黄金の日々 第2部 第1話

第2部 第1話 動乱の始まり

 ヘルウェティアの都、フローレンス。

 市街の西門広場に、大勢の人が集まっていた。
 その民衆を前に、市壁の上に立っている、どこかまだあどけなさの残る顔立ちの若い女。
 聖職者の正装をして黄金色に輝く髪を後ろに垂らし、その深い緑の瞳に穏やかな笑みを湛えている。

 アンナだった。

 集まった人々は、息を詰めるように黙ったまま彼女を見上げていた。
 彼らに向けて、アンナの口がゆっくりと開く。

「皆さん、よく聞いてください。今、私たちに大いなる危機が迫っています。それは、遍くこの世界中に襲いかかり、全てを飲み込んでいくでしょう。このヘルウェティアとて例外ではありません。しかし、心配は要りません。この国には、私たちを救ってくださる救世主が現れます。我らをお救いになる、その方の名は、シトリー様。間もなく、クラウディア様がシトリー様を連れてご帰還なさいます。シトリー様とクラウディア様に導かれて、私たちはこの危機を乗り越えることができるのです」

 まるで、歌でも歌うかのように時には低く、そして時には高く抑揚をつけてアンナは語りかけていく。

 それを聞く人々は、一様に恍惚とした表情を浮かべ、呆けたように口を開けてアンナを見上げている。
 その姿は、かつてキエーザの村でアンナの言葉に堕ちた村人たちが浮かべていたのと同じ表情だった。

 これだけの数の人間が集まっているというのに、広場は不気味なほどに静かで、咳払いひとつする人間はいない。
 その間を、アンナの澄み切った声だけが流れていく。

「ふふふ、見事なものね」
「それはもう……。だって、アンナは貴族の館からスラムまで、それこそ毎日回っては人々に教えを説いていたんですもの。朝から晩までかけてね。都だけじゃないわ、この近隣の村々にまで赴いているんですから。今ではもう、彼女の言葉に耳を傾けない人間なんてこの街にはいませんわ」
「これだけの人の前で話をするのがこんなに様になっていると、大主教代理の職は彼女に譲った方がいいくらいね、シンシア」
「あら、もうずっと前からシトリー様の司祭はアンナですわよ、ピュラ様。あの方のお言葉を人々に説くのに、あの子より相応しい者なんていませんもの。私は、自分の知識をもってシトリー様にお仕えするだけ。だいいち、大主教代理なんて肩書き、今では何の意味もありませんわ」

 少し離れたところに立って、アンナを見守っているふたりの女性。
 ひとりは30代前半くらいでアンバーの髪、もうひとりは、それより少し年長に見える赤紫の髪の、どちらも大人の雰囲気を漂わせた美人だ。
 もちろん、大主教代理のシンシアと魔導長のピュラだった。

「それに、最後までアンナの言葉に耳を傾けようとしなかった数十人の者は、魔導院が引き取ってくれましたから」
「ああ、いいのよ、それくらい。これからのことを考えると、魔導院でも何かと準備をしておかないといけないから。あの人たちはこちらでありがたく活用させてもらうわ」
「準備、ですか?」
「ええ、これからシトリー様に付き従って私たちも戦うことになるでしょ。少しでもシトリー様のお役に立つために新たな魔法の開発をね。彼らはその人体実験に使わせてもらうの」
「まあっ」

 人の道にもとる内容を涼しげな顔で話すピュラと、そんな話を聞いて、口に手を当てて笑うシンシア。
 ふたりの表情には、罪悪感も街の人に対する憐れみもまったく見られない。

「ところでピュラ様、シトリー様はいつこちらにお着きになるんですか?」
「あと2時間といったところね。さっき連絡があったわ。これから西の丘を越えるって」
「そうですか……。久しぶりにシトリー様にお会いするのが待ち遠しいわ」
「ふふふ、それはみんなそのはずよ。では、私たちは王宮の方でお出迎えの準備をしましょうか」
「そうですね」

 ふたりは、街の人々に向かって話を続けるアンナの姿をもう一度ちらりと一瞥すると、下へと降りていった。

 そして、2時間後。

「さあ、皆さん!クラウディア様がシトリー様を連れてお帰りになられたようです。盛大にお迎えしようではありませんか!」

 ひときわ声を張り上げたアンナの言葉に、それまで静かにその話を聞いていた人々の間に期待に満ちたどよめきが広がっていく。
 はじめはさざ波のようだったそれが、歓声へと変わっていくのにさほど時間はかからなかった。

 そしてそれは、西門が開くのと同時に最高潮に達した。

「おおおっ!クラウディア様のお帰りだ!」
「すると、隣におられるのがシトリー様か!?」
「あのお方が私たちを救ってくださるのね!」
「うおおっ!シトリー様!」
「シトリー様ぁっ!」
「シトリー様!」

 ヘルウェティアの旗を持った親衛隊を先頭に、騎乗の一団が整然と門をくぐって入ってくる。
 その中ほどに、人々の待っていたふたりがいた。
 蘆毛の馬に乗ったこの国の女王クラウディアと、青鹿毛の馬に跨がった黒髪に金色の瞳の男、シトリーだ。

「クラウディア様万歳!シトリー様万歳!」
「ああっ、シトリー様!私たちをお導きください!」
「シトリー様!」
「シトリー様ああああぁっ!」

 王宮へと向かう大通り沿いに詰めかけた民衆の歓声の中を、ゆっくりと行列は進んでいく。

「すごい歓声ですね、シトリー様」
「ああ。アンナのやつ、さすがだな」
「本当ですわね。これでシトリー様は名実ともにわたくしたちの主ですわ」
「僕がこの国の主になったら、おまえはどうするんだ?」
「あら、わたくしはシトリー様の下僕で充分ですもの」

 歓声の響く中、クラウディアが晴れ晴れとした笑顔を見せてシトリーの方に馬を寄せる。

「どうでもいいけど、いつも馬車に乗っているだけかと思っていたら意外と乗馬も達者なんだな、おまえ」
「ええ。女とはいえ、嗜みとして乗馬のひとつもできなくてはならないのが王族の心得ですわ」

 一見、のんびりとした会話を交わしながら王宮へと向かう。
 だが、シトリーには笑顔はない。

「……先生からの報告では、まだ、魔界の軍団は到着していないそうですね」
「ああ。もっとも、奴らが到着していたら、こうやって暢気に入城なんかしてるどころじゃなかっただろうけどな」

 歓声に応えるようにシトリーが軽く手を上げただけで、どよめきが沸き起こる。
 初めて民の前に姿を現した”救世主”への興奮の渦巻く中、騎馬の列は粛々と王宮への道を進んでいった。

* * *

「お帰りなさいませ、シトリー様、クラウディア様」

 王宮に到着したシトリーたちは、ピュラとシンシアをはじめとする留守番組に出迎えられた。

「おまえたちもご苦労だったな」
「先生もシンシアもお疲れ様です。留守中特に変わったことはありませんでしたか?」
「ええ、残念ながら」

 クラウディアの問いかけに、首を横に振るピュラとシンシア。
 もちろん、残念ながらというのは、まだ魔界の軍団が到着していないことを指している。

 次に、その後ろに控えていたニーナとエミリアに向かってシトリーが口を開く。

「で、向こうに連絡は取ったのか?」
「はい~。でも、梨のつぶてで全然返答が返ってこないんですよね~」
「あのさっ、シトリー!まさかとは思うけど、あいつら、このままばっくれるつもりなんじゃ……」

 そう言ったエミリアの言葉は、推測というよりもむしろ願望といった方が近かっただろう。
 まあ、エミリアみたいなタイプも、マハとはウマが合いそうにはない。
 来なければそれにこしたことはない、というのが正直な心境なのだろう。

「いや、それはないだろうな。僕に対してだけならともかく、それじゃ上層部に対して申し開きができないだろうが。いくらマハが恐いもの知らずでも司令官のアナトとは格が違う。だから、正面切ってアナトに刃向かうようなことはしないだろう。本隊はあと10日ほどでこっちに着くことになっている。そのことは向こうだって知ってるはずだから、それまでに必ずここに現れるさ」
「でもさ、こんなになってもまだ来ないんだから……」
「ああ。来るには来るだろうけど、きっと友好的じゃないだろうな、僕に対しては。……クラウディア、ピュラ」
「はい。なんでしょうか?」
「この国の警備を強化してくれ。奴らが現れたらすぐに報告ができるように、移動系の得意な魔導師を中心にして警戒網を張るんだ」
「……はい?」
「それは、いったい……」
「奴らがここに来るにしても、どこに姿を現すかはわからない。それと、今回の遠征でわかったことだけど、魔界の侵攻軍の質はかなり悪い。大半がただ暴れ回るしか能がない連中だ。あれだと、仮に指揮官が優秀だったとしても、統率するのにかなり苦労するだろう。ましてや、その部隊を率いている奴は僕に従う気がないときてる」
「そうなんですか?」
「というよりか、僕のことを侮ってるってとこかな。軽蔑してると言っていい」
「そんな……」
「まあ、実際に奴を見てみたらわかるさ。そんなわけだから、こちらに対して友好的にくるとは限らない。僕のことすら侮っているんだから、おまえたち人間のことなんかなんとも思ってないだろうしな」
「まさか……」
「いーや、シトリーの言うとおり、あの女は何をしても不思議じゃないわね」

 いまだ半信半疑といった様子のクラウディアとピュラ。
 それに対して、エミリアたち悪魔組は納得顔で頷いている。

「だから、奴らがどこに現れてもいいように監視網を作っておいてくれ」
「かしこました」

 クラウディアとピュラが頭を下げると、早速、ピュラが監視に当たる魔導師の手配を始める。

「シトリー様、遠征の疲れもあるでしょうから、今日はゆっくりと休まれてはいかがですか?」

 ひととおり指示を出して宮殿の中に入っていくシトリーから、外套を受け取りながらクラウディアがその体を気遣う。

「うん、そうしたいところだけどそうもいかないな。本隊がこっちに来るまでそんなに余裕があるわけでもないし、その準備もしないといけないしな」
「なにもシトリー様がそんなことをなさらなくても、雑務は私たちがしますから今日くらいは休まれた方がよろしいかと……」

