せめてもの催眠術師 第一話

第一話「飲み会の後で」

 第二営業部の飲み会。宴もたけなわといったところで、二軒目の居酒屋に突入していた。
 今期の仕事納めのうえに、明日は土曜日で会社は休みとはいえ、所帯持ちの社員は早々に帰ってしまうから、独身者が五、六人残っているだけだ。
「姉さんすごい飲みっぷりっすね……」
 呆れたような男の声。
「ふふっ、どうせ酔い潰して、あわよくばお持ち帰りなんて思ってたんでしょうが」
「いえいえ、まさか」
 若い男は、ドクドクと日本酒を注ぐ。それをぐいっと飲み干してグラマラスな体型の姉さんは、プハァッと気持ちよさそうな息を吐いた。
「お生憎さま、私はザルだからね。この程度の酒で酔ったりはしないのよ」
 そういいながら、くいっとまたコップ酒を飲み干してしまう。何をやらせても男勝りの姉さんらしい、堂々たる飲みっぷりであった。
「まあ……本当はこのあと、二人で違う店いけたらいいなあとは思ってましたけどね」
 そのために、セーブしていたのだろうか、男のほうもさほどに酔ってはいない。
 姉さんと呼ばれた女性のほうは、日本酒とビールをちゃんぽんでかなり飲んでいるのに、まったく酔った様子をまったく見せない。
 姉さんは、男の残念そうな顔を、面白そうに覗き込む。
「ふうんっ、なんかマジっぽいわね。あんた私のこと好きなの?」
「そうですね……好きっすね」
 戯れに聴いたつもりなのに、男が真顔でそんなことをいうので、姉さんはブッと噴出してしまった。
「あはは、ごめん……いきなりだったからさあ」
「笑うなんてひどいっすよ……」
 若い男は、姉さんに吹きかけられた酒をおしぼりで拭き拭き、つぶやいた。

「どんな男でも好きといわれて悪い気はしないんだけどさあ……あんたじゃねぇ」
 男の名前は斉藤トモノリ。二十四歳。もう社会人三年目だというのに、サボり癖が抜けない平社員。どんくさいし、何をやらせても使えない。
 ネクタイがいつも曲がってるような、容姿もどこかさえない、典型的なボンクラ駄目社員だった。
 外資系のそこそこ有名企業の営業課で、トモノリがやっていけるのは、時たまとんでもない好条件で契約をまとめてくるからだった。
 どうやっているのか知らないが、それも一種の才能とはいえる。
 結果さえ出せばいい。そういう能力主義の社風だからこそ、トモノリは何とかやっていけるのだ。
「だめっすか……」
 トモノリの残念そうに落ち込む顔は、いかにも駄目な弟という感じで、元来が世話好きの姉さんの母性本能をくすぐらないこともない。実際、姉さんにとって一番手のかかる部下でもある。
 ちなみに、トモノリに姉さんと呼ばれている女性社員は水谷マユミ二十六歳。若くして営業主任で、トモノリの上司にあたる。バリバリとキャリアウーマンをやっている傍らで、スタイルのいい肢体もキープしている美人。
 女性としての艶やかさも、社会人として優秀さも、どちらもなおざりにしない。両方を手にして、その相乗作用でさらに自分を高めていける。
 一言で評せば、一流の女だった。
 そういう自負があるから、姉さん姉さんと慕ってくるトモノリを嫌わないまでも、男としてはタイプじゃないなと考えてしまう。
「マジでいってんだったらごめんね……私、ミツヒコと付き合ってるからさあ」
 トモノリはびっくりした顔になる。その、ミツヒコもこの飲み会に参加している。ちょうど向かい側の席で、事務員の江波ミミコと話しているところだ。トモノリと目が会うと、ミツヒコは何かを察したのかその端正な顔を歪めるようにして、トモノリにだけわかるように小さく笑った。

 トモノリの同期で、営業成績トップのミツヒコ。彼は気分屋で不真面目なトモノリとは違い、着実に実績を積み上げていくタイプのエリート社員である。
「そうだったんですか……」
 驚いたが、もうすぐマユミと同じ主任に並ぼうかというミツヒコなら、この社内でも人気の年上のお姉さんを落としてもおかしくはない。
「そういう話になったから、特別に教えたんだから……内緒にしといてね。社内恋愛は禁止じゃないけど、あまり触れ回ることでもないからさ」
 そういう姉さんの横顔は、それでも嬉しそうだった。同じ年下君でも、気安くてさえないトモノリより、しっかりして堅実なミツヒコのほうがマユミのタイプなのだ。
 付き合ってるとか、周りに言わないのは、サバサバした性格のマユミらしい。
「それじゃあ、しょうがないですね」
 トモノリは、口説くのをあっさり諦めたようだった。
「諦めが早いのは助かるわね……あんたは、てっきりミミコが好きだと思ってたんだけど」
 最近、トモノリがよく絡んでる相手はミミコだ。営業課の事務で入った初々しい新入社員のミミコは、マスコット的な可愛さが人気で、主に若手の男性社員にチヤホヤされているのだが。
 マユミは、トモノリがことあるごとにミミコにちょっかいをかけて、見事にすげなくされているのを見て、苦笑していたのだった。
 だから酒の席でも、まさか自分が口説かれることはないだろうと思って、酒の肴にでもするつもりでこの出来の悪い部下と絡んでやろうとしたのだが、とんだやぶへびだったかもしれない。
「いやあ……江波さんなんか、俺は相手にしてもらえないっすよ」
「だからといって、私に来られても困るんだけどね……」
 苦笑交じりにマユミは、やれやれと嘆息をついた。空気が弛緩したところで、トモノリはこうもちかける。
「じゃあ、次のお店に誘うのは諦めますから……『せめて』マユミさんの家に連れてってくれませんか」
「うーん、そこらへんが落としどころか……いいよ。私んちに来ても、酒もつまみもあんまりないけどね」
 途端にマユミは明るい顔で、快諾する。

 二次会まで行くと幹事は決まっていないが、営業主任のマユミか、頼りがいのあるミツヒコが取りまとめ役というのが暗黙の了解だ。
 マユミは、ミツヒコのところまでいって「私は、トモノリに送ってもらうから」と後を頼んだ。
 ミツヒコは少し怪訝そうな顔をしたが、やがて分かりましたと笑って答える。別に、ミツヒコが可愛い系の後輩、ミミコと絡んでてもマユミは嫉妬はしないし、逆にトモノリとマユミが一緒に帰ってもミツヒコは心配しない。
 それは愛していないのではなくて、お互いを深く信頼しているということなのだ。

< 続く >

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