前編
「それじゃ私はあがりますね」
「ええ、おつかれさま」
「おつかれさまです!」
閉店後の片付けも終わって、受付や雑務を任せている佳奈ちゃんに手を振って送り出す。
その後も私はパソコンに向かって事務作業にかかりっきりだった。
「やっぱり、今月もかなり厳しいわね……」
その日の売り上げを打ち込んだ後で今月の損益を確認して、思わず愚痴が出てしまう。
私、高木祥子(たかぎ さちこ)が、エステの専門学校を出てから勤めてきた業界ではそこそこ大手の会社から独立して、念願だったこのエステサロンを開店して半年。
正直なところ、それほど店は上手くいってなかった。
自分が身につけた知識と技術には自信がある。
少なくとも、歳が同じくらいのエステティシャンには負けない自負はあった。
だけど、こうやっていざ店を持ってみると、自分に足りないものばかり思い知らされる。
独立する前はかなり評価されてたのに、それが全く通用しない。
評価されていたのは私が勤めていた大手の店の看板で、どんなに腕に自信があっても私の名前は世間には知られていない。
もちろん、チラシを配ったり雑誌に広告を載せたりして店の宣伝に努めてきた。
それでも、客足はあまり伸びない。
「だけど、こんなことで弱音を吐いてられないわ」
そうよ、やっと叶えた夢なんだからこんなところで挫けるわけにはいかない。
自分にそう言い聞かせて気合いを入れ直す。
そのとき、デスクの上に置いていたスマホが鳴った。
……あら? アヤネからだわ。
スマホの画面に映っていたのは、高校のときからの友達の名前だった。
彼女、坂上絢音(さかがみ あやね)と私はいつも一緒に遊んでいたグループのメンバーだ。
大学に進学した彼女たちとは違って、自分の夢のために専門学校に行った私は忙しくて一緒に遊ぶことはなかなかできなかったけど、それでも休みのときにはたまに会ってたし、こうやって電話でやりとりはしていた。
『あ、サチコ? ひさしぶり、元気にしてた?』
電話に出るとアヤネのよく通る声が聞こえた。
「うん、元気よ。そういえばひさしぶりよね。どうしたの?」
『あのね、サチコの店って週末は開いてるの?』
「え? うちは土日は休みにしてるけど」
『そう? よかったわ』
「よかったって、なにが?」
『うん、それで金曜日は何時までやってるの?』
「金曜日はっていうか、うちの営業時間は受付が午後6時までになってるわ。コースによって多少時間の差はあるけど営業そのものは8時までってところね」
『そうなんだ。じゃあ、来週の金曜日の6時って予約入ってる?』
「アヤネったらひさしぶりに電話してきたと思ったらいったいなんなの?」
ファイルを取り出して予約状況をチェックする。
とは言っても、もともと予約なんかほとんど入ってないんだけど。
「ええっと…………その日は、予約は入ってないわね」
『じゃあ、その日に私の予約を入れておいてちょうだい』
「えっ?」
『サチコがお店を出したときにいつか行くよって言っててそのままになってたしね。いい機会だからお客さんになってお店の売り上げに貢献しようかなって」
「そんな、気にしなくてもいいのに」
『いいのよ。それでね、ついでにハヅキやエリカも呼んで店を閉めた後で遊びにいかない?』
「ハヅキやエリカを?」
『そうよ。あの子たちと会うのもひさしぶりなんでしょ? それにサチコは経営者なんだから私たちとは違うストレスとかもけっこうあると思うし、そういうのをパーッと発散しようよ』
「もう、勝手に全部決めちゃって……あ、それで金曜日の閉店前に?」
『そうよ。次の日が休みなら仕事のことを気にしなくていいでしょ。だから、ね、どう?』
「そうね、いいわ。それじゃあ来週の金曜日、午後6時に入れておくわよ」
『うん。ひさしぶりに会うの楽しみにしてるから。じゃあね』
「うん、じゃあね」
半ばアヤネに押し切られる形で予定を入れられる。
だけど、そうやって私のことを気遣ってくれてるのが嬉しかった。
そうよね、ひとりで思い悩んでいても気が塞ぐだけだものね。
たまにはみんなと会って気晴らしをするのも悪くないかも。
少し電話でアヤネと話しただけでさっきよりもずいぶん気持ちが軽くなっていた。
やっぱり持つべきものは友達だと思って、通話の切れたスマホに向かって小さくありがとうと呟く。
そのときの私は本当に感謝の気持ちでいっぱいで、昔の仲間に陥れられることになるなんて思ってもいなかった。
* * *
そして、翌週の金曜日。
「今日のご予約のお客様って、サチコさんのお友達なんですよね?」
「そうよ、高校のときの同級生なの」
「その人とサチコさん、すごく仲がいいんですね」
「え? どうして?」
「だって、今日のサチコさんすごく嬉しそうなんですもの」
「あら、そうかしら?」
「そうですよ。うふふ、私も楽しみです」
「やだ、なんで佳奈ちゃんが楽しみにしてるのよ?」
「だってぇ、楽しみじゃないですか」
「どうして? 変な子ね」
「とにかく、楽しみなものは楽しみなんです」
「やだもう、佳奈ちゃんったら」
夕方、受付の佳奈ちゃんとおしゃべりをしていたらアヤネの話題になる。
気のせいか今日の佳奈ちゃんはいつもよりはしゃいでる気がするけど、それも私のせいなのかしら?
