[AI]「あれ、これ催眠じゃない?」3 高野千夏

※この作品は生成AI「ChatGPT4o」を利用して製作しています

 

 

 旧校舎の三階。いつもの空き教室。

 扉の鍵は壊れていて、今のところ使っているのは俺だけ。放課後の隠れ家としては、けっこう優秀だ。

 

 別に、特別なことを考えてるわけじゃない。

 今日もただ――可愛い女の子をひとり、軽く遊んでみようと思っただけ。

 

 誘ってきたのは中西蓮。話を持ちかけてきたのは、昨日の昼休みだ。

 

『なぁ蒼真、お前さ、催眠……できるんだよな?』

 

 いかにもコソコソって感じで、やたら声を潜めてくるのが逆に目立っていた。

 

『チカさあ、いま俺の彼女なんだけどさ……なーんか、こう、いい感じになっても、ギリでかわされんのよ。ブレーキ? っていうか、分かる?』

 

『ギャルっぽいのに、全然誘ってこないっていうか……俺から行こうとしても、スルッと流される感じで……』

 

『だからさ、お前の“それ”でさ! パーッとスケベにしてくれよ!! 俺の脱童貞に貢献してくれっての!!』

 

 必死すぎて笑いそうになった。

 願望が顔に出てるし、言ってることは正直どうでもいい。

 

 でも、チカって子の顔写真を見せられて――まあ、普通に可愛いなとは思った。

 

(……うん、まあ。暇つぶしにはちょうどいいか)

 

 べつに千夏って子に特別な興味があったわけじゃない。

 可愛い女の子なら、誰でもいい。

 遊び半分でちょっとイタズラするくらい――その程度の動機で、十分。

 

 そんなことを考えていたところで、ガラリと扉が開く。

 

「おーっす、来たぞー」

 

 相変わらずのテンションで蓮が先に入ってきて、

 そのすぐあとから、千夏が首をかしげながら入ってきた。

 

「……なんか、変なとこ連れてこられた気がするんだけどー? ここって、使われてんの?」

 

 声のトーンは軽いけど、足取りはちょっとだけ慎重だった。

 怪しまれても当然だけど、そこは蓮の“彼女”という看板で、だいぶカバーされてる。

 

「まあまあ、ちょっとだけ付き合ってよ」

 

 そう言って席をすすめると、千夏は“とりあえず話くらいは聞いてやるか”って感じで、ストンと椅子に腰を下ろした。

 

 その動作を見て、俺は内心でひとつだけ思った。

 

(さて、今日はどこまでやるか)

 

 

 

 

「で、なに? ここでなんかやんの?」

 

 千夏は椅子に座って、脚を軽く組み、教室の壁によりかかるように体を傾けていた。

 ラフな態度。たぶん、なんの緊張もしていない。

 

 ――ちょうどいい。

 

 俺は横に立っていた蓮の肩をぽん、と軽く叩く。

 

「お前は黙ってて。口出すと、失敗するから」

 

「えっ、あ、うん……わかった」

 

 蒼真の言葉に、蓮は素直にうなずいて壁際へ退いた。

 こういうところは、扱いやすくて助かる。

 

 俺は千夏の正面に回り込み、彼女と目線を合わせる。

 

「ねぇ、千夏さん」

 

「ん?」

 

「ちょっと面白いこと、試してみてもいい?」

 

「ん~……なにそれ。怪しいやつ?」

 

「怪しくはないよ。ちょっと不思議なだけ」

 

 そう言って、俺は声のトーンを一段だけ下げた。

 音の抑揚を落として、耳に入りやすい“一定のリズム”を作る。

 

「じゃあ、椅子にまっすぐ座って。背もたれに寄りかからず、姿勢よく。目は……僕の目を見て」

 

「ふーん……いいよ?」

 

 千夏は気の抜けた声を出しながらも、言われた通りに座り直した。

 脚を組んでいたのを下ろして、姿勢を正す。

 自然と、顔が少し真剣になる。

 

「ゆっくり、息を吸って。……そう。次に吐いて。……うん、いいね。もう一度、吸って……吐いて……」

 

 彼女の呼吸に、俺の声をかぶせる。

 テンポはあくまで穏やかに、けれど一定に。

 言葉のひとつひとつが、脳にじわじわと浸透していくように。

 

「まぶた、少し重たくなってきたでしょ?」

 

「……うん……?」

 

 少し不思議そうな声。でも、反応はある。

 まだ意識ははっきりしているが、すでに入り口には立っている。

 

「目を見て。僕の目だけに集中して。

 そうしているとね、意識がだんだんと狭くなる。

 周りの音が小さくなって、僕の声だけが、はっきりと聞こえてくる……」

 

 千夏のまばたきの間隔が、ゆっくりになっていく。

 俺はそれを確認しながら、椅子を少しだけ引いて、彼女の顔から目を逸らさない。

 

「そのまま目を閉じて。ゆっくり……そう。

 肩の力を抜いて……呼吸だけに意識を向けて……」

 

 千夏のまぶたが、静かに閉じた。

 長いまつげが頬に触れ、唇が少しだけ緩む。

 

