傀儡の舞 1-1

プロローグ

 座席の前の液晶パネルが、飛行機の現在位置を知らせてくる。まだアラスカ辺りだ。日本に到着するまで、まだまだ時間がありそうだ。こんな時は眠るに限るのだが、どうしても眠れない。四年ぶりの帰国に、どうも俺の神経は昂ぶっているようだった。

俺は仕方なくサブノートを開いて、メールをチェックする事にした。ロスの空港で、受信だけはしていたのだ。スパムメールに混じって、同僚ダグからのメールがあった。おっと、俺はもう辞めたんだから、元同僚か。

 ダグのメールを読んでみる。手紙の前半は、俺が急に辞めた事への恨み節が綴られていた。
『よりによってマーチマッドネス(3月の狂気)の最中に辞めやがって。俺達“ジョンソンチーム”にとって、NCAAトーナメントがどれだけ重要なクライアントか知らないヒロじゃないだろ。最近じゃ大学トーナメントの方が、プロのNBAより金になるんだぞ。一人でもスタッフが欲しい時期だってのに、お前は』

 俺の名前は村川博。アメリカではヒロと呼ばれていた。有名なスポーツトレーナー、ジョンソン氏のスタッフをやっていた。今回急に辞めたから、ジョンソン氏を始め、ダグ達スタッフにも迷惑をかけた。

 全米大学バスケットボール選手権、通称『NCAAトーナメント』は、普段バスケットボールに関心のない人でも出身地区大学の応援に熱が入る。日本の高校野球のようなものだ。その盛り上がりはマーチマッドネス(3月の狂気)と言われ、企業はこの時期の社員の能率低下に本気で頭を痛めている。当然そこには多額の金が動いており、高額の報酬を要求するジョンソン氏の出番もあるわけだ。

『幸いお前が担当していたブライアントは順調だ。古傷も再発してない。このままいけばMVP取るかもな。ジョンソンさんもヒロの事、評価していたのに、お前は馬鹿だよ。・・・それにしても判らないな。なぜ今日本に帰るんだ?日本でのギャラがそれほどいいとは思えないが。日本の女でも恋しくなったのか?』

 鋭いな。俺はサブノートに向かって苦笑する。アメリカ流のタフな人間関係に疲れていたのは事実だ。だが、日本とアメリカではスポーツが生む金の桁が違う。もうしばらくアメリカで稼ぐつもりだったから、日本から舞い込んだオファーも最初は断るつもりでいた。

 俺はコンピューターを操作し、保存していたインターネットファイルを開いた。それは一月ほど前の日本の新聞の電子版の記事だった。

『新体操の森永瑞季さん、婚約。かつて新体操界の人気選手だった森永瑞季さん(現緑心学園教師)が婚約。お相手は高校時代の先輩』
僅か数行の記事。だがそれが、俺に日本への帰国を決意させた。

『・・・まぁ、俺達はずっとチームさ。これからも仲良くやっていこうぜ』

 変わらぬ友情。つまり、“秘密は守れ”という事か。言われなくてもそのつもりだ。アメリカで得た『力』。これをむざむざと手放すほど、俺は善人ではない。俺は自分の野心の為に、この『力』を大いに使うつもりだ。

『時間があったらシンゴの事も調べてくれ。何もないとは思うが』

 そんな文面で、ダグの手紙を終わっていた。本山信吾の事は、俺も気にはなっていた。日本に戻ったら調べてみるつもりだ。

 俺は気持ちを切り替えて、別のファイルを開いてみた。それは、これから赴任する先の資料だった。
 可愛らしい少女がレオタード姿で、片足を高く上げてバランスを取っている画像だった。左手に持ったボールを高々と掲げ、視線は正面を見据えている。無駄な贅肉など微塵もない、彫刻のような完璧な肉体。それでいて、少女らしい柔らかさを感じさせた。

新体操には詳しくない俺にも、この子が非凡な選手である事はなんとなくわかる。なんと言うか、見る者を惹き付ける天性のオーラがあるのだ。

『期待の新星、有野鈴菜選手』
 画像の下には、そんな説明があった。

「瑞季の若い頃の姿に似ているな・・・」

 レオタード姿の少女の画像を人差し指で触れながら、俺は小声で呟いた。

第一章 有野鈴菜

(1)

 私立緑心学園。
 関東では名の知れた女子校だ。有数の進学校でありながら、インターハイの常連だったりする。まさしく、文武両道の精神を体現していた。美人が多い事でも有名で、面接では容姿も審査されている、という噂すらあった。いずれにしても、ここの濃緑の制服に憧れ受験する者は多い。

 その応接室に、俺は通された。レンガ貼りの重厚な部屋だった。その壁際の棚の上は、学園のこれまでの栄誉を示すトロフィーや盾で埋まっている。

「さすがにスポーツの名門校、緑心学園ですね」

 そちらを見ながら、俺はそう言った。お世辞ではなく素直な感想だ。

「いやいや、お恥ずかしい」

 四年ぶりに見る日本流の謙遜をしてくれた男は、俺とは向かいのソファーに座っている。最初に自己紹介はしてもらっていた。園田という名前の、この学園の体育部部長との事だった。小役人風の、頭の禿げ上がった地味な中年男だ。

「依頼した私が言うのもなんですが、あの高名なスポーツトレーナー、ジョンソン氏の元、アメリカで活躍されていたあなたが、まさか本当に当学園に来てくださるとは。正直嬉しくも驚いております」

 そう、俺はこの学園のコーチになる為、日本に帰国していたのだった。

「ちょうど日本に帰りたいと思っていた所でしたから。しかし、私の方こそ驚きました。私に声に掛けてくださるのは、プロスポーツの組織だとばかり思っていましたから」

 額の汗を拭いながら、園田は答えた。

「コーチも知っての通り、日本は今少子化傾向が続いています。子供の数が減って、なかなか生徒集めも大変です。昔はスポーツの名門校、というだけで生徒が集まったものですが、今はそれだけでは学園運営がうまくいきません。ブランドイメージと言いますか、そうしたイメージ戦略に当学園も力を入れてまいりました。そんな折、絶好の好機がありまして」

「有野鈴菜選手、ですか?」

 俺は園田の目を覗き込んで、そう言った。

「・・・ええ。元々新体操は、先ほど申し上げたイメージ戦略の上でも、当学園がもっとも力を入れている部なのです。有名な選手だった森永先生を顧問に迎えてやってまいりました。彼女は昨年、一年生ながらインターハイで四位に入りましてね。一躍全国区の人気を得たのですよ」

