Wheel of Fotune 第2節

第二節

 はじめまして、で良いのでしょうか。僕こと 橘 勘九朗 は今年で市立校二年生になりました。
 知ってのとおり、僕には他人にない能力があります。しかし、その能力を今はもう使っていません。いえ、使えないのです。
 その能力は他人の感情、人格、理性、モラルをすべて作り変える事を可能とします。そう、それが僕の能力“皇帝”。しかし、逆にその事は、僕に他人の個人差など関係無く、全ての人は卑小な存在だと思わせてしまいます。
 あの声は僕にはもう聞こえません。僕が“命令”で封印しました。そして、能力もこの考えに達したときにはもう使えなくなっていました。しかし、今だ他人を信頼する事も、信用も出来ず。僕は徐々に氷のような心を身につけました。僕はこのままこのつまらない人生を終えるのだと考えています。
 だが、この考えこそ意味のない事で、僕の運命は必然に、僕にとっては予想と反した結果へと進んでいきました。

 この歳になると、男達は女に対して貪欲になります。覚えたての隠語を自慢げに語る奴は多いです。くだらない。
「おい橘ぁ、おまえ、やった事あるんかぁ」
 そいつもその一人で、厚顔無恥の最低な野郎でした。僕はこいつの事が嫌いです。しかしそれ以上にどうでも良かったのです。
「橘ぁ、どうだったのよ? どんな感じなんだ?」
 本当に厚い顔の皮を醜く歪ませて、鼻息荒く迫ってきます。それには少し不快感を受けました。
「…………息が臭い」
 一瞬、何を言ったのか理解できなかったのか痴呆のように口を開けます、そして、そいつは顔を真っ赤にしました。
 今は体育の授業中です。他の生徒もたくさんいて、僕らの話しに耳を傾けている奴も多いと思います。当然ですが女はいません。
「お、おまえ、顔が良いからって、女子に人気があるからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ」
 肩を強く握られます。僕は別に抵抗しません。僕には解っています、クラスメイトの大半は僕が殴られる事を望んでいることを。
 だから、僕はその大勢の他人のために、そいつらの望む行動をしてやります。
「…………精子臭い童貞が僕に触れるなよ」
 ひどくごつい音がしました。頬が痛み、頭はぐらぐらします。
 すぐに先生が止めに入り、それ以上殴られる事はありませんでした。見るとそいつは唾を吐きながら僕を罵っています。
 そいつを止める者はたくさんいますが、僕に声をかける者は誰もいません。楽しそうに、または、睨むように僕を見つめるだけです。
 そう、これがいまの、僕の世界。
 チャイムが鳴ります。僕は立ち上がり、鼻血をジャージの裾で拭って、変化のない他人の波の中を流れていきました。

