幼なじみが中二病の催眠術師だが問題ない 後編

後編

 ―――今朝、イオリは俺を起こしにこなかった。
 まあ、当然だろう。ケンカしたとき(というか俺が一方的に腹を立てたとき)の朝は、いつもビクビクしながら玄関で俺を待つのがアイツのいつものパターンだからな。
 そう、いつものパターンに持っていくことにした。
 何でもないことだ。笑って乗り越えろ。俺たちの間に「しばらく様子を見る」なんてナシだ。
 イオリとは手っ取り早く仲直りする。昨日は俺も言い過ぎたし、そこは謝る。
 でもまあ、SEKKYOUはさせて貰うぜ。もう絶対にあんなこと繰り返すわけにはいかないし、イオリにも反省はしてもらわないとな。
 あとは俺が、ちゃんとアイツのへんてこな能力も含めてこれからも面倒みてやればいいんだ。そうだよ。中二病の面倒くさい設定が一つ増えただけだと思えばいい。それくらい俺が何とかしてやる。
 ……何とかしてみせるさ。
 鏡の前で笑顔を作る練習をする。さすがにちょっと疲れた顔してる。情けねえ。これぐらいのこと、俺は余裕で乗り越えてみせないと。
 そして、二度と幼なじみたちを泣かしたりしないんだぜ。

「よしっ」

 笑顔完璧。まずはイオリと仲直りだ。
 そして学校だな。クラスのみんなと担任。ほがらかに、いつもどおりに挨拶することが大事だ。出来るだけ早く昨日のことを過去に追いやるんだ。
 セリのことは……とりあえず時間を置いてからにしよう。今は冷静になんてなれないだろうし、俺だって無理だし。
 でも、近いうちには必ずどうにかしてみせる。あれは誤解だ。あんなの俺の意思じゃないし、そこだけはわかってもらわないと、アイツの中で俺は変態ってことになってしまう。
 ていうか、セリとはマジでもっと仲良くしたい。マジでアイツは可愛い。
 いや、変な気持ちじゃなくて、幼なじみとして、またアイツに「お兄ちゃん」って呼ばれたい欲求がかなりあることを昨夜は発見してしまった。エロ抜きで、俺はセリと幼なじみの関係を復活させたいんだ。
 まあ、さすがにそこまでは無理にしても、せめて普通に挨拶くらいはできる仲には戻りたいよね。ゆくゆくは。

「いってきまーす」

 さて、まずはイオリ。
 しょうがねーから、今回も仲直りしてやってもいいぜ?
 
「イぼっ!?」

 隣んちの玄関には、俺の予想もしなかった人物が立っていて、憎まれ口を叩こうとしていた俺は急いで口を閉じて舌を噛んだ。
 葦原セリ。怖い方の幼なじみ。
 長いツインテールが、そのきれいな分け目とうなじを見せていた。
 冒険に出た最初の一歩で、ラスボスとエンカウントしてしまった不運の勇者な気分。セリはこっちにそっぽ向けた格好でじっと立っている。
 なぜ? 誰待ち? しかし、この状況で声をかけないと、逆にあとでの修復が余計困難になってしまう。人間関係トラブルの対処法ならマニュアルまで書けちゃう俺としては、自然と最悪のパターンを避ける習慣が身についていた。
 今はとりあえず声だけでもかけておけと、必死に笑顔を作り上げる。

「お、おはよう、セリ!」

 セリ、無言。反応なしです。
 対応パターンをBルートに軌道修正。真顔に戻る。

「……あの、昨日は、本当にごめん。反省してる。こんなこと言える立場じゃないのはわかってるけど……お前の名前に傷つけるようなことは絶対にしないから。誰にも言わないし、もう忘れる。アレは、お互いになかったことにした方がいいと思うんだ。そうさせてくれ。本当に、ごめんなさい」

 頭を下げる。本当に、本気で悪かったと思ってるし。
 セリは何も言わない。しかし俺は頭は上げない。まずは無視されても仕方ない。詫びの姿勢だけはわかってもらわないといけない。
 じゃないと、今後イオリのことも許してもらえないからな。

「……昨日の、あれってなんだったの?」

 セリはそっぽ向いたまま、ぼそりと言った。
 俺はチラっと顔を上げる。そして姿勢を戻す。会話可能状態までの復元に成功。あとは、慎重に、言葉を選んで答えていく。

「あれは、催眠術だって言ってた。イオリはどうやら、たまたま偶然、そういうのを使えるようになったらしい」
「催眠術……」

 セリは復唱するように繰り返し、そして、ふぅ、とため息をついた。
 顔は相変わらず向こうを見たままだ。俺の自慢の幼なじみの可愛い横顔はまだお預けだ。寂しいけど我慢我慢。

「じゃあ、催眠術のせいなんだ? あんたがあたしにあんなこと言ったの」

 俺がセリに言ったこと。
 思い出して顔が熱くなっていく。
 セリも怒りを思い出したのか、僅かに見えるほっぺたが真っ赤になっていた。
 やばい。逆鱗5秒前。
 この場は全部催眠術のせいして流すべきだ。あんなの俺が言うわけないし。セリに殺されるし。
 全部イオリの催眠術のせいにして、俺だけでも許しを得て、それから姉妹の和解を目指していけ。つーか、これ以上セリに嫌われるのは辛すぎるじゃん、俺だって―――
 
「いや、あれは俺の本音だよ」

 なのに、自然とそんなこと口走っていた。
 うわあああ、最悪。言わなきゃいいことなのに、なんで言っちゃってんだよ、俺。
 でも、だって、そこに関してだけは、イオリのせいだけじゃねぇもん。
 あれは、イオリが俺を喜ばせるためにしたことだ。俺が目を塞ごうとしていた男としての本音に、あの幼なじみは気づいてたってだけの話だ。
 セリがかけられた催眠術と、俺がかかった催眠術は……多分、違うものだったんだろう。

「俺がかけられたのは、おそらくだけど、俺の本性をさらけ出す催眠だ。セリに言ったことは、なんていうか、さすがにあそこまで欲望全開じゃないって思うけど……いや、でも、俺の中にある本音なんだよ。イオリが無理矢理やらせたことじゃない。イオリの悪意じゃないんだ。だから、ごめん。本当にごめん」

 ごめんな、セリ。ごめん、イオリ。
 やっぱり一番悪いのは俺だ。幼なじみにあんなことしたのは、全部俺の欲望だ。セリがかけられたスケベな催眠に便乗して、俺の言うことならホイホイ聞いちゃう無防備なイオリに命令して、幼なじみを2人まとめてやっちゃいたいって考えるような男なんだ、俺は。
 最低のクズ野郎だ。

「……そう、なんだ……」

 セリが小さな声でつぶやいた。
 俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
 そして、こちらから見えるセリの顔も、どんどん赤くなっていく。
 気まずい空気が俺たちの間にのしかかっていた。
 足が石になったみたいに、動けなかった。

「じゃあ……あたしがあんたのオンナだって言ったのも……あんたの本音ってこと?」

 ズキリとくる。
 大声出して走って逃げたい。
 俺の対応マニュアルが「大失敗」だと告げている。そりゃそうだ。俺、キモすぎる。
 セリはますます怒り心頭のようで、首の後ろまで真っ赤になっている。
 こうなったらもう、本気で謝って、許してもらえるまで謝るしかない。

「そうだ。俺の本音だ。ごめん」
「一生そばにいろとかも言った」
「言った。確かに、それも俺が言ったよ」
「し、死ぬまであんたのオンナだって」
「うん、それも俺」
「あんたの言うことに従ってれば、ずっと可愛がってやるとかも言ってた」
「言ったよ、うん。俺、言ったね?」
「……キモいよ、あんた。あたしこと何だと思ってんの?」
「ごめん。本当にごめんなさい」