 帰国する前、調べた資料でも有野鈴菜の名前はよく登場していた。昨年新体操界にデビューした期待の新星。抜群の演技力とアイドルを凌ぐルックスで、その人気に火が付くのにそれほど時間はかからなかった。彼女が出場した大会の会場には、異例の観客が集まったそうだ。

「しかし、彼女は練習中に右足を故障しまして。医者が言うには怪我自体は治ったという事なんですが、それ以来演技に精彩を欠いており、俗に言うスランプ状態なのです」

 なるほど。学園としては、偶然にも喉から手が出るほど欲しい『広告塔』が手に入って、夢を見てしまったというわけだ。全国区の人気選手など、作ろうと思ってもできるものではない。はっきり言えば、彼女を復活させる為に俺は呼ばれたという事だ。

「スポーツ選手の『治った』とは、故障前のコンディションを取り戻して、始めて言える事ですからね」

「それで、どうでしょうか。彼女は復活できるでしょうか?」

 園田は救いを求めるような目で俺を見る。俺に声をかけるまで、色々な対策をやったのだろう。俺が最後の希望という事か。

「さて、断言はできません。しかしカルテを見ましたが、怪我自体は完治したと言っていいでしょう。となるとこれはスポーツリハビリ、つまり私の専門分野です。アメリカで培った知識を総動員して、彼女を復活に尽くしましょう」

「コーチに全てお任せします。どうぞよろしくお願いします」

 園田は立ち上がって、禿げた頭を下げた。

 俺に全てを任せてくれるとは、実に好都合だ。そうでなければ俺の野望は実現できない。
どす黒い欲望に、俺の胸は怪しくときめいていた。

(2)

 桜の花びらが、渡り廊下一面に敷き詰められていた。廊下に沿って植えられている桜の木には、もう花びらは残っていない。今は葉桜へと変わる途中、という所か。

「桜の季節も終わりだな。もう少し早く帰国していれば良かったかな」

 ふと足を止めて、周囲を見回した。辺りには誰もいない。今日は日曜で、部活も休みのようだった。俺の赴任も、正式には明日からとなっていた。

 微かに音楽が聞こえてきた。廊下の先にある体育館の方からだ。俺は再び歩き出した。園田の言葉が思い浮かぶ。

「顧問の森永先生ですか?今日も同席するように言っていたんですが。・・・正直に言えば、自分以外の指導者は必要ないと、コーチの招聘にも森永先生は反対されていまして。しかし学園といたしましては取れる手立ては全て取るつもりでいましたから、無理に納得してもらったんですが」

「なるほど。では私の最初の仕事は、森永先生と協調してうまくやる事ですね」

 彼女と対立していては、仕事はうまくいかないだろう。追い出すつもりなら簡単だが、それは俺の希望ではない。全面的ではないにしても、彼女の信頼は得ておくにこした事はない。

 そっと、体育館の扉を開ける。音楽が、漏れ出してきた。
 体育館にはマットが敷き詰められていた。その中央で、レオタード姿の女性がリボンを片手に踊っていた。
しなやかな、折れそうな細い腰が反る。足の指先までピンと伸びたバランスを取った姿勢は、芸術的なまでに美しかった。

「瑞季・・・」

 ふと、昔の記憶が甦る。悲惨だった学生時代。あの時もこうして新体操の演技をする彼女の姿を盗み見ていた。夕日差す体育館で、こうして踊っていた。彼女の姿は、あの時と何ら変わらない。

 ふと、瑞希の演技の手が止まる。俺の存在に気づいたようだった。

「すいません。邪魔したようですね」

 瑞希に近づきながら、俺は声をかけた。

「いいえ」

短く、そして素っ気無く瑞希は答えた。彼女の声を聞くのも随分久しぶりだ。俺は柄にも無くときめいていた。

「あの、始めまして。私、こちらに赴任しました」

俺が自己紹介するのを待たず、瑞希は言った。

「知っています。新コーチのヒロ村川さんですね。新体操部顧問の森永です。始めまして」

 想像はしていたが、やはり俺の事など覚えていないか。しかしそれも無理はない。彼女にとって俺の存在など取るに足らぬものだったし、あの頃はいかにもオタクといった風貌だった。健康的に日焼けして、筋肉質の体となった今の俺とでは、あまりにも変わりすぎている。

「いつもこうやって、一人で演技されているんですか?」

「いいえ。もやもやした事がある時くらいです。体を動かしていると、嫌な事も忘れてしまいますから」

 話している二人の間を、スローテンポな曲が通り過ぎていく。ふと瑞希は視線を逸らし、誰もいない体育館に視線を移す。その表情には、少し疲れの色が滲んでいた。そう言えば、彼女と二人きりで話すのはこれが二度目だ。郷愁にも似た感情が沸き起こる。

「その、嫌な事というのは、私の事ですね?」

「・・・」

 瑞希は黙っている。これでは肯定しているようなものだ。彼女は昔から、自分の嫌な事はあまり隠そうとはしない性格だった。

「私はあなたの代わりに新体操のコーチをする為に来たのではありません。私はコンディショニングコーチ。つまり、あなたを手助けする為に来たんです」

 俺にはなぜ瑞希が拒否しているのか理解できる。学園の金の卵を傷つけ、未だにスランプ状態。これではコーチとしての力量を疑われても当然だ。そこに新任のコーチが来るなど面白くはないだろう。

「・・・」

 瑞希は黙って聞いている。
 元々彼女にコーチとしての実績はない。おそらく学園が人気集めの為に採用したのだろう。瑞希にもそれが判っているから、余計に頑なな態度を取るのだ。

「私にあなたの仕事を手伝わせてください。それに」

 俺は言葉を区切って、瑞希を見つめたまま微笑んだ。

「実は先生の現役時代、ファンだったんです。サインいただけると、嬉しいのですが」

 少しおどけるように、俺は言った。効果はあったようだ。硬かった瑞希の表情が少し緩む。単純なものだ。過去にちやほやされた経験は、麻薬のようなものだ。心の奥底では、その再来を待っている。

「こちらこそ、よろしくお願いします。村川コーチ」

 機械的ではあったが、瑞希は俺に一礼した。
 どうやら少しは信頼されたようだ。アメリカで培った処世術が、少しは役に立ったのかもしれない。

 まずは最初の関門は抜けたかな。瑞希、君にはたっぷりと償いをしてもらうよ。あの時の事を、心の底から後悔するように、ね。暗い決意を覆い隠すように、瑞希に向かって俺は微笑んでみせた。

