人妻人形日記 一週目②

・5月30日(金)

 

 

「ん……はぁ……」

 

 もう3日目になるマッサージを、佳織さんはリラックスして受け入れてくれる。僕の指や手のひらに合わせて、佳織さんの筋肉や関節が皮膚の下で動くのを実感できる、至福の時だ。

 

「ぁ……そこ気持ちいい……んん……」

 

 佳織さんの声が妙に艶めかしいのもリラックスしているせいだ。誘惑してるわけじゃない。この人は天然さんだから、自分の声がかなりエロいことになってるのも気づいていないだけなんだ。

 そう自分に言い聞かせ、接地導体を用いたATC軌道回路における誘導妨害電圧の低減法を考察することで僕はマッサージに意識を集中させている。

 

「そ、それじゃ、今日はもっと本格的にやりますね。あの、ここだと椅子が固いんで、ソファの方でいいですか?」

「ん、うん」

 

 キッチンからリビングに移動する。昨日までのマッサージとは雰囲気が変わって、少し緊張する。

 でも僕は、どうしても試してみたいと思っていた。

 ダメでもいいんだ。もしも佳織さんに僕のやろうとしていることがバレても……今の僕なら誤魔化せる。

 自信はなくても、もう我慢できない。いつまでも付きまとうこの夢想にケリをつけるには、試してみるしかないんだ。

 

「ふふ、なんか緊張するね」

「えっ、そ、そうですか?」

「だって昨日も、貴司くんの言うとおりにしてたら、スウッて意識が軽くなったと思って、貴司くんに終わりって言われるまで気づかないっていうか……眠ってる感じだったもん。ホントに催眠術みたいだったよ」

 

 ……ゾクゾクした。

 昨日、やはり佳織さんは催眠の入り口までイってたんだ。僕はそこまで出来ていたんだ。

 興奮が背筋を伝う。暴走のスイッチが、さらに一段入る。

 

「ははっ、そういう心配はしなくてもいいですよ。確かに僕のマッサージって、いろいろと注文うるさいですけど」

「あはは」

「でも催眠術とかって、こんなものじゃないですよ。テレビでやってるような催眠術なんてただのショーだし、本物の催眠術だって、心理療法とかの専門家のもとできちんとした訓練しないと、素人じゃ絶対無理なんです」

「へー、そんなに難しいの」

「みたいですね。しかも実際にはそう簡単には催眠状態まで行かないから、長い期間かけて面接して、薬飲ませたり機械を使ったりしないと、たとえ専門家でも難しいらしいですよ」

「ふーん」

「簡単にできるもんだったら、とっくに警察や病院でも使われてますよ。便利すぎますからね。ははっ」

「あ、そうだよね」

「僕のはただのマッサージですから。でも筋肉って体の奥まであるから、外から揉むだけじゃなくて、自分から動いてもらって血行の流れ良くしないと効果低いんです。つまり、僕が下手くそだから佳織さんの協力も必要なんです」

「あはは、またまたー」

「眠くなっちゃうのも、マッサージの効果の1つなんですよ。心も筋肉と同じで、緊張と弛緩を繰り返してます。佳織さんが眠くなったのは、体の筋肉がほぐれるのと一緒に、心もリラックスしてストレスを吐き出したからですね。心が楽になったから、このまま眠りたいって思っちゃうんですよ」

「へー……なんかすごいな、貴司くん。言ってることがプロっぽいよ」

「ははっ、そうですか?」

 

 こんなにスラスラと嘘をつける自分に感心する。

 催眠術の勉強してたつもりだったのに、これじゃサギ師やペテン師のテクニックを身につけてしまったみたいだ。

 

「それじゃ、マッサージの続きしますね。少しずつ楽になってくと思うんで、そのときは寝てもいいですよ。終わったら起こしますから」

「はーい」

 

 肩をゆっくりと揉んでいく。手のひらを使って撫でるように。

 

「結構ほぐれてきましたね」

「うん、すごい調子いいよ、昨日から」

「あ、でもここは少しこってるかな?」

「んっ」

 

 少し強めに肩を押す。佳織さんは辛そうに顔をしかめるけど、力は緩めない。

 

「佳織さん、僕の動きに合わせて肩にグッと力を入れて下さい……うん、そんな感じで」

 

 僕の指に合わせて、佳織さんの肩に力が動く。一定のリズムでそれを繰り返す。

 

「それじゃ、肩を上げて……下げて……もう一度……はい、いいです。次は背中を撫でますね」

「ん……」

 

 上から下へ撫で下ろすのを繰り返す。僕のマッサージが優しい動きになって、佳織さんが気持ちよさそうに目を閉じる。

 僕はそのまま佳織さんの腰のすぐ上あたりを押す。柔らかな手応えを楽しみながら、温めるように手のひら全体で撫でる。

 

