先端は足元にまでおよんでいる。
 体は、イルスより有に2回り以上はでかい。
 ダークブラウンのローブから突き出された腕は、太く華奢なイルスの太もも以上はありそうだった。
 確かに老人ではあるけど、ひどく頑健そうな老人だ。
「やい、じじい。とって来てやったぜ。てめぇの言ってた、この世で最高の女ってぇのはどこにいる? 好きなだけやらせてやるって言ってたよなぁ?」
 後ろを振り返りもせずに、声をおとしてイルスが言った。
 本人はドスをきかせているつもりらしいが、美しすぎるイルスの声では迫力なんて、かけらだってありはしない。ましてや、むちゃくちゃ長いひげを蓄えた、たくましい老人がひるんだりするはずもなく。
「をを、そんなことなら、ほれ。おんしが今背負うておるおなごじゃよ」
 イルスは答えなかった。
 だまって振り返ると、背負っていたはずの石像がいつのまにかその頭上に移動している。
 そのことをろくに確認させる間もあたえぬまま、巨大な石像が振り下ろされる。
たくましい老人に向けて。
 大地をゆるがす衝撃。跡形なく砕け散る石像。そして、その中に消えゆく老人。
 それが、本来なら見られるはずだった光景。
「チッ。……バケモンめ」
 舌打ちとともに、そんな言葉をはきだしたのはイルス。
 老人が頭上に差し出した杖によって、石像はたやすく受けとめられてしまっていた。
 大抵の城の城首郭は、この石像の半分ほどの高さしかないし、同じ大きさでも大理石の方が普通の石より重い。それが城とは違って、中までびっちりと詰まっているのだ。
 つまり、この石像はそこらの城より重い。
 すさまじい速度でたたきつけられるそれを、いともたやすく受け止めた人物に対する評価としては、怪物という表現すらひかえめに過ぎるだろう。
 でも、イルスが使うのを聞いたら、“それって、なんかへん”って言いたくなるはずだ。
 たとえればトロールがオーガに向かって、化け物ってののしるようなものだからだ。
 つまり、そんな巨大な石像を棒切れみたいに振り回すような人間も、それを平然と受け止める人間と大差ないってこと。
 もっとも、そんなことを出来る存在を、人間って呼んでよければなんだけど……。
「乱暴ものじゃのう。これがのうては、おんしは最高のおなごと、“Hやりほうだい”ができんくなるというに」
 ため息まじりに、老人が言った。
 小さな子供を教え諭す口調で。
「まだ言うか、ひげじじい。こんなもんじゃ、せんずりだってかけやしねぇぞ。ましてや、こんなもんと犯れって言われて、やれるヤローがどこにいる?」
 確かに、そうだ。遠くから見れば、間違いなく女神像だが、近づけばたんなる巨大な大理石の塊にすぎない。
 そんなもんに欲情するような男は、変態の域を通り越し人間をやめているとしかいいようがない。
「いかんのう。まったく、おんしの悪いくせじゃ。人の話は最後までよう聞くもんじゃ。これが壊れてしもうては、おんしは童貞をすてることも、ましてや最高のおねぇちゃんとの甘くどろどろに溶け合うような、めくるめく淫らさに満ちた淫欲の日々も、一緒にくだけ散ってしまうのじゃぞ」
 老人の力と自信に満ちあふれた(まあノリは軽いが)声音からは、言葉のようないやらしさなんてまるで感じられない。
 まともな普通の男だったら。“ほんとかよ?”って感じで、頭っからうたぐってかかっただろうけど。
「い、いんよくのひび……」
 その比類なく愛らしい唇からは、そんな言葉が漏れていた。
 生まれてから18年。こんな山の頂上で、ひげだらけの老人と二人、修行と称するひまつぶしに明け暮れてきた。体を使うの、頭を使うの、それこそ様々な。次々に出され続ける課題は、日に日にその難易度を極端に上げつづけ、ろくに息をつくようなひまもなかったが、イルスの下半身にドロドロにたぎっている欲望はつのるばかりで、いっこうに解消されたりはしない。
 町に買出しに下りるたびに、今日着ているみたいな男らしい格好を極力心がけていた。どんな男よりも力強く男くさく、顔だって少々細いのだけが難点だが、それでも十分に男らしく、完璧とまではいかないにしても十分魅力的な男であるはずだった。
 女にもてないはずがない。自分のオスとしてのプライドと、まともに女性と話したことすらない、という女性に対する無知さが、イルスを女性から遠ざけていた。
 ましてや、本人の思い込みはどうあれ、その外見はどんな天才をもった絵師ですら、ほんの一部をも写し取ることはできないくらいの美しさを持った美少女なのだ。そのケのある女ぐらいしか、言い寄ったりはしないだろう。
 もっともイルスの方から言い寄ったにしても、“あんなにきれいなのに、なんてかわいそう”なんて、影でひそひそと同情されるのがオチだろうけど。
 そういうわけで、イルスは欲望だけは大量にあるけど、未だにそれを発散するきかいにめぐまれないでいるチェリーボーイなんかだったりする。
 だから、その頭の中には老人の言葉、とくに“めくるめく淫らさに満ちた淫欲の日々”というあたりが、くり返しリピートされ続けている。
 この勝負の結果は言われるまでもなく、誰の目にも明らかだろう。元々相手になるはずもない。経験値が違いすぎるうえに、なにせイルスをここまで育て上げたご当人だ。女と氾ることを夢見ているチェリーボーイを手玉に取ることくらい、どってことはなかった。
「そうじゃよ、淫欲の日々じゃ。……もっとも、その前にちぃっとばっかし、おんしには苦労してもらわにゃならんじゃろうがのう」
 老人が楽しげにそう言ったとき、
「ま、待ちやがれ! じじい、てめぇ、いってぇ何を……」
 半ばほうけていたイルスの頭の中で警鐘が猛烈な勢いで鳴り響き、不吉なものを感じ取る。
 老人が、何かしようとしている。
 不吉なものを感じた。でもみなまで言いきることは出来なかった。
 それより先にそれは現実のものとなって、イルスの目の前にあったから。
 ただひたすら巨大なだけだった石像は、イルスの手を離れ宙に浮いている。
 なめらかで温もりを感じさせる肌。最高のルビーと同じ輝きをみせる唇。圧倒的な意思力を感じさせる、アイスブルーに輝く瞳。身にまとっている武具は、その内にある力を感じさせずにはおけない光に包まれている。人にとって……いや、この地上に住むすべての生き物にとって圧倒的な存在感をいやが上でも認識させる。
 それが、石像なんかであるはずがない。
 絶対的な力を持ち、この場合戦いを司る……。
 女神。
 そう、それは、女神アシュティア以外の何者でもない。
 アシュティアは今自分の置かれた状況を理解しようと、辺りを見回しているところだった。
 ここは一体どこなのか? なぜ自分はこんな所にいるのか? 神であるはずの身に、一体何か起きたのか?
 辺りを見回しても、ここは神界ではないらしいということがわかっただけ。……まあ、結局何もわからない、ということが判っただけに過ぎなかった。
 状況に劇的な変化が訪れたのは、女神が何気なく足元にその視線を落としたときだった。
 女神の足元……当然、そこにはイルスがいる。
 女神の時が凍りついた。
 美貌という言葉で表現できるような者なら、女神アシュティアにとって、そこらにころがっている石ころと大差ない。
 見えてはいても、気に留めることはありえないはずだ。
 でも、イルスは……。
“何だこれは?”
 凍りついた時が戻り、女神が最初に考えたことはそれだった。
 人間の最も美しいと言われている美女。それも、美の女神フローディア以上と人々の間でたたえられた女でも、フローディアはおろか戦女神である自分と比べてみてさえ、とるに足らないような美しさでしかない。
 女神の美しさと人間の女の美しさの間には、巨大な隔たりがあった……はずなのだ。
 でも、アシュティアが今見ているそれは……。
 美の女神フローディアでも、はたして比較の対象になりえるかどうか……。
 それの美しさは、神々の範疇すら超えている。そんな存在がいるはずがなかった。……いていいはずがないのだ。
 いつの間にか、その手には抜き身の神剣が握られていて、切っ先はイルスへと真っ直ぐに向けられていた。
「きさまは何者だ? ここはどこだ? 一体わたしになにをした?」
 たて続けに質問をあびせる。
 神である自分にすら理解できないことがある。……その事実が女神から余裕を奪っていたし、それにこの状況に、この美しすぎる人間の娘が無関係であるはずがない。
 でも、どんな理由があったにしても、これはどう見てもやりすぎ。
 人間、エルフ、ドワーフといった亜人種はもちろん、グリフォン、オーガ、トロールのような強力なモンスターや、ジン、イフリート、ハランといった上位の精霊たちでさえ神剣なんて向けるまでもなく、彼女の意思の力、……神力と呼ばれる力を少し動かしただけで、簡単にひねりつぶしてしまえる。
 かつて唯一神々と対等の力を持ち、神々に戦いを挑んでやぶれたと言われているティターン。そのティターンとの戦いのときに作られたのが神々の武具であり、今女神アシュティアが手にしている神剣グランニールである。
 ティターンを滅ぼすために作られた剣は、神自信をもほろぼせるだけの力を秘めている。
 そんなもんを、たんなる人間……、それも、特にひ弱そうに見える小娘につきつけているのだから、どう考えたってやり過ぎってもんだろう。
 本当の所女神アシュティア自信も、やり過ぎたかなとは思ってはいたんだけど……。
「どうした。なぜ、だまっている?」
 なおも、おどしつけるように、そういった。
 女神はやり過ぎることはあっても、間違うことはないのだ。
「へへっ……」
 小さく至上の声音で、いやらしい笑い声を立てたのはイルス。
 女神は、はるかな高みにあってもその声を聞き逃さなかったらしく、ほんのわずか眉をしかめる。
「へへへっ。おらぁ、あんた知ってるぜ。アシュティアってぇんだろう? かぁいいねぇ。……あんたみてぇなのと、やれるなんてなぁ最高だぜ」
 神剣を目の前につきつけられていようが、イルスの頭の中には“めくるめく淫欲の日々”なんて言葉が、うずまいているらしかった。
 だけど女神にとっては当然そんなことなんて関係ないから、その言葉を聞いた女としてしごく当たり前の反応を返す。
「きさまは、男だったのか?」
 女神アシュティアは、本当におどろいていた。
今まで、こんなことはなかったから。
 どんなことも女神であるアシュティアに対して、人間ごときが隠しておくことなんてできるはずがない。
 女神が持つ神力が、人が本を読むようにその人間のあらゆる情報を、好きなように読み取ってくれる。
 そしてアシュティアは、いまさらながらあることに気付いたのだ。