(3)

「先輩、待ってくださいよー」

 一人の生徒が、あわてて更衣室に入ってきた。肩から下げたスポーツバッグに隠れるような、小柄な少女だった。
 部屋に入るなり、着替え途中の少女に抱きつく。相手はあの有野鈴菜だ。鈴菜は困ったような表情を浮かべた。

「双葉ちゃん・・・」

「こら、蔵本。鈴菜に抱きつくな。鈴菜が着替えられないだろ」

「だって古閑先輩。有野先輩って肌すべすべで気持ちいいんだもん」

 蔵本双葉と言われた少女は、悪びれた様子もなく鈴菜の背中に顔をぐりぐりと押し付けた。赤毛の髪をツインテールにしている。その髪型のせいだろうか、随分と幼く見える。無邪気なその表情には、子供の純真さがあった。

「お前なぁ。鈴菜だって嫌がっているだろ」

「早夜子ちゃん。私は別に…」

 古閑早夜子と言われた少女は呆れたように頭をかく。黒い髪をショートにした少女は、双葉とは対照的にかなりの長身だった。切れ長の瞳は、男勝りな性格を表していた。いかにも後輩の女子生徒にもてそうなタイプだ。

「鈴菜は蔵本に甘すぎるんだよ。迷惑しているなら、はっきりそう言わないと」

「別に迷惑じゃありませんよねー?先輩」

 双葉は少し垂れ気味の無邪気な瞳で鈴菜を見る。完全に鈴菜を崇拝しきっている目をしていた。鈴菜は、曖昧に笑うだけだ。
新体操をしていない時の鈴菜は地味な風体だ。だがその美貌は隠しようもない。綺麗な黒髪を下ろしている時の鈴菜は、日本人形のようだった。
 喜劇のような二人の様子に、早夜子は呆れてため息をついた。

「あ、そうだ。先輩知っています?今日から新しいコーチが来るんですよ」

「へぇ、今日からだったんだ」

 勢いよく下着姿になりながら、早夜子は言った。

「職員室で聞いたんですけど、なんでもカッコイイ人みたいですよ」

 双葉が自分のロッカーを開けながら言う。

「この学校はおっさんばっかだからな。よくそんな人が来たな」

 下着姿のまま、早夜子は腕組みして何度も頷いた。色気もない、無地の白い下着だった。

「でもー。双葉的には、有野先輩が一番カッコイイと思います!」

 キラキラと星いっぱいの瞳で、双葉は鈴菜を見つめている。

「双葉ちゃん・・・」

鈴菜は曖昧に笑っている。二人の様子を見て、早夜子はもう一度深くため息をついた。

「いつまで喋っているの!」

 更衣室に鋭い声が響いた。
 すでにレオタードに着替えていた少女が、三人の方を向いて形の良い眉を歪ませていた。

「早く着替えてアップを始めなさい」

「す、すいません。伊勢主将」

 鈴菜は謝って、急いで着替えだした。

「少しぐらい、いいじゃないか。まったく貴久乃お嬢様は口うるさいんだから」

 小声で早夜子は文句を言う。

「何か言いました?古閑さん」

「いや、別に」

 早夜子は、視線を合わせずとぼけている。
 双葉はというと、伊勢主将の剣幕に、鈴菜の影で小さくなっていた。

 伊勢貴久乃は、腕を腰に当て、勝気そうな瞳でじっと鈴菜を見た。

「有野さん。この緑心学園が新しいコーチを招くのは、貴方の為なのよ。人気者になると、特別待遇で羨ましいですわね」

 凍りつくような冷ややかな視線を鈴菜に投げかける。

「わ、私は別に・・・」

 鈴菜は言い澱む。

「別に、何?別に人気者になんてなりたくなかったけど、周りにいる人が勝手にちやほやするだけって言いたいの?新体操界のアイドルともなると、言う事が違いますわね」

「そんな事、鈴菜は言ってないだろ」

 早夜子はずいっと、貴久乃と鈴菜の間に割って入る。きりっとした厳しい視線を貴久乃に向ける。

「・・・ふん。いくら人気があっても、新体操は結果が全てよ。去年、団体戦で優勝できなかったのは、一体誰が失敗したからなのかしら。もうあんな失敗はしないでいただきたいものだわ」

 ぷいと頬を膨らませて、貴久乃は更衣室を出て行った。

「伊勢主将は、何かっていうと先輩を目の仇にするんですね」

 貴久乃がいなくなって、双葉がようやく鈴菜の背中から出てきて言った。その言葉には、ほっとしたような響きがあった。

「いつまでもいつまでも、あの時の事を蒸し返すんだから」

 早夜子はブリブリと怒っていた。

「早夜子ちゃん。いいの」

 躊躇いがちに鈴菜が言う。

「鈴菜・・・」

 早夜子は心配そうな様子で、鈴菜を見る。

「今のこんな状態の私じゃ、何言われても仕方ないし」

 視線を落とし、自嘲気味に言った。

「もっと、がんばらないとね」

 鈴菜の言葉は、自分に言い聞かせているような、そんな言い方だった。

(4)

 遠くのグラウンドから、女子生徒の元気の良い声が聞こえてきた。ソフトボール部の練習のようだ。確か緑心学園のソフトボール部は、昨年全国大会で優勝したはずだ。

 今俺は、瑞希と二人で長い渡り廊下を歩いている。この廊下の先に、新体操部の体育館がある。

「とりあえず有野選手は、別メニューという事で、私に任せてはいただけませんか?」

 先ほど、園田を交えて三人でミーティングを行った。その席で、俺はそう切り出した。

「彼女だけ、ですか?」

 瑞希は怪訝な表情を浮かべた。

「有野選手の怪我の治り具合を自分の目で確認したいんですよ」

「右足の怪我ならもう完治はしています」

「しかし、まだ昨年の動きには程遠いと聞いていますが」

「コーチはまだ怪我が治っていない、と言われるんですか?」

 瑞希が気色ばむ。気が強いのはあの頃と同じだ。

「わかりません。それを調べる意味でも、しばらく私に任せてはいただけませんか?」

 瑞希は黙っている。だが、その表情は、完全に納得していないのは明らかだった。園田が助け舟を出してきた。

「森永先生。村川コーチはスポーツリハビリの専門家です。どうでしょう。とりあえず有野はコーチに任せてみては?」

 体育部部長の園田にそう言われては、瑞希も反論できない。しぶしぶだが、俺が鈴菜の面倒を見る事に同意した。元々俺は鈴菜を復活させる為に呼ばれた。鈴菜の面倒をみたいと言い出しても、それはまったく自然な事だ。それでも、瑞希はまだ不安げな表情をしている。

