竜の血族・外伝 4

 夜の帳が降りていた。
 チキチキチキと、外で羽虫が愛を囁き、無数の夜行性の獣が雑木林を徘徊してガサガサと音を立てる。
 奥地と呼ばれるに相応しい未墾の山、ランロルド。標高はそれほど高くはないが、道なりは複雑に曲がりくねっており、時折狩りを生業にする者すら遭難させる。
 その山頂近くに、1軒の家が建っていた。
 家の主の名はサリア。
 サリア・カンザキ。
 近隣の村人からは、ランロルドの山には黒髪の魔女がいて、それが山を支配しているとまことしやかに囁かれている。
 その噂の主が、彼女であった。

「お疲れさまッス」

 サリアは、片手に持った湯のみを客に手渡した。上は白いさらしのみ、下はスパッツというきわどい姿である。この格好を見れば、変人とは見ても魔女と見る者などとてもいまい。
 濃い目にいれた玉露が、えもいえぬ香ばしさをただよわせている。

「ありがとう」

 礼の言葉と共に、赤毛の女は茶を受け取った。
 先ほど、軽い口調で紅茶を手渡したサリアよりも、よほどこちらの女の方が魔女と呼ぶに相応しい。
 必要な部分に必要なだけある、豊かな肉付きと細い腰。肌は淡雪から形作られたかのように白く、抱けば溶けてしまうかと思わせるほどに幻想的な印象を抱かせる。肉体だけではない、顔の造詣もまた、一流の彫刻家が丹精を込めて作ったかのように、掘りが深く、これ以上ないほどに整った造詣美をかたどっている。
 瞳の色、髪の色、それに唇に引いたルージュが鮮やかな朱色であった。肌の白さとあいまって、血のように輝く朱はひどく目立つ。だが、不思議とどぎつさを感じさせず、むしろ美しさを引き立たせているのは、彼女の発散する圧倒的な存在感ゆえであろうか。
 女が他人の目に晒される時、最も印象を与えるのは顔の造詣の美しさではなく、身体の流線の素晴らしさでもない。
 奥に意志の光をともした、朱色の瞳。
 それこそが彼女の美の集大成であり、彼女を魔性の女たらしめる所以であった。

「中々、結構な手前だな」

 湯のみをすすりすすり、女は、ほぅ……と息をついた。茶の味が、よほど気に入ったらしい。
 この女、ミストレスと呼ばれている。
 サリアの古くからの友人であり、医者と言う触れ込みでレオンに紹介されていた。
 昼に気絶させたレミカをここまで運び、レミカの脳波、CT図、レントゲン写真図、その他の詳細なデータを採取した。
 全ての作業が終わったのは、夜もかなり回った頃だ。
 終始、レミカはあくまで従順であったが、さすがに疲れたのか検査を終えるとほぼ同時にすやすやと眠ってしまった。

「………おや」

 ミストレスが呟き、サリアに目を向ける。
 この時、時刻は22時を回ったばかり。
 レオンがルフィーナ、リスフィーナの姉妹を己の部屋に招待し、睦言を交わす数時間前。
 さらに言うならば、パーティでレオンとリスフィーナが語らった頃のことであった。

「レオンフィールドが、自分が王族の血筋ではないことを知ったようだぞ」

 山と、いくらかの農地と市街と城壁とを隔てた、王宮での会話を盗み聞く。
 およそ500キロ以内の会話は、ミストレスにとって耳を澄まさずとも音を拾える距離だった。加えて、大半の人間が床につくため、夜は比較的雑音が少ない。つまり、聞き取り易い。

「誰が、口走ったんです?」

 尋ねるサリアの目に、剣呑な光が宿っていた。

「リスフィーナとかいう、アリエサス王家の娘だ」
「………あー、なる」
「これから、どうするつもりだ?」
「どう、って?」
「レオンフィールドを王族に仕立て上げ、何か実験をするつもりだったのであろう?」
「ん~………衝動的にやっちまったことですからね、それは。今冷静になって考えると、目的らしい目的っていうのも特にあったわけじゃ――」

 あっけらかんとした口調だった。
 サリアには、目的があってレオンを王族にさせたわけではない。
 成り行きだった。
 サリアはレオンの母に、一朝一飯の義理がある。
 20年ほど前、持病の発作にかかり、身動きが取れない状態になった。その際、レオンの母に応急的だが手当てを受けた。
 だから、レオンの母には感謝と、恩返しの気持ちがあった。
 そのレオンの母が殺されたこと、しかも、理由は国王とその娘とのいさかい、つまりは親子喧嘩であったということを知った時――

 ぷちん、………と。

 サリアは、キレた。
 国王の娘は、恋人と我が子を失ったのショックによりほとんど廃人同様になっていたため、サリアの怒りは国王へと向かった。
 じわじわと国王を追い詰め、精神的な敗北感を抱かせた上で脅迫し、適当な理由をつけてレオンを王子として遇させるように取り計らわせた。そこに至るまでの間、幾人の近衛騎士がサリアによって殺されたか数え切れぬ。
 これがレオンが王子になった裏の事情であり、レオンはこの事実を知らないまま時は過ぎている。

「粗忽(そこつ)者め」

 ことり、とミストレスはテーブルに湯のみを置いた。
 ミストレスの周囲を取り巻く雰囲気が、サリアが返答した瞬間から怒気をはらんでいる。
 サリアは、一歩引いた。
 ミストレスの攻撃を、かわすことのできる間合いへと。

「明確な信念や理由があるならばまだ良い。納得することができたかもしれぬ。だが一時の感情やその場のノリで、圧倒的な強者が他人の人生を玩具にして良いと思っておるのか?」
「まぁ、落ち着いてくださいな。2度とやりませんから」

 説得しながらも、サリアの背筋には大量の冷や汗が浮かんでいた。
 相手は現職の魔王である。その気になれば、いつでもサリアを殺すことのできる力量を備えている。
 実際には、ミストレスは暴力を振るわないだろう。この場では、ミストレスは強者であり、サリアは弱者である。ミストレスがサリアを殴れば、すなわちミストレス自身が言った言葉に反することになるのだから。
 しかしながら殺気を向けられた際、力量差からくるストレスはどうにもならぬ。
 数秒、ミストレスはサリアを睨んだ。
 彼女の殺気によってか、いつの間にか虫の音がやんでいた。

