ドールメイカー・カンパニー2 (16)

(16)公開調教

 冬の日暮れは早い。
 夕方5時にはスッカリ辺りは闇に覆われていた。
 私立栄国学園高校も校舎にポツポツと明りが見える他は、野球部のグラウンドの照明も落された今、街灯から洩れる僅かな明りしか無かった。
 無論、普段ならまだまだ生徒達の練習が続いている時刻なのだが、先日の武道場での事故以来、当分の間練習は4時半までで切り上げ速やかに帰宅するよう学校から通達が出ていたのだ。
 したがって5時を過ぎた今、校内には殆ど生徒は残っていなかった。
 まして、事故以来立ち入りを禁止されている武道場には、人影など有るはずも無かった。

 しかし、暗幕で全ての窓を覆い外部からの視線を遮った場内には、今煌々と明りが灯り、磨き上げられた板張りの床を照らしていた。
 そして武道場内を見下ろせる2階席の最前列には5人の男達の姿があった。
 無論、“くらうん”を始めとするマインド・サーカスのメンバー達である。

「意外と寒くないですね。学校のこういった建物は、普通信じられないくらい冷えるんですけどね」

 “くらうん”は厚手のコートを手に持ったまま隣にいる“きりん”に言った。

「冷暖房完備ってやつですよ。ほら、あそこスチームでしょ?金持ち学校はこういう所で差が出るんですよ」

 “きりん”はちょっと得意そうにそう言った。

「詳しいですねぇ。下調べでもしてたんですか?」

 “くらうん”のこの質問に答えたのは、“きりん”の向うにいた“あらいぐま”だった。

「“きりん”さんって女子高生ウォッチャーなんですよ。このへんの高校の事なら其処の生徒より詳しいんですから」

 “あらいぐま”はニヤニヤと笑いながらそう言ったが、当の“きりん”も負けてはいなかった。

「いやいや、僕は確かにウォッチャーしてる事もあるけど、“あらいぐま”くんなんか、コレクターだからね。この辺の高校の綺麗ドコロはみんな“あらいぐま”くんに食べられちゃってるみたいなんですよぉ」

 その話に“くらうん”の目が丸くなる。

「ちょっと、本当ですか?“あらいぐま”くん。私、全然聞いていませんよ、そんな美味しい話」

「え~っ?デマですよ、デマ。大体俺が年上好きって知ってるでしょ?ガキなんか相手にしてませんて。それが専門なのは・・・“くま”さんですよ」

 “あらいぐま”は、自分に戻ってきた話を、“くま”に振り直した。

「おいおい、いきなり私を出さないでくれないか?私の場合、偶々仕事の割り当てがだなぁ・・・」

 男達は和気あいあいに喋り捲っていた。
 これがアンダーグラウンドの世界に名を轟かせているマインド・サーカスの面々だとは、想像もつかないだろう。
 しかし・・・この手の話題が大好きな“とら”だけは、いつもと違い独り難しい顔で下の様子を窺っていた。
 そんなノリの悪い“とら”に引き摺られるように男達の雑談も徐々に下火になっていった。
 そして、やがて一同の視線が1階の扉に集中したとき、そのタイミングを見計らうように大きく重い扉がその口を開けたのだった。

 四角く切り取られた闇が姿を現し、その奥から4つの人影が武道場の中に姿を現した。
 先頭は、“きつね”くん。
 昨日までの弁護士風の背広ではなく、動き易いスエットの上下にウィンドブレーカを着込んでいる。
 その後に石田諒子、そして石田美紀と続き、最後に怜が現れた。
 この3人は昨日までの服装と同じである。
 諒子は教師らしいオフホワイトのスーツ、美紀は制服で、怜は皮のジャケットにシーンズ。無論足元は全員裸足である。
 ただし怜だけは、背中にゴルフバッグを背負っていた。
 怜は最後に入場すると、自ら扉を閉め鍵を掛けた。
 いよいよ、“きつね”くんの公開調教が始まるのだった。