 神々の基準すら、大きく凌駕する美しさを持った人間。でもちっぽけで、何の力も感じられない。
 そう、本当に何も感じ取れないのだ。
まるで何もわからない。
 その衝撃的な美しさに魅せられてしまい、そんなことに今ようやく気がついたとこだった。
 それと一緒に女神を見上げている視線に、どんな汚らわしい思いが込められているのかも……。
「なぁ、ねぇーちゃん。おれと、キモチいいことしようぜ。たーぷりとかぁいがってやるからよう。もっと、小さくなんなよ。そんなんじゃ、おめぇのオメコに手もとどかねぇじゃねぇか」
 まるで町のチンピラが、女をレイプするときにでも使いそうなセリフをイルスは女神に向かって言いきった。
 生まれて以来一等、それもぶっちぎりにキレーなねぇちゃんで、体だって、そのみごとな胸に顔をうずめてほっぺたをスリスリしたくなるようなナイスなボディをしている。
 もう完全にイルスの頭の中は“いっちゃってるよ”モードに突入していて、自分が口を開くたびに女神の瞳の中の危険な光が、どーんどんその強さをましていってることに全然気付いてない。
 だから……。
「でもよう。ねぇーちゃんのオメコん中に、体ごと突入するってぇのもすてられねぇんだよなぁ。……ああ、あふれるエッチ汁の中で、溺れてみたい……なぁーんてね」
 ほとんど致命的なセリフを吐いた後、エッヘヘヘ……って笑ったりなんかしている。
 これは女神に対して……、というより誰に対してもかなり失礼な言葉。
「もう、いい……」
 女神アシュティアが、まったく抑揚のない声でそう言った。
 ひどく冷たく突き放したような言い方は、女神の怒りの大きさと、これから起きることを十分予見させるものだったけど……。
「いいっ……て、まださわってもいねぇんだぜ。へへっ、そっか“いいわぁ、早くわたしのいやらしい所をいじってぇ。もうたまらないわぁ”ってことだろう?」
 イルスのイッちゃってる頭の中では、一体どんな思考回路が出来あがっているものか……。
 まぁいずれにしても、その言葉は最後通告なった。
 イルスに突きつけられていた神剣が、一瞬かすむ。
 一たん引き戻した剣を、イルスに向けて振り下ろしたのだ。……神の速度を持って。
 神力を込めていなかったにしたって、こんなもんくらったら、最強の生物ドラゴンだって真っぷたつ。一瞬で、あの世に旅立ってしまうことだろう。
 女神が顔をしかめた。
 それは起こってはいけないことだった。
 女神の予想を覆すなんて、ましてや神剣を受け止めるなんて……。
「あっぶねぇなぁ。こんなもん振り回しちゃってさぁ。けがでもしたらどうすんだぁ?」
 イルスも、その美しい顔を曇らせて、そんなことを言ってる。
 普通、5、6階建ての建物くらいある剣で切りつけられたら、けがだけじゃすみそうもないもんだけど……。
「……うっ? なんだ?」
 そう小さくうめいたのは女神アシュティア。
 ふたたび切りつけるために、剣を引き戻そうとした。でも、剣が動かない。
 イルスが右手を頭上に差し上げ、神剣を受け止めている。そのイルスの体で、地面につなぎ止められたみたいに剣が微動だにしない。
「な、なめるな!」
 鋭い気合とともに、女神は渾身の力を込めるけど……。
 やっぱり動かない。
「き、ぐっ……、は、……はな、せ……」
 くいしばった奥歯の奥から、しぼりだすようにそう言った次の瞬間。
「ひぃあっ!!」
 そんな変な声をあげ、くるくると回転しながら後方に向かって、すんごい勢いですっとんでゆく。
「あっらぁー。おれって、きれーなねぇーちゃんの言葉にゃあ弱ぇかんなぁ。 つい、手ぇ離しちまったい……」
 腕組みしながら、イルスは一人反省なんかしてたりする。
 でも……。
「はぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 遠くの方で大きな声がしたのとほぼ同時に、閃光をともない突っ込んでくるものがあった。
 その顔は美しく上気し、手にした神剣は巨大な神力を受け、太陽のごときオーラの輝きを放っている。
 女神アシュティア……、もう彼女には女神としての余裕も何もなかった。自身のすべの神力を神剣グランニールに注ぎ込み、全力を持ってイルスに戦いを挑む。
“まるで、道化のようなマネをさせられた”
そんな思いが、アシュティアの頭の中を埋め尽くしていた。
 一瞬のうちに間合いがつまる。
 女神はその速度そのままに、右の肩口に抱えた剣を振り下ろす。
 あまりに巨大な力と速度に大気が耐え切れず、剣が動いた後に青白いスパークをまきちらしている。
 その一瞬後。
 山頂部分がキレーに消し飛んでいた。
 でも、アシュティアは止まらない。
 振り下ろした剣を右に薙ぐ。
 それから、たて続けの速攻。
 一瞬たりともとどまることなく、剣が疾る。
「やっべぇなぁ。こりゃあ、マジできれちまいやがった」
 空中を飛んで逃げながら、そんなことを言ってるのはイルス。
 “やべぇ”とか言いながら、けっこう余裕をかましてたりなんかする。
 そんなイルスの態度を見たからなのか、アシュティアの攻勢は、どんどん鋭さを増し速さをあげてゆく。
……でも、あたらない。
 山はキレーさっぱり消滅したけれど、イルスには、ちぃーっともダメージをあたえられない。
「ちっ。キレーなねぇーちゃんを殴るなんてなぁイヤなんだけどなぁ……」
 当然ぶっ細工なおばちゃんなんかだったら、とっくにぶちのめしている。
 剣で砂粒をたたっ切ろうという、ひどく疲れそうなことをやっているアシュティアに対しては、なんだか同情したくもなるけど、そのたたっ切られようとしている砂粒がイルス自身だったら話は別だ。
「すまねぇな!」
 何百回目かの攻撃が、むなしくからぶりに終わったその時、アシュティアは自分の腹部に鈍く重く、体の奥にえぐりこんでくるような痛みを感じた。
 イルスの左の拳が、アシュティアの腹に打ち込まれてた。
「うっぐぐ……」
 腹を抱えこむようにして、うめくアシュティア。
 動けない。おまけに思考力までふっとんでいた。
 これだけのダメージを受けたのは、生まれて初めてだったから一体何が起こったのかわからないでいる。
 なにせ、神々唯一の戦いであるティターン戦争より、だいぶ後になってから生まれた彼女は、当然まともな戦いを経験してはいないし、これほど本気に神剣を振るったのも初めてのことだった。
 彼女は戦いを司ってはいるけど、それは彼女の生まれ持った神力が彼女の父、主神アンセウスをのぞけば神々の中で最も攻撃力に優れている、という理由からだった。
 神々をおびやかせるような存在なんて、この世にいるわけないはずだから戦いの経験のないアシュティアが戦いを司ろうと、一向に問題はないはずだった。
 でも……。
「なぁ、ねぇちゃん。あんた戦いの神様なんだろ? だったらよう。もうちぃっと、戦い方を考えたらどうだい? そんなにでけぇんじゃ、ぜってぇ俺にそのぶっそうな剣を当てるなぁ無理だと思うぜ」
 イルスがガラにもなく、忠告なんかしたりする。
 そのまま、たたみかけに行かなかったとこをみると、イルスは本当にキレーなねぇちゃんには弱いらしい。
 それだけじゃなく、自分を殺ろうしている相手に忠告する。それも戦女神相手にだから、これはもう人が良いとかいうレベルではなくて単なるお調子もんってとこだろう。
 その証拠に……。
「あっちゃー、めぇったなぁ。いらんこと言っちまったい」
 なんてこと言い出した。
 根性なしである。
 でも、まあ、それも無理ないかも知れない。
 イルスの目の前には、アシュティアが静かに剣を構えて立っていた。
 さっきまでの、むちゃくちゃな巨大な姿ではなく、普通の人と変わらないくらいの大きさで。
 とはいっても、身長は少し大柄な男性くらいはあって、イルスとくらべたら頭一つぶんくらいはでかい。
 でも、戦うには何の問題もないだろう。
 アシュティアのかまえる剣が、ゆっくりと上へ動いている。
 その剣からは、さっきまでの太陽のような力のほとばしりはなくなっていて、変わりに深く静かにたゆたうように力がたくわえられていっている。
 さっきの深くえぐり込むような痛みが、女神のたぎりきった頭の中を冷まさせ、今の言葉がこの姿とこの構えをとらさせた。
 そう、これこそが神剣グランニール本来の使い方。
 もう、さっきまでのあなどりも力みもなく、ごく自然に剣を構えている。
……ということは、今まであったハンデがみぃーんななくなってしまったということ……。
「なぁねぇちゃん。ここは一つ、話せば分かるってことで、穏便にいかねぇもんかねぇ?」
 はたしてイルスは、女神を説得しようとしているのか、それとも挑発しようとしているのか……。
 女神をねぇちゃん呼ばわりしてれば、説得なんてできるわけはないし、一たん落ち着きを取り戻した女神を、こんなことくらいで挑発できやしないだろう。
 あんのじょう、女神は無反応だった。
「へへっ。こりゃあ、どうあってもやるしかねぇってことか?」
 そう、それがアシュティアが返した無言の答えだった。
……。
 イルスが右にかわす。
 神剣はとどまることなく、イルスを追って動く。
 イルスはそれを後ろへ動いてかわす。
 体はそれでかわせたたが、服を神剣がかすった。
 そのあとに、小さな丸い穴が開く。
 切り裂いたはずなのに……。
 でもそれは当然、この神剣に触れた部分は、存在することをやめてしまう。その効果が円形におよんだのだ。
 だから、この剣で切られたものは、いかなる治療も再生もけして受け付けない。もともと存在しないものは、直しようがないということ。たとえそれが、神々であったとしても……。
 神剣が疾る。
 イルスがかわす。
 紙一重の差で。
 イルスの着ているフィッツは、すぐにあとかたもないくらいボロボロになっていく。
 一瞬の間すらあけることなく繰り出され続ける攻撃をかわし続けながら、イルスは体にまとわりつく服をうるさそうにはぎとる。
 イルスの上半身があらわになった。
 美しい……、本当に美しい体が。
 これほどの猛攻を受けながら、その身にはまだ傷一つついていない。
 でも、わすかでもその身に神剣が触れれば、その瞬間に勝負はついてしまうはずだ。
 これは、だれがどう見たって、イルスは不利な勝負をやっている。
 相手は戦女神様で、しかも神剣グランニールを持っている。対するイルスは何も持たず、武器といえばその美しすぎる肉体だけ。
 なのに……。
「ねぇちゃん、もうちぃっと手かげんしてくんない? 女神さまなんでしょ? お祈りするからさぁ」
 この期におよんで、まだそんなふざけたことを言ったりしてる。
 それに対する女神の返事は、より速くするどさを増してゆく剣戟のみ!
