前に進めない催眠暗示に抵抗しようとする女の子のお話

「さて、それじゃあまずは、君のフルネームをこの風船に書いてみて」

 

 浩一が目の前の少女にサインペンを手渡すと、真っ赤な風船を少女の目の前に差し出す。

 

「う、うん……こう?」

 

 少女はキャップを外すと、慎重な手つきで風船の表面に「小笠原みのり」と書く。膨らんだ風船という普段書き慣れない材質の割に、丁寧な筆跡だった。

 

「よく書けてるね。それじゃあ、次は……そうだね、歴史の教科書にでもしてみようか」

 

 浩一は、その風船を持ったまま机の中に手を突っ込み、中から日本史の教科書を取り出すと、ページをぱらぱらとめくる。

 

「……このページでいいかな。よいしょっと」

 

 浩一は教科書を開いた状態で机の上に置き、その上に先ほどの赤い風船を乗せる。教科書の記載のほとんどが、風船に覆われて隠れてしまっていた。

 そして、風船が落ちないように気を付けながらペンケースからコンパスを取り出し、その針先を風船に軽く当てる。

 

「これで、準備OK。さて……じゃあ、この風船をよく見ていてね。僕が3つ数えて風船を割ると、この風船に書いてあった名前が君の頭の中からさっぱり消えて、その下に書いてある人物の名前で置き換わってしまうよ。

 3、2、1、はい!」

 

「ひゃぁっ!?」

 

 カウントダウンとともに、ぱん、と風船が割れる音が辺りに響き渡ると、みのりは思わず小さな悲鳴を上げて身を縮こめる。

 

「はい、これで良しと。それじゃあ……君の名前を教えてみて?」

 

「ええと……お……おだ……」

 

 手元にある教科書に目を落としながら答えるみのりの表情が、不意に曇る。

 くすくすと、からかうように浩一は続きを促す。

 

「『おだ』? 下の名前は何?」

 

「おだ……のぶ、なが……」

 

 真っ赤になりながら、苦虫を噛み潰したような表情でみのりが答えると、周囲の生徒たちからどよめきが上がる。

 もちろんみのりだって、織田信長が戦国武将の名前であることなど頭の中では分かっている。

 だが不思議なことに、自分の名前を思い出そうとすると、毎日のように使っているはずの言葉にも関わらずまるで霞がかかったように思い出せなくなってしまい、代わりに『織田信長』という名前で頭がいっぱいになってしまうのだ。

 

 うーん、うーんと唸ったり、頭を自分の拳で殴りつけたりと奮闘するみのりに、浩一は言葉をかけた。

 

「それじゃあ、僕が手を叩くと、君は自分の名前を思い出すことができるようになるよ。はい!」

 

 ぱん、と手を叩く音が教室に響くとともに、みのりはまるで自分の頭の中にかかっていた霞が一瞬で晴れるような感覚を受けた。

 

「……あっ!」

 

「ふふ……どう、思い出した?」

 

「うん……おがさわら、みのり……」

 

 悔しそうに目の前の男子生徒を睨み付けながら自分の名前を答える。

 

「さてと……『あんたの催眠術何て嘘っぱちだって証明してやるんだから!』だっけ?

どう? これで、僕の催眠術が嘘じゃないって分かったんじゃない?」

 

「~~っ!」

 

 まるで獲物を甚振るかのように意地悪く微笑む浩一。

 だが、負けん気の強いみのりにとって、その台詞は彼女の反抗心を煽るものでしかなかった。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 度忘れすることくらい誰にだってあることでしょ!

