人妻人形日記 序

 

 僕の初恋の相手は、姉からもらった人形だった。

 あれは間違いなく恋であり、初めての劣情だった。

 

 当時、2人の姉は弟の僕を妹のように扱っていた。僕に自分たちのおさがりを着せてみたり、女の子みたいな言葉遣いをさせたり、よく近所の人に三姉妹と間違われていたことを覚えている。

 僕が自分のことを男の子だって自覚できたのは、下の姉が持っていた一体の人形がきっかけだった。

 ミカちゃんという名前の人形で、父がどこかの出張のお土産に買ってきたものだ。キャビンアテンダントの制服を着ていた。

 後で知ったけど、古くからある有名な人形だったらしい。

 だけど、ぬいぐるみを集めていた姉の趣味ではなかったらしく、タンスの上でずうっと埃をかぶったままでいた。

 ある日、姉たちの部屋で1人で遊んでいたとき、ふと汚れたそのミカちゃん人形が可哀相になった。タオルで顔でも拭いて、服もきれいに洗ってやろうかという気持ちになった。

 上の姉やその友人と女の子の遊びに馴染んでいた僕は、人形を友だちのように大事にするのは当たり前だと思っていたし、徐々に人形遊びから離れていく粗雑な下の姉には怒りすら覚えていた。そのせいで、そんな気まぐれを起こしたんだと思う。

 でも、その女性的なプロポーションをした人形を脱がせながら、僕はいつになくドキドキしていた。

 なんでだったんだろう。

 これはただの人形だ。作り物だから裸でもエッチじゃない。頭ではそう思ってても、服を一枚一枚脱がせていくことに僕はドキドキしていた。

 ミカちゃんの服は人形のくせによくできていた。ジャケットを脱がせたあとのブラウスとか、ボタンとか、スカーフとかスカートのファスナーとか、徐々にあらわになっていく人形の白い肌に、僕はそれまでに感じたことのない興奮を覚えていた。

 最後に下着を脱がせて裸になったミカちゃんの体を、僕は撫で回していた。固いけど、すべすべしてて、僕の手の中で無抵抗に動かない女の子の体がとても気持ちよかった。全身をきれいにしたあと、口づけして、髪の毛を噛んだりした。

 そして白いお腹に舌を這わせたあたりで、ふと、僕は自分のやっていることが恥ずかしくなり、人形を姉の机の上に置いて逃げ出してしまった。

 自分のしたことが、いや、自分がひどく気持ち悪い人間に思えた。そんなことで興奮する自分が怖かった。

 でも姉は、僕のそんな思いなど関係なく、机の上で裸になってるミカちゃんを見て笑うだけだった。変なイタズラするな、とか、いらないからやるよ、とか、そんなようなことを言って、笑って僕にその人形を押しつけた。

 姉は、僕がふざけて服を脱がせただけだと思ったみたいだった。

 でもそのせいで、ほんの気の迷いで終わるはずだったこの屈折した愛情は、本物になってしまった。

 

 ――僕のお人形さん。

 

 その夜から、僕は毎晩そのお人形さんを抱いて寝た。

 布団の中でミカちゃんの服を脱がせ、裸にして撫で回した。頬ずりし、何度もキスをした。体を舐めたり、爪で股間を擦ったりもした。

 そうして僕は苦しいくらいに興奮していた。

 だんだんと下腹部が熱くなり、おしっこがしたくなる。それだけでは収まらないくらいムズムズしてくる。

 僕はミカちゃんをおちんちんに擦りつけた。おちんちんを抱くようなポーズを取らせて、その上を何度も擦った。

 自分がひどく悪いことをしているような気がした。お人形さん相手にこんなことしてるヤツなんてきっと僕だけだと思ったら嫌な気持ちになった。

 でも、それがすごく気持ちいい。

 僕はミカちゃんを愛している。そしてミカちゃんも僕を愛している。そう妄想することで僕は自分の行為を許していた。これは愛し合う2人の自然な行為だ。間違ってない。本気でそう思っていた。

 激しい興奮に突き動かされ、おちんちんがビクビクってなるまで僕は何度もミカちゃんを擦る。やりすぎると痛くなる。でも僕はミカちゃんを愛している。

 毎晩毎晩、僕と彼女は逢瀬を重ねた。

 