 今日の空はとても深く、蒼い。
 僕は朱美姉さんが作ってくれたお弁当を箸でつつきながら、空を見上げます。
 屋上には僕以外誰もいません。まだ春先なので、このような寒い所に好き好んでくるのは、人を避けたい僕ぐらいです。いえ、もう一人いました。
「いよっ、勘九朗。一人悲しく昼食かい」
 そいつは馴れ馴れしく僕の隣に腰掛けます。いつもの事なので僕は何も言いません。そいつの名前は 古城 明。茶色がかった瞳と茶髪を持つ、やけに背が高いにやけた男です。僕のクラスメイトであり、クラスの中では誰からも好かれる明るい性格を持っています。
 その明がなぜ僕などに付きまとうかは良く解りません。にやけるだけで答えないのです。まあ、人の事は言えませんが、かなりの変人である事には間違いありません。
「あ~あ、鼻、赤くなってんな。痛むか」
 明は僕の顔をじっくり見て言います。が、気にせず、食事を続けました。
「おいおい、無視しないでくれよ。もしかして体育ん時、助けなかったこと怒ってんの? んな事言われても、あそこでおまえ助けたら俺まで嫌われちまうからな~」
 僕が少なからず明と話すのは、その本心を隠さない態度に少し好感を持っているからです。
「…………どうでも良いです」
「いやいや、クールだねぇ、勘九朗ちゃんはホンとに。凍えちまいそうだ」
 明はふざけて、震えるまねをします。風は冷たく本当に寒いのですが。それからしばらく会話は止まり、明は何をするでもなく僕と一緒に空を見上げています。
「僕に何の用ですか」
 いいかげん、沈黙が嫌になり僕は尋ねました。
「ん~、俺の情報によると夢野さんまでおまえの事好きらしいぞ。いやいや、オメデトウ、よかったね」
 ため息を一つ。僕は食べかけのお弁当をナプキンに包み込み、校内に戻ろうと立ち上がりました。
「ああ、待て。もう一つ、剛田がおまえをボコるって、クラスで叫んでたぜ。今日は一人で帰らないほうが良いと思うね」
 剛田は先ほど僕を殴った男です。殴られるのはいつもの事なので気にもなりません。
「最後にもう一つ。一度ぐらい親友に頼ってみたら?」
 振り返ると、明は胸を張ってにやりと笑っています。
「誰が誰の親友だよ」
「あらあら、本当につれないお方」
 僕はその場を立ち去りました。後ろから大きな、わざとらしいくしゃみが追ってきました。

 明の情報は確かでした。
ここは公園です。もう日は沈もうとしています。立ち上がろうとすると足が震え、体中が激しく痛みました。特に額はひどく鼓動のように激痛を訴えます。
 相手は五人でした。上級生も混じっていたようです。あいつらは僕を散々殴り、満足げに帰りました。それから、どれだけ経ったのかは解りません。少し気を失っていたようです。
 歩こうとし動かない足のせいで、思いっきり転びました。僕は立ち上がろうと顔を上げ、ようやくその人に気が付きます。
「大野……さん」
「勘ちゃん、大丈夫? 痛む」
 大野さんは泣きそうな顔をして僕に触れます。その手を振り払って自力で立ち上がりました。
 そして、大野さんに背を向け歩き始めます。
「勘ちゃん……」
「その呼び方、いいかげん止めてくれませんか。大野さん」
 彼女は 大野 珠季(おおの たまき)。そう、タマちゃんです。僕が子供の頃おもちゃにしていた女。そして、支配を解けなかった女。
「ご、ごめん。勘九朗くん」
 大野さんは今だ僕を愛していると錯覚しているはずです。顔立ちが良く、身長も成長期を迎えたばかりの僕より高い。体の肉付きは同じ年頃の女と比べてもボリュームにあふれています。性格は昔と変わらず穏やかで、一目で解る優等生です。男どもの中でかなり人気が高い女性徒です。 もし、支配されていなければもっと幸せになれていたはずでしょう。
 僕の亀のような歩く速度に合わせて、大野さんは後ろからついて来ます。
「何か用があるんですか?」
 歩を止めずに尋ねました。
 自分でもくだらない事を聞いていると思います。彼女は僕に支配されています。それは僕が心から離れないという事です。
「わ、私、心配で。明君から話しを聞いて……、いてもたってもいられなくて、勘ちゃんが私の事を迷惑に思っているのは知っているけど、それでも、心配で……」
「勘九朗です」
 僕が強めに言うと、後ろから息を飲む様子がしました。
「本当に迷惑ですよ。言ったでしょう、大野さん。もう、僕にかまわないでって」
「で、でも、……私達、幼馴染だから!! 私達、友達だったでしょう」
 声が震えています。後ろを振り向くと大野さんは泣いていました。大粒の涙が頬を流れています。でも、それすら、僕が支配したからの事だからです。
 何となく思います。
 もし、僕がここで服を脱げといったら大野さんは本当に脱ぐのでしょうか。むしろ、彼女はそのような淫らな命令を待っているのかも知れません。
 額が疼き出します。
「……そんな事、関係ないですよ」
 僕は欲望を抑え、口を開きました。
 途端に、小気味良い音が鳴り響きます。痺れていて痛みなんて感じはしませんが。大野さんは、僕を叩いた格好のまま固まっていました。
「あ、ああ。ご、ごめん。ごめんなさい」
 思い出したかのように、泣きじゃくる大野さん、僕は冷たく一瞥し、言い放ちました。
「もうかまわないでください。……大野さん」
 また、緩やかに歩き始めました。僕は振りかえりません。僕には彼女に向ける顔などないのですから。微かな嗚咽が、沈んでいく太陽の下で、僕を責めるように聞こえてきました。