 やはりシトリーの後に付き従っているシンシアもその意見に同調する。

「もちろん、おまえたちにも働いてもらうさ。……でも、そうだな、今日は少しひとりで休むとするか」
「ぜひともそうなさってくださいませ」

 シトリーの返事に、アンナとシンシアは安堵の表情を浮かべる
 その一方、ひとりで、という言葉にがっかりした表情を浮かべたものが数名いたことをシトリーは見逃さない。

 とはいえ、今は下僕たちの相手をしてやる余裕はありそうになかった。

「……ふう」

 自分の部屋に入り、椅子に深々と体を沈める。

 さてと、どうしたものかな……。

 おそらく、マハとの対決は避けられない。
 どうすれば、こちらのペースに引き込むことができるか。

 改めて、アナトの言ったことを噛みしめてみる。

 彼女の言わんとすることはわかっている。
 マハのような荒くれ者の武闘派には、水面下の工作を好む自分のようなタイプは軟弱に見えるだろう。
 侮られても仕方のないところだ。
 人の心を操るという自分の能力をマハが知っているかどうかはわからないが、どうせあの女はその手の能力は嫌いだろうから、知ったところでこちらを蔑む理由がひとつ増えるだけだろう。

 結局のところは、ああいうタイプにも侮られないように己の力を示せとアナトは言いたいのだろうが。
 それこそ買いかぶりすぎというものだ。

 たしかに、シトリーもかつて天界にいたころは自ら剣を取って悪魔たちと戦っていた。
 だが、天使の戦い方の基本戦術は、部隊のメンバー同士で連携を取り合いながらの集団戦闘だ。
 特に、強力な相手には必ず数の上で優位に立ちながら戦うのが鉄則だ。
 シトリーとて、下級や中級の悪魔相手なら1対1でも引けを取らない自信はある。
 ただ、マハのような武闘派の上級悪魔を屈服させるほど腕が立つかというと……。
 それこそ、力自慢の相手を真正面から押さえつけようなど、これまで考えてみたこともない。

 ガラじゃないと言えば、これほどガラじゃないこともないよな……。

 だったら、やっぱりマハに力を使うしかないのか?
 それこそ至難の業だぞ。

 シトリーの能力は、相手と目を合わせたり、相手の額に指を当てて力を直接送り込むことで発動する。
 これが、簡単なようで案外と難しい。

 セオリーとしては、相手に自分のことを信用させて自分の目を見つめさせる、あるいは、うまく言いくるめてそういう状況にさせる、というのがベストだ。
 だが、今回は相手が相手だ。
 ハイそうですかと、おとなしくこっちの目を見つめてくれる奴じゃないし、言いくるめるのもほぼ不可能だろう。
 額に指を当てようと近づこうものなら、その前に斬りつけられかねない。

 ユリウスの時みたいに相手に魔の種を植え込むのは?

 馬鹿か、僕は。
 悪魔に魔の種を植え込んでどうしようってんだ?
 そもそもあの時みたいに囮は使えないし、僕が直々に植え付けに行くのは自殺行為だ。

 椅子に身を沈めてあれこれ考えても、なかなかいいアイデアは浮かんでこない。

 ……なんだかんだ言って、やっかいな相手にはアンナやリディアに頼ってたからな。
 そうか。リディアの精神世界に連れ込めば。
 リディアの力があいつにどれだけ通用するかわからないが、僕の力と合わせたなら……。

 問題は、その間、奴が率いている軍勢をどうするかだな。
 軍団ごとリディアの世界に連れて行けたらベストなんだが、人間はともかく、1万はいるであろう妖魔や悪魔の大集団を引き込めるだけの力がリディアにあるかどうか……。

 ……実際に規模と力のほどは見てみないとわからないが、ピュラとクラウディアたちの結界で抑えるしかないか。

 なんか、ぶっつけ本番でやるにはリスクが大きすぎるけど、今のところそれがまだ確率が高いか?
 実際に奴らが来るまでに、もう少し割のいい作戦が見つかればいいんだが。

 椅子に凭れたまま、シトリーは眉間に皺を寄せて考え続けた。

* * *

 結局、名案が浮かぶよりも先にその日はやってきたのだった。

「シトリー様!北西の国境付近に妖魔の軍勢が現れたとの連絡が入りました!」

 少し慌てた様子でピュラが報告してきたのは、シトリーたちの帰還から3日経った後のことだった。

「北西……ってことは本隊じゃないな。だいいち本隊が着くには早すぎるし」
「はい。おそらくは例の軍団かと」
「メリッサ、向こうからなんか連絡は入っているか?」
「……いえ」

 脇に控えていたメリッサの返答は、いたって簡潔だった。
 その後ろでは、エミリアとニーナが肩をすくめている。

「あの……シトリー様、妖魔の軍勢は近隣の村を蹂躙しながらこちらに向かっている様子です」

 ピュラの報告を聞いて、シトリーはチッと舌打ちをする。

「あくまで喧嘩を売るつもりってことか。くそ……どこまでこっちを侮る気なんだ……」
「いかがいたします、シトリー様?なんでしたら、わたくしと先生で魔導師部隊を率いて迎え撃ちますが?」

 クラウディアも、その濃紺の瞳に憂色を浮かべて判断を仰いできた。

「いや、余計な手は出すな。いたずらに被害が出るだけだ」
「しかし……」
「向こうの方からこっちに向かってきているんだから、素直に通してやればいいさ。その上で、この町の外で全力で迎え撃つ」
「この町の外でですか?」
「ああ。ピュラ、向こうの数はわかるか?」
「はい、報告によると1万弱はいるとのことです」
「やっぱりそのくらいはいるか。……この城下でその規模の軍団を展開できるのは東の平原しかないな」
「はい」
「こっちも牽制のために騎士団と親衛隊の全軍を出す。数だけだとこっちが上か……。その上で、クラウディア、ピュラ、うちの魔導師部隊で1万の妖魔を閉じ込めるだけの結界が張れるか?」
「……そうですね。どの程度の力を持った妖魔の集団かにもよりますが、おそらく可能だと思いますわ」
「報告によると、妖魔の軍勢はオーガや巨人が多く、凶暴ではあるようですが魔法を使ったりしている気配はないそうです。おそらく魔法への耐性は低いかと……」
「よし、だったら雑兵どもを封じ込めるのは任せるぞ、ピュラ。おまえとうちの魔導師部隊でなんとかしてくれ」
「かしこまりました。では、さっそく部隊の中でも腕の立つ者を選出するとします」

 軽く頭を下げると、ピュラは広間から出て行った。
 残った面々を見回すと、シトリーは矢継ぎ早に指示を出していく。

「残りの全員で向こうの頭のマハを抑える。騎士団から一隊を割いて、念のために街の城門を閉じて守りを固めさせておけ」
「はっ!……ところで、シトリー様。私たちは?」
「もちろんおまえたちには僕の側にいてもらう。騎士団の指揮の方はユリウスに任せておけ」
「はい!」

 玉座の傍らに控えて表情を曇らせていたフレデガンドとエルフリーデが、安堵したように敬礼を返してくる。

 シトリーとしても、相手が腕にものを言わせてくるタイプだけに肉弾戦の要員は置いておきたかった。
 特に、魔の気を受けて強化されたエルフリーデの身体能力なら……。
 もちろん、彼女単独では無理でも魔法の援護があれば戦力になるだろう。

「それと……リディア」
「はい」
「おまえが今回の作戦の肝だ」
「ええっ?は、はい……」

 シトリーの言葉に、リディアが驚いたように目を丸くする。
 それはすぐに、戸惑いの表情へと変わった。

「どうにかしてマハをおまえの世界に連れて行く。それが僕の作戦の目的だ」
「わたしの、世界に……」
「相手はこれまでのようなただの人間とはわけが違うからな。気を抜くとこっちがやられるぞ」
「う、うん……」

 素直に頷きながらも、リディアは戸惑いを隠せないでいた。

 これまで、シトリーの命令に従ってリディアが自分の精神世界に連れて行って狂わせ、堕としていったのは人間ばかりだ。
 自分を悪魔の同族だと信じている彼女には、人間を堕とすことにはなんの躊躇いもなかった。
 だが、今回の相手は悪魔だ。
 そのことにリディアは戸惑いを覚えていたのだ。

 もちろん本当の悪魔なら、自分に刃向かってくる者なら相手が悪魔だろうが人間だろうが容赦はしない。 
 だが、シトリーによって悪魔への同族意識を強く刷り込まれているリディアは、その点に関しては脆いと言わざるを得なかった。
 同族や仲間への躊躇いは、ある意味非常に人間らしいものであるといえる。
 本人でも自覚していない、人間としての一面が彼女を躊躇わせていたのだった。

「どうした?不安なのか、リディア?」
「うん……」
「でも、おまえがやらなきゃ僕が困るんだ。あいつは僕に対して敵意剥き出しだろうしな」
「そんな……。だって、悪魔同士なんでしょ?」
「別に、悪魔だからってみんながみんな仲良くしてるわけじゃないさ。それに、人間同士だってお互いに争ったりしてするだろう?それと同じようなもんだ」
「でも……」
「しかし、もしおまえがそうやって躊躇っていると、おまえの目の前で僕があいつに殺されるかもしれない」
「いやっ!そんなの絶対にいやっ!」
「だったら、自分のするべきことはわかるだろ、リディア?」
「うん。わたし、おじさまを守る。おじさまを傷つけるようなら、相手が悪魔でも人間でも赦さない」
「ああ、期待してるよ。おまえならできるさ」

 その点に関しては、あまり心配はしていなかった。
 なにしろ、わざと引きずり込まれるのが作戦だったとはいえ、初めて会った時にリディアは、いとも簡単にシトリーを自分の精神世界に連れ込んだのだから。
 彼女が力を使う隙さえ使ってやれば、問題なくマハを連れ込めるはずだった。

「他の者はリディアの援護だ。クラウディアとメリッサは術でマハの動きを止めろ。万が一止められなかった時は、フレデガンドとエルフリーデ、おまえたちの出番だ」
「はい」
「かしこまりました」
「ねねねっ!あたしたちはっ、シトリー!?」
「そうだな……。エミリア、おまえ、まだこいつを持ってるか?」

