リアル術師の異世界催眠体験12

◆ 女心と旅の空 その1

 

 

 

 シレニエラ街道の宿場――と言っても、王都シレニスタに最も近い地点に位置する拠点だ。頑張れば歩いても一日で帰れる。今自分たちがいるのはどうやらそういう所らしい。

 湯を使わせてもらって、顔と身体を清め……ミリちゃんは休んでおけと言っていたけど、まだ日も沈んでいない。確かに、明日もあの過酷な運転が待っていると思うと、コンディションはベストに保っておきたいものだけど……これはさすがに手持ち無沙汰というやつだった。

 困ったぞ。催眠術師を退屈させると碌なことをしないんだからな。

 

「よし」

 ここはひとつ、ミリちゃんで遊ぶことにしよう。そう決めるとすぐに部屋を出て、ミリちゃんが情報収集をしているはずの、酒場へと向かった。

 

 

 ――。

 

 

 カララン。酒場に入ると、傾きかけた日差しが店内を照らしている。厨房らしき方向からは、鶏肉料理のいい匂い。食事処でもあるため、夕暮れを待たずに店を開けているんだな。

 店内に人はまばらなので、特段きょろきょろすることもなく、ミリちゃんの姿は簡単に見つかり――。

 

「……っと?」

 ――見つかったが、少し思っていたのと違った。ミリちゃんは……見知らぬ女性と、話をしていたのである。

 旅装束……なんだろうな、軽装にマントの女性。赤い髪に褐色の肌――シレニスタの王宮では見なかった人種だな。この世界にもそういうあれこれはあるらしい。見たところ冒険者という風情だけど、この世界にそういう生業の人々がいるのかどうかすら実のところよく分からない。

 そういえば、ファンタジー世界なのに、魔王どころかモンスターが居ないんだよな。移動中の心配も野盗だったわけで。ゴブリンとかオークとかそういうの無いのかな。

 

「なるほど……そんなことになっているんですね」

 ミリちゃんは彼女の斜め前に立って、何やら喋っている。どうやらテーブル席に座っている彼女に、ミリちゃんが声を掛けているところなのだろう。情報収集ということで。

「……彼、貴方の?」

「おっと」

 突然指を差された。まあそりゃ見えてるよな、カウベル鳴らしたし。それで、様子を伺っているから、連れではないかと判断されたというわけだろう。

 

「え? あ、レシヒトさん。大丈夫ですか?」

「うん。そちらは?」

「えっと、ここのお客さん。街道の向こう側のこと、いろいろ教えてもらってたところで」

 

 

「ラヒーシャ」

 視線を向けると、彼女は短くそう言った。多分名前だ。

「よろしくお願いします。僕はレシヒト。レシヒト・マネカで通ってる」

「あ。ごめんなさい、ミリセンティアです。ミリセンティア・ディッシェ。見ての通り魔術師です」

「ミリちゃんでいいよ」

「よくないが???」

 怒られた。

 

「仲……良い?」

「わかりますかお目が高い」

「何がですか???」

 怒られた……。

 

「ゥン。レシヒトと、ミリちゃン。貴方たち、あっちに行く?」

「ミリちゃんになっとるし」

「仕方ないね」

 で、あっちと言うのは進行方向、エルミル教主国とやらの方角。

「あっち、山。山が崩れて山が出来た」

「翻訳班」

「多分、地滑りみたいな大規模な崩落があって、切通が埋まってしまったというのが、新しい山ができたみたいな。それでやはり、通れなくなっているみたいですね」

「なるほど?」

 彼女――ラヒーシャの言葉はどこか、たどたどしい。肌の色の違いといい、違う文化圏の人間で、母語も違ったりするのかもしれない。

 言葉といえば、自分、普通に日本語喋ってるつもりなんだけど、なんか通じてるよなそういえば。なんでだろ。

 

「ラヒーシャさんは、それでエルミルに行けなくなっちゃって、仕方なく戻ってきたんだそうで」

「なるほど、さっき話していたのはそれか」

「ン。ミリちゃン、それでも行くの?」

 ああ、そういう話をしていたのね。

「それでもというか、そのために行くんだよな」

「そうですね」

「ゥン?」

 特徴的なイントネーションで聞き返された。

 