「けぁっ?!」
 イルスが奇妙な声を立てる。
 するどさを増し続ける剣戟をかわしきれず、何本か髪をもっていかれた。
「ちっ」
 イルスが舌打ちする。
 さすがにあせりを感じてきたらしい。
 なにせ、神力でいつまででも動いていられる女神と違って、イルスの体力には限度がある。
 今、やばかったのだって。イルスの反応が少し鈍ったからなのだ。
 それなのに、まだイルスの方からは一度も反撃できないでいた。
「へへっ。マジでやべぇな、どうする?」
 イルスが自分自身に問いかけるように、そうつぶやいたとき。
「おんしゃぁ、何、手ぇ抜いとるんじゃ。相手は女神様なんじゃぞ。手加減なんぞせんでも、壊れやせんわい」
 声がした。
 老人の声。
 さっきまで山があったところから。
 そこには老人の姿はなく、気配もなく、ただ声だけがする。
 アシュティアは、おどろいた。
 自分の神力で捉えることのできない敵が他にいる。
 驚いたことで、アシュティアの攻撃がゆるんだり、すきができたりするようなことはなかった。
 けど……。
「ハッ!!」
 大気をふるわすような気合。
 発したのはイルス。
 女神のみぞおちの辺りに、イルスの左の肘が打ち込まれていた。
 それまで、たえず変化し続けていた女神の攻撃が、その時同じパターンを繰り返してしまった。
 すきとは呼べないほどの小さなミス。
 でも、イルスにとっては、それで十分だった。
 イルスの心臓に向けて繰り出される神剣。
 それを、指の微妙な動きでさえ触れてしまいそうな距離でかわし、引き戻される剣に合わせるようにアシュティアの懐に潜り込んでイルスが放った左の肘。
 長く、いつはてることもなく続くかとも思われた戦いは、しごくあっけなく終わりを告げた。
 イルスの放った、たった一発の肘が女神の意識をたちきった。
 そして、今、アシュティアはイルスの肩にかつがれていた。
 右手でアシュティアの体をかつぎあげ、左手には神剣グランニールが握られている。
「やい、じじい。てめぇ、いつまで見てるつもりだぁ?いい加減、てめぇも働ききやがれ!!」
 はるかな高みから、自分の足元へ向けてイルスが叫ぶ。
「まったく、おんしときたら人使いがあらいわい。もうちぃっと、老人をいたわろうという気にはなれんのかの?」
 などと言ううちに、老人がその姿をあらわした。
 けしとんだはずの山と一緒に。
 イルスは老人のそばに降り立つと、めずらしく何も言い返えさずに女神を地面にそっと下ろす。
 まるで、雪でできた彫像をあつかうときみたいに、そっと。
 そのとき左手に握っていた神剣も、アシュティアの腰に吊るされている鞘にもどしてやる。
 そこまで、やったとき。
「どへーっ。つ、つかれた!!」
 はでな声をあげて、イルスが地面にへたり込む。
 ぜへぜへと、荒い息をしながらも、
「ぜへ、てめぇ、ぜへ、こんなに、ぜへぜへ、しんどい、ぜへ、なんて、ぜへ、聞いてないぜ。ぜへぜへぜへぜへ」
 なんて、もんくを言ったりしてみる。
「なんじゃ、ぜへぜへとうっとうしいやつじゃのう。だいたい、おんしがいらん苦労をしたのは、おんしが手ぇ抜いとったからじゃろうが。それに、こんなにナイスなギャルをゲットできたんじゃぞ? ちぃっとは、このわしに感謝せんかい!」
 やっばり、老人には、まったく通用しない。
 実際には老人が言うほど、イルスのあえぎ声はうっとうしいわけではない。
 至上の美しさを持ったイルスが、至上の音色でかなでるあえぎ声。
 少しでもサディストの気がある男、あるいは女なら、その声だけで10回はいけるだろう。
 まあ、それはともかく、このままでは老人の相手にならないことを悟ったイルスは息をととのえてから。
「ナイスなギャルをゲットだぁ? 普通ナイスなギャルってぇのは、やたらぶっそうな剣を振り回したり、あまつさえ、山一つあっさりとふっとばしちまうようなマネはしねぇんだよ」
 イルスにしては、しごくまっとうな意見だった。
「山は高いほど、頂上を征服したときの喜びはおおきいといふ。女もまたしかりじゃ」
 どこか遠くを見るような目つきで、老人がわけのわかんないたとえ話をしたりする。
「……」
 一瞬、返すべき言葉を失ってしまうイルス。
 女神をキレさせたイルスの舌も、老人の前では“10年はぇー”って感じだった。
「はぁーっ。ま、いいや。そんなことよりどうすんだよ、これ?」
 なんだか、あきらめたようにタメ息をついた後、イルスがそう言って指し示したのは女神アシュティア。
 いくらとびっきりキレーで、ナイスなバディをしたねぇーちゃんだからといって、こんなとびっきり危険なねぇちゃんと楽しいHができるとは思えない。
 さすがにイルスだって、そこまでおめでたくはなれない。
 できれば、このおねぇーちゃんには目を覚ます前にぜひともお引取り願いたい、というのがイルスの本心だった。
「きまっとるじゃろ? おんしが、そのねぇゃんをハメたおして二人でめくるめく世界へ旅立つのじゃ」
 と、老人。
「ボケてんじゃねぇぞ、じじい。こんなやべぇねぇーちゃんと、そんなことできるかい」
 イルスが、低くうなるような(つもりの)声で言った。
「なんじゃ? さては、おんしのものが役にたたぬのか? なんと! 若いのに、ふびんなことよのう」
 老人が少しあわれむように、そなんことを言ったりなんかするものだから。
「いい加減にしろよ、じじい。いくらもうろくしたからってなぁ。言っていいことと悪いことの区別くらいつけられんだろうが?」
 イルスが、かなりな勢いで、老人につめよる。
 ちょっと、キレかかったらしい。
 それでも、迫力というものはまるでない。
普通の男がそなんふうにつめよられたら、イルスを思いっきりだきしめて、その限りなく美しく愛らしい唇に、思い切り熱い口付けをしたくなっちゃうだろう。
……その結果がどんなことになるかなんて、あまり想像したくはないけど……。
 でも、当然、老人に動揺した様子など微塵もなく、
「ほう、だったらおんしの一物は、ちゃぁんと役に立つとでも言いたいのかの?」
 まぁーったく信じてないぞ、とでも言いたさそうな感じで老人が言ったりするものだから。
「あったりめぇじゃねぇか。おれの最終兵器は、このねぇーちゃんをひと目見たときからビンビンにおっ立ちっぱなしだぜ!!」
 イルスは、むきになっていた。
「たしか、おんしの最終兵器は、まだ一度も実戦を経験したことはなかったじゃろ? だったら、おんしのそれが実戦に耐えられるかどうかは、だーれにもわからんちゅうことじゃ。まぁ、予行演習はたっぷりとしとったみたいじゃがのう」
 老人は、長く伸びたひげをなでながら、余裕の笑みなんかも浮かべてたりしてる。
「そ、そりゃあ、こんなところに暮らしてりゃあ……」
 めずらしく、イルスが言いよどんでしまう。
 どうも、老人の言葉は、かなり痛いところをついたらしい。
「ふっ……。では、おんしが町へ降りてゆくたんびに、ことごとくフラレてもどってくるのも、こんなところに住んでいるから、というつもりかの?」
 老人は、鼻先で笑いながらそうたずねる。
 イルスとしては女に見る目がないだけなのだ、とそう信じている。
 面だけは見栄えがよく、タッパはそれなりにあってもヒョロヒョロでナヨナヨで、やたらと甘ったるい言葉ばかりはきまくっている、オカマみたいな吟遊詩人に女共がむらがっているのをイルスは見たことがある。
 全身を強靭な筋肉の鎧で包み込み、タッパはそれほどないとしても体中に男くささをあふれさせている。
 そんな男らしい男……、つまりイルス自身に魅力を感じない女など男を見る目がないっていうのがイルスの持論だったりする。
 だから、自分のことが“春先に降る淡雪のように、指先でそっと触れただけではかなく消えてしまいそうな、まるで幻のようにとても美しい少女の物語”なんて詠われてるなんて想像すらできないはず。
 おまけにその話にはたーぷりと尾ひれがついてて、聖剣をたずさえた勇者だの、凶暴なドラゴンだの、悪い魔術師だのが出てきたりしてる。
 そして、その物語は勇者と少女との一大ラブストーリーとして語られてゆくのだ。
 でも、それも、あながちでまかせばかりとは言い切れないかもしれない。
 イルスだったら、はかなげな少女も、勇者も、凶暴なドラゴンも、みぃーんな地でやれちゃいそうだから。
 もっとも、はかなげな少女というとこに関しては、イルスだけはけしてみとめようとはしないだろうけど。
 てなわけで、なんら根拠のない男らしさに絶対の自信を持っているイルスとしては、自分がフラレただなんて、けしてみとめるわけにはいかない。
「じじい、てめぇ、言葉に気ぃつけろよ。オレはフラレたことなんざ、ただの一度もねぇんだ」
 イルスは言い切った。
「うむ。では、おんしのモノが実戦経験がない、というのがどうにもなっとくいかんのう。……やはり、おんしのものは役に立たんのじゃろう?」
 老人は、聞く耳を持たない、といった感じでそっぽを向きながらそう言った。
 でも、それで決着がつくことになった。
「わかった。おれが、この女を犯ってみりゃあいいなだな?」
 イルスが、低く押し殺した(つもりの愛らしい)声で言った。
 ついに決心したのだ。
 このまま否定し続けても、けして老人の疑いが晴れることはないだろうしイルス自身、自分のアイディンティティを疑うハメにおちいってしまうことになりかねない。
 自分は男で、男は女につっ込むものだ、という。
 ひどく短絡的で、一方的なアイディンティティだけど……。
「そうか、そうか。ついに、犯る気になったか。ようやく、おんしも男になる日がきたのう」
 老人は、イルスの両肩に両手を置き目をうるうるさせてそんなことを言ってる。
「よ、よせやいじじい、照れるじゃねぇか」
 イルスがめずらしくうつむき、ほんのりと頬を赤らめたりする。
 普通の男だったら、きわめて気色の悪いしぐさだけど、イルスにはむちゃくちゃ似合ってる。
 百人だろうが千人だろうが、それを見た男ならイルスファンクラブ結成して、熱烈なファン活動なんか始めちゃうこと間違いなし、ってくらい似合ってる。
「でわ、いいものをやろう」
 老人が懐からごそごそなにか小さな袋のようなものを取り出して、イルスにさしだした。
「あんだ、こりゃあ?」
 中から出てきたのは、小さな丸薬が二つ。イエローとピンク。思いっきりいかがわしい。
「黄色がおんし用、ピンクがこのねぇちゃん用じゃよ」
 と、老人。
「これを飲めってのか?」
 いかにもいやそうに、イルス。
「いやじゃというのか?」
 少し驚いたように老人。
「まぁな。薬は元々好きじゃねぇし、こいつは、なんかぜってぇやべぇって気がすんだよな」
 少しもうしわけなさそうにしながらも、イルスはきっぱりことわった。
「なんじゃ、そんなことはもっと早く言うもんじゃ。その黄色いのは、おんし専用のなのましぃんでな。おんしが触れた、どの部分からでも体中に吸収されてるように出来ておるんじゃ」
なにやら得意げに老人が説明をする。
「あにぃーっ?」
おどろいて自分の左手の手のひらを見ると、確か2つあった丸薬が1つだけになっている。あるのはピンクだけ、黄色い方はなくなってる。
「じじぃ、てめぇ、ひっかけやがっ……」
ドクン!!
