第4話
生徒会室に我が物顔で陣取って、黒板脇にあるホワイトボードに可児田樹がリストを書き連ねる。ずいぶんと色々な暗示、トリガーを7人いる生徒会メンバーに刷り込んできた。1人から3人を操る時と、全員一度に操る時では混乱の度合いも違ってくるだろうから、慌てないで済むよう、整理が必要なのだ。可児田樹には一人きりであれこれ妄想する時間だけは、捨てるほどあった。今はそのことに感謝すらしている。
生徒会長の高倉沙耶:
『愛しの沙耶』という言葉を僕が言うのを聞くと、僕、可児田樹を熱烈に愛する恋人であることを思い出す。僕への愛を表現するためなら、いつどこで、どんな状況であっても全てを投げ出してみせる。恋人モードでいる間は、常に幸せな気持ちに満たされている。恋人モードでない間も、深層心理では僕への愛にどっぷりとはまっている。僕から愛情表現やスキンシップを求められると、表層意識でそれを断ろうとしても必ず3倍にしてそれを返してしまう。
(うーん。生徒会の・・・いや、学校のシンボル的な存在だから、さらにパンチの利いた、僕の完全な支配下にあることを本人やみんなに思い知らせるような暗示を追加してもいいかな? 深層心理での僕への愛が、じっくりと表層意識を染め上げるのを待つためにも、恋人モードは滅多に使わない計画なんだけど。うまくいくかな?)
副会長の佐倉陸、庶務の小峰駿斗、広報部長の湯川倫太郎:
深層意識で僕、可児田樹の支配下にある自分を認識しているので、普段から無意識のうちに、僕にとって不利になること、僕を困らせることは避けて行動する。僕が「提案」と声に出して言ったことは、とても良いアイディアに聞こえて絶対賛成、即実行する。
(男は・・・こんな程度でいいかな? ・・あ、優奈ちゃんは小峰君のことが好きなんだよな。栞も湯川にまだ想いが残ってるって白状してたし・・・。このへんは、カップルにしたりシャッフルしたりして遊んでみるのも面白いかも・・・。特に小峰君とか真面目そうだし・・・。陸は・・・。沙耶と付き合ってるっていう噂がデマだったから、手心加えてあげてもいいけど、女子大生とお付き合いしてたっていうのが、やっぱり生意気だな・・・。何か思いついたら、刷り込んでやろう。)
書記の清橋優奈:
『レディーの嗜み』って僕が言うのを聞くと、何でも受け入れるようになる。言われた通りに出来ると女性として誇らしい。僕につくすことが、小峰君と付き合うための近道だと思い込む。
(優奈ちゃんは素直な性格が可愛いな。お嬢様育ちの彼女がどんどんエッチになっていくのは、調教してるみたいで面白い。そろそろ小峰君とくっつけてあげてもいいかな?)
会計の鶴見栞:
『学術的興味』と僕に言われると、薦められた行動を終えるまで好奇心がどんどん強まって、道徳心や自制心を上回ってしまう。おかしなことはそれとして理解出来ても、我慢できなくなって行動する。
(栞は頭がいいから、暗示への反応がビビッドで面白いんだよな。・・・すました優等生の彼女をゴリラやダッチワイフに変身させるのがずいぶん笑えたから、もっと笑える暗示を増やしてみようかな?)
選挙管理委員長の芹沢澪:
『チームワーク』と僕に言われると、どんなことでも我慢して実行する。チームメイトの可児田樹は司令塔の役割だから、彼のコーチングに従うのが澪の使命だと思い込む。
(澪はDカップって言ってたっけ? 一番巨乳だし、モデルみたいにスタイルいいよね。その体を駆使してエッチなことをしてもらうだけでも十分楽しませてもらってきたけど、もうちょっとトリッキーな遊び方も考えてみてもいいかな?)
生徒会メンバー全員:
可児田樹を「ほっとけない」気持ちを持っている。僕から招集があれば他の予定をやり繰りして生徒会に集合するし、僕から発表があれば、それが終わるまできちんと見届ける。僕との秘密は生徒会メンバー以外には漏らさない。
(うん・・・。これだけ念を入れてみんなを支配下に置いたんだ。そろそろ、秘かな遊びを個別にするんじゃなくて、生徒会全員に僕の出来ることをオープンにしちゃってもいいかな?)