 あの有名なエジソンだって、自分の名前を度忘れしたっていうエピソードがあるくらいなんだからね! だから今のは無効よ!」

 

 果たしてここでエジソンを引き合いに出すことにどの程度の正当性があるのかは分からないが、そんなことは問題ではない。

 ここで引き下がるなど、みのりのプライドが許さないのだ。

 

 執拗に食い下がるみのりに対して、浩一は呆れたように小さくため息を吐く。

 

「はぁ……じゃあどうしろって言うのさ?」

 

「き、決まってるでしょ! 催眠術にでもかかっていない限り絶対にやらないような事とか、させてみなさいよ! できるものならだけどね!」

 

 どん、と両手で机を叩くみのり。その意気込みに圧されたのか、浩一は仕方ないとばかりに小さく肩をすくめた。

 

「はいはい、分かったよ……じゃあとりあえず、まずはスカートの裾を掴んで胸のあたりまで持ち上げてみて」

 

「う、うん……こう?」

 

 想像以上にあっさりと主張を受け入れられたことに少し拍子抜けしながら、みのりは慌てて言われた通りにする。

 

 とはいえ、再戦が認められたことは願ったり叶ったりだ。今度こそ浩一の暗示に逆らって、催眠術など存在しないと認めさせてやる。みのりは改めて気を引き締め直して、浩一からの指示を待つ。

 

 今度はどんな暗示を与えられるのだろうか。肉体が自分の意思を離れて動き出す暗示か、あるいは味覚や触覚を混乱させられるのか。どのような内容に対しても打ち勝てるように、想像できる限りのシミュレーションを行う。

 だが、奇妙なことに、十秒ほど待っても浩一からは特に言ってくる気配がない。ただ黙って座ったまま涼しげな表情で自分の方を見ているだけだ。

 いや、浩一だけではない。二人の勝負の行く末を見守っていたクラスメイトのギャラリーたちの視線も、すべてみのりの方に向いていた。

 浩一との違いと言えば、誰もが驚いて目を丸くしていることと、特に男子生徒たちが興奮して鼻息を荒げていることだろうか。

 

「……ねえ、みのり。質問だけどさ」

 

「な、何よっ!」

 

 およそ1分にわたる沈黙ののち、ようやく浩一が口を開いた。

 

「単なる興味本位で聞くんだけど……みのりって普段、催眠術にかかっていなくても自分のスカートを教室の真ん中でめくり上げたりするのかなって思って」

 

「は? そんなわけ……え?」

 

 突拍子もない質問に思わず呆けた表情を返すみのりだったが、はたとその質問の意図に思い当たる。

 そう。みのりのスカートの正面を、彼女自身の両手がしっかりと掴み、まるで見せつけるように大きく持ち上げていたのだ。

 

「きゃあああ!?」

 

 慌てて両手を降ろしてスカートを抑えるみのり。だが時すでに遅し、彼女が穿いていたお気に入りの白の下着は、クラスの男子全員の目に焼き付いてしまっていた。その様子を見て、浩一は楽しそうに笑う。

 

「くすくす……どう? これなら流石に催眠術にかかってたって認めてくれる?」

「ち、違うわよ! これは、その……心の準備ができる前に、いきなり言われたから……」

 

 しどろもどろになりながら必死に言い訳を紡ぐみのり。

 

「だいたい、最初の時みたいにちゃんと『手を叩くと名前を忘れる』とかあらかじめ宣言しないのは卑怯でしょ! そんなずるい手ばっかり使わないで、正々堂々と勝負しなさいよ!」

 

 後出しで自分勝手な解釈を並べて、どうにか勝負の無効を主張しようとする。どうあっても、催眠術にかかってしまったという事実を認めたくないようだ。だが、そんなみのりに対して、浩一は全く動じる様子もなく答えた。

 

「ふうん……じゃあさ、前もってちゃんと宣言さえしておけば、みのりは僕の暗示に逆らえるっていうの?」

「あ、当たり前でしょ!」

「んー……でもさ、正直さっきみたいに後からルールを付け加えられて何度もやり直しさせられるのって、困るんだよね。

だからさ、もし次の暗示に逆らえなかった場合は、催眠術にかかってることを認めてくれるって、約束して?」

「う……分かったわよ……」

 

 不貞腐れたような表情でみのりはそっぽを向いた。もちろん、そんな約束など本当はしたくなどないが、自分が2回もやり直しの要求をしているのは事実なのだ。そんなみのりの態度に対して、浩一は不服そうにため息を吐く。

 