 ある日、母さんは僕に黙って人形を捨てた。男の子がいつまでもお人形を抱いて寝てちゃみっともないと言って。

 僕にとって、ミカちゃんはただの玩具じゃなかった。秘密の恋人だった。僕は母さんに怒鳴り散らして、何日も泣き続けた。しばらくはごはんも喉を通らないくらいにふさぎ込んだ。ロミオとジュリエットみたいに運命を呪った。

 でもそれは小さい頃になら誰にでもある経験の一つだ。お気に入りのおもちゃとは、いつか突然の別れが訪れるか、あるいは勝手にあきて勝手に忘れてしまうのが常だ。

 あれから何年も経ち、僕も普通に人間の女の子に恋をするようになり、キスやセックスも体験した。

 幼い頃は女の子みたいだと言われた僕の顔も、思春期を過ぎたあたりからは異性に好まれる顔になっていた。近づいてくる女の子といろんな恋愛をしてみたり、ときには恋愛の絡まないカジュアルなセックスも楽しみ、それなりの青春を送って育っていった。

 

 でも、あんな興奮を体験したことは、あれ以来一度もない。

 

 好きになった子とセックスをしても、心の底からの興奮は感じない。体中の血が熱くなるような、禁断の扉をこじ開けていくような、あの異常な高揚感が僕には忘れられない。

 通販でラブドールを買って抱いたこともある。あのときと同じ人形を買って、同じ行為を試したこともある。

 でも、生身の女性の温かさを知った今となっては、そんな行為も虚しさを感じさせるだけだった。

 今の僕が求めているのは、普通の人形でも、普通の女性でもない。人間的な温もりがあって、それでいて僕に完全に支配される人形と本気の恋愛をしたいんだ。

 その矛盾する欲求を同時に満たすものなんてあるはずない。あるはずもないものを性欲として求める僕は変態なんだ。

 

 ……本物の女性に人形になってもらえばいいんだ。

 

 そんな妄想をしているときが一番興奮した。

 でも現実にはありえない。想像の世界でしかないことはわかってる。なんて、社会人となった今は妄想にも冷めたツッコミが勝手に割り込んでくる。

 僕も普通に大人になった。性に目覚めたばかりの頃、初めてあのお人形さんを抱いたときほどの熱い興奮は、もう二度と味わえないのだろう。

 そう思って、あきらめていたんだ。

 

 ――あのときまでは。

 

 

・5月16日(金)

 

 

 今日も先輩の家に呼ばれた。

 家といってもマンションの隣の部屋だし、あまり気兼ねはしていない。僕の勤めている会社が社宅としてこのマンションの2部屋を借りていて、それを利用しているのは独身の僕と、隣に住んでる先輩夫婦の関川さんだけだった。

 関川先輩は面倒見のいい人で、僕が入社して以来、こうしてよく夕飯に呼んでもらっている。人付き合いのあまり上手じゃない僕にも、先輩はさりげなく気遣いをしてくれる。

 僕は仕事もできて親切な先輩のことを尊敬していたし、こうして家に呼んでくれることがとてもありがたかった。

 そして、僕の楽しみはもう1つある。

 

 先輩の奥さん――佳織さんだ。

 

 佳織さんは、僕より2つ年上の24才。先輩から見ると8つ年下で、実家がお隣さん同士の結婚だったらしい。

 スタイルが良くて、肌が白くて、黒髪をさらさらさせてモデルのような美人だった。

 でも性格はおっとりしていて、少し天然っぽくて、笑ったら幼く見えて可愛いんだ。

 その眩しい笑顔が僕は好きだった。

 僕なんかはまだ結婚なんて考えたことないし、今はそんな相手もいないけど、佳織さんみたいな人と巡り会えたら、きっと何を投げ出してもプロポーズしまうだろう。

 佳織さんは僕の知るかぎり最高の女性だ。僕の理想のお嫁さんだ。

 だけどもちろん、そんなことは佳織さん本人にも、先輩にだって言えないけど。

 

「貴司くん、おかわりいる?」

「あ、は、はい、いただきます」

 