やっぱり、傍から見てもわかるものなのね。
自分ではそんなに意識してないつもりだったけど、アヤネの予約が入っている時間が近づくといつもより少しだけテンションが上がっている自分がいた。
そして、予約していた時間よりも30分くらい早めに。
「いらっしゃいませ! ……サチコさん! ご予約のお客様がいらっしゃいましたよ!」
受付から佳奈ちゃんの呼ぶ声が聞こえた。
「ひさしぶりね、サチコ」
「ええ。いらっしゃい、アヤネ……あら?」
サチコを出迎えると、その後ろにエリカとハヅキの姿もあった。
「やっほー! ひさしぶり!」
「サチコったら元気にしてた?」
「やだ、エリカとハヅキも一緒だったの?」
「なによー、あたしたちがいたら邪魔?」
「いや、そうじゃないけどアヤネが予約してるのは80分のコースなのよ。終わるまでにはかなり時間があるから後で合流するのかと思ってたのよ」
「でも、せっかくひさしぶりに集まるんだからここで待っててもいいかなって思ったのよ。ね、エリカ?」
「そういうこと!」
「なによ、ふたりでニヤニヤして」
「あっ、ひどーい! こうやって会うのもひさしぶりだから嬉しいだけなのにニヤニヤしてるだなんて!」
「そうよ、サチコったら」
「もう……」
入ってきた瞬間からはしゃいでいるエリカと、ニコニコと微笑みを浮かべているハヅキ。
エリカのテンションが高いのも、ハヅキが笑顔を絶やさないのも昔と変わらない。
高校時代に戻ったような、懐かしい空気にその場が包まれる。
そして、やっぱり穏やかな笑みを浮かべてその輪に加わっていたアヤネが口を開いた。
「でも、こんなところに出てきてていいの? 私が少し早く来すぎちゃったけど前のお客さんはもう終わったの?」
「うん、今日は他にお客さんがいなかったのよ。そうだ、これからすぐ始める? そうしたら早く店を閉めることもできるし」
「いいの?」
「私の店なんだもの、かまわないわ。それにみんなもその方がいいでしょ」
「やっだー、社長業ってそんなに適当でいいんだー。ねえねえ、サチコっていつもこんなに適当なの?」
「いえっ、サチコさんはすごく真面目で優しくて、ホントにしっかりした人なんですよ。でも、今日は朝からサチコさんも嬉しそうでしたし。それに、早くお店を閉めるのは私も早く帰れるから楽ですもん」
エリカの問いかけに、佳奈ちゃんがニコニコと笑顔で応える。
「やだもう、正直な子!」
ふたりして声をあげて笑ってて、なんかすごく親しげな感じ。
まあ、エリカは昔から初対面の相手ともフランクに話すタイプだし、佳奈ちゃんも人懐っこくて愛嬌のある子だけど……。
「ふたりとも……どこかで会ったことあるの?」
楽しそうに談笑している雰囲気に、ふとそんなことを思った。
「いいえ、今日が初めてですよ」
「うん、でもあたしこの子とは気が合いそうな気がする。だって素直で可愛いんだもん!」
「そうですか!? ありがとうございます!」
そう言って、佳奈ちゃんが満面の笑みを浮かべる。
もう……なんなのよ。
エリカもやけに楽しそうだし。
和気藹々とした雰囲気で会話が弾んでいるエリカと佳奈ちゃんを、半ば呆れながら見ていた。
ハヅキとアヤネもそんなふたりをニコニコしながら見ている。
と、アヤネが私の方を見た。
「それよりも早く終わらせるんじゃなかったの?」
「そうだったわ。準備はできてるからこっちに来てちょうだい」
楽しそうにはしゃいでいるエリカたちをその場に残して、アヤネを奥へと案内する。
* * *
「ボディケアのコースでって言ってたわね」
「ええ。張りのある魅力的な体にしてちょうだいね」
「もう、まだ私たちの歳でそんなの気にするのは早いわよ」
「やだ、それがエステティシャンのセリフ? 女の子はどんなときでも今よりきれいになりたいのよ。特に、好きな人がいたらね」
「えっ? ……アヤネ?」
服を脱ぎながら何気なく言ったアヤネの言葉に、器具の準備をしていた手が止まる。
「ううん、なんでもないわ。で、どうしたらいいの?」
「うん……じゃあ、そのベッドに仰向けに寝てくれる?」
「こんな感じ?」
「それでいいわ。それじゃ、まずはスチームを当てていくわね」
まずは、ベッドの上に横になったアヤネの両足からスチームの噴出口を向けてスイッチを入れた。
「これってなにをしてるの?」