 僕の家は相変わらずです。ボロボロで隙間風が吹いてくる。
 帰ると朱美姉さんがいません。静香姉さんは居間でテレビを見ていました。当然ですが、父さんはいないです。
「朱美姉さん。どこ行ったの?」
「ああ、醤油が切れたんだって。……勘九朗? どうした、その怪我」
 朱美姉さんがいないのは好都合です。僕の今の状態を見たら、心配して病院へ行こうと言い出すでしょうから。お金もほとんどないのに。
 静香姉さんはきれいな眉を吊り上げて不機嫌そうに言います。
「また負けたの? 喧嘩ぐらい勝たないと、いい男になれないぞ」
 まだ成長しきっていない小さな僕に無理な事を言います。まあ、ぼくは抵抗する気もなかったのですが。
「相手は誰? 姉ちゃん、手ぇ貸そうか?」
 僕は姉さんを無視したまま、傷の消毒を始めました。
 こんな事はいつもの事です。もう、馴れている事です。それなのに、姉さんは苛立っています。そんな顔など見たくはありません。だから、僕は下を向いていました。
 しばらくの沈黙の後、ため息が聞こえます。姉さんは僕の首を手で掴んで無理やり自分のほうに向けさせました。文句を言おうとしましたが、姉さんの真面目な瞳に僕の喉は張り付いて何も言えません。
「……勘九朗、姉ちゃんは勘九朗が何でそんなにツッパテいるのかわからない。けど、もし、姉ちゃんに出来る事があったら何でも言って。姉貴も、あたしも、家族なん――――」
 その言葉は聞きたくはありません。僕は言葉を遮って言います。
「解っている、姉さん。……これは僕の問題だから」
 僕にとって、姉さん達の気持ちは重荷でしかありません。僕は姉さん方とは違うモノですから、家族なんて言葉で括らないで欲しいのです。
 姉さんはその後何も言わずに僕の傷の手当てを手伝ってくれました。
「か、勘九朗!? どうしたのその傷!! ど、どうしよう。そ、そうだ、病院行こう。病院」
 まあ、朱美姉さんの反応はいつも通りの予想通りで、僕は少し苦笑しました。
「ど、どこか痛いところある? 平気なの」
 体中、痛くない所の方が少ないぐらいです。額の痛みだけは異質な感じを受けます。
 でも、僕の口は反射的に動きました。いつもと同じように、感情をわざわざ押し隠して。
「……別に」
 これが僕の日常。僕の普通。
「ほらほら、姉貴、少し落ち着きなって」
「でも、静香ぁ、勘九朗、大丈夫なの?」
「心配なのはいいけど、早く晩飯にしようよ。勘九朗、怪我でくたばる前に、空腹で死んじゃうかもよ」
 静香姉さんが笑います。朱美姉さんがしぶしぶといった感じで台所に立ちます。
 姉さんは二人とも感情豊かで、笑ったり、怒ったり、喜んだり、悲しんだり。比べて僕の顔は出来そこないの能面のようで何の表情も映しません。僕はため息を一つついて、鏡の中の自分を見つめます。そして、もう一度、ため息を一つつきました。