「こうしたら、背中からお腹の方が温かくなってきません? 意識をできるだけそこに集中させてください」

「ん……」

 

 しばらくそれを続けてから、僕は佳織さんの体を後ろに倒して背もたれに寄りかからせる。そして佳織さんの手をお腹の上に置かせる。

 

「ここが温かいですね? そのまま両手で抱えててください」

 

 深く腰掛ける体勢で、佳織さんの頭を上向かせ、軽く手を擦り合わせて佳織さんの額に乗せる。

 

「僕の手の温度を感じますよね? お腹の温かさと同じでしょ? 額からお腹へ、この温かさが降りていくのをイメージしてください。スウッと降りて、お腹に溜っていきます。首の血行が降りていきます。どんどん降りていきます。首の力を抜いて、降りやすいようにしましょう。肩の力も抜いて、ゆっくり呼吸して。どんどん楽になっていきますよ……」

 

 佳織さんの体から素直に力が抜けていく。ここ数日こうしてマッサージを続けてきたから、彼女は僕の指示を信頼してくれている。反応はすごくいい。

 

「もっと肩の力を抜いて……大丈夫、僕が支えていますから楽にして。首と肩から力を抜いて、全部お腹に降ろしましょう。お腹が温まるのを意識して……」

 

 佳織さんのお腹の上で手を重ねる。柔らかい手。大胆な行動なのに、僕は落ち着いている。自分のやってる手順が、間違ってないと確信している。

 

「それでは両手を離して、ゆっくり広げて……ほら、スウッとお腹から何か抜けていく。これが佳織さんの心のコリです。佳織さんはこれで楽になりました。心を締め付けていた重いモノや固いモノが出て行って、心が軽く柔らかくなりました。気持ちいいですね……」

 

 佳織さんの唇に、うっすらと笑みが浮かんだ。

 笑われてるのかな?

 いや、大丈夫。リラックスして自然に微笑んだだけに違いない。大丈夫だ。上手くいっている。信じろ。

 

「ゆっくり呼吸してください。そして、体が楽になっていくのを感じてください。息を吐くのに合わせて、佳織さんの体は深く沈んでいく…吸って……次は軽くなって浮いていきます……吐いて……沈んでいきます……はい、それを繰り返します」

「はぁ……」

 

 長いため息と一緒に佳織さんの肩が沈む。僕は佳織さんの髪を撫でながら、耳元に囁きかける。

 

「佳織さん。僕の声が聞こえてますか?」

「……うん……」

「心を楽にして、僕の声を聞いて下さい。あなたの体は僕が支えている。だから安心してください。佳織さん……今、あなたは自由になりました。もう何もあなたの心を縛るものはない。リラックスして……自由を楽しんで……」

 

 佳織さんは静かな息を立てている。ひょっとしたら眠ってしまったかもしれない。

 僕は彼女の髪を撫でていた指を離して、耳元で声をかける。

 

「僕の声が聞こえますか? 聞こえたら返事をしてください」

「……はい」

 

 その声。

 いつもの明るい佳織さんの声とは違う、ぼんやりとした、表情のない声。

 まさかとは思う。でも、佳織さんは今、本当に催眠術かかってるんじゃないだろうか。

 心臓の音が激しく僕の胸を揺らす。

 

「あなたの名前は……?」

「……かおり……」

 

 ゾクゾクきた。

 心が抜け落ちたみたいに虚ろで頼りない声。意志の強さを全く感じさせない呟き。

 これが催眠声。佳織さんの操られ声。

 たまらない。こんなに興奮する声、初めて聞く。

 

「佳織さん。あなたの心は今、とても身軽になって羽ばたいています……遠い空……知らない土地の上を飛んでいます」

「はい……」

「あなたは自由で、とても楽しい。今いる場所のことなど忘れてしまった方がいい」

「はい……」

「遠く……遠く……どこまでも自由に飛んでいく……」

 

 佳織さんの呼吸はゆっくりとして落ち着いている。

 うっすらと微笑みを浮かべているように見える。

 彼女の心は、羽ばたいているんだろうか。

 どこか知らない土地まで、飛んでいるのだろうか。

 

「佳織さん…あなたは今、どこにいますか? 僕にその場所を教えて下さい」

「ここ……ここは……」

 

 佳織さんが困ったように顔をしかめる。

 僕は喉を鳴らす。

 本当に催眠術は成功しているのか否か。

 僕の人生で、こんなに緊張した瞬間はない――。

 

「……わかりません……」

 

 興奮が突き上げてくる。叫びたい気持ちがあふれそうになるのを、こぶしをきつく握りしめる。

 僕はさっき彼女にここがどこか忘れるように言った。そして、彼女はここがどこかわからなくなった。

 佳織さんは催眠術にかかっている。

 この僕の催眠術に!

