※この作品は生成AI「ChatGPT4o」を利用して製作しています
旧校舎の三階。いつもの空き教室。
扉の鍵は壊れていて、今のところ使っているのは俺だけ。放課後の隠れ家としては、けっこう優秀だ。
別に、特別なことを考えてるわけじゃない。
今日もただ――可愛い女の子をひとり、軽く遊んでみようと思っただけ。
誘ってきたのは中西蓮。話を持ちかけてきたのは、昨日の昼休みだ。
『なぁ蒼真、お前さ、催眠……できるんだよな?』
いかにもコソコソって感じで、やたら声を潜めてくるのが逆に目立っていた。
『チカさあ、いま俺の彼女なんだけどさ……なーんか、こう、いい感じになっても、ギリでかわされんのよ。ブレーキ? っていうか、分かる?』
『ギャルっぽいのに、全然誘ってこないっていうか……俺から行こうとしても、スルッと流される感じで……』
『だからさ、お前の“それ”でさ! パーッとスケベにしてくれよ!! 俺の脱童貞に貢献してくれっての!!』
必死すぎて笑いそうになった。
願望が顔に出てるし、言ってることは正直どうでもいい。
でも、チカって子の顔写真を見せられて――まあ、普通に可愛いなとは思った。
(……うん、まあ。暇つぶしにはちょうどいいか)
べつに千夏って子に特別な興味があったわけじゃない。
可愛い女の子なら、誰でもいい。
遊び半分でちょっとイタズラするくらい――その程度の動機で、十分。
そんなことを考えていたところで、ガラリと扉が開く。
「おーっす、来たぞー」
相変わらずのテンションで蓮が先に入ってきて、
そのすぐあとから、千夏が首をかしげながら入ってきた。
「……なんか、変なとこ連れてこられた気がするんだけどー? ここって、使われてんの?」
声のトーンは軽いけど、足取りはちょっとだけ慎重だった。
怪しまれても当然だけど、そこは蓮の“彼女”という看板で、だいぶカバーされてる。
「まあまあ、ちょっとだけ付き合ってよ」
そう言って席をすすめると、千夏は“とりあえず話くらいは聞いてやるか”って感じで、ストンと椅子に腰を下ろした。
その動作を見て、俺は内心でひとつだけ思った。
(さて、今日はどこまでやるか)
「で、なに? ここでなんかやんの?」
千夏は椅子に座って、脚を軽く組み、教室の壁によりかかるように体を傾けていた。
ラフな態度。たぶん、なんの緊張もしていない。
――ちょうどいい。
俺は横に立っていた蓮の肩をぽん、と軽く叩く。
「お前は黙ってて。口出すと、失敗するから」
「えっ、あ、うん……わかった」
蒼真の言葉に、蓮は素直にうなずいて壁際へ退いた。
こういうところは、扱いやすくて助かる。
俺は千夏の正面に回り込み、彼女と目線を合わせる。
「ねぇ、千夏さん」
「ん?」
「ちょっと面白いこと、試してみてもいい?」
「ん~……なにそれ。怪しいやつ?」
「怪しくはないよ。ちょっと不思議なだけ」
そう言って、俺は声のトーンを一段だけ下げた。
音の抑揚を落として、耳に入りやすい“一定のリズム”を作る。
「じゃあ、椅子にまっすぐ座って。背もたれに寄りかからず、姿勢よく。目は……僕の目を見て」
「ふーん……いいよ?」
千夏は気の抜けた声を出しながらも、言われた通りに座り直した。
脚を組んでいたのを下ろして、姿勢を正す。
自然と、顔が少し真剣になる。
「ゆっくり、息を吸って。……そう。次に吐いて。……うん、いいね。もう一度、吸って……吐いて……」
彼女の呼吸に、俺の声をかぶせる。
テンポはあくまで穏やかに、けれど一定に。
言葉のひとつひとつが、脳にじわじわと浸透していくように。
「まぶた、少し重たくなってきたでしょ?」
「……うん……?」
少し不思議そうな声。でも、反応はある。
まだ意識ははっきりしているが、すでに入り口には立っている。
「目を見て。僕の目だけに集中して。
そうしているとね、意識がだんだんと狭くなる。
周りの音が小さくなって、僕の声だけが、はっきりと聞こえてくる……」
千夏のまばたきの間隔が、ゆっくりになっていく。
俺はそれを確認しながら、椅子を少しだけ引いて、彼女の顔から目を逸らさない。
「そのまま目を閉じて。ゆっくり……そう。
肩の力を抜いて……呼吸だけに意識を向けて……」
千夏のまぶたが、静かに閉じた。
長いまつげが頬に触れ、唇が少しだけ緩む。
その様子を見て、俺は小さく微笑んだ。
(やっぱり、いい子だ)