 僕は佳織さんの手に空になった茶碗を渡す。少しだけ指が触れてドキドキする。

 

「どうだ、貴司? 佳織の料理はうまいだろ?」

「はい、おいしいです」

「またー。そうやって無理に言わせなくていいんだってば」

 

 無理になんて言ってないのに、佳織さんは恥ずかしそうに先輩の肩を叩く。そんな仕草も可愛いと思う。

 

「貴司くんも、この人に合わせなくてもいいんだからね?」

 

 佳織さんがテーブルの上に身を乗り出すと、腕に乗った大きな胸が白いニットの下で形を変える。僕は思わず視線をそこに向けてしまい、とっさに逸らす。

 

「い、いえ、ホントに美味しいですよ、これ。いくらでも食べられます、はい」

 

 僕はたぶん顔が真っ赤になってただろう。でも佳織さんは、そんな僕の内心の狼狽に気づかず「貴司くんに褒められたー」と無邪気に笑う。先輩が「無理してコイツに合わせなくていいからな」と言って、また佳織さんに叩かれる。

 独身男の前でイチャイチャしちゃって。

 ……羨ましい。

 

「それで佳織。今度の出張、やっぱり長くなりそうなんだ」

「そっか……うん、わかった」

 

 ある程度お酒が進んだ頃、先輩が来週から行く出張の話を始めた。

 佳織さんは寂しそうに頷く。今度の先輩の出張は、おそらくひと月くらいはかかるだろう。

 僕たちは技術系の会社に勤めていて、発電所関係の下請けもしている。あちこちの定期的な点検や、あまり大きな声では言えないトラブルの対処なども引き受けてるので、一ヶ月単位での出張なんかもたまにある。しかも家族に出張先も言えなかったり、外部との連絡や接触を禁止されることもある。小さな声でも言えないトラブルだったりすると。

 先輩は依頼先からも信頼の厚い技術者なので、そういった対応に回されることが多い。ちなみに僕も先輩と同じ係なんだけど、まだ部署の中では新人で、書類仕事ばかりやらされている。

 

「なるべく早くケリつけて帰れるようにするよ」

「うん……」

「何かあっても隣は貴司だし、心配ないよ。な、貴司?」

「え、あ、はい」

 

 いきなり先輩に話題をふられて、声が裏返ってしまった。佳織さんが寂しそうにしている。僕はできるかぎりの頼もしさを笑顔に浮かべて、佳織さんに頷いてみせる。

 

「だ、大丈夫ですよ。いつでも頼りにしてください!」

「……ぷふっ」

「ハハハッ」

 

 なぜか2人は大笑いしてる。僕には何が面白いのかわからないけど。

 

「ほっぺにゴハン粒つけてる人に言われてもねー」

「え、あ、あぁ!?」

「子供かよ、おまえ」

「あははっ」

 

 佳織さんが楽しそうに笑ってる。

 恥かいたけど、それだけでなんとなく嬉しくなる。

 彼女の笑顔を見るだけで暖かい気持ちになる。こんなこと考えちゃいけないってわかってるけど、もしも佳織さんが僕を頼りにしてくれたら、きっともっと嬉しいに違いない。

 でも、いくらポンワリしてる佳織さんでも、僕に頼らなきゃならない事態なんて、そうそう起きっこないだろう。

 お隣とはいえ、会社勤めと専業主婦ではなかなか顔を合わせる機会もない。この楽しい晩餐も、この佳織さんの可愛い笑顔も、先輩が帰ってくるまでおあずけかと思うと寂しくなる。

 

 

・5月22日(木)

 

 

『ごはん作りすぎちゃった泣』

 

 しかし先輩が長期出張に発ったその日、さっそく佳織さんはやってくれた。

 帰宅途中に受け取ったこのメールに、僕はなんと返せばいいのだろうか?