 もう既に予備催眠は発動しているようだった。
 諒子も美紀も2階から見下ろしている“くらうん”達に気付く素振りも無い。
 独り“きつね”くんだけが、上を見上げ小さく手を上げて挨拶をした。
 しかし、その表情はいつもDMCの事務所で見せるトボケタ感じは微塵も無く、間違いなく本気モードの顔つきをしていた。
 2階の5人も知らず真剣な顔つきになる。
 その視線が集中するなか、“きつね”くんはクルッと2人の方を振り返ると、大きく指を鳴らした。
 しんとした武道場の中にパチンと冴えた音が響く。
 すると、それまで手持ち無沙汰で視線を彷徨わせていた諒子と美紀が一瞬で“きつね”くんに視線を向け、そして次の瞬間、魂を抜かれたようにその場で脱力した。
 辛うじて立っているが、風が吹いただけで倒れてしまいそうな状態である。

「怜、椅子を」

 “きつね”くんの声が響く。
 アシスタント役の怜は、言われるまま用意しておいた椅子を二人の後ろに置いた。
 “きつね”くんは二人に手を貸し、丁寧に椅子に座らせる。
 そして額に手を当て、ゆっくりと暗示の言葉を流し込んでいった。
 すると、それまで泥のようだった二人の身体に力が少しずつ入り始めた。
 そして、“きつね”くんの言葉が終わる頃には、エネルギー充填が完了したように椅子の上で背筋をピンと伸ばしていた。
 しかし、その視線だけは依然として霞みが懸かったままである。

 “きつね”くんはそこまで慎重に二人を誘導したが、そこでようやく一区切りがついたのか、小さく息を吐くと怜を手招きした。
 怜は、背負ったバッグを手に持ち替えてやって来る。
 そして“きつね”くんの横に立ち、諒子たちに向き合った。
 それを待っていたように“きつね”くんは一度ゆっくりと瞳を閉じ小さな声で何かを呟いた後、再び目を開けた。
 するとそこにはたった今までの真剣な表情の“きつね”くんは消え去り、代わりに飄々とした雰囲気の“きつね”くんが立っていた。

「いよいよエンジン全開って訳かい?」

 2階席から誰とも知れない呟きが洩れる。
 それに応えるように、“きつね”くんは口を開いた・・・いつものトーンで、いつものペースで。

「ここは敵のアジトです」

 すると諒子と美紀の口から同時に言葉が返ってきた。

「ここは・・・敵の・・アジトです」

 平板だがハッキリとした声だった。
 その復唱に満足そうに笑みを浮べた“きつね”くんは、更に声を続けた。

「貴女は捕らえられ縛られています。身動きは絶対に出来ません」

「私は・・・縛られています。・・・身動き・・・出来ません」

「貴女の目の前にいる男・・・私は『黒岩健志』です」

 “きつね”くんは、自らの胸に手を当ててそう言った。
 しかし、諒子たちは躊躇いも迷いも無く復唱した。

「私の・・・目の前の男、貴方は・・・黒岩・・健志・・」

「私の横にいるこの男・・・この男は『黒岩剛』です」

 続けて“きつね”くんはそう言って、怜を紹介した。
 するとやはりそんな事に無頓着に二人は言葉を返した。

「貴方の隣の男は・・・黒岩・・剛です」

 二人の復唱を確認した“きつね”くんは、小さく頷いた。
 ここまでは何の問題も無かった。
 続いて今度は怜の持つバックを開けさせ、“きつね”くんは中から不思議なもの取り出した。
 それは、少し大きめのカンガルーの縫ぐるみだった。
 ポケットから可愛らしい子供のカンガルーも顔を出している。
 “きつね”くんは、その子カンガルーをポケットの奥に強引に押し込んでから、それを二人に向け床に置いた。
 そして・・・更に言葉を続けた。