 その様子を見て、俺は小さく微笑んだ。

 

(やっぱり、いい子だ)

 

 よく通る暗示の入り方だ。

 素直すぎて、こちらが少し遠慮したくなるくらいに。

 

 けれど、遠慮はしない。

 

「……そのままで。今から、少しずつ“楽しい夢”を見せていくね」

 

 千夏のまぶたが閉じて、教室の中がさらに静かになった。

 彼女の呼吸は、深く、穏やかに波を描いている。

 

 姿勢よく座らせているせいで、首が少しずつぐらつきはじめている。

 意識がゆるみ、体の支えが抜けていく――いい兆候だ。

 

 俺はゆっくりと椅子を引いて立ち上がり、千夏の前へ回る。

 こくり、と傾いた彼女の頭が前に倒れそうになった瞬間、その額にそっと手を添えた。

 

 温かい。

 少し汗ばんだ肌に、じかに触れる。

 

「……そのままで大丈夫。僕がちゃんと支えるからね」

 

 千夏の身体が、ふっとさらに力を抜いた。

 俺の手に体重を預けるように、頭が自然に前へ傾いてくる。

 

 首筋の力がすっかり抜け、上体が小さく揺れながら沈んでいく。

 俺はその動きに合わせて、もう片方の手で彼女の背を軽く支えた。

 

「……気持ちいいね。身体がゆるんでいくこの感覚が、よくわかる……」

 

 反応はない。けれど、まぶたの動きと口元の脱力の変化が、しっかり答えていた。

 

「……この感じ、すごく好きになる。

 ゆっくり沈んでいくこの心地よさ、催眠にかかるって、こんなに気持ちいいんだって……

 あなたの心の奥に、ゆっくり、何度も伝えていくね」

 

 囁くように、ひとことずつ。

 

「催眠にかかるのは……とても気持ちいいこと。

 リラックスして、全部ゆだねると、心も身体も軽くなって……

 何も考えなくてよくて、ただ、気持ちよくて……とても、安心できる」

 

 千夏の肩が、ひとつ、ゆるく上下した。

 小さく、深い息をついたようだった。

 

 そのとき、ふと視界の端で、蓮がこちらを見ているのに気づいた。

 口を真一文字に閉じていて、目線だけがこちらに刺さってくる。

 

 俺の手が千夏の体に触れているのが、気に入らないんだろう。

 

(……知らないよ)

 

 内心でだけ笑って、俺は視線を戻した。

 今この場で、俺の相手は千夏だけだ。

 

 もう一度、そっと彼女の背に手を添える。

 ゆっくり、手のひらで上下にさするような動作で――あくまで優しく。

 

「……そう、うまくできてるよ。

 心の底まで、深く、深く、入っていく……

 今、君の心に響いているのは、僕の声だけ。

 他の音は聞こえない。何も考えなくていい。ただ、気持ちよくなっていく」

 

 千夏の口元が、すこし緩んだ気がした。

 

 もう、完全に沈み込んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにこれ、変な感じ……。

 

 最初は、ただ座らされて、冗談半分で「やってみてよ」って感じだったのに――

 声が、なんか、ずっと頭の奥で響いてる。

 

 身体、あったかくて、力が抜けていく。

 眠いってわけじゃないのに……なんか、ふわふわしてて……。

 

(え……? なに、これ……?)

 

 まぶたが閉じたのは、自分の意志だったかも、わからない。

 でも、それがぜんぜんイヤじゃなかった。むしろ、ちょっと……安心した。

 

 静かで、落ち着いてて、

 なんか、全部どうでもよくなっていくみたいな感じ。

 

(なんか、すごい……気持ちいい……)

 

 背中に、やさしく手を添えられてるのが分かる。

 こすられるみたいに、ぽかぽかしてきて――

 

 声が……すごく、よく響く。

 からだのなかに、じんわりと、染み込んでくる。

 

「催眠にかかるのは、とても気持ちいいこと」

「リラックスして、全部ゆだねると……」

「……ただ、気持ちよくて……安心できる」

 

 言葉が、そのまま頭に落ちていく。

 

(……そっか、これが……催眠……)

 

 考えようとすると、ぼやけて、うまくまとまらない。

 でも、考えなくてもいい気がしてる。

 だって……気持ちいいし……なんか、安心するから。

 

(……なにも考えなくて、いいんだ……)

 

 背中にあたたかい手のひらがある。

 そのリズムに合わせて、呼吸がゆっくりになっていく。

 

(……だいじょうぶ……ここ、気持ちいい……)

 

 ふわり、と心が浮いた。

 もう、何も気にならない。誰が見てても、何されても――

 

 わたしはただ、ここで、とけていればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 千夏の身体は完全にゆるみきっていた。

 まるで呼吸のリズムごと、俺の言葉に合わせて沈んでいるみたいに。

 

 声も、反応も返ってこないけど――その沈黙は、拒否じゃない。

 深く深く、気持ちよく、トランスに落ちている証拠。

 

 俺は静かに、次の暗示を入れる。

 