「ふ……」

 ミストレスは相好を崩した。
 びくり、とサリアの身体が硬直した。
 この時、サリアの瞳は獣のように鋭い光をともし、微塵の油断もない。
 タイミングを外し、気を緩めたと見せかけて攻撃を加えるというやり口。修羅の世界に身を置けば、腐るほど経験する。
 ゆえに哀しいかな、相手が友人であろうとも一度とった臨戦態勢を容易にはほどけぬ。
 ミストレスは、動かなかった。
 サリアに必要以上の恐怖を与えぬよう、距離を保ったまま諭すように語りかけた。
 口はしに、柔らかな笑みが浮かんでいる。

「過ぎたことは致し方ない。ましてやサリア殿は私の臣下ではなきゆえ、我らの法を適用することもできぬ。だが、レオンにはきちんと説明し、謝罪すべきだと思うが?」
「ん。おっしゃる通り。明日すぐに、彼に事情を話しますわ」

 緊張を解かぬまま、普段と同じ口調でサリアは答えた。

***

 翌日。
 サリアは馬を走らせていた。追いつくのに必死というていたらくで、レオンが同じく馬を走らせている。

「ほい、もうすぐだよ」

 サリアは一端、馬を止めた。
 レオンは慣れぬ馬の操縦にげっそりとした顔で、一息つき、あたりを見渡した。
 かなり、遠いところまで来た。
 王城から3つ4つの街を駆け抜けたろう。馬が2頭、ギリギリ並んで通れるほどの道の周囲には果樹園が広がっており、農民がせわしなく果実についた害虫と格闘している。

「ここはどこですか?」
「ダヤン教の神殿近くの荘園領地。で、神殿にはレオン君のお母さんを殺した人がいる場所」
「……………。すみません、後半をもう一度お願いします」
「レオン君のお母さんを殺した人が、この先の神殿にいる」

 レオンは数秒間瞬きして、馬上から口をぽかんと開けた間抜けな面でサリアの後姿を見た。

「母が死んだのは病気ではなく、殺されたからだと?」
「そ。まずそこで、彼女の話を聞きな。その後に私が知っていることを全部話すわ。君が王子になったいきさつとかもね」

 それ以上の質問を拒絶するように、ぷいと背を無ける。そして再び、馬を走らせた。

***

 その日。
 ダヤン教公認の聖女が1人、ミルティーヌは普段よりも早く目覚めた。
 予感、といえばよいのであろうか。
 自分の人生を変える何かが、起こりそうな気がする。
 そしてその予感は、正午を少し回ったあたりで的中した。

「せ、聖女さまっ、聖女様はいらっしゃいますか!?」

 でっぷりと肥えた女官が、血相を変えて向かってきた。彼女は長年、ミルティーヌに仕えて神殿での彼女の教育や身の回りの世話を行ってきた忠臣であった。

「そんなに慌てて、どうしたのです?」

 おっとりとした動作で振り向き、ミルティーヌは女官に向けて少し首をかしげた。

「聖女様、アリエサスの第3王子、レオンフィールド殿下がお目通りをしたいと申しております」
「………そう。あの子が……」

 レオンの名を聞いた瞬間、ミルティーヌの瞳がきらりと光った。
 だが、女官が彼女の変化に気づく前に、ミルティーヌはうつむき、うつむいた顔を上げた時には穏やかな微笑を浮かべていた。

「丁重にお出迎えしてください。すぐに向かいますので」
「はい、分かりました」

 ぺこりと頭を下げると、女官はどたどたと来た道を振り返った。

「……………」

 ミルティーヌは深く息を吐き出すと、拳を握り締めて壁を思い切り殴りつけた。

 彼女が、レオンの母を殺した。

 ダヤン教の聖女、ミルティーヌ。その名は神殿に勤めてから与えられたもので、生来の名ではない。
 本名はエイフィーナ。10年ほど前は、複数の属国を持つ大国アリエサスの王女であった。3人姉妹の長女であり、下にはルフィーナとリスフィーナという名の妹がいる。妹たちは双子で、生きていればもうすぐ国王に結婚を命じられる歳になる頃であろう。
 エイフィーナと名乗っていた頃、彼女はパン屋をしていた商家の息子と付き合っていた。付き合い始めたのはレオンと出会う、数年前からであった。
 彼女が18の歳を迎えたある日、エイフィーナはさる貴族の家に輿入れせよと命じられた。エイフィーナは恋人がいる旨を父に正直に伝え、その縁談を拒否しようとした。
 国王は裏から手を回し、己が娘を傷物にした庶民の男を暗殺した。
 だがその時、すでにエイフィーナの腹には赤子がいた。男の子供を妊娠していたのだ。

 レオンとエイフィーナが出会ったのは、エイフィーナが自分の懐妊に気づく少し前のこと。
 妹と共に、さる貴族の晩餐会に出席した帰り道で、死にかけた乞食風の少年が転がっていた。
 それが、レオンだった。
 同情心と、ひきこもり気味であった妹の話し相手になれば、という打算から彼女はレオンを拾い、医者と食事をあてがった。
 辛くも一命をとりとめたレオンは、家族は母しかいないこと、家を飛び出したことをぽつりぽつりと語った。
 彼女はすぐさまレオンの母を自分の侍女として雇い、レオンは週に一度、厩番の手伝いをさせた。共に王宮勤めできる仕事である。肉体的なつらさは少なく、給金も悪くはない。
 そうしておいて、エイフィーナはレオンと妹たちとがいつでも会えるようにとりはからった。
 王女として傲慢に育てられた妹たちに、対等な友達ができるようにと願って。
 始めは身分の違いからか上の妹のルフィーナとレオンとの仲は最悪であったが、幼い3人は次第に打ち解けていった。

 そんなある日、上に述べた恋人暗殺事件、そして懐妊事件が起こった。
 国王にとっては、娘を傷物にした男の暗殺は大した労苦ではなかったであろう。
 何しろ、男は庶民だったのだから。
 だが、王女が妊娠した件はどうか。
 もみ消すのは、容易ではない。
 さすがに、殺すわけにもいかぬのだから。
 妊娠という醜聞を社交界から隠し、王家の名誉を保つ方法は限られる。何しろ、相手は己が娘であり王女という身分もあるのだ。
 国王は仕方なく、子供が産まれるまでの間、どこか別邸に娘を軟禁してやり過ごそうとした。
 だがほどなくして、さらに簡単で時間のかからぬ方法があることを知った。