 

「佳織さん……あなたは今、僕の声しか聞こえない。とても静かで落ち着いた気持ちです。何も考える必要もないし、悩みもない。それはとても幸せなことです……そうですね?」

「……はい……」

「楽しかったことを思い出してください……家族に囲まれて幸せだった幼い頃……仲の良い友だちと遊んだこと……祝福されて結婚したこと……」

 

 佳織さんに幸せそうな笑顔が浮かぶ。先輩との結婚式を思い出してるのかって胸が痛くなる。

 でも、その想い出も全部、今は僕のために使わせてもらう。ごめんなさい、先輩。

 

「気持ちいいですね、佳織さん? あなたは今、幸せですね?」

「はい……幸せ……」

「それは僕のマッサージを受けたからです。僕を部屋に招いて、一緒の時間を過ごして、そして僕に体を触れられると、その幸せな気持ちでいっぱいになります。僕の手が触れたところは、気持ちよさでいっぱいになります。これであなたはいつでも幸せになれる。嬉しいですか?」

「うん……」

 

 キスしたくなるくらい可愛い笑顔だ。

 でも我慢しろ。今は……我慢しろ。

 

「佳織さん。でも、マッサージには揉み返しがあります。僕がいなくなったらあなたは寂しい。1人になってしまうから、また心にコリができてしまう。それは仕方のないことです」

 

 佳織さんが困ったように眉根を寄せる。僕はそっと後ろから佳織さんの肩に手を伸ばす。

 

「でも僕が佳織さんに触れると……今、肩に手を触れますよ。すると、ほら、マッサージの気持ちよさを思い出します。幸福で気持ちいいです。これがマッサージの効果です。僕にしかできません。僕に会えばあなたはいつでも幸せになれるのです」

 

 ホッとしたように佳織さんが微笑む。僕はその肩や首、髪や耳をくすぐるように撫でる。

 

「ほら、ね、気持ちいい。それじゃマッサージを終わりますよ……深く体を沈めて、力を抜いて……心を空っぽにして、全部忘れて……そう、あなたは僕に言われた言葉を忘れてしまいます。でも、幸せになれた気持ちは、大事にして覚えておきましょう。あなたはどうやったら幸せで気持ちよくなれるのか。どうやったら普段の寂しい気持ちを忘れられるのか。その答えは心の奥深く、あなたの意識のずっと底に沈めておきましょう……さあ、僕のマッサージが終わります。僕が肩をポンポンポンと3回叩いたら目が覚めます。あなたの体はすごく楽になってる。さあ、叩きますよ」

 

 3回、佳織さんの肩を叩いた。

 

「佳織さん、終わりましたよ」

「あ……」

 

 ぼうっとした顔で、僕の顔を見上げる佳織さん。どきりとするほど色っぽい。

 

「ん~、スッキリしたー!」

 

 佳織さんは、頭の上で手を組んで、グンと伸びをする。

 僕はずっとドキドキして、落ち着かなかった。

 

 

・5月31日(土)

 

 

 今日は土曜日。本当なら休日だけど、昼間少し職場に出て仕事した。でも全然捗らなくて、適当に片付けてすぐに帰ってずっと家にいた。

 そして佳織さんのことを考えてる。

 昨夜はあれからすぐに帰った。佳織さんはもう少しのんびりしていけと言ってくれたが、あれ以上は無理だった。

 興奮して眠れなかった。僕の催眠術に佳織さんがかかったんだ。

 あの弛緩した体。虚ろな声。

 何度も思い出しては身悶えて、気がつけばもう朝だ。そして昼を過ぎて夕方近くまで何もせず過ごしていた。

 佳織さんにはメールしていない。メールして、会いに行く口実を探したい欲求を僕は必死で堪えている。

 

 昨日、僕は佳織さんに寂しい気持ちを植え付けた。

 そしてそれから解放されるためには、僕に会うしかないと心の奥底に言い聞かせた。

 

 もしもそれが成功しているなら、佳織さんも今、1人で寂しさと戦ってることになる。

 だったら僕から誘っちゃダメだ。彼女の寂しさが行動に結びつくまで待った方がいい。そうじゃないと本当に催眠が効いたのかどうか確かめられない。

 でも、もしも本当に彼女から誘われたなら……僕は取り返しのつかないことをしたことになる。

 先輩の奥さんに、人妻に催眠術をかけて、僕に会いたくなるように仕向けたんだ。

 それはとても許されることじゃない。絶対に許されないことだ。

 

 そして……メールは来た。

 

 震える手で携帯を開く。送信者は佳織さん。タイトルは無題。

 

『お弁当もう買った?』

 

 いつも饒舌なメールを送ってくる佳織さんから来た、たった1行のメール。

 深読みしてしまう。

 手が汗に濡れて、返信がうまく打てない。僕はものすごく緊張している。

 