「ハーブのエッセンスの入った湯気を当ててるの。肌の潤いを保って体を引き締める効果もある特製ブレンドよ。それに、体を温めることでこの後のマッサージの効果も増すわ」
「へえ……うん、いい香り」
「ありがとう。それじゃあ次は前進にアロマオイルを塗ってマッサージするわね」
そう言ってボディケア用にブレンドしたオイルのボトルを取ると、いったん手の上で広げてアヤネの体に塗っていく。
「あ、いい香り。私この香り好きかも。これってサチコが作ったの?」
「作ったっていうか、アロマオイルってハーブや花、フルーツから効能のある成分を抽出したエッセンシャルオイルとベースになる植物由来のオイルを合わせて作るんだけどね。さすがに様々な効果のあるエッセンシャルオイルを全部自分で作るのは無理だけど、目的に合わせたブレンドは自分でやってるわ」
「へえ……ん、レモンの爽やかな香り。それに、ちょっと甘い花の香りもするわね」
「そうね。今使ってるのはレモンから抽出したオイルがメインなの。肌荒れや手足のむくみに効果があるし、アロマオイルが初めての人でもレモンの香りなら馴染みやすいでしょ。それと、甘い香りはゼラニウム。肌の潤いを保ってホルモンバランスを整える効果があるの。それに加えて、むくみを抑えるネズの実と肌の新陳代謝を促すローズマリーに抗酸化作用のあるキャロットシードのオイルもブレンドしてあるわ」
「すごい、さすがプロのエステティシャンだわ」
「やだ、アヤネったら。……それに、私なんかまだまだ店を出したばかりだし」
「私たちの歳で自分のお店を持つなってすごいじゃない。サチコは高校卒業してからずっと頑張ってたものね」
「でも、頑張ってるのはみんなも一緒じゃない」
「だめだめ、私なんかデスクワークばっかりだから運動不足になって体なんかもうだれだれよ」
「そんなことないわよ。アヤネの肌、こんなにきめが細やかだし、体だって細くて全然だれてないじゃない」
「うふふ、ありがと」
子供の頃からの気心の知れた相手とあって、他愛のない会話をしながら丁寧にマッサージをしていく。
「……ふう、終わったわよ」
「ありがとう、サチコ」
80分のコースの全メニューを終えて、アヤネが体を起こす。
「やっほー、終わった?」
そのタイミングを見計らっていたようにエリカが入ってきた。
「やだもう、なに勝手に入ってきてるのよ…………え?」
せっかちなエリカは待ちくたびれてるだろうなと思ったけど、それに続けてハヅキと一緒に見たことのない男が入ってきたの気づいて、思わず途中まで出かかっていた軽口を飲み込んでしまう。
その男には全く見覚えがない。
かなり痩せていて、目だけがやたらと鋭く光っていた。
……そんなことよりも!
アヤネがまだ服を着ていないのを思い出し、慌ててその体を後ろに隠す位置に立つ。
「ふふっ……うふふふっ」
「えっ? ……アヤネ?」
背後から聞こえた楽しそうな声に振り向くと、アヤネは驚いた様子も見せず笑みすら浮かべて立ち上がっていた。
「ちょっ、アヤネ!?」
そのままアヤネはほとんど裸のままその男の傍らへと歩いていく。
同時に、エリカとハヅキも男にしなだれかかるように体を寄せる。
「いったい……どういうことなの? その人は誰なの?」
わけがわからずに誰に訊くでもなく尋ねるとエリカが声をあげて笑った。
「くすっ……やだ、もう、サチコったら本当にわからないの?」
「エリカ、そんなこと言ったらだめよ。私たちだって最初姿を見ただけではわからなかったんだから」
可笑しそうにクスクスと笑っているエリカを、アヤネが窘める。
そして、相槌を打つように大きく頷いたハヅキが口を開く。
「まあ、見た目ではわからなくても、サチコだって名前は絶対知ってる人よ」
「絶対知ってるって、いったい誰なのよ?」
「この人は、神山淳大様、私たちの同級生だった人よ」
「神山? そんな……うそよ……だって神山は……」
ハヅキの口から告げられた名前は、にわかには信じられないものだった。
カミヤマ……アツヒロ……。
それは、できることなら忘れたい名前。
いや、実際に今まで忘れたつもりでいた。
だけど、その名前を聞くと心臓を掴まれたみたいに体が竦んだ。
それに、その名前がハヅキたちの口から出てくるはずがない。
彼女たちと神山が一緒にいるなんてあり得ない。
いや、そもそもあいつは……。
もう死んだはず、と言おうとしたらエリカがにやつきながら割り込んできた。
「それがね~、生きてたのよ~」