 心臓の音。
ドクッ! ドクン!!
 イルスの体の中で、何かがあばれ回っているみたいに。
「ぐっ!! なんだ、こいつは? オレの体が……熱い」
 体じゅうが、焼け付くみたいに熱かった。
 特に、イルスの股間のいちもつは、熱くはげしく猛り狂っている。
「じじい、てめぇ、おれの、体に、なに、を、した」
 とだえながらも、イルスが誰何する。
「なぁーに、おんしと、このねぇちゃんとでキモチよくなるためのアイテムじゃよ。じゃからな、……ホイッと、な」
言いながらイルスの手のひらからピンク色の丸薬をつまみ上げ、地面の上に横たわっている女神アシュティアの額の真中に、それをおとした。
 すぐに丸薬は女神の体内に取り込まれ、変わりに額には小さなひし形の紋様が浮かび上がる。
「く、くそう。あ、あたまが……」
 懸命に自分の頭を左右に振り回している。
どうやら、考えがうまくまとまんなくなってきたらしい。
 でも、変化が起こったのはイルスだけではなかった。
アシュティアの体が、ビクンとそりかえる。
 それと一緒に目もさました。
「あ、あ、あ、あーっ!!」
 絶叫するような声を上げる。目はさましていても、瞳には何も映していない。
 思考力は完全にふっとび、体の中の衝動だけが体をうごかしているような感じだった。
「それでは二人の愛の巣へ、ご招待じゃ」
 老人が頭上へ手にした杖を差し上げ小さく円をえがいた後、今度はそのまま杖の先で地面をトンとつく。
 場所が変わった。
 三人が移ったのではなく、その場所に家が建ち寝室がそこにできた。
 まあ、山を一瞬にして生み出せる老人だから、このくらいできてトーゼンといったところかも知れないけど……。
「ヒッヒッヒッ。そんでは、わしは退散するとしようかのう。あとは、若い者どうし、イロイロと頑張らねばならんからのう。ふひゃっひゃっひゃっ」
 なんか、ひひじじいめいた、いやらしい笑い声をたてながら老人は部屋を出て行った。

 アシュティアは、やけつくようなあつさを感じていた。
 体中があつく、ひりつくようにかわいている。
 ほしい!!
 アシュティアの頭の中を占めているのは、強烈な欲望だった。
 ここは……、とか。自分はどうなっている……、とか、そんな考えが頭をよぎるがすぐに、“ほしい!!”いう欲望の中で霧散してしまう。
 何か、が強烈にほしかった。
 体中があつくひりつき、何かを欲している。
 でも、それが何なのかはわからない。
 だから、たぎる体を身悶えさせることくらいしかできない。
 神々の中では最も年若く、未熟な神ではあるけど人間などにくらべれば何百倍もの時を生きてきている。
 それでも、こんなことは初めてだった。
 まあ、いくら女神様だからって処女神のアシュティアに、身を焦がしてしまうような淫らな欲望なんて、理解できやしないだろうけど。
 欲望を抑えるすべも知らぬままに、必死で全身をのけぞらせることくらいしかできないアシュティア。
 狂おしいほどの情欲にやかれ続けるアシュティアに、ついに救いの手が差しのべられる。
 自分の体が、何者かに抱き上げられるのを感じる。
 目を開けると、そこには自分より愛らしく美しい顔があった。
“敵……”
 そんな言葉が一瞬女神の頭に浮かんだけど、
“欲しい!!”
 という強烈な欲望が、たちまちそんな言葉なんてどこかに追いやってしまう。
 それにアシュティアは、他のことを考えてる余裕なんてなくなってる。
 彼女の体中のすべてが欲しがっていたもの。
 それが何なのか、わかったから。
 抱きあげられたとき。
 ベッドに運ばれたとき。
 自分の唇を、イルスの唇でふさがれたとき。
 自分の体が、歓喜にふるえるのを感じていた。
 息もつけないほどの悦びにあえぎながら、イルスの唇をむさぼった。
 2人の舌が自然にからみ合う。
 お互いの唾液が交じり合った。
 2人はそれをはげしく音をたてて、すすりあう。
 イルスの手がアシュティアの体をまさぐりながら、その身に付けている武具を次々とはぎとってゆく。
 アシュティアも裸にされながら、イルスの下半身にわずかにまとわりついていたフィッツと下着をはぎ取る。
 イルスの手がアシュティアの体を這うたびに、甘くしびれるような快感が全身をかけめぐっていた。
 きもちいい。
 とても。
 でも、何かたりない。
 まだ体の渇きは、ちっともおさまらない。
 いや、キモチイイことをはっきり意識した分だけ、体がたりない何かをもっと貪欲にほしがっている。
 それをもとめるように、全裸になってさえとても男とは思えない華奢で比類なく美しいイルスの体に夢中になってキスを繰り返し、舌で丹念になめてゆく。
 時々イルスが声をあげる。
 とても美しく、愛らしく、そして淫らな声を。
 その声は、アシュティアの心を甘くとろかす。
 さらに夢中になって、イルスの体を舐めまわしてゆく。
 そうして、アシュティアがイルスの下半身にたどりついたとき……。
 それに触れたとき、手がふるえた。
 ドクン!
 自分の心臓が高鳴るのを感じた。
 極限を超えた美しさをもつイルスの体の中で、そこだけはひたすら猛々しくグロテスクにみえた。
……でも。
「ああ……!!」
 アシュティアの口から、甘い感歎の声がもれる。
 ついにみつけた。
 彼女が、ほんとうに欲しがってたものを。
 ふるえる両手で、熱くたぎった肉棒をそっとにぎりしめ、よだれをたれながしながら口いっぱいにほうばった。
 心がたかなる。
 夢中で舌を使った。
 イルスの体が、ビクンとそりかえる。
「うっ!」
 小さな美しいうめき声とともに、アシュティアの口の中に何かがいっぱいにあふれた。
 ねとつくそれは、アシュティアにとって今までに飲んだどの神酒(ソーマ)よりもかぐわしく、美味しいものだった。
 その香りが、味が、とろけるような舌ざわりが、アシュティアを酔いしわせる。
 口の中いっぱいにたまったものを、のどの奥で熱を感じながら飲み下す。
 たまらない満足感があった。
 でも、まだ渇きはおさまらない。
 違う、ここではない。
 もっと別のところに……。
「くっ、うん……?」
 いきなり、口をふさがれる。
 イルスの舌がからんできた。
 アシュティアもそれに応えようと舌を伸ばすと、イルスの口がすっと遠ざかる。
「だめっ……」
 アシュティアはイルスの口を求め頭を動かすけど、それより早くイルスはアシュティアの乳首を口にふくんでいた。
「くっ! あうっん!!」
 今度鳴いたのはアシュティア。
 体の位置もいつの間にか入れ替わり、イルスの体がアシュティアの上になってた。
 今度は体を入れ替えたイルスがはげしく、でもたんねんにアシュティアの体をなめてゆく。
「んっ、んっ、んっ、アうっン」
 イルスの舌が体をはいまわるたびにアシュティアは声を上げ体をふるわせる。
 イルスの舌が触れた場所から全身に、快感がいかづちのように広がりかけめぐる。
 あお向けになっても、けして形のくずれることのない美しい女神の乳房から始まり、どんどんイルスの頭が下へ下へと移ってゆく。
 イルスの舌がアシュティアの太ももをはいまわる。
「はっ……、はやくっぅ!!」
 のどの奥の方から、しぼりだすようにアシュティア。
 秘所はさっきからたえまなく流れ続ける蜜で、あふれかえっている。
 もうこれ以上じらせれるのは、アシュティアにとって拷問でしかない。
 たえきれなくなったアシュティアはイルスの頭を両手でつかむと、自分の一番熱くたぎった場所に強引にもってくる。
「ひぃっ───────────っ!!!」
 ひめいのような声を上げたのはアシュティア。
 まるで、魂の奥の方から、しぼり出すような声。
 強烈な快感が全身をつらぬく。
 ねちゃっ、ぬちゃっ、ぬぷっ。っていやらしい音をたて、イルスがアシュティアのあそこを舐めまわす。
 さっきまでのキモチのよさが、かすんでしまうくらいの快感が体中を駆け回っているけど、まだ足りない。
 だからアシュティアは、イルスの頭を両手で思いっきり自分の股間に押し付ける。
 自分の中にイルスを入れてしまいたかった。
……そう、入れたい!
 入れてほしい!!