「……このまま、僕が名前を呼ぶまで、ずっと沈んでいていいよ。

 今のままが一番気持ちよくて、安心できる。

 だから、まわりの音も気にならない。誰の声も、届かない。

 ただ、僕の声だけが……心の底に、静かに残っている」

 

 千夏のまつげが、ひく、と小さく揺れた。

 口元はゆるんだまま、微かに息を漏らすように。

 

(うん、いい子だ)

 

 俺は軽く息を吐いて、振り返る。

 

「――蓮。もう喋っていいよ」

 

「よっしゃ! じゃあさ、ちょっとだけ――」

 

 言いかけたその時。

 蓮が千夏の隣に近づき、手を伸ばそうとした瞬間――

 

「ダメ」

 

 俺の声に、蓮の動きが止まる。

 

「……は? なんで?」

 

「触るな。そういうの、今は無理」

 

「いや、でも催眠ってさ、言えば何でも――」

 

「違う」

 

 俺は蓮の方を見たまま、静かに言う。

 

「催眠っていうのは、信頼関係の上でしか成立しない。

 表面じゃ聞こえてなくても――心の奥では、ちゃんと聞いてる。

 だから、彼女が本当に嫌だと思ってることは、させられないよ」

 

 蓮は、なんとも言えない顔で黙り込んだ。

 俺はそのまま、そっと千夏の方に視線を戻す。

 

 彼女はまだ、深く、気持ちよさそうに沈んだまま。

 でも――この空気は、伝わっているはずだ。

 

 自分がどう扱われているか。

 それをどう“許しているか”。

 

(さて、どう使わせてもらおうか)

 

 俺は一度だけ、千夏の頬にかかった髪を指先で整えて、息を吸い直した。

 

 

 千夏の身体はすっかり沈んでいた。

 背中の力も抜けきって、指先ひとつ動かさず、呼吸だけが深く続いている。

 

 俺は少しだけ前かがみになって、彼女の耳元にそっと声を落とした。

 

「――千夏」

 

 まぶたが、わずかに動く。

 

「今から、目を覚ましたあと……僕の言葉は全部、本当になる。

 何を言われても、逆らえない。そうなるって思ってしまうし、身体が勝手に従ってしまう」

 

 耳に囁く声のリズムを、ほんの少しだけ下げる。

 千夏の表情は柔らかいまま、意識の底に落ちていく。

 

「その感覚が、とても自然で、安心できる。

 怖くもないし、無理もしていない。

 ただ、言われたことが“現実”になるだけ」

 

 そこで、声のトーンを少しだけ上げた。

 

「次に僕が手を叩いたら、君ははっきりと目を覚ますよ。

 気分はすっきりしていて、ぼんやりしていたことも気にならなくなる。

 でも、さっき言ったことは、ちゃんと心の中に残ってる」

 

 一拍、間を置いて――

 

 パン、と手を叩いた。

 

 その瞬間、千夏のまぶたがふわりと持ち上がる。

 焦点が少しずつ合ってきて、目の前の光景を思い出すように瞬きをした。

 

「おかえり」

 

「……あれ、え? 寝てた? あれ……なんか、変な夢……?」

 

 千夏はまだぽやぽやしている。けれど、意識はちゃんと戻っている。

 夢と現実の境目があいまいなまま、でも心地よさだけはしっかりと残っているようだ。

 

「どうだった? 気持ちよかった?」

 

「う、うん……? なんか不思議な感じ……でも、よかったかも……?」

 

 答えながら、彼女は椅子から立ち上がろうとした。

 

 俺はその瞬間を逃さず、口を開いた。

 

「……立てないよ」

 

 声に、静かに力を込める。

 いつもの柔らかなトーンではなく、低く、重たく、意志のある響き。

 

 千夏の身体が、ピタッと止まった。

 

 太ももに力を入れているのが分かる。

 けれど、立ち上がれない。理由もわからず、困ったようにきょろきょろと視線を泳がせて――

 

「……え? な、なにこれ……?」

 

 蒼真は、ただ微笑んで見ている。

 

 その混乱すらも、すべてが彼の手の中で転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、ふわふわした夢を見てた気がする。

 気がついたら椅子に座ってて、目の前には蒼真くん――だっけ、名前。

 

 「おかえり」って言われたけど、別にどこも行ってない気がする。

 ぼーっとしたまま、「気持ちよかった?」って聞かれて――なんとなく「うん」って頷いてた。

 

 でも、そのあと。

 

「……立てないよ」

 

 ぽつんと、そう言われた。

 

 は? って思った。別に、立とうと思えば――

 

(えっ……?)

 

 体が、動かない。

 

 足に力を入れて、腰を上げようとしたのに――

 うまく動かない。足が、どこにあるかわからない。

 太ももに力を入れたはずなのに、膝が、びくとも動かない。

 

(えっ、えっ、なにこれ!? 立ち方が、わかんない!?)

 

 頭の中にパニックが走る。

 

 立とうとする。

 でも、どうやって? どう力を入れるの?

 順番が、操作が、完全に抜け落ちてる。

 

(ヤバい、意味わかんない! え、これなに、催眠!? うそ!?)