「そんなまさかっ!」
「でもね、本当なのよ~」
「そんな……でも、だったらなんでみんなはそいつと一緒にいるのよ!? ……それにさっきハヅキは神山淳大”様”って呼んでたわよね? そいつが本当に神山だったとして、様付けするなんていったいどうしちゃったのよ!?」
いったいなにがどうなってるのかわけがわからない。
そもそも、神山が生きていること自体あり得ないことなのに。
そう……あいつは高校時代に私たちのグループからのいじめを苦にして自殺したはずだから、本当なら生きているはずがない。
だいいちあのデブで鈍そうな神山と、今目の前に立っている痩せた男では見た目も雰囲気も全然違う。
よしんば仮にあいつが生きていたとしても、ハヅキたちが一緒にいるのはどう考えてもおかしい。
それも、様付けして呼んでるなんて……。
なにもかもわからないことだらけで疑問しか出てこない。
「わかったわ……みんなで私をからかってるんでしょ? でも、こんな悪戯はすこしヒドすぎない?」
「悪戯じゃないわ。もちろん、からかってるわけでもないわよ」
神山と呼ばれた男に寄り添いながら、アヤネがあっさりと私の言葉を否定する。
「悪戯じゃないって……だったらどうして!?」
「だって、アツヒロ様は私たちのご主人様で、私たちはこの方の奴隷なんだから。それが私たちがアツヒロ様と一緒にいる、そして敬称を付けて呼んでいる理由よ」
アヤネのその言葉に同調するように、ハヅキとエリカも大きく頷いていた。
「なに言ってるの? わけがわからないわ。だいいち神山は死んだはずじゃないの」
「ああ、死にかけたさ。高校生のあのとき、自分で首を吊ってな」
そのとき、それまで黙っていたその男が口を開いた。
「実際、死んだも同然だった。それから5年間ずっと意識不明だったんだからな。3年前に意識が戻ったときにはすっかり筋肉が衰えていて、立って歩くこともできない状態だった。そこから、普通に日常生活ができる程度に回復するまでのリハビリに2年以上かかったしな」
ゾッとするような冷たい視線をこっちに向けながら、そいつが話し始める。
こうやって直接話しているのを聞くと、姿は昔と変わってるけどその声と話し方は記憶の中にある神山のそれに似ているような気がした。
「まさか……本当にあの神山だっていうの……?」
「ああ、間違いなくおまえの同級生だった神山淳大さ。そういえば、なんでこいつらが僕と一緒にいるのかって訊いてたよな? そうなった事情を話してやるよ。3年前、長い昏睡状態から目覚めた僕は、自分が人を思いのままに操る力を手に入れていることに気づいたのさ」
「人を……思いのままに操る力ですって?」
「そうさ。僕の視界の中にいる人間の思考や記憶、感情、認識や感覚、その気になれば人格を丸ごと僕の思いのままにできる力さ」
「そんなっ! そんなばかげた力なんかあるはずがないわ!」
「だったら、こいつらがこうして僕のもとにいることをどう説明するんだ? こいつらが自分自身の意志で僕の奴隷になるやつかどうかは高木、おまえがいちばんよくわかってるんじゃないか?」
そう言うと、神山はニヤッと冷酷な笑みを浮かべる。
たしかに、ハヅキたちが自分からこんなやつの奴隷になるなんて考えられない。
「それじゃ……あんたが力を使ってみんなをこんな風にしたっていうの!?」
「まあ、半分正解ってところだな」
「どういうことよ!?」
「たしかにこいつらには力を使ってさんざんに弄んでやったさ。でも、最後はこいつらが自分から奴隷にしてくれと懇願してきたんだぜ。まあ、そんなになるまで完全に心を折ってやったんだけどな」
「そんな……なんて酷いことを!」
「当たり前だろ? そりゃ力を使えばこいつらを奴隷にすることなんか簡単にできるさ。でも、それじゃ僕の気が収まらない。おまえたちが高校のとき僕に対してやったことを考えてみろ。この力を使ってさんざんに苦しめて、どう足掻いても僕には敵わないことを思い知らせて完全に屈服させないと復讐にならないじゃないか」
「ふっ、復讐ですって!?」
「ああそうさ。この力を使っておまえたちを僕の奴隷にする。それだけじゃない。長谷川に戸田、長沢、それに古本はもう始末したんだぜ。全員、僕の力で操って犯罪者としての惨めな最期を遂げさせてやったさ」
「ユウトたちがっ!? そんな……鬼! 悪魔! なんでそんな酷いことができるのよ!?」