「みのり。目を逸らしながら約束なんてされて、信用できると思う? ちゃんと僕の目を見て」

「ふ、ふん……これで満足?」

 

 ふくれっ面で真っ直ぐに浩一の目を見据えるみのり。浩一も、そんなみのりの目を真っ直ぐに見つめ返す。

 

「まだだよ……目を逸らさないでじっと見て……そう、そのまま息を大きく吸って……目を軽く閉じて、僕の言葉を聞くんだ。ほら、『みのりスタンバイ』」

「あ……」

 

 浩一が言葉を放つとともにみのりの腰を支えるようにすると、みのりの全身から力が抜ける。

 浩一はしっかりとみのりの体重を支えながら、近くの椅子に座らせる。みのりの腕はだらりと垂れ下がり、その表情から生気が失われている。

 その様子を確認し、浩一は小さく安堵の息を吐いた。

 

「さてと……みのり。君は今、君の心の一番奥深い場所にいるよ。この状態の君は、僕の、この声だけが聞こえる。そして、質問をされると、素直な気持ちで答えることができる。僕の声は聞こえる?」

「うん、聞こえる……」

「よかった。君はさっき、僕の暗示の内容に逆らうことができなければ、僕の催眠術を認めるって宣言した。そうだよね?」

「うん……」

「逆に言えば……僕の催眠術にかかっていないことを証明するためには、僕の暗示に逆らうことができればいいんだよね?」

「うん……」

 

 従順に浩一の質問に返答するみのり。その様子を見て、浩一は慎重に言葉を選びながら囁きかける。

 

「でも、僕の強力な暗示に逆らうことは、恐らく並大抵のことでは難しいよ。

だって、今までにもみのりは、大勢のクラスメイトが催眠術にかかった様子を見てきたし、さっきだって2回も連続で僕の指示通りの行動をしてしまった。

ましてや、今回はもうやり直しはしないとまで取り決めをした勝負なんだから、間違いなくみのりには今まで以上に強力な暗示がかけられているはずだよね?」

「う、ん……」

 

 みのりの声がトーンダウンし、自信を失ってきたことを確認した浩一は、続けざまに畳みかけるように暗示を与える。

 

「そう、みのりに与えられた暗示はとても強力だから……その暗示に逆らうことはとてつもなく難しい。みのりが全ての神経を集中させて、全力で抗わないと、すぐに屈してしまいそうなほどね。

だから、みのりは僕の催眠に負けないように──僕の言葉に逆らうこと、それだけを考えて……それだけに集中する……他のことは何も考えなくていい。ただ、僕の指示に逆らうことだけを考える……

ほら、それが分かったら復唱して……」

「うん……それだけに、集中して、全力で、抗う……」

 

 少しみのりの声に意志が籠る。それを確認した浩一は続いて言葉を紡いでいく。

 

「よく理解できたね……。それじゃあ、これからみのりに暗示を与えるよ。

 次に目を覚ました時、みのりは僕が両手を開いて、壁でも作るみたいに前に突き出しているのを見ると、決して僕の方に近寄ることができなくなる。

 まるで、そうだね……直接触れていないにもかかわらず僕の両手で強い力で抑えられてるみたいに……現実の僕の手よりもずっと強い力で抑えられているみたいに。

 脚に力が全く入らなくなって、一歩も前に出ることができない。どんなに逆らいたいと思っても、僕が今から3つ数えると必ずそうなる。ほら、3、2、1、はい。

 これで今の暗示は、みのりの心の奥に深く刻まれた。これは、みのりにとって大事な暗示だから、みのりは起きた後もこの暗示をしっかりと覚えておくことができるよ。分かった?」

 

「あ、ぁ……うん……」

 

「でも、みのりは僕の暗示なんかに負けたくない……本気を出せば逆らえるんだってことを証明したい……催眠術なんかに、負けないってことを分からせたい……

 でも、みのりに与えられた暗示はとっても強力だから……どれだけ頑張っても、足を前に出すことができない……悔しくて力を込めようとしても、足に力が入らない……

 だけどね……僕が『ストップ』という言葉を発するのが聞こえると、みのりは力を振りぼって、一歩……そう、一歩だけ、僕の暗示に逆らって前に進むことができるようになる。

 僕の暗示に逆らうことができると、みのりはとても大きな達成感で満たされる。僕の暗示に勝てるということを、もっと見せつけたくなる。頭の中が、そのことでいっぱいになる……