「さあ、良く見てごらん。これが・・・『清水京子』です」

 二人の視線が縫ぐるみに集中する。
 そして復唱がまた始まった。

「それは・・・清水・・京子・・です」

 これから始まるのは“きつね”くんが監督し主演する催眠ドラマ・・・

 そしてドラマのキャスティングは、今二人のターゲットの頭にしっかりと刻み込まれた。
 準備は完了した。

 果してこれからいったいどんなストーリィで何が行われるのか・・・

 それは2階の5人にも教えられていなかった。
 ただのオブザーバとしてワクワクしながら続きを見詰めていくしかなかった。

 そして・・・“きつね”くんのドラマは、取り出した木刀で床を大きく打ち鳴らすことを合図に開始されていったのだった。

 ゴン、ゴン、ゴン・・・

 鈍い音がボンヤリした頭に響き渡り、まるで頭を直接殴られるような傷みに諒子は堪らず目を開いた。

 (何・・・いったい・・・)

 しかし諒子の視界には薄暗い明りに照らされた古ぼけた板の間が広がっているだけだった。

 全く見覚えの無い場所・・・

 諒子は自分が何処に居るか見当もつかず、あたりを見渡した。
 すると左手に何か物音がし、それと同時に声が聞こえた。

「お・・・お姉ちゃん・・・どこ?・・・ここ」

「美紀!」

 諒子は振り向き、椅子に座っている美紀を発見した。
 そしてすぐに駆け寄ろうとして、突然自分の身体が動かないことに気が付いた。
 慌てて視線を下げると、自分の手も足も椅子に縄でぐるぐる巻に固定され、1ミリも動かすことが出来なくされていたのだった。

「何っ!何なのっ」

 諒子は事態が飲み込めず険しい表情で視線を泳がせた。

「お姉ちゃんっ・・・助けてっ!動けないのっ!何でっ?」

 美紀の狼狽した声が響く。
 訳が判らないのは諒子も同じだったが、妹の不安な声を聞いてしまうと姉として励ましてやるしか無かった。

「大丈夫よ、美紀ちゃん。私がいるから・・・守ってあげるから」

 しかし、そんな諒子の言葉に被せるように不気味な笑い声が部屋に響いた。

「くっくっくっ・・・『守ってあげる』だって?自分も縛られてるのにどうやって守るんだぁ」

 不意に・・・今まで気付かなかったのが不思議なくらい目の前に一人の男が立っていた。
 顔にグルグルと包帯を巻き、その裂け目からは赤く濁った目と、前歯の欠けた口だけが覗いていた。

「誰・・・誰だ、お前は・・・」

 諒子は不気味な顔に視線をあて、逸らさずにじっと見つめた。

 (誰なんだ・・・何か見覚えがあるような・・・)

 しかしそんな諒子の訝しげな視線に男は小さく肩を窄めると言った。

「嫌ですねぇ・・・僕をお忘れなんて酷いなぁ、先生は」

「先生・・・?それじゃ、ウチの生徒・・・」

 諒子はそこまで言って、突然その男の正体に気が付いた。
 ふしゅ~ふしゅ~、と蛇のような呼吸音とくぐもった話し声で聞き取り辛かったが、あのもって回ったような話し方と嫌らしい声、そして何より顔の包帯・・・

「お前・・・黒岩健志かっ」

 諒子は射るような視線で男を睨みながら言った。
 途端に左手の美紀から、息を呑む気配が伝わってきた。

「ふふふ・・・正解ですよ。でも呼び捨ては酷いなぁ。他の先生みたく『黒岩様』とか『若』とか呼んで欲しいな」

 『健志』は余裕たっぷりに諒子にそう言った。

「ふざけるのもいい加減にしなさいっ!いったいどういう事・・・早く縄を解きなさいっ。こんな事して、只では済みませんよっ!」

 諒子は怒りを全身に漲らせて『健志』を睨みつけた。
 しかし『健志』はそれに怯む様子は全く無かった。
 それどころかゆっくりと諒子の背後に回り込むと、無防備な諒子の胸に両手を回し我が物顔で乳房を揉みしだいた。
 包帯の陰の口がニタァと広がる。

「やっ、止めなさいっ!卑怯者っ!」

 諒子は夢中で上体を揺すったが、縄に縛られた身体は少しも動かすことが出来なかった。

「ふふふ・・・先生、やっぱり良い体してるんだね」

 『健志』の指は容易に諒子の乳首を探り当て、余裕綽々に弄んだ。
 悔しげに唇を噛む諒子・・・
 しかし『健志』の指はそれ以上深入りしてこなかった。
 その代わり『健志』は諒子の顔のすぐ傍に口を寄せて語り掛けた。