生徒会のメンバーでもないのに、生徒会室で一人、ほくそ笑む可児田樹。学校内で有名人というよりも、神格化されるほどの美男美女、スーパーエリートたちをこの部屋で自在に弄ぶ。最高の遊び場と玩具を手に入れた樹は、昂揚感で胸を膨らませながら、妄想を練った。そしてその日の放課後、その妄想はすぐに現実となるのだった。
。。。
終業のチャイムが鳴ると同時に、佐倉陸は教科書や荷物を鞄に入れて、席を立つ。
「おう、佐倉。今日はなんか用事あんの?」
「ん。生徒会。」
「リッキー、行っちゃうの?」
「生徒会。またね。」
「陸様と今日2回も擦れ違っちゃったー。」
教室ではクラスメイトに声をかけられ、廊下で擦れ違うと女生徒たちがコソコソ噂話。佐倉陸にとっては若干煩わしい気もする扱いだが、生徒会3年目ともなると、もう慣れてしまった。騒がれるだけなら、中等部1年生の頃から上級生たちに熱い視線を送られてきている。同級生、クラスメイトたちも、彼のことをやたらともてはやす。彼らはきっとそれぞれが、佐倉陸本人よりもずっと特別な、スーパーマンの幻想を佐倉に見て心酔しているのだろう。やれやれ。
そう思うとしかし、根は善人である陸は、ついつい彼らの幻想を壊さないように振る舞ってしまう。そうした演技をしないで済むのは、似た境遇にある生徒会メンバーと一緒にいる時だけだった。部活に集中すれば全国大会だっていけそうだし、勉強に集中すれば有名大学もきっと受かる。それでも運動、勉強もそこそこにこなして、生徒会活動なんかに精を出してしまうのは、生徒会メンバーと一緒にいる時が一番楽で、素の自分でいられるからだ。
きっと他のメンバーもそうだろう。
生徒会室のドアを開けると、会長、書記、会計に庶務がもう着席していた。いつもはバレー部に専念している選挙管理委員長の澪までいる。そして懸念の問題児、元・引きこもりの可児田君が会長席の隣に座っていた。
(やれやれ・・・会長の隣は、副会長である僕の席って・・・わざわざ言うのも大人げないしな。)
サラサラした髪をかきあげながら、陸が、扉に一番近い、空いた席に腰かけた。あとからドタドタと廊下を走る音が聞こえる。
「ごめーん。途中で3年のお姉様たちに捕まっちゃった。・・・モテる男はつらいよ。」
いつもの軽いノリで、広報部長の倫太郎が現れる。
「あんたよりモテる陸が、一足先に来てるんだけど。」
シレッとした顔で、鶴見栞がツッコんだ。栞はいつも、倫太郎への当たりが若干厳しい。
(月例総会でもないのに、選管、広報も揃って、全員集合か。みんな忙しい中、ご苦労様だよね。・・・議題はやっぱり、・・・可児田君のことかな? 最近、会長、ホントご執心だよね。)
頬杖をつきながら、陸が生徒会長の沙耶を見る。陸が座るべき副会長の席に可児田樹を座らせて、その椅子にくっつけるくらい自分の椅子を近づけて座っている沙耶。陸が何気なく視線を飛ばすと、栞が頷くように目線を返した。栞は気がついている。高倉会長の引きこもり生徒復帰プロジェクト。若干、度が過ぎるほどに沙耶が樹に肩入れしているように見える。
(母性本能が暴走して、違う感情にまで発展しちゃったりして・・・。沙耶ちゃん、何気に恋愛経験、乏しいしね・・・。)
陸の言いたいことを察している様子で、栞がキツイ視線を返してくる。そこまで立ち入って心配する必要はないとでも言いたげだ。栞はやはり頭脳明晰。だが固い。みんなのリーダー、高倉沙耶を心配することまではしても、茶化すことはご法度とのことだろう。
陸が今の無言のやり取りを、他に誰か気がついているかと周囲を見回す。澪は窓の外、運動場しか見ていない。駿斗は目を閉じて腕組みをしている。もしかしたらこいつは全部理解しているかもしれない。優奈ちゃんは、何も察知せずに、ただニコニコしている。この子はこれで良し。こうでないと優奈ちゃんじゃない。倫太郎は、わかってトボケているのか、ぶつぶつ栞に小声で反論している。肝心の沙耶ちゃんは、議題の紙を見ている。
・・・あ、可児田樹君が、チラッとこちらを見た。・・・まだ付き合い浅いのに、意外と彼が、僕らのアイコンタクトの中身をわかっていたりして・・・。
(彼、・・・こういっちゃなんだけど、・・・気味が悪いよね。)
陸の自問自答は、沙耶が口を開いたことで途切れた。
「はい、栞ちゃんと湯川君も喧嘩しないで。今日、忙しいみんなにわざわざ集まってもらったのは、これまで色々とお話をしてくれてきた可児田君が、実は凄い特技を持っているってわかったの。この特技をきっかけに、きっとクラスのみんなから尊敬を集めて、ぐっと打ち解けることが出来るんじゃないかって思うの。そうしたら、学校生活も、もっともっと楽しくなる。」
「わざわざ毎日、放課後に生徒会室に入り浸る必要も無くなるってことかな?」
陸は、あえてキツめのボールを投げかける。可児田の反応を見てみたい。一月前の可児田君は、もっとオドオドとしていて、自信なさそうに視線を逸らしていた。それが、どうだろう。今の可児田は真っ直ぐ陸を見返してくる。・・・まっすぐというか、どことなく、上から見下ろしてくるような視線。・・・あまり佐倉陸が経験したことのないタイプの目線だ。
何か、可児田君は隠し持っている。その尻尾を掴みたい。
「陸君、そんなこと言わなくたって・・・。樹君は私たちのお友達でしょ? いつ生徒会室に来たっていいと思うの。」
優奈ちゃんが慌てて間に入る。みんな仲良し、平和に楽しくやりたいのは優奈お嬢様のいつもの性格。それでも、彼女が可児田を「樹君」と呼ぶようになったのはいつからだろう?