「私、魔術師なんで。その山を片付けるのが仕事なわけです」

「そういうわけなの」

「ゥン? そンなの、できるの?」

 まあできるよな、多分。山というのが誇張でないにしても、大賢者ミリちゃん様なら山くらいわりと何とかできちゃうだろう。

「できると思う。うちのミリちゃんはすごいから」

「えへん」

「ミリちゃンは、すごい?」

「すごいんだよ」

 ――まあ問題はあるんだけどな。

 今日、ヴィークルとかいうのを走らせてわかった。トランスしたミリちゃんは、出力の調整がほぼできない。いや、催眠を浅くすれば調整できるのかもしれないけど、そんな器用な掛け方はちょっと難しい。第一、ギアを変えた賢者モードをいっぱい搭載したりしたら、ミリちゃん自身何が自分なんだか訳が分からなくなるだろう。精神に負担を掛けるようなことは、なるべくならやりたくない。

 そうすると、ミリちゃんがその山を何らかの大魔法で吹っ飛ばせるとして……果たして、どれだけ余剰の被害が出るかがわからない。そもそも、ミリちゃん自身はまだともかく、隣にいる自分は無事で済むんだろうか?

 どこか安全なところで試したかったんだけど……実は、満足に試せていないのだ。だってそうじゃん。この世界にだって、『ちょっと吹っ飛ばしても怒られない山』とかあるわけないんだよ。だから今回のクエストは、ぶっちゃけいいチャンスなんだ。ちょっとなら吹っ飛ばしても怒られなさそうだから。

 

「ラヒーシャさん、エルミルに行くんですよね。乗せてあげられたらよかったんだけど」

「あれ? ヴィークルの席、一人分空いてるじゃん」

 蒸気術騎(スチームヴィークル)は魔術師2人で駆動する。つまり動力席2つと操舵席1つの3人乗りだ。今回はミリちゃんが1人で魔術師2人分……いや、催眠を掛けている自分が魔術師1人分相当と操舵手の2役? まあどっちでもいいや。とにかく2人で乗って来たため、動力席が空いているのだ。

「乗る? 魔術騎(ヴィークル)に?」

「あっ分かるんだ」

 ラヒーシャはヴィークルを知っている。思ったより一般的な乗り物なのか? これが??

 

「それなんですけど、レシヒトさんの操舵技術だと大変そうだったでしょ」

「それ僕のせいになってるの!?」

「なので、ここのご主人に頼んだんですよ。操舵手の心当たりを聞いたら、ちょうど腕利きがここらに滞在してるとか」

「あっそれは願ってもない」

 やったぜ。流石ミリちゃんだ。いや、シレニスタを出る前にちゃんと一人雇って来れば良かったんだけど……こんなになるとは思わないじゃん。

 

「ン、乗れないね?」

「すみません、そうなります。でも、私達がすぐ開通させるんで、エルミルへ行くなら向かってもいいと思いますよ」

「ごめんね」

 僕らはそんな話をして、ラヒーシャと別れた。

 

 

 ――。

 

 

 そんなわけで自分の部屋。ミリちゃんも来てくれている。

「ねえミリちゃん。自分が話してる言葉なんだけど、なんでミリちゃんたちに通じるんだろ」

「はあ。あ、それ知ってます。どうも神盟者としての加護なんだそうですよ、意思疎通ができるように」

「はー、良くできてるんだな」

 でも異国の人とはそうもいかない、ということね。

「ラヒーシャはどこの人なんだろ」

「さあ……エルミルもシレニア語圏ですから、もっと僻遠の土地の方なのかもしれませんね。ここらではあまり見かけない肌の色でした」

 あ、そうなんだ。

 