「先生・・・そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今すぐ先生を食べちゃうわけじゃ有りませんから。ご無礼はお許しくださいね。先生を縛ったのは、ゆっくりと話しを聞いて欲しかったからなんですよ。でないと、得意の武道で暴れまわられそうだったから。それって・・・ちょっとウザイでしょ?」

 『健志』はからかいの口調で諒子にそう言った。

「ふざけるんじゃありません!これが話しをする態度ですかっ!」

 諒子は横目で『健志』の顔を睨みつける。

「それそれ。その態度が駄目なんですよ、先生。そもそも貴女は私が選んであげたんですから、もっと敬意を持って接しないと駄目でしょ?社会人なんだから、その程度の大人の常識はわきまえて欲しいなぁ」

 『健志』は諒子の前に椅子を持ってくると、ゆったりと腰掛けながらそう言った。
 そしてオットマンの代わりに足を諒子の膝の上に乗せ、スッカリ寛いだ姿勢で諒子を見詰める。
 そんな『健志』の態度に、諒子はそれまでの怒りの表情から、冷たい蔑みの表情に変えて言った。

「可愛そうに・・・。君くらい勘違いしてしまう子供も今時珍しいわね。『僕に逆らうとパパが許さないぞ~』って?素晴らしいわ・・・幼稚園児並のピュアな感性ね。で?ボクの話しってそれだけなのかしら」

 捕えられているとはいえ、諒子の冴え渡る美貌も強靭な意志にも些かの翳りも無い。それだけに諒子のセリフは強烈な笞(しもと)となり『健志』を打ち据えたはずだった。
 しかし、それにも拘わらず『健志』はゆっくりと頭を左右に振って小さく溜息を吐き、むしろ優しげな顔つきになって諒子に言った。

「困りましたねぇ。どうしても人間て自分のスケールでしか相手を見れないんですよね。社会には階層があり、それぞれ厳格なルールで運営されているというのに、それを無視して横車を強引に押そうとすれば当然抵抗が有るんですよ、先生。判ります?貴女方一般庶民と我々支配者層とは、そもそも立脚点が違うんですよ。それを無視して意地を張るから、色んな問題が生じるんですよ」

「駄目。落第っ。中学校の社会科の単位から取り直すこと」

 諒子は冷たく短く言い渡した。

「やっぱり・・・駄目でしたか」

 『健志』は残念そうな表情を作って言った。
 わざとらしい溜息を吐く。
 そして相変わらず強い視線で睨みつけてくる諒子に向って言葉を続けた。

「最後のチャンスをあげたんですけどね。先生が素直になって、一生を『黒岩』に捧げるって覚悟があれば・・・俺の専用のペットにしてあげたのにね」

 そこで初めて『健志』はそれまでの物憂げな表情を捨て、諒子にニタリと嗤いかけた。

「キチガイ・・・」

 吐き捨てるように諒子は呟く。
 しかし『健志』は完全に諒子を見下した顔つきで立ち上がると、後を振り返って言った。

「オヤジ~。ちょっと連れてきてくれるかなぁ」

 すると背後の暗闇から湧き出たように2つの人影が諒子の前に突然姿を現した。
 その途端に、それまでの冷静さをかなぐり捨てるように諒子の顔に驚きの色が走った。
 一人は理事長の『黒岩剛』。そしてその手に縄尻を取られて引き摺られるように出て来たのは・・・

「き・・・京子・・・さん?」

 既に臨月を迎え、病院に入院している筈の『京子』が今、目の前にいた。
 大きく丸くせり出した腹部にも、胸の上下にも縄が硬く巻きつき、まるで芋虫のように全身を束縛されて『京子』は目の前の床に投げ出されたのだ。