 この気持ちは、みのりの心の奥底に深く、刻み付けられる……でも目を覚ました時、みのりはこの暗示のことは思い出せないよ……」

 

「う、ん……」

 

 

……

…………

………………

 

 

「……それじゃあ、僕が手を叩いたら目を覚まして。はい!」

 

 ──ぱん。

 

 浩一が手を叩く音と共に、みのりは目を覚ました。

 

「あ、私……?」

「おはよう、みのり。意識ははっきりしてるみたいだね。それじゃあ、まずは椅子から立ち上がってくれる?」

「う……」

 

 楽しそうに声をかける浩一に対してみのりは自分があっさりと落とされてしまったことを自覚して歯噛みしながら大人しく立ち上がる。

 そうだ、確か自分はキーワードで催眠状態に落とされて──そして何かの禁止暗示を仕込まれたはずだ。全てをしっかりと覚えているわけではないが、確か──

 

「さてと、みのり。僕が前もって宣言した暗示の内容に逆らうことができなければ、みのりは僕の催眠術にかかっていることを認める──そうだったよね? だから、もしかしたら覚えてるかもしれないけど、しっかりと宣言しておくよ。

 僕が両手をこうやって前に突き出していると、みのりはまるで強い力で押さえつけられているかのように、僕の方に近づくことができない。足を前に出そうとしても、全然力が入らなくて、一歩も前に進めない。

 どれだけみのりが抗おうとしても、必ずそうなってしまうよ。分かった?」

 

 宣言しながら、まるで目の前に壁でも作るかのように、両掌を前に向けて1メートルほどの高さに真っ直ぐ突き出す浩一。その声には、確信にも似た自信が籠っていた。

 

「ふ……ふざけないでよ! 浩一の催眠術なんかにかかるわけないって言ってるでしょ!」

 

 みのりは、真っ直ぐに浩一を睨み返す。そして、そのまま足を前に踏み出そうとして──

 

「あ……っ!?」

「ほら、みのりの足は動かない。前に出そうとしても、力が全然入らない。まるで石になってしまったかのように重くて仕方ない」

 

 みのりの動きが一瞬止まったところに、矢継ぎ早に暗示を投げかけられる。

 

 ──足が、動かない。浩一の言う通り、どれだけ前に踏み出そうとしても力を入れることができないのだ。

 

「ね、ほら。僕の催眠術にかかったみのりは絶対にこの暗示に逆らうことはできない。足を前に出そうと思えば思うほど、どんどん力が抜けていく……。

 僕の声には逆らえないことを、みのりの心は完全に認めてしまっているから、逆らおうという気持ちも起こらない。ほら、みのりは僕の言葉を素直に受け入れて、負けを認めてしまうと、とっても気持ちよくなれるよ……」

 

「っ……!」

 

 優しく、ゆったりとした口調で囁きかけてくる浩一の声に思わず身をゆだね、全身の力を抜いてしまいそうになるみのりだったが──。

 

 ──ダメだ、抵抗しないと!

 

 まるで、心の奥底から湧き上がってくる声に突き動かされるように、みのりは自分の体に鞭打つ。

 危なかった。この誘惑に負けたら、終わりだ。絶対に負けを認めるわけにはいかない。みのりはまるで自分に言い聞かせるように呟くと、目の前の浩一をしっかりと見据えて睨みつける。

 

「ぜ、全然効いてなんかいないんだから……!」

 

 そう、催眠術などしょせん暗示の力で思い込みを与えているに過ぎない。ならば、本気で抵抗すれば逆らうことは可能なはずだ。掌を突き出している浩一を睨み据えながら、みのりは渾身の力を振り絞る。

 