 針のむしろにホールディングされ、俺は頭を下げるしかなかった。
 朝っぱらから嫌な汗で制服もびちょびちょだ。マジで俺、死んだ方がいいのかもしれないな。昨日のうちに死んでおけばよかった。
 どうする? 土下座いっとく?
 いや、このタイミングではもう遅い。
 もう俺のマニュアルには『切腹』のページしか残されていないんだけど。

「許さない。絶対に許さないから」

 セリは、握った拳まで真っ赤になっていた。
 今日は人生で一番「ごめん」を言った日になるだろうと思いながらも、深く頭を下げる。

「ごめん。あの、他に何て言っていいのかわからないけど、俺、セリにこれ以上の迷惑かけるようなことは絶対しないし」
「ダメ、そんなのじゃ許せない」
「……だよな。じゃあ、これからはなるべくセリの目につかないように―――」
「カラオケ2時間はおごってもらわないと、許せない」
「え?」

 今、何か変なこと言わなかった?
 顔を上げると、セリはちょっとだけこっちを向いていたみたいで、急いでそっぽ向いていた。

「あ、あんたのおごりで、カラオケ連れてってくれるなら、許すかどうか考えるかもしんない」

 マジ?
 え、カラオケ?
 アミューズメント関係なんかに解決の糸口があったの? それハードル低くね? 低すぎね? 幼稚園の運動会レベルよ?
 ほんと、葦原姉妹はとことん俺のマニュアルを裏切ってくれるぜ!
 
「わかった。カラオケ2時間な。それでいいの?」
「べ、別に許すって言っていないし! あとフードメニューも頼みたい放題だし! それなら、検討するって言ってるだけ!」
「全然おっけー。むしろラッキー。よし、そういう条件ならどんどん言ってくれよ。バイト代出たばっかりだから」
「あ、う……うん」

 セリは声を詰まらせ、コクリと頷いた。なんだよ、マジでそれだけなの? 謙虚なの?
 だったら大盤振る舞いしかない。本当はイオリの誕生日のためにバイトしてたのだが、やむをえまい。今年のプレゼントは肩たたき券で我慢してもらおう。アイツにも一応は責任あるんだしな。
 全ての資金を投入して、俺の本気接待をこの中学生に食らわせ、骨抜きにしてくれるわ!

「じゃあ、いつにする? 俺、今度の土曜日とかヒマなんだけど」
「……別に、いいよ。土曜日でも」
「よし、じゃあ、土曜日な。なんか久しぶりだな、セリとカラオケって。かなり前に、イオリと3人でセリの誕生日祝いに行った以来か?」

 セリって小さい頃からカラオケ大好きっ子だったっけ。
 3人で行っても彼女がマイク独占してしまうから、俺とイオリはいつも賑やか担当になってしまうんだ。
 まあ、セリは俺にとっても妹みたいなもんだし、本当に楽しそうに歌うもんだから、喜んで連れてってやってたけどな。
 などと、俺が勝手に回想してニヤついてると、いきなり、ぎゅるんとセリの顔がこっち向いた。
 あまりの迫力に俺もギョッとした。

「い、言っとくけど、お姉ちゃんとは行かないからね! お姉ちゃん誘ったら絶対に許さないよ!」
「お……おう。当たり前じゃん。イオリには黙ってるよ」

 てか、アイツが来たらだいなしだろ。
 まずはセリの機嫌を直すことが先決だもんな。

「そ、そう。ナイショ。お姉ちゃんには絶対ナイショ。2人だけ」

 コクコクと、真っ赤な顔でセリは何度も頷く。
 そんなに念を押さなくても、俺だってそのくらいの空気は読める。
 大嫌いなヤツら2人に挟まれたら、セリだって歌いづらいもんな。俺はとりあえず部屋の隅でマラカスでも振ってるから、気にしないで楽しむといいぜ。

「ん、じゃあ、そういうことで」
「あぁ、土曜日にな」

 すたすたと、セリは俺とは反対方向にある通学路へと向かっていく。俺は背中の緊張をほぐし、ほっと肩から力を抜く。
 よし、やったぜ。予想外の大成功だ。
 セリの美少女顔をあまり拝むことが出来なかったのは残念だったが、なんとか次回にも繋げられそうだ。ヤツのカラオケ好きに感謝だな。学校着いたら、さっそく割引券持ってるやつ探そうっと。
 などと気を抜いていたら、数メートル向こうでセリが急に立ち止まる。
 そして、しばしその体勢のまま固まってると思ったら、いきなり振り返り、しゅぴっと片手を挙げる。

「じゃ、じゃあね、広樹っ!」
「お、おう、いってらっしゃい」

 俺は何とか笑顔を作って手を振った。
 そしてパタパタと走り去って行くセリの背中を見守りながら、もう一度、あらためて体から緊張を抜く。
 ふう、びっくりした。でもなんとか取り繕えたみたいだ。緊張を見抜かれたりしなかったかな? 笑顔はちょっとキモかったかな?
 でも大丈夫。俺には次の土曜日にもう一度チャンスが許されている。
 よし、じゃあ今度のカラオケでは、あのお姫様をとことん持ち上げて、なんとか機嫌を直すところまでは持って行ってやる。
 とりあえず昨夜の件だけでも許しを得られるなら、あとはイオリの普段の態度について理解を求めていけばいいだろう。なんだかんだ家族だし、セリだって小さい頃はお姉ちゃん子だったしな。
 あとは情に訴え、拝み倒し、昔みたいな3人の幼なじみ関係修復まで行けば完成だ。
 まあ、そこまで行くにはあと数年はかかりそうだが。
 だがやってやるぜ、俺は。きっかけは向こうから貰えたんだからな。昔みたいにセリに「お兄ちゃん」と呼ばれるようになるまで、どんだけ時間がかかろうがやってやる。
 そう、あいつにまた「お兄ちゃん」って……あれ? さっきアイツ、俺のこと何て呼んだ?
 いや、ないな。気のせいだ。とにかくアイツの機嫌をまず直さないとって話だもんな。
 覚悟しとけよ、セリ。お兄ちゃんはしつこいぞ。
 必ずお前と和解してやる。仲良しになってやる。イオリのせいで鍛え上げられてきた俺のトーク力をなめんなよ。お前の氷の心を溶かすのは俺だからな。
 そして、あわよくばお前とどうにかなりたいっていうこの気持ちも、まだ全然あきらめたわけじゃないんだからな!

 ―――ちなみに、次の土曜日のこと。
 俺とセリは、じつにあっさりと、どうにかなってしまった。
 カラオケに行ったにも関わらず、俺たちはほとんど歌うこともなく、しゃべり続けた。今までのことがウソだったみたいに。いや、ずっと昔からそうだったみたいに、俺たちはただの会話を楽しんでいた。
 思えば小さい頃は、イオリよりもセリの方が、俺と気も合うしノリも合う遊び相手だったんだ。
 セリみたいにオシャレな子が好きそうな話題とか、好かれそうなしゃべり方とか、そんなマニュアルはすぐ忘れた。遠慮のない身内同士のバカ話しかしなかった。
 約束の2時間なんてあっという間で、1時間の延長が2時間の延長になり、それでも俺たちのくだらないおしゃべりは止まることなく、3時間目の延長に突入した頃には互いの距離感もゼロになっていた。
 ただ、すでに「幼なじみ」の関係を引退していた俺たちにとって、いきなり復帰したその近しい距離は「男女のそれ」を意識させたし、そのとおりになっていた。
 たった1日。
 何年もわだかまっていたと思っていたのがアホらしくなるくらいあっさりと、俺たちは和解をしたし、それ以上のこともした。
 ただ、そのときの細かい経緯や話し合ったこと、イオリへの気持ち、そして2人で決めたいくつもの約束については、俺の可愛いカノジョが「絶対ナイショ」というので、ここでは語らない。
 それにまだ、今日の話が全然終わっていないのだ。
 時間は、俺とセリがぎこちなく土曜日の約束を交わした朝の場面に戻る。