よく通る暗示の入り方だ。
素直すぎて、こちらが少し遠慮したくなるくらいに。
けれど、遠慮はしない。
「……そのままで。今から、少しずつ“楽しい夢”を見せていくね」
千夏のまぶたが閉じて、教室の中がさらに静かになった。
彼女の呼吸は、深く、穏やかに波を描いている。
姿勢よく座らせているせいで、首が少しずつぐらつきはじめている。
意識がゆるみ、体の支えが抜けていく――いい兆候だ。
俺はゆっくりと椅子を引いて立ち上がり、千夏の前へ回る。
こくり、と傾いた彼女の頭が前に倒れそうになった瞬間、その額にそっと手を添えた。
温かい。
少し汗ばんだ肌に、じかに触れる。
「……そのままで大丈夫。僕がちゃんと支えるからね」
千夏の身体が、ふっとさらに力を抜いた。
俺の手に体重を預けるように、頭が自然に前へ傾いてくる。
首筋の力がすっかり抜け、上体が小さく揺れながら沈んでいく。
俺はその動きに合わせて、もう片方の手で彼女の背を軽く支えた。
「……気持ちいいね。身体がゆるんでいくこの感覚が、よくわかる……」
反応はない。けれど、まぶたの動きと口元の脱力の変化が、しっかり答えていた。
「……この感じ、すごく好きになる。
ゆっくり沈んでいくこの心地よさ、催眠にかかるって、こんなに気持ちいいんだって……
あなたの心の奥に、ゆっくり、何度も伝えていくね」
囁くように、ひとことずつ。
「催眠にかかるのは……とても気持ちいいこと。
リラックスして、全部ゆだねると、心も身体も軽くなって……
何も考えなくてよくて、ただ、気持ちよくて……とても、安心できる」
千夏の肩が、ひとつ、ゆるく上下した。
小さく、深い息をついたようだった。
そのとき、ふと視界の端で、蓮がこちらを見ているのに気づいた。
口を真一文字に閉じていて、目線だけがこちらに刺さってくる。
俺の手が千夏の体に触れているのが、気に入らないんだろう。
(……知らないよ)
内心でだけ笑って、俺は視線を戻した。
今この場で、俺の相手は千夏だけだ。
もう一度、そっと彼女の背に手を添える。
ゆっくり、手のひらで上下にさするような動作で――あくまで優しく。
「……そう、うまくできてるよ。
心の底まで、深く、深く、入っていく……
今、君の心に響いているのは、僕の声だけ。
他の音は聞こえない。何も考えなくていい。ただ、気持ちよくなっていく」
千夏の口元が、すこし緩んだ気がした。
もう、完全に沈み込んでいる。
なにこれ、変な感じ……。
最初は、ただ座らされて、冗談半分で「やってみてよ」って感じだったのに――
声が、なんか、ずっと頭の奥で響いてる。
身体、あったかくて、力が抜けていく。
眠いってわけじゃないのに……なんか、ふわふわしてて……。
(え……? なに、これ……?)
まぶたが閉じたのは、自分の意志だったかも、わからない。
でも、それがぜんぜんイヤじゃなかった。むしろ、ちょっと……安心した。
静かで、落ち着いてて、
なんか、全部どうでもよくなっていくみたいな感じ。
(なんか、すごい……気持ちいい……)
背中に、やさしく手を添えられてるのが分かる。
こすられるみたいに、ぽかぽかしてきて――
声が……すごく、よく響く。
からだのなかに、じんわりと、染み込んでくる。
「催眠にかかるのは、とても気持ちいいこと」
「リラックスして、全部ゆだねると……」
「……ただ、気持ちよくて……安心できる」
言葉が、そのまま頭に落ちていく。
(……そっか、これが……催眠……)
考えようとすると、ぼやけて、うまくまとまらない。
でも、考えなくてもいい気がしてる。
だって……気持ちいいし……なんか、安心するから。
(……なにも考えなくて、いいんだ……)
背中にあたたかい手のひらがある。
そのリズムに合わせて、呼吸がゆっくりになっていく。
(……だいじょうぶ……ここ、気持ちいい……)
ふわり、と心が浮いた。
もう、何も気にならない。誰が見てても、何されても――
わたしはただ、ここで、とけていればいい。
千夏の身体は完全にゆるみきっていた。
まるで呼吸のリズムごと、俺の言葉に合わせて沈んでいるみたいに。
声も、反応も返ってこないけど――その沈黙は、拒否じゃない。
深く深く、気持ちよく、トランスに落ちている証拠。
俺は静かに、次の暗示を入れる。
「……このまま、僕が名前を呼ぶまで、ずっと沈んでいていいよ。