「う、うぅぅ……!」

「どれだけ抵抗しても無駄だよ。みのりは絶対にそこから一歩も踏み出すことはできないよ。僕の暗示はしっかりとみのりの心に刻みつけられてるんだから……ほら、ストップ!」

 

 上半身をふらつかせながら何とか前に踏み出そうとするみのりに対して、浩一が叫んだ、その瞬間。

 ほんの少しだけ、みのりの足に力が籠る。

 

「負ける、かぁっ……!」

「なっ……!?」

 

 ゆっくりと、しかし確実に。みのりは右足を一歩だけ、浩一に向けて踏み出した。その様子に、教室のギャラリーが少しだけざわめく。

 よし、やはり浩一の暗示など強く抵抗すれば抵抗できるのだ。あとはこの調子で足を動かせば……と意気込むみのりだったが、そこで再び足が止まってしまう。一歩踏み出したところで安心してしまったためだろうか、再び足から力が抜けてしまったのだ。

 浩一はほっと胸を撫で下ろす。

 

「なんだ、一歩だけか。それだけでも大したものだけど……どうやら、単なるまぐれみたいだったみたいだね」

「ふ、ふん……そんなこと言って、本当は自分の暗示が破られて焦ってるんじゃないの?」

 

 確かに浩一の言う通り、まぐれかもしれない。だがたったの一歩とはいえ、みのりにとってこれは大きな意味を持っていた。全力で抗えば、浩一の催眠に逆らうことが可能だと分かったのだから。

 気丈に睨みつけてくるみのりを睨み返しながら、浩一は改めて両手を開いて大きく前に突き出した。

 

「ほんの一歩進んだ程度で偉そうに……だったら今度こそ本気で、僕の暗示になんて抵抗できないって分からせてあげるよ。ストップ!」

「くっ……だから効かないって……言ってるでしょっ!」

 

 今度は、さきほどよりもしっかりと。みのりは、浩一の暗示に抗うかのように下半身の力を振り絞り、大きく左脚を一歩踏み出した。

 いける。やっぱり、足を前に出すことだけに本気で集中すれば抵抗できるのだ。

 

「なっ……!? ちょっと待てよっ、ストップだってば、ストップ!」

 

 明らかに焦りの交じった声で、浩一はみのりの動きを止めようとするかのように前に突き出すが、みのりはもう返事すらしない。

 足を、前に踏み出す。ただひたすらそれだけに集中する。すると、まるで先ほどまであんなに重かった足が嘘のように、力が入るのだ。

 慌てる必要はない。クラスメイト達が勝負の行方を固唾を飲んで見守る中、一歩ずつ、確実に、みのりは浩一に向けて歩みを進めていた。

 みのりの気迫に圧されたのか、浩一がわずかに後ずさりをする。

 

「ちょっ……ストップ! マジでこれ以上はダメだってば、ストップ、ストップ!」

 

 両手を突き出した浩一が必死に連呼するが、もうみのりは聞く耳を持たない。何せもう浩一は目と鼻の先の距離まで迫っているのだ。ここで止まってやる道理などあるはずがない。

 もう浩一の催眠術など怖くない。ずん、ずんと大きく前に踏み出して数歩進んだみのりだったが──

 ぐにゃり。不思議な感覚とともに、不意に、その歩みがぴたりと止まってしまった。

 

「なっ……!? ど、どうして前に進めないの……!?」

 

 先ほどのように足に力が入らないのとは明らかに違う。しっかりと足に力を入れているにもかかわらず、まるで物理的な壁に阻まれているかのようにこれ以上進めないのだ。

 

「う、うわっ……」「ちょ、ちょっとみのり、どうしちゃったの……!?」

 

 明らかに異常な事態に、クラスメイト達が困惑の声を上げる。だが、状況が呑み込めないのはみのりも同じだった。

 得意げにニヤついている浩一の顔を真っ直ぐに睨みつけながら前に出ようと力を込めるのだが、全く前に進むことができない。それどころか、力を込めれば込めるほど、それ以上の力で胸の辺りを押し返されるような──胸?