 ここに、レオンの母が関わってくる。

 レオンの母は、異国から流れ着いた薬師であった。彼女が知る秘薬の中に、母体の命を危険にさらすことなく流産させるものがあると噂話で聞き、早速国王はその秘薬を調合するように命令した。
 当然レオンの母は拒否したが、国王はレオンを人質にとった為に泣く泣く薬を造り上げた。
 そして、エイフィーナの子供は世に産まれる前に死んだ。
 エイフィーナ自身は、薬の副作用から子供の産めない身体となった。
 その時のエイフィーナの怒りたるや

”まるで、鬼がそこにいたかのような”

 形相をしていたらしい。
 憎悪は、国王と薬を調合した者とに向けられた。
 だが、国王に怒りをぶつける術はない。自然、怒りの矛先は、薬を調合したレオンの母に集中した。
 だから、エイフィーナはレオンの母を殺した。

「私は、一体どうすればよいのでしょうか………」

 呟く。
 聖女のミルティーヌとしてではなく、人殺しの王女エイフィーナとして。
 卑屈さはない。
 殺人を犯してから、実に10年という歳月が過ぎた。
 その間、彼女は常に罪の意識にさいなまれ続けた。
 金の髪は白いものが混じり、顔にはしわが増え、年齢を隠すために化粧も濃くなった。
 だが、彼女がどれほど苦しもうとも、人を殺したという罪は消えぬ。
 彼女は自分の頬を軽くはたくと、応接間へと歩み始めた。
 自分が殺した女の息子が、彼女を待っている。

***

 レオンは、どうするべきか分からず立ちすくんでいた。
 女が、土下座している。
 女は年増というには若いが、少女と呼ぶにはすでに峠を過ぎていた。年のころは、おそらく20の半ばを超えているであろう。
 砂金を練り上げたような金色の髪が、つややかに窓から降り注ぐ光を反射している。
 土下座する瞬間にちらりと見えた瞳は、藍色をしていた。女の身にまとう雰囲気には陰鬱なものがただよっていて、女の持つ美貌とあいまって見る者に不吉な印象を与える。

「本当、だったんですね………」

 レオンは聞いた。否定してくれと、心の中で叫びながら。

「はい」

 土下座したまま、しかしはっきりとした声で女は肯定した。

「私が、貴方のお母様を殺しました」
「…………………」

 レオンは眉間にシワを寄せた。
 無言で女を見下ろし続ける。そんな時間が、いかほど過ぎたころであろうか。
 数秒であったかもしれぬし、数時間であったかもしれぬ。
 このとき、レオンには時間の早い緩いの感覚が麻痺していた。エイフィーナも、同様であったのかもしれない。

「顔を上げて、目を合わせていただけませんか?」
「はい」

 エイフィーナが、顔を上げた。
 かつてブルー・サファイアのごとき輝きを放っていた瞳は、今はどこか黒くにごり、色あせていた。

「なぜ、母を殺したのです?」
「…………」
「目をそらすな!」

 うつむこうとするエイフィーナを、レオンは凄まじい形相で睨んだ。

「私の子供を、殺されたからです」

 つたない言葉で、エイフィーナは当時の状況を語り始めた。
 自分の恋人が平民であったために、国王である父親に殺されたこと。
 恋人が殺された直後に、自分の身体に恋人の子供が宿っていることに気づいたこと。
 国王が自分の妊娠をうとんじて、薬を用いて流産に追いやったこと。
 その薬を、レオンの母親が調合したこと。

「貴方のお母様は、貴方を人質にとられていたために仕方なく毒薬を調合したそうです。私がそれを知った時、すでに彼女はこの世にはいませんでした………」

 そこまで語ると、エイフィーナは再び頭を下げた。瞳には、涙が溜まっていた。

「申し訳ありません。私の軽率な行為で、貴方と、貴方のお母様の人生をめちゃくちゃにしてしまいました」
「馬鹿だな」

 レオンは深いため息をついた。
 エイフィーナが、頭を床にこすりつけた。

「それで、僕にどうして欲しいのですか?」

 丁寧な言葉遣いだった。ここでもし感情に任せた言葉を吐けば、憎しみが堰を切ったかのようにあふれ出ることは目に見えていた。
 レオンの問いに、エイフィーナはすがるような瞳を向けた。

「私に罰を与えてください」
「与えたとして、どんなメリットが僕にあります? そもそも何故、自分の母を殺した相手のお願いを聞いてやらねばならないのですか?」

 一息に言って、レオンはこぼれ落ちそうになった涙をぬぐった。
 果たして、どうするのが正解であったのだろう。
 エイフィーナは母を殺した。自分を、天涯孤独の身にした。
 確かに、憎しむに足る。 
 だが、エイフィーナは自分の命を救った。自分と、自分の母にまっとうな職を紹介してくれた。
 ルフィーナとリスフィーナに、出会わせてくれた。
 その恩には、報いねばならぬ。