『いえ、まだです』

 

 佳織さんからの返信は、15分後だった。

 

『食べに来ない?』

 

 心の中で「いただきます」と手を合わせて、僕は出かける用意をした。

 

「ん……あ……ぁ……」

 

 もはや恒例になった食後のマッサージに、佳織さんはいつもよりも艶めかしく気持ちよさそうな声を出す。

 最初は普通に筋肉を揉んでいたけど、佳織さんの吐息に誘われるように、僕の手はいつのまにか体を撫で回すようないやらしい動きになっていた。

 もうとてもマッサージなんて呼べるような触り方じゃないのに、佳織さんは嬉しそうにそれを受け入れている。僕の股間はすでに熱くてやばい状態だ。

 

「んっ……ふぅ……んん……あん……」

 

 背中も脇腹も僕の手が触れる場所をくすぐったそうに佳織さんは身をよじる。僕は大胆に肩に触れ、首筋を撫で、その感触を手のひらに焼き付ける。

 

「佳織さん……首を楽にして、体を沈めて」

 

 トロンとした目をゆっくりと閉じて、佳織さんが僕の手の中で弛緩する。

 

「もっと楽に……心をからっぽにして。僕の声しか聞こえなくなります……今、佳織さんは僕の声だけで繋がっています。心は広く暖かい場所で休んでいます……」

「はぁ……ぁ……はぁ……」

 

 柔らかい。そして、少し汗ばんでいるのか、しっとりとした体。

 感じているのか。僕のマッサージが、昨日よりもずっと気持ちいいのか。

 僕の手はいやらしさを増して彼女の体を撫で回す。マッサージというよりは愛撫に近い触れ方になりつつある。そして、彼女自身はそのことに疑問すら感じている様子はない。

 

 彼女はトロトロと、僕のマッサージで催眠状態に堕ちていく。

 

 このまま抱きしめたい衝動と戦いながら、ソファに深く沈んでいく佳織さんの頭を撫でながら、僕は繰り返す。

 

「もっと楽にして……もっと気持ちよくなります……僕の声に任せて……もっと楽に……」

 

 佳織さんの呼吸は寝息のように聞こえる。僕は慎重に唾を飲み込み、佳織さんの耳元に顔を寄せる。

 

「佳織さん、聞こえますか? 聞こえたら返事してください」

「……はい……」

 

 この声。

 弛緩した体の奥。心の底から漏れるような吐息と一緒に、頼りなげに発する声に僕はゾクゾクする。

 催眠声だ。佳織さんの、無防備な心の音だ。

 

「……佳織さんは今、心をからっぽにした状態です。とても自由です。僕の質問には何でも答えます。あなたの心は僕の声に繋がってますから、何でも隠す必要はありません。安心して答えてください」

「はい……」

 

 しびれる。なんて魅力的な声。

 本当に催眠術にかかってるなら、この声で、彼女はどんな質問でも答えてくれるはずだ。

 

「佳織さん……あなたの誕生日は?」

「9月11日です……」

「血液型は?」

「O型です……」

 

 いい。すごくいい。この掠れるような囁き。ゾクゾクしてくる。

 落ち着けと何度も自分に言い聞かせるが、どうにも収まりそうもない。

 もっと聞きたい。佳織さんのいろんなことを、この声で。

 

「佳織さん……あなたは今日、どんな休日でした? 楽しかったですか?」

「昼間は……退屈でした。貴司くんが来てからは楽しかったです……」

「た、貴司くんに、会いたかったですか?」

「……はい……」

 

 僕の催眠が効いてたんだ。佳織さんは、ずっと僕に会いたかったんだ。

 ワクワクしてきた。もっと大胆なことを聞きたくなってきた。

 

「きょ、今日の下着の色は?」

「……ベージュです……」

「佳織さんは、処女ですか?」

「……違います……」

 

 何を聞いてるんだ僕は。

 佳織さんは人妻なんだから当たり前だろ。

 

「それじゃ……い、今までに経験した男性の数は?」

 

 僕は唾を飲み込んで、佳織さんの答えを待つ。

 

「……1人です」

 

 1人。

 たった1人。

 

 僕は狂おしいほどに先輩に嫉妬を感じた。

 そして同時に安心した。

 佳織さんには、そうであって欲しいと願っていた。僕の知らない誰かに抱かれる佳織さんは想像したくなかった。

 それでも、佳織さんを独占した先輩に対する嫉妬は胸に痛いほどで、自分を落ち着かせるのに、少しの時間を要した。

 リビングの中を、意味もなく行ったり来たりする。爪を噛む。呼吸を整え、なんとか気持ちを静める。

 でも黒々とした欲望は、まだお腹の底で渦巻いていた。

 もっといやらしい質問を彼女にぶつけたい。

 