神山の口から出てきたのはどれも、高校時代に私たちが仲良くしていた男子の名前だった。
私が忙しくて会えなかったけど、卒業してすぐの頃はたまに会って遊んでた。
そして、一緒に神山をいじめていたグループのメンバーでもあった。
その、昔の仲間を殺されたっていうのにハヅキたちはうっすらと笑みすら浮かべて神山の話を聞いている。
そればかりか、神山を罵る私の言葉を聞き咎めて眉を顰めた。
「もう、サチコったらそんなこと言ったらダメよ。私たちが学生時代にアツヒロ様に対してやったことを考えたら当然じゃないの」
「そうよ。ユウトたちは死んで当然だし。私たちはアツヒロ様の奴隷になって一生償わないといけないのよ」
「それに、どのみちあたしたちはアツヒロ様には敵わないんだしね~。でも、アツヒロ様の奴隷になるのってそんなに悪いことじゃないわよ。ご奉仕するのはすっごく気持ちがいいし」
少し怒ったように唇を尖らせるハヅキに、腕を組んで諭すような口調のアヤネ、そしてニヤニヤ笑っているエリカ。
その中央で、神山が冷たい視線をこちらに向けている。
この男の手で、大切な友達が変えられてしまった……。
「ハヅキ……アヤネ……エリカ……みんなお願い、正気に戻って……」
「正気もなにも、今の私たちはアツヒロ様の奴隷以外の何ものでもないし」
「そうよね、どのみちもう戻ることなんかできないんだから」
「ていうか、あたしは戻りたくもないしねー」
そんな……なんてことなの……。
あまりのことに、視界が涙でぼやけていく。
私の懇願にも、ハヅキたちからの返事にはとりつく島もなかった。
そればかりかエリカが楽しそうに神山に尋ねた言葉に、自分の顔が引き攣るのを感じた。
「それでアツヒロ様、サチコにはなにをさせるんですか?」
「……っ! 私にもなにかしようっていうの!?」
人を思いのままに操る力があるなんて、まだ信じられない。
だけど、もし本当だったらなにをされるのかわからない。
その恐怖に体が竦んで無意識のうちに後ずさる。
「そうだな。とりあえず高木には僕の精液を搾り取る搾精マシーンになってもらうとするか」
「さっ、搾精マシーンですって!? そんなのになるはずがな……い…………」
あ……れ……?
なんだ……か……頭が……痺れ……て…………。
ええっと……わたし……は…………………………………………?
「おい、サチコ」
「……ハイ」
「おまえは何だ?」
「私ハ、マスターノ精液ヲ搾ル搾精マシーンデス」
ソウ、私ハ精液ヲ搾リ取ルタメノ搾精マシーン。
「やだっ、サチコったらしゃべり方がロボットみたい。本当に搾精マシーンになっちゃったの?」
「当たり前じゃないの。アツヒロ様の力には誰も抗えないわよ」
「そうよエリカ。それは私たちがいちばんよく知ってるじゃない」
「あっ、それもそうか。……にしても、こうやって表情が固まったままで突っ立てる姿ってなんかそそるわね」
「うん、エリカの言うとおりだわ。ぼんやりと前を見て立ってるだけなのになんかいやらしい」
「エリカもハヅキもなに言ってるの。本番はこれからじゃないの。……そうですよね、アツヒロ様?」
「ああ、そうだ。さあ、サチコ、こっちに来ておまえの務めを果たすんだ」
「ハイ」
私ノ務メ……精液ヲ搾ル。
マスターノ精液ヲ搾リ取ル。
……ベルト、外ス。
ズボン、降ロス。
出タ、ペニス、マダ小サイ。
コノママデハ搾精不可能。
マズハ、コノペニスヲ射精可能ナ状態ニスル必要アリ。
「ソレデハ、搾精ノ準備ヲシマス」
ペニス、握ル。
マダ柔ラカイ。
力、込メル、ペニス、扱ク。
ペニスガ固クナッテクル。
サラニ扱ク。
「……ペニスノ勃起ヲ確認シマシタ。コレカラ搾精ニカカリマス」
「それなら口を使って搾ってくれ」
「カシコマリマシタ」
口ヲ使ッテ精液、搾ル。
「……ン、ング、グッ ズボッ」
「サチコったらいきなりあんなに奥まで咥え込んじゃって、苦しくないのかしら?」
「そうね、でも大丈夫そうよ」
「いいな~、あたしもアツヒロ様のおちんちんおしゃぶりしたいな~」
「それよりもエリカ。ちゃんとやることやらないと」
「いけない、忘れてた! ……それじゃサチコ、ちゃんといやらしく撮ってあげるからね~」
唇デペニス、扱ク。頭、振ル。
「チュボッ、シュボッ、シュポッ、ングッ、ジュブッ、シュボ……」
精液、搾ル。
モット唇デペニス、締メル。頭、振ル。
「うっわ~、なんかもう一心不乱って感じ」