「僕は、お姉さんの子供を生き返すことはできません」

 母の仇であるエイフィーナのことを、かつて同様にお姉さんとレオンは呼んだ。
 感情を排した、静かな声だった。

「お姉さんにも、僕の母さんを生き返すことはできません」

 レオンは言葉をとめ、拳を固く握り締めた。
 深く、深く息を吐き出す。
 心の中に渦巻く怒りを、残らず体外に排出するかのように。

「だから、姉さんを許します」

 エイフィーナは呆然と、レオンの瞳を見返し――
 幼子のように、泣き崩れた。

***

 一方、その頃。
 ルフィーナ、リスフィーナの双子の王女達はどうしていたのであろうか。

「うぬぅ………」

 アリの触覚みたいだ………と、幼い頃にレオンに称された前髪の寝癖を、リスフィーナは忌々しげに睨んだ。
 今朝のご機嫌は、しごく傾いている。
 朝に起きるのは苦手だ。その代わり、普段ならば姉にたしなめられるまでの間、ぶにゃぶにゃとまどろむのが好きだった。
 ところが今朝は、姉の顔を見たくない。ちょっかいも、かけられたくない。
 はて。
 何故、今朝に限って不機嫌なのであろう。
 リスフィーナは、昨日からの状況を整理した。
 仮病を使ってパーティを抜け出し、ルフィーナとふた手に分かれてレオンを捜索した。彼女がようやくレオンを見つけた頃には、ルフィーナは思う存分レオンと戯れていた。
 うむ。
 不公平だ。
 次。
 レオンの私室に無理を言って招待してもらった。レオンの寝室のベッドに寝そべると、それまでの疲れがどっと吹き出していて眠ってしまった。そしてふと目覚めた時、ルフィーナはレオンと”より親密な”仲になっていた。
 うむ。
 とてつもなく不公平だ。
 次。
 朝も空けぬうちに王女護衛役の騎士に叩き起こされて王宮の自室に連れられた。自室には彼女らに10年来もの間仕えている口の堅い侍女が待っていて、彼女達を手早く夜着に着替えさせ、ベッドに運んでくれた。
 うむ。
 公平だ。
 ルフィーナも同様に叩き起こされたのだから。
 つまり、アレだ。
 ルフィーナがレオンに抱かれようとしているのを目撃した当時、彼女は即座にルフィーナの邪魔をしてはならぬと思った。嫉妬は確かにあったが、それも次に抱いてもらうのは自分だからと思えば納得することができた。
 しかし今になり、眠たそうにぼんやりとしながらもレオンに抱かれた至福の頃を思い浮かべ、顔をうにゃうにゃと緩めている姉を見ると、どうしても――

「むか、つく………」

 のである。
 うめくリスフィーナの脳内で、めまぐるしく裁判が開始された。

『被告人、ルフィーナ。告発人、リスフィーナ。罪状、その他まとめて省略』
『判決は?』
『極刑』

 細部を限りなく省略し、2秒でカタをつける。
 姉のことを弁護する者は、リスフィーナの脳内にはいなかった。

「ルフィ!」
「ん~?」

 目をこすりこすり、ほとんど寝ていない姉は、ぷりぷりと怒っている妹に顔を向けた。
 すると―――

「むぎゅ!」

 渾身の力と気合いを込めて、リスフィーナは双子の姉の額にでこぴんをくれた。

「いったー」

 額をおさえ、ルフィーナがのけぞった。

「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!」

 人差し指を親指の腹にあて、十分な力を込めるつつ何度も何度も姉の頬や額を人差し指でぺちぺちと弾く。 
 傷が残るわけでもなく、痛みもあまり尾を引かないのだが、これは当たる箇所によってかなり痛い。
 わけも分からず攻撃されたルフィーナは、妹へと至極まっとうな怒りを抱き、

「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!」

 言いつつ、リスフィーナと同じように妹の額や頬をぺちぺちと弾いた。
 お互い、意味のない言葉を繰り返しながら、相手に負けじと応酬を繰り返す。
 しばらくの間、そんな不毛な争いを行った後、どちらともなく矛を収めた。
 ジッと、ルフィーナとリスフィーナはじっと睨みあい、けん制しあう。
 互いに、何も喋らぬ。
 だが永久に、そうしているわけにもいかぬ。

「にゃ~」

 突然、ルフィーナは猫のような声を発し、両手のひらを差し出した。

「にゃ~」

 リスフィーナもまた同じように鳴き、ぱしーん、と姉の手のひらを自分の手のひらで叩いた。

「「あ~る~ぷ~す~、いちまんじゃ~く~」」

 手と手、腕と腕、ぱちんぱちん、がっがっと交互に触れ合わせる。声は見事にハモっていた。





 十数秒後――

「ふぅ………。それで、何でいきなり叩いたの?」

 きりり、とした表情でルフィーナ。

「言いたくない」

 しょぼーん、としながらリスフィーナ。

「妬いた?」
「ちがう!」
「ん~ふ~ふ~ふ~、リスフィの嘘つきさん」

 余裕たっぷりの笑みを浮かべ、ルフィーナは妹の額を軽く小突いた。

「……ルフィ、頭おかしくなってない?」
「もちろん、おかしいよー」

 ジト目で睨む妹の台詞を、ルフィーナは平然と受け流した。

「にいさまに……その………していただいたから、何を言われても平気ですもの」
「……………いつもそうだ」

 恥じらいながらも姉がのろけた。
 そんな姉に対して、妹はくさった顔でうつむいた。固く、拳を握っている。

「リスフィ?」
「何でなのよ。私の方が先に好きになったのに。何でいつもルフィに先を越されるのよ」
「当たり前のことよ。リスフィは要領が悪いんだもの」

 姉は楽しそうに、双子の妹の瞳を見返した。
 実に久しぶりだ。
 こうして、妹から殺意の混じった視線を向けられるのは。

「だったら昨日、誘った時に来ればよかったでしょう?」
「ついでは嫌なの!」
「ふーん?」

 ルフィの瞳が、猫科の猛獣が飛びかかる際のような光をたたえた。

「リスフィは、にいさまに好きって言ってもらったことがあるわよね?」
「うん。ある」
「それで、にいさまが好きな相手のことをついで扱いすると思ったの? 次に言ったら、私が惚れた相手への侮辱と見なすわよ」
「だって………ルフィがうらやましいんだもの。私だってもっと積極的になりたいのに」
「お馬鹿」

 一国の王女に対して、このような暴言を吐くのはおそらく、ルフィーナとレオンだけであろう。
 むぎゅぅ、とルフィーナは妹の頬を両手で抑え付けた。
 射抜くような視線が、リスフィーナに有無を言わせなかった。

「リスフィーナくん、リスフィーナくん、ちょいとそこにお座りなさい」
「うん」

 指差した先のベッドの上に正座した。ルフィーナもまた妹の頬から手を離し、同様に座った。
 双子の姉妹は向き合った。そうすると、まるで鏡を置かれたかのような光景である。

「リスフィは私より優しくて、おしとやかだよ。それ以外にも私よりいいところが一杯あるの。私は、リスフィみたいになりたいと思った時期があるけど、結局リスフィみたいになれなかったよ。同じように、リスフィが私になれないことははっきりしているの。それを踏まえた上で、リスフィは何をしたいの?」

 正確に2回、呼吸をしてから、リスフィーナは答えた。

「にいさまと結ばれたい」
「なら、機会がある時に頼めばいいでしょう。私も出来る限り協力するから、ね?」
「うん………」
「よしよし、いい子いい子」

 幼子をあやすように、リスフィーナの頭を撫でる。
 リスフィーナはその手を、うざったそうに払いのけた。子ども扱いが気に障ったらしい。

「2度寝する」

 頭からすっぽりと布団をかぶってしまった。

「ルフィーナ様、リスフィーナ様、そろそろご起床ください」

 扉ごしに、侍女の声が聞こえてきた。

***

 湯浴み、軽い化粧、着替えを全て侍女の手で任せた後、遅めの朝食をとる。
 そうしてから、双子の王女は自室に引きこもった。
 風邪をひいたという口実を設け、今日1日は寝て過ごすということになっている。
 パーティの際に使った仮病がうまい具合に働いており、それほど不審には思われていないらしい。少なくとも、父であり国王でもある男からのクレームはつけられなかった。
 実際のところ、双子の体調は万全ではなかったせいもあっただろう。
 リスフィーナは夜更かしと、パーティでの見知らぬ貴族どもとの会話に疲労が溜まっていたし、ルフィーナはというと――