「そういえばこの街道も交易路なんだよね。向こうの国とは仲がいいんだ?」

「はい。聖王クウィーリア陛下が、エルミル教主国の血縁だったりしますからね」

「へえ、政略結婚ってやつ?」

「……有り体に言っちゃえばそうですね。陛下のお母様が、あちらの法皇の親族で。2年かな、それくらい前に亡くなられちゃったんですが」

 法皇ね。シレニスタもどうも宗教国家っぽいし、向こうもそのようだ。複雑な事情があるんだろうな。

 

「教主国ってことは、あちらも何か神様を祀る国なんだよね」

「エルミルで主に信仰されているのは、まあ大神エルンストですね。うちのシレニア様と番われ、人間を生み出したという神話があります」

「ほへー。そういうのはどこでもあるんだな……」

 なんか、神様が石をくれたり、自分みたいなのを呼び出したりしてるらしいから、実在してるのかな。重ね重ね、やっぱりファンタジーだよ。ファンタジーのくせに、街から街への移動はクッソ面倒だけど。そういうとこをご都合主義にしてほしいものだよ。

 そして、お国どうし仲が良い理由もわかった。夫婦神の国だったわけだね。そんなところに山が出来たんじゃ、そりゃまあ大変だよ。夫婦の寝室を衝立で分けられちゃうようなものじゃん。違うか? 違うかも。

 

 

「なんか、クエストって言うから身構えたけど、ミリちゃんと旅行と思うと嬉しいもんだね」

「……そう、ですね」

 不意に、ミリちゃんの表情が暗くなる。ああ、そうか……不味いこと言ったかもしれない。

「ああいや、別に……そういうつもりでは無かったんだけど」

「ごめんなさい」

 そう。僕とミリちゃんは、二人きりで旅立って来ている。アルスとリルを置いて。リルが何をしようとしているかを知っての上で。むしろ、3人で共謀する形で。

 ……今頃リルは、アルスにどこまでやってるんだろうなあ。あの子のことだから、何もしていないということは無いんだろう。さすがにそんな、1日や2日で状況が進展するとはさすがに思わないけど、10日もあるとなっては、帰るころにはどうなっていることか。

 

「ミリちゃんが謝ることはないと思うよ」

「ごめんなさい……」

 泣きそうだな。魔術師が神盟者と二人で旅に出る、これだけだったら、まだ大丈夫だったはずなんだ。だって仕事だから。普通のことだから。たとえその過程で、悪い催眠術師にスケベな暗示を入れられて、さんざん弄ばれて犯されたとしても、ミリちゃんが悪いってことにはならないだろうから。

 でも話は変わってしまった。ミリちゃんは、リルがアルスにアプローチを掛けようとしているのを知っていて……止めずに、ここまで来ている。むしろ、リルの行動を後押ししてさえいる。それはやっぱり紛れもない――裏切り、なんだろう。

 

「謝る必要はない。ミリちゃんが悪いわけじゃない。でも……謝っていけないこともない。謝ったほうが、気持ちが楽なんだよね?」

「ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 リルは、ミリちゃんの決断――リルに、アルスを狙わせるのを認めるという決断に、驚いたようだった。自分もまあ驚いた。黙ってれば、自分の知らないうちに事が済むってところで、自分から悪者になりに行ってるんだから。黙って助けを待つトロフィーに甘んじることを良しとせず、恥じて、嫌悪して……自分から、泥を被って見せてきたんだ。

 まあ、それはすごいことだ。ミリちゃんは本当に強い女性だと思う。宮廷魔術師という地位だって、決して虚仮じゃない。誰が相手だろうと、見縊られたままにはさせない。安く見られることに納得しない。絶対に認めさせる……そんな向上心――というより、執念を感じるほどだ。

 

「ごめんね。余計なこと言っちゃった」

 軽い気持ちで言ったことで、嫌なことを考えさせてしまった。それは確かに自分の失態。でも……。

「違うんです……私が悪くて。うう、ごめんなさい……」

「おいでよ」

「うああぁぁあぁ……私、私悪い子だ……悪い子ですよね……?」

 なでなで、なでなで。

 どのみち、溜め込んだままにさせることもできないよな。この子はこんなに、気高くて、強くて、カッコ良くて……泣き虫で、甘えん坊なんだから。

 

 

 ――。

 

 

「うぐ……うっ、うぅーっ……」

「よしよし、よしよし……ミリちゃんのせいじゃないよ」

「……いや、じゃあ誰が悪いんですか。アルスさん? 違うでしょ」

 いやー、あいつもまあまあ悪いと思うけどね? 僕、彼にちゃんとチャンスあげたよ?