 瑞希、そんなに鈴菜の事が大事か?お前の大事なものは、俺が全て奪ってやるよ。ゆっくりと時間をかけて、一つずつ。

 俺の第一のターゲットは、鈴菜だと決めていた。瑞希は完全に俺を信頼していないだろうし、うまくいくとは限らない。まずは周囲を攻略し、その上で現実を瑞希に突きつけてやる。絶望に沈む瑞希の姿を想像して、俺の心は躍った。
 鈴菜とは接触する機会も持ちやすいし、正真正銘の美少女だ。俺の最初の牝奴隷になる資格は十分だ。

 今俺は、新体操部が練習する体育館に、瑞希と共に向かっている。練習の開始時間に少し遅れたのは、瑞希が学園を案内してくれたからだ。

「・・・この廊下の先にある体育館は、新体操部専用です。グラウンドの先には部員の為の寮があります」

「新体操部専用の?」

 俺は驚いて聞き返した。

「ええ。新体操の部員は全国から集まっていますので、こうした施設が必要なんですよ。あ、でも全員というわけではありませんわ」

 瑞希は言葉の最後を言い澱んだ。

「私もそこに住んで、寮の管理もやっています。コーチ、お住まいは?」

「学園が近くにマンションを借りてくれました」

 別に俺に興味があるというわけではなさそうだ。瑞希は歩きつつ説明を続ける。

「体育館の中には、トレーニングルームもあります。コーチのメニューにもお使いください」

 新体操部専門の体育館と寮か。学園が新体操部に力を入れているという話も本当のようだ。

「それはありがたい。ちなみに今はどんな練習メニューを?」

「通常は、柔軟からバーレッスン。ジャンプやバランスなどのアップ。手具を使った演技練習から筋トレという流れですね」

「手具?」

「ロープやリボンなど、演技で使う道具の事を手具と言います。新体操では」

 そんな事も知らないの、と瑞希の声には馬鹿にした調子もあった。

「演技は個人と団体が半々といった所ですね。生徒の刺激になるよう、バレエやダンスのレッスンも行っています」

「なかなか大変ですね」

 俺は感心して言った。

「コーチはどんなメニューを考えていらっしゃるのか、楽しみですわ」

 その言葉には皮肉の響きがあった。お手並み拝見、といった所か。

(5)

「皆さん。ちょっと集まって」

 瑞希の声が体育館に響き渡った。
 マットの上で柔軟を行っていた部員が、集まってくる。部員は20名ほどか。レオタード姿の女子高生に囲まれて、俺は圧倒されそうになる。美人が多いと評判の緑心学園だが、新体操部の部員達は傑出している。全員がモデルとしても通用するのではと思えるほど、粒が揃っていた。

 ほう。
取り囲む美人達を見回していた俺の目が、ふと一人の美少女で止まる。それは、有野鈴菜だった。写真では見ていたが、実物の鈴菜の美しさは予想以上だ。美人揃いの新体操部の中でも、群を抜いていた。

「前にも話していたと思うけど、今日から新しく村川コーチが皆さんの指導をしていただける事になりました。コーチはアメリカで活躍されていた有名な方なのよ」

「今日からお世話になる、村川です。新体操は厳しい競技です。皆さんが本番でベストの演技ができるよう、森永先生とともにサポートするのが僕の役目です。どうか、皆さん一緒にがんばりましょう」

俺は一礼した。部員達もそれに合わせてお辞儀する。

「なんだか感じのいい人ね」

 部員同士がこそこそと話しているのが聞こえてきた。

「少しでも部の雰囲気が良くなるといいけどね。貴久乃お嬢様が主将になってから、ギスギスしちゃっているし」

 外からは華やか見える新体操部も、内部ではいろいろありそうだ。

「それじゃ皆さん、練習に戻って」

 瑞希の声に、部員達が練習に戻っていく。

「有野さん」

 瑞希が鈴菜を呼び止める。

「はい」

 鈴菜が一人、瑞希の所にやってきた。
 柔らかな、その澄んだ瞳で見つめられたら、どんな男でも胸が高鳴ってしまうだろう。ほっそりと頼りなげな雰囲気は、とても新体操で大胆な演技をするとは思えない。レオタード姿の鈴菜は紺色のリボンで髪を縛っていたが、それが余計に可憐さを引き立てていた。

 一呼吸してためらいを振り切るように、瑞希が言った。

「有野さん。しばらくは村川コーチについて別メニューをやりなさい」

「あの・・・私だけ、ですか?」

 おずおずと反論する。
 俺は努めて優しく、鈴菜に話しかけた。

「しばらく前に怪我をしたってきいてね。その回復具合をみたいんだ」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」

 鈴菜は俺の方を向いて一礼した。こんな美少女と二人きりの時間が持てる。それも学園公認で。それだけで、瑞希には悪いが俺の心は舞い上がっていた。

(6)

 俺は鈴菜にトレーニングウェアに着替えさせた。もちろんレオタード姿の方が目の保養にはなるが、そのままトレーニングさせるわけにはいかない。その後マットに移動し、柔軟を命じた。さすが現役の選手だ。体は柔らかい。
他の部員は瑞希の指導の元、バランスの練習をしていた。

「去年は個人戦で四位だったそうだね。すごいね」

「そんな・・・私なんてまだまだです」

 鈴菜は照れていた。なんだ、新体操界のアイドルも、初々しい所があるじゃないか。

「新体操は昔からやっていたの?」

「小さい時はバレエをやっていました。新体操は、中学の時近くの新体操クラブに入ってから始めました」

「今まで大きな怪我は、昨年が始めて?」

 途端に鈴菜の顔が曇る。

「は、はい。練習中に右足の肉離れを・・・。先生を始め、多くの人にご迷惑をおかけしました」

「君が謝る事ではないよ。君のせいじゃない」

 俺はしゃがみこんで、鈴菜を見つめた。俺の真剣な表情に、鈴菜もつられて俺を見る。

「怪我は誰のせいでもない。たとえ万全の対策をとったつもりでも、怪我する事はある。僕達は全員で力を合わせてがんばっているんだ。怪我の責任だけを選手個人に押し付けるなんて間違っている。それに、過ぎた事を言っても始まらない。今はこれからの事を考えよう」