 

 焦って椅子の端に手をかけるけど、腕で押しても腰がついてこない。

 身体が“立つ”という動作そのものを、忘れたみたいになってる。

 

「えっ……や、ちょ、立てない……マジで立てないんだけど……!」

 

 声が上ずる。笑えない。

 でも、目の前の蒼真くんは、静かに見てるだけ。

 

 そのとき、彼がふっと微笑んだ。

 

「指を鳴らすと、立てるようになるよ」

 

 ぱちん。

 

 その音がした瞬間――

 

(……え?)

 

 何の苦労もなく、身体がすっと持ち上がった。

 

 足が、勝手に立ってた。

 ついさっきまであれだけ分からなかった“立ち方”が、

 まるで最初から忘れてなかったみたいに、すらっと戻ってきて。

 

「……な、にこれ……うそ、でしょ……?」

 

 思わず、ぽつりとそう言った。

 

 手も足も、今はちゃんと動く。

 さっきの混乱が夢だったみたいに。

 

 でも――心の奥で、何かがぞくりとする。

 

(ほんとに……催眠だったの? ていうか、わたし、かかってたの?)

 

 その答えは分からない。

 けど、“かかったかどうか”よりも、“立てなかったこと”のほうが、ずっとリアルだった。

 

 

 

 なんとか立ち上がった私の足は、ちゃんと地面に立ってるはずだった。

 

 ……なのに。

 

「床に触れているところが、とてもくすぐったく感じる。

 靴を履いていても、関係ないよね」

 

 蒼真くんがそう言った、その瞬間だった。

 

(……んっ!?)

 

 じわじわっと、足の裏に変な感覚が走る。

 ピリピリ、むずむず。

 それがどんどん、広がってくる。

 

(や、なにこれ……くすぐった……っ!)

 

 足の指が勝手に反応して、靴の中でぎゅっと丸まる。

 足首がぶるぶる震えて、踏ん張れない。

 

「くすぐったくて……どうしようもなくなるよね。

 地面に触れてるのが、ほんとに耐えられないくらい……くすぐったい」

 

 また、声が来る。

 その言葉だけで、感覚が倍増したみたいに、ビリビリする。

 

(ま、待って、やば、ほんと、これ……!)

 

 脚が痙攣するみたいに跳ねて、ふらついた。

 立っていられなくなって、慌てて後ろの椅子にドサッと腰を落とす。

 

「は、あっ、あっ……っ、な、なんでっ……!!」

 

 座ったのに、足はまだ床についてる。

 それだけなのに、くすぐったさは止まらない。

 靴越しなのに、ビリビリと神経に触ってくるみたいな感じ。

 

 今にも笑い出しそうなのに、全然楽しくない。

 顔がこわばって、目元がジンジンしてくる。

 

「靴の中もくすぐったい。靴下ごしにだって、ぜんぶ、伝わってくる。

 じわじわ、ずっと、やさしく、止まらないくすぐったさ……」

 

「っひ……っ、あっ、まって、ほんと、ほんとにやばいって……!」

 

 もう無理だ、と思って、足を持ち上げた。

 両脚をぎゅっと抱えて、椅子の上で縮こまる。

 座ったまま、身体を丸める。足を床から話すように、浮かせて、守るように。

 

「っは、はっ……ふぅ、……ぁ……っ」

 

 息が詰まりそう。頭の中が、ぐちゃぐちゃになってくる。

 

(……なんで……なんでこんなことに……)

 

 自分でやってるのに、自分じゃ止められない。

 それが……悔しいような、くすぐったいような……でも――

 

(なんか……ちょっと、気持ちよくて……)

 

 心の奥の、もっと深いところが、なにかにとろけそうになっていた。

 

 

 足を浮かせて、椅子の上でちぢこまるようにしていた。

 くすぐったさは耐えがたくて、床に触れるのが怖い。

 でも、こんな格好……正直、見られたくなさすぎる。

 

「っふぅ……っ……ちょ、やば……ほんとやばいって……」

 

 じわじわと落ち着きを取り戻そうとしていたそのとき、

 視界の端で、ぬっと誰かの影が動いた。

 

「うお、マジで効いてんの? やべー、すっげ……チカ、素でビビってんじゃん」

 

 蓮の声だった。

 冗談めいた調子で、私の前に回り込もうとしてくる。

 

(やだっ……やだやだっ、見られたくないっ!)

 

「ま、まって、来ないで、やだ、見ないでっ!」

 

 反射的に身を乗り出して、スカートの裾を押さえようとした。

 でも――

 

(あっ……!)

 

 つま先が、床に触れた。

 

 次の瞬間。

 

「っひゃっ……! あ゛ああっ、あっ、あああっ……!」

 

 電流みたいな感覚が、また一気に足から駆け上がってきた。

 足を持ち上げようとする。でも、焦りすぎて上手くいかない。

 

(ダメ、また……っ! なんでこんな……ッ!)

 

 混乱で思考がバラバラになる。

 

 そんなとき。

 

 蒼真くんの落ち着いた声が、すっと空気を切るように届いた。

 

「指を鳴らすと、くすぐったいのは消えるよ」

 

 ぱちん。

 

 その音が聞こえた瞬間――

 

(……え?)