 ―――駆け足で去って行くセリの背中が見えなくなるまで、俺は次の土曜日の計画を練って1人ニヤニヤしていた。
 はたから見れば相当気持ち悪いに違いないが、浮かれてしまう気持ちが抑えられない。
 
「広樹くん、気持ち悪いぞ」
「うわ、おじさん。おはようございます」
「おいおい、うわってなんだよ、うわって。人を宇和のじゃこ天みたいに。はははっ。で、じゃこ天ってなんだい?」
「いえ知りませんよ……」

 玄関口にいつの間にか隣のおじさんがいた。
 やっべ、恥ずかしい。まさかセリとの会話を聞かれたわけじゃないだろうな。

「いやー、それにしても広樹くんが次女の方にもうプロポーズしてたとはな。賭けはお母さんの勝ちかぁ」
「やめてマジで最初から立ち聞きしてんのは勘弁してッ!」
「まあ、どっちが正妻でもうちはかまわないけど、必ずもう1人の方も連れてってくれよ。置いてけぼりはかわいそうだからな」
「おじさんたちがそういうこと言うから、長女の方が変な誤解しちゃうんでしょ!」
「誤解も何も、うちは結納も披露宴も一発で済ませるって親戚中に約束まで……で、ところでその長女はまだ寝てるのかい? そろそろ学校の時間だぞ?」
「え?」
「いや、広樹くんの部屋に泊まってんだろ?」
「なんでイオリが?」
「お母さんが2階にいないって言ってるし」

 イオリがいない?
 え、なんでそれで俺の部屋に泊まってるって流れになっちゃうの、このお隣さんたち? そんなのをこの童貞にナチュラルに言われちゃったらもうセクハラだよね?

「って、イオリがいない!?」
「まさか、広樹くん家にもいない!?」
「「じゃあ、どこ!?」」

 俺とおじさんの顔色が変わる。
 昨夜のイオリを思い出す。俺の部屋から寂しそうに出て行く彼女を。
 あいつ、1人でいったいどこに……?

「お母さん! イオリのやつ、広樹くんが先にセリの方にプロポーズしたもんだから出て行ったらしいぞ!」
「まあまあ、だからあれほど姉妹一緒に可愛がってあげてって口酸っぱく……」
「だから、そのネタはもういいから――って、あれ?」

 ビリビリ。
 足元に変な痺れを感じる。
 身に覚えのあるこのバイブレーション。
 これ……あの、やばいやつだ。

「うわああああああッ!?」
「きゃああああああッ!?」

 ビリビリビリビリビリ。
 おじさんとおばさんが目の前でバイブする。俺も同じくらいバイブってる。
 そして、その振動は数秒で収まっていく。
 不明の事態による恐怖は、そのわずかの間に消えていた。フリスクを十粒くらい脳に埋め込まれたみたいに、素晴らしく爽快な気分とともに。

「よーし、広樹くん。親子となったらまずは裸の付き合いだからな。おじさんたちと裸でダンシングだぞ!」
「うふふっ、裸ダンシンなんて、お父さんと新婚旅行先のパリでスワッピングパーティに参加した以来だわ。広樹くん、あなた踊れて?」
「何をおっしゃる。あなたたちやうちの親に代わって俺がPTAの付き合いをこなしてきた中学時代をお忘れですか? 主婦の皆様の間ではダンシングプリンスと呼ばれ、入れ替わり立ち替わりオールナイトでお相手を務めることもざらでしたよ。まったく、それじゃ久々に俺の魅惑のタンゴでも―――」

 てきぱきと服を脱ぎ始めるおじさんとおばさん。
 そして俺自身も制服を脱ぎ始めていることに気づいて、慌てて自分の頬をパンチした。

「あっぶねえ!? こんなところで全裸になるところだ……ったって、ちょ、おじさん、おばさん!」

 彼ら、とっくに全裸だった。
 俺は両目をつぶって彼らを家に押し込む。
 踊る気マンマンの彼らは、「どうしたんだよ?」「踊りましょう、プリンス」なんて言って全裸で絡んでくる。

「勘弁してよ、お隣さんの裸とか見たくないんだよ!」

 外から扉を閉めて、一呼吸。
 なんだこれ? どういう事態だ?
 いや、とぼけてる場合じゃない。俺はこれを知っている。
 宇宙のウェーブ。魔法的な何か。イオリの言ってた例のヤツ。
 でも、今日のはそれに催眠電波が乗っている。
 人の意思をねじまげる意思が込められたもの。他人の意思。つまりこれは、宇宙から来たやつじゃない。同じ人間が発してるんだ。
 おそらく……いや間違いなく、俺の心当たりで正解のはず。
 どこにいる、イオリ。
 何やってんだよ、イオリ!
 
「あのバカっ!」

 などと呟きながら走り出すという典型的な中二行動をとっている自分に赤面しながらも、俺は走らずにはいられなかった。
 セリの向かった中学方面とは逆の方向に俺たちの通う高校はある。おそらくそっち。多分こっち。俺の幼なじみレーダーが急げと言っている。
 イオリ。イオリ。
 昨夜のことなら俺が謝るから、バカな真似するな!
 
「ちょーウケる。そんなにうちらの尿が飲みたいわけ?」
「いいけどー。私、かなりトイレ我慢してたんだよねー」

 ギャルっぽい頭の悪そうな女子高校生が2人、制服のスカートを持ち上げ、パンツも下ろして立ちションしている。
 そして、それをゴクゴクと美味そうに飲んでる中年サラリーマンも2人。
 朝飯を戻しそうになって慌てて目を逸らし、やはりこっち方面で正解らしいことを確信する。

「わんわん! わんわんわん!」
「ママちゃん、だめー。ワンワンしないのー」

 どっかのお母さんが四つんばいになって俺に吼え、園児くらいの子どもがお母さんの首輪を引く。
 子どもは全裸で、お母さんは裸エプロン。意味のわからん取り合わせだ。でも、街中にそんな光景が溢れている。
 シュールなマンガの世界にでも入り込んだみたいに。

「毎度おなじみ、ちり紙交換です。使用済みのティッシュ、使用済みのパンティ、使用済みのナプキンなどがございましたら―――」
「誰かーッ! 誰か、私の乳首を探り当ててーッ!」
「あぁ、俺だ。今、下半身だけ露出した状態で街に立っている。何のため? もちろん、お前のせいだよ。昨夜のセックスがイマイチだったから、こうして街行く女を視姦しながらダンディな革手袋で手淫を―――」
「ねえ、見て見て。あそこで革手袋手淫してるおじさん、素敵だと思わない?」
「よし子、あんた本当に見る目ない。だからすぐ男に騙されるんだよ。それだったらまだあそこでポストをアナルに入れようとしている男の子の方が全然イケる」
「うおおおおッ! 無理無理、絶対無理! あ、でも、ひょっとしたら入るかもおおおおおッ!」
「ねえねえ、そこで朝から男の品定めしている下着姿のお姉さんたちー。良かったら俺とパンツ交換しねえ?」
「間に合ってます」
「これ、あそこで小学生男子をペロペロしてるおばさんたちと交換したパンツですから」
「はぁ、はぁ、最高ざます、小学生男子の腹部は最高ざます!」
「おばさんたち、約束だよ? 10分俺たちのヘソを舐めさせたら、おばさんたちに20分クンニだからね?」
「俺たち、淫汁50ml集めてこないと担任女教師にお尻の穴を調教されるんだ」
「誰かーッ! いい加減、私の乳首探り出してーッ!」
「ちぇ、それじゃあそこの乳首おばさんに頼むか。じゃあな、ブスども。お前ら絶対結婚できねぇぞ」
「死ねよ粗チン」
「包茎のくせに話しかけんな」
「毎度おなじみ、ちり紙交換です。使用済み革手袋、使用済みポスト、下着、淫汁、余った皮などございましたら―――」