 

『えーと、明日の朝ごはんにするとか?』

『カルボナーラだよー。そろそろ帰ってくると思って2人分作っちゃった。のびるー。ソースが固まっていくー』

『それじゃ僕が半分いただいてもよろしいですか?』

『お願いします。もう帰りなのかな? タッパに詰めとくね』

『はい。今帰る途中なのでこのまま寄ります。材料費も折半しましょう。いくらですか?』

『そんなのいいよ!無駄になっちゃうだけだもん。どーぞもらってくださいませ』

『ありがとうございます』

 

 僕は自然と駆け足になっていた。

 佳織さんに会える口実が向こうからやってきた。すっごい嬉しい。

 

「あ、おかえりなさーい」

 

 玄関チャイムを押すとき僕はすごく緊張した。そして今、佳織に「おかえりなさい」を言われて、たぶん僕の顔から火が出てると思う。まるで夫婦みたいじゃないか。僕は勝手に意識して照れまくる。

 佳織さんは、いつもと同じ笑顔だった。

 

「ごめんねー。ひょっとして、晩ごはん用意してたんじゃないの? ホントによかったの?」

 

 パタパタと台所に向かう佳織さんに、僕は笑って「まさか」と答えた。

 

「もう少しメールが遅かったら、いつものコンビニでお弁当でしたよ。かえって助かったくらいです」

 

 佳織さんは「そうなの?」と驚いた顔をした。

 

「いつもコンビニのお弁当なの?」

「ええ、まあ。はい」

 

 そんなに驚くことかな?

 僕に限らず、独身男の晩ご飯の多くは出来合いの弁当か、外食だと思うけど。

 ちなみに僕の場合、1人の外食も落ち着かないから、毎日ほとんど家弁だ。 

 佳織さんはパスタと、あとちょっとしたサラダを付けてくれた。すごく嬉しい。佳織さんは、にっこり笑顔で「おやすみなさい」と言ってくれた。

 今日は思いがけず、佳織さんの笑顔と手料理をゲットしてしまった。

 ラッキーだ。

 

 

・5月23日(金)

 

 

『晩ごはん作りすぎた!笑』

 

 なぜに笑?

 しかも昨日の今日でまた同じ間違いしちゃうなんて、失礼だけど佳織さんらしい。

 ニマニマしてしまう顔を同僚に見られないように、僕は隠れて返信を打った。

 

『もうすぐ会社出ます。今日も分けて貰っていいですか?』

『どぞ。お待ちしてます』

 

 やったぜ。今日も佳織さんに会える。美味しいおかずが食べられる。昨日からの幸運続きに僕はガッツポーズした。

 そして、わくわくしながらチャイムを押す僕を迎えてくれたのは、佳織さんの笑顔と、可愛いハンカチに包まれたお弁当だった。

 

「いらっしゃーい」

「えっ……と、あれ、これ晩ごはんですか?」

「うん」

「でも、これって、あの、お弁当?」

 

 昨日のタッパの詰め合わせなんかじゃなく、きちんとしたお弁当箱に入っている。

 意味がわからない僕に、佳織さんは、ニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「コンビニ弁当よりも、私のが美味しいと思うよ~」

「えっ、あ、あの?」

「なんて、ホントは昨日のお礼。あははっ。助けてくれてありがと。お仕事おつかれさまでした!」

 

 それから何て言って別れたかよく覚えてない。それくらい僕はボーッとしていた。

 佳織さんのお弁当。佳織さんが僕のために作ってくれたお弁当。

 もちろん美味しかった。何よりまだ温かかった。

 

 僕はすっかり舞い上がってる。

 ベッドの中で目をつぶっても、佳織さんの笑顔ばかりが思い浮かぶ。

 彼女のことを考えて、眠れない。

 

 

・5月24日(土) 

 

 

 今日は土曜日で仕事も休み。そして僕に出掛ける用事もない。

 簡単に家事を済ませて、佳織さんのお弁当箱とタッパをきれいに洗い、お弁当を包んでいたハンカチも洗濯して丁寧にアイロンをかけた。あとは返しに行くだけだ。

 それだけなのに、なぜか緊張してしまう。隣の家に行くだけなのにわざわざ着替えたりして、何を期待してるんだろう、僕は。

 ドキドキしながら、僕は隣のチャイムを鳴らした。

 

「はーい。あ、貴司くんか」

「朝早くにすみません。あの、タッパとお弁当箱をお返しに……」

「あ、なんだ。わざわざ洗ってくれなくてもよかったのに」

 