「す、好きな体位は……?」

「…………」

 

 佳織さんが顔をしかめる。やりすぎたかも。催眠が解けるのかと僕はドキドキする。

 だけど、ずっと同じ顔をしている佳織さんに、ふと、思い至って質問を変える。

 

「旦那さんとエッチするときは、どんなポーズが好きですか?」

「……上から……抱っこされるの……」

 

 佳織さんは、体位という言葉でエッチを連想するほど性の知識はないみたいだ。中学生だって知ってる言葉だと思うけど。

 でもそういうところ、なんだか彼女らしい。しかも、上から抱っこって。正常位のことだろうか。いろいろ想像してしまう。

 

「し、週に何度くらい、旦那さんとエッチしますか……?」

「……2回……か……3回……」

 

 くやしい。

 うらやましい。

 僕ならきっと毎日でも抱いてしまう。

 一日中、佳織さんを抱いているに違いない。

 

「あなたのほうから、旦那さんをエッチに誘うことはありますか…?」

「……時々……」

「エッチは、好きですか?」

「きらいでは、ないです……」

「好きですか? きらいですか? どっちですか?」

「……好きです……」

 

 すごい。

 興奮する。

 佳織さんの心を覗いていくのはすごい快感だ。もっともっと佳織さんのことを知りたい。深く知りたい。何でも知りたい。

 僕は彼女の幼い頃を聞く。どんな遊びをしていたかも聞く。小学校の思い出。中学生の思い出。高校1年で先輩に告白したそうだ。初めてデートした場所は地元の隣の街。キスしたのはその年のクリスマス。でもエッチは高校を出てからだそうだ。痛くてすごい泣いたそうだ。

 佳織さんの好きな食べ物。嫌いなもの。学生時代の部活。友達の名前。先輩のどこが好きか。嫌いか。聞きたいことは山ほどあった。佳織さんは何でも答えてくれる。

 そして知れば知るほど興奮は高まる。佳織さんの赤裸々な過去を暴くのは、まるで彼女の心を裸にしていくようだった。日記やアルバムを覗き見るにも似た、倒錯的な喜びだ。

 信じられない。こんなことが本当に出来るなんて。E=mC^2の物語みたいだ。催眠術の凄さとヤバさが、僕をどうしようもなくスケベな人間にしていく。

 でも時計を見ればもう結構な時間が経っていた。これくらいにしておかないと、後で怪しまれる。

 僕は佳織さんの肩に手を乗せた。

 

「佳織さん……もうすぐマッサージは終わります。佳織さんは気持ちよく眠っていて、その間のことを忘れてしまう。僕との会話を覚えてません。でも、とても気持ちよくて、すっきりした気分です。だからあなたは、僕のマッサージが受けられないと寂しい。僕がいないと寂しい。でも、今は僕のマッサージが受けられて幸せです」

 

 そして、少し考えてこれからも彼女に会うための口実も作っておく。

 

「だから、出来れば毎日僕とご飯を食べたい。寂しいのはお互い様で僕は誘われると喜ぶから悪いことじゃない。それに先輩だって僕のことはよく知っているから毎日会っても怒ることはない。でも、わざわざ言うことでもない。聞かれても僕とご飯を一緒にしていることは黙っていましょう。これは隠し事じゃない。言う必要がないから、絶対に言わないというだけです。誰に対しても悪いことはしていないから安心してください」

 

 じっと僕の言葉に耳を傾けている佳織さん。

 その頬にキスがしたくなって、軽く口づけた。

 

「さあ、肩を3回叩いたら目を覚ましましょう」

 

 言葉通りに僕が肩を3回叩くと、佳織さんはスッキリと目覚めて、体が軽くなったと微笑む。

 少し上気した顔が色っぽい。いつも以上にマッサージが効いているようだ。

 

「そ、それじゃ僕はそろそろ帰ります」

「えー、もう?」

 

 昨日よりも暗示が強く効いているのか、佳織さんは本当に寂しそうな顔をする。

 

「でも、こんな時間ですし」

 

 時計はすでに9時を回っている。

 というより、ここにいては僕の興奮が収まりそうもない。早く帰って頭を冷やしたい。

 

「あ、そうだ。座って座って。お返しに貴司くんをマッサージしてあげるから」

「いや、そんなのいいですよ」

「なんでー? いいじゃない。いつもしてもらってるんだし」

 

 佳織さんに押し切られ、僕はソファに座らされる。佳織さんの細い指が僕の肩を優しく揉みほぐす。

 

「お客さん、こってますねー」

 

 確かに、ここ数日ずっと僕の肩に力は入りっぱなしだろう。もちろん仕事とは関係ないところで。

 まさかその張本人にマッサージしてもらうとは、変な話だ。

 

「んしょ……んしょ……もう少し強いほうがいい?」

「いえ、大丈夫です。気持ちいいです」

 