「う、うん。さ、さ、佐倉君の言うように、ここは、せ、生徒会のための部屋だから、ぼ、ぼ、僕が普通の学校生活が、お、送れるようになったら、い、い、入り浸る必要はないと思う。・・・だ、だから、今日は、ぼ、僕の特技を、み、み、みんなに評価してもらいたいんだ。が、学校のみんなに、そ、尊敬してもらえるほどの、ものだったら、ぼ、僕も自信が持てるから。き、今日はぼ、僕の特技の発表会をさ、最後まで見てもらうことを、て、『提案したい』んだ。」
何か言い返そうと思った陸だったが、反論も異論も質問も、特に思い浮かばなかった。可児田君の特技の発表会・・・。向こうからわざわざ何かを披露してれるのなら、秘密を探る手間も、はぶけるかもしれない。素晴らしいアイディアに思えた。陸がみんなを見回すと、全員が頷いている。窓の外を見ていたはずの澪まで、身を乗り出して話を聞いていた。
「いいじゃん。そうしよう。」
陸が思わず最初に口を開く。
「異議なし。」
駿斗もボソっと喋る。
「さんせーい」
優奈ちゃんはわざわざ右手をピンっと挙手してまで賛意を示していた。
全員が頷いている。今日の放課後はみんなのスケジュールをすっ飛ばして、可児田樹君の発表会に付き合うことに全会一致で決定した。
「で・・・、そ、その、・・・特技っていうのが・・・、ちょっと変に聞こえるかもしれないけど・・・・さ、催眠術なんだ。」
「・・・・。」
普段はわりとポーカーフェイスを崩さない小峰駿斗まで、渋い表情になっている。栞の目は冷ややか。澪はあっさりストレートな感想を口にしてしまった。
「は? ・・・超いかがわしいんだけど。アンタ・・・大丈夫?」
「ま・・、まあ。みんなでちゃんと最後まで見てから、感想をいいましょうよ。ね? ね?」
若干固まった笑顔で、沙耶が取り繕う。会長がそこまで言うなら仕方がない。全員で、机と椅子を可児田の提案通りに並べなおした。樹の「提案」するレイアウトは確かに催眠術発表会という趣旨にはぴったりのレイアウトに思われる。全員納得しながら配置換え。黒板を背に、4つ椅子が並べられて、真ん中に「被験者」になることを同意した沙耶と優奈が座る。観客として澪、栞、倫太郎、駿斗、そして少し距離を置いた位置に陸が座った。
「エンターテイメントは全体が見渡せた方がフェアな評価が出来るからね」
陸が理屈を説明すると、樹がニヤリと微笑む。やはりこの余裕っぷりが気になってしまう。「被験者」という立場にいながら、平和そうに椅子に腰かけて両手を太腿の上で重ねている美少女2人のことが心配になる。
「ど、どうせ見てもらうんだから、お、お客さんには温かい雰囲気で見守ってもらえると嬉しいんだけど。みんなに、ショーを楽しんでもらうことを提案したいんだけど、い、い、いいかな?」
観客役の全員が素の表情で頷く。確かに、初めから懐疑的な目で見ていたのでは、上手くいかないかもしれない。陸もシブシブ椅子を前にずらす。樹がお辞儀をすると、陸たちは素直に拍手を送っていた。
。。。
樹が沙耶と優奈に呼びかけて、「導入パート」というアクトを見せる。両手を顔の前で組ませて、人差し指同士の間に距離を2センチほど開かせる。
「ほ、ほら、ゆ、指を離したままでいようとしても、どんどん、どんどん近づいていくよ。すぐにくっついてしまいます。ほらほら、もうすぐくっつく・・・。」
樹がいつもよりも低い声で話しかけると、なかなか堂に入った催眠術師のように見える。沙耶の人差し指同士が、少しずつ距離を縮めていく。優奈は真剣に見入りすぎて、両目まで寄り目になってしまっている。
(これって・・・、指が疲れて、自然に閉じようとしている力を利用しているんじゃないの? 半分は暗示の力かもしれないけど・・・、半分はトリックじゃね?)