 頭がおかしくなりそうだ。
 イオリ、どこだ? どうなってんだ?
 頼むから俺に謝らせてくれよ。

 ビリビリビリビリビリ。
 
 また例のアレが来る。
 ぐるりと脳みそが入れ替わるような感覚。
 普段考えたこともないような狂った思考や命令が、俺の中の常識と感覚をごちゃ混ぜにする。
 でもそれが、最高に気持ちいい。アルコールなんかよりもよっぽど気持ちよく酔えてしまう。
 あぁ、女子中学生のカバンになりたい。中年サラリーマンの椅子になりたい。思う存分地球をペロペロして、いつものようにマックのレジにパラッパッパッパーって射精したい。
 フラフラと揺れる俺の前に、念願の女子中学生が近づいてくる。
 
「あの、お兄さん、すみません。私のアナルにベロチューしてもらえませんか?」
「お安いご用ですよー」

 うほ、美JCちゃん。カバンになりてぇ。この子の教科書やスマホを全身に収納して、ナプキン袋を口に咥えて、学校までズルズル引きずられてぇ。
 そんな下心を隠しながら、俺はその子のパンツをずり下ろす。つるりと可愛い美少女尻だ。
 
「すみません、ありがとうございます。お兄さんのお顔を見たら、もうアナルの中がうずいて我慢できなくなっちゃって……」
「いいってことよー。思いきりしゃぶってやるぜー」
「わあ、ありがとうございます。その、お礼にどんなことでもさせてもらいますので、何でも命令してください!」

 何だよ、すっげいい子じゃん。優しく丹念にベロチューしてあげれば、カバンにしてもいいよって言ってくれるかも。そんな甘い夢想にニヤけながら、俺は彼女のアナルを指でムニュっと広げる。
 石けんと生々しい匂いが混じって鼻をくすぐる。俺はそれを胸いっぱいに吸い込んで、まだ男を知らなさそうな可憐なアナルに唇と舌を近づけ……。
 
「なわけないだろうがーッ!」
「きゃあああああッ!?」

 広がりきったアナルの奥に向かって絶叫した。
 あぶねえ。何しようとしてんだ、俺。
 女の子のパンツを戻し、バチンと尻を叩いて先を急ぐ。
 しっかりしろ。流されるな。この電波にやられるな。
 俺には急いでやるべきことが―――
 
 ビリビリビリビリ。
 
 近くにある病院からナースさんが飛び出してくる。
 巨乳で色っぽい顔をした美人だ。

「すみません、この近くに『鈴木広樹』さんはいらっしゃいませんか!」
「え、鈴木広樹は僕ですが?」
「あぁ、よかった。今、院内で謎の感染症が広がり、女性が淫乱になって大変な騒ぎっていうか、じつは私も感染してるんです。そしてそのワクチンは鈴木広樹さんの精液しかないと厚生労働省からの通達がたった今、脳内に直接メールされて……すみません、時間がないんです! 急いで私の子宮の中にあなたの精液を注いでください!」
「なるほど、それは大変だ。僕でよかったら是非みなさんの助けに」
「ありがとうございます! あの、挿入の前の消毒を、私のお口でさせていただきますので」
「うっひょー、それはたまりませんね、是非」

 路上だろうがかまわず、むしろ喜んでファスナーを下ろす。
 巨乳ではちきれそうなナースさんの制服に、すでに俺のもそそり立っていた。

「まあ、なんてご立派な。これなら病に苦しむ200名も女性患者すぐに助けていただけそうです」
「もちろん、最善を尽くしますよー」
「頼もしい……私もせいいっぱい、お手伝いさせていただきます」

 ナースさんは色っぽい微笑みを浮かべ、ペロリと舌なめずりをする。そして、ぽってりとした唇を「あーん」と開いた。
 俺は、期待に猛りきったペニスをそのスケベそうな口内に……。
 
「入れない!」
「きゃあああッ!?」

 とっさに逸らしたらナースさんの目に入ってしまった。
 ごめんなさいと謝りながら、ファスナーを上げて逃げる。
 マジでやめてくれよ、こういうの。俺だって男の子だぞ。流されてもいいか、なんて考えそうになるんだよ!
 でもイオリはこの近くにいる。揺れはっさきよりも大きくなっている。
 震源地はやっぱりこっちの方角だ。セリとは逆方向でとりあえずよかった。
 だけどこの異変は思っていた以上に広範囲に及んでいる。早くしないと、街が大変なことになるぞ。

「ちょっとそこの君、うちのワイフを抱いていかないかい?」
「好みじゃありません!」
「お兄さん、お兄さん! 急いでるなら、うちらのパンツ被ってってよ!」
「間に合ってます!」
「あのね、お兄ちゃん、みくね、迷子になったの。みくのアソコに住所書いてるから、広げて見て?」
「おまわりさんに言え!」
「君! ちょっと、君! 警察だけど、僕が許可するから街中の女を犯しなさいよ!」
「うるせえよ!」

 まとわりつく電波な奴らを振り払って走る。
 やっぱりこの方角で正しい。
 アイツは俺を呼んでるんだ。絶対にそうなんだ。
 なぜなら電波に侵された人たちのターゲットが、明らかに俺個人になっている。エロの包囲網が俺を絡め獲ろうとしていた。
 だが俺なら大丈夫。この誘惑とも戦える。
 待ってろよ、イオリ。今すぐ、お前のとこの行ってゲンコツしてやるからな。
 
 ビリビリビリビリ。
 
 同じ学校の女子どもが、通学路を引き返して俺に殺到してくる。OLのお姉さんたちが、胸を晒してそこに連絡先を書いてる。コンビニのお姉さんが、「お弁当と私を温めますか?」とスカートたくし上げて追いかけてくる。
 
 ビリビリビリビリビリ。
 
 知らないおばさんが札束振り回して走ってきて、小学生の女児たちが「リコーダー吹かせて」と唇を突き出してきて、婦警さんがパトカーの上でM字開脚してパトランプをぐるぐる回してる。

 ビリビリビリビリビリビリ。
 
 おばあちゃんが手押し車の上に跨がって猛スピードで追い上げてきて、幼稚園児たちが塀や屋根の上をぴょんぴょん跳びながら襲いかかってきて、女子高校生が尻を出して一列に並んで俺を待ち伏せしている。
 
 俺だって、何度一緒になってハレンチパーティしそうになったかわからない。
 でも、堪えられた。耐えられた。自分をぶん殴り、電柱に頭突きし、鼻血出しながらアイツの電波を振り払ってきた。
 俺を舐めんな。あの葦原家のお隣の広樹くんだぞ。
 強烈な電波くらい、生まれたときから浴びてたよ。幼なじみの事情でな!
 