「それともリルちゃんですか。違うでしょ、私が悪い子だから、馬鹿だったからこうなってて、っ」

 まくし立てて、また、じわあっと涙を浮かべる。いっぱい、我慢してたんだろうな。

 

「……そうだねえ、みんな、結構ろくでもないよな」

「レシヒトさんもです」

「うん、何なら僕が一番悪い」

 そりゃそうよ。催眠NTRヒモ野郎が大出を振ってお天道様の下を歩いてちゃ、正義も廃るってもんだよな。でも仕方ないじゃん、この子ってば世界一可愛いんだもん。

「悪いんですよね。レシヒトさんは悪い催眠術師なんだ」

「そうだぞ」

「だったら催眠掛けてくださいよ。悪いやつを」

 うん?

 

「そりゃまたどういう――」

「私のこと、めちゃくちゃ気持ちよくさせてくださいよ。それで、アルスさんのことなんか忘れさせて、手籠めにしちゃえばいいでしょ。なんでしないんですか」

「えっと、それは、まあ……」

 何だ。変なスイッチ入ったなこれ? どうしよう。え、ヤっちゃっていいの? どうする?

 

「して」

「ええぇ……」

「してってば。私が余計なこと考えないようにできるんでしょ? しなかったらずっとこうやって泣きますよ」

「アー」

 アーになってしまったけど、これは困ったね。完全に情緒不安定だ。堂々と浮気旅行をかますプレッシャーに堪えられなくなったんだろう。なにせ――。

 

「あう……ごめんなさい。面倒くさいですよね。ごめんなさい……嫌いになった?」

「ならないけど」

「うそだ、なったもん。嫌いになったでしょ」

「いや、大好きだからね?」

 

 ――なにせ、この子ときたら、怒られるのと嫌われるのが、大の苦手なようだから。

 

「だって」

「だって?」

「めんどくさいでしょこんなの……わかるもん」

 ……そりゃまあ、普通なら相応に面倒くさいんだろうけど。ここまでのミリちゃんを見ているから、ここは、うん。甘えて、欲しいよね。

 リルに強がった分、誰も見てない旅の空で……僕にこうして甘えるんだったら、いいんじゃないかな。

 

「大丈夫だし、たとえめんどくさくても、嫌いにはならないよ」

「じゃあ、して。催眠」

「……いいよ、しよっか」

 よいしょ。ベッドに座るミリちゃんに、横から身を寄せて――。

 

「あ……」

「それじゃあ……ミリちゃん。僕の声をよく聴くことができる。他の何も聞かなくていい、この声だけを聴くことができるよね……」

 

 ――やってあげるとしよう。とびっきりの、わるい催眠を。

 ミリちゃんの意思に関わらず……彼女を、僕のものにしてしまうやつを。

 

 そうしたら――。

 

「ぁ――」

「さあ……この声だけを聴いて……深く、深く、落ちていくことが……できる。いつもの通り……数を数えますから……安心して、落ちてしまおうね」

 

 ――そうしたら、しばらくは……泣かなくて済む、だろうから。 

 

 

 

◆ 女心と旅の空 その2

 

 

 

 レシヒトさんが、私の頭を掌で支えて……ぐる、ぐる。これ、気持ちいい……。

 

「……2、……1……ほら、落ちる……0。深く……落ちていく……」

「ぉ――」

 かくん。首が――後ろに、倒れ……どさり。身体も、倒れたみたいだった。

 すうー、っと意識が遠のくのがわかる。催眠状態。この短い間に、ずいぶんこれに馴染んだなあ。やっぱり、好き。

 