 鈴菜は黙って俺の話を聞いている。猫を被った俺の話に、すっかり引き込まれているようだった。

「僕は君達のサポートする為にここへ着たんだ。だから、僕に手助けをさせてほしい。遠慮なんかしないでさ」

「は、はい」

 鈴菜は恥かしそうに、しかし嬉しそうに、微笑んでみせた。鈴菜は責任感の強い性格のようだ。だからこそ、何でも自分の中に溜め込もうとする。信頼を得るには心を開放してやるのが一番だと思ったが、どうやらうまくいったようだ。しかし、俺の本心を知ったら鈴菜はどう思うだろうか。そう思うと、底意地の悪い笑いがこみ上げてくる。

 俺と鈴菜はトレーニングルームに移動した。新体操部専用では勿体ないほど、設備は整っていた。
 鈴菜にはランニングマシーンで少し長めのジョギングを命じた。鈴菜は特に疑問に思う様子もなく、素直に走り出した。

 後方で、鈴菜が走っているのを眺める。確かに右足はもう問題ないようだ。特に右足をかばう様子もない。となると、不調の原因は精神的な物かもしれない。

 俺はちらっと後ろを見た。トレーニングルームは、体育館の一部に設けられていた。扉一枚隔てたフロアでは、新体操の練習が続いている。誰もこちらを気にしている者はいない。俺はそっと、トレーニングルームのエアコンの温度を上げた。室内の温度が、真夏並の気温になる。
 ジョギングを続ける鈴菜からは、次第に汗ばんでいるのがわかる。走り終わる頃には、鈴菜は荒い息をしていた。

「お疲れ様。それじゃ水分を補給して」

 俺は鈴菜に、ペットボトルを手渡した。

「特性のスペシャルドリンクだよ」

「ありがとうございます」

 鈴菜は受け取ると、ペットボトルに口をつけた。美味しそうに、鈴菜の喉が鳴る。ドリンクの中身が、鈴菜の体内に入っていく。

「とっても冷たくっておいしいです」

 ニタリ。俺は暗い笑みを浮かべた事を、鈴菜はまったく気づいていなかった。

(7)

 深夜。引越しが終わったばかりの自室で、俺はサブノートの画面を見つめていた。昼間、鈴菜に飲ませたドリンクの中には数億というマイクロマシンを混入していた。鈴菜の体内で、マイクロマシンは体の隅々に広がり、あらゆる組織に定着し寄生しようとしていた。ディスプレイには、その様子が刻一刻と表示されている。

 アメリカのスポーツ界は狂っている。
 勝つ為なら何でもやる。少し前は薬品を使ったドーピングが主流だったが、今はマイクロマシンを使用した筋肉増強が流行している。その方が効果的なのだ。ジョンソン氏は、実はマイクロマシンドーピングの第一人者だ。俺はアメリカでナノテクの研究をしている時、ジョンソン氏にヘッドハンティングされた。

 多額のギャラも魅力だったが、『マイクロマシンによってどこまで人間を支配できるのか』という公には研究しにくいテーマを持っていた俺は、二つ返事でスタッフに加わった。

 俺が独自に研究していたマイクロマシンは、単なる筋肉増強という範囲を越えて、生体反応全ての操作可能というレベルにまで達していた。
 マイクロマシンの活動は、逐一俺のサブノートに送られてくる。今、鈴菜の肉体活動の全ては、手に取るように分った。

 俺はじっと、マイクロマシンの定着率が操作可能レベルに達する事を待っていた。完全に定着するまで、長時間必要だ。ここまでの所、心配された肉体の変調は出ていない。マイクロマシンの定着は、順調だった。

サブノートからアラーム音が聞こえてきた。それは、操作可能レベルを超えた事を示していた。これで簡単な操作なら実行できる。

「それじゃテストという事で、いろいろといたずらしちゃおうかな」

 思わず笑いが漏れる。綺麗な人形を手に入れた事で、有頂天になっていた。俺は昼間の面倒見のいいスポーツトレーナーの顔をかなぐり捨て、欲望丸出しの下衆の顔が表に出ていた。
 鈴菜の聴覚をサブノートのスピーカーにつなぐ。これで、鈴菜の聞く音は全て聞こえるはずだ。
 脳波を見ると、鈴菜はもう眠っているようだった。

 画面の右下に、現在の鈴菜の姿勢を表示させる。ピンク色をした立体人形が、鈴菜の姿勢を表示していた。人形は横になっている。やはり、寝ているようだった。意識がないのは好都合だ。
 俺は鈴菜の股間に、両手を導いていく。そろそろと、両手が鈴菜の股間に向かって伸びていく。たかが単色の立体人形がそのように動いただけだが、画面の先には新体操界の新星と言われる美少女がいるのだ。昼間の鈴菜の容姿を思い浮かべて、俺の脳を欲望が焦がしていく。

 少し強目に両手を股間に押し付けた。

「ん・・・」

 偶然だろうか、鈴菜の口から声が漏れた。俺は微妙に、柔らかいタッチで股間をなで上げてみた。

「ん・・・」

 鈴菜の意識は覚醒していない。だが、まったく感じていないわけではなさそうだ。俺は鈴菜の指に、繰り返し股間を撫で上げるよう、命令した。
 立体人形の角度を調整し、鈴菜の股間の部分を拡大した。ほっそりした一本一本の指の形が明らかになる。ピンク色の指が、一定のパターンで股間を愛撫していた。

「なんとも機械的だな。できればもっと本格的ないやらしいオナニーをしてほしいもんだが」

 鈴菜が巧みに指を動かして自慰にふける光景を思い浮かべた。本人の意思に関係なく、いつでもどこでもそれを強制する事ができるのだ。

「鈴菜。お前にはオナニー狂いの女になってもらおうか」
 
 俺は鈴菜の性癖を勝手に指定した。手動操作で、鈴菜の手を動かす。こうなると、俺が鈴菜の手を通して愛撫しているに等しかった。

「あ・・・ん・・・」

 ついに鈴菜の口から、はっきりとした快楽の喘ぎが漏れ出した。俺は調子に乗って、鈴菜の下着の中に手を滑り込ませた。すかさず自慰を再開させる。

「あ・・・あ・・・ん・・・」

 鈴菜の口から、色っぽい吐息が漏れる。美少女の、誰にも見せた事のない秘め事。それは控えめな声だったが、俺を興奮させるには十分だった。

 俺は鈴菜の左手で、左右に性器を大きく開かせ、右手の中指で直接クリトリスに触れた。

「あ・・・!なぁに?」

 ついに鈴菜は目を覚ましたようだ。知らぬ間に、自慰を始めている自分に混乱していた。それでも俺は、かまわず鈴菜の手にオナニーの続行を命じた。

「いや。あ・・・ん・・・どうして?指が勝手に・・・あ・・・あ・・・」

 疑問に思っても、答えなどない。鈴菜、お前にできる事はオナニーを続ける事だけだ。
 鈴菜の指が、激しく自分のクリトリスを刺激する。鈴菜の体が、大きく反った。それでも、両手はぴったりと股間に吸い付いたままだ。
 俺は鈴菜の性感のレベルを少し上げる。鈴菜は、より感じやすい体質なったはずだ。