陸には思うところがあったが、あえて口にはしない。仕方がない。しばらくは良いお客さんとしてあったかい雰囲気で見守ってやるか・・・。
沙耶と優奈。2人の人差し指同士がぴったりと指の腹をくっつけた時、樹が、意外なほど大きな声を出した。
「はいっ、貴方たちの手はがっちりくっついて離れない! 強力な糊で固められて、ガッチガチにくっついてしまいました。」
2人の、顔の前で組んだ手を、手首のあたりで掴んで、ギュッと握っていく樹。当たり前のように沙耶に触れた樹。非難する声は客席からは上がらなかった。
「・・・え? ・・・本当だ。」
「なん・・・で? ・・・・取れない。・・・・どうしよう。」
沙耶と優奈が、固まってしまった自分の手を見ながら困惑している。照れ笑いを浮かべる沙耶。真剣に困った表情を隠さない優奈。2人とも忍者が印を結ぶようなポーズで、両手を硬直させている。本当に催眠術にかかってしまったのか、あっさりしすぎていて倫太郎が訝しんだ。
「優奈ちゃん、本当? 沙耶ちゃんも、さっきから可児田君、応援するために、ちょっと演技入れてない?」
優奈が目を丸くしたまま、湯川を見て首を横に振る。沙耶も照れ笑いが消えて、真剣な目つきで答える。
「これ・・・本当なの・・・。湯川君も、栞も、・・・みんな信じて。・・ほんっとうに、手が離れないの。」
「はい・・・、僕が両手に触れると、力がすっと抜けて、手を離すことが出来ますよ。ほらっ。ほらっ。」
樹が2人の手首に触れて、ほぐすように組まれた手をずらすと、2人の両手があっさりと自由になる。
(手がくっつくっていう暗示をいきなり成功させたのは凄いけど、これは沙耶ちゃんや優奈ちゃんの真面目な性格から来る、相性の良さもあるかもな。俺や栞、ひねくれ者の倫太郎なんかでは、こうはいかないかも。それにしても、手を自由にさせるのを、いちいち披露してみせるあたりが、何だか手が込んでる感じだな。・・・まるで、君たちは僕の言葉通りに動くんだって、一回一回丁寧に覚えこませてるみたいだ。)
冷静に見つめる陸の視線と違って、当事者である沙耶と優奈は、素直に手が離れたことを安堵していた。
「良かった~。もう一生、手が離れなかったら、ご飯食べられないって思った。」
ベソをかくような表情で、優奈が安心しきった声を出す。そんな優奈の膝を、樹がチョンっと触った。
「でも、残念。今度は2人の足が床にガッチリくっついちゃったよ。足を床から離そうとしても、絶対離れない。根が生えて抜けなくなっちゃった。床と一体化しちゃったみたい。ほら、試してごらん。無理でしょ? 優奈さん、試してみて。沙耶さんも。ほら。」
沙耶と優奈が足を震わせる。両手で片方の足首を掴んで引っ張り上げようとするけれど、足はビクともしなかった。
(可児田君、さっきから、ちょこちょこと2人に触るよね・・・。催眠術っていうお題目が非日常的すぎるせいで、下の名前で呼び始めたり、体に触れたりしていることが、みんなの警戒心にひっかかってないんだよな・・。何か嫌だな、この感じ。)
「ほら・・・、僕が触れると、足が離れるよ・・・。楽~に力が抜けて、すっと離れる。ほらね。・・・でも今度は椅子に背中とお尻がピッタリくっついちゃって、離れない。ほら、沙耶ちゃんのお尻が椅子から1ミリも離せない。優奈ちゃんの背中が椅子と一体化しちゃった。椅子人間だ。」
「やだ~。離れない・・。」
「これ・・・ホント・・・くっついちゃってる。」
優奈と沙耶が口々に驚きの声を上げる。いつもの樹の、ダラダラとした自分語りからすると意外なほど、テンポ良く次々と暗示を入れていくので、2人には息つく暇もない。樹の言葉からドモリが聞こえなくなっていることにも、気づいているメンバーはいないようだった。