今のままが一番気持ちよくて、安心できる。
だから、まわりの音も気にならない。誰の声も、届かない。
ただ、僕の声だけが……心の底に、静かに残っている」
千夏のまつげが、ひく、と小さく揺れた。
口元はゆるんだまま、微かに息を漏らすように。
(うん、いい子だ)
俺は軽く息を吐いて、振り返る。
「――蓮。もう喋っていいよ」
「よっしゃ! じゃあさ、ちょっとだけ――」
言いかけたその時。
蓮が千夏の隣に近づき、手を伸ばそうとした瞬間――
「ダメ」
俺の声に、蓮の動きが止まる。
「……は? なんで?」
「触るな。そういうの、今は無理」
「いや、でも催眠ってさ、言えば何でも――」
「違う」
俺は蓮の方を見たまま、静かに言う。
「催眠っていうのは、信頼関係の上でしか成立しない。
表面じゃ聞こえてなくても――心の奥では、ちゃんと聞いてる。
だから、彼女が本当に嫌だと思ってることは、させられないよ」
蓮は、なんとも言えない顔で黙り込んだ。
俺はそのまま、そっと千夏の方に視線を戻す。
彼女はまだ、深く、気持ちよさそうに沈んだまま。
でも――この空気は、伝わっているはずだ。
自分がどう扱われているか。
それをどう“許しているか”。
(さて、どう使わせてもらおうか)
俺は一度だけ、千夏の頬にかかった髪を指先で整えて、息を吸い直した。
千夏の身体はすっかり沈んでいた。
背中の力も抜けきって、指先ひとつ動かさず、呼吸だけが深く続いている。
俺は少しだけ前かがみになって、彼女の耳元にそっと声を落とした。
「――千夏」
まぶたが、わずかに動く。
「今から、目を覚ましたあと……僕の言葉は全部、本当になる。
何を言われても、逆らえない。そうなるって思ってしまうし、身体が勝手に従ってしまう」
耳に囁く声のリズムを、ほんの少しだけ下げる。
千夏の表情は柔らかいまま、意識の底に落ちていく。
「その感覚が、とても自然で、安心できる。
怖くもないし、無理もしていない。
ただ、言われたことが“現実”になるだけ」
そこで、声のトーンを少しだけ上げた。
「次に僕が手を叩いたら、君ははっきりと目を覚ますよ。
気分はすっきりしていて、ぼんやりしていたことも気にならなくなる。
でも、さっき言ったことは、ちゃんと心の中に残ってる」
一拍、間を置いて――
パン、と手を叩いた。
その瞬間、千夏のまぶたがふわりと持ち上がる。
焦点が少しずつ合ってきて、目の前の光景を思い出すように瞬きをした。
「おかえり」
「……あれ、え? 寝てた? あれ……なんか、変な夢……?」
千夏はまだぽやぽやしている。けれど、意識はちゃんと戻っている。
夢と現実の境目があいまいなまま、でも心地よさだけはしっかりと残っているようだ。
「どうだった? 気持ちよかった?」
「う、うん……? なんか不思議な感じ……でも、よかったかも……?」
答えながら、彼女は椅子から立ち上がろうとした。
俺はその瞬間を逃さず、口を開いた。
「……立てないよ」
声に、静かに力を込める。
いつもの柔らかなトーンではなく、低く、重たく、意志のある響き。
千夏の身体が、ピタッと止まった。
太ももに力を入れているのが分かる。
けれど、立ち上がれない。理由もわからず、困ったようにきょろきょろと視線を泳がせて――
「……え? な、なにこれ……?」
蒼真は、ただ微笑んで見ている。
その混乱すらも、すべてが彼の手の中で転がっていた。
なんか、ふわふわした夢を見てた気がする。
気がついたら椅子に座ってて、目の前には蒼真くん――だっけ、名前。
「おかえり」って言われたけど、別にどこも行ってない気がする。
ぼーっとしたまま、「気持ちよかった?」って聞かれて――なんとなく「うん」って頷いてた。
でも、そのあと。
「……立てないよ」
ぽつんと、そう言われた。
は? って思った。別に、立とうと思えば――
(えっ……?)
体が、動かない。
足に力を入れて、腰を上げようとしたのに――
うまく動かない。足が、どこにあるかわからない。
太ももに力を入れたはずなのに、膝が、びくとも動かない。
(えっ、えっ、なにこれ!? 立ち方が、わかんない!?)
頭の中にパニックが走る。
立とうとする。
でも、どうやって? どう力を入れるの?
順番が、操作が、完全に抜け落ちてる。
(ヤバい、意味わかんない! え、これなに、催眠!? うそ!?)