「ああ!ん・・・気持ち・・・いい!!」

 声が少し甲高くなる。鈴菜は、自分を襲う快感に、次第に夢中になっているようだった。

 俺はそっと、鈴菜の手の制御を弱めた。ぴくっと一瞬鈴菜の手の動きが止まる。しかし次の瞬間、鈴菜の指は、再び激しく動き出した。今鈴菜は、自分の意志で自慰を行っていた。

「くくく。鈴菜。やはりお前はオナニー狂いの女になる素質はあるようだな」

 通常の盗撮でも、ここまでは判らない。今、鈴菜の痴態の全ては、俺の眼前で展開されていた。
 鈴菜はひたすら自分のクリトリスを愛撫する。オナニーの経験はあるようだが、性器の奥を触ろうとしないのは処女だからだろう。

 もはやひっきりなしに聞こえてくる、鈴菜の嬌声。その声を聞きながら、俺の心はどす黒い満足感に浸っている。
 瑞希も学生時代は、こんな風に夜一人ベッドの中で、いやらしい遊びをしていたのだろうか。当時の俺にそれを知る術などなかった。しかし今、当時の瑞希の姿を鈴菜に重ね、俺は当時の欲求をようやく満たした気になっていた。

「ん・・・いい!どうしてこんなに気持ちいいの・・・」

 それは俺のおかげさ、鈴菜。左手だけを操作して、自分の胸に導いてやる。体を操作される違和感を、鈴菜は感じていないようだった。自分の意志で胸を触っていると思っているようだった。
 左手は胸を、右手は股間を、自分で触りながら鈴菜のオナニーは続く。

「随分といいようだな、鈴菜。随分オナニーに慣れているようじゃないか。新体操界期待のアイドルが、実はオナニー狂いの女だと知ったら、全国の男がさぞ失望するだろうな。いや、かえって人気になるかな」

 俺の声が鈴菜に聞こえるはずもない。しかしそれでも独り言を言いたくなるほど、俺は上機嫌になっていた。

「あ・・・ん・・・あっあっ・・・」

 鈴菜は喘ぎ声を、かみ殺しているようだった。隣の部屋には部員も寝ているのだ。

「くだらん事を気にしていないで、お前は派手にアヘアヘ言ってりゃいいんだよ」

 身勝手に宣言して、俺は鈴菜のクリトリスの性感をもう一段階引き上げた。

「ああ!いい!いく、いっちゃう!!」

 鈴菜の声が、更に甲高くなっていく。右手の指の動きも、更に激しさを増していった。

「イク声を聞かせてくれよ。瑞希」

 興奮のあまり、俺の中で痴態を晒す鈴菜と瑞希の姿が重なっていく。

「もうだめ。いきそう・・・!ああ、いく。いっちゃう!ああ・・・!!」

 一際甲高い声が、スピーカー越しに聞こえてきた。ぐったりと、鈴菜の動きが止まる。鈴菜は、絶頂に達していた。

「オナニーは気持ち良かったかい?鈴菜。でもお前には、もっと気持ちいい事してあげるよ」

 俺は鈴菜の支配を打ち切った。もちろん、一時的な事だ。しばらくすれば、マイクロマシンは完璧に定着する。そうなれば鈴菜の肉体は、俺の物になる。
 次の陵辱に思いを馳せ、俺は歪んだ笑みを浮かべたまま、サブノートを閉じた。

(8)

 ぼんやりと、鈴菜は体を起した。机の上の時計は、まだ早朝五時だった。ゆったりとした動きでベッドから降りると、クローゼットを開けて、着替え始めた。

 鈴菜は廊下を歩いていく。トレーニングウェアの上下に身を包んでいた。その足取りはどこか危なっかしく、まるで、夢遊病者のようだった。
 鈴菜の部屋は、三階建ての寮の二階にあった。ゆったりと階段を一階へと降りていく。みんなまだ寝ているのだろう。寮の中は静まり返っていた。

 鈴菜はそのまま、玄関に向かい、自分の運動靴に履き替えた。

「あれ、先輩?」

 不意に鈴菜の後ろから声がした。振り向くと、子供っぽい動物柄の、パジャマ姿の双葉が立っていた。

「どうしたんですか?こんな朝早くに」

 寝ぼけ眼で頭を少し傾け、双葉は鈴菜に尋ねてくる。

「ちょっと・・・ジョギングしようかと」

 ポツリと鈴菜は言った。下手な芝居のセリフのような、無機質な言い方だった。

「こんな朝早くに一人で、ですかぁ?先輩はすごいですねー」

 鈴菜の様子に気づかず、双葉は眠そうな声で言った。

「あれ、先輩?」

 双葉を無視して、鈴菜はふらふらと外へ出て行った。双葉は不思議そうに眺めていたが、やがて欠伸をしつつ自分の部屋に戻っていった。

 学園から最寄りの駅まで、歩いて15分ほどだ。その途中には大きな公園があり、横切れば学園までの近道となる。自宅から通っている生徒は、遅刻しそうになると、この公園を通り抜けるのが常だった。公園の中は、木々が生い茂る森のようだ。

 鈴菜は吸い寄せられるように、公園の中に入っていく。少し早い時間だが、ジョギングしようとする人間がいても不自然ではない。
 公園は外周に沿って、ジョギングコースが設けられていた。鈴菜の足は、コースを外れ、まっすぐ茂みの中に入っていく。生気のない歩みだが、不思議な事に足の運びに迷いはない。まっすぐにある場所を目指しているようだった。