 ラフなジーンズ姿の佳織さんも、きれいだと思った。本人を前にして緊張が加速する。

 そして意外とそっけない佳織さんに、勝手にがっかりしちゃってる。

 

「なんか貴司くん、今日はオシャレだね。どこか出かけるの?」

「え、あ、いや」

 

 僕の格好を見て、佳織さんは首を傾げる。確かに同じマンションの隣に行くだけなのにジャケット着てくるヤツはいない。

 隣の部屋に可愛い奥さんでもいない限り。

 

「わかった、デートなんでしょ? いーなぁ。デートいいなー」

「えぇっ、いや、違います! そんなんじゃないですって!」

「またまたー。照れなくてもいいのにー」

「い、あ、ち、違いますから、ホント違いますって!」

「はぁ~あ、若いっていいよねー。輝いてるよねー」

「佳織さんだって、僕と2つしか違わないじゃないですか。と、とにかくそんなんじゃありませんから! 失礼します!」

「あ、うん。がんばってね!」

 

 完全に誤解されてしまった。

 でもまさかお隣の佳織さんと会うためにフル装備でした、なんて言えるはずがない。

 用もないのに、街に出かけて2時間ほどつぶしてから、僕はすごすごと部屋に帰ってきた。

 みじめだ。完全に敗北。

 いや、そもそも勝負なんてしてないけど。そんな度胸もないけど。

 せめて、もう少し佳織さんとおしゃべりしたかった。見つめていたかった。

 

 これはもう恋だろ。

 佳織さんに完全にやられてるだろ、僕。

 

 でも、僕は先輩のことを尊敬している。先輩と一緒にいるときの幸せそうな佳織さんが好きだ。あの2人が好きなんだ。

 報われないこんな気持ちを、いつまでも抱えていたってしょうがない。あきらめなくちゃいけない。

 

「佳織さん……」

 

 壁に向かって、僕は彼女の名を呟いた。この向こうにいる佳織さんは、今、僕がこんな気持ちを向けてるなんて思いもしないだろう。

 僕は孤独だ。彼女のそばにいると幸せで苦痛だ。この満たされない気持ちを、僕はいつまで引きずり続けるのだろうか。

 

 あー、ダメだ。気分を変えなきゃ。

 

 PCの電源を入れてネットに繋いだ。モニターの向こうの世界にこもって、しばし現実を忘れて楽しむことにする。

 僕は昔から、1つことにのめり込んだら、トコトンまでイってしまうタイプだ。一度スイッチが入ると突っ走ってしまう。

 何しろお人形にも恋しちゃうくらいだからタチが悪い。ちょっと鬱な今の気分を無理にでも切り替えてやらないと、どんどん沈んでいく方向になりそうだ。

 どこかに楽しいサイトでもないかな? 僕は適当にリンクを辿っていく。

 でも、モヤモヤしながらネットしていたせいか、気がつくとアダルトサイトに到達していた。昼間っからみっともないと思いながら、どうせなら自堕落的な休日もいいかと、僕はスウェットの中に右手を突っ込んで、アダルトサイトを転々とする。

 そして、そこで目にした、ある文章に心を惹かれた。

 ある不思議な能力を手にした男が、女の子を操って犯すという、妄想だらけのショートストーリーだった。

 でも僕はそのシチュエーションに閃くものがあって、そこのリンクからいろんなサイトを巡った。探しながら僕はドキドキし始めていた。

 必ずある。

 ただの予感だけど、僕がずっと探していた答えがどこかにあるような気がしていた。僕が長年苦しんできた、自分の歪んだ欲望を叶えてくれる鍵が、どこかに眠っているという直感。

 手が汗ばんでいく。

 喉が渇く。

 僕は夢中になってマウスを操っていた。

 

 やがて、僕はとあるサイトに辿り着いた。

 直感が確信となる。抹茶色の背景にくっきりと浮かび上がる。醜く歪んだ欲望が、文章となり、物語となり、コンテンツとして整然と並んでいる。

 まさに、僕の内面を陳列するかのように。

 

 “E=mC^2” 

 

 誰もが知る有名な式の中に秘められた“MC”の2文字が心に突き刺さる。

 ここは、そういった者たちが集まる場所だった。

 