 シトリーが短く呪文を唱えると、その手元に一振りの剣が現れた。

 やや細身だが、片手で扱うにはちょうどいい諸刃の長剣。
 目立った装飾はないが、それだけに実用的で、かなり使い込まれている印象があった。

 それは、シトリーがまだ天使だった頃に愛用していたものだ。
 魔界に堕ちてから千年と少しの間、実際に戦闘で使ったことはほとんどないが、たまに取り出してみては、昔の感触を忘れぬように素振りをすることはあった。
 だが、まさかそれを実際に振るう時が再び来るとは、シトリー自身思ってもいなかった。
 なにしろ、時折思い出したようにそれを手にすることを、天使時代のことを忘れられないつまらない感傷だと、彼自身が思っていたのだから。

「ちょっ……それって!?」

 剣を手にしたシトリーの姿に、エミリアは驚きを隠せない様子だった。

「ああ、フレデガンドとエルフリーデのふたりだけではきついだろうからな、その時は僕も戦うさ。……なに、リディアの力が発動するまで持ちこたえることくらいはできるだろう」
「ふーん、そういうことなら……」

 不意にニヤリと笑うと、エミリアも短く呪文を唱える。
 すると、その手にシトリーのよりもやや小ぶりの、だがよく似た雰囲気の剣が現れていた。

「あたしだって、ちょっとはできるところを見せないとね!」
「腕は鈍ってないだろうな、エミリア?」
「ふふん、なめないでよね」

 そう言ったエミリアの顔には、普段のふざけたものとは正反対の、不敵な笑みが浮かんでいた。

「なめちゃいないさ。昔通りに動けるんならそれでいい」

 エミリアとの付き合いが一番長いシトリーは、天使時代の彼女の実力はよく知っていた。
 あの頃と同じ戦い方ができるのなら別に問題はないし、シトリーとしても連携は取りやすい。

 ……これで4人。
 4対1ならなんとか食い止められるか?
 それに、クラウディアとメリッサの援護があれば……きっとなんとかなるだろう。

 マハの動きを止める目処の立ったところで、シトリーは残っていた3人に指示を出す。

「シンシアとアンナは王宮の中にいろ。さすがにおまえたちじゃ相手にできないからな。ニーナはふたりの護衛兼連絡係。おまえも戦闘の前面にはあまり出たくないだろ?」
「そうですね~」
「まあ、しかたありませんね。私たちでは足手まといになるだけですし……」
「たしかに……御側にいたいのはやまやまですけど。……シトリー様のことはお願いね、エル」
「ああ、心配するな、アンナ」

 祈るように手を組んでいるアンナに、エルフリーデが力強く頷き返す。

 全員が納得したところで、シトリーは立ち上がるとリディアの肩をポンと軽く叩いた。

「まあ、そういうわけだ。僕らがなんとかして隙を作ってやるからおまえは自分の仕事に集中しろ」
「うん、わかったわ、おじさま」

 シトリーの言葉に、リディアは素直に頷く。
 その表情からはさっきまでの不安の色は消えていたが、その代わりに唇をぎゅっと噛んで少し緊張している様子だった。

 おそらく、その時点で一番不安を抱いていたのはシトリー自身だったろう。
 作戦の目処が付いたとはいえ、ぶっつけ本番もいいところだ。
 人間相手はともかく、悪魔や妖魔相手に、今、自分の手元にある駒がどのくらい通用するのか……。
 いや、あの狂犬のような女を自分たちで抑えられるのか……。

 だが、シトリーの不安は、思いもよらぬ形で裏切られることになる。

* * *

 付近の村々を荒らしながら、マハに率いられた魔界の軍団がフローレンス城下に押し寄せてきたのはそれから4日後のことだった。

 シトリーが事前に予測していたとおりに、魔界の軍団は町の東側にある平原に陣取った。
 それに対して、シトリーもヘルウェティア軍を率いて出迎える。
 すでに、ピュラに率いられた魔導師部隊は姿を消して要所への配置を済ませていた。

 とはいえ、それは出迎えというには、あまりにも緊張感に満ちたものだった。

 向こうの軍勢の、オーガーやトロール、ジャイアントの巨体が並ぶ様にはさすがに圧倒されるものがあった。
 他には、ミノタウロスやリザードマン、獣人などの姿が目立つ。
 ピュラの報告にあったとおり、どちらかというと膂力にものを言わせるタイプの妖魔ばかりで、知恵のありそうな中級以上の悪魔の姿はない。
 アナトの本隊も決して末端まで規律が行き届いていたわけではないが、それ以上に粗暴で荒くれた集団に見える。

 なにより、目を血走らせた妖魔の集団は異様に殺気立っていて、一触即発の危機を孕んでいた。
 そして、その集団の先頭に立っているのは……。

「ふん、わざわざ出迎えかい?それにしちゃあ、ご大層じゃないか」

 女にしては野太い声が響き渡った。

 その声の主が、軍団を率いているマハだった。

 身長こそ、シトリーとそれほど変わらない。
 だが、肌は褐色で艶やかに光り、露出の高い、赤い軽装の鎧を身につけただけの鋼を思わせる引き締まった体には、黒と白の流水線の刺青が入っている。
 黄金色に近い、淡く明るい色の髪に、逆三角形の顔立ちに鼻も高く、どちらかというと美人の部類に入る整った顔立ちだろう。
 だが、やや吊り気味の目は鋭く光り、また両頬にも、白く楔形の刺青が2本ずつ入っていって、野生の獣を思わせる荒々しさを感じさせる風貌だ。
 それが一振りの長剣を肩に担ぐようにして、傲岸不遜な笑みを浮かべていた。

「ああ。わざわざ出迎えに来てやったんだよ。おまえには糾しておかなければいけないことがいくつかあるからな。……まずは、到着がこれほど遅れた理由を聞いておこうか?」
「ふん、いつ来ようがこっちの勝手だろ。もとから期限なんてあってないみたいなもんだろうが。間に合ったんだから何も問題ねえじゃねぇか!」
「本当に勝手な言い草だな。こっちから何度も伝令を送っただろうが」
「はっ?知らねぇな!手違いでもあったんじゃねえのか?」

 平然と嘯くマハの態度には、後ろめたさとか、そういった感情はまったく見られない。

 こいつ、あくまでもシラを切ろうってのか?
 それだけこっちが甘く見られてるってことか……。

「……まあそれはいい。じゃあ、もうひとつ聞いておくが、ここに来るまでに周辺の村を荒らしたのはどうしてだ?」
「そりゃあ決まってるじゃねぇか!あたしたち悪魔が地上に出てきてやることっていったら、人間を襲うことだろうが!」
「だが、僕は魔界の上層部の命令でこのヘルウェティアを堕としに来たんだ。この国がこっちの味方だということは、そっちにも伝わっていたはずだが?」
「人間が味方だぁ!?ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」
「なんだと?」
「人間ってなぁ悪魔に狩られるためにいるもんだろうが!」
「おまえ、今回の戦争の目的がわかってないのか?この戦いは、最終的には天界のやつらを引きずり出すのが目的だ。あの連中と争うには戦力は少しでも多い方がいい」
「だから人間の力なんかいらねぇつってんだろうが!天使どもと喧嘩するんなら、魔界の軍勢だけで充分だってんだよ!」
「おまえがどう思おうと勝手だがな。この方針は、この方面軍の司令官であるアナトの方針でもあるんだぞ」
「知らねえな。あたしはあたしのやり方でやらせてもらう」
「少なくとも、僕の指揮下に入る以上はそんなわがままは許さない」
「わかってねぇな!こっちはてめえの指揮下に入るつもりはねえっての!」
「おまえ、自分が何を言ってるのかわかってるのか?このことは、本隊が到着したら司令官に報告させてもらうけどそれでもいいのか?」
「ああ、かまわないね!てめえこそ、少しばかりアナトの受けがいいからって、いい気になってんじゃねえよ!」
「マハ!……貴様」

 あまりの無礼な態度に、さすがのシトリーも気色ばんでマハを睨みつけた。

「ほう~、そんないい面できるんじゃねぇか。上に取り入るしか能がないと思ってたのによ。……それに、相変わらず女を侍らしやがって、反吐が出るぜ」

 シトリーの脇を固めるクラウディアたちに一瞥をくれると、マハはいかにも軽蔑した様子で唾を吐く。

「てめえみたいに女をたぶらかすことしかできないような奴が軍団長だと?笑わせるなっての。いいか、シトリー、あたしはてめえの言うことを聞くつもりなんかないね。人間なんてな、あたしの力の前じゃこんなもんなんだよ!」

 そう言うと、マハは肩に担いでいた剣を横薙ぎに払った。
 すると、剣先から放たれた剣風が三日月状のエネルギーの刃と化してシトリーたちの頭上を越えていったかと思うと、凄まじい轟音が響き渡った。

「……なっ!?」

 背後を振り返った者は、一様に言葉を失う。

 朦々たる風塵が上がり、少ししてそれが収まった後に皆が目にしたもの。

 そこにあったはずの市壁の東門の上半分が完全に吹き飛んでいた。

「どうだっ、シトリー!人間の町なんざ、あたしにかかればこの程度なんだよ!」
「どういうつもりだ、マハ。これは上官である僕に対する反逆行為だぞ」
「ハッ!だったらどうしようってんだ?ここで白黒つけるか?端っから、てめえなんかに従う気はないつってんだろうが!……そうだ!おまえを倒せばあたしが軍団長ってのはどうだ?魔界では力が全てだ。あたしがここでてめえをぶった切れば、アナトも文句が言えねえだろうぜ!」

 シトリーのことを、完全に侮った態度で高笑いを続けるマハ。

「それ以上、その薄汚い口を動かさないで!」

 その時、マハの哄笑を遮るように、シトリーの背後からそう叫んだ者があった。
 まだ、幼さの残る、甲高い声。

「さっきから黙って聞いていたらいい気になって!たとえあなたが悪魔でも、それ以上おじさまのことを侮辱するのなら、わたしが赦さないんだから!」

 見なくても、その声の主はわかった。
 リディアだ。

 しかし、妙にざわざわと騒がしい雰囲気をシトリーは背中で感じていた。

「本当におじさまの言ったとおりだわ!悪魔の中にはあなたみたいなのもいるのね!」
「おい、リディア……なっ!?」

 自分の脇を通って前に進み出たリディアを呼び止めようとした、シトリーの言葉が途切れた。

「なんだ、随分と威勢のいい奴がいると思ったら人間のガキかい」

 いきなり会話に割り込んできた少女の、その華奢な姿を見てマハは鼻でせせら笑う。

 人間のガキだって?
 違う……あれは。

 完全にリディアを見下しているマハに対して、シトリーは驚きと困惑の入り交じった思いでその後ろ姿を見つめてた。
 怒りに肩を震わせている少女の、後ろに長く垂らした長い髪は、いつもの白に近い灰色ではなくて、紫に染まっていた。
 その髪の間から、尖った耳の先がちらりと覗いている。
 それに、さっきちらりとシトリーを見た時の、金色に輝く瞳。