 茂みを抜けると、鈴菜の目の前に公衆便所があった。古びた、コンクリート製のトイレだった。その壁にはスプレーで女性器の落書きがしてあった。鈴菜とは相容れない汚らしい場所。その中に鈴菜はふわふわと入っていく。
まだ早い事もあって、周囲は静寂に包まれている。突如、鈴菜がトイレに入ったのを見計らって、反対側の茂みから人影が現れた。

(9)

ふと気が付くと、水を吸って床にへばりついたトイレットペーパーの切れ端が見えた。

「あれ、私は一体・・・?」

突如猛烈な異臭に気が付いた。そこは見覚えのない公衆トイレの、個室の中のように思えた。あまり清潔とは言えない場所だった。目の前には便器があった。鈴菜は便器に覆い被さるように、奥の壁に手をつき、お尻を入り口のほうに突き出していた。足は跨ぐに大きく開いて、バランスを取っている。

「あ、あれ?」

体を起そうとして、更に異変に気が付いた。鈴菜の体は鉄のように硬くなっており、体を動かす事がまったくできなかったのだ。かろうじて視線だけを上げ、自分の手を見てみたが特に縛られたりしているわけでもなかった。

「体が・・・」

言いようのない恐怖に包まれる。がたがたと震えそうだが、体はぴくりとも動かなかった。助けを呼ぶべきなのだろうか。しかし、なんと言えばいいのだろう。鈴菜の中で反問する。

そもそも、ここはどこなのか。なぜ自分がここにいるのか。いくつもの疑問が頭に浮かぶ。その答えはどこにもない。昨夜自室で寝ている時欲情にとらわれて、一月ぶりに自分を慰めた事は覚えている。確かその後疲れて寝てしまったはずだ。

不意に、あの時の感覚が蘇る。今まで経験した事のない、強く甘美な快感。自分の性器が、何か別の生き物のように激しく息づいていた。今まで自慰の経験がまったくないわけではない。だが、いつもその行為自体に後ろめたさを感じていた。自慰を始めても、途中で止めてしまうのが常だった。昨夜のように理性が無くなり、本能のまま突き抜けた事が、自分の事でありながら信じられない。生まれて初めて、『絶頂』というものを経験した。

思い出して、性器はじんじんと熱くなっていた。
鈴菜は、先ほどまで自分が感じていた恐怖が、いつの間にか欲情にすり変わっている事に気付いていなかった。

ギイ。扉が開く音がした。反射的に振り返ろうとしたが、鈴菜の首は硬直したように動かなかった。
今の姿勢を思い出す。自分は入り口に向かって、お尻を突き出すような姿勢で固まっているのだ。かあっと頬が熱くなる。しかし黙っているわけにもいかない。

『あの・・・』

 鈴菜は言ったつもりだった。しかし、口から漏れたのは、低く小さなうめき声だけだった。鈴菜は、自分が声も出せなくなった事に気がついた。

公衆トイレらしいが、どこだかわからない場所に自分はいる。動く事も話す事もできない状態で。
 改めて自分の状態を省みて、鈴菜は戦慄した。

 入り口に現れた人の気配は、何も話さない。ただ無言で、鈴菜を見つめている。その視線だけは感じていた。

『ひっ・・・!』

 いきなり、お尻を触られた。この人が自分の味方ではない事が、これではっきりした。こんな事ができるのは、鈴菜が体の自由を失っている事を知っているからに他ならなかった。
触る手つきがいやらしい。撫で回すように、優しいタッチで触ってくる。興味本位で触っているわけではなさそうだった。やや大型のかたい指。それは、男性のものだった。

『いや!』

 初めて感じる異性の感触に、鈴菜は生理的な嫌悪を感じて声を上げた。上げたつもりだったが、声は出ない。
 お尻を触るタッチが、次第に大胆になる。今度は両手で揉むように触ってきた。新体操で鍛えた弾力のある鈴菜のお尻を、揉みほぐすように。じんわりした鈍い快感が、お尻を中心に沸き起こる。

『いや、やめて』

 自分の中に沸き起こった感覚を否定しながら、鈴菜は心の中で悲鳴をあげた。
 
 手が股間に伸びてきた。つんつんと突くように、トレーニングウェアごしに触ってくる感覚があった。
 自分の性器が息づいている事は悟っていた。湿り気を帯びてきた下腹部が、触られる度にショーツに貼りつくような感覚があった。

『私感じているの?嫌なのに、どうして?』

 鈴菜の意志に反して、性器の潤いはどんどん増していく。この人は、濡れている事に、気付くのではないか。トレーニングウェアに、お漏らししたように染みが広がっているのではないか。一瞬嫌悪感を忘れて、鈴菜は羞恥に赤くなる。

 手が、トレーニングウェアに伸びる。

『いや!!』

 意図を察して、鈴菜は抵抗しようとする。だが、肉体は鈴菜の意志を応えてくれない。ゆっくりと、鈴菜のお尻が露になっていく。刺激に火照った肌が、直接外気に触れる。『手』は、ショーツも同時に脱がそうとしていた。
 ゆっくりとではあるが、明確な意志をもって、鈴菜の下半身は晒される。トレーニングウェアとショーツは、膝の当たりまで引き下げられた。

『そんな・・・誰にも見せた事ないのに・・・』

 鈴菜に男性経験はない。それどころか元来内気な性格なので、男性と交際した事すらなかったのだ。
 想像を絶する現実に、鈴菜はパニックになっていた。これは夢ではないのか。昨夜オナニーをしたまま寝入ったりなどした為に、いやらしい夢を見ているのではないだろうか。
 現実感覚を失おうとしている鈴菜の意識を、性器をまさぐる手つきがもたらす快感が、鈴菜を我に返させる。

くちゅくちゅと、湿り気を帯びた音が聞こえてくる。それが、自分の性器を発する音だと悟った時、鈴菜は卒倒しそうなほどの羞恥心に捕らわれた。今や鈴菜の性器をまさぐる手には、何の遠慮も見られない。縦横無尽に弄ばれている。性器の奥へ指を入れられる事はなかったが、その代りなのだろうか、意地悪な手つきでアナルをつんつんと突いたりしていた。

『あ・・・ん・・・』

 じんじんとした快感が、性器を中心にして全身に広がっていく。自分で触るよりも、ずっと強い快感だった。
 不意に、指が性器から離れる。愛液にふやけた指を、鈴菜の内腿で拭いた。