 さっき、自分が口に含んでいたものを、イルスに今舐めてもらってる所に入れてほしかったんだ。
 ついにアシュティアは、自分に足りないのがなんなのか……、自分の体が何を求めて渇いていたのかに気がついた。
 それといっしょに……。
「いれて!! あなたのを、わたしのここにいれてぇぇぇぇぇ!!」
 叫んでいた。
 力のかぎりさけんで大きく股をひらき、いやらしい蜜がたえ間なくしたたり落ちるそこを思いっきり前へつきだす。
 その先にはイルスの肉棒がある。
 ただ、ただ入れてほしい。
 頭の中も体も、そのことだけ。
「いれて!! いれて!! いれて!! いれて!! いれて!! いれて!!……」
 ただ、その言葉を何度も何度もくり返し叫び続けるアシュティア。
 小さくふるえる腰を、けんめいにイルスに押し付けようとする。
 イルスの肉棒は、一回出したくらいではまったく萎えてしまう様子なんてみせず、ギンギンに戦闘態勢を維持しつづけていた。
 必死にさそい続けるアシュティアのアソコにすいよせられるように、自分の肉棒を一気に突き入れるイルス。
 きつかった。
 生まれて以来、まだ何も迎え入れたことのないアシュティアの秘所。それを今、イルスの肉棒がつき進んでゆく。
 奥の方で何かに突き当たる。でも、イルスはかまわずに自分の肉棒をねじこんでゆく。
 みちっ、みちっ、みちっ……。
 そんな感じでアシュティアの奥の、ずうっと閉ざされていた秘肉の扉がひらいてゆく。
 処女神が処女を失った瞬間だった。
 けど、そんなことを気にかけられるようなゆとりなんてあるはずもなく……。
「……っ……っ……っ」
 ろくに声も上げられないほどの快感におぼれているアシュティア。
 今の彼女にとって、破瓜の痛みは快感をより強くするためのスパイスでしかない。
 というより今のアシュティアには、どんな痛みも苦痛も、それが、イルスによってもたらされるものなら、なんだって快感になってしまう。
 頭も体もみぃーんなキモチイイことで埋め尽くされていた。
 体中が小刻みにけいれんを続けているのは、イルスの一突きごとに絶頂を味わい続けているから。
 アシュティアの美しい顔は、わけもなくながれ続ける涙と鼻汁とで穢れてしまっている。そして、だらしなく開いた口からは自分の唾液とイルスの精の混ざり合ったよだれがしたたり落ちている。
 快楽にとろけきった顔には、それでも女神の美しさは失ってなかったけど、彼女が戦を司る神であることをしのばせるものはなにもない。
 まあ、もっともアシュティアが今そんなことを気にするなんてことありえないけど……。
 何度も、何度も、休む間もなく、くり返される圧倒的なエクスタシー。
 人間の女なんかだったら、体の方がたえかねて心臓が止まっちゃってるだろうけど、アシュティアはへーきでエクスタシーを迎え続ける。
 イルスだって負けてはいなかった。
 アシュティアにくらべたらイッちゃう回数は百分の一くらいだけど、でも、どんなにたくさん出しても、イルスのものは微塵もおとろえたりせず、常に最高の強度をたもち続けてる。
 どんなタフな男だって、こんなマネできやしないだろう。
 それは、いくら常人離れしてるイルスだって例外ではないはずだから、たぶん老人が手渡してイルスの体に問答無用で吸収されてしまった、“なのましぃん”とかいう薬の影響のはず……。
 でも、それだけですむとも思えないのだけども……。
 だけど、今のイルスにそんなことを考えるゆとりなんてあるはずもない。
 アシュティアの口の中にイルスが舌を突っ込むと、アシュティアが舌をからめながらイルスの口の中に舌を突っ込みかえしてくる。
 舌と唾液のやり取りをしながら、イルスは左手でアシュティアの美麗な乳房をグニュグニュともみしだき、右手では中指を使ってアシュティアのお尻の穴をほじくっている。
 当然、その間もイルスの腰ははげしく動きつづけ、アシュティアの腰だって痙攣をくり返しながらも、イルスの腰の動きに合わせて同じくらいはげしく動いている。
 もう、完璧にふっとんじゃってる頭の中は、お互いの体をむさぼることしかなくなってて、自分の体に起きつつある変化なんて、まったく気づかないでいた……。
 イルスとアシュティアがお互いの気力と体力を使いはたすまでに、それから65回の朝と66回の夜が必要だった。

「どこに隠れやがった、くそじじい!!」
 ドタドタ、バタンバタンって派手な音を立てながら、むっちゃ長い廊下を走り回ってるのはイルス。
 ながーーい廊下の左右には、まぁーったく同じ格好をしたドアがずらーって並んでる。
 それをイルスは片端から、蹴りか掌打を使って吹っ飛ばしてゆく。
「いいかげん、かくれてねぇで出てきやがれ!!」
 いってもいっても同じにしか見えない部屋ばかりが続いている。
 老人の影どころか、いた気配すら感じられない。
「ちっ。根性のねじくれたじじいめ。なんてうっとうしいことしやがる」
 走りながら、はき捨てるようにつぶやくイルス。
 まあイルスがぼやくのももっともで、板張りの廊下のはしっこは遥か彼方にかすんでる。
 そこにたどりつくまでに、どれだけの数のドアがあるのか考えただけでうんざりする。
 でも一等うんざりするのは、この部屋のどこかに髭だらけのハゲじいさんがいる、という保証はどこにもないっていうこと。
 イルスがいきなり立ち止まる。
「こんなんじゃ、きりねぇな。やっぱりやり方換えるか……」
 廊下の真中に立つ。
 足を少し開き、両手の掌を左右の壁に向けて突き出す。
「さぁーて。今のおれに、どこまでやれるかねぇ。……って、考えてもしゃあねぇ。……やってみっか」
 軽く腰を落として、ゆっくりと息を吸い込み、めいっぱい吸い込んだところで息を止める。
 イルスの中で急速に高まるものがあった。
 それは、力。
 長い髭を蓄えた老人は、それを黄気と呼んでいた。
「ハッ!!」
 裂ぱくの気合とともに、その力が放たれる。
 両方の手のひらを通して。
 音はしなかった。
 けど、廊下の空気がふるえているのはわかる。
 ふるわせているのは壁。
 イルスの放った力が、壁に強烈な振動をもたらしたから。
 壁がふるえていたのは、そんな長いことではなかった。
 壁の形が少しぼやける。
 そのすぐ後、壁は形を失っていた。
 まるで砂で作られた壁のように、サラサラと崩れ落ちる。
 木で出来ているはずの壁が……。
 目につく範囲の壁はすべてなくなり、幅のだいぶ広がった廊下に砂粒みたいになった木のくずがたまっている。
「けっ。やっぱ、こんなもんかよ。てめぇながら、なっさけねぇなぁ」
 見えうる範囲にある壁は、みんなくずれたけど、どうも最後まではとどかなかったらしい。
 イルスがほんとになさけなさそうな顔をする。
 もし、その表情を見たヤツがいたりなんかしたら、一生このひとを守り続けてゆくんだって神に勝手に誓いをたててしまいかねないほど、なさけなそうな顔。
 でも、それも長続きはしない。
「くっ!? なんだ、こりゃ?」
 黄気だ。急速に黄気が収束してゆく。
 イルスが今やってみせたのより、遥かに強力な。
 誰がそれをやっているのかは、すぐにわかった。
 壁のなくなったベッドの上に、美しい女が否のうちどころのない裸身をさらして立っている。
 両手を広げ軽く腰を落とした姿は、イルスが今やったのと同じ技?
「やべぇ。山ごと消す気かよ!?」
 イルスは再度腰を落とすと、目の前で両腕をクロスする。
 体内のあるったけの黄気を寄せ集め、両腕に集中させる。
「くそ。こんなことなら、あと一晩長くあいつとやっとくんだった」
 至上の美しさと愛らしさを併せ持った顔に、陽だまりのような笑みを浮かべながら、そんなことをイルスはつぶやいている。
 「くる!」
 イルスが、そう言った瞬間……。
 世界が変った。
 雲ひとつない青くすみきった空。
 足元には視界をさえぎるものは何一つなく、ひじょうに見はらしの良い景色が広がっている。
 たてものだけじゃなく、そいつがのっかてた山までキレーに消えていた。
「やっぱ、こうなるか……。けど、なんで、おりゃあなんともねぇんだ?」
 巨大な力がぶつかってきたのは判ってたけど、それだけだった。
 気負ってたのもあほらしくなるくらい、あっけなかった。
 ぶつかってきた巨大な力は、イルスの体に取り込まれる。
 もともと自分のものだったものが返ってきたときみたいに、なんの違和感もなく。
「ま、いいや。生きてりゃ、世界中の女とやりまくるってもんだぜ」
 糸の切れたマリオネット状態のアシュティアが、落下してゆくのを見ながら、イルスはのん気にそんなこと言ってる。
 あせってないのは、追いつく自身があったから。
 実際体内に残ってる黄気を少し使って、あっさりと追いついた。
「でぇじょうぶかよ、おい?」
 空中でアシュティアを抱きとめて、イルスがたいして心配してないような口調できいてみる。
(わたしが聞きたい。体がまるで動かない。わたしの体は、一体どうなっている?)
 声は頭の中から。
「念話か。マジで体が動かねぇらしいなぁ」
 イルスの口元に、かれんな微笑みが浮かぶ。
 本人はめいっぱいいやらしい笑みを浮かべたつもりなんだけど、そう見えないのは、はたして誰にとっての不幸なのか?
(ま、まさか。こんなところで?)
 アシュティアには、どうやらぶじ通じたみたいだ。
 不安そうな念が伝わってくる。
 けど……。
(うっん……。ばか……。やめっ……。あん、あっ、んっん。いぃ……)
 すぐに、甘ったるい反応に変わった。
 両腕の中に抱えているアシュティアの、形のいい胸をイルスがおいしそうにほうばっている。
「ほう、これはまた、はでにやったもんじゃのう」
 イルスの背後から声がする。
 一本の毛も生えてない頭と、つま先までとどく長いひげが特徴の老人がそこにいた。
「フェフェー!! ヒッハヒ、ホホッヒハッハッハ!!」
 イルスが、なんかどなる。
「口ん中の、うまそうなもんを吐き出してからでないと、何いうておるんかわからんぞい」
 老人が言うのももっとも。
 これではだれだってわからない。
 イルスは、ひどくなごりおしそうにアシュティアの乳首から口をはなす。
「てめぇ、今まで何してやがった」
 例によって、迫力のかれらもない美しい声と顔ですごんでみせるイルス。
「逃げておったのじゃよ」
 髭をなでながら、当然のように老人が答える。
「あにぃ?」
「さすがに、わしもあれに巻き込まれては、ぶじにはすまんのでのう」
 視線をそらして答えたとこを見ると、どうやら後ろめたさを感じているらしい。
 チャンスだった。
 そこんとこうまく突っ込めば、イルスは老人を相手に初の勝利をあげられる、……かもしれない。
「まあ、いい。そんなことより、早ぇとこ足場を作ってもらおうか?」
 余裕がなかった。
 あれほど高まってた黄気が、異常な早さで失われてゆく。
 このままじゃ、じきに浮いていられなくなる。
「無理じゃな」
 実にあっさりとした答え。
「あん!? ふかしてんじゃねぇぞこらぁ!!」
 おどすようにイルスが言った。
 でも、かわいそうなくらい迫力がない。
 こんなんじゃ、幼児だっておどせるか……。
「存在そのものが消滅させられたんじゃ。単にふっとばされたのとはわけがちごうとる。素粒子の一欠けらも残こっとらんのじゃ。元にもどすなど、無理な話じゃよ」
 ひげをなでながら、なんかえらそうに老人がこたえる。
 もう、自分の弱みをつっつかれる心配はないとふんだのだろう。
 まあ、その通りで、今のイルスにそんな余裕なんてあるはずもなく……。
 これで、イルスの初勝利は失われた。たぶん永遠に……。
「く、くそ。このまま下まで降りるしかねぇか」
 必死で隠そうとはしてるみたいだけど、おかしいくらいはっきりとあせってるのが伝わってくる。
 さっきから、イルスはひっしをこいて黄気を練り上げてるけど、そのパワーが根こそぎ、みぃーんなどっかに消えていってしまい、底割れ寸前の情けない状態におちいっていた。
 パワーさえ十分ならこんなとこから落っこったって、別段どってことないけど、今の状態ではどうなるか見当もつかない。
 って、考えてるそばから落下がはじまる。