 佳織さんは機嫌良さそうに僕の肩をマッサージしてくれてる。催眠術でプライベートを覗いたこの僕に。夫婦の性生活を暴いた僕なんかに。

 今さらながら、チクチクと胸が痛んだ。

 でもそんな苦々しい僕の気持ちを、彼女が知るはずもない。

 いつもの温かい声が、僕の耳に優しくささやきかけられる。

 

「ね……明日は何食べたい?」

 

 僕の頭の中は、あなたのことでいっぱいだと言うのに。

 

 

・6月1日(日)

 

 

 日曜日の午後。

 僕たちは夕食の材料を一緒に買いに行くことになった。

 今日の夕食もご馳走になる約束をしたとき、僕はいいかげん材料費くらい負担するといって、固辞しようとする佳織さんを強引に説き伏せた。そして、何を買おうかっていう話のときに、いきおいで一緒にスーパーまで買いにいく約束まで取り付けたのだ。

 デートっていうほど大げさなものじゃない。でも、一緒に出かけるっていう行為に、確実に縮まっている2人の親密さを感じる。

 

「あ、貴司くん入れすぎだよ」

「肉好きだからいいんです。あ、鶏肉も買っちゃおう」

「だーかーらー。マーボー豆腐に手羽元は入りませんー」

 

 僕はさっきから好き勝手に適当な材料をカゴに放り込んでいる。どうせ払うのは僕だ。どんどん入れてやれ。

 

「も~、これじゃ一週間分の食材だよ」

「ですねー」

 

 佳織さんが上目遣いに僕を見る。僕は彼女と目を合わせないようにして、適当に相槌を打つ。僕の言いたいこと、佳織さんはもう分かってると思う。

 少しばかり大胆なメッセージだった。でも大丈夫だと僕は確信している。この程度のわがままなら、今の佳織さんなら受け入れてくれるはずだ。

 

「わかったよ……貴司くんの晩ごはんは、しばらく私が面倒見ます」

「やった」

「もう。ふふっ」

 

 夕食を楽しく一緒に食べた。

 佳織さんはいつもよりテンション高めで、よく笑って、よく喋って、終始機嫌が良さそうだった。

 そして、夕食が終わればいつものマッサージだ。

 

「んんっ……あ……はぁ」

 

 佳織さんの声は今日も艶めかしい。こんなにエッチな声を出してるって、自分で気づいてないんだろうか。

 

「くぅ、ん……ふぁ……あ……」

「佳織さん、もっと力抜いて」

「……ぁ……はい……んん……」

「今日は歩いたから、足も疲れてるんじゃないですか? 少し体を横にして、ソファに足を乗せてください」

「ん……こう……?」

 

 ソファの上で足を崩す佳織さんのふくらはぎを、僕もソファの隣に座って撫でるように揉みほぐしていく。

 

「あぁ、ぁ……くぅん……んん……」

 

 ピクンと体を震わせて、佳織さんの体が少しずつ崩れていく。僕に足を任せて、ソファのクッションに顔を埋めて声が漏れるのをこらえる仕草は、まるで僕の愛撫に感じているように見える。

 いや、実際に佳織さんの体は感じてる。僕に触れられるだけで幸福感と快感を覚えるようになっている。

 感じまくっているはずだ。限りなく性的な快感に近いものを。

 

「ふぅん、んん、ん……ん……」

「佳織さん……体を起こして。大丈夫ですか?」

 

 僕が背中を支えて、佳織さんをソファの上に起こす。僕の腕に上気した頬を乗せて、荒い息をつく佳織さんの色っぽさに、僕は襲いかかりたい衝動を抑えるのが大変だった。

 

「佳織さん、力を抜いて。リラックスしましょう」

「ん…ぁ……無理かも……今日のは効きすぎるよ……」

 

 あまりにも佳織さんがよく反応するから、僕もやりすぎたかもしれない。まだ息の整わない佳織さんの上下する大きな胸。手を伸ばせばすぐそこにある双丘の誘惑に、目がチカチカしそうだ。

 

「大丈夫です。ホラ、まぶたを閉じて……」

 

 手のひらで佳織さんの目を覆うと、軽く揺するように左右に首を振った。

 

「首の力が抜けて、肩が楽になります。ゆっくり息を吸って、吐いて……ホラ、また気持ちよくなりますよ……どんどん体が沈んで、心が楽になっていきます……僕の声だけが聞こえて、楽な状態です……」

 

 フッと僕の手の中で佳織さんから力が抜ける。佳織さんの反応は、どんどん早くなっている気がする。

 

「佳織さん……力を抜いて、深く沈んで……僕の声が聞こえますね?」

「……はい……」

 