「京子さん、京子さんっ!大丈夫?ねぇ、返事をしてっ」

 諒子の呼びかけに『京子』は身体を僅かに揺することで応えた。
 諒子の視線が再び『健志』に注がれる。
 しかし、その苛烈さは先ほどの比では無かった。

「何てことをしてるんですっ!早く縄を解きなさいっ!妊婦なんですよ、いい加減になさいっ!!」

 しかし驚くべきことに『健志』は諒子のこの言葉をまるでそよ風のごとく聞き流していた。
 それどころか、いつの間にか手にしていた木刀を床の上の『京子』の顎の下に差し込み、無理やり上を向かせながら口を開いた。

「お前も・・・諒子にさえ会わなければ、こんな目に会わずに済んだのにね。バカな女に迷信を吹き込まれたばっかりに・・・この黒岩を売っちまったんだよなぁ」

 『健志』はそう呟くように言うと、足で『京子』の身体を仰向けにした。
 その途端、諒子の目が大きく開かれた。
 仰向けになった『京子』は、顔といわず、身体といわず、およそ目に触れる全ての肌に痣や切り傷、血が滲んだ痕があったのだ。
 『京子』は加えられた暴行に既に観念したのか、逆らいもせず大人しくされるままになっている。
 諒子にはそれが狼に喉元を噛み砕かれた雌鹿のように見えた。
 『健志』は手にした木刀を『京子』の喉下に突きつけた。

「最後に何か言うことは有るか?」

 『健志』の口からとんでもないセリフが滑り出た。
 諒子の顔色が変る。

「ちょっ、ちょっと・・・いったい何をする気なの・・・」

 信じられない思いで、目が見開かれた。

「・・・お願い・・・子供だけは・・・お願い」

 小さなうめくような声が『京子』の口から滑り出る。

「それが最後のお願いって訳か?」

 『健志』の口が悪魔のように歪む。
 震えながら小さく頷く『京子』。
 唖然と見詰める諒子。
 一縷の希望を託した視線が、かつて爽やかなスポーツマンと見られていた男の口に注がれた。

 しかし・・・ニィ~と歪んだ男の口が非情な判決を言い渡した。

「ダ~メ~ダッ!お前のガキはもうDNA判定で屑同士の種だって判ってんだよ。親子仲良く逝くんだな」

 『健志』はそう言い終わるやいなや木刀を高く構えた。
 そして、なんと諒子の方を振り向いてこう言ったのだ。

「黒岩に逆らう奴がどうなるか・・・その目で良~く見とくんだね」

 そのセリフに諒子の目が見開かれた。

「やっ、やめっ・・なさい・・・」

 信じがたい『健志』の振る舞いに、不覚にも諒子の声が震えた。
 しかし、『健志』の動きは止まらない。
 血に餓えた悪魔のような瞳に復讐の歓喜が溢れる。
 二の腕に力が込められ、両手に握り締めた木刀に過剰なほどの力が送り込まれた。
 そして背伸びするように高く高く掲げた木刀を、次の瞬間力一杯振り下ろしたのだった!

「やめてぇぇぇぇえええええええええええっ!!」

 諒子の喉から出るとは信じられない叫び声が響きわたった。
 しかし・・・

 その瞬間、諒子は今まで聞いたことがない音を聞いた。

 硬いものが何かを砕く音・・・

 おそらく死ぬまで一生耳を離れることが無い音が刻み込まれた。
 そして目は、受け入れられない光景を・・・地獄のように正確に伝えていた。

 血の気が引き、呼吸も忘れた。
 無意識に顔を左右に振り、目の前の光景を認めまいとしていた。

 しかし、そんな中にあって・・・悲劇はまだ終わりではなかった。
 真っ赤な血に染まった木刀を『健志』は再び構え直していたのだ。
 今度は逆手だ。
 そしてその狙いは・・・

「もうっ・・・」

 諒子の口から毀れ出ようとした哀願を、しかし血塗られた木刀は追い越した。
 そして次の瞬間、まるで悪魔が乗り移ったようにその切先を膨らんだ腹部に突き立てていたのだった・・・

 その一瞬・・・聞こえるはずも無い叫び声を諒子は聞いた気がした。

 そして二つの命が潰え去った光景は、二度と消えない焼印となって深く深く刻み付けられていった・・・諒子の目と、そして心に。

< つづく >

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