 その姿は、リディアが自分の精神世界でしか見せないもの。
 それが、今、現実の世界に現れていた。

「えっ?ええええっ!?」

 シトリーのすぐ後ろに立っていたエミリアが、驚きの声を上げる。
 その場にいる全員が、固唾を呑んで紫の髪を風に靡かせている少女の姿を見詰めていた。
 そのリディアを中心にして、どこから湧き上がったのか、辺りに白い靄が立ち籠めていた。
 あたかも、リディアの精神世界の中のように。

「ちょっ、ちょっと?まさか、あたしたちってリディアちゃんの世界に連れ込まれちゃったの?」
「いえ、それなら連れ込まれる時に気付くはずよ。それに、この感じ……これは、リディアの精神世界とは違うわ」

 目を丸くして狼狽えているエミリアを落ち着かせようとするクラウディアの言葉も、どこか自信なさげだった。

「……ああ、クラウディアの言うとおりだな。ここは、現実の世界だ。僕たちがリディアの精神世界に連れ込まれたんじゃなくて、きっと、あの世界のリディアが現実の世界に出てきたんだ」
「えええっ!?」
「そんな……?」
「どうやら、あれがあいつの本当の力みたいだな」

 ふたりに向かってそう説明したシトリー自身、リディアの精神世界での力があまりに圧倒的すぎて、あれが完成形だと思っていた。
 だが、それは勘違いだったらしい。
 リディアの中に流れる魔族の血が真に覚醒すると、その力を現実世界で発揮できるようになるのではないだろうか。

 その証拠に、リディアから発せられる肌がビリビリくるほどの強い魔力。
 それはすでに人間のレベルを遙かに超えていた。いや、並の悪魔、それどころかそこら辺の上級悪魔すら凌駕しているだろう。

「悪魔はわたしたちの仲間だと思ってたのに、あなたみたいなのもいるなんて……」
「仲間だぁ!?ふざけるなよ、人間なんざ悪魔に狩られるもんだって言ったろうが!ほら、どけよ。おまえみたいなガキに用はねえんだ。それとも、シトリーごとぶった切って欲しいのか?」
「本当にあなたって悪魔のクズね。でも、おじさまはわたしが守るんだから」
「ああ、なんだって?おまえが?ハハハハハッ!こいつは傑作だな、おい!」

 おかしくてたまらないという風に腹を抱えて笑うマハ。

「こんなガキに守ってもらうなんて情けないとは思わねぇのか、シトリー!?自分の身くらいてめえで守れよ。まあこれも、女たらしのてめえらしいがな!」
「黙りなさい!それ以上おじさまを侮辱したら赦さないって言ったでしょ!」

 怒気を孕んだリディアの声が、その場の空気を切り裂く。
 その髪が、逆立つように浮き上がっていた。

 そして、リディアの手のひらから、1本、また1本と伸びてきたのは、蔓状の触手。
 リディアが精神世界で操っている蔓とそっくりな触手が、両方の手のひらから5本ずつ伸びて、鎌首をもたげた蛇のようにマハの方を窺っていた。

 その、ただならぬ雰囲気に、シトリーは慌てて片手を上げる。

 それを合図に、身を潜めていた魔導師部隊が姿を現した。
 そして、ピュラの指揮の下、一斉に呪文を唱えると、妖魔の軍団を漆黒の巨大な結界が包み込んだ。

「なっ!?……てめえっ!」

 さすがに少し驚いた表情でマハが見つめる先の、立方形の巨大な箱のような結界の表面は真っ黒に澱み、中の様子は窺い知ることはできないが、閉じ込められた妖魔が出てくる気配はない。

「ふん!姑息な手を使うじゃねえか!しかし、てめえなんかあたしひとりで充分なんだよ!」

 自分の手勢が閉じ込められて小さく舌打ちをしたものの、マハはまだまだ余裕の表情を浮かべていた。

 と、その体にリディアの手から伸びた触手が1本突き刺さった。
 いや、潜り込んだと言った方が正しいのかもしれない。
 マハの皮膚をすり抜けるように入っていった触手の刺さった箇所からは、まったく血が流れていないのだから。

 それに、マハにもダメージを受けた様子は見られない。

「あなたの相手はわたしよっ!」
「ハンッ!これで攻撃のつもりなのかい?いいか?攻撃ってのはこうするんだよ!」

 そう言うと、マハは持っていた剣を高々と振り上げた。

「クラウディア!メリッサ!リディアの援護を!」

 咄嗟にそう叫んで、シトリーも剣を手にした。

「くらえっ!」

 マハが剣を振り下ろすと、放たれた剣風が刃と化してリディアに襲いかかった。

「……出でよ、万物を遮る光の壁よ!」

 間一髪のところでクラウディアの呪文が間に合い、現れた魔法の障壁がマハの剣風を受け止める。

「くうっ!」
「きゃあっ!」

 ふたつの巨大なエネルギーがぶつかった衝撃で、地響きが湧き起こり、凄まじい爆風を辺りに撒き散らす。
 シトリーとリディアはクラウディアの魔法で守られているものの、背後からは悲鳴がいくつか聞こえてきていた。

「くっ……!大丈夫、リディア?」
「はい。ありがとうございます、クラウディア様」

 なんとかマハの攻撃を相殺して、魔法の障壁も掻き消える。
 親友の身を案じて声をかけたクラウディアに、リディアも白い歯を見せて応じた。

 一方、自分の攻撃が遮られたことに、マハも少なからず驚いた様子だった。
 それも、見下していた人間に止められたことで、さっきまでの嘲笑は消え、怒りに目をぎらつかせる。

「くっ、やるじゃねえか!だがっ、いい気になるなよ人間風情が!これがあたしの本気じゃねえんだよっ!……なっ!?」

 そう叫んで一段と大きく剣を振り上げたマハの体に、メリッサの呼び出した魔界の蔓草が絡みついていく。

「ふんっ!この程度でっ!」

 全身に力を込めると、マハは体を拘束する蔓草を引きちぎっていく。

 だが、そこに生まれた一瞬の隙をついてリディアの触手が殺到した。
 1本、また1本と触手が次々とマハの中に入り込んでいく。

「ぐっ……!?」

 4本目が突き刺さったところで、もがいていたマハの動きが止まった。
 だが、それにかまうことなく触手はマハに襲いかかる。

「ぐふっ……うぐっ……!?」

 触手が突き刺さるたびに、苦しげな呻き声をあげながらその体が小さく震える。
 マハの体からは、血の一滴すら流れていないというのに。

 そして、10本の触手が全てマハの体に打ち込まれた。

「いい?おじさまをさんざん侮辱した償いはしてもらうわよ」

 そう言って笑みを浮かべたリディアの表情は、まさに悪魔そのものの残忍さを湛えていた。

「自分の行為の愚かしさを思い知りなさい!」
「ひぐっ!ぐああああああっ!」

 リディアの瞳がきらりと輝くと、触手が脈打ってマハが大きく目を見開いた。
 その瞳孔は完全に開ききって焦点を失い、小刻みに震えている。

「おじさまに刃向かうなんて、身のほど知らずもいいところね。自分がどれだけ大それたことをしたのかわかっているの!?」
「ぐふっ、うぐうううっ!」
「あなた程度の悪魔なんか、おじさまがその気になれば簡単に潰されてしまうことも理解していないのね」
「があっ!ひぎいいいいいっ!」

 リディアの瞳が光り輝くたびに、マハの体が苦しそうに痙攣する。
 もはやその目はどんよりと翳って、ボタボタと涎を垂らしながら呻き続るだけになっていた。

 かなりヤバそうな状態だが、シトリーはリディアを止めなかった。
 もし、相手が人間だったらとうの昔に精神が壊れてしまっていたに違いない。
 だが、今の相手は人間ではなくて悪魔、それもかなり上位の悪魔だからそんなに簡単に壊れることはないだろう。
 それに、下手に止めて反撃を食らうリスクを負うよりも、たとえ壊れてしまってもこのまま放っておいた方がましかもしれない。
 そう冷静に分析しながら、リディアを見守っていた。

 あの姿のリディアを見た時に感じた予感は、今は確信に変わっていた。
 さすがにシトリーも最初は驚いたが、今では少し落ち着きを取り戻していた。
 彼女の力は、自分の精神世界に相手を引き込んで思いのままにするだけではなく、現実の世界でも使えるものだったのだ。
 もちろん、精神世界でのように空間や時間まで自在に操ることはなかなかできないだろうが、人間を操るにはこれで充分なのだろう。
 もっとも、今リディアが捉えているのは人間ではなくて上級悪魔なのだが、むしろ、それだけに秘められたポテンシャルの大きさを感じさせる。

「あなたみたいなのは悪魔じゃないわ、ましてや人間以下よ!……いえ、人間とあなたを比べるのはクラウディア様やピュラ様に失礼よね。いい?あなたはゴミ以下よ、本来ならおじさまの奴隷になる価値すらないのよ、わかった!?」
「あがっ、あがががががっ!」
「わかったのなら、おじさまに赦しを請いなさい。そして、おじさまの裁きをうけるのよ」
「ひぐううぅ……は、はいぃ……」

 せわしなく瞳孔を震わせながら、マハがリディアの言葉に返事を返してきた。
 喉の奥から絞り出すような、苦しげで、それでいて、感情のこもっていないどこか空虚な響きのある声だった。
 まるで、シトリーの瞳に操られて自我を失った人間が発する声のように。