 僕はどこにいるのでしょう。
 見えているのに認識できない世界。遠くから声が聞こえます。聞き取れません。額が疼きます。そう、これは夢です。
 突然、腹部に激しい痛みを感じました。
 見ると、いつのまにやら銀の剣が腹を抉っています。次の瞬間にはもはや痛みを感じる事も出来なくなりました。
 ここは教室。見覚えがあります。小さな椅子に、小さな机。ここは数年前に僕が通っていた場所です。僕が自覚なしに支配を行った場所です。
 タマちゃんがいます。朱美姉さんがいます。静香姉さんがいます。サッちゃんがいます。ミヨちゃんがいます。明がいます。そして、顔の見えない彼女がいます。
 顔も見えないのに僕は彼女がとても美しい事を知っています。
 僕は何かを喋ろうとして、血の塊を吐きます。銀の剣を握る彼女を見上げて、近くで覗き込んで、口元の微笑みを見ます。それはやっぱり綺麗で、でも一生懸命、自分の感情を隠しているモノだとすぐに解って、僕は悲しくなります。
 言葉が、届いているのに理解できません。彼女が何を言っているのか解らないのです。
 もう、何も出来ないのです。そう、僕は無力です。
 なぜなら、僕、橘 勘九朗 は、剣が背中まで突き抜けている事を理解し、初めて死というものを実感し、最後の最後に少しだけ不安になって、そして、終わった事を知っていましたから。

 耳元で囁きが聞こえます。皆の声が聞こえているのではありません。これは、僕です。
――――僕は死ぬのかな。思ったより早かった。
――――嫌だ。
――――まあ、いつ死んでも、同じかな。僕なんて、いつ死んでも……。
――――嫌だ。嫌だ。死にたくない。
――――仕方がないさ、だって、腹に穴が開いている。
――――嫌だ。嫌だ。嫌だ。そんなの関係ない。
――――いいかげん、諦めろよ。
――――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。僕が死ぬはずがない。あいつが言っていた。
――――あいつ?
――――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。僕は、僕は、僕は…………。

「勘ちゃん」
 これは、タマちゃんの声。
 もう一つ、聞こえます。とても異質な、忘れていたのに時折思い出させる隙間風のような声。これは誰なのでしょうか。
(――――。皇帝)
ここはもう、教室ではありません。暗闇に支配された奈落の底。
(おまえは死なない。死なせない。いいかげん意地張ってないで、おいらの事を認めろよ)
 腹部にはまだ剣が刺さっています。血が滝のように吹き出し、僕の半身を赤く染めていきます。
(痛いだろ? こう言えばいいのさ。剣よ、抜けろ。傷よ治れ、ってな)
 僕は頷きます。理性が必死にやめろと訴えますが、死ぬよりはマシではないでしょうか。今だけはそんな気がします。僕は世界を嫌いながら、世界から消える事が嫌だったのです。
(そうさ、言え。また、始まる、始まるぞ、おまえの、支配が)
「勘ちゃん」
 タマちゃんが微笑みます。嬉しそうにスカートを捲り上げます。
 僕はゆっくりと口を開きました。息を吸います。肺に息を溜めます。静かに吐き出します。声帯を振るわせます。
「勘ちゃん、して。お願い。私、勘ちゃんしか考えられない。勘ちゃんに全部奪って欲しいの」
 タマちゃんの目が潤んでいます。それは欲情の証。僕の手が震えだします。
(欲望を隠す必要なんてない。解き放ち、やっちまえ。全部おまえのものだ。倫理なんて捨てちまえ。……そうさ、おまえはなんだ。おまえの行為は、全て正義なんだ)
「いいよ。来て、勘ちゃん」
 僕は、ゆっくり、ゆっくり、タマちゃんへ近付き、触り、抱きしめ、唇を奪い、そして――。
 そして、僕は目を覚ましました。