焦って椅子の端に手をかけるけど、腕で押しても腰がついてこない。
身体が“立つ”という動作そのものを、忘れたみたいになってる。
「えっ……や、ちょ、立てない……マジで立てないんだけど……!」
声が上ずる。笑えない。
でも、目の前の蒼真くんは、静かに見てるだけ。
そのとき、彼がふっと微笑んだ。
「指を鳴らすと、立てるようになるよ」
ぱちん。
その音がした瞬間――
(……え?)
何の苦労もなく、身体がすっと持ち上がった。
足が、勝手に立ってた。
ついさっきまであれだけ分からなかった“立ち方”が、
まるで最初から忘れてなかったみたいに、すらっと戻ってきて。
「……な、にこれ……うそ、でしょ……?」
思わず、ぽつりとそう言った。
手も足も、今はちゃんと動く。
さっきの混乱が夢だったみたいに。
でも――心の奥で、何かがぞくりとする。
(ほんとに……催眠だったの? ていうか、わたし、かかってたの?)
その答えは分からない。
けど、“かかったかどうか”よりも、“立てなかったこと”のほうが、ずっとリアルだった。
なんとか立ち上がった私の足は、ちゃんと地面に立ってるはずだった。
……なのに。
「床に触れているところが、とてもくすぐったく感じる。
靴を履いていても、関係ないよね」
蒼真くんがそう言った、その瞬間だった。
(……んっ!?)
じわじわっと、足の裏に変な感覚が走る。
ピリピリ、むずむず。
それがどんどん、広がってくる。
(や、なにこれ……くすぐった……っ!)
足の指が勝手に反応して、靴の中でぎゅっと丸まる。
足首がぶるぶる震えて、踏ん張れない。
「くすぐったくて……どうしようもなくなるよね。
地面に触れてるのが、ほんとに耐えられないくらい……くすぐったい」
また、声が来る。
その言葉だけで、感覚が倍増したみたいに、ビリビリする。
(ま、待って、やば、ほんと、これ……!)
脚が痙攣するみたいに跳ねて、ふらついた。
立っていられなくなって、慌てて後ろの椅子にドサッと腰を落とす。
「は、あっ、あっ……っ、な、なんでっ……!!」
座ったのに、足はまだ床についてる。
それだけなのに、くすぐったさは止まらない。
靴越しなのに、ビリビリと神経に触ってくるみたいな感じ。
今にも笑い出しそうなのに、全然楽しくない。
顔がこわばって、目元がジンジンしてくる。
「靴の中もくすぐったい。靴下ごしにだって、ぜんぶ、伝わってくる。
じわじわ、ずっと、やさしく、止まらないくすぐったさ……」
「っひ……っ、あっ、まって、ほんと、ほんとにやばいって……!」
もう無理だ、と思って、足を持ち上げた。
両脚をぎゅっと抱えて、椅子の上で縮こまる。
座ったまま、身体を丸める。足を床から話すように、浮かせて、守るように。
「っは、はっ……ふぅ、……ぁ……っ」
息が詰まりそう。頭の中が、ぐちゃぐちゃになってくる。
(……なんで……なんでこんなことに……)
自分でやってるのに、自分じゃ止められない。
それが……悔しいような、くすぐったいような……でも――
(なんか……ちょっと、気持ちよくて……)
心の奥の、もっと深いところが、なにかにとろけそうになっていた。
足を浮かせて、椅子の上でちぢこまるようにしていた。
くすぐったさは耐えがたくて、床に触れるのが怖い。
でも、こんな格好……正直、見られたくなさすぎる。
「っふぅ……っ……ちょ、やば……ほんとやばいって……」
じわじわと落ち着きを取り戻そうとしていたそのとき、
視界の端で、ぬっと誰かの影が動いた。
「うお、マジで効いてんの? やべー、すっげ……チカ、素でビビってんじゃん」
蓮の声だった。
冗談めいた調子で、私の前に回り込もうとしてくる。
(やだっ……やだやだっ、見られたくないっ!)
「ま、まって、来ないで、やだ、見ないでっ!」
反射的に身を乗り出して、スカートの裾を押さえようとした。
でも――
(あっ……!)
つま先が、床に触れた。
次の瞬間。
「っひゃっ……! あ゛ああっ、あっ、あああっ……!」
電流みたいな感覚が、また一気に足から駆け上がってきた。
足を持ち上げようとする。でも、焦りすぎて上手くいかない。
(ダメ、また……っ! なんでこんな……ッ!)
混乱で思考がバラバラになる。
そんなとき。
蒼真くんの落ち着いた声が、すっと空気を切るように届いた。
「指を鳴らすと、くすぐったいのは消えるよ」
ぱちん。
その音が聞こえた瞬間――
(……え?)