 はるか下にある地上が、急速に近づいてくる。
「ハハッ。めぇったな。いくらなんでも、こいつぁヤベェや」
 他人事みたいにイルスがつぶやいたとき、地面はもうそこまで来ていた。
 でも、あきらめるつものはない。
 間近に迫った地面をじっと見る。
 ぶつかる一瞬を見極めるために。
 その一瞬にめいっぱい黄気を高め、着地の衝撃に耐える。
 それが、イルスの出した答え。
 集中力を高めながら、イルスは時を待つ。
 地面までの距離が、自分の背の高さくらいにまで近づくその時を。
 そして、時はすぐにやってきた。
「ハアッッッ!!」
「ハアッッッ!!」
 2つの声が……。
 2つの気合が……。
 重なった。
 発されたのは、1つの黄気。
 強烈な金の輝きが、辺りを包む。
 その輝きしか見えない時が、しばらく続き……。
「こらぁ。てめぇ、放しやがれ!!」
 悲鳴に近い叫び声があがった。
 とても美しい声。
 金の輝きが収まったとき、イルスとアシュティアは巨大なクレーターの中心にいた。
 声を上げているのはイルス。
 そして、イルスは今アシュティアの腕の中で必死にもがいていた。
「ふふっ。今までわたしの体を好き勝手もて遊んでくれたお礼だ。それに、この方がよっぽど似合ってると思うぞ。わたしのお姫様」
 純白の神力と金色の黄気をその身にまとい、美しいイルスを両腕の中に抱えて立っているその姿は完璧にピッタリとおさまっていて、不自然さなんてまぁーったく、これっぽっちも感じられない。
 正直なところ、イルスがアシュティアを抱えていたときよりよっぽどサマになる。
「なぁ、いいかげんにしとこうぜ、アシュちゃん。さっきはオレが悪かった。あやまるからよう。こんなんはシャレになんねぇぜ。ごつい男がかぁいい女に抱かれてるなざぁ、見苦しいかぎりだっておめぇも思うだろう、……なぁ?」
 いくらもがいても無駄だと分かったらしく、イルスはたぶん生まれて初めて下手にでる。
 相変わらず寝ぼけたことを言ってるけど、少し甘えたようなその声は聞く者の心をわしづかみにする。
 それは、女神たるアシュティアだって例外じゃなく、
「お、おい。ちょっとタンマ。まさか、おめぇこんなかっこで……ンッグ、ムッグウッ」
 何か訴えようとしているイルスの口を、アシュティアがめいっぱいディープなキスで塞ぐ。
 しばらく濃厚なやつをやってたら、イルスの体から力が抜けてついでに愛らしいあがらう声も聞こえなくなる。
「今さら何をてれている。お前のチンポの味も香りも、そこから出てくるいやらしい汁だって、上と下の口3つの口でたっぷりと味わっているのだ」
 イルスの耳元で、甘くささやくようにアシュティアが言った。
 口元にはひどく淫らな、いやらしい笑みが浮かんでる。
 イルスと戦っていた処女神だったときとは、えらい変わりようだ。
 だけど女らしくなったのかっていうと、そんなわけでもなく、いやむしろ男っぽくなったっていうか……。
「口ではいやがっていても、ほら、体の方は正直なものだ。お前の息子はビクビクと脈打っているぞ」
 アシュティアは形のいい胸がひしゃげるくらい強くイルスを抱きよせながら、おいしそうに美しい体をひとしきりなめまわすと。
「かわいいな、イルスは。たべてしまいたいくらいだ」
 なんてこと言ってる。
「かわいいだと? こ、このおれを、かわいいだと? ふざけやがって、後でひぃひぃ言わせてやるからな、おぼえとけよ!!」
 きつく抱きしめられ体中好き勝手なぶられてるこんな状況でそんなこと言ったって、まるでおどしになんない。
「ふふっ。それはうれしいな。……でも、わたしはそんなには待てないぞ。乳首だってこんなに立ってるし、わたしのあそこはイルスのチンポをくわえ込みたくて、さっきから涎を垂れ流している」
 熱い眼差しを、イルスの股間に注いでいるアシュティア。
「ま、まて、まってくれ。お、おれが悪かった。だから、な。話せばわかる」
 なんか、不吉なものをイルスは感じ取ったらしい。
 イルスにはおよばないにしても、人間の範疇からかけ離れた美貌をもつアシュティア。
 そこに浮かんでいるいやらしい笑み。
 その表情を見れば、このままイルスがただですむなんて誰も思いやしないはず。
「ふふっ。いい加減かんねんしたらどうだ?本当は、してほしいのだろう?お前の体は、そう言っているぞ」
 イルスの体の中で、唯一可愛くない部分。それは猛々しくそり返って、めいっぱい自己主張してる。
 イルスだって、心底アシュティアとヤリたいと思ってる。
 でも、だけど、こんなのは絶対にいやだ。
 鍛え上げられた鋼のような筋肉。自然石を詰め込んだような、ごつごつとした外見をもつ肉体。
 これで、もう少し背が低くて髭が顔いっぱいに生えてたら、ドワーフと間違われてしまうだろう。
 そのくらい、力強く、男くさく、どっからどーみたって、ちっとも女っぽいとこなんて、かけらだってありはしないのに。
 女神とはいっても、立派に女してるアシュティアにお姫様だっこをされ肉体をいいようにもてあそばれてる。
 あまつさえ、このまんま犯されてしまうよなことになったりなんかしたら、自分の今までつちかってきた男としての誇りも自信もけしとんでしまいかねない……。
 て、いうのがイルスのいやがる理由だった。
 まあイルスの場合、そんななんの根拠もない誇りも自信も、一回くらいけしとんでしまったほうがいいんだろうけど。
「く、くそ!! じじい、てめぇ、いるんだろ? 出てきやがれ!!」
 イルスがわめく。
 今、ここで老人を呼ぶのは助けを呼ぶみたいでひどくしゃくにさわったけど、これも最終的な勝利を手にするための戦術的撤退だ。
 なんて理由をひねくり出して、イルスは自分をごまかそうとしてる。
「耳元でわめくんじゃないわい。年甲斐もなく、ボッキしてしもうたらどうするんじゃ」
 老人がいた。
 イルスのすぐ近く。長い髭がイルスの体にひっついてしまいそうなところに。
 そこで老人は、ジィーッとある一点に見入っている。
「うーむ、やはり人間のおなごとはものがちごうとるわい。色といい形といい、なんともそそられるのう」
 なんかエラソーに、そう評したのはアシュティアの胸。
 ボグッ。
 音がした。
「なにをするんじゃ。いたいではないか」
 老人の顔面右側、ちょうどひげの生え際辺りにきれいで愛らしい左のこぶしがめり込んでいた。
「変態じじい。こいつぁおれんだ、勝手に見るんじゃねぇ」
 内心、“助かったぜ”なんて考えながら、老人をにらんでるイルス。
 でも、それもそんなに長いことでなく。
「さあ、説明してもらおうか。この状況を、よう」
 おどすように言ってはいるが、窮地を脱したっていう嬉しさがイルスの口元辺りに張り付いてたりする。
「ふむ、そうじゃのう。りりしく綺麗なおねぇちゃんが、とびっきりの美少女を窮地から助け出したというところかのう」
 ひげをなでながら、老人が即答する。
「ちっ。てめぇの頭ん中、腐ってんじゃねぇか?今、そんな冗談を言ってられる状況かよ?」
 おこってるっていうより、少しあきらめたような感じで、イルス。
 冗談にしたって、自分を“とびっきりの美少女”なんていうのは、あまりに脈略がなさすぎて今ひとつ笑えない。
「んっ? わしは冗談をいうたかの?」
 とぼけたこと言ってやがる。
 ってイルスは思ったけど、無視することにする。このまま話しを続けたら、ズルズルと老人のペースに引き込まれてしまうことになりそうだから。
「いってぇ、おれに何をした。まるで体に力が入らねぇ。おまけに、黄気も底が抜けたみてぇにどっか消えっちまう。その上、ありゃなんだ? なんだって、こいつがおれの黄気を無節操に放ちやがる? 山ひとつ消しっちまい、ついでにこんなでけぇ穴をこさえやがった」
 いつの間にかアシュティアは、きれーなお姉ちゃんからこいつへと格下げになってたりなんかする。
「なんじゃ、おんしはまだ気づいとらんのかい? ……いや、おんしは気づきたくないんじゃろうな。まぁ、いずれにしても、今わしがここで引導を渡してやるのが慈悲というもんじゃろうて」
 相変わらず老人は、エラソーにそう言った。
「な、なんだよ? やけにもったいぶりやがって。話すんなら、とっととはなしゃあいいじゃねぇか」
 確かに、イヤな予感はあった。
 でも、それがなんでかなんて考えなかった……いや、考えたくなかったっていうのがイルスのの本音。
 でも、だからって、このまま解答を先延ばしにすることもできないってことくらいわかってるから。
「さあ、じじい、話してもらおうか」
 あらためて、イルスは老人に話しの続きをうながした。
「女神アシュティアは、おんしの“ぼでい”になったんじゃ。当然おんしのためたすべての力は、おんしの“ぼでい”である女神(そのこ)に集まることになる」
 であるからして、山が消えてなくなったのも山がまるまる一つ入りそうなくらい大きな穴をこさえたのも、すべてイルスが悪いってことで話をしめくくる。
 なんで、アシュティアがイルスのボディになったのか、とか、なんだってそなんことをしたのか、とか、老人の責任になりそうなことをキレーにすっとばした結果なんだろうけど……。
「やい、こら、てめぇ。アシュティアがおれのボディたぁ、どういうこった? それで、説明してるつもりかよ?」
 やっぱり、なっとくなんてしてなかった。
「なんじゃ、わがままなやつじゃのう。ちっとは自分の頭も使わんと、ボケてしまうぞい」
「ちっ」
 老人の言葉に、イルスが舌打ちだけで応じたのは、それがいつものことだから。
 こういうことを言うのは、今までに答えを得るためのヒントはすべてそろってるって、老人はそう判断したっていうこと。いつも、こうやって老人はイルスに自分で答えを見つけることを要求する。そんなときに、老人が答えを示すことはけしてない。そう、それが考えたくもないくらいいやなことでも。
 老人が言った、引導を渡すっていう言葉には、そういった意味もふくまれてたりするのだろう。
 で、イルスは考える。
 はなっから、論理だてて。
“まず、このじじいは、おれにあのばかでけぇ石像をとりにいかせやがった。おれが全力で駈けてまるで二日かかっちまうようなとこからだ。あんなもん造れるなぁじじいくれぇしかいねぇから、じじいがわざわざそんなとこで作って、おれに取りに行かせたってこった。しかも、そのときに一切黄気を使うなって条件つきで……”
 イルスは石像で老人の頭をかち割ろうとしたときのことを考える。
 あのとき、老人はあっさりと石像を受け止めた。老人にまるでダメージをあたえられなかったのは当然のことだとしても、なんだって石像が無事だったのかってことには疑問が残る。
 あのとき黄気による強化なんてしてなかった。老人をつぶすことじゃなくて、石像をあとかたなくぶっこわそうっていうのが、イルスの目的だったからそれも当然なのだけど……。
 結局老人が何をやったのかわわからない、……だとしたら。そう、老人は何もやってなく、ただ受け止めただけって考えた方が自然だっていうことだろう……。
“なるほどな、そういうことかい。あんとき妙につかれると思ったが、オレの気はあの石像に喰われてたんかい……。なら、あの石像にも、なのましぃんがしかけて……、いや、女神を強制転移させちまうってことは、あの石像自体が‘なのましぃん’でできたってこったろうな。黄気を禁じたなぁ、黄気じゃ‘なのましぃん’にゃあ使えねぇからだろうし、ばかみてぇに遠い場所に置いたなぁ、できるかぎり長げぇことおれの気を食わせるためだろう。おれの気を動力にして、女神を転移させた‘なのましぃん’は、そのままアシャティア自身にも気づかれねぇで、こいつの体に同化される。それで、下ごしらえはできたってこった。 ……まてよ、てぇことはこいつおれと戦ったとき、おれの気を喰い続けてやがたのか。どうりでの女神のくせして、戦ってる最中にけたちげぇにパワーアップしやがったわけだぁな”
 神々というのは、生まれたときから完全な存在として生まれてくる。知識、力、そして個々の神々がしろしめす神力。それらは生まれたときにはすでに完全な形で所有している。だから、神々にとって成長というのは単に肉体的な成熟にしか過ぎず、その能力が変わることなんてない。