「あうう、じんじんする……………」

 苦しそうにしつつ、ベッドにうつぶせに寝ている。
 半日を置いて、処女を失った痛みが耐え難くなったらしい。
 朝、妹を慰めていた時は気が張っていたので平然と振舞えた。
 ところが遅めの朝食をとり、時間が経過するにつれ、凶悪な男のモノを初めて受け入れた子宮の鈍痛を嫌でも意識せざるをなくなったようだった。

「ルフィ、大丈夫?」

 ベッドにつっぷす姉の横に、リスフィーナは添い寝するように転がっていた。
 すでに10分以上も、姉の背に片腕を回し、邪魔にならないようにさすっている。

「つーらーいー」

 羽毛を敷き詰めた枕に顔をうずめ、くぐもった声で返事をする。
 重い生理以外で、姉のこれほど情けない姿を見た記憶は、それまでのリスフィーナの生涯で数えるほどしかない。つまりは、それほど余裕がないということであった。

「ルフィ」

 その時のリスフィーナの行為は、魔王の末裔ゆえであろうか。
 それは、まさしく魔道の技であった。

「いたいの、いたいの、飛んでいけ」

 双子の姉と瞳を合わせ、丁寧に、ひと言ひと言を区切りながら呪文を唱える。
 効果は、すぐに表れた。

「ああ…………」

 痛みがひいてゆく。
 身体が軽くなる感覚に、ルフィーナは息をついた。
 しばらく不思議そうに妹の表情をじいと見つめ、ルフィーナは我が身に起こったことを諒解したかのように妹に礼を述べた。

「ありがと、リスフィ」

 妹の頬に触れるだけの口付けをし、抱き枕にするように手を回す。

「ん………」

 けだるげな瞳で、リスフィーナは頷いた。
 魔術は、かける方もかけられる方も疲労する。ましてやかける相手が自分と同等の力を持つならば、なおさらというものだ。

「眠いね」
「うん、疲れた」

 姉の言葉に、妹が同意する。

「「おやすみなさい」」

 抱き合ったまま、双子はまどろみの中に溺れていった。

 そうして―― 
 1時間ほども、眠ってしまっただろうか。
 ルフィーナとリスフィーナは、ほとんど同時に目を覚ました。

「「うーん」」

 手を高らかに上げ、背筋を伸ばす。
 太陽は燦々と輝き、窓から光が降り注いでいた。
 時刻は正午を少し回ったあたりのようだが、朝食が遅かったため昼食をとるには中途半端な腹具合であった。
 こういうとき、ルフィーナもリスフィーナも焦りはしない。
 王女という身分である。呼び鈴を鳴らせばすぐさまに侍女が現れ、食事の手配をしてくれるのだから。

「ひまー」

 どさり、とルフィーナはベッドに倒れた。
 倒れた瞬間、金の髪がばさりと舞い上がり、枕元へと落ちた。

「ねぇ、リスフィ」

 何を思いついたのか、妹を見上げてにこりと笑った。

「ん?」
「練習、してみない?」
「れんしゅう……何の、練習?」
「にいさまに悦んでいただくための、えっちな練習」

 リスフィーナが目を見開き、そして子供がいたずらの仲間に入る時のような顔をした。

「ん………御教授、よろしくお願いします。先輩」

 昨日経験したばかりの姉に、未経験の妹は冗談ともとれる皮肉を言う。
 頬に、朱がさしていた。

「ちゅ」

 ルフィーナは、妹の唇に軽く触れた。
 まだ紅(べに)をつけていないリスフィーナの唇は、少しカサついていた。
 そのまま、妹の耳の後ろのあたりに手を伸ばし、髪を優しく撫でながらついばむようにキスを繰り返す。
 昨夜、レオンにされたことを思い出しながら、レオンがするようにリスフィーナに口付ける。
 唇の端、頬、目尻、色々なところにキスをしながら、ほんの少し舌を出してチロリと舐める。
 乾いていた唇が、ルフィーナの唾液で潤いを取り戻した。

「ル、フィ……」

 双子の姉の愛称を口にする。
 声は、熱を帯びている。
 ついばむようなキスの合間に、甘ったるい吐息が混じっているのが分かる。
 息遣いは、不規則になっていた。
 リスフィーナだけではなく、ルフィーナの呼吸も乱れている。
 息の吸う量、吐く量が定まらず、浅く早くなってゆく。

「可愛い」

 キスを続けながら、ルフィーナは妹に囁く。
 双子なのでほとんど同じ容姿なのだが、微妙なしぐさの違いはある。恥ずかしがり方、悦びの示し方、嫌がり方、微妙に違う。

「リスフィって、はにかみ屋さんだよね」
「ふぁ………」

 薄い寝着の上から、姉が妹の胸をまさぐる。経験のない処女であるくせ妹の感度は高いらしく、すぐさま唇からはしたない声が漏れた。
 ふと、鏡の国に迷い込んだかのような錯覚を覚えて、ルフィーナの背筋がぞくぞくと粟立った。
 スガタ、カタチの全てが自分と同じ女の子。
 王女として、辿ってきた人生もほとんど一緒だった。
 目の前にいるのがリスフィーナではなく、ルフィーナ自身であったのなら――
 今彼女がしていることは、自慰の延長にある行為なのだろう。

「気持ちよくしてあげるね」

 舌足らずな言葉で宣言する。ルフィーナは妹の胸に手を当て、服の上からまさぐりはじめた。
 動きは、動きはもどかしいほどに遅く、弱い。
 愛撫というよりも、子供の頭を撫でるのに近かった。
 自分と同じ容姿をした妹の、胸の形を確かめるように輪郭をなぞらえてゆく。