 はいはい。話の途中で悪いけど、ここでおいらに少し時間をくれ。
 おいらが考えるに、あのときの勘九朗は、能力を嫌っていたのではなく、ただ、怖がっていたのさ。
 数年前まで、周り全ての人間が無条件で勘九朗を愛してくれた。
 勘九朗はそれを当然のものと思い込んだまま、ずっと生活していたんだ。おいらの声を聞くまではだけどね。
 脳みその乏しいガキの頃、胸に残る罪悪感から、勘九朗は自分の支配という行為が悪であると思い当たったんだ。勘九朗は必死になって、自分の行いを修正しようとした。思春期の少年にありがちな潔癖主義が勘九朗を責めたてたのさ。要するにガキだったってだけのことさね。
 ここまでならただの笑い話。
 しかし、良心に従い能力を封印してからの日々で、勘九朗は他人からの思いは全てが作られたものだと認識してしまった。大体、誤解の部分だが、少しばかり当たっている所もあってな。勘九朗の思い込みは激しくなった。
 ああ、愚かで、可哀想な勘九朗。愛を与えてもらえるチャンスは何度もあったのに、家族さえも信じれなくなって、夕日のカモメになってしまった。
 自分を大切にしてくれるのは、全てが能力のせいだと思い込んだんだ。
 勘九朗が本当に怖がっていたのは、自分は独りと言う事実だとおいらは睨んでいる。ぞれが、虚実で、ただの考え過ぎであろうと、この時の勘九朗にとっては事実だったのさ。つまり、勘九朗は人一倍、愛に飢えていた。
 でもな、そんな思いは運命の輪と比べれば、ひどく、情けないほどちっぽけだと言うことを理解していない。
 必然の運命として、封印された能力は覚醒し始めている。異性への興味。そう、性欲を引き金に。
 生物なんて、個の遺伝子を残すために進化してきたんだ。人の場合、ルックスや、スタイルや、言葉、他にも嘘なんて言う武器で異性を引きつける。勘九朗の場合はそれが支配する行為だけだったこと。
 実を言うと、すでに能力は目覚めかけている。後ほんの一押しで完全になる。もちろん、押すのはおいらだね。だけど、さすがは勘九朗、強い理性で少しも能力を使おうとしていない。…………これは、はてしなくおいらの都合が悪い。
 でも、勘九朗はまだ気付いていないんだ。おいらがもうすでに目覚め外を覗き見ている事を。愚かな事においらを完全に封じたと思って油断しているから。
 おっと、勘違いしては駄目だぜ。おいらも確かに 橘 勘九朗なんだ。どうしておいらの声があの勘九朗に聞こえるのか、……まあ、それもおいおい話すわ。
 おいらから話しかけてなんだけど、おいらも忙しい身なのよ。何てったって、勘九朗を早く目覚めさせなくてはいけない。これからも、たくさん教育してやらなければいけない事もあるからな。
 では、また、戻すぞ。後でな。