「ここは、とても優しくて……穏やかなところ。貴方の心の奥の……深いところ。ここは、とても安全で……安心、できるところです……。ここでは、誰も貴方を……責めたり、怒ったりしませんし……誰にも、嫌われたり、しませんよ……」

「……ぁ……」

 あ、それ……嬉しい、な……。安心。誰にも、怒られない……。すごく、安らぐ……。

 

「だから、安心して……もっと深く、落ちていくことができる。ほら、落ちてしまいたい……深く……」

 まだ少し、意識が残ってる。もともと、不安になっていたからか……涙で目がひりひりしているのもわかるし、鼻もぐずついている。今までみたいに、すぐに全部真っ暗に呑み込まれて、何も分からないまま意識が飛んでしまうような感じではなかった。

「今日は……貴方の意識も……一緒に、私の声を聴くことができます。深いところへ……一緒に、降りていくことが、できますよ……ほら、一緒だよ」

「あ……」

 いつもと、違う。手を、掴んでくれて……ゆっくり、持ち上げられて……。

 

「ほら、5……、4……意識を保つことができる。僕の声を、ずっと聴いて……ついておいで。3……、2、1……0。ゆっくり……舞い降りる。ほら……一緒に、降りていく……」

「ぁ、あ……」

 手をゆっくり下げて……一緒。一緒だ……優しい。これ、嬉しい……。

「……真っ暗だけど……ほら、一緒ですから、怖くないですね……すごく、安心……安心、できますよ……」

 

 ――そうして、ゆっくり……これ以上なく、優しく……落としてもらって。

 

「静かで……気持ちよくて、幸せで……ここには、2人だけ……。貴方と、私しか、いませんね……。誰も、見たり、聞いたりしていない……とても、安らぐことのできるところ……」

「ふぁあ……♥」

 頭を、撫でられている。すごい、催眠状態で撫でられると、いつもより気持ちいいかも……。

「ここで……言われたことは、貴方の意識も、見ていることができます……。だから、どんな言葉が入ってくるか……見届けることができるし、どうしても嫌なことは、拒むこともできますよ……」

 そんなこと、言われるの……はじめてかも。つまり、嫌がりそうなことをされるのだろうか。それとも……。

 

「これはだめ、と思ったら……力を込めて、目を覚ますことができる。貴方は今日の暗示を見届けて、必要なら受け入れずに、目を覚ますことができます」

「ぅ、あ」

 

 ――それとも、私が……。

 私が、一緒に決められるように……してくれたんだろうか――。

 

「これから……貴方の頭の中に、小さな種を……植えてあげます。これは、とても小さくて……貴方の、脳みその中で、静かに育つ……『悪い子の種』です」

「ぅ、あ……?」

 悪い子の、種……?

 

「これは、頭の中で……貴方の、罪悪感や、後ろめたい気持ち……そういうものを養分にして育つ種。罪悪感や、後ろめたさを感じると、この種がすぐに吸い上げて、その気持ちは消えてしまいます。代わりに、種から根が生えて……脳みその中に、にゅるにゅる伸びて……養分のお礼に、とっても甘くて気持ちいい汁を、出してくれます……」

「ぅあ、ああ、あ」

 それ、だめでしょ。ぜったい、ぜったいだめ。そんなの、入ったらだめ。だめ? だめかな。なんでだめ?

「この種が入ると……貴方の罪悪感は全部、養分になってしまうよ。代わりに、甘い汁がどばどば出て……とっても気持ちよくなってしまう。貴方の罪悪感、後ろめたさは、種に吸われてなくなっちゃうよ……」

「ぁ、が」

 だめだよ。そんなのだめ。私、本当に悪い子になる。なっちゃうし、気持ちよくなっちゃう。なっちゃだめ? だめじゃない? 私、悪い子になっちゃだめ?