「本当、目を見開いて無表情でっていうのもこれはこれで卑猥ね」
「ジュボッ、ジュボッ、ジュボッ、ジュボッ……」
ペニス、扱ク。射精、促ス。
「いかがですか、アツヒロ様? 気持ちいいんですか?」
「ああ、悪くないぞ。唇を窄めて吸いつくようにして扱いてて、これは本当にすぐに搾り取られそうだ」
「そうなんですか? 私も参考にさせてもらおうかしら?」
「シュボッ、ジュブッ、ジュボッ、ングッ……!」
ペニスガサラニ膨張、震動モ増大……射精ガ近イト判断。
搾ル……精液、搾ル。
「シュポッ、グムッ、ジュブッ、ジュボッ、シュボッ……」
「くっ、で、出るぞ!」
「ングッ、ンググググッ」
ペニスカラ大量ノ液体ガ噴出。
ドロドロト生温カイ、コレハ……。
「射精ヲ確認。任務完了シマシタ」
「いや、まだだ。口を使ってそれをきれいにするんだ」
「カシコマリマシタ。ング……ハムゥ……ンッ、ングゥ……」
ペニスヲキレイ二スルマデガ任務。
舌ヲ使イ、精液ヲペニスカラ拭イトル。
「ンフゥ……ペロ、ンク、レロォ……」
「ふう、悪くないぞ。これは、また……」
ペニス、舐メル。キレイニスル。
……マタ、ペニスガ固クナッタノヲ確認。
「マスターノペニス、再ビ勃起ヲ確認シマシタ」
「ふ、そうだな。じゃあ、今度はその下の穴で精液を搾るんだ」
「了解シマシタ」
「なら、その白衣を脱いでベッドの脇に来い」
「カシコマリマシタ」
着テイル服ヲ脱グ。
マスターガベッドニ横ニナルノヲ確認。
「よし、じゃあ下着も脱いで、僕を跨いで膝立ちになるんだ」
「カシコマリマシタ」
ブラジャー、外ス。ショーツ、脱グ。
マスターノ体、跨グ。
「すごいわね、サチコったらすっかりアツヒロ様の言いなりだもの」
「そりゃそうだよ~、今のサチコはセックスマシーンなんだもん。ね、ハヅキ」
「セックスマシーンじゃなくて搾精マシーンよ、エリカ」
「もう~、そんな細かいとこくらいいいじゃん」
「ほらほら、エリカもハヅキもアツヒロ様の邪魔しないの」
「まあ、ちゃんと撮れてるなら僕はかまわないけどな。……ほら、次の任務だ。そこで僕の精液を搾り取れよ」
「ンフゥウウウ……了解ッ……シマシタ。私ノヴァギナデ、精液、搾リマス」
マスターノペニス、握ル。ヴァギナニ当テル。
コノママ、搾精作業ヲ開始……。
「……ハンッ、ハンンンンンッ!」
ペニスノ挿入ヲ確認。
「グッ、ンフウウゥ……ソレデハ、ペニスヲ搾リマス。……ンッ、フフフゥッ、ングッ、ハウウッ!」
奥マデペニスヲ飲ミ込ンデ、マタ腰ヲ降ロス。
コレヲ繰リ返シテ、ヴァギナデペニス、扱ク。
「ンッ、フウウッ、ンンッ、フウッ、ンッ、ハンッ……」
モット腰、動カス。上下ニピストンスル。
マスターノペニス、扱ク。
「ンンッ、ハウッ、ンッ、ハンッ……」
「うわ~、こうやって虚ろな目で腰振ってるのって超やらし~。……でも、これってサチコも気持ちいいのかな?」
「たぶん気持ちいいんだと思うわ。ね、ハヅキもそう思うでしょ?」
「うん。サチコの白い肌がピンクに染まってきてるし、息づかいも荒くなってるしね」
「あ、そういえばそうよね~」
モットペニス扱ク。腰、上下ニ振ル。
モット、モット……。
「ウウッ! ハウウウウウッ!」
「サチコ、おまえ、今イッたな? 僕のチンポをぎゅうぎゅうに締めつけてるぞ」
「ハイ、絶頂ヲ確認シマシタ」
全身ガ痙攣。ヴァギナガペニスヲ締メツケルノヲ制御不能。
オーガズムニ達シタト認識。
「だけど僕はまだイッてないぞ。おまえの務めは僕のチンポから精液を搾ることだろ? 作業を続けるんだ」
「了解シマシタ。……ンンンッ! ハウウウウウンッ!」
絶頂シテモ、ピストンハ可能。
精液、搾ル。腰、動カス。
「ンフウウッ! ハウッ! ンフウウウウウッ……ウウウッ! フゥウウウウウウッ!」
「なんだ? 腰を振るたびにイッてるのか? おまえの膣、さっきからひくつきっぱなしだぞ」
「ハイッ。デモ……大丈夫デスッ。絶頂シナガラデモッ、マスターノ精液ヲ搾ルノハ可能デスカラッ、任務ッ、遂行シマスッ! ……ハンンンンンッ!」
断続的ナ絶頂ヲ確認中。
ソレデモ、腰、動カス。
マスターノペニス、扱ク。
「ンッ、ハウウウウウッ! ハンッ、アフゥウウウウッ!」
「くっ、すごい締め付けだな。僕ももう出そうだよ」
マスターノペニスガ振動スルノヲ確認。
射精ガ近イト判断。
搾ルッ……精液搾ルッ!