「う、んっ………」

 快楽に浮かされた表情で、妹の口から声が漏れる。
 双子の姉は満足げに微笑を浮かべた。

「にいさまにしていただいたら、もっと気持ちよくなれるよ」

 妹のうなじに舌を這わせ、首筋をくすぐるように囁く。
 ゾクゾクと、小刻みにリスフィーナの身体が震えた。

「もっ、と………?」
「そう。にいさまは、特別なの」
「うん……いいなぁ………」

 その時を想像してか、リスフィーナは目を閉じて幸福そうににやけた。

「すこし、気分を変えてみようか?」
「どうするの?」
「昨日、にいさまにしていただいたやり方を試してみるの」
「うん?」
「力を抜いて、ゆっくり呼吸して。………そうそう、そういう風に」

 すぅー、はぁー、とリスフィーナは姉の言う通りにした。
 リスフィーナの胸が大きく上下し、キスで乱れた呼吸が寝る時のものへと変わった。
 誰よりも長い間、一緒にいた相手である。互いに、性格の表も裏も知り尽くしている。微塵の疑いもなかった。

「力を抜いたまま、私の目を見て」
「ん………」
「んふふふふ」

 少女から、女へと変化したからであろうか。
 微笑むルフィーナは、魔女めいた妖艶さがあった。

「練習だから……ね。これから、リスフィはにいさまに可愛がっていただくの」

***

「んっ………く……」

 口から出ようとする声を、リスフィーナは歯を食いしばって必死に抑えこんだ。
 リスフィーナは、ベッドに横向けの体勢で眠っていた。正確には、眠ったフリをしていた。そんな彼女の背中越しにはレオンがおり、彼女を抱きしめていた。
 リスフィーナのおなかの、ちょうどへその上にレオンの手が回されている。
 先ほど――
 眠っているのをよいことに、レオンはリスフィーナにいたずらを始めた。
 金の髪をすくようにかきあげられ、右の耳が露出した。
 レオンの舌が、リスフィーナの耳を舐めまわす。
 それが、今のシチュエーション。

 ちゅ………つつぅ………

 レオンの舌が、耳の外側を舐める。
 リスフィーナの背筋に何か、ぞわぞわとしたものが走った。

「…………っ!」

 自分でも分からない衝動から呼びかけようとした声の語尾が、気づかれてはならない、という意識によって弱くなる。
 くすぐったいのと、気持ちがよいのと、刺激が弱すぎてもどかしいのと、色々な感覚が頭に流れ込んでくる。
 何故だろうか、とリスフィーナは思った。
 いつものレオンならば、伺いをたててからするはずだ。
 いたずらをしていいか、と。
 ところが、今回は自分が眠っているのをよいことに耳に口付けをしている。彼女の知る、レオンらしからぬ行為だった。

「んっ……ぁぁ…」

 レオンの舌の動きにあわせ、漏れようとするあえぎ声。
 吐息は、快楽の熱を帯びている。
 頭が真っ白になり、それまでの疑問が吹き飛ぶ。
 始めは、単にくすぐったいだけだった。
 だがすぐに、くすぐったさはむず痒さをともなった気持ちよさに変化していった。

「………ぁふ……」

 ひとさし指を口にあて、ぎゅ、と噛む。
 相手が相手であるだけに、舌を這わされるという普通ならば気持ち悪い行為にも恍惚としてしまう。
 耳を愛撫されている側の頬が、かっと熱くなっていた。

 つ…ちゅ………

「あっ……」

 あえぎ声を、抑える。
 愛撫に夢中になっているのか、リスフィーナが起きていることにレオンは気づいていないようだった。
 ほっとする反面で、落胆してしまう。
 起きていることを伝えれば、こちらからキスしたり、レオンの頬に自分の頬をすりすりとすることも出来るだろうに、と思ってしまう。
 まるで、拷問のようだ。 
 気持ちいいのに、声を出せない。
 身じろぎも、頭を動かすこともできない。してはならない。背中から抱きしめられ、自分の頭のすぐよこにレオンの顔がある。変に動いてはレオンに頭をぶつけるだろう。悪くすれば怪我をさせてしまう。
 それに――もし身じろぎしてしまえば、そこでこの甘美な時が終わってしまうかもしれない。
 レオンからの愛撫が、気持ちよく、心地よい。
 もっとして欲しかった。
 男にいたずらをされている、という現状をどうするかという問いに、気遣いと羞恥心と快楽が、現状維持という答えを選択していた。
 だけれども――

「…ぇ……?」

 レオンの舌が、リスフィーナの耳を攻めるのをやめた。同時に、頬と耳を照らしていた熱が遠のく。
 顔を離したらしい。
 振り向きたいという衝動を、リスフィーナは必死にこらえた。
 自分は寝ているのだ。実は寝たふりをしていて、いたずらを甘んじていたずら受け入れていたなど、はしたないことこの上ないではないか。

「起きているのかい?」
「!」

 びくっ、とリスフィーナの身体が大きく震えた。
 答えは、それだけで十分だった。
 間違いなく、今の行動で起きていることをレオンに気づかれてしまっただろう。そう考え、リスフィーナは腹をくくった。
 とはいえ、思考をきちんとまとめる時間があったわけではなかった。

「は、はい」

 がちがちに固まった声で答える。

「続けてもいいかな?」

 ふてぶてしく、レオンは聞いた。

「ぁ、はい。にいさまのお好きなようにしてください」

 了承の言葉が、少しどもった声になってしまう。リスフィーナは混乱しながら続けた。

「………私も、していただきたい……ですから……」

 言ってしまってから、リスフィーナはむぎゅむぎゅと身悶えた。意味もなく自分の髪を指に巻きつけながら、おたついて弁解の言葉を口走る。

「ああああ、すみませんすみません。忘れてくださいにいさま。お馬鹿なコトを言ってしまいました」
「はは」

 おかしそうに、レオンが笑った。リスフィーナはますます恥ずかしくなり、身を縮めた。
 その胸に、手が添えられる。

「あぅっ……」

 5本の指が、胸に沈む。リスフィーナの胸は、わずかにレオンの手のひらにあまった。
 乳房を、下から持ち上げるようにし、やわやわともみこむ。

「知らない間に、大きくなったな」

 レオンが、耳元に息を吹きかけながら喋る。

「にいさま……は、お胸が大きいのは…んっ……お嫌い…、…ですか?」

 か細い声での問いは、あえぎ混じりだった。

「いや、これはこれですごくいいよ。それよりリスフィは、痛くないか?」
「いえ……気持ちいい、です…。それに、相手はにいさまですから…………」

 ほぅ、とリスフィーナは息を吐いた。
 時間のおかげか、少しだけ余裕が生まれていた。自分の胸肉をたぷたぷと揉む、レオンの指の感触を味わう。
 もっとも、心はざわめいている。男に胸をまさぐられるなど、初めてのことなのだから当然だ。