嘘みたいに、スッと消えた。
さっきまで地獄みたいだった足の裏が、何の違和感もなくなる。
(う、うそ……あれ? なにこれ……)
唖然としたまま、私はそっと足を下ろした。
ちゃんと地面につく。くすぐったくない。なにも起きない。
(……どういうこと……?)
混乱の中で、蒼真くんの方を振り返る。
彼は微笑みもせず、ただ静かにこちらを見ていた。
足の裏の地獄が、嘘みたいに消えた。
蒼真くんの指が鳴っただけで。たったそれだけで。
力が抜けた。
ホッとしたのと同時に、胸の奥がじんじんして、ちょっとだけ泣きそうになった。
蓮くんがどうとか、もうよく分からない。
ただ、自分の身体が、自分のものじゃないみたいで――それが、どうしようもなく不安で。
そんな中で、蒼真くんの声が落ちてきた。
「疲れてしまったよね」
その一言だけで、息がすっと吸える気がした。
「……3つ数えると、また沈んでいく。
さっきよりも深く、もっと気持ちよく、何も考えなくてよくなる。
1つ、息を吐いて……
2つ、目を閉じて……
3つ……そのまま、落ちていく」
その声を聞いていたら、抗う気持ちなんてまったく浮かばなかった。
(……あ、また……)
視界が、すぅっと暗くなる。
まぶたが重くなって、閉じるのも自然だった。
全身から力が抜けていく。
椅子に預けた背中が、やわらかく沈んでいく感じ。
思考も、感情も、空っぽになって――
ただただ、気持ちよくなっていく。
(……安心する……だれも、見てない……考えなくていい……)
自分がなにをしてるかなんて、もうどうでもよくて。
蒼真くんの声だけが、遠くて近くて、心の中に流れ込んでくる。
(……このままで……いたい……)
リラックスって、こんな感覚だったっけ。
身体のすみずみまで、温かくて、とろけていく。
さっきのパニックも、恥ずかしさも、夢の中に溶けて消えてしまった。
私はいま、ただ――気持ちいいだけだった。
身体が完全に沈んで、もう何も考えたくなかった。
ただ、気持ちよくて、あったかくて、蒼真くんの声が心地よくて。
どれくらい時間が経ったかわからない。
でも、ふと、指先に何かが触れる感覚がした。
「千夏。このスマホを、両手で持ってごらん」
言われるままに、両手を差し出す。
手のひらに、ひんやりとした物が置かれる。重さと形――スマホ。だけど、それ以上のことは考えない。
蒼真くんの声が、また落ちてくる。
「それはね、とても大切なもの。君にとって、すごく特別で、大事で、
なんだか分からないけど――好きで好きで、たまらないものなんだ」
胸の奥が、きゅっとあたたかくなる。
指先が自然と、スマホを優しく包むように握る。
「ぎゅっと持ってると、安心する。手放したくない。
誰にも渡したくないし、ずっと持っていたくなる」
(……すき……これ、すき……)
思考じゃなく、感覚として染みこんでいく。
意味も理由もない。ただ、“そう思う”ってだけ。
大好き。絶対に放したくない。
肌になじむこの重さと、あたたかさ。
胸の奥が、じんわりと満たされていく。
「それが、君のいちばん大事なもの。そう思えるよね。心から、自然に」
私はただ、小さくうなずいた。
「……じゃあ、目を覚ましていいよ。
気分はすっきりして、今のことはぜんぶ――心地よい記憶として残ってる」
蒼真くんの声が、すごく優しくて。
ふわふわと浮かんでいた私の意識が、ゆっくり、静かに地面へ降りていく。
まぶたが自然に開いて、教室の天井が見えた。
(……戻ってきた……?)
でも、頭の奥がじんわり熱くて、息を吸うと胸の奥がとろけそうな気がする。
まるで、いい夢を見てたみたいな――気持ちよさが残ってた。
(……すごかった……なんか、すごかった……)
呼吸を整えて、ぼんやりと視線を落とした。
――あれ?
手の中に、なにか持ってる。黒いスマホ。
両手でぎゅっと抱えるように持ってる。
(……これ……)
見覚えのあるケース。ロック画面に表示された、ふざけた待ち受け。
(蓮……のスマホ……!?)