 催眠に堕ちたときの、虚ろな声。この声を聞くたびにゾクゾクする。

 そう思ったときに、ゆっくりと上下する佳織さんの胸にまた視線が吸い込まれた。

 やめておけと、僕の頭の中で警鐘が鳴る。でも、佳織さんに催眠術をかけたときの僕は、暴走のスイッチが入っていた。本当にやめるのか? 理性が欲望に押し潰されて、軋むような悲鳴を上げた。

 僕は佳織さんの額に、そっと指を押し当てた。

 

「佳織さん。もっと楽にしましょう。体の力が抜けて、感覚がなくなります。体の感覚を切り離して、心を軽くしましょう。僕の指が触れているところから、感覚がなくなります。そして徐々に全身の感覚がなくなり、とても体が楽になります。もう僕の指に触れられてもわからない。全身から感覚が抜けて、心が自由になっています……ほら」

 

 しばらく押し当てていた指を離して、コツンと額を指先で突く。それでも佳織さんは反応しない。まぶたをくすぐってみても、なんの反応もない。

 本当に、体の感覚がなくなったのだろうか。僕の手は佳織さんの頬に触れた。

 佳織さんの反応はない。僕は撫でる。彼女の顔を。

 自分の息がどんどん荒くなっていくのは抑えようがない。

 そして、薄く開かれたその唇。

 ぽってりと柔らかそうに濡れている。いけないと思いながらも、僕はその唇に吸い寄せられていく。

 

 今なら、誰にもわからない。

 

 僕だけの秘密だ。一度だけだ。一度だけだから許してくださいと、佳織さんと先輩に頭の中で言い訳しながら、僕は両手を胸に添えたまま佳織さんに顔を寄せていく。

 佳織さんの規則正しい呼吸が僕の鼻をくすぐる。喉がカラカラに渇いていく。僕は佳織さんの顔にかからないよう息を止める。佳織さんが目を開けたらどうしよう。怖い。そう思いながらもここで引き下がりたくはなかった。そして僕の唇と佳織さんの唇が、今……触れあった。

 柔らかさと温かさ。そしてそれ以上の衝撃。

 記憶のふたまでこじ開けるようなショックが、電流になって僕の全身を走る。

 

 この興奮。

 魂まで焼けるような、この興奮を僕は知っている。

 

 あぁ、忘れられるもんか。

 僕はずっとこれを求めていた。ずっと探してたんだ。

 もう僕は自分の妄想を止めることはできない。やめろ、やめろと繰り返す理性を蹴飛ばして、僕は最後の暴走スイッチを、自分の意思で押した。

 

「佳織さん……あなたの感覚が戻ってくる。でも、体はそのまま僕に預けましょう。あなたは僕をとても信頼してくれているし、僕もあなたのことを大切にしています。寂しいことも忘れさせてあげるし、もっと気持ちよくしてあげます……だから、あなたはもっと僕に可愛がってもらいましょう。さあ、立って。ゆっくりと、僕の手に掴まって」

 

 僕に支えられて、佳織さんがソファから立ち上がる。

 

「僕の手と声に従って……もう何も考える必要はありません。心は自由です。幸せなことを思い出して、気持ちよくなりましょう。そして体は、僕に預けて任せてしまいましょう。そうすれば身軽になって、もっともっと気持ちよくなれます。さあ、手を下ろして。今、僕が肘を曲げます。このまま動かないで……そう、次に僕が下ろします。そのまま動かないで……はい、上手ですね。あなたはとても素直で、可愛い……“お人形さん”ですね」

 

 自分で言葉にしただけでも、めまいがしそうなくらい心臓が高鳴る。

 内心の興奮を出さないように必死に我慢しながら、佳織さんに暗示をかけていく。

 

「そう、あなたは僕のお人形さんだ。僕の動かすように動いて、僕の言うとおりに考える。あなたは可愛がられて幸せだ。もう寂しくない。僕の言うとおりにして、僕のそばにいればいい。恐怖も寂しさも不安もない。僕への信頼と幸福にあなたの心は満たされる」

 

 佳織さんの口元が、少しだけ幸せそうに微笑んだ。

 でもそれ以上の表情は動かない。体もじっとしたまま動かない。呼吸でわずかに胸が上下しているが、それに気づかなければ精巧なマネキンのようだ。

 

「佳織さん……あなたはお人形だから、目を開けても何も見えない。人形は何も見ない。さあ、ゆっくり目を開けてみて……」

 

 ゆっくりと彼女の目が開く。

 その目を覗き込んだとき、僕の全身にビリビリと衝撃が走った。

 足が震えて立っていられない。僕の膝は床に崩れ落ちた。這いつくばって、見上げるしかなかった。

 あぁ、その佳織さんの目。

 感情の映らない、無機質で虚ろな目。

 

 ――お人形さんの目だ。

 

「……う、あぁ……」

 