「本当にわかったの!?」
「は、はい……はいいいぃ……」

 リディアがもう一度その返事を確かめると、マハの体から触手が離れていく。

「があっ!はぁっ……はぁっ……」

 マハの体ががっくりと崩れ落ち、両手を地について肩で大きく息をしている。

 そこに、リディアの容赦のない言葉が降りかかった。

「何をしているの!?早くおじさまに謝りなさい!」
「ひっ、ひぃっ!」

 マハが怯えたように顔を上げてリディアを見つめ、次いで、その視線がシトリーを捉えた。

「ひいいいいいいいっ!シトリー様!どうかお許し下さいませえええええぇ!」
「い゛い゛い゛い゛っ!?」

 マハが、四つん這いの体勢のままものすごいスピードで這い寄ってきて、額で地面を擦るくらいに頭を下げてきたものだから、思わず目が点になるシトリー。

「お、おい……マハ?」
「あたしごときがシトリー様に逆らおうなんて、なんて大それたことを!それに、シトリー様に対する暴言の数々、万死に値しますううううううぅ!」
「い、いや……」
「これからは心を入れ替えてシトリー様のために働きますので、平にっ、平にご容赦を~!」

 ペコペコと、コメツキバッタのように何度も頭を下げているマハの姿に、シトリーは軽い目眩を覚えていた。
 もともと、マハをどうするかはリディアの精神世界に連れ込むことに成功してからと思っていたので、特に指示していなかったというのはある。
 成り行き上、リディアのするままに任せていたのだが、まさかこんな結果になるとは思ってもいなかった。

「いや、だから……」
「せっかくシトリー様の下で働ける栄誉に与ったというのに、分をわきまえずにあたしはっ……」
「そうじゃなくてだな……」
「いえっ、本当に数々の無礼を重ねてしまって、殺されても文句は言えないことはわかっています!」
「だからっ、落ち着いて話を聞け!!」

 話も聞かずに平謝りするマハに苛立って、ついつい大きな声が出たシトリーだった。
 しかし、かえってマハはいっそう低姿勢で平伏する。

「ひいいいいいいいっ!申し訳ございません!あたしはどんな裁きでも受ける覚悟はできておりますうううぅ!」
「いや……だからだな……」

 言い様のない脱力感に襲われて、シトリーは思わず大きくため息をつく。
 なんか、この場でマハを咎め立てることすらバカバカしくなってきていた。

「あたしめになんでも申しつけて下さいませ!シトリー様が死ねと仰られたらこの場でこの首を掻き切る覚悟はできておりますうううぅ!」
「……そ、そうだな。じゃあ、まずはおまえが引き連れてきた軍団をおとなしくさせてもらおうか。それができたら命だけは助けてやる。罰を与えるのはその後だな」
「はいっ!はいいいいいいっ!やりますっ!あいつらにはシトリー様に従うように言い聞かせますので!」
「よし、じゃあ、さっそくやれ」

 そう言うと、シトリーは再び片手を上げてピュラに合図する。

 すると、結界が解かれて妖魔たちの姿が露わになった。
 結界の効果のせいか、呆然と立ち尽くしていた妖魔は、一拍間をおいて我に返ったように周囲を見回し、シトリーの前に平伏しているマハの姿を捉えた。

「マハ様!」
「今お助けしますぜ!」

 数体の妖魔が、シトリーの方に殺到してくる。
 その先頭に立っていた巨人が、シトリーに向かって棍棒を振り上げた時だった。

「てめえっ!シトリー様になにしやがる!」

 それは、一瞬の出来事だった。
 剣を手にマハが飛び上がったかと思うと、巨人の体は真っ二つに裂けて崩れ落ちた。

「え……!?」
「マ、マハ様!?」
「いいかっ!あたしらはシトリー様の命令に従う!それが上からの指示だし、あたしの意志だ!」
「いったいどうしたんですかい?」
「あの野郎になにかされたんじゃ!」
「てめえ!シトリー様のことをあの野郎とはなんて言い草だ!……申し訳ございませんシトリー様。こいつら、躾がなってないものですから。これから根性を叩き直してやるんで少しお待ち下さいませ。……いいかっ、おまえら!シトリー様に逆らおうって奴は、あたしがただじゃ置かないからな!」
「うわっ!」
「マハ様!?」
「落ち着いてくだせえ、マハ様!」
「やかましい、てめえ!……このっ、てめえもか!」

 いったんシトリーに向かって頭を下げると、マハは妖魔の群れの中に飛び込んでいって当たるを幸いぶちのめしていく。
 暴れるマハを押し止めようとした連中がまずその餌食になり、それには構わずシトリーたちに襲いかかろうとした数体は、追いすがってきたマハにその剣で切り刻まれる羽目になった。
 その姿は、まさに魔界でも屈指の武闘派に相応しいものではあったのだが、シトリーは目眩を通り越して、さっきからこめかみの辺りがズキズキ痛んで、すっかり頭を抱えていたのだった。

「おじさま、どうしたの?」

 シトリーの様子を心配して、リディアが声をかけてくる。
 いつの間にかその姿は、いつも通りのグレーの髪に青い瞳に戻っていた。

「いや、ちょっと頭痛がな。……まあ、何はともあれよくやった、リディア」

 こめかみを押さえながら、シトリーはリディアを労ってやる。
 まあ、結果に少々難はあるが、全てはリディアの手柄だ、褒めてやらないわけにはいかない。

 妖魔の軍勢を相手に暴れているマハを眺めながら、クラウディアたちもその周りに集まってきた。

「やったじゃない、リディア」
「すごいわ、いったい何をしたの?」
「うん、それがわたしもよく覚えていないの。ものすごく腹が立って、気がついていたらああしていたの」
「本当に?」
「うん」
「でも、なにはともあれお手柄じゃないの、リディア」
「ありがとう、クラウディア様」

 クラウディアたちに祝福されて、リディアが嬉しそうな笑みを見せる。
 どうやらさっきのあの力は、彼女自身まだ自由自在に扱えるというわけではないらしい。

 それにしても、ああやって皆に囲まれて微笑んでいる表情は、年相応の少女のものだ。
 魔導師のローブを着ているところをさっ引いても、せいぜい修行中の駆け出し魔導師にしか見えない。
 とてもではないが、この少女が実力のある悪魔をねじ伏せたとは思えなかった。

 ………………………。

「……ん?」

 ふと、シトリーは自分を見つめる視線を感じた。

「……エミリア?」

 いつもなら、真っ先にリディアに駆け寄ってはしゃいでいるであろうエミリアが、こちらをじっと見つめていた。
 それも、普段のおちゃらけた雰囲気とは違う、どことなく翳りのある不安そうな表情で。

 だが、シトリーが自分の方を見たことに気づくと、慌てたようにぎこちない笑顔を浮かべてリディアを囲む輪に入っていった。

 エミリアのやつ……。

「……まあいいか」

 そう呟いて、シトリーは軽く頭を振る。
 エミリアが何を言いたいのか、シトリーにはだいたいの見当は付いていた。
 しかし、それに関してはシトリーにもどうしたらいいのか正解が出せずにいるのも事実だった。
 それよりも、今は目の前で起きていることに対処するのが先決だ。

(……ピュラ)
(はい、なんでしょうか、シトリー様?)

 シトリーが念話を送ると、すぐにピュラからの返事が返ってきた。

(魔界の連中がおとなしくなったら、僕のところに来るようマハに伝えてくれ。僕からの命令だと言えば今のマハは素直に従うはずだ)
(はい)
(それと、魔界の軍団には監視を怠るな。もともと規律なんて概念のない連中だからな、マハがいなくなったらまた暴れ出すかもしれん。もしおかしな素振りを見せたらすぐに結界で封鎖して僕に連絡してくれ)
(わかりました)

 手短に指示を出すと、シトリーは身を翻して、リディアを囲む輪に声をかける。

「おい、いつまでそうしてるんだ。そろそろ戻るぞ」
「はい……でも、この場はあれでいいの、おじさま?」
「ああ。おまえのおかげでマハはこっちの言いなりだし、妖魔どもの相手はあいつに任せておけばいいだろう。その後のことはピュラに指示を出してあるし」

 そう言って、街に戻ろうと足を踏み出したシトリーをクラウディアが呼び止めた。

「あっ!お待ち下さい、シトリー様!」
「……ん?なんだ?」
「そっちの門はさっき破壊されてしまいましたから……」

 そう言ってクラウディアが指さした先。
 さっきまで東門があったそこには、崩れた瓦礫の山があった。

 相当数の死者や怪我人が出ているらしく、門の守備に当たっていた騎士団が慌ただしく動き回っている。
 門の入り口は完全に塞がれて、とても通れそうになかった。

 その様子を見て、シトリーは忌々しげに舌打ちをする。

「……しかたないな、他の門に回るか」
「あの……なんでしたら、わたくしの魔法で宮殿まで移動しましょうか?もちろん、全軍は無理ですけど」
「ん?ああ、そうだな。じゃあ、フレデガンドとエルフリーデは騎士団と親衛隊を指揮して他の門に回ってくれ」
「はっ!」
「かしこまりました!」
「じゃあ、僕は先に宮殿に戻っているから。……この人数ならいけるな、クラウディア?」
「ええ。リディアもいますから問題ありません」
「よし、じゃあ頼む。……はぁ、戻ったらシンシアに門の修復の見積もりをさせなきゃいけないな。まったく、アナトの本隊を迎える準備もしなくちゃいけないってのに」

 この後のことを思案しながらぼやき続けているシトリーを中心にエミリアとメリッサが集まり、クラウディアとリディアが呪文を唱えると一行は光に包まれ、そして次の瞬間にその姿は掻き消えたのだった。

* * *

 宮殿に戻ったシトリーは、直ちにシンシアを呼び出してマハに壊された東門の修復を急がせるよう指示を出す。
 次いで、クラウディアたちと2、3日中にも到着するであろうアナトの本隊を迎える準備の詰めの作業の打ち合わせを進めていた。

 マハの率いていた軍団の後始末を任せていたピュラが戻ってきたのは、数刻してからだった。

「ピュラか?やつらはどうなった?」
「はい。大半がマハにのされて伸びております。残りは戦意を喪失しておとなしくておりますが、厳重に監視は付けています」
「で、マハは?」
「それが……シトリー様の裁きを受けると言って次の間で控えておりますが」
「僕の裁きを待つって?」
「シトリー様が仰ったのではないですか?部隊の者をおとなしくさせてから罰を与えると」
「ああ……そういえば……」

 連れてきた軍団をおとなしくさせたら、命だけは助けてやるって言ったっけな。
 さっき自分で言っておきながら、すっかり忘れていた。
 あの時は、とにかく平謝りするだけのマハを黙らせるために言っただけで、なにも考えてなかった……。