脳の奥に、びしっと電気が走った。
(なんで……なんで私、こんなの……)
でも、不思議なのは――
そのスマホを、絶対に手放したくないって思ってる自分がいることだった。
(えっ、やだ……なにこれ……)
力が入る。
誰かに取られたら困るって、本気で思ってしまう。
手の中にあるこのスマホが――“私のもの”みたいな、そんな感覚が離れない。
変だよ。蓮のスマホなのに。
別に特別好きでもないのに。……なのに、なのに――
(返したく、ない……)
自分でも、どうしてそう思ってしまうのか分からない。
ただ、ぎゅっと抱えたこのスマホが、たまらなく愛おしい。
胸の奥が、くすぐったくて、苦しくて。
顔が勝手に火照っていく。
(……どうしよう、これ……)
まだ胸の奥がざわざわしてた。
スマホを両手で抱えているのが、とにかく落ち着く。
誰にも取られたくないって、心のどこかがずっと叫んでる。
けど、そのとき。
「それ、ちょっと貸してくれる?」
蒼真くんの声がした。
目の前に手が伸びてきて――スマホに触れようとする、その瞬間。
「っ……!」
思わず、身体が動いた。
腕を引っ込めて、スマホを胸に抱きしめた。
反射的に、全力で守ってしまっていた。
(……え? なにやってんの、私……?)
蒼真くんは別に怒ってない。
ただ、興味深そうに私の反応を観察しているだけ。
でも、私の中では――ヤバいくらい焦りが走ってた。
「いや、返してくれよそれ」
今度は蓮の声。
ぎくっとして、顔をそちらに向ける。
「……って、ちょ、マジで? オレのスマホなんだけど、それ……?」
手を差し出してくる蓮を見ても、私の腕は動かなかった。
渡さなきゃって分かってるのに、足がすくんだみたいに。
胸の中で、スマホを守るようにぎゅっと抱えて――
「……やだ……」
言ってしまった自分に、いちばんびっくりした。
(なにそれ……!? やば……)
顔が一気に熱くなる。
自分の口から出た「やだ」の言葉が、
まるで小さい子みたいで――でも、止められなかった。
千夏は、まるで宝物でも守るみたいにスマホを抱えていた。
がっちり両腕でホールドして、視線もそらさずに。
そのスマホ、もちろん俺のじゃない。蓮のだ。
さっき、ちょっと借りただけで、こんなに執着されるとは思わなかったけど――まあ、暗示が綺麗に効いてる証拠。
俺は軽く口元を緩めて、肩をすくめた。
「……じゃあ、今日はここまでにしとこうか」
その一言で、横からツッコミが入る。
「えっ、いやいやいやいや!? いやいやいやいやいや!? 待て待て待て!!」
慌てて前のめりになる蓮。
珍しく素で焦ってる顔がちょっと面白い。
「なに!? なんで終わり!? スマホまだ返ってきてないんだけど!? チカがバグってんだけど!? 返してって言ったよな!? 俺、言ったよな!?」
隣で一人コントみたいになってる蓮を横目に、俺は椅子の背に寄りかかる。
「だって、今のチカにとって、それすごく大事なものだから。無理やり取り上げるのはさすがに趣味悪いでしょ」
「いや俺の私物だが!? 俺のロック画面、チカにめっちゃ見られてるが!?」
たしかに、待ち受けがふざけた顔芸ショットだったのは確認済みだ。
俺が何も言わないでいると、蓮がふと黙りこみ、何かに気づいたように目を丸くした。
「……あれ? ってことはさ……」
俺の方を見て、急に食いつくように前のめりになる。
「それ、スマホを好きにさせられるなら――俺のことも、好きにさせられるってことじゃね!?」
目がキラキラしてる。完全に“すげー発見した”ってテンション。
でも。
「……面白くないよ、それ」
すぐに返した。あまりに即答すぎて、蓮が一瞬むせかえりそうになってる。
「え、なんで!? そっちのがよっぽど意味あるだろ!? 付き合えるとか、いろいろ進展し――」
「好きっていうのはね、強制されるもんじゃない。
言わせたって、それっぽく振る舞わせたって――それは“好き”って感情じゃない。
ただの形だけ。演出。ねじ込んだだけの台詞。
そんなの見たって、なにも楽しくないよ」
俺は、千夏がまだ手にしているスマホに目を落とした。
指先が微かに動いてる。少しだけ、不自然な間が空いていた。
「……それよりさ、千夏。
それ、急に気持ち悪くなってきたかも。
さっきまで好きだったけど――今は、なんだか嫌な感じ。
手に持ってるのもムズムズするし、見てるだけで気分がゾワゾワしてきた。