 そうして必死に走り続け―――俺はとうとう、イオリを見つけ出した。

「ぴーッ、ぴょろろろろろっ。今日も楽しいエムシーホタイムの始まりなのです。おはようございます、地球のみなさん。電波快調、電波充実、電波による電波のための楽しい電波ラジオの始まりです。逃げ惑え、逃げ惑えー。転べ、おののけ、ちぎれろ人類ー」

 通学路の電柱の上。
 どうやって昇ったのか知らないけど、そこのてっぺんに、赤いパジャマを着たイオリが立って、変なこと言ってた。
 両手のピースを、アンテナみたいに頭に立てて。

「イオリ! 何してんだ、お前!」

 眼鏡が朝日を反射して、どんな顔してるのかよく見えない。
 イオリは、微動だにしないまま答えた。

「……イオリ? 何のことでしょう? わたしはキ○ガイ電波塔。キ○ガイ電波を発するだけの悲しき鉄塊、電波塔」

 ズキリと胸が痛む。
 自分の吐いた言葉の醜さが、俺自身に返ってくる。
 拳を握りしめて、もう一度顔を上げる。
 
「イオリ、昨日のことなら本当に俺が悪い。謝る。ごめん。もうやめようぜ、電波ゴッコなんて。危ないから下りてこい」
「ぴーッ、ぴょろろろろろっ。ぴーッ、ぴょろろろろろっ」
「あああああぁあぁぁぁあッ!?」

 ビリビリビリビリ。
 強烈な電波が降り注いでくるけど、俺は自分の頭をガンガン殴って堪える。
 昨日、コイツの目から直接食らった宇宙の何とかウェーブほどじゃない。無差別電波攻撃程度なら俺は戦えるぜ。

「……イオリ、やめろ。俺はちゃんと謝るって言ってんだからな。これ以上関係ない人を巻き込んだら、怒るぞ」
「人間を巻き込むのは電波塔のお仕事なのです。わたし、キ○ガイ電波ですから。恐れろ人間ー。狂えよ人類ー。ぴーッ、ぴょろろろろろっ」

 ビリビリビリビリビリ。
 電波が来るタイミングで、電柱に思いきり頭突きする。
 体に悪そうだな、これ。
 こんなのずっと続けてたら……イオリもやばいよな。

「頼むって、イオリ。謝るから。お願いだから話を聞いてくれよ。危ないから下りてこいって」
「ぴーッ、ぴょろろろろろっ。楽しい電波。愉快な電波。わたしはキ○ガイ電波塔。地球を揺さぶる電波塔。あぁ、魔法的な何かは偉大なる宇宙から吹く北北西の白い風。わたしの何かが紙飛行機の群れとなり、汚ねぇ大地を駆けていく。乙女の祈りを蹂躙せよ。麗しき微笑みに往復ビンタを。トロッコの導くままに脱線するのだ、わたしの可愛い電波虫。ゆけー。脳みそガジガジだー」

 イオリは、俺のことなど無視して変な電波を発っする作業に勤しんでいる。
 何言ってんだか知らないが、イオリは自分の都合が悪くなったり現実逃避したくなったときは、よくこうやって別人格に成りすまして誤魔化そうとする。
 もちろん、俺はそういうときの対処法も完璧だ。
 前世記憶だか多重人格だか憑依だかクラウド上の疑似人格だか知らないが、お前がどんな設定を自分に盛り込もうとも、幼なじみの前では無効化されるってこと忘れるな。
 その幻想をぶち壊してやるよ。

「イオリ、いいかげんにしないと、お前が俺と延々セクロスするだけの漫画を100ページも描いてることバラすぞ?」
「な、なななななんでそれ知ってるの広ちゃぁぁぁんッ!?」

 イオリは一瞬で真っ赤になり、その場で顔を隠してうずくまった。
 そんなもん、10ページくらい描いてた時点で知ってた。こういうときに使えるネタだから寝かせておいたら、お前、どんどんエスカレートしていくんだもん。
 
「やだもぉ、お嫁に行けないよ、わたしぃ!」

 真っ赤になった顔を隠して、「たはー」と蒸気を上げるイオリ。
 嫁に行けるかどうかまで責任は持てんが、行って困らない程度の知識はとっくに持ってるだろ。『帆かけ茶臼』とか『アナルピーズ』とか、お前のマンガで初めて知ったぞ俺。
 今度から、開けたら燃える引き出しくらい用意しとけ。

「ま、俺の知ってるお前の秘密なんて万を超えてるんだから、今さらだろ。お前はただの葦原イオリだ。葦原・ド・スケベ・イオリさんだ。ほら、家に帰るぞ」
「うぅぅぅ……」
「なあ、帰ろうぜ? つか、なんでパジャマだよ。そんな格好じゃ寒いだろ、風邪ひいて―――」
「や、やだっ!」

 イオリはまだ赤いままの顔を、ぶんっと勢いよく横に振る。

「か、帰らないもん。わたし、ずっとここで電波アンテナやってるんだもん。帰る場所なんてもうないもん」
「ふざけんなよ、あんなにダンスの上手なご両親がいるだろうが。さっさと帰って風呂入れ」
「違うよ。そこじゃないよ。わたしがいつも帰る場所は……そこじゃないもんっ」

 チクっ。
 胸に何か刺さった。
 俺の深い深い場所に。

「広ちゃんに嫌われちゃったら、わたしの居場所なんて、どこにもないよ……」

 イオリはボロボロ涙をこぼして、消え入りそうな声で言う。

「もうやだ、わたし……自分でも嫌なの。耐えられないの。こんなキ○ガイ、死んじゃえばいいんだよ……」

 刺さったトゲが傷口を広げ、俺の何かをぶちんと断ち切る。
 目の前が真っ暗になって何も見えなくなった。

「――やめろよ」

 小さい頃のイオリが見えた。
 俺に背中を向けて、どこか怖いところへ1人で向かおうとする俺の幼なじみが。

「やめろよ、そんなこと言わないでくれよ……」

 心臓がドキドキ跳ねる。
 ほっぺたが熱い。
 体中が震えてくる。

「いいよ、もう。わたし、わかってるの。頭おかしいの。もう……ひぐっ、死んでやるの……」
「やめろって言ってんだろ!」

 感情が張り裂ける。
 そんなの悲しすぎて俺が死ぬ。
 俺はイオリを絶対に泣かさないんだ。おっかない目に遭わせたりしないんだ。
 
「昨日のは俺のミスだ。俺が悪い。お前は全然悪くない。頭だって、俺より全然成績良いだろ。大丈夫だよ。だから、頼むから、下りてこいよ。そんなとこにいるから、変なこと考えるんだよ」
「ウソだよ、そんなの……わたし、わかってるもん……」
「ウソじゃねぇよ! お前は大丈夫なんだよ!」

 震える手で電柱を掴む。登る。
 なんだよ、これ、なんでこんな怖いとこ1人で登るんだよイオリ。危ないじゃないか。すぐ下りてこいよ。

「大丈夫だから。俺に任せておけば問題ないから。帰ろう。俺と一緒に帰ろうよ」
「やだ……帰れない……」
「なんでだよ!」
「広ちゃんに迷惑かけるもん!」
「迷惑じゃねぇよ、バカ! 誰がいつ迷惑だなんて言ったんだよ!」
「いっつも広ちゃんが言ってるよ!」
「うんまあ、言ってるよ、あぁ、確かに俺っていつも迷惑迷惑言ってるよ。だけどそんなの今さら気にしてんじゃねぇよ、バカ、気にされると逆に何か迷惑なんだよ、バカ!」
「い、意味わかんないよ……わたし、バカだからわかんないよぉ……」