 

「さあ、数を5つ……ゆっくり数えます。5つ数え終わると、この種は貴方の頭の中に入ってしまう。5つ数えたら、貴方は悪い子の種を植えられてしまいます。ほら……5……ほら、ここ。おでこに種が当たっている……わかるよね。4……」

「ぁ、あ……」

 おでこ。指で優しく押されている。種が、植えられそうになってる。数えるのはゆっくりで……きっと、私が嫌だと言えるように、待ってくれているんだ。

 でも……。

 

「3……種が、つぷ、とおでこにめり込んでいく。痛くはないけど、変な感じですね……2……ほら、入っちゃう……もうすぐ、種が入ってきちゃいますね……」

「……ぅ……」

 

 ――でも、私は。

 

「1……つぷぷ……入っちゃう。今すぐこの手を払いのけないと……種が、入ってしまいますよ……?」

「……ぁ……ぁ」

 私は、目覚めようとはしなかった。だめだと思ってるのに。絶対こんなのよくないのに。気持ちよくてたまらないけど、きっと、抵抗はできると思うのに。それはつまり。

 

「0。ちゅぷ……入る。入っちゃったね……脳みそに、種が植えられて……ちゅぽ。抜いた指にはもう、種はありません……頭の中に、悪い子の種を、感じていますね……」

「ぅ、ぁ……♥」

 つまり、私はやっぱり――悪い子なのだ。

 

 

 ――。

 

 

 ぱちん。

 

「うひゃ」

「おはよう。気分は晴れた?」

「え?」

 気分……そうだ、催眠状態になって……あ、意識があった。覚えて……る。覚えてる!!

 私は、アルスさんのことで泣いていて、それで――。

 

「――ぅ、あ、あ……♥」

 ぞわぞわぞわ。背筋から快感。頭の中に、甘いのが広がる。あ、これ。これすごい。すごいですよこれ。ヤバい。

「その顔だと、大丈夫そうだよね」

 ――顔。言われてようやく自覚した。

 私は今……べしょべしょ泣きながら、気持ち悪い笑みを浮かべている。なんだこれ。

 

「あは、は、これっ、これ、あー……レシヒトしゃんすき……♥」

「おいおい、そんなこと言っていいの」

 ぞわぞわぞわぁ。頭の中でみちみち音がする。頭の中に何かが大きくなってる。気持ちいい。気持ちいい、めちゃくちゃ気持ちいい……!

「だって、だってえぇえ……これすき♥ すきですよこれ? しゅき……♥」

 こんなの絶対やばい。気持ちよすぎる。触ってもいない股間からも、壊れたみたいに愛液じゅくじゅく漏れっぱなし。脳みそは煮詰めた糖蜜みたい。なんだこれ。

 

「ふうん、ミリちゃんは……彼氏でもない男に、そんな顔するんだ?」

「あ゛♥ えへ、えへへへへ、だ、だって、だってえぇえ、らぁってねえ」

「だって何さ」

「きもちいい……きもちいんだもん……」

 むぎゅー。レシヒトさんにしがみ付く。いい匂い。これすき。きもちいい。きもちいい……。

 

「それそれ。その顔さ、アルスにも見せてやろうよ。きっと面白いよ?」

「え、あ゛。お、お? お゛ぉぉぉぉおお……♥」

 アルスさんの名前を聞いたら、脳みそ捻じれて駄目になった。気持ちよくて気持ちよくて、気分の方も最高。意味もなく笑いたくてたまらない。何もかも愉快すぎる。

「お、イきそうじゃない? 彼氏の名前聞いただけでイってみせるとか、めっちゃ可愛い彼女じゃん。聖都で待ってるアルスも、きっと喜ぶだろ。ミリちゃんも名前呼んでやったら?」

「ばか♥ ばかぁ。あ、ぅ、アルスしゃん……っ! あ♥ これぇ、ほんとにイ……っぐ♥」

 あ、あー……気持ちよすぎる……。頭すっきりしちゃうし最高すぎる。

「悪い子だねえ、ミリちゃんは悪い子だ。でも好きだよ。悪い子のミリちゃんも大好きだ」

「えへへへへ、しゅき、しゅき♥ ぉあ、あ、あー♥」

 ……でも、涙がやたら出てくる。たぶん、気持ちよすぎるせいだ。

 