 

 嘘みたいに、スッと消えた。

 さっきまで地獄みたいだった足の裏が、何の違和感もなくなる。

 

(う、うそ……あれ? なにこれ……)

 

 唖然としたまま、私はそっと足を下ろした。

 ちゃんと地面につく。くすぐったくない。なにも起きない。

 

(……どういうこと……?)

 

 混乱の中で、蒼真くんの方を振り返る。

 彼は微笑みもせず、ただ静かにこちらを見ていた。

 

 

 

 足の裏の地獄が、嘘みたいに消えた。

 蒼真くんの指が鳴っただけで。たったそれだけで。

 

 力が抜けた。

 ホッとしたのと同時に、胸の奥がじんじんして、ちょっとだけ泣きそうになった。

 

 蓮くんがどうとか、もうよく分からない。

 ただ、自分の身体が、自分のものじゃないみたいで――それが、どうしようもなく不安で。

 

 そんな中で、蒼真くんの声が落ちてきた。

 

「疲れてしまったよね」

 

 その一言だけで、息がすっと吸える気がした。

 

「……3つ数えると、また沈んでいく。

 さっきよりも深く、もっと気持ちよく、何も考えなくてよくなる。

 1つ、息を吐いて……

 2つ、目を閉じて……

 3つ……そのまま、落ちていく」

 

 その声を聞いていたら、抗う気持ちなんてまったく浮かばなかった。

 

(……あ、また……)

 

 視界が、すぅっと暗くなる。

 まぶたが重くなって、閉じるのも自然だった。

 

 全身から力が抜けていく。

 椅子に預けた背中が、やわらかく沈んでいく感じ。

 

 思考も、感情も、空っぽになって――

 ただただ、気持ちよくなっていく。

 

(……安心する……だれも、見てない……考えなくていい……)

 

 自分がなにをしてるかなんて、もうどうでもよくて。

 蒼真くんの声だけが、遠くて近くて、心の中に流れ込んでくる。

 

(……このままで……いたい……)

 

 リラックスって、こんな感覚だったっけ。

 身体のすみずみまで、温かくて、とろけていく。

 さっきのパニックも、恥ずかしさも、夢の中に溶けて消えてしまった。

 

 私はいま、ただ――気持ちいいだけだった。

 

 

 

 身体が完全に沈んで、もう何も考えたくなかった。

 ただ、気持ちよくて、あったかくて、蒼真くんの声が心地よくて。

 

 どれくらい時間が経ったかわからない。

 でも、ふと、指先に何かが触れる感覚がした。

 

「千夏。このスマホを、両手で持ってごらん」

 

 言われるままに、両手を差し出す。

 手のひらに、ひんやりとした物が置かれる。重さと形――スマホ。だけど、それ以上のことは考えない。

 

 蒼真くんの声が、また落ちてくる。

 

「それはね、とても大切なもの。君にとって、すごく特別で、大事で、

 なんだか分からないけど――好きで好きで、たまらないものなんだ」

 

 胸の奥が、きゅっとあたたかくなる。

 指先が自然と、スマホを優しく包むように握る。

 

「ぎゅっと持ってると、安心する。手放したくない。

 誰にも渡したくないし、ずっと持っていたくなる」

 

(……すき……これ、すき……)

 

 思考じゃなく、感覚として染みこんでいく。

 意味も理由もない。ただ、“そう思う”ってだけ。

 

 大好き。絶対に放したくない。

 肌になじむこの重さと、あたたかさ。

 胸の奥が、じんわりと満たされていく。

 

「それが、君のいちばん大事なもの。そう思えるよね。心から、自然に」

 

 私はただ、小さくうなずいた。

 

 

「……じゃあ、目を覚ましていいよ。

 気分はすっきりして、今のことはぜんぶ――心地よい記憶として残ってる」

 

 蒼真くんの声が、すごく優しくて。

 ふわふわと浮かんでいた私の意識が、ゆっくり、静かに地面へ降りていく。

 

 まぶたが自然に開いて、教室の天井が見えた。

 

(……戻ってきた……?)

 

 でも、頭の奥がじんわり熱くて、息を吸うと胸の奥がとろけそうな気がする。

 まるで、いい夢を見てたみたいな――気持ちよさが残ってた。

 

(……すごかった……なんか、すごかった……)

 

 呼吸を整えて、ぼんやりと視線を落とした。

 

 ――あれ?

 

 手の中に、なにか持ってる。黒いスマホ。

 両手でぎゅっと抱えるように持ってる。

 

(……これ……)

 

 見覚えのあるケース。ロック画面に表示された、ふざけた待ち受け。

 

(蓮……のスマホ……!?)