 いかりにかられて我を忘れていようが、神の力は常に完全でけして変化することはないはずなのに……。
 あのとき、アシュティアは戦いながら徐々にその力を増していって、イルスの挑発に乗って冷静さを取り戻し体のサイズを縮めてからは桁違いに強くなった。
 最初はてんで使いこなせてなかった神剣も、その時をさかいにみごとに使ってみせた。
 考えてみたら、そんなことなんて神には出来たはずなんてないのに。
 イルスのにとってギリギリの場面での桁違いのパワーアップは、ほとんど常識って感じになってたので、あんまし気にも止めなかった……、っていうより、それが当然だって思ってたから、なおさら気づかなかったのだけれども。
 けど、まぁ、うかつだった。
 イルスが女神だって思って戦ってた相手が、戦ってる最中に神以外の何者か。神を超えた何者かに変わってたのに、最後まで気づかなかったのだから。まぬけって言われてもいいくらいのうかつさだった。
“ちっ。まぁ、いいさ。それよか、あんときにゃあ、こいつは黄気なんざ使えなかったんだ”
 人の体の中には、気を生み出すことのできる七つの輪が存在する。
 それを順番に通してゆくことで気を練り上げてゆくのだけど、気を黄気に昇華させるにはそれだけじゃだめだ。
 一回瞬きをする間に数万回。それをくりかえすことで、七つの輪は黄金の光を放ちはじめる。
 その輪から生まれた気が黄気。
 気を昇華させた力。老人は、その力のことを創世の力とも呼んでいた。
 それは、進化する力でもある。
 完全なる力……、神力を持つ神々にはけして生み出すことの出来ない力、……だったはずなのだけど。
“今は、使える。はた迷惑なほど、無節操にな……。てぇことは、やっぱあの後か? じじいの持ってたやつだな。黄色とピンクの、気色のわりぃ‘なのましん’だ。んで、あの後こいつといやってぇほどやったんだっけなぁ。……まぁ、おりゃあまだまだやれるけどよう”
 ちょっと自慢げに、そう思ったりするイルス。
 で、イルスは考える。
 これまでの流れと、そこで起こったこと。
 そう、もう結論は出ていた。
 まず、転移装置の中にイルスの気をたっぷりと溜め込んだ、なのましんを用意する。
 イルスの気を動力として、アシュティアを位相転移で強制転移させ、その時に大量の‘なのましん’をアシュティアの体に同化させる。
 位相転移を使ったのは、より強大な力を有する場に万有は引き寄せられる、という法則に従い、いくら女神でもけして強制転移からのがれることはできないからだ。
……この場合、より強大な力っていうのはイルスから吸い上げた気のことなんだけど。
 その後の戦いで、神でありながら神を超えた存在になっていったアシュティア。
 それが、‘なのましん’の働き。アシュティアを、イルスを受け入れることのできうるだけの存在へと作り変えたのだろう。
 その上で、アシュティアとイルスに投与された二種類の‘なのましん’。
 このことが老人の真の目的。
“けっ。みごとに乗せられっちまったわけだ、じじいによ。おれが、こいつのまたぐらに、でかまらをぶち込んでチンポ汁をぶちまけるたんびにじじいの作ったなのましんが、こいつとおれとを別なもんに作りかえてったんだな。おれが、いくら黄気を練り上げても、てんでパワーが上がられねぇなぁこいつがおれのボディになっちまってっからだな。どんだけ力をあげようが、こいつの体を通してしか黄気を使えねぇってこった。おれが、なんとかこいつを使えるようにならねぇかぎり、あぶなくって黄気なんざ使えねぇなぁ。ざっと見渡したとこ、穴の大きさは半径10キル(約10キロメートル)ってとこか? そんで、さっきあった部屋のコピー数からいきゃあ、64ビットの自消結界をかけてやがった。てぇこたぁ、自消結界なしじゃ42億キル以内が消えっちまう……。へへっ。この星系がまるごと消っちまうってこったな。…………当分使えねぇな、黄気は……”
 イルスの口元が引きつっていた。
 自消結界はその内で発された力を、それ自身の力を使うことで減少させる。
 1ビット(1重)の自消結界はその力を2分の1にする。2ビット(2重)にすれば4分の1、4ビットになれば8分の1になる。
 自消結界っていうのはある空間内に同じ空間をコピーしてかけてゆくから、何重にも自消結界をかけようとしたら、それまでかけた自消結界結界ごとコピーする必要がある。
 だから、1ビットの次は2ビット以下4、8、16、32、64ビットっていう具合に自乗計算でかけてゆくことになる。
 だから1クラス上の自消結界をかけるのは、桁違いの力が必要になってくる。ちなみに、イルスは16ビットの自消結界までしかかけられない。
 自消結界っていうのは、その性質上力を完全に封じ込めることはできない。
 でも、他の完全に力を遮断する結界みたいに、受け止められる力に上限っていうものが存在しない。
 だから、老人がかけたのが自消結界以外だったりしたら、今ごろこの星は消えてなくなっちゃってたってわけだ。
 64ビットの自消結界で半径10キル以内の物質が消滅してしまった。
 これは王都クラスの街がすっぽりと入ってしまうくらいの広さがある。
 しかも、この穴をこさえたときイルスは、めいっぱい黄気をため込んでたわけではなく、瞬間的に高めただけだった。
 ギリギリめいっぱいまでため込んでたら、穴の大きさはこの何十倍かにはなってたかもしれない。
 たぶん、そこらへんの限界も、2,3日修行すれば見えてくるのだろうけど、そんなことをしたらたぶん大陸の10分の1くらいはなくなっちゃってるかもしれない。
 だから、修行するなら64ビットの1クラス上の自消結界、128ビットの自消結界をかけてやらなきゃだめってこと。
 でも、イルスがかけられるのは黄気を使っても16ビットまでだから……。
 当面は黄気抜きで128ビットの自消結界をなんとかしなきゃならないんだけど。
 はっきりいって、困難を極めるだろう。
 その上、イルスにはもっと先に解決しなきゃならない問題があった。
「おい、てめぇ、いつまでしゃぶってやがる?おれのものが、ふやけっちまうじゃねぇか」
 イルスが結論を導きだすまでの間、アシュティアはずっとイルスのものをおいしそうにしゃぶり続けてた。
 今のイルスのセリフの後でも、やめようとしないで目線だけを上げて何かをしきりとうったえてくる。
 熱くとろけそうな視線の意味するものは、あまりにあからさまで……。
「そんなふうに見たって、だめなものはだめなんだよ。でぇてぇ、てめぇも戦女神サマだってぇなんらよ、ちったぁ……、う……、うっくっんっ……」
 いつの間にかイルスの口は、アシュティアの口によってふさがれてた。
 イルスの顔を見ているうちに、どうも別の欲望がつのってきたらしい。
 イルスの話なんて聞いちゃいないようだ。
「うっ……うっぐっ……。やめねぇかこの!」
 左手をアシュティアと自分の顔の間にこじ入れて、なんとかディープキス攻撃からのがれるイルス。
 でも、すぐにアシュティアはイルスの首筋にキスを始め、そのま舌で丹念になめ始めた。
「ちっ!やっぱ暴走してやがる。おれが抑えるしかねぇな……」
 そう。なのましんによって、イルスのボディに創り換えられてしまったアシュティアは意識のコントロールのない状態。
 ただただ欲望にのみつき動かされている。
 このままじゃ、永遠にイルスにからみ続けるだろう。
 それは困る。
 はっきり言って、たまったもんじゃない。
 これでも、イルスには夢がある。
 野望……と言い換えてもいいかもしれない。
 その夢のためにだったら、一生をついやしたって後悔はしないだろう。
 男なら誰だって、そうであるはず。男として生まれた以上、望むものは!
“たくさんのキレーなオネェーチャンと仲良くなって、いっぱいキモチいいことやっちゃうぞ!!”
 であるはずだ!!
 なんて、高尚さのかけらもない野望? の足枷になってしまうから。
 気を回してゆく。
 間違っても、黄気に転化しないようにゆっくりと。
 体の中に気が湧きあがってゆくのがわかる。
 7つの光輪。
 そこから力が湧き上がっている。
 でも、それが尾骨のさらに下の方へと流れていってる。
 それをたどる。
 その先には、今まで感じたことのない力を蓄えた場所があった。
 でも、馴染み深い力も感じられる。
 知らない力は、たぶん神力。馴染み深いのは、自分の気の力だ。
 その場所にイルスは自分の感覚をとどめ、あるものをさぐってゆく。
 たえまなくまとわりついてくる快感が、イルスの集中をかきみだしてくれるおかげで、さぐりあてるまでにちょっと手間取ったけど。
“みつけたぜ!”
 思うのと同時に、細く絞り込んだ気の奔流をそれにぶつける。
「きゃん!!」
 可愛い声があがる。
 アシュティアの口から。
 イルスは、すぐに気の流れを止め、尾骨にある光輪に8ビットの自消結界をほどこす。
「どうだ、アシュ。ちったぁ頭がすっきりしたか?」
 イルスの力の中で、ほとんどおぼれかけてたアシュティアの意識に衝撃を与えて、活を入れてやったのだ。
「う、うっ。ここは……。わたしは……」
 アシュティアは、頭を激しく振った。
 何か頭の中に、ピンクのもやがかかっていた。
 それが、やっと、すっきり晴れた。
「お前は……、だれだ?」
 アシュティアは自分が抱えている、信じがたいほど美しい人間を見ながら、そう聞いた。
「なぁに寝ぼけたこと言ってんだぁ? おれだよ、おれ……」
 て言いかけて、イルスはあることに気づく。
「……は、イルセウス=ラ=クーンツ。イルスって呼んでくれや」
 これが始めての自己紹介。
 そのことに、今やっと気が付いた。
 まぬけである。
「イルス……、か? わたしは、今まで……何を……」
 女神様は、まだ頭の中が完全に晴れたわけではないらしくて、そんなつぶやきを漏らす。
 でも、イルスはその言葉に、愛らしくて美しい白金の瞳をきらめかせた。
「ならよう、放しちゃくれねぇか? おれを抱いてる理由なんて、これっぽっちもねぇだろう?」
 64ビットの自消結界は、イルスが老人の悪巧みを究明してるあいだに老人が解除してしまってた。
 今だったら黄気に頼らないでも、気だけでとべる。
 アシュティアが一時的にでも、もとの意識を取りももどしたんなら、むさっ苦しい男をいつまでも抱えていたいはずがない。
 っていうのは、イルスの考え。
 アシュティアは頭の中にかかった最後のもやを振り払うように頭を振った後。
 アシュティアの答え。
「いやだ、ことわる。わたしは、イルスお前を放すつもりはない。抱いている理由だってちゃんとある」
 イルスの目論見は、あっさりついえた。
 でも、イルスは最後の抵抗をこころみる。
「なんだよ?その理由ってのは?」
 アシュティアは腕の中のイルスを、少し目を細めて見つめて。
「簡単なこと……。私が放したくないからだ。お前を抱いているのはとても心地よい。それに……」
 声を小さくおとすと、アシュティアは美麗な唇をイルスの耳元によせて、甘くささやく。
「わたしは、これでも神だ。自分の身になにが起きたかぐらいは理解している。おまえの一部になったこと。そして、おまえと過ごした、とろけそうな日々のことも、な。だから、気にする必要はないぞ。あの時、わたしの意思はなかったが意識ならあった。むろん感覚も、な。おまえをこうして抱いていると、それだけであのときの感じがよみがえってくる。意思をこうして取り戻したからには、それに溺れることはないが……、いや、それはうそ、だな。わたしは意思をすべてなげすて、この体の疼きが求めるままに、おまえと体を重ね、とろけあいたい。……とろけて、おまえの体の一部になってしまいたいのだ。さっきから、心が痛いほど疼いているのは、わたしに意思が戻り、それを抑えねばならなくなったからからだ。
 おまえの意思で。
……だから、な、このくらいのことはゆるせ。本当はおまえのものをくわえ込みたくてたまらない。それを必死でたえているのだから」
 いくらイルスでも、こんな言い方をされたら、さすがにそれ以上放せとは言い出せなくなった。
 まぁ、体を弄ばれなくなっただけでも、さっきよりましかな?