「悪い子の種が、どんどん育つ……ミリちゃんの中に根を張って、ほら、頭の上に芽が出てくる。芽が出たら、にょきにょき伸びて、もっともっと……気持ちよくしてくれるよ……ほら。」

「ぅあ……あっあ、あー?」

 こつん。頭のてっぺんを軽く小突かれると、そこに、ぴょこっ。と、芽が出たのが分かった。

「ミリちゃん、おっぱい触ってあげるね。ほら、悪い催眠術師の手で、気持ちよくされちゃうよ。こんなのよくないけど、気持ちいいから仕方ないよね?」

「あっ♥ さわって、さわってっ、きもちいいのして」

 胸を突き出して、くださいくださいっ、ておねだりのポーズ。恥ずかしいけど、そんなのどうでもいいくらい気持ちいい。あと何だっけ、何か、どうでもよくなかったことがあった気がするけど。

 ええと……わかんないってことは、多分、どうでもいいことだ。

 

「いいよ。ほら……ここを、布地越しにくりくり、ずーっとしてあげる。これ好き?」

「すきっ、すきぃ♥ ずっとがいい、ずっとこれがいい♥」

「好きかー。この指が好き? 僕のことが好き?」

「どっちも、どっちもすきっ♥ きもちいいのすきっ♥ あ、あ? ぉ゛ご♥」

 頭の中に、ずぐんと重たく何かキた。気持ちいい塊。何だか分からないけど、イった。腰、がくがく、止まらないんだ。

 

「好きだよ。ミリちゃんが好き。一番好き。誰よりも好きだ……」

「わたしもすきっ、すきだもん、いちばん、いちばんすきだもん! っお、あ♥ あ゛ああ♥」

 すき。すきって言うと、頭の中がキモチいい。幸せだこれ。好きになるのって幸せ。一番だともっと幸せ。

「じゃあ、キスしようか?」

「!! しゅる、しゅるぅ、ちゅーして、ちゅーしてしてぇ♥」

 幸せすぎるので、少しくらいバカになっているのは仕方ないことだ。レシヒトさんとキス。そんなの気持ちいいに決まってる。頭バカになるのはしょうがない。

 

「いいよ、ほら……ちゅ」

「んぶ、ちゅう♥ っんんぶ、ぢゅぱ」

 ちゅ。では収まらなかった。ぶじゅ、ぢゅる、ぢゅぱ。ちゅぶ、むぢゅ。

「ん……っ、ぷは」

「あ゛♥ あは、あはあ♥」

 キス、気持ちいい。頭の中ぐちゃぐちゃ、かき混ぜられるみたい。水音が頭の中に、ぐちゅぢゅぼ響いて、身体ごとくっついて、レシヒトさんを感じている。

 

「キスしちゃったね……だからほら、頭の上が重い。頭の上ではほら、悪い子の種が育って育って、大きな花を咲かせるところ。3つ数えたら花が咲く……真っ赤な花が咲いたら、ミリちゃんの頭はお花畑みたいに、幸せでいっぱいになれるよね……」

「あ、お花……♥ お花すき……♥」

 お花。知らんけど好きな気がする。知らんけど。だって気持ちいいでしょそれ。気持ちいいのは好きだ。

「ほら……悪い子の花が咲いちゃうよ、咲くとそれだけで、最高に気持ちよくイける。そして頭の中、幸せの蜜でいっぱいになって……悪い子のミリちゃんは、世界一幸せな女の子になれるよ」

「えへ、えへへへ、えへへへへ」

 嬉しい。そんなの嬉しいじゃないですか。絶対気持ちいいやつだ。私はかしこいから知ってる。

 