 

 脳の奥に、びしっと電気が走った。

 

(なんで……なんで私、こんなの……)

 

 でも、不思議なのは――

 

 そのスマホを、絶対に手放したくないって思ってる自分がいることだった。

 

(えっ、やだ……なにこれ……)

 

 力が入る。

 誰かに取られたら困るって、本気で思ってしまう。

 手の中にあるこのスマホが――“私のもの”みたいな、そんな感覚が離れない。

 

 変だよ。蓮のスマホなのに。

 別に特別好きでもないのに。……なのに、なのに――

 

(返したく、ない……)

 

 自分でも、どうしてそう思ってしまうのか分からない。

 ただ、ぎゅっと抱えたこのスマホが、たまらなく愛おしい。

 

 胸の奥が、くすぐったくて、苦しくて。

 顔が勝手に火照っていく。

 

(……どうしよう、これ……)

 

 

 

 まだ胸の奥がざわざわしてた。

 スマホを両手で抱えているのが、とにかく落ち着く。

 誰にも取られたくないって、心のどこかがずっと叫んでる。

 

 けど、そのとき。

 

「それ、ちょっと貸してくれる?」

 

 蒼真くんの声がした。

 

 目の前に手が伸びてきて――スマホに触れようとする、その瞬間。

 

「っ……!」

 

 思わず、身体が動いた。

 腕を引っ込めて、スマホを胸に抱きしめた。

 反射的に、全力で守ってしまっていた。

 

(……え? なにやってんの、私……?)

 

 蒼真くんは別に怒ってない。

 ただ、興味深そうに私の反応を観察しているだけ。

 

 でも、私の中では――ヤバいくらい焦りが走ってた。

 

「いや、返してくれよそれ」

 

 今度は蓮の声。

 

 ぎくっとして、顔をそちらに向ける。

 

「……って、ちょ、マジで? オレのスマホなんだけど、それ……?」

 

 手を差し出してくる蓮を見ても、私の腕は動かなかった。

 渡さなきゃって分かってるのに、足がすくんだみたいに。

 胸の中で、スマホを守るようにぎゅっと抱えて――

 

「……やだ……」

 

 言ってしまった自分に、いちばんびっくりした。

 

(なにそれ……!? やば……)

 

 顔が一気に熱くなる。

 

 自分の口から出た「やだ」の言葉が、

 まるで小さい子みたいで――でも、止められなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 千夏は、まるで宝物でも守るみたいにスマホを抱えていた。

 がっちり両腕でホールドして、視線もそらさずに。

 

 そのスマホ、もちろん俺のじゃない。蓮のだ。

 さっき、ちょっと借りただけで、こんなに執着されるとは思わなかったけど――まあ、暗示が綺麗に効いてる証拠。

 

 俺は軽く口元を緩めて、肩をすくめた。

 

「……じゃあ、今日はここまでにしとこうか」

 

 その一言で、横からツッコミが入る。

 

「えっ、いやいやいやいや!? いやいやいやいやいや!? 待て待て待て!!」

 

 慌てて前のめりになる蓮。

 珍しく素で焦ってる顔がちょっと面白い。

 

「なに!? なんで終わり!? スマホまだ返ってきてないんだけど!? チカがバグってんだけど!? 返してって言ったよな!? 俺、言ったよな!?」

 

 隣で一人コントみたいになってる蓮を横目に、俺は椅子の背に寄りかかる。

 

「だって、今のチカにとって、それすごく大事なものだから。無理やり取り上げるのはさすがに趣味悪いでしょ」

 

「いや俺の私物だが!? 俺のロック画面、チカにめっちゃ見られてるが!?」

 

 たしかに、待ち受けがふざけた顔芸ショットだったのは確認済みだ。

 俺が何も言わないでいると、蓮がふと黙りこみ、何かに気づいたように目を丸くした。

 

「……あれ? ってことはさ……」

 

 俺の方を見て、急に食いつくように前のめりになる。

 

「それ、スマホを好きにさせられるなら――俺のことも、好きにさせられるってことじゃね!?」

 

 目がキラキラしてる。完全に“すげー発見した”ってテンション。

 

 でも。

 

「……面白くないよ、それ」

 

 すぐに返した。あまりに即答すぎて、蓮が一瞬むせかえりそうになってる。

 

「え、なんで!? そっちのがよっぽど意味あるだろ!? 付き合えるとか、いろいろ進展し――」

 

「好きっていうのはね、強制されるもんじゃない。

 言わせたって、それっぽく振る舞わせたって――それは“好き”って感情じゃない。

 ただの形だけ。演出。ねじ込んだだけの台詞。

 そんなの見たって、なにも楽しくないよ」

 

 俺は、千夏がまだ手にしているスマホに目を落とした。

 指先が微かに動いてる。少しだけ、不自然な間が空いていた。

 

「……それよりさ、千夏。

 それ、急に気持ち悪くなってきたかも。

 さっきまで好きだったけど――今は、なんだか嫌な感じ。

 手に持ってるのもムズムズするし、見てるだけで気分がゾワゾワしてきた。

 どうしようもなく、嫌で、たまらない」

 

 千夏の表情が、静かに変わっていくのが分かる。

 眉がぴくっと動いて、指が震えた。

 

 その数秒後だった。

 

「うわっ……ちょっ……!?」

 

 彼女の手から、スマホがぽろっとこぼれるように落ちて――

 

「おおっ!?」

 

 慌てて前に出た蓮が、間一髪でキャッチした。

 両手でがっちり抱きかかえるように、なんとか受け止める。

 