 なんて言葉で自分をごまかすしかない、みじめなイルスだった。
「それではイルス。さっきから、私の体を熱心に眺めておられるご老人を紹介してはもらえぬだろうか?」
 少し離れた……イルスの手の届かないところ……に浮いている老人に、ちらっとイルスは視線を送り。
「ありゃあ、ただのひひじじいだ。おめぇが気にすることなんざねぇ」
 一言の下に言い捨てるイルス。
「なんと、つめたいのう。もうちっと、ちゃんと紹介してくれてもいいじゃろうに。ああ、男手一つで育ててきたんで性格がゆがんでしまったのかのう? 昔はやさしくてよい子じゃったのに」
 老人は、目なんかうるうるされて天をあおいでる。
 イルスなどからすれば、小さくひげなんかふるわせてたりするところが演技が細かすぎて、かえって白々しく見えるのだけど。
「そうですか。あなたがイルスのご養父殿。となれば、私にとっても父ということ。よろしければ、お名前をお聞かせいただきたい」
 アシュティアは、しごくまじめにうけとったらしい。
「おお!よい娘ごじゃのう。アンセウス殿とフィメーラ殿はほんとによいお子をもたれた。どこぞのヒネクレ者とはえらい違いじゃわい」
 それを聞いたイルスが小さく舌打ちする。
 あえて言い返さないのは、自分がヒネクレ者だってことを認めることになってしまうから。
「では、ご尊父は、わが両親をご存知なのか?」
 少しおどろいたように、アシュティアがたずねる。
「そうじゃのう、かれこれ5万周期ほど前のことになるか……。お二人で、わしの所を訪ねてこられたことがあった。まだお若い神で、なにやら強大な敵と戦っておられてな。その時、請われていくつかの武具を造ってさしあげたのじゃ」
 懐かしむように、老人が語った。
 アシュティアは、その話に心当たりがある。まだ自分が生まれるずっと前のことだけど、そのことは神の知識の中に含まれていた。下位の神には封じられている知識で知るもの自体は少ないけど、それだけにその知識がそれだけ重要だってことを意味している。
 老人が言った戦いとは、ティターン戦役のこと。
 神々とティターンとの間で行われたこの戦いの中で、なんと神々はその数を2割近くにまで打ち減らされ、ほとんど敗戦寸前にまで追い込まれた。
 その時、若き二人の神、アンセウスとフィメーラによってもたらされた武具によって、ついにティターンを打ち滅ぼすことに成功をおさめる。
 そのことは神々だけでなく、人間の間にも神話という形で知られていること。封じられた知識っていうのは、その武具がどこからもたらされ、それを作ったはの誰かっていうこと。
 もちろん2神の娘であるアシュティアはそのことを知っていた。
 神々ではついに作り出すことのできなかったその強力な武具がパオペェと呼ばれるものであること。
 そして、それを作り上げた者が、人でもなく神でもないセンニンと呼ばれるものであったということ。
 その名前は……。
「タイハク老師!!あなたがタイハク老師でしたか。お目にかかれて光栄です。これまでの無礼おゆるしください」
 女神アシュティアが頭をたれていた。
 主神であり父でもあるアンセウスに対してさえ、ただの一度もさげたことのない頭を、髭面の老人に対して下げていた。
「なに、気にする必要などないて。それより、あんたのような美しい娘さんから、わしの名を聞かされたことの方が光栄じゃわい」
 髭に埋もれていても、はっきりとわかる笑みを浮かべて老人が答える。
「ケッ。頭テカらせてるじじいが、きどってんじゃねぇや」
 銀鈴の音色を持った嫌味をつぶやいたのはイルス。
 相当うっぷんがたまってるみたいだ。
 老師タイハクは、イルスに向けて小さく鼻先で笑ってみせる。
 イルスのうっぷんは、よりいっそうたまってしまった。
「わしの方からも、あんたにあやまらねばならんのう。アンセウス殿とフィメーラ殿との間に娘ができたら、わしの息子のものにするという契約をむすんでおったのじゃ」
 頭を下げる老師タイハク。
「非道なじじいだ。相手の弱みに付け込んで、娘を差し出させやがったな」
 なんだか妙にうれしそうに、そう突っ込みを入れるイルス。
「まぁ、本気にしとるとは思わなんだのでな。この前アンセウス殿から連絡があるまで、すっかり忘れておったんじゃ」
 話はまだ続いているけど、
「たんに、ボケただけだろうが」
 イルスがちゃちゃを入れる。
 でも、老人は気にもしてない。
 イルスは、さらにムカついた。
「“我が娘は、けして承諾することはない。よって、そちらのお力によって、かやらず契約を果たしていただきたい”というのが、アンセウス殿のよこした連絡の内容だったんじゃ」
 タイハク老の話が一段落したところで、
「ケッ、話作ってんじゃねぇか? 本当は、てめぇの方から脅したんじゃねぇのか? 早く娘を差し出せっ……ん、むぐっぐ……」
 イルスの言葉が途中で止まってしまったのは、アシュティアが口を塞いでしまったから。
 自分の口で。
 しばらく、イルスの無意味な抵抗が続いたけど、すぐに力が抜けてしまう。
 イルスの愛らしく美しい唇から、かなりなごりおしそうに自分の唇を引き剥がすと、荒くなった息を無理やり静めながら話始める。
「なるほど、そういうことでしたか……。あれのやりそうなこと。おそらく、このひとのことはずっと誰かに調べさせていたのでしょう。……たぶんメルキスあたりに……。このひとの持つ力をどうしてもほしくなり、タイハク老師とのかつての約束と娘のわたしを利用して、それを手に入れようとした……。しかも、その時でも自分の手をわずらわせようとしない辺り、あれのやりそうなことです」
 アシュティアは、老人にたいして理解を示していた。
 でも、老人の方は、
「まことにすまんのう。こやつに、お前さんをくっつけたのは、わしのわがままでもあるのじゃ。こやつと、いつまでも一緒におってくれるおなごを、わしがここを去るまでの間に、どうしても見つけておいてやりたかったのでなぁ。それに、お前さんは、この老いたじじいの目から見ても問題なく最高のおなごじゃからのう」
 老人は、めずらしくまじめにアシュティアの目をみつめながら、そう言った。
「間違いなく、老師は最高の選択をなされました。このひとにつりあう女は、この私しかいないと自負しております。それに、老師があやまる必要などありません。私のこの幸福感は、たぶん老師、あなたにも想像がつかないくらいすばらしいものです。私が、前の私自身に会ったならば、なぐりたおしてでもあなたの下へ連れてくるでしょう。……そう、この幸福感を知ってしまったら、これのいない頃の自分なんて、なんの価値もない、単に、そこにあるっていうだけのものにすぎない」
 それを聞いた老人が、ひげだらけの顔でもはっきりとわかる笑みを浮かべて、
「そこまで言うてくれるとは、さすがにわしも思わなんだわい。じゃがこれで、こやつのこと安心してお前さんにまえせられるわい。よろしいかな、アシュティア殿?」
 アシュティアも、姿勢を正し、
「おまかせください。このひとは私の宝物で、私のマスターでもあるんです。このひとの面倒を見るのは当然のことですし、また、最高のよろこびでもあるんです」
 よろこびを、その美しい顔いっぱいにたたえ、そして、ほこらしげにアシュティアが答える。
 でも、そのときようやく復活をはたしたイルスが大きな声で異議を唱える。
「まてょ、てめぇら。おれ抜きで、勝手に話進めてんじゃねぇ。このおれを、弱々しい女みてぇに扱いやがって。それに、じじぃ。てめぇ、まるでいなくなるみてぇな言い方しやがって、とぼけてんじゃねぇぞ、こらぁ」
 やたらと不満をつのらせていたイルスが、そのくらいで矛を収めたのは意外なくらいだったろう。
 同情をひくためなんて理屈を言ってはみても、老人の言葉に不安は感じたらしい。
「さぁて、あんまり話しこんどっても未練たらしいでの。そろそろわしは、行くことにするかのう。ちぃっとばっかりこの星には長居し過ぎたようじゃが、それもここまでじゃ。わしの持てる知識と力は、すべてイルス、おんしに与えた。これからどうするかは、おんしの自由にするがええ。おんしの子供の顔が見れんのがちぃっとばっかし心残りじゃが、……まぁ、それは贅沢というもんじゃろう。おんしを拾うて、育ててきたこの17年間は、それまでに過ごした何千億年の年月より、遥かに充実しておったぞ。まさに、おんしこそ……」
 老人の声が、かき消すように聞こえなくなった。それとともに、老人の気配もなくなっている。
「ちっ。くそじじいめ、てめぇだけ言いたいこと言って、行っちめぇやがった」
 短く、小さな声でイルスがつぶやく。
 老人がもうこの星系内にはいない、ということも、老人と会うことは二度とないだろうということも、イルスには分っていた。
 いつかは、分かれなきゃならないってことも……。
 でも、まさかこんなふうに、ふいうちを喰らわされるとは思ってもみなかった。
 言ってやりたいことは、山ほどあったのに。
「てめぇの髭面見なくてすんでせいせいすらぁ。……じゃあな、くそじじい」
 それが、イルスにとって別れの言葉だった。
 アシュティアの、イルスを抱きしめる力が強くなった。
 イルスは、それを心地よく感じたような気がしたけど……、たぶん、それは気のせいだろう。

< つづく >

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