「ハンッ、ハッ、ハンンンッ、ンッ、ンフゥウウウッ、ンッ、ハウウウウウッ!」
「くうっ! 出るっ!」
「……ハウウッ! フオオオオオオオッ!」
ペニスカラノ射精ヲ確認。
膣内ガ精液デ満タサレテイク……。
「マスターノ射精ヲ確認。任務、完了シマシタ……」
「ああ、なかなかよかったぞ。じゃあ、体を拭いて服を着るんだ」
「了解……シマシタ……」
体ガ重ク気怠イ。
シカシ、マスターノ、命令ハ絶対。
体ヲ拭イテ、服ヲ着ナイト……。
* * *
「サチコ! ちょっとどうしたのサチコったら!」
「……えっ? アヤネ?」
アヤネが私の目の前で手を振っていた。
「どうしたのよ、終わった途端にぼんやりしちゃって?」
「えっと、私……」
私は……アヤネのボディケアをしてて、それが終わって……。
「大丈夫? サチコったら働き過ぎなんじゃないの?」
「いや、そんなことはないけど……」
本当に、軽く意識が飛んでいたような感覚がする。
「それよりも今日は早く終わらせるんでしょ。ぼやっとしてると遅くなっちゃうわよ」
「えっ!? ……やだっ! もうこんな時間!」
時間を見ると、普段の閉店時間と同じくらいだった。
たしか、アヤネたちが予定よりも早くやってきて、そこからすぐに80分のコースを始めたからいつもよりも時間に余裕があったはずなのに。
「ちょっとハヅキたちとエントランスで待っててね。急いで店を閉めるから!」
「もう、しっかりしてよね」
本当に不思議な感覚がする。
あっという間にすごく時間が過ぎてしまったみたいで、その間になにをしていたのか全然思い出せない。
それにものすごく気怠いような、熱っぽい感じがするし。
過ぎている時間と自分の記憶のずれを感じながら、慌てて閉店の作業をする。
そして。
「それじゃ、おつかれさまです、サチコさん!」
「おつかれさま、佳奈ちゃん。また月曜日ね」
「はい!」
店の前で佳奈ちゃんに手を振ると、アヤネたちと歩きはじめる。
「ん? どうしたの、サチコ?」
「うん……いや、なんでもないわ」
ハヅキが首を傾げて尋ねてきたのを笑ってごまかす。
体が重くて気怠いのもそうだけど、なんかお腹の奥が熱く疼くような感じがする。
でも、思い当たることはなにもないしきっと気のせい。
「それよりもアヤネ、どこに行くか決まってるの?」
「ええ。この近くに料理が美味しくて雰囲気のいい洋風居酒屋があってね、そこに予約を入れてあるのよ」
「へえ、楽しみだわ」
「サチコと会うのはひさしぶりだから話すこともいっぱいあるしね~!」
「私と……ってことはみんなはけっこう会ってるんだ」
「うん、最近になってまた3人で集まることが多くなってるのよ」
「なによもう、だったら私も誘ってくれたらよかったのに」
「ごめんごめん、でもサチコっていつも忙しそうにしてたから。……着いたわ、ここよ」
みんなとおしゃべりしているうちに着いたのは予想以上に洒落たお店だった。
居酒屋というか、スペインや南仏を感じさせるレストランといった雰囲気。
「いらっしゃいませ!」
「予約していた坂上ですけど」
「坂上様……はい、5名様のご予約ですね! では、案内します!」
対応に出た店員の女の子に案内されて席に向かう。
だけど……。
「ねえアヤネ。後から誰か来るの? 5人で予約って、私たちは4人だけど……」
「なに言ってるのよ? さっきの子、4名様のご予約って言ってたでしょ」
「そ、そうだっけ?」
そう言われるとそうかもしれない。
私の聞き間違いだったような気がしてくる。
でも、今度は……。
「それではドリンクお持ちしました!」
飲み物を注文した後で、店員の子がそれぞれのグラスを5つ持ってきてテーブルの上に置いていく。
最後のひとつは私の斜向かいの、誰も座っていないはずの場所に。
「どうしたの、サチコ?」
狐につままれた思いでそのグラスを見つめてると、私の前に座ったハヅキが不思議そうに尋ねてきた。
「だって、そこ、誰もいない席にもグラスが置いてあるから……」
「グラス? どこにあるの?」
「どこって、そこに……あれっ?」
「なにもないわよ?」
斜め向かいに置かれたグラスを指さそうとすると、さっきまであったはずのそれがなかった。
ハヅキとの会話に気を取られている間に消えてしまったみたいに、グラスは影も形もなかった。
「どうしたの、ふたりとも?」
「ん、なんかね、サチコにはそこにグラスがあるのが見えたんだって」
今度は、私の隣に座ったアヤネが会話に入ってくる。
「え? グラスなんてどこにあるの?」