 イオリのこぼした涙が俺の顔に当たる。
 泣くなよ。頼むから、もう泣かないでくれよ。
 お前の泣き顔だけは見たくないんだよ、俺。

「大丈夫だって言ってるだろ……いつものことだろ、全然。俺たちはそれで上手くいってんだよ。お前はいつものお前でいいんだよ」

 イオリはもう泣くばっかりで何も答えてくれない。
 俺もどんどん悲しくなって、涙が止まらなくなる。

「頼むよ、なあ、イオリ。帰ろうって。俺、ほんと、謝るから……お願いだから、いつもみたいに、俺の隣でクソみたいな中二病を撒き散らかして笑っててくれよっ」

 新規のアニメが始まるたびに新しい設定を自分に投影して成りきってくれよ。
 聞いたこともねぇV系クソバンドのことを「滅びゆくセカイを奏でる美しき堕天使たち」とか言って、wikiで仕入れた浅い知識を熱く語ってくれよ。
 お手製のグロテスクなTシャツをパーカーの下に隠し着て、「部屋が暑い」とか言ってこれみよがしに脱いでドヤ顔してくれよ。

「俺はそれでいいんだよ。お前じゃなきゃダメなんだよ。誰に嫌われても、どんだけ敵を作っても、俺が必ず守るから! 絶対に大丈夫だから! 俺は……俺が、お前を守りたいんだよ!」

 幼なじみが、俺の生きがいなんだ。
 コイツがいなかったら、俺は俺でいられる自信がない。
 それが俺の中二病。
 俺が格好つけたい相手は、ずっと前から、コイツだけだったんだ。

「頼む、俺にお前を守らせてくれ。お前が隣にいてくんないと、がんばれないんだよ……何にもできないから……お願いだよ」

 止めどなく涙が出てくる。
 2人して、ガキみたいにわんわん泣いて、真っ赤な顔を突き合わせる。
 
「……いいの、広ちゃん? わたし、また広ちゃんに迷惑かけるよ?」
「当たり前だろ、それがお前の仕事だろ、まっとうしろよ!」
「広ちゃん、ボロボロだよ? わたしと一緒にいたら、広ちゃん、またボロボロになるよ?」
「なってねぇし、全然こんなの余裕だし! 俺を舐めんなって言ってんだろ、いいからさっさと下りてこい!」
「……広ちゃん……」
「なんだよ!」
「広ちゃぁぁぁぁんッ!」
「へぶっ!?」
「ぎゃふっ!?」

 いきなり飛び降りてきたイオリを受け止め、その衝撃もろとも2人揃って落下する。
 尻を痛打した俺と、びっくりして気を失ってしまうイオリ。
 後にイオリは、「今なら空も飛べると思ったので」と意味不明な供述をするのだが、それを聞いてるとき俺は尻を出してイオリに湿布を貼ってもらってる最中だったので、ゲンコツは貯金しておくことにした。
 俺たちの災難はまだまだ続く。
 というよりも、街の災難はまだ終わっていない。

「あーあーあーあーあー」
「さて、今日も全裸の営業回りが始まるぞっと」
「まかんこーさっぽー!」
「ぎゃああああ!?」
「愛の募精をお願いします! このビンに射精をお願いします!」
「ゆけー。お馬さん、風になるのだー」
 
 司令塔を失った電波人間の暴走。
 街は、さらなる混迷の事態に陥っていた。
 
 奇声をあげて走り回るお姉さん。裸にネクタイのおっさんたち。カメハメ波のポーズをする女子高校生と、制服をビリビリに引き裂いて吹き飛ぶ女子高校生たち。上半身裸でビンを持って募精する女子中学生たち。男子に肩車されてお馬さんゴッコする裸ランドセルの女児たち。

 イオリの電波でやられてるそいつらは、ますます秩序を失ってるように見えた。
 痛々しくて目を覆うしかない光景だ。

「イオリ、起きろ、おい、起きろよ」
「う、え? 広ちゃん……?」
「起きて、どうにかしろ。お前なら、どうにかできるんだろ? これ、どうすんだよ!?」

 イオリを起こして街の惨状を見せる。
 眼鏡の奥でまぶたを擦って、イオリはぼんやりとその様子を眺め、そして、パチクリとして俺を見上げる。

「どうしよ。わかんない」
「電波塔で司令塔なんだろお前は! どうにかしろよーッ!」

 届いた電波はもうみんなのものだから回収できない、そしてまともに戻る電波の出し方も「まとも」がわからないので無理。と、このポンコツメガネは泣きそうな顔で言った。
 あぁ、こいつって本当に迷惑。ケンカして仲直りして良い顔してやったら、5分後には必ず調子こいて迷惑10倍返ししてくれるんだよ。それがお隣のイオリちゃんなんだよ。
 電波人間たちは、電波の発信元が目を覚ましたことでこっちに注目する。あぁ、やばい。来る。こっち来る。
 どうするんだよ、俺!
 
「……あ?」
 
 ポケットでスマホが振動していた。
 それどころじゃないはずなのに、なぜか俺は相手も確かめずに受話していた。

『おはよ、鈴木。大変なことになってるみたいだね』
「内崎? 内崎か? いや、悪い、今電話してる場合じゃ……って、おい、どこで見てるんだ?」
『もちろん、葦原の電波の届かないところからだよ。時間ないみたいだから、とりあえず先に謝っとく。ごめん。勝手に悪いかなって思ったけど、じつは昨日の電話で君のスマホに僕の相方が引っ越してる。詳しい説明させるから画面見てみて』
「だから何言って―――」
『いいから見ろよ。そこに、アクマがいるだろ?』

 顔を離して覗き込んだ画面には、見たこともないアイコンが――いや、キャラクターがいた。
 どアップで、八重歯を見せてニヤニヤとこっちを覗き込んでいるのは確かにアクマ。
 アニメチックにデフォルメされた、美少女小悪魔だ。

『ふははははー! お前も五月人形にしてやろうかッ!? なんちて、なんちてー★ 初めまして、ヒロキくん! うちのカイトがお世話になってます~』

 ぐるぐると画面の中を飛び回り、他のアイコンをはじき飛ばし、着地してぺこりとそのアニメーションは頭を下げた。
 ものすごく滑らかな動き。まるで画面の中で生きているみたいに。
 なんだこれ? こんなのDLした記憶ないけど。

『あたしの名前はチルルっす。カイトの相方で電子愛人でDSiiアイドルの本物のアクマだよ! 軽い気持ちでニンペンドーサイトを開いたら時々アクマの世界に繋がるから気をつけるんだよ。最近のあたしは液晶あればだいたいイケちゃう超爆メガシンカしてるんだよ。とまあ、自己紹介もそこそこに早速ポケガの新しい機能をご紹介いたします★』
「え、なに、何だか全然ついてけないっていうか、なんだよ、これ?」

 あちこち飛んだと思いきや、画面の端に消えて反対側から顔を出したり、勝手に壁紙を自分のイラストに変えたり、アナログ表示してた時計の針をぐるぐる回したり。
 落ち着かないアクマだった。
 
『今はとにかく緊急事態! ようするに、あたしは昨夜カイトからの電話の裏でこっそりとこのスマホに侵入し、ヒロキくんたちがいちゃいちゃしている間にイオっちゃんの謎ウェーブを超解析し、対抗措置をこのスマホの機能を借りて作成しました。そんとき間違ってLINEのID消しちゃったけどゴメンね★ そしてようやく完成した対抗措置をポケガの全コスチュームに装備・装填し、出動態勢も完成済みです。そんとき間違って電話帳全部消しちゃったけど怒んないでね★ とにかくあたしが大活躍してこの事態を見事に収拾してみせるから、まかせなさーい!』
「……よくわかんねぇけど、ひょっとしてすごいタチの悪いウイルス入れられたってこと?」
『ちっが~う! むしろバスターなの、あたしたちは電波バスター! いいから、黙って見ててください!』