 不意に、上半身に奇妙な違和感を覚えて恐る恐る自分の体を見下ろしたみのりの目に映った光景は──

 

 浩一が真っすぐ水平に伸ばした両手に向けて、一生懸命に押し付けられている、自分自身の両胸。いや、押し付けるどころではない。まるで自らの意思で揉ませているかのように、軽く開いた浩一の両掌によってぐにゃりと形を歪ませていた。

 

「な、なぁっ……!? なんてことするのよ、この変態っ……!」

 

 一気に体中の血液が沸騰するほど真っ赤になったみのりは、慌てて胸を引きはがすように一歩下がる。何故こんな状態になっても気付かないほど夢中になってしまっていたのか。

 だが、そんなみのりに対して浩一は悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

「えー、そんなこと言われてもさ……僕は、最初から宣言していた通りにこうやって腕を突き出してただけだよ。みのりが自分から胸を押し付けてきたんだろ?」

「だ、だからってこうなる前に気付いてたんだったら、止めなさいよっ!」

「何回も止めようとして声をかけたじゃん。くすくす、ほら……『ストップ』ってさ」

「で、でもっ──! ……え?」

 

 浩一の言葉に抗議しようとみのりは、驚愕の表情で言葉を詰まらせた。

 何故か、浩一が『ストップ』と発言した瞬間に自分の足が一歩前に踏み出し、再び自らの両胸を浩一の掌に押し付けてしまっていたのだ。

 

「う、嘘っ、どうして私……!?」

 

 自らの痴女のような振る舞いにわなわなと震えるみのりを、浩一はニヤニヤと楽しそうに眺めながら宣言する。

 

「そう言えば、勝負はみのりの勝ちだね、おめでとう。──それにしても、まさか僕の暗示に逆らうほどに胸を揉んで欲しかったとは思わなかったけどね」

 

 それから当分の間、みのりは浩一が手を突き出しているのを見るたびに自分の胸を押し当ててしまうという変な癖に悩まされることになるのだった──。

 

<終>

4件のコメント

  1. (一月前にピクシブで)読ませていただきましたでよ~w
    いつものいたずら系催眠術で暗示を破ったと思ったらそれすらも手のひらの上。
    う~ん、いつものてぃーにゃん。
    いたずら系で反感もたせたり羞恥を煽ったりする関係か、てぃーにゃんのヒロインは勝ち気なキャラが多いでぅね。別に勝ち気キャラが嫌いなわけではないんでぅけど、偶には違う系列も見たいところでぅ。

    であ、次回も楽しみにしていますでよ~。

  2. なんで君はそう的確に人の弱点をえぐることを言えるんだ!?(誉め言葉)
    いつもちゃんと読んでくれてマジ感謝ですよ。

    ほんとそれなー。催眠もの書くと大体「ふん、あんたの催眠なんかにかかるわけないでしょ!」(←かかってる)パターン。いえ暗示の内容自体はそれなりに考えて作ってるんですが。
    ちょっとばかし、持ち球増やしていきたいところですね。(増やすとは言ってない)

  3. こんにちは、ぽぷらです。拝読させていただきました(*^▽^*)

    すっごく催眠シークエンスを書くの上手だなぁと思ったら、作品たくさん投稿しているベテラン先輩だったのですねΣ(・ω・ノ)ノ

    女の子が催眠にかかるシーン、目のハイライトが消えていき、うつろな表情へと変わっていくであろうシーンは最高です(n*´ω`*n)

    催眠に抗って、でも屈する女の子。いいですねぇ…( = =)

    他の作品も読ませていただきますm(__)m 

    1. ぽぷらさん、感想ありがとうございますー!
      やだもう、褒めたってなんにも出ないのにー!(ばんばん)
      はい、ベテランなのですー。といっても催眠導入のシークエンスに力入れてるものばかりではないですが。
      基本的にS寄りなので、気持ちよく堕とすよりも、女の子を恥ずかしい目に遭わせたり虐めたりしちゃうものばかりです。
      怪盗×催眠ものは私も大好きなので、今後ともよろしくお願いしますー。

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