「さてと、どうしたもんだかな……」

 小さく呟くと、シトリーは腕を組んでしばし考え込む。

 とりあえずは、マハがどんな感じに洗脳されているのか改めて確認してみるか……。

 さっきはあいつがあんな状態だったからこっちの気が削がれてしまったけど、今なら落ち着いて確かめることができるだろう。

「よし、僕の部屋に来させろ。マハひとりでな」
「大丈夫でしょうか?」
「ん?なにがだ?」
「いえ……シトリー様のに身に危険が及ぶのではないかと……」
「ああ、その点なら問題ないだろう」

 さっきのマハの様子なら、シトリーに危害を及ぼす可能性は考えられない。
 別の意味でめんどくさそうだが、とりあえずの危険はなさそうだ。

「しかし……」
「大丈夫だ。とにかく、僕はこれから部屋に戻るからマハをそっちに回してくれ」
「わかりました」
 
 頭を下げてピュラが出て行くと、シトリーは別の扉から出て、自分が使っている部屋に戻る。
 そこで、マハが来るのを待つことにした。

* * *

 しばらく待っていると、ドアをノックする音がした。

「入れ」

 シトリーの声に応じて、マハが中に入ってきた。
 もう、城下で対峙した時の不遜な態度は微塵も見られない。
 そして、神妙な顔でドアを閉めるとその場に平伏した。

「では、弁明を聞くとしようか、マハ」

 シトリーの言葉に、床につくほどに頭を下げたマハの肩がビクリと震えた。

「まず、こちらへの合流が遅れた件に関しては?」
「ははーっ!それは、分もわきまえずにシトリー様のことを軽く見ておりました、あたしが悪うございます!」
「なるほど。では、ここに来る途中人間たちを襲ったのは?」
「それもあたしが悪うございます!シトリー様の下で働くのなら、協力して事に当たらねばなりませんというのに、あたしの軽はずみな行動でシトリー様には多大な迷惑をおかけしてしまって!」
「なら、人間たちは僕の味方だと認めるんだな?」
「はいっ、それはもう!シトリー様のために働くのに、悪魔も人間も関係ありません!いえ、シトリー様の部下としては、あたしなどは新参者でございます!その末席を汚させていただくだけでも光栄でございます!」
「だったら、あいつらはおまえの先輩だ。そのことを忘れるんじゃないぞ!」
「はっ、ははーっ!」

 ペコペコと繰り返し頭を下げるマハの姿を、厳めしい表情を作って見下ろしながら、よくもまあここまで変わるもんだとシトリーは内心呆れていた。
 あのマハをここまで変えたリディアの力には改めて驚かされるが、もう少しやりようがあったのではないかと思わないでもない。

「で、さっきのあの、僕に対する反抗的な態度は?」
「ははーっ!それこそ弁解の余地もございません!畏れ多くもシトリー様に対して弓を引こうなどと、身の程知らずなことを!」
「では、どんな罰でもうけると。弁明はしないということなんだな?」
「はっ!全てはあたしが悪うございます!いかなる罰も受ける覚悟はできております!」
「よし、じゃあ、顔を上げるんだ」

 そう言うと、シトリーはマハの方に歩み寄る。
 そして、自分を見上げたマハの額に指を当てた。

 とはいえ、このままでも僕の言うことは絶対に聞くだろうしな。これ以上どうしたもんだか……。
 そうだ、僕にされることなら、どんなに辱めを受けても、どんなにいたぶられても快感に感じるようにしてやるか。

 そう決めて、シトリーは指先に力を込める。

「うっ!うぁあああっ……!」

 瞬間、短く呻いてマハの瞳孔が開いた。
 口許から涎を垂らし、小刻みに体を震わせて流し込まれるシトリーの力を受け容れていく。

「うあああああっ!……あ?」

 力を流し終えたシトリーが指を離すと、マハは我に返った表情を浮かべた。

「それじゃあ、おまえに罰をくれてやる」
「はいっ!あたしの覚悟はできております!」
「そうか。なら、尻を出してこっちに向けるんだ」
「は?」
「いいから、尻を晒して僕の方に向けろ」
「はっ、はいっ!」

 勢いよく返事をしてマハは立ち上がり、鎧を外して穿いていたレザーのタイツも脱ぎ捨てると、露わになった下半身をシトリーに向けて突き上げた。

「あ、あの、これでよろしいでしょうか、シトリー様?」

 こっちに向かって振り向いたマハの頬は赤くなり、恥ずかしさからか突き上げた尻がもぞもぞと揺れている。

「ああ、いいだろう」

 シトリーは、壁に掛かっていた儀礼用の剣を手に取ると、その鞘でマハの尻を、ピシリ!と叩いた。

「あうっ!」

 尻を叩かれて、マハが声を上げる。

「もう一丁いくぞ!」
「はうっ!」
「まだまだ!」
「あっ、あんっ!」
「ほらっ!」
「あんっ!はうぅん!」

 ピシリ!ピシリ!と、その筋肉質な尻を叩くたびにマハが悲鳴を上げる。
 だが、その声には痛がっているというよりも、どこか艶めかしい響きが混じっていた。
 それだけではない。
 四つん這いになって尻を突き上げているマハの秘部から、ポタリ、ポタリと滴が垂れ落ちていた。

「なんだなんだ?もしかして、尻を叩かれて感じているのか?」
「あうんっ!はいいいっ!お尻っ、叩かれてっ、気持ちいいですぅ!」
「こいつはとんだ変態だな」
「はいいいぃ!あたしは、シトリー様にお尻を叩かれて感じる変態なんですぅうううう!あんっ、ああんっ!」
「まったく、これじゃあ罰にならないじゃないか」
「申し訳ございません!でもっ、もっと、もっと激しくぶってくださいいいぃ!あぅん!あっはぁああん!」

 シトリーに尻を叩かれ続けて、マハはむしろ歓びに体を打ち振るわせている。
 褐色のその肌でも、それとはっきりわかるほどに赤く腫れ上がっているのにも拘わらずだ。
 それどころか、床にこぼれ落ちる蜜が、次第に水溜まりを作っていっていた。

 力を使って、自分にされたことはなんでも快感に感じるようにさせたのは他ならぬシトリー自身なのだが、なかなかに面白い反応だ。
 まあ、多少弱い者いじめをしている気がしないでもないが、こうされる前のマハの性格のことを考えると罪悪感はさらさら感じない。

「これは、いくらやっても埒があかないな。別なお仕置きを考えるとするか」
「ええっ、別な、お仕置きですかっ?」

 そう言って振り向いたマハの顔には、むしろ期待の色が浮かんでいる。

「なんだ?嬉しそうな顔をしやがって。まさか、僕のを入れてもらえるとでも思ってるのか?」
「いえっ、め、滅相もございません!」
「そうだぞ。これは、おまえへの罰なんだからな。喜ばせるためにやってるんじゃない。……おまえにはこれで充分だ、それも、こっちの穴にな」
「はひっ!?ひぃっ、ひぎぃぁあああああああああっ!」

 シトリーが、手にした鞘を突き上げられた尻の穴に押しつけると、マハが呻き声を上げた。

「あぐっ!うぐぅうううううううううううううっ!」

 マハの尻の穴には少し太すぎるのか、かなりの抵抗があったが、構わずに力を入れると鞘はズポッと中に突き刺さった。
 途端に、苦しそうな悲鳴が響く。

 だが、それもすぐに心地よさげな喘ぎ声に変わっていく。

「あんっ、ふあああっ!あうっ、あぁうんっ!」

 細身だが、装飾が多くてゴツゴツした鞘を尻にねじ込まれて、マハは甘ったるい喘ぎ声をあげる。
 鞘の先で尻の中をかき混ぜられるたびに、ボタボタと蜜がこぼれ落ち、床の水溜まりをどんどん大きくしていく。

「おいおい、尻の穴に鞘を突っ込まれてよがってるのか?どれだけ変態な牝豚なんだよ、おまえは?」
「はひぃいいいいい!あらしはっ、変態な牝豚れすううううっ!らからっ、お尻の穴れ、感じらうんれすううううぅ!」

 シトリーに何を言われても、マハはむしろ喜んでそれを認めている。
 というか、すでに呂律も怪しくなってきていた。
 これが、女では魔界でも1、2といわれた荒くれ者の武闘派と呼ばれた悪魔の姿には、とてもではないが見えない。

「ふん、変態もそこまでいくとたいしたもんだな。これでもまだ罰にならないのか?まあいい。こんなのはどうだ?」
「あふうっ!ひあぅ、それぇっ、はげしいれすぅうううううっ!うっひゃあああああっ!」

 シトリーが、乱暴に鞘を出し入れし始めると、マハの悲鳴が部屋の中に響き渡る。
 でも、苦しそうというよりかは嬉しそうだ。
 だいいち、当のマハ自身がくいくいと腰をくねらせている。
 もはや、床に滴り落ちる愛液もだだ漏れ状態だった。

「ひゃぁあああああっ!らめえっ!それっ、らめれすぅううう!あだしぃ、もうらめぇえええっ!」

 マハの体がひくひくと震え、ときどきビクッと跳ねる。
 どうやら、絶頂が近いようだ。

「しようのない奴だな。じゃあ、これでイッてしまえ」

 と、シトリーは奥まで鞘を突っ込むと、それをグリグリッと捩じ回す。

「ぎひぃいいいいいっ!ひゃふぅううううううっ!イグイグイグッ!あだしっ、イッでしまいますぅうううううううううっ!」

 ぐっと背中を反らせて、マハが絶叫した。
 同時に、秘部からブシュッと大量の愛液を噴き出す。

「ひゃああああっ!イッでる!イッでるうううっ!うっふううううううううううぅぅんっ!」

 尻尾のように鞘を尻から突き出させたままで、マハの体がビクンと大きく跳ねる。
 しばらくの間、そうやって体をひくつかせた後で、ようやくぐったりとおとなしくなった。

「……まったく、派手にイキやがって。これじゃあ全然罰にならないよな」
「うう……申し訳ありません……」
「そうだな、おまえに罰を与えるんなら、これからは相手にしないのが一番だろうな」
「そんなっ、シトリー様あああぁ!!」