「にいさまも、気持ちいいですか?」

 リスフィーナは聞きながら、自分の胸の上でもぞもぞと動いている手に視線を落とした。

「もちろんだ」

 短く、彼は答えた。
 よほど手触りが良いのか、答える間を空けずやわやわともみこんでくる。リスフィーナは、はしたない声がもれそうになり、少し困った顔をして、しかし幸せそうな声でつぶやいた。

「うれしい……」

 リスフィーナはレオンの手に、自分の手を添えた。うっとりと頬を緩め、しばし目を閉じる。

「………にいさま…ぁっ……」

 抱きしめられ、レオンと触れている部分が燃えるように熱かった。
 背中も、胸も、吐息を感じる首筋も。
 優しく、好きな男の手に胸をもてあそばれる。
 ひとさし指をくわえ抑えようとしても、リスフィーナの口からは淫らな声がもれた。
 レオンに、耳たぶを攻められる。

「あぅ、そこはくすぐったいです……んっ」

 リスフィーナの肩に、力が入る。しかし彼女はレオンの行為から逃れようとはしなかった。

「にいさま……あぅ……私の耳、おいしいですか?」

 首をすくませ、乱れた息で聞く。

「リスフィの味がする」
「それは……当たり前かと……」
「いやかい、こんな風にされるのは?」

 なめ回しているだけだった耳たぶに、レオンは軽く歯を立てる。

「ひゃっ…、あぅあぅ、……その、耳をいじめられると変な声が漏れそうになって……困ってしまいます」
「どんな声なのか、ぜひとも聞いてみたいな」
「だって、恥ずかしいで……ぁ、はぁぅ……」

 リスフィーナの語尾が、自身の吐息によってかき消される。
 レオンは彼女の耳元に息を吹きかけ、胸をまさぐっていた指で、立ち上がりかけていたリスフィーナの乳首をつまんでいた。
 リスフィーナは自分の指を加え、歯を食いしばって声が漏れるのを必死に抑えようとした。
 だが、そんな堪えようとする仕草が、レオンの欲情をそそった。
 悪いと思いつつ、とても、苛めたい気持ちになってしまう。

「仕方ないな」
「………え?」

 疑問の声と共に、リスフィーナは視線を落とした。
 胸を覆っていたレオンの手による、心地よい圧迫感が消えていた。

「あは、あはははははははははははっ」
「うむ。いい声だ」

 満足したように呟くと、レオンは手を離した。

「何か、違うような気が……」

 一息つき、リスフィーナは冷静に指摘した。

「その代わりに、お兄ちゃんに突っ込むくらいの余裕ができただろう?」
「……あ、はい。確かに」
「なら、次にいこうか」

 リスフィーナのたおやかな腰と、肩口のあたりに手をさしこむ。痛くしてしまわないようにゆっくりと、レオンはリスフィーナを仰向けにさせた。
 ちょうど、レオンが腕枕をしてやるような体勢になる。
 リスフィーナの後頭部を髪に添って撫で、おでこに触れるか触れないかの口付けをする。

「あ……」

 リスフィーナは目を閉じ、レオンの腕をぎゅっと掴んだ。レオンと向かい合いになり、彼に見られていることを意識すると、どうしてもまた緊張してしまう。
 それでいて、キスされた額の周辺が、興奮の熱と心地よいむず痒さでじんじんとした。
 彼女は、もっとして欲しいと思った。
 それも出来るなら、子供にするようなものではないキスを。
 リスフィーナはいつの間にか溜まっていた唾を飲み込み、意を決したかのようにレオンに身体

「あの、にいさま、ひとつ、お願いしてもいいでしょうか?」
「なに?」
「唇に、いっぱいキス……して欲しいです……ルフィとしたみたいに」

 語尾が、掻き消えてしまいそうなほどに弱かった。
 リスフィーナはつっかえながら言うと、すぅ、はぁと呼吸を整えた。
 
「……………」
「ダメ、でしょうか?」

 慎ましやか過ぎる懇願に、レオンは堪えられなくなったのかリスフィーナを強く抱きしめた。

「可愛いなぁ」
「はぅ」

 突然のレオンの行動に、リスフィーナは目をぱちくりとさせた。
 そんな彼女の顎に手をそえ、レオンはわずかに上向かせる。
 女の唇に、男の唇が触れた。

 ちゅっ

 唇が、すぐに離れる。
 切なく、物足りなさそうな顔をしたリスフィーナの頭を撫で、レオンは彼女の口はしに舌をのばし、なめあげた。

「唾がこぼれかけてた」
「あぅ…」

 恥じらい、顔をうつむけようとすることを、レオンは許さなかった。
 リスフィーナの頬に添わせていた手のひらを、上にスライドさせる。軽い力で、顔が下がることをやんわりと阻止する。
 細い金の眉を、親指の腹でなぞった。
 感触を確かめながら、鼻の頭にまで親指をスライドさせる。
 頬のようにぷにぷにとした弾力はないが、リスフィーナの肌はキメが細かく、過不足なくしっとりとしていた。
 これはこれで、いいとレオンは思う。胸やわき腹、唇といった部分を触れるのとは違った楽しみがある。
 リスフィーナは視線を動かし、自分の顔をなでるレオンの指へと焦点を動かした。
 先ほどのキスから気が逸れたことを確認して、レオンは再び彼女にキスをする。

「んっ……」

 唇が、濡れる。
 舌でリスフィーナの唇をつつき、深いキスを促す。
 リスフィーナは目を閉じ、わずかに口を開いた。
 レオンの舌が、リスフィーナの前歯をつっついた。
 歯の上を滑らせるように、リスフィーナの口腔に侵入した舌の腹が移動する。
 上あごの犬歯の味を調べるように舌でくすぐった後、レオンはリスフィーナの舌に舌をからませた。
 リスフィーナの頬にあてていた手を、彼女の後頭部を支える位置へと動かす。
 より深く、リスフィーナの口の中を味わうために。

 じゅ…………ちゅく……ぴちゅ……くちゅる…………

 男の舌に、口の中が犯される。
 時折、こくりこくりと、リスフィーナは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
 もはや体内へと流れてゆく粘性の液体が、自分のものなのか、それともレオンのものなのか、判別することができない。
 リスフィーナが息苦しさを覚えたころ、レオンは唇を離した。