『いやぁ信じられない』

 指は、鈴菜自身がどれだけ濡れているかを知らしめようとしているのだ。デリカシーの欠片もない行為だった。

 かちゃかちゃと音がした。それは男がズボンを脱ぐ為ベルトを緩める行為だと悟った時、鈴菜は己の操の危機が絶望的である事を悟った。

『いや・・・いや・・・』

 相変わらず、鈴菜の体は動かない。男が自分を犯そうとしているというのに、その用意が整うのをじっと待っている。太ももまで垂れる程、愛液を股間に湿らせて。今の鈴菜にできる事は、心の中で拒否の言葉を繰り返すだけだった。
 視界がゆがむ。涙が鈴菜の瞳に溜まり、頬をこぼれ落ちた。

 ぐいと腰をつかまれた。性器に触れる感覚があった。それは、明らかに指と異なるもっと太いものだった。

『いやーーー!!』

 特大の悲鳴が、頭の中に響き渡る。その声が、外の世界に出る事は決してなかったが、それでも悲鳴を上げずにはおれなかった。
 それは、ミシミシと音を立てて鈴菜の中に入ってくる。たいした抵抗もせず、鈴菜の肉体は受け入れようとしていた。ショックのせいか、ほとんど痛みを感じなかった。

 ゆっくりと、確実にそれは入ってくる。これが、犯されるという事なのだろうか。思考力を失いつつある鈴菜の心に、やたらリアルに男性器の感覚だけが確かなものとして存在した。勃起した状態の男性の性器など見た事も無かったが、奇妙な事に子宮を通してその形を細部にいたるまで認識できていた。まるで進入されているのは、体内ではなく心のようだった。

 半ばまで進んだ肉棒が、強い抵抗にあう。それこそが鈴菜の操、処女膜だった。更なる力と意志を漲らせて、肉棒は再侵入を開始した。
 処女膜と肉棒がぶつかり、あっけなく処女膜は破られていく。

『あ・・・』

 完全に処女膜が破られると、一気に根元までが突き刺さった。

『私、もう、バージンじゃないんだ・・・』

 新たに熱い涙が一筋、頬を流れ落ちた。
公衆トイレらしい場所。誰だか分からない相手。こんな形で初対面をするとは思わなかった。いずれそんな時があるとは思っていたが、それはもっと先で、運命の相手と結ばれるという、もっと幸せな形でだと思っていた。
それなのに。悔しさと惨めさが胸に満ちる。

肉棒は、鈴菜の中で、ゆっくりと動き出した。
電気に似た快感が、鈴菜の体を突き抜けた。今まで自慰で感じていた快感は、性器周辺から生まれた浅いものだった。しかしこれは、性器の内部から生まれた深い快感だった。

『気持ちいい・・・どうしてなの?』

動かない体で、こんな場所で侵されているのに、私は快感を覚えている。自分の体が信じられない。違う、私はふしだらな女じゃない。否定してみても、己を貫く快感は消えない。それどころか、次第に快感は強くなっていく。

出し入れされるに肉棒の動きも、段々と荒々しいものになっていく。それは、終焉が近い事を示していた。

『いや!それだけはやめてぇ』

 心の中で悲鳴をあげる。だが肉棒は欲望に忠実だ。ひたすら快楽の為に動きを強める。

『お前だって気持ちいいんだろ。途中で止めてほしくないんだろ?』

 悪魔の囁き。それが自分の心に響いた声だと悟った時、鈴菜は本当の絶望を知った。

『違う・・・私は・・・』

 肉棒は鈴菜の気持ちとは無関係に、どんどん高まっていった。まるで腰をぶつけるように動いたかと思うと、熱いものが溢れてくる感覚があった。

『いや・・・いや・・・いや・・・』

 肉棒が鈴菜の中で痙攣している。その度に、熱いものが性器を満たしていく。鈴菜の子宮の隅々まで、熱いものは満ちていった。

 潮が引くように、気持ちの昂ぶりが消えていく。それに絶望だけが残される。
 肉棒は役目を終えて引き抜かれた。先ほどまでは夢中で気づかなかったが、はぁはぁと荒い息が聞こえていた。それが男性の息だと分かった。その息に、目的を果たした満足感のような気配を感じた。

(10)

 男が出て行き、扉が閉まるのと同時に体の自由を取り戻した。鈴菜は立っている事もできず、トイレの中にしゃがみこんだ。長時間、無理な体勢を取っていた為、鈴菜の筋肉は悲鳴を上げていた。

 動く気力も体力も無かった。なのに、突然鈴菜の体は立ち上がった。汚れた下半身を、トイレットペーパーで拭い、身なりを整える。

『体が・・・勝手に・・・』

今までは体が動かなかったのに、今度は勝手に動く。もはや、自分の体が誰かに操られているのは確実だ。鈴菜は抵抗しようとしてみたが、無駄だった。鈴菜の意志に関係なく、体は澱みなく動いている。

『わたし、私・・・一体、どうなっちゃうの・・・?』

 トイレを出ようとしている頃、鈴菜の意識は霧に包まれるようにぼんやりとぼやけていった。きっと私は、こんな状態でここまで来たんだ。そこまで考えて、鈴菜の思考は途絶えた。

 公衆トイレから、鈴菜が出てきた。
博は、トイレの入り口に立っていた。ニヤニヤと、その顔には下卑た笑みが浮かんでいた。
鈴菜は、博を見ようともせず、ぼんやりとした瞳のまま、脇をすり抜けて学園の方へと歩いていった。その確かな足取りは、自分の意志に反して犯されたばかりだとは、誰も思わないだろう。

鈴菜に定着したマイクロマシンは完璧に動作していた。制御ソフトの調整によっては、もっといろいろな事ができるはずだ。

「瑞希。鈴菜は、あの時のお前の代わりだよ」

 誰に言うでもなく、俺は呟いた。

 深夜に寮を抜け出せば大騒ぎになるが、早朝なら自主トレで通る。計画通り鈴菜を誘い出し、処女を奪えた事に、俺は満足していた。
 鈴菜には、一生忘れられない記念日となった事だろう。痛みを消してやったのは、俺の優しさだ。

もう、鈴菜は俺のものだ。これから厳しく調教して、俺専用の牝奴隷にしてやるよ。いや、鈴菜だけじゃない。鈴菜を皮切りに新体操部に俺のハーレムを作ってやる。その上で瑞希、お前を奪う。俺が手に入れたこの『力』で。そうでなければ俺の心の傷は癒える事はない。

さぁ、狂った夢の始まりだ。
アメリカで、担当していた選手を優勝させた時以上の多幸感に、俺は浸っていた。

< つづく >

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