どうしようもなく、嫌で、たまらない」
千夏の表情が、静かに変わっていくのが分かる。
眉がぴくっと動いて、指が震えた。
その数秒後だった。
「うわっ……ちょっ……!?」
彼女の手から、スマホがぽろっとこぼれるように落ちて――
「おおっ!?」
慌てて前に出た蓮が、間一髪でキャッチした。
両手でがっちり抱きかかえるように、なんとか受け止める。
その瞬間、俺は声をかける。
「あれ見て。すごく面白いよね」
千夏の視線が自然に蓮へ向き、そのままピタッと止まった。
数秒の沈黙のあと――
「……ぷっ……ふ、ふふっ……あは、あっ、ふははっ、なにあれっ、顔、真剣すぎ……!」
噴き出した。
その反応を逃さず、さらに重ねる。
「蓮がなにをしても、ぜんぶおかしくてたまらない。
動くだけで、しゃべるだけで、息してるだけで――笑いが止まらなくなる。
声が漏れても、止められない。お腹の底から、勝手に湧いてくる」
千夏の肩が震えた。
「っは、ふふふっ……やっ、やば、まってっ……っ、ははっ、あはははっ、やばい、なにそれーっ!!」
「いや何!? 俺、何もしてないからな!? 真面目にキャッチしただけだぞ!?」
蓮の抗議もまるで届いていない。
千夏は笑いながら涙を浮かべて、息が続かずに椅子にもたれかかっている。
その様子を、俺は静かに眺めながら、足を組み直した。
(……こういうのは、やっぱりいいね)
「あれ見て。すごく面白いよね」
蒼真くんの声が落ちた瞬間、思考がふっと止まった。
反射的に、視線が蓮の方へ向く。
両手でスマホを抱えて、ど真顔で突っ立ってる姿。
そのまま、ぴたりと目が合って――
「……ぷっ……ふ、ふふっ……あは、あっ、ふははっ、なにあれっ、顔、真剣すぎ……!」
噴き出してた。
自分でも信じられないくらい、笑いが止まらなかった。
目に映るものが、なんでもおかしくて、息ができないくらい笑ってる。
「蓮がなにをしても、ぜんぶおかしくてたまらない。
動くだけで、しゃべるだけで、息してるだけで――笑いが止まらなくなる。
声が漏れても、止められない。お腹の底から、勝手に湧いてくる」
蒼真くんの声が追いかけてきた瞬間、笑いがさらに跳ねた。
お腹がよじれそうになる。息が詰まる。
肩が勝手に震えて、涙がにじんできた。
「っは、ふふふっ……やっ、やば、まってっ……っ、ははっ、あはははっ、やばい、なにそれーっ!!」
「いや何!? 俺、何もしてないからな!? 真面目にキャッチしただけだぞ!?」
蓮の声も、真顔も、ツッコミも――
すべてがもう、ツボすぎてダメだった。
(なんで、こんなことで……!? 全然笑うとこじゃないのに……!)
頭の中は困惑してるのに、笑いだけが勝手に暴れてる。
(止めたいのに、止まんないっ……!)
あたしの中で、感情だけがどんどん膨らんでいく。
笑いたくない。顔も熱い。涙も出てる。
でも――笑いが止まらない。
笑いが止まらない。
自分でも意味がわからないのに、目に入るすべてが面白い。
蓮が立ってる。
ただそれだけなのに、おかしくてたまらない。
そんな私を見ながら、蒼真くんがさらりと言った。
「蓮、なんか面白いことやって」
「はあ!? 無茶振りすぎるだろ!!」
その返しでもうダメだった。
「ぷっ……ふはっ、ふふふっ、あははははっ、なにそれっ、顔……顔ぁ……!」
もう座っていられなかった。
椅子の背にもたれていたけど、腹筋が限界を迎えて――ずるっと前に滑り落ちた。
床に尻もちをついて、そのまま背中まで倒れる。
「やっ……ふふっ、っあははは、ははっ、ムリ……ムリっ、ほんとにムリぃ……!」
息が苦しい。
お腹が痛い。
でも、笑いが止まらない。
蓮がふざけて「なにかしなきゃ」と思ったのか、
手のひらをヒラヒラさせて変なポーズを取りながら、
「じゃあこれ! “俺の彼女、笑いの沼に沈没中~♪”」
意味がわからなすぎて、もう呼吸ができなかった。
「ふぐっ、ふははははははっ!!! や、だめっ……それ、ほんと……ほんとにやばい……っ!!」
床に転がって、両手でお腹を押さえて、バタバタと足をばたつかせてしまう。
涙がこぼれる。頬が熱い。声が止まらない。
(苦しい……でも、止まんない……っ!)
もうどこが可笑しいのかも分からなかった。
ただただ、笑いが内側から勝手に溢れ出してくる。
このままじゃ、息が――ほんとにできない……!