 その瞬間、俺は声をかける。

 

「あれ見て。すごく面白いよね」

 

 千夏の視線が自然に蓮へ向き、そのままピタッと止まった。

 

 数秒の沈黙のあと――

 

「……ぷっ……ふ、ふふっ……あは、あっ、ふははっ、なにあれっ、顔、真剣すぎ……!」

 

 噴き出した。

 

 その反応を逃さず、さらに重ねる。

 

「蓮がなにをしても、ぜんぶおかしくてたまらない。

 動くだけで、しゃべるだけで、息してるだけで――笑いが止まらなくなる。

 声が漏れても、止められない。お腹の底から、勝手に湧いてくる」

 

 千夏の肩が震えた。

 

「っは、ふふふっ……やっ、やば、まってっ……っ、ははっ、あはははっ、やばい、なにそれーっ!!」

 

「いや何!? 俺、何もしてないからな!? 真面目にキャッチしただけだぞ!?」

 

 蓮の抗議もまるで届いていない。

 千夏は笑いながら涙を浮かべて、息が続かずに椅子にもたれかかっている。

 

 その様子を、俺は静かに眺めながら、足を組み直した。

 

(……こういうのは、やっぱりいいね)

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ見て。すごく面白いよね」

 

 蒼真くんの声が落ちた瞬間、思考がふっと止まった。

 反射的に、視線が蓮の方へ向く。

 両手でスマホを抱えて、ど真顔で突っ立ってる姿。

 

 そのまま、ぴたりと目が合って――

 

「……ぷっ……ふ、ふふっ……あは、あっ、ふははっ、なにあれっ、顔、真剣すぎ……!」

 

 噴き出してた。

 

 自分でも信じられないくらい、笑いが止まらなかった。

 目に映るものが、なんでもおかしくて、息ができないくらい笑ってる。

 

「蓮がなにをしても、ぜんぶおかしくてたまらない。

 動くだけで、しゃべるだけで、息してるだけで――笑いが止まらなくなる。

 声が漏れても、止められない。お腹の底から、勝手に湧いてくる」

 

 蒼真くんの声が追いかけてきた瞬間、笑いがさらに跳ねた。

 お腹がよじれそうになる。息が詰まる。

 肩が勝手に震えて、涙がにじんできた。

 

「っは、ふふふっ……やっ、やば、まってっ……っ、ははっ、あはははっ、やばい、なにそれーっ!!」

 

「いや何!? 俺、何もしてないからな!? 真面目にキャッチしただけだぞ!?」

 

 蓮の声も、真顔も、ツッコミも――

 すべてがもう、ツボすぎてダメだった。

 

(なんで、こんなことで……!? 全然笑うとこじゃないのに……!)

 

 頭の中は困惑してるのに、笑いだけが勝手に暴れてる。

 

(止めたいのに、止まんないっ……!)

 

 あたしの中で、感情だけがどんどん膨らんでいく。

 笑いたくない。顔も熱い。涙も出てる。

 でも――笑いが止まらない。

 

 笑いが止まらない。

 自分でも意味がわからないのに、目に入るすべてが面白い。

 

 蓮が立ってる。

 ただそれだけなのに、おかしくてたまらない。

 

 そんな私を見ながら、蒼真くんがさらりと言った。

 

「蓮、なんか面白いことやって」

 

「はあ!? 無茶振りすぎるだろ!!」

 

 その返しでもうダメだった。

 

「ぷっ……ふはっ、ふふふっ、あははははっ、なにそれっ、顔……顔ぁ……!」

 

 もう座っていられなかった。

 椅子の背にもたれていたけど、腹筋が限界を迎えて――ずるっと前に滑り落ちた。

 

 床に尻もちをついて、そのまま背中まで倒れる。

 

「やっ……ふふっ、っあははは、ははっ、ムリ……ムリっ、ほんとにムリぃ……!」

 

 息が苦しい。

 お腹が痛い。

 でも、笑いが止まらない。

 

 蓮がふざけて「なにかしなきゃ」と思ったのか、

 手のひらをヒラヒラさせて変なポーズを取りながら、

 

「じゃあこれ! “俺の彼女、笑いの沼に沈没中~♪”」

 

 意味がわからなすぎて、もう呼吸ができなかった。

 

「ふぐっ、ふははははははっ!!! や、だめっ……それ、ほんと……ほんとにやばい……っ!!」

 

 床に転がって、両手でお腹を押さえて、バタバタと足をばたつかせてしまう。

 涙がこぼれる。頬が熱い。声が止まらない。

 

(苦しい……でも、止まんない……っ!)

 

 もうどこが可笑しいのかも分からなかった。

 ただただ、笑いが内側から勝手に溢れ出してくる。

 

 このままじゃ、息が――ほんとにできない……!