 シトリーのつれない言葉に、マハが慌てて体を起こす。

「でも、僕に対して反抗したのはおまえなんだし、ひどいことじゃないと罰にならないだろうが」
「う……それはそうですが……」

 そう言われては返す言葉もなく、マハはすっかり悄気返っている。

「でもまあ、ずっと相手をしてやらないと言ってるわけじゃない」
「えっ?……と、いいますと?」
「僕は罰も与えるが、ちゃんと仕事をしたら褒美も与えてやる。次の戦でしっかり働けばおまえにもたっぷりと褒美をくれてやるよ。僕のものでな」
「はっ、必ずやっ!」

 さんざんイッて、さっきまでぐったりと喘いでいたはずなのに、マハはびしっと立ち上がって敬礼する。
 もちろん、下半身は丸出しのままで。
 弾みで抜け落ちた鞘が、床に転がってカラカラと乾いた音を立てていた。

 なんつう体力だよ。
 まあ、さすがというかなんというか……。

 直立不動の姿勢を保っているその姿に、軽い目眩を覚えるシトリー。

「ああ、わかったらそれでいい」
「はっ!」
「もういいから、鎧を着けろ」
「はいっ!……つうっ!痛たたたたっ!」
「どうした?」
「はっ!ちょっとお尻がひりひり……あっ、いえっ、なんでもありません!」

 シトリーがジトッと見ている前で、マハはぎこちなくタイツを穿いて鎧を付けていく。

「とりあえず、今日のところはもう行け」
「はっ!失礼します!……つぅっ!」

 もう一度敬礼すると、マハは妙にひょこひょこした足どりで部屋を出て行った。

「褒美か……あの体力バカの相手をするのは大変そうだな」

 マハが出て行くと、シトリーはぼそりと呟く。
 たぶん、相手をしてやると喜ぶのは間違いないが、その時のマハの姿を想像しただけで気が萎えそうになる。

「それよりも、一番働いたやつに褒美をやらないといけないな……」

 ひとり呟きながら、シトリーは床に転がった鞘を拾い上げていた。

* * *

 その日の夜。

「おじさま?」

 シトリーに呼ばれて、リディアがひとりで部屋に入ってきた。

「ああ、今日はよくやったな、リディア。褒美に、今夜はおまえだけを相手してやるぞ、たっぷりとな」

 シトリーの言葉を聞いて、リディアの表情がパッと輝く。

 都を手中に収めてから、シトリーは毎晩、ローテーションで下僕たちに相手をさせてきた。
 それでも、いつもは2人か3人で一緒にというのが普通で、1対1で相手をさせてもらう機会はなかなかない。
 だから、リディアが喜ぶのも無理はなかった。

「で、その前にちょっと聞いておきたい事があるんだけどな」
「なに?おじさま?」
「今日の昼にやったあれ、本当に自分でもどうやったのか覚えてないのか?」
「……うん。あの女の言うことを聞いていたらカッとなっちゃって、わけがわからなくなって。気づいた時にはもうおじさまの前に出ていた。そうしたらああなってて、ごく自然にあの触手を操ってたの」
「そうか……今、あれを出すことができないか?」
「えっ、今?」
「ああ」
「わからない。……ちょっとやってみるね」

 そう言って、リディアは静かに目を閉じる。
 そのまま、かなり意識を集中させているのだろう、その魔力がどんどん膨らんでいくのがわかる。
 だが、昼間のあの時の量には及ばない。
 もちろん、その髪の色が紫に変わることも、その手から触手が現れることもなかった。

「……ふぅぅ。やっぱりダメみたい」
「そうか」
「……ごめんなさい、おじさま」
「いや、いいんだ。おまえはまだまだ成長過程にあるんだ。おまえに充分な力がつけば、きっと自在にあの力を使えるようになるさ」
「本当に?」
「ああ、きっとな」

 申し訳なさそうに悄げているリディアを、シトリーはそう言って慰めてやる。

「それよりも、こっちへこい」
「うん」

 手招きしてやると、リディアはベッドに腰掛けているシトリーの前までやってくる。

「それじゃあ、ご奉仕しますね、おじさま」
「ああ」
「ん……あふう、ふぁふ、ぴちゃ……」

 膝をついてシトリーの肉棒を引っ張り出すと、リディアはそっと舌を這わせた。

「んふぅ、れろ、はむっ、ちゅぱ……ふぁむっ、じゅるっ……」

 湿った音を立てながら、リディアは小さな口をいっぱいに使って肉棒を舐め上げていく。
 時に舌を絡め、時にその先に吸いつき、時には口いっぱいに含んで、いかにも奉仕するといった感じで丁寧に刺激してくる。

「あふ、ん、ちゅるる、れろっ、んっ、じゅむっ、れろぉ……ん、もう、こんなに大きくなって、トクントクンしてる……わたし、おじさまのおちんちん、大好き……」

 膨れあがった肉棒から、いったん口を離してうっとりと眺め、愛おしそうに頬ずりをするリディア。

「はふ、んふ、ちゅぽ、じゅるる、ちゅむ……どう?気持ちいい、おじさま?」
「ああ、気持ちいいよ」
「わたしも、こうしてるとね、すごく気持ちよくなってきて、おじさまのおちんちんをアソコに欲しくなっちゃうの。……ん、れろ、ぴちゃ」
「だったら、おまえの好きなようにしていいんだぞ」
「え?」
「今日はご褒美だからな。おまえが入れて欲しいんだったらそうしてやる」
「いいの?もう少しご奉仕した方が、おじさまも嬉しいんじゃないの?」
「でも、我慢できないんだろ?ふとももがもぞもぞと動いてるぞ」
「あ、ごめんなさい。おじさまのが欲しくて、さっきからアソコがむずむずしてるの」
「だったら、僕は構わないよ」
「うんっ、ありがとう、おじさま」

 ふっ、と、笑顔を見せると、リディアは立ち上がってローブを脱ぐ。
 まだ、幼さの残るその体には不釣り合いなくらいに、その敏感な場所からは大量の蜜が溢れてきていた。

「おじさまにご奉仕してると、わたし、アソコが疼いちゃって、こんなに……」
「ああ、構わないさ」
「あっ……」

 少し、恥ずかしそうにしているリディアの手を引いてやる。
 そのまま、シトリーの足を跨ぐように立ち、その肩に手をかけて、発情した表情を浮かべるリディア。

「ほら、おまえの好きなようにやっていいんだぞ」
「うん。じゃあ、いくね、おじさま。……ん、んんっ!」

 リディアがゆっくりと腰を沈めていく。
 しっとりと濡れて温かく、それでいて少しきつい感触が肉棒を包み込んだ。

「はうっ!きゃふううううううううんっ!」

 だが、体をすっかり沈めただけで、その体がきゅうっと反り返ってブルブルと震えた。
 ただでさえ狭いリディアの膣が、肉棒をさらにきつく咥え込む。

「なんだ、これだけでイッたのか?」
「うん……なんか、今日のわたし、すごく敏感……」
「ずっと気が張ってたからかもな。なんなら僕が動いてやろうか?」
「うん、お願い。……あんっ、ひゃうううううううんっ!」

 下から突き上げると、リディアはシトリーにしがみついて、ひくひくと体を痙攣させる。

「はうううんっ!ひゃうっ、あんっ!ふぁあああああああぅん!」
「くっ、あんまり締めつけるなよな」
「ごっ、ごめんなさいっ!でも、無理ぃいいいっ!すっごく感じちゃって、自分でもどうにもできないのっ!あううううううんっ!」
「くうっ!だから」
「ひゃううううううっ!あんっ、すごいっ、おじさまのおちんちんが、中でいっぱいになって!んふぅうううううううっ!」

 突き上げるたびにイッてしまうのか、リディアは大きく喘ぎながら肉棒をぎゅうぎゅうと締めつけてくる。
 いつの間にか、リディアの方から激しく腰をくねらせていた。
 その細い体で、必死にシトリーにしがみついて腰をくねらせ、感極まった声を上げる。

「あうっ、はうぅうううううっ!ああっ、大好きっ、おじさまっ、おじさまぁあああああっ!」
「だからっ、おまえの方が激しすぎだっての」
「うんっ、でもっ、止まらないっ、とまらないのぉおおおおおっ!」
「くううっ、そんなに締めるとっ、もう出そうだ!」
「出してっ!おじさまのっ、中にっ、いっぱいちょうだいいいいいいいっ!」

 出そうだと聞いて、リディアはいっそう大きく腰を動かし、さらに肉棒を締めつける。
 膣痙攣でも起こしているのではないかというほどの締めつけで、シトリーの精液を搾り取ろうとしてくる。

「くっ、出そうだ、リディア!」
「うんっ、出して、おじさまっ!」
「くううっ、出る!」
「ふぁあっ!んっふぅぅううううううううううううっ!」

 射精した瞬間に、シトリーにしがみついてリディアは体を硬直させた。
 そのまま、精液がドクドクと中に吐き出されるたびに、ビクンと体を震わせている。

「んんんんっ!んふうううううぅ……はあぁ、おじさまぁ……」

 大きく息をしながら、リディアが潤んだ瞳をシトリーに向けてきた。

「わたし、おじさまとセックスするの大好き。こうしてると、本当におじさまとひとつになってるって感じるの……」
「そうか」
「それに、なんでだろう?わたしとおじさまの境目がなくなっていくみたいな、おじさまとわたしは一緒なんじゃないかなって、そんな気になれるの」

 シトリーにしなだれかかり、うっとりと、どこか夢見心地でいるような表情でリディアは上目遣いに見上げて囁いてくる。
 その白い肌は、まだ上気してほの赤く染まっていた。

「それはきっとあれだ。おまえの力は、僕の魔力を吸ってさらに伸びたからな。今のおまえは、言ってみれば僕の分身みたいなもんだ」
「そっかぁ……そうだったんだ。だからわたし、おじさまとのセックスでこんなに幸せな気持ちになるんだぁ……うれしい……………………」
「ん?どうした、リディア?」

 声が聞こえなくなったので見てみると、リディアはシトリーに体を預けてすやすやと寝息をたてていた。

「リディア?…………まったく、今日はたっぷり相手してやるって言ったのにな。まあ、それもしょうがないか。あれだけの大仕事をやった後だもんな」

 子猫のように背中を丸めて、幸せそうな笑みを浮かべて眠っている少女は、とてもではないが上級悪魔を簡単に屈服させた魔女とは思えない。
 しかし、いくら強力な力を秘めているとはいえ、その体と心にかかった負担は相当のものだったに違いない。