 わけのわからないことを喚きたて、その変なアクマは電波人間たちの向かってくる方向を指す。
 そしてくねくねと、指で手招きする。
 
『姉っち、カモ~ン★』
 
 空の向こうが、キランと光った。

「なっ!? 伏せろ、イオリ!」

 隕石のような何かが地面に突き刺さる。
 なんとかイオリの体をかばうことは出来たが、爆風で俺たちは後ろに転がった。

「な、な、ちょ、イオリ、大丈夫か!?」
「うー……うん……」

 尻もちをついたまま隕石の落ちてきた方を見る。
 もくもくと土煙の舞う中、まず目に入ったのは、束ねられた美しい金髪だった。
 肌の白い女性。輝く青い瞳。白銀と青のバトルドレスが女性らしいプロポーションを包み込んでいる。そしてその体に似つかない大きな剣を携えていた。
 でもすごい。すごいきれいだ。
 見たこともないくらい美しい女性が、俺たちを見下ろしていた。

「問お――」
「ああああああッ!? フェ、フェイトのセイバーさんだぁぁッ!?」

 その人が何か言おうとする前に、イオリが素っ頓狂な声で叫んだ。
 誰? イオリのコスプレ仲間か?
 しかし、ただのお遊びレベルの装いには見えないぞ。まるっきりアニメかゲームの世界から飛び出したかのような非現実的美しさ。というかオーラが普通じゃない。びびるほど美人だし、強そう。
 イオリがセイバーと呼んだその人は、ゆらりと剣を構えて俺たちに背を向け、電波人間たちの群れに突っ込んでいった。
 
『対宇宙ウェーブ用にカスタマイズされた“約束された勝利の剣”です。人を斬らず電波を斬る。騎士王の名に相応しき聖剣です!』

 地響きするぐらいの衝撃とともに、電波人間たちが群れで倒れていく。目に追えないほどの速さで剣は振るわれ、電波人間たちは斬り捨てられていく。
 
「いや、なんか……すげぇけど、これ解決になってるか?」

 彼女が通りすぎたあとは、乱れた格好の男女の山が出来上がる。
 これ何のジェノサイド? 
 逆に事件がでかくなってくような予感しかしない。

『くっふっふ。あたしがそんな間抜けな仕事をするとでも?』
「いやあんた、俺の電話帳を間違って消したんだよな?」
『ちかりん、後よろしく~★』

 チルルとかいうアクマは、俺のツッコミを無視して指をパチンと鳴らす。
 すると背後から、タラララっという、夕立ちが屋根を叩くような音がした。
 だがそれは、雨音などという優しいものではなく。
 少女がぶっ放すサブマシンガンの調べだった。
 
「だから、なんでそんなに殺伐とした兵器なんだよ!?」

 黒々とした無骨な武器を構えた少女が、少女騎士に斬られてぐったりとしている電波人間たちを撃ち抜いていく。
 ぱっと見は魔法少女みたいに可愛いコスチュームだ。
 長い黒髪と、クールで印象的な青い瞳をした、スレンダーな女の子だった。
 
「あああッ!? 魔法少女まどマギの、ほむほむたそッ!?」

 え、何の誰?
 無表情に倒れた人たちを撃ち抜いていくマシンガンは、魔法少女というよりも歩く凶器だが。
 しかしイオリはまるで憧れの有名人を前にしたみたいに、キラキラと瞳を輝かせて、だらしなく口元を緩ませる。

『記憶改ざんと精神安定、そして原状復帰の行動へ向かうMC弾です。ポケガの機能と、多様なスマホアプリをしっちゃかめっちゃかに織り交ぜて何とか処方してみました。もちろん彼女たちのコスチュームにはイオっちゃんの電波を反射するコーティングもされています。カイトくんのポケガ部隊は、デンパ怪獣イオっちゃんの討伐隊に新生されました。どのような事態にも対処可能です!』
「……でも、ここだけじゃなくて街中の人間が電波に……」
『吉川、ラギー、なぎぽん、なおなお! 事態は市街地一帯を汚染している! 10分以内に全市民を解放せよ!』

 ビュン、と風を切る音がして、俺たちの上を派手な服着た女性が数名跳んで行く。イオリがまた俺の知らないアニメか何かのタイトルを叫んで興奮する。
 ビュン、ビュン、あちこちで人が跳び、武器の炸裂する音がそれと交差した。
 光。音。少女たち。そしてスマホの中で笑うアクマ。
 頭が混乱する。俺たちは昨日から不可思議と遭遇しすぎだ。
 これは何か別世界の出来事。
 夢を見ているに違いない。

『そんじゃ、あたしはそろそろこのへんで。いいのいいの、お礼なんてニンペンドーポイントでいいのよ。あと、これからもカイトとは仲良くしてあげてね? あの人、秘密が多いぶん友だち少ないからチルル心配なの……。ではサラバだ、ふははははーッ!』

 俺のスマホの中で暴れるだけ暴れ、チルルは高笑いし、しゅるしゅると小さくなってどこかへ消えて、そして『コタツ忘れたー!』と言って戻ってきて、コタツの形したアイコン拾ってまた消えてった。
 謎の少女たちが飛び去ったあと、電波人間たちは催眠状態のままゆっくりと立ち上がり、服を拾ってそれぞれ本来の姿や場所に戻っていく。
 残されたのはパジャマ姿のイオリと呆然とする俺。
 そして、まだ通話中のスマホだけだった。

『―――僕は、ヒーローになれない男なんだ』

 内崎は、いつものとぼけた口調を捨てて、初めて聞くような男の声で言う。

『まだ小学生だった頃、鈴木が今も見たような不思議な出来事を僕も体験した。そしてその不思議に殺されそうになったんだ。でも、僕は何も出来なかったよ。全部、女の子たちが助けてくれたんだ』

 空を飛び交うコスプレの女の子たち。彼女たちがそれぞれの武器から発する音と光のシャワー。
 イオリは子どもみたいに、ワァワァとはしゃいでそれを見上げている。
 俺はなぜか、胸がざわついていた。
 何もできなかった。女の子に助けてもらった。内崎のそんな話に。

『今もその奇跡は続いている。天国みたいな毎日に僕は感謝してるよ。でも、僕だって男だからね。大事な女の子を、自分の力で格好良く守れる男に憧れる。僕はああいう男になりたかったんだって、近頃はよく思い知らされるんだ。だから……いや、関係ないな。つまりただの嫉妬だよ。鈴木のお株を奪ってやろうとして、余計なことをしただけだ』

 俺は、西の空を跳んでいく、軍服にパンツで重火器を担ぐケモノ耳女性に目を細める。
 瞳の色は違うけど見間違いようもない。テレビやグラビアでしか見たことないけど、さんざんお世話になった人だ。
 超有名なアイドル女優、沢下菜緒さんだった。

『だから、葦原と鈴木の今日の記憶は消すことにする。いいよね?』

 サブマシンガンの魔法少女が俺たちの前に着地する。銃口は地面に向けたままだが、その青く印象深い視線は俺たちを見据えていた。
 すっげぇ可愛い子なんだけど、ちょっと怖い。あぁ、でも俺はこの子のことも知っている。
 クラスは俺らと違うけど、超可愛いことで有名なクール美少女、立花知佳理だ。
 
 記憶を消す。
 今日のことを、この人たちのことを忘れる。
 
 その方がお互いにとって安全だという、内崎の提案だろう。
 つまり、これはおそらく、他人が知ってはよくないことだ。イオリの電波と同じくらい、あるいはそれ以上に後ろ暗くて危険な秘密に違いない。
 だが。
 
「断る。お前みたいに便利なヤツのこと忘れてどうすんだよ。これからも俺たちはいろいろと助けてもらうぞ。仲良くしてくれ」

 俺もまた、ヒーローでもなければ格好良いヤツでも何でもない、ただの利己的クズ野郎である。
 使えるものなら他人のやばい力でも使う。今さら抱える秘密が一つ増えたところで、どうってことはない。
 それに、俺とコイツはなんだか似てる気がするんだ。