 

 笑いすぎて、もうわけがわからなかった。

 顔もお腹も痛いし、涙も出てるし、床の冷たささえ心地よく感じて――でも、笑いは止まらない。

 

「ふはっ、ふひっ……っく、くふふ……ふ、ふぁ、っははっ……あっ、もう……やばい……!」

 

 どうしようもない。どうにもならない。

 でも、そのとき。

 

 蒼真くんの声が、頭の上から落ちてきた。

 

「千夏、深呼吸して。

 笑いは、もうおしまい。

 3つ数えると、すっと落ち着いていく。笑いは流れて、呼吸が楽になって、

 身体が、とても気持ちよく沈んでいく」

 

 不思議だった。

 たったそれだけなのに――

 

 胸の奥に残ってた震えが、すっと消えていった。

 

「1つ、吐いて……2つ、目を閉じて……3つ、落ちていく」

 

 まぶたが重くなる。

 肩の力が抜ける。

 床の感触が、まるでマットレスみたいに柔らかく思えた。

 

(……あ、また……沈んでく……)

 

 だらんと手足が伸びて、もう動かそうなんて思えなかった。

 

 重さも感じない。息が深くて、静かで、気持ちよくて。

 お腹の奥がじんわり温かい。

 

 ここが、今日いちばん深い場所。

 

 笑ってた自分も、息苦しかったさっきも、全部遠くに置いてきたみたいだった。

 

 ……でも、耳はまだ動いていた。

 遠くで誰かが話してるのが聞こえる。

 

 ――蒼真くんの声だ。

 

「……お前のこと、どう思ってるか聞いてみる?」

 

 (……?)

 

 ちょっとだけ、目が動きそうになったけど、すぐにまた沈む。

 

 ――そして、蓮の声。

 

「いやいやいやいや! 聞かねーし!! ムリムリムリムリ!!」

 

 何か慌ててるみたいな声色。

 それが少しおかしくて、でももう笑う気力もなかった。

 

(……なんか……ふたりで話してる……)

 

 それだけで、なぜか安心して。

 また、深く、静かに、沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方の空気が少しひんやりしてて、下校ラッシュの通学路はにぎやかだった。

 

 その横で――千夏は、めっちゃ元気だった。

 

「やー、でもマジでさ、今日やばかったっしょ!? なにあれ、ふざけてんの!? まじで記憶ぐっちゃぐちゃなんだけど!」

 

 笑いながら、制服の袖をばしばし叩いてくる。

 さっきまでトランスに沈んでたとは思えないくらい、いつものテンションに戻ってる。

 

「てか、うちあんなに笑ったの初めてかも。腹筋われたかと思ったし、最後マジで床冷たくて気持ちよかったし……あっぶな〜、ほんと催眠ってチートだわ!!」

 

「……お、おう」

 

 俺は相づちを打ちながらも、なんかずっとモヤモヤしてた。

 

 千夏は、ほんとに楽しそうだった。

 蒼真に何かされたっていう自覚はほとんどなさそうで、

 むしろ「めちゃくちゃ面白かった!」みたいなノリで話してくる。

 

(……いや、いいんだけどさ……)

 

 ちょっと複雑だった。

 俺が「好きにさせてくれ」とか言ったの、完全にスルーされたし、

 代わりにスマホに恋させられて、変な暗示で笑い転げる千夏を見せられて――

 

(俺、なんだったんだよ……)

 

 催眠がすごいのは認める。

 あの笑い方、演技じゃ絶対できない。

 気持ちよかったっていうのも、本気なんだと思う。

 

 でも、それでも。

 やっぱり、あのとき千夏の視界には俺が入ってなかった気がして――

 ちょっとだけ、寂しかった。

 

 気づけば、学校の角まで来ていた。

 交差点の向こう側で、千夏は自転車を止める。

 

「じゃーねー、また明日!」

 

 そう言って、ハンドルを握りながら、ふと振り返った。

 

 その顔は、夕陽の逆光でちょっと見えにくかったけど、

 たぶん、笑ってた。

 

「……んでさ、ちゃんと好きだよ? 蓮のこと」

 

 軽い声だった。

 ギャルの、ふだんどおりの、何気ない口調。

 

 でも。

 

「……は?」

 

 不意打ちだった。

 足が止まって、反応が一瞬遅れた。

 

 千夏はもう、自転車をキコキコこぎながら、向こうへ走っていった。

 背中だけが見える。

 

(……な、なんだよ、マジで……)

 

 心のモヤモヤが、少しだけ薄れていった。

 

 風が吹いて、制服の裾がふわっと揺れる。

 

 催眠はすごい。確かにそう。

 でも――言葉の一発で、こんなに効くなんて。

 

(……チカ、ずりぃよ……)

 

 俺は、思わずひとりで笑ってしまった。

 

 

2件のコメント

  1. あー導入深化はいいなぁ……

    かなりショー催眠なものもやっぱり満足度高いのでぅ。
    流石に9話全部ひまりちゃんのスカートからっていうのはなかったか
    リアクション9個とかなかなか厳しいでぅし。
    つまり蒼真くんがおもしろおかしく催眠をする話ってことでぅね。

    1. そう、誘導なんですよ。
      AIくん催眠の知識がちゃんとあるから、それなりの誘導書いてくるんですけど……。
      「緩急」とか「相手の状態」とかの意識足りないのでそのへんを必死に補って指示書いてます。

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