 まあ、今日は僕も何かと疲れたしな……。

 シトリーは、ふっ、と笑うと、リディアの体をそっと抱え上げてベッドに寝かせ、自分もその隣で横になったのだった。

* * *

 それから程なくして、アナトの率いる本隊がフローレンスに到着した。

 この日のために増設しておいた宿舎に軍団を受け入れ、アナトを謁見の間に通して玉座に座らせる。
 そして、それと向かい合うようにシトリーが、そしてそのすぐ後ろにはマハが、そしてさらに後ろに、クラウディアをはじめ下僕たちが並ぶ。
 シトリーを除き、全員がいたって真面目な顔をしていた。

 アナトはというと、玉座に腰掛けて、シトリーの背後のマハを怪訝そうに見ている。
 まあ、常に相手を見下したような不敵な笑みを浮かべていた奴が真面目な顔で神妙にしているのだから、似合わないといえばこれ以上似合わないものはない。

 まず、口を開いたのはシトリーだった。

「あの、マハがあなたに詫びたいと言ってるんですが」
「はい?」

 その言葉に、アナトはさらに不思議そうに首を傾げた。

 とはいえ、口で言っても埒があかないので、シトリーはマハを促してアナトの前に出させる。
 すると、マハはその場に平伏した。

「このたびは、あたしの身勝手でシトリー様のみならず、アナト様にも多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません!シトリー様の指示に従わず、その指揮下にも入らず、預かった軍団を勝手に動かしたのは全てあたしの責任です。あたしはどんな処分を受けても構いませんので、どうか、シトリー様の監督責任は問わないようお願いいたします!」
「……はい?」

 ひれ伏したまままくし立てるマハの姿を、アナトはポカンとして見ているだけだった。

 今のアナトの気持ちはよくわかる。
 なにしろ、シトリー自身、リディアにこうされたマハを見た直後はバカみたいに口を開けて立っていることしかできなかった。
 とにかく、今のマハの謝罪は、最初から最後まで、以前の彼女を知っていればその口から出てきたものとはとてもではないが信じられないような言葉ばかりが並んでいたのだから。

 アナトがこちらを見て、どういうこと?と、目で訴えてくるが、シトリーも苦笑するしかない。

「あの……マハ?」
「いーえ!シトリー様は何も悪くありません!悪いのは全部あたしです!」
「いえ、そうじゃなくてね」
「あたしはどんな処分も受ける覚悟はできております!」
「だから!私の話を聞きなさい!」
「ひいいぃ!申し訳ございません!」

 アナトとマハのやりとりを、内心、どこかで見た光景だなぁ、と思いながらシトリーは聞いていた。

「とにかく、あなたの直属の上官はシトリーなんだし、彼が構わないのなら私からは特に処罰を科すことはしないわ。もともと、そこまで厳格に合流の期日を設定してあったわけでもないし、とにかく間に合ってはいるんだから」
「それでは、あたしのことは許していただけるんですか!?」
「まあ、そういうことになるわね」
「ありがとうございます!今後は、シトリー様の下で誠心誠意、身を粉にして働かせていただきますので!」
「そうしてくれると私も助かるわ」
「ははっ!」

 もう一度平伏しているマハを眺めながら、頃合いとみてシトリーは声を掛ける。

「そういうわけで、司令官のお許しが出たから、これからも任務に励んでくれ」
「はいっ!」
「とりあえず、おまえは宿舎の方に行って、本隊受け入れの手伝いをしてくれないか」
「かしこまりました!それでは、失礼します!」

 びしっと直立してアナトに向かって敬礼すると、マハは謁見の間を出て行く。
 その後ろ姿を、アナトは呆気にとられたように見送っていた。

 そして、マハが部屋から出て行くと、早速アナトがシトリーの方に身を乗り出した。

「ねえ、あれ、本当にマハなの?」
「ええ、そうですよ」
「すごいわね。さすがにあれは驚いたわ。というか、どうやったのよ?」
「それは秘密ということにしておいてください」

 シトリーは、そう笑ってごまかす。
 というか、自分でやったわけではないからどうやったもへったくれもない。

「そう?まあ、言いたくなければ別にいいんだけど。でも、よくやったわね。ちょっと見直したわよ」
「それはどうも」
「でも、あれってちょっと鬱陶しくない?私だったら、あんな風にはしないけどね」
「まあ、いろいろと訳ありなもんですから」

 ……言えない。
 全部リディアがやったらこうなりましたなんて、とても言えないよな。

 アナトの質問をはぐらかしながら、シトリーは内心冷や汗をかいていた。

 と、不意にアナトが話題を変えた。

「ま、いいか。……で、今後のことなんだけどね、シトリー」
「なんですか?」
「とりあえず、私たち魔界の軍勢の地上での目的地は、天界に最も近しい国と言われる、東方の神聖王国イストリアでしょ」
「そうですけど、それが何か?」
「だから、私たちもこれから東に進む事になるんだけど、そっちの方向にちょっとした障害があるのよね」
「はあ……?」
「はっきり言うとね、シトリー。キミに、この国の東の国境にある世界樹の森を制圧してほしいのよ」
「はい!?世界樹の森……ですって!?」

 アナトの言葉に、今度はシトリーが驚く番だった。

 世界樹……。
 それは、かつてこの地上に存在した、天にも届く高さを持っていたといわれる霊樹である。
 実際、天地創造のすぐ後の時代には、数本の世界樹が天界を支え、天界と地上を隔てる役割を担っていたらしい。
 ただ、今現在天界にいる神が、天界を遙か高みに浮かび上がらせることに成功してから世界樹はその役割を失い、人間や妖魔が天界に近づくことを恐れた神の雷によって全て焼き尽くされたと言われている。ただ、それもシトリーが生まれるよりもずっと昔の話だ。
 シトリーがまだ天使をしていた時代ですら、世界樹はすでに伝説となって久しくなっており、この世には存在しないことになっていた。
 だから、彼自身、世界樹など見たこともないし、ましてやそれがまだ地上に残っているなどと想像もしていなかった。

 思わずシトリーが振り向くと、クラウディア、ピュラ、シンシアが、そうだという顔で頷く。
 そして、3人を代表してクラウディアが口を開いた。

「たしかに、この国の東に、世界樹の森はあります。森の近くまで行けば、その中心に聳える世界樹の姿を見ることもできます。ただ、森に入ることは叶いません。ましてや、通過することなど……」
「それは、どうしてだ?」
「世界樹の森には、この地上でも最大のエルフの居住地があります。彼らは、世界樹の精霊と交信できる世界樹の巫女に統率されて、太古の昔から世界樹を守ってきたと言われています。それゆえ、彼らは外部の者が森に入ってくることを極端に嫌い、広大な森全体に結界を張り巡らせているのです。その結界はエルフにしか扱えない特殊なもので、わたくしたちの魔法をもってしても破るのは容易ではないでしょう」
「と、そういうわけなのよね。わかった、シトリー?」

 クラウディアの話を受けて、アナトが改めて確認してくる。

「ええ、まあ、まだ少し驚いてますけどね。でも、どうしてここに世界樹が残っているんですか?」
「それは私もわからないのよね。だいいち、わたしだって、ここに世界樹があることを知ったのはわりと最近なんですもの。ねえ、この国にはそのことに関して何か伝わってないの?」
「いえ、世界樹の事に関してはなにも……。わたくしたちヘルウェティアの者は、世界樹の森のエルフと定期的な交流こそありませんでしたが、互いに認め合い、彼らの生活の邪魔をしないように、不可侵の約束を暗黙のルールとして守ってきました。ですから、この国から東へ進む場合は、北の山脈の細く険しい山道を越えるか、南の山脈を越えて海に出て、海路で東に進むかして、世界樹の森を避けるようにしてきたのです。王家に伝わる話では、先の魔界と天界の大戦の折には共同で戦ったということですが、それも森の境界付近で敵を撃退するだけで、決して世界樹の近くに人は近づかせなかったそうです」
「なるほどね」

 クラウディアの説明に、アナトは何度も頷く。
 そして、シトリーの方に向き直った。

「彼女の言ったとおり、この国って南と北の国境に沿って山脈が走ってるでしょ」
「ええ」
「北の山脈は、この大陸でも指折りの高さを誇る険しい山が連なってて、そこを抜ける道は細く険しくて大軍を率いて超えるのはとても無理だし、南の山脈はまあ越えられないことはないでしょうけど、その先は海になるのよね。なにしろ、こちらの軍は巨人とか、でかいのが多いでしょ。とても船に乗せるわけにはいけないのよね。で、大軍でも抜けることができそうなのは東の森林地帯だけなんだけど。今説明を聞いたとおり、これがなかなかやっかいなの。特に、そのエルフの結界っていうのが、正面からかかるとかなり時間をロスする上にこちらの被害も大きくなりそうだから、できれば中から突き崩したいんだけど……」
「はぁ……あなたが僕に期待してる部分ってのが少しわかってきましたよ」
「でも、そういうのって、キミの専門分野でしょ?」

 悪戯っぽい目でそう言われて、シトリーはもうひとつため息をつく。
 アナトがこうやって、ずけずけとものを言ってくるのは確信犯だ。
 半分は自分をからかうためにやっているんだから、いちいちつき合ってはいられない。

「気楽に言いますよね、ホントに。とにかく、やるにしても情報が少なすぎます。あなたが世界樹の森について知ってることを全部教えてもらいますよ」
「それはもちろん。そのくらいのことはしてあげないとね」
「それと、クラウディア、ピュラ、シンシア。おまえたちにも、世界樹の森と、その森のエルフに関する情報はどんな些細なことでも教えてくれ」
「はい」
「了解です」
「かしこまりました」
「で、後は……メリッサ」
「なんでしょうか?」
「話を聞くに、おまえの力が一番役に立ちそうだからな。おまえも残って話に加われ」
「わかりました」
「では、まずはあなたの話を聞かせてもらいましょうか、司令官殿」
「あら、気を悪くしちゃった?」
「いえ……。あなたが面倒な仕事を押しつけてくるのは今に始まったことじゃないですから」
「ふふふっ。その顔を見るとやる気になったみたいね」
「いいから早く始めますよ」

 クスクス笑っているアナトを促して、シトリーは世界樹の森へ忍び込むための作戦会議を始めたのだった。

< 続く >

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