『……尊敬するよ、マジで』
「こっちこそ、お前をリスペクトしてるっつーの」

 いつもの軽い口調で内崎は笑う。なんとなくだが、チルルがニンマリ笑う顔も頭に浮かんだ。
 立花は、唇の端をほんの少し上げ、イオリに手を振って飛んで行く。イオリは、ぴょんぴょん飛び跳ねて大喜びしてる。

『まあ、ついでに告白しちゃうと、見てのとおり僕も相方もコスプレ大好きの隠れオタクなんだよね。葦原とは一度とことん語り合いたいと思ってた。今度、さっきのアクマも実体化させて連れてくから、葦原貸してくんない?』
「あぁ、いいんじゃね? ただし俺も同席するぞ。お前って友人としては信用できるけど、男としては超危険人物みたいだからな」
『心外だな。僕だって友だちのカノジョに手を出すような趣味はないね』
「だからイオリはカノジョじゃねぇし。このやりとりも、もうあきたぞ」
『ハハっ、こっちこそだよ。じゃあな』

 通話を切って、空を仰ぐ。
 晴れ渡った青色に、飛び交う少女たちと花火のような閃光が、非現実的なラインを描いていた。
 ホント、今日はわけわかんねえことばっかりだ。笑うしかねえ。
 ていうか、朝から走りっぱなしで疲れるわ尻も痛いわで。さっさとイオリを連れて帰って、学校なんてサボっちまおう。
 まだまだコスプレ少女たちの活躍を見ていたいとわめくイオリの首根っこを掴んで、引きずっていく。
 こんな面倒くさいやつ、全然カノジョなんかじゃねぇし。
 ただの幼なじみだよ。ただの。

 ―――というわけで、俺の平穏な日常は無事に帰ってはこなかった。
 むしろ異変と異常がますます馴れ合って混沌として、毎日がハプニングである。
 もちろんその中心には、いつもこの女がいた。

「広ちゃん。起きて起きて」
「ん……てめぇ、またこんな夜中に何を……?」
「も、申しわけございません、ご主人様! 深夜に申し訳ないとは思ったのですが」
「って、お前は誰だよ!?」

 真夜中のイオリ訪問は、いつも予想外のオマケが付いてくる。
 なぜかメイド服を着たイオリの隣に、さらに見覚えのないメイドがもう1人……って、いや、知ってる? なんかメイド服とかしおらしい態度とか、全然イメージにない俺のクラスメートの面影が?
 てか、コイツ―――

「三井っ!?」
「はい、三井です。申しわけありません、ご主人様。私、ご主人様のこと想うとついつい我慢できなくて……はしたないメイドに、どうかご主人様のお仕置きを!」
「え、な、ど、どど、どうして三井がメイドなんだよ!?」
「ハイ、あの、それはもう、あなたがご主人様だから、としか言いようもなく……」
「イオリ、お前、また何かしでかしたな! 尻を出せ! 百叩きだコノヤロー!」
「ご、ご主人様ッ! お尻ぺんぺんでしたら是非この三井にっ。私、お尻の生意気さには自信がございます!」
「イオリ、呼んでるだろ! とぼけて床掃除なんてしてないで説明しろ! これはどういうことなんだよ!」
「えと、その、広ちゃんが友だち付き合いを広げろっていうから、じゃあ、まず三井さんからと思って、ね? とりあえず魔法的な何かを食らわせてからの、本音のぶつけ合いで……こういうことに、ね?」
「だからすぐにその変な何かに頼るのやめろ! てか、何をどう話し合ったらこういうことになるんだよ。セクハラなんだぞ、お前のやってることは!」
「ハイッ! 私、ご主人様にセクハラされたいですっ。できればパワハラもセットでワンチャンお願いします!」
「うるせぇよ、三井! 俺はご主人様じゃない!」
「申しわけございません、ご主人様!」
「あの、聞いて、広ちゃん。わたしね、ちゃんと三井さんのこと知ろうと思って、いろいろとお話したの。そしたら意外とわたしたち趣味が合うっていうか、ばっちり同じだねってことが判明して、だったら今夜、一緒に夢を叶えて運命共同体になっちゃおうかってことになって」
「わからん。お前の言ってることがさっぱりわからん。三井がメイドになりたいわけないだろ!」
「あ、違うの。三井さんは正確にはメイドさんじゃなくて、いつも大変そうな広ちゃんを後ろで支える女に……」
「ご主人様、好きです、お慕いしているんです! 私を、どうか専属のメイド奴隷にしてください! 私も葦原さんみたいに、ご主人様の手で、どうしようもないエロ女に調教して欲しいんです!」
「ほら見ろ、おかしなことになってんだろうが!」
「うん、ちょっとさすがのわたしも引くよね、三井さんの秘めたる人格には」
「お前のせいなんだよ!」

 俺はイオリをどつきながら、『助けて』と定型文でメールを打つ。
 ……ガチャ、バタン、ドドドドドドっ!
 深夜にも関わらず、俺んちの階段をすごいテンションで彼女は駆け上がってきてくれた。

「広樹、大丈夫!? あーもう、お姉ちゃん、またあたしに黙って広樹に手え出してる! って、その人は誰なのよ、もう!」
「セ、セリちゃん、違うの、この人はお姉ちゃんたちの同級生で、『広ちゃん』という共通の因果に縛られた葦原姉妹の同士なのよ?」
「お姉ちゃん!」
「ごめんなさい!」

 セリに助けを求める俺を情けないと思うなかれ。
 これからは、一緒にイオリを助けていこうと、この可愛いカノジョは言ってくれてるのだ。
 それに、イオリには俺よりもセリのお説教の方が効くしな。

「だ、だって最近、広ちゃんと遊んでもらってないし。わたし、広ちゃん分が不足するとすぐ電波出ちゃうし……」
「だから、あたしの見ている前なら、ちょっとだけ広樹とイチャイチャしていいって言ってるでしょ。見てないところじゃダメ。あと、お姉ちゃん以外の女は絶対ダメ!」
「うぅ……あいかわらずセリちゃんの独占欲は岩の如しだね……でも、これを食らえ」

 ほわわわん。
 イオリの目から魔法的なウェーブが飛ぶ。
 あっという間にセリの瞳から、すとんと色が落ちた。

「うん、お兄ちゃんはモテるもん、ハーレムも仕方ないよね。セリ、わがまま言うのやめる」
「だって。どうする、広ちゃん? その……わたしたち、今ならどんな命令でも聞いちゃうけど?」
「イオリぃぃぃいいい! だからそれはやめろっつってんだろ!」

 メイド姿の三井と、同じくメイド姿のイオリと、パジャマ姿のセリが俺にしがみついてくる。
 美少女たちの良い匂いと良い感触に包まれ、ついつい男の悲しい性に流されそうになる。
 でも、負けるもんか。
 俺はイオリの幼なじみ。これくらいのハプニングでいちいち狼狽えてられない。この程度の誘惑などはね除けてみせる。
 大丈夫。問題ない。幼なじみが中二病の催眠術師でも、俺なら全然問題ないのだ。

「広ちゃんも、えい」

 ほわわわん。
 
「ワオオオオオーン!」
「きゃーッ! 怖い方のお兄ちゃんだ、抱っこしてー!」
「あ、あの、私、処女ですけど、せいいっぱいご奉仕させていただきますっ。よろしくお願いします!」
「うん、やっぱりケダモノさんの広ちゃんってカッコイイよね。今夜は朝まで、ケダモノさんでいよ?」

 問題ない……はずだ。

< おわり >

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