「いや、今はなくなったけどさっきはたしかに……」
「だから、最初からなにもないのに、サチコったら変なの」
「疲れて幻でも見たんじゃないの? 仕事のしすぎじゃない?」
「そんなことはないと思うけど……」
ハヅキとアヤネにそう言われると、本当にグラスがあったのか自信がなくなってくる。
さっきはたしかに見えたと思ったけど、もしかしたら私の気のせいかもしれない。
「……ちょっと、エリカったらなにニヤニヤしてるのよ? あなたも私が幻を見たって思ってるの?」
気がつくと、ハヅキの横に座ったエリカがやけに楽しそうに私の方を見ていた。
「えっ? あっ、いや、そんなことないわよ~! それよりも早く乾杯しようよ!」
「そうね。それじゃ、ひさしぶりにサチコを囲んで、乾杯!」
「乾杯、今日はおつかれさま、サチコ」
「おつかれさま、そして、みんなひさしぶりだね」
「うん、かんぱーい!」
アヤネの音頭でグラスの縁をカチンと合わせる。
お酒が入ったのもあって、さっきのグラスのことはすぐに気にならなくなった。
なにより、この4人で集まるのは本当にひさしぶりで話すこともいっぱいあったから。
お互いの近況について話してから、すっかり学生時代の気分に戻っておしゃべりが弾む。
「でも、やっぱりサチコはすごいよねー、なんたって社長さんだもんねー」
「そんなことないわよ。社長っていっても個人でやってる小さなエステ店だもの」
「それでも、私たちと同じ年で自分のお店を持つなんてなかなかできないわよ」
会話の流れで出てきたエリカの言葉に、ハヅキも感心したように頷いている。
ふたりは本当に褒めてくれてるのはわかるけど、その言葉に素直には喜べない。
「でもね、それは自分のお店を持つのが夢だったんだけど、それが叶ってもいいことってあんまりないかなって……」
かなりお酒が入ってるのもあって、思わず愚痴が出てしまう。
「ん、どうしたの? いつも前向きなサチコにしては弱気じゃない」
「いや……実はね、お店の経営がそんなに上手くいってないのよね……」
「そうなんだ、自分でお店やるのも大変なのね」
アヤネもハヅキも私の言葉にそれ以上なにも言えないのか、微妙な沈黙が流れる。
「とにかくさ、せっかくだからパァッと愚痴っちゃおうよ! ま、あたしたちには愚痴を聞くことくらいしかできないけどね!」
言い出しっぺのエリカが、わざとらしいくらいに元気な声で言う。
少しお調子者なところがあるけど、これがこの子なりの気の遣い方だって私は知ってる。
「うん、ごめん、ちょっと暗くなっちゃって」
「いいからいいから! さあ、もう一回乾杯しよっか!?」
「うん」
「それじゃ、かんぱーい!」
エリカの合図で、もう一度乾杯する。
ハヅキとアヤネも、昔と同じ優しい笑顔を浮かべていた。
こういう友達がいてくれることが、本当にありがたいと思う。
* * *
そして。
「もう、サチコったらちょっと飲み過ぎよ」
「……うん……うん」
私の体を支えるアヤネの声が遠くで聞こえる。
それ以前に、頭の中がぐるんぐるんと回ってるみたい。
その日、飲み過ぎてふらふらになった私はみんなに家まで送ってもらう羽目になってしまっていた。
マンションまで送ってもらったタクシーにエリカを残し、ハヅキとアヤネに両側から抱えられて部屋まで送ってもらう。
「……ええっと、この部屋ね」
「……うん……うん」
「もう、大丈夫?」
「……うん、らいりょーぶ」
「もう……それじゃ、また明日ね」
「……うん」
まだ心配そうにしてるアヤネとハヅキに手を振る。
……あれ?
今、なにか……?
手を振ったときに一瞬、ふたりの後ろにもうひとり人影が見えた気がした。
たぶん、男性のような影。
だけど、頭の中がぐらぐら揺れてて考えるのも面倒くさい。
この、クラクラと目が回るような感じはなんだかお酒のせいだけじゃない気がするけど、おそらく気のせいだろう。
「それじゃーね」
「もう、ちゃんと鍵は掛けるのよ」
「……うん」
ドアを閉めて言われたとおりにちゃんと鍵を掛けると、ふらふらと寝室に向かう。
ん? さっきアヤネが言ってたのって?
朦朧とした頭の中で、ひとつだけ引っかかることがあった。
アヤネ、また明日って言ったよね?
明日は……なにがあるんだっけ?
明日はお店はお休みだし、飲み会の間になにか約束をした覚えもない。
でも、そんなことはどうでもいいくらいに目が回っていて、私はベッドに倒れ込むとそのまま着替えもせずに眠りに落ちていったのだった。
< 続く >