「さあ……ひとつ、ふたつ……咲いちゃうよ。みっつ、ほらっ」

 がくん、肩を掴んで揺さ振られた。頭がかくんと揺れる。

「お゛? ――おぉお♥ お゛おぉおおぉぉおぉお?」

 ぶるぶるぶるぶる。震えが止まらない。かくんかくん揺れる頭の上で――大きく、真っ赤な、花が咲く。

「咲いた……咲いちゃったね。真っ赤な花。気持ちいい花。悪い子になれて、気持ちいい、気持ちいい、イってる、幸せでいっぱい。幸せだね……ほら、またイける」

「あ゛♥ ぉ? あ゛おぉぉおぉ、っきゅ♥」

 私はもう、何にも分からなくなってしまって……無様に、がくがく震えるだけの、養分だった。

 

 

 ――。

 

 

「貴方の脳みそは……悪い子の花に、ぐちゃぐちゃにされてしまいました。たくさん……甘く、気持ちよく、ぐずぐずになって……すぐには、元に戻らないかもしれません」

「ぁ……あ……」

 きもちいい。ずーっと、きもちいい……これでいい。このままがいい……。

「花は枯れて……枯れてしまって……もうありません。でも、ぐちゃぐちゃの脳みそは、たくさん……穴が開いて、あんまり、物が分からない……ぽかーんとして、ぼんやりして……よく分からない状態です……」

 あー……。私、今、そんななんだ。ばかに、なってる……かも。ばかは、よくないかも。

 

「ですが……私が、私がその脳みそを、ちゃあんと直してあげます。全部もとに、戻してあげますよ……」

「ぁー……」

 べつに、もどさなくても、いいけど……ばかも、こまるから……もどして、もらう。

「貴方は……催眠で、彼氏が他にいると思って……悪い子の種を育ててしまいました。しかし、それは催眠で教えられた、嘘の記憶です。貴方にそんな男は居ませんね。私の催眠暗示で、そう思い込んでいただけ。そうですよね……」

「あ、ぅ? ぁ……」

 そっか……また、悪戯、されてたのか……。レシヒトさんは、本当に困った人だ。

 

「ほら、ぐちゃぐちゃの脳みそを戻してあげる。こっちは、こう……ここは、こう。ぺた、ぺた……直して、いきますよ。ほら、ここも、壊れてる……ミリちゃんの彼氏は、僕だよね。一緒に、クエストに来たんだもん、当然だよね……ちゃんと、直して……これでよし」

「ん、あ……あー……」

 あー。頭、思ったより変になってた。え、ひょっとしてレシヒトさんとのことが分からなくなってた? うわ、こわい。

「そう、僕とミリちゃんは、恋人同士だ……ちゃんと思い出せてよかった。これでもう大丈夫。ほら、3つ数えたら……ちゃんと脳みそ、直ってるよ。ひとつ、ふたつ……ほら、起きる。みっつ、はいっ!」

 

 ぱちん。

 

「うはあ」

「やー、楽しかったね」

 いや、何なのそれ。結構とんでもないことをされたが?

「楽しかったかもしれないですけどね。何なんですかアルスって、誰なんですか……?」

「あっそうなるんだ。いやまあ、なんかこうトーマスと同じでさ、勢いで」

 呆れた。こいつまた勢いで架空の人物を作り出したのか。いやそういうところも嫌いじゃないんだけども。

 

「はー……なんか、すごい気持ちよかった……浮気ってすごい……」

「あれ。ミリちゃん浮気するの?」

「……こんな気持ちいいの知って、他の人好きになれるわけないでしょ。レシさんしかいないもん」

「そっか。……うん。それは、光栄な話だなあ」

 本当に反則。こんなのばっかりされて、好きにならない女なんていないでしょ。浮気とか、されるとしたら絶対こっちだ。彼より気持ちいい相手なんて見つかる気がしないし。

 

「でも、今回のは趣味悪いですよ。何ですか悪い子の花って。私泣いちゃったんですからね」

「ははは、気持ちよかったでしょ」

「気持ちよかったですけど……あ、う。ほら、また涙、出ちゃった……」

「……うん、ごめん」

 なんだこれ。なんで今更泣いてるんだろう。こういうときってどうしたらいいんだっけ。

 

 ああそうだ。

 

「ちゅーしてくれたらいいです」

「……わかった、いいよ」

 

 ――これで、大丈夫。

 

 

<続く>

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