 また会えた。

 やっと会えた。

 僕のお人形さんだ。

 勝手に涙がポロポロ零れていた。ずっともう会えないと思っていた。

 でも、ちゃんとここにいたんだ。

 

 整った美貌。

 完璧なプロポーション。

 従順な肢体。

 

 僕のお人形さんだ。

 

「カオリちゃん……カオリちゃんだ……」

 

 ミカちゃんじゃないけど、これは確かに僕のお人形だ。カオリちゃん人形だ。

 心からの感動で胸が震える。動悸が激しくて息が苦しい。ジーンズの中では、僕の股間が今にも爆発しそうに猛っている。

 チャックを下ろして固くなったペニスを解放した。そして擦った。

 出せ。早く出せ。今すぐ解放しないと僕は気が狂ってしまう。

 痛いほどボッキしたそれを僕は夢中で擦った。佳織さんの足元に這いつくばってマスターベーションするという、その異常なシチュエーションは、僕をますます興奮させた。

 

「はぁ……はぁ……カオリちゃん……っ」

 

 その微かな笑み。唇の角度、鼻筋の美しいライン、虚ろな目。女性らしさを形にしたような胸部の膨らみ、真っ直ぐな背筋、すらりと長く伸びた足。

 完璧だ。何もかもが素晴らしい。美しすぎる。

 これは僕のカオリちゃんだ。

 僕は見つけたんだ。また会えたんだ。

 僕の恋人に!

 

「カオリちゃん……カオリちゃんっ、カオリちゃん! あぁッ!」

 

 あっというまに僕は果ててしまった。頭が真っ白になり、腰がしびれる。フローリングの床に僕の精液がビシャビシャと跳ねる。全て吐き出したあとも僕のペニスはドクドクと脈打っている。体中を快感が突き抜けて、背中が痙攣する。ここまで気持ちのいい射精は初めてだ。

 佳織さんは、こんな汚らわしい僕の欲望が果てた先に、神々しく立っている。あの日、タンスの上で見つけた人形のように。

 

 僕はもう、本当にどうかしてしまったに違いない。

 こんなこと言いたくないのに。

 

「……佳織さん……あなたに秘密のキーワードを教えます……これは、僕と2人だけの、秘密のキーワードです……」

 

 もうやめろ。本当にもうやめろ。

 佳織さんをどうするつもりなんだ。彼女は先輩の奥さんだぞ。人妻なんだぞ。

 なのに、僕は僕を止められない。

 

「あなたは僕の口からその言葉を聞くと、いつでも今みたいにお人形さんになります。僕とあなたの、2人だけの人形遊び……楽しくて幸せなその遊びを、あなたはとても楽しみにしています。普段は人形遊びのことを忘れていますが、この言葉を聞くと、あなたはいつでもお人形さんになれます。だから僕が今から言うキーワードはとても重要です。絶対に忘れないように……心の一番奥で、大切にしてください。そして僕の合図で、いつでもそれを思い出してください。絶対に!」

 

 僕はきっと地獄に堕ちる。鬼畜だ。最低の変態だ。

 催眠術なんて知らなければよかった。

 E=mC^2なんてサイト見つけなければよかった。

 こんなにも甘美で切ない誘惑がこの世にあるなんて。

 僕はもうこの誘惑には逆らえない。

 催眠術。

 その欲望の秘法の前に、僕は奴隷のようにひれ伏し、屈服する。

 

「キーワードは……“僕の催眠人形”です」

 

 

 僕と佳織さんの、秘密の1ヶ月が始まる。

 

<続く>

4件のコメント

  1. 三話目

    良質の導入に心ときめかされますでよ。
    1月の永慶さんといい今年はいいスタートでぅw
    ふと保存してある習作スレ版のタイムスタンプを見てしまったのでぅが、2010/11/11になってましたでよ。
    まさかの15周年w

    今のところ加筆はないのでぅが、この先どうなるのか?
    ノクターンの感想を読んだら夢の続きに言及してたのでぅが、これがどうなるのか?
    次回を楽しみにしていますでよ~。
    であ。

    1. >みゃふさん
      ていうかLINEもしてないって前話の感想で言ってたけど、あなた球磨川くんなの…?(15年前くらいのマンガでツッコミ)
      なのに習作スレのタイムスタンプを保存っていうちょっと意味のわからないテクノロジー駆使してる。なんなの。
      15周年かー。まさかまだ「E=MC^2」のお世話になっているとはあのときはまだ知らなかった。
      リニューアルにともなってMも大文字になったけど、15年前はまだ「E=mC^2」だったから本作の中でも一部小文字なんですよ(豆知識)

  2. nakamiさn
    ずっと待ってました。ありがとうございます。
    新作楽しみます。

  3. >nanashiさん
    ありがとうございます!
    楽しんでいただけると幸いです!

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