 その日は朝から気分が優れません。
 昨日の後遺症か一歩ごとに体が痛みます。しかし、そんな事よりも額の痛みの方が酷いです。何かが零れ出るような、湧き出るようなおかしな痛みを感じます。
 姉さん達の言うとおり、学校を休んだ方がよかったかもしれないと思い始めました。しかし、もう遅いです。
 僕は学校への道のりをいつもの倍以上かけ、歩いていきます。
 心配する目線、奇異な目で見る人々。どれもこれも気分を悪くさせてくれます。どうせ、誰も助けてなどくれないのですから。
 学校がようやく見えたときには、もう完全な遅刻だと解りきっていました。
 僕が校門をぬけようとした時、険しい顔をしてその人が僕の前に立ちます。
「君、遅刻したのを解ってる? どうどうと歩いてくるなんて良い度胸じゃない」
 この学校の名物教師 浅生 冬樹(あそう ふゆき)先生です。女性の体育教師はあまりいませんですし、それ以上に彼女の容姿は飛びぬけていました。しかし、神は二物を与えないものなのか、性格はきつく、傲慢で、まるで自らが女王様のように振舞います。レズと陰口が叩かれるほどの、隠しても隠しきれない有名な男嫌いです。
 まあ、容姿のおかげで、一部の男と、多くの女から圧倒的な支持を持っていますが。
「あなた、橘 勘九朗 でしょ。噂はかねがね、いろんな女の子から聞いているわ」
 先生は僕の表情にも、体調にも気付かず、どうでもいい事を話し続けます。いえ、その顔にはうっすら微笑みまで浮かんでいました。
「女の子をわざわざ泣かすのは良い趣味だとは思えないわね。あなたとは一度、話がしたかったの」
「……泣かした? 僕がですか」
「ええ。あなた、女の子の気持ちを踏みにじるようなまねばかりしているのでしょう」
「手紙を教室に捨てた事ですか、それとも、呼び出しを無視した事ですか。僕には関係ありませんよ。あっちが勝手に期待を寄せているんです。僕のほうが迷惑していますよ」
 吐き捨てるように言って、先生の横を通ろうとします。しかし、また、先生が前に回りこみます。その表情に険しさが見えました。
「……何ですか?」
「最初に言っておくけど、私は、貴方みたいな子供は嫌いなの」
「気が合いますね。僕も嫌いですよ」
 そこで先生は不適に笑います。見下すような冷たい視線のまま。
 僕はだんだん、いらついてきました。暗い感情が心の底から、もしくは、額から湧いてくるようです。
「一度、貴方とはきちんと話し合わないといけないみたいね」
「……遠慮させてもらいます。先生と話しても不毛なだけですから」
「黙りなさい!!」
 怒鳴って、先生は僕の肩を掴みかかってきました。そこは打撲となっている場所です。激痛が走ります。
――――この女、僕に、力ずく、だって。
 腹が立ちます。先生の全てが気に入りません。どうして、僕に逆らうのか。
「まったく、口の達者な嫌みな子。確かに、貴方みたいなのに、魅力を感じる女性徒のほうにも問題が――――」
――――くそ教師が、分相応を考えろ。僕は……僕は、皇帝だぞ。
 額が強く疼きます。
 一瞬、意識が飛びました。体中から力が抜けて、僕はその場に膝をつきます。何かが僕の中を暴れまわっているようです。
「……何。どうかしたの」
 訝しげな先生の声に答える事が出来ません。目の前が白く、僕自身が奪われていきます。
 嫌悪感に僕は嘔吐しました。刺激的なすっぱさが喉の奥に広がり、その気持ち悪さに胃液を吐き出す量がさらに増えていきました。
「ちょ、ちょっと、大丈夫」
 これは危険だと直感しました。意識を失ってはいけないと、声を出してはいけないと強く感じました。
――――このままでは、またあの力を使ってしまう。
 焦った僕は、残った意識で頬に爪を立てます。皮膚がめくれ、肉が爪の間に入ってきます。
「――――ッ」
 吐き出したゲロに頬からの血が混ざります。大丈夫。僕にはちゃんと見えています。認識できています。大丈夫、大丈夫。僕は 橘 勘九朗。ここは学校、校門の前。大丈夫、意識は取り戻しました。
「ほ、保険の先生を呼ぶから、じっと、じっとしていなさい」
 先生が走って校舎に消えます。遠ざかる背中を見ながら、思考は冷静に動き始めます。
 先程、僕は何を考えていたのでしょうか。失った意識の中で僕は本気で、先生を、支配しようとしていました。まるで、他人の考えが染み込んでくるような感覚があります。いえ、まさにその通りかもしれません。
 僕は大丈夫。僕は大丈夫。僕は大丈夫。
 どこからか、微かな舌打ちが聞こえてきた、ような気がしました。
 先生が人を引き連れて戻ってきた時になって、自分の体の変化をようやく認識します。自分の股間が痛いほど勃起していていたのです。