 

・5月25日(日) 

 

 

 僕は昨日から夢中になってその膨大なMC小説を読み漁っていた。

 そこは催眠術やマインドコントロールを主題にした官能小説専門の投稿サイトだ。いろんな作品とシチュエーションと出会った。どれも僕の願望を叶えてくれるものだった。

 頭がクラクラする。脳内麻薬が洪水のように溢れている。日付は変わっていることにも気づかなかったぐらいだ。

 強烈なサイトだった。

 ここの人たち、全員変態だった。

 他人の心を歩き回れる能力に目覚めた少年が同級生の恋人を寝取るとか、発情動画が日本中に蔓延して女の人が犯されまくるとか、MCで仕留めたイノシシの肉を炙って食べるとか、どんだけ変態的な性癖の持ち主なんだ。頭がおかしい。

 でも僕が心を惹かれたのは、そんなのよりもっとリアルな催眠術を駆使して女性を手に入れていく物語だ。

 僕が求めていたのは、まさにこれだ。じっくりと心を弄られ、男の手でいいように操られ、染まっていく女性たち。そこに至るまでの過程が特にいい。たまらない。

 

 僕はさらに『E=mC^2』からリンクを辿り、催眠術のサイトを巡った。理論から実践まで、いろんな催眠術の情報がネットにはあった。

 僕の体はガタガタ震えていた。新しい知識や妄想が頭を巡ってパンクしそうだった。でも、完全にスイッチの入った僕は次々に催眠術のノウハウを頭に叩き込んでいく。臨床心理学の論文から胡散臭いショー催眠まで、様々な技術や理論を吸収していった。

 悪用誤用を避けるためか故意に省略されたり隠されている過程だって、他のサイトから解答は見つかっていく。パズルのようにネットに散りばめられている情報から、僕は“催眠術”を自分なりに構築していった。

 どうして僕はこんな簡単なことにも気づかなかったんだろう。

 今まで行き場のなかった、女性を人形にして愛でたいという長年の妄想が、“催眠術”というツールで現実味を帯びてくる。

 でも、これだって僕の妄想でフィクションだ。本物の催眠術なんて、無学で平凡な人間にできっこない。わかってる。いつものありえない妄想に具体的なギミックが登場したってだけだ。

 なのに今日の僕は異常だった。

 一度も食事も睡眠もとらず、ただモニターに張り付いていた。頭の中をアドレナリンと一緒に駆け巡る危険で変態的な妄想の虜になっていた。

 

 ――あの人に、催眠術をかける妄想ばかりしていたんだ。

 

<続く>

6件のコメント

  1. 人妻人形日記!?

    突然懐かしいものが出てきてびっくりなのでぅ。
    でも抹茶で人妻人形日記って再掲かな? とか一瞬考えたのでぅが、そういえば人妻人形日記は掲示板の習作スレの投稿であって本体には登録されてなかったのを思い出しましたでよ。
    その後、ノクターンで完成版を投稿されてるのでそっちも読んだんでぅけどねw
    というわけで保存してあるノクターンのやつと比較しながら読んでますでよ。だってnakamiさんは隙あらば加筆修正するしw

    多少の修正(主人公の名前とか)はあるけど大筋は変わってないでぅね、ここから加筆があるのか楽しみでぅ。
    であ、続きも読んでこー

    1. >みゃふさん
      どうもどうもー。
      実質、再掲なんですよね…旧掲示板に書き残してきたものいっぱいあるので、ちゃんとサルベージしておけばよかった。
      加筆は最後の部分を少しがんばっただけで、そこまで大きな変更はないです。むしろ誤字修正とかばっかりなので気にしないでいただけると。
      ノクターンにあるやつもじつは結構前に名前を修正してます。
      名前を考えるのっていつも面倒で、適当に自分の名前の1字を使ったんですが、後になって読み返すと気になって気になってキツくなり…。
      ちゃんとキャラの名前は考えて書こうな!

  2. >加筆は最後の部分を少しがんばった

    めちゃくちゃ好きなお話なので、加筆部分に期待大です!

    1. >らんぱくさん
      ありがとうございます!
      よろしくお付き合いくださいませ!

感想を書く

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。