「はぁっ……!」

 唾液の橋が2人の口にかかる。
 それは伸びるにしたがって蜘蛛の糸のように細くなり、あるところでぷちんと切れた。

「すごく、えっちですね………」

 呼吸を整え、リスフィーナは感想を漏らす。
 蒼い瞳が、夢うつつにあるかのように蕩けていた。

「にいさま」

 自分から口付け、先ほどレオンにされたことをまねるように、舌を差し入れる。

 ちゅ……………ちゅちゅちゅ……くちゃ……ぴちゅ………

 男の身体にせいいっぱいの力で抱きつき、口腔をねぶる。
 レオンの匂いや体温に、そして深くキスしているという状況に、リスフィーナの脳髄が痺れた。
 唾を飲まされた仕返しに、今度は自分の唾液を送り込む。
 こくり、こくりと、レオンはためらいもせずにそれを嚥下した。

『ああ………』

 塞がれたリスフィーナの口の中で、恍惚の吐息が循環した。
 舌をからませ、自分の体液を送り込むという汚らしい行為。
 それを、男はまったく拒絶していなかった。
 レオンに、嫌われていない。
 確認すると同時に、リスフィーナの胸がかぁと熱くなる。

『うれしい』

 ぐちゅ……くちゃ……ぴちゃ………くちゅる……ちゅる、ちゅる…………

 愛しさが募り、情熱が増す。
 レオンの舌を追いかけ、ざらりとした表面を丁寧にさぐる。
 口じゅうに広がるレオンの味を堪能し、ぐちゅぐちゅと自分の唾液をからめて飲み干す。

「けっこう、慣れているんだね」
「その、ルフィと、何度かしたことがありますから。……その、にいさまとキスしたら、どんな風なのかって………」
「ああ、なるほど」

 レオンはすまなさそうな面をした。

「ごめん。妙なことを考えちまった」
「いえ。妬いていただいて嬉しいです。私が好きな方は、にいさまだけですから」
「……くすぐったいな」

 レオンは、リスフィーナのさらさらとした金の髪を梳いた。
 リスフィーナは、つい、と顔を上向かせ、潤んだ視線を彼に向ける。
 3度目の、キス。
 互いが攻めとなり、受けとなり、口腔を犯し、犯される。
 唇がべとべとになり、こぼれた唾が頬に触れた手を、あごを、首筋を、服を汚す。
 それでも、2人は構いはしなかった。

 くちゅ……、ちぅぅっ。にち、ちゅうう……
 ちゅ、ぢゅる……、ちうぅぅ、くちゅ、ちゅうーー
 
「にい…しゃま……んっ」

 息苦しさが堪えられなくなったところで、どちらともなく口を離す。
 何度か呼吸をし、乱れた息が整い始めたあたりで、キスを再開させる。

「ああ……」

 リスフィーナが甘い吐息を吐き、レオンの胸に頬をすりすりとさせ、そこかしこに触れるだけのキスをする。
 顔をあげ、レオンの頬にキスをしながら、彼の唇へ向かって口付けを移動させてゆく。

「にいさまぁ…」

 甘えるようにレオンのことを呼び、唇と唇をつけ、離す。
 次は、深いキス。
 ただ、口腔をねぶるだけではない。唇を触れ合うか触れ合わないかの距離に置き、舌を出してつっつきあう。唾液がリスフィーナの寝間着にこぼれ、絹地が唾液によって透けた。
 互いに、夢中になって貪る。
 相手の口の味を確かめ、唾の匂いを確かめ、次にまたする時までに忘れないように。
 唾液にてかるリスフィーナのあごを、くすぐるように指の腹でなぞり、2人の唾がミックスされたそれを頬に塗りつけるように伸ばす。
 指先でくすぐられ、あごをつばでべっとりとしながら、リスフィーナは興奮に頬をあからめ、瞳は夢の中にいるかのように蕩けていた。

「ぁ、ふぅ……」

 桃色の吐息が、小さな唇から漏れる。
 羞恥と幸福感の入り混じった表情で、リスフィーナはふふ、と笑った。

「にいさま、だいすき」

 言って、レオンにキスをした。

***

 姉が、双子の妹を抱きしめている。
 正面から向かいあう形ではない。
 大人の3人くらいは手足を伸ばして眠れるような広いベッドに、妹が横向けに転がり、姉は妹を背中ごしに抱きしめ、妹の腹の上に手を組んでいる。

「あぅ………にい、さま………もっと、たくさん………キスして………」

 寝言と共に、リスフィーナが熱い息を吐き出す。
 ぴくり、ぴくり、と小刻みに身体が震えていた。
 微笑を浮かべながら、ルフィーナは腕の中で悶える妹を見る。
 蒼の瞳に、妖しい輝きが浮かんでいる。

「んふふ……」

 夢の中で、妹はさんざんにレオンに可愛がられ、苛められていることだろう。
 リスフィーナは首筋まで紅潮させ、顔をぶにゃぶにゃと緩ませながら、レオンのことを呼んでいる。
 恍惚とした妹の寝顔に、ルフィーナは羨ましいとすら思った。

「可愛い……」

 ルフィーナは、妹の口端からこぼれた唾液をぬぐってやった。
 昨夜、レオンにかけられた暗示を自分なりにアレンジし、妹にかける。
 相手を操るための瞳は、遠い祖先である魔王から受け継いでいた。
 あとは才能と、昨夜術をかけられた際のわずかな経験が魔術を成功させていた。
 意識を集中させ、妹が望むような夢を見せる。
 嫌なことを強要しているわけではないので、あまり難しくはなかった。

「ふぁぁ、…っく」

 ルフィーナは欠伸をかみ殺し、まどろみかけた目を擦る。
 眠かった。
 魔術を使ったため、精神的な疲労が頭をぼんやりとさせている。
 しかしまだ、眠るのはもったいないと彼女は思う。
 もう少し、見ていたかった。
 妹の媚態を。
 自分と同じ容姿をした少女を見て、自分も想像するのだ。
 レオンに抱きしめられ、優しく苛められる時のことを。

「いつか、一緒に可愛がっていただこうね」

 耳元に口を寄せ、囁くように言う。
 ルフィーナは、愛撫するように妹の髪を優しく撫でた。

< 続く >

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