 今は授業中のはずです。
 あの後、僕は保健室に運ばれました。体調は芳しくありません。僕は平気だと言い張り、病院への直行を何とか避けました。
 しばらく、保健室のベッドの上で横になっていたのですが、保険の先生が出て行った隙に逃げ出してきました。
 でも、授業になんて出る気にはなれず、今、屋上で空を見上げています。
 制服は汚れてしまったので、今はジャージ姿です。ジャージの荒い布地の奥に息づく僕の心臓は、緊張のためか激しく高鳴っています。
 ある予感が、ずっと僕の中で繰り返し呟かれています。そう、能力が目覚めてきているという事です。
 僕は、いつかはこうなる事を予想していました。
 なぜなら、僕は、皆とは違うモノです。どんなに人を真似ようとしても、僕の本性を隠し通せないことは理解していました。いつかはよみがえる、そんな事を諦めがちに想像していたのです。
 でも、だからといって、僕は普通の人として生きることを簡単に捨てようとは思いません。
 一度は封印できた能力です。何とかして、今度こそ完全に封じなければなりません。完全でなくとも、他人を勝手に支配する事だけは止めなくてはいけません。
 僕は封印する方法を考えました。子供の頃の記憶を掘り起し、詳しく情報をまとめていきます。考えているうちに昔にも僕のような目にあった人がいるかもと思いつきます。古い書物でも漁ってみようかと、漠然に浮かんできました。
 そんな時です、屋上のドアが開く音が聞こえたのは。僕は先生方が来るのを見越してドアからの死角に隠れていました。まあ、こちらからも相手が見えませんが。
 しばらく、息を殺します。風に乗って屋上に来た人の苦しそうな呼吸音が聞こえてきます。
「……勘、ちゃん。いる?」
 その声には聞き覚えがありすぎます。声は激しい呼吸の合間に再び紡がれていきます。
 僕はため息をつき、その人に見えるよう手を上げました。
「よかった。勘ちゃん……」
「勘九朗です。大野さん」
「あ、ご、ごめん。ごめんなさい」
 謝っているのに声はとても弾んでいます。
「まだ授業中ですよ」
「うん。そうだけど、勘ちゃんが、保健室から、消えたって、聞いたから……。でも、よかった。……よかったぁ。勘ちゃん……、元気そう。いつもと、変わらないよ」
 大野さんの声がだんだんと震えていきます。僕は大野さんの前に出ていきました。
 大きな涙の粒が彼女の頬を零れ落ちています。
 それを見た時、ずきりと、胸が痛みました。それは殴られたりするより、ずっと嫌な痛みです。
「勘ちゃん、ホッぺ、どうしたの?」
 自分で傷つけた頬は深く、赤い肉を見せています。当然、手当てはされていたのですが、出血が止まった時点で傷当てを外しました。
「大丈夫? 痛む?」
「別に……」
 僕は大野さんの頭に手を置きました。安心させるように軽く叩いてやります。それは支配してしまった犠牲者に対する罪悪感からの行為でした。だけど――――。
 意識がぐらりと黒く染まりました。
――――僕は、今、この女を、完全に支配している。
 額が疼き、よこしまな考えが、想像が浮かんできます。
 股間に血液が集まっていくのを感じました。
――――命じれば、何でも言うことを聞く。僕の玩具。
「くっ!!」
 大野さんから飛ぶように離れました。
「か、勘ちゃん?」
「……なんでも、ない」
「どうかしたの?」
 大野さんが僕に近付きます。ぞくり、と快感が蘇り、僕は思わず大野さんを強く押し飛ばしました。
「か、んちゃん?」
「……ああ、うあ!!」
 逃げるように、大野さんの姿を見ることができずに、僕は校舎の中に戻りました。
 僕が、壊れてきている。それは予想ではなく、事実。完全に勃起し、ズボンには卑猥なテントが出来ていました。
 くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。
 僕は、僕は――――。
 どこからか、再び、舌打ちが聞こえてきた、そんな気がしました。