笑いすぎて、もうわけがわからなかった。
顔もお腹も痛いし、涙も出てるし、床の冷たささえ心地よく感じて――でも、笑いは止まらない。
「ふはっ、ふひっ……っく、くふふ……ふ、ふぁ、っははっ……あっ、もう……やばい……!」
どうしようもない。どうにもならない。
でも、そのとき。
蒼真くんの声が、頭の上から落ちてきた。
「千夏、深呼吸して。
笑いは、もうおしまい。
3つ数えると、すっと落ち着いていく。笑いは流れて、呼吸が楽になって、
身体が、とても気持ちよく沈んでいく」
不思議だった。
たったそれだけなのに――
胸の奥に残ってた震えが、すっと消えていった。
「1つ、吐いて……2つ、目を閉じて……3つ、落ちていく」
まぶたが重くなる。
肩の力が抜ける。
床の感触が、まるでマットレスみたいに柔らかく思えた。
(……あ、また……沈んでく……)
だらんと手足が伸びて、もう動かそうなんて思えなかった。
重さも感じない。息が深くて、静かで、気持ちよくて。
お腹の奥がじんわり温かい。
ここが、今日いちばん深い場所。
笑ってた自分も、息苦しかったさっきも、全部遠くに置いてきたみたいだった。
……でも、耳はまだ動いていた。
遠くで誰かが話してるのが聞こえる。
――蒼真くんの声だ。
「……お前のこと、どう思ってるか聞いてみる?」
(……?)
ちょっとだけ、目が動きそうになったけど、すぐにまた沈む。
――そして、蓮の声。
「いやいやいやいや! 聞かねーし!! ムリムリムリムリ!!」
何か慌ててるみたいな声色。
それが少しおかしくて、でももう笑う気力もなかった。
(……なんか……ふたりで話してる……)
それだけで、なぜか安心して。
また、深く、静かに、沈んでいった。
夕方の空気が少しひんやりしてて、下校ラッシュの通学路はにぎやかだった。
その横で――千夏は、めっちゃ元気だった。
「やー、でもマジでさ、今日やばかったっしょ!? なにあれ、ふざけてんの!? まじで記憶ぐっちゃぐちゃなんだけど!」
笑いながら、制服の袖をばしばし叩いてくる。
さっきまでトランスに沈んでたとは思えないくらい、いつものテンションに戻ってる。
「てか、うちあんなに笑ったの初めてかも。腹筋われたかと思ったし、最後マジで床冷たくて気持ちよかったし……あっぶな〜、ほんと催眠ってチートだわ!!」
「……お、おう」
俺は相づちを打ちながらも、なんかずっとモヤモヤしてた。
千夏は、ほんとに楽しそうだった。
蒼真に何かされたっていう自覚はほとんどなさそうで、
むしろ「めちゃくちゃ面白かった!」みたいなノリで話してくる。
(……いや、いいんだけどさ……)
ちょっと複雑だった。
俺が「好きにさせてくれ」とか言ったの、完全にスルーされたし、
代わりにスマホに恋させられて、変な暗示で笑い転げる千夏を見せられて――
(俺、なんだったんだよ……)
催眠がすごいのは認める。
あの笑い方、演技じゃ絶対できない。
気持ちよかったっていうのも、本気なんだと思う。
でも、それでも。
やっぱり、あのとき千夏の視界には俺が入ってなかった気がして――
ちょっとだけ、寂しかった。
気づけば、学校の角まで来ていた。
交差点の向こう側で、千夏は自転車を止める。
「じゃーねー、また明日!」
そう言って、ハンドルを握りながら、ふと振り返った。
その顔は、夕陽の逆光でちょっと見えにくかったけど、
たぶん、笑ってた。
「……んでさ、ちゃんと好きだよ? 蓮のこと」
軽い声だった。
ギャルの、ふだんどおりの、何気ない口調。
でも。
「……は?」
不意打ちだった。
足が止まって、反応が一瞬遅れた。
千夏はもう、自転車をキコキコこぎながら、向こうへ走っていった。
背中だけが見える。
(……な、なんだよ、マジで……)
心のモヤモヤが、少しだけ薄れていった。
風が吹いて、制服の裾がふわっと揺れる。
催眠はすごい。確かにそう。
でも――言葉の一発で、こんなに効くなんて。
(……チカ、ずりぃよ……)
俺は、思わずひとりで笑ってしまった。
あー導入深化はいいなぁ……
かなりショー催眠なものもやっぱり満足度高いのでぅ。
流石に9話全部ひまりちゃんのスカートからっていうのはなかったか
リアクション9個とかなかなか厳しいでぅし。
つまり蒼真くんがおもしろおかしく催眠をする話ってことでぅね。
そう、誘導なんですよ。
AIくん催眠の知識がちゃんとあるから、それなりの誘導書いてくるんですけど……。
「緩急」とか「相手の状態」とかの意識足りないのでそのへんを必死に補って指示書いてます。