 早退して、僕は家に帰りました。
 女であれば見境なく性欲を持つ自分。多くの女生徒の前で理性を保てる自信がなかったのです。
 姉さんは二人ともまだ帰ってきていません。
 いきり立つ股間をトイレで収めてから、僕は布団の中に潜り込みました。
 ひどい眠気が襲ってきます。
 どうすれば能力を消せるのか。そんな疑問も睡魔の前に霧散しました。僕の意識はあっさりと、日が中天に差し掛かったばかりだというのに、途切れて消えていきます。
 それが異常な出来事だとも気付かずに。
 そして、僕はまた、あの夢を見ます。

 ここは教室です。
 タマちゃんがいて、姉さん達がいて、ミヨちゃん、サッちゃん、明がいて、彼女がいます。
 腹部に痛みを感じます。次の瞬間には痛みさえも感じなくなります。今度は長大な槍が突き刺さっていました。
 でも、僕は死ぬはずがないのです。だって、あいつが言っていたのですから。
(そう、おまえは死なないさ。おいらがいる、かぎりは、な)
 槍が消えます。傷も消えます。教室が歪んで、場所が変わっていきます。
 ここは、そう、僕の家です。
 今は夜のようで、明かり一つありません。姉さん達は寝ているのでしょうか。
(おまえは今、何がしたい)
 少し考えます。股間が激しく勃起しています。
 僕は静かに、姉さん方の部屋に向かいました。部屋が少ないせいで、姉さん達は一つの部屋を共有しています。
 二人のかわいらしい寝顔が見えます。
(さあ、どっちにする?)
 そういえば、前はタマちゃんでした。僕は少し悩んだ後、朱美姉さんの布団を剥ぎ取りました。
 温度の変化に少し声をあげる姉さん。無防備なその姿はたまらなく色っぽいです。
(大丈夫、二人とも起きないようにした。好きにしていいんだ)
 僕はパジャマの上から朱美姉さんの胸を揉みます。その柔らかさと大きさに、少し驚きました。
 パジャマのボタンをはずし、前をはだけさせます。ブラジャーはしていません。薄闇の中に形の良い胸が踊るように出てきます。
 全体を掴むように揉みはじめました。先端の突起が手の平にあたって、何だか良い気持ちです。
 執拗に揉んでいると、姉さんの息遣いが荒くなっていきます。僕は我慢できず、姉さんの胸を口に含みました。
 硬くなった先端を舐めまわし、噛みつきます。激しくなる姉さんの反応がとても可笑しいです。
 今度は、姉さんのズボンを脱がせます、もちろんパンツごとです。出てきたほんのりとした茂みにズボンを下ろす手が止まりました。息を飲みます。
 触れてみると固めの毛が、良い感触です。さらに手を下にやると、複雑な肉の集まりに触れました。残念な事に濡れてはいません。
 穴はどこだろうと探り回し、指を姉さんの中に入れました。そこは暖かく、そして、ほんのりと湿っていました。
 興味でクリトリスを捜しましたが、性の知識がほとんどない僕にとってそれを見つける事は容易ではなく、できませんでした。
(そろそろ、入れちまおうぜ)
 股間がさっきよりも大きくなっています。僕はズボンを下ろし、姉さんの股の間に腰を移動させました。
 姉さんの下半身を持ち上げ、突き刺そうとしますが、濡れてないせいか、なかなかうまく入っていきません。
 何度目か、おちんちんを掴み、照準を合わせたとき、激しい音が玄関からしました。男のやかましいうなり声も聞こえます。
――――ああ、お父さんが帰ってきた。
 そこで僕の頭に、よくはわからない、形のない疑問が浮かんで来ました。
――――僕はどうして、何を、やっているのだろう。
 途惑う僕に舌打ちが聞こえてきます。
(くそ。後、少しだったのに。くそ、くそ、邪魔しやがって)
 違和感が強くなっていきます。僕は立ち上がり、ズボンを履き直しました。こんな事はしてはいけないはずです。
(まだだ、まだ。そうだ、あのガキがいる。勘九朗、あのガキとヤラしてやるよ)
 その声を最後に、僕はまた深い闇へと落ちていったのです。

< つづく >

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