(今・・・、さらっと『沙耶ちゃんのお尻』って言ったな・・・。失礼じゃないか)
気になっていたのは陸だけだろうか? 澪と駿斗、倫太郎は素直に優奈や沙耶の狼狽える姿に驚いていた。栞は、少しだけ沙耶たちが演技しているのではないかと、疑っている様子だった。陸が口を挟む間もなく、樹が次の暗示に移る。
「はい、僕が両手を叩くと、2人の背中とお尻は自由になるよ。ほら、パチンッ。ね、楽~になったでしょ? 力が入りすぎて、疲れちゃったかな? 自分の体をリラックスさせてください。疲れた体を引っ張り上げてくれる、風船をくくりつけてあげましょうか。ほら、右手に赤い風船が結ばれたよ。力を抜くと、右手がスーーゥウっと上がっていく。面白いでしょ? 手が勝手に上がる。左手にも青い風船を結びましょうか? こっちもフワーーーァアっとどんどん上がる。風船の浮き上がる力がどんどん強くなって、もう手を下すことが出来なくなりましたよ。」
両手をバンザイのかたちに上げた沙耶が、顔を赤くしながら栞に対して、声を出さずに口を動かす。(本当だってば)と言っているような口の動きだった。隣の優奈は、バンザイしたまま、すでに椅子から立ち上がって、爪先立ちにまでなっている。
「僕の手を見てください。ほら、風船がしぼんでいくと、貴方たちの両手も降りていきますよ~。あれ、また膨らんじゃう。どんどん上に」
樹が両手で球状の物体を表現しながら、小さくなったり、急に大きくなったりと仕草で見せる。向かい合う沙耶と優奈はそれに合わせて両手を何度も上下させて、立ったり座ったり。両腕を浮かせたまま背中を反らして大きく伸びをすると、制服のシャツの裾がスカートからわずかにはみ出した。お腹の肌がチラリと見えたような気がする。
「風船が風に吹かれて右に入っちゃいま~す。今度は左~。あれ、客席を突き抜けて前へ~。あれ、つむじ風だ。クルクル回りながらここまで戻ってきますよ~。」
「わ~。止めて~。」
「ち、・・・ちょっとごめん。・・・通るね。」
樹が両手を右に仰いだり左に仰いだりすると、沙耶と優奈の体が右へ左へと大きくなびいて2メートルもトコトコと歩く。2人とも、風船に限界まで引っ張り上げられているところを想像しているのか、爪先立ちでぎこちなく歩いた。風が前に吹いていると言われると、倫太郎や澪の間、呆然と見上げる栞と陸の間を、優奈と沙耶がバンザイポーズのままトコトコ通り抜けていく。陸は慌てて椅子をずらして道を開けてやった。教室の後ろまで入った沙耶と優奈が、今度はクルクルと体をターンさせながら戻ってくる。
「2人とも席に戻って~。風船がぐ~っと小さくなってきたよ。ほら、椅子に座ることも出来ます。ちょっと休もうか。疲れたねぇ。体がぐったりと椅子に沈み込む。いい気持ちだ。」
まだ僅かに両手を浮かせながら、2人が椅子に腰を下ろす。座るというより身を預けるようにドサッと着席した。両手はまだまるで古典的な幽霊のポーズのようにフワフワと前に浮かせている。
「でも、もう一つだけ、小さな風船がやってきたよ。紐が2人の体の一部に引っかかっちゃう。2人のお鼻。お鼻の穴に引っかかっちゃった。この風船がちょっとだけ大きくなる。お鼻が引っ張られるよ~。」
「うっ・・・やだっ・・・。ちょっと。」
「取って~。誰か・・・。」
沙耶と優奈が、両手を左右に浮かせたまま、鼻をぐっと上向かせる。整った美形が歪む。小さく可愛らしい鼻の穴をむき出しながら、顔が天井を向いて上がっていく。沙耶の顔がポッと赤らむ。優奈は鼻を上げすぎて、唇から前歯が剥き出してしまうほどだった。
「あっ。珍しい。2人の変顔だ。これは滅多に見られないぞ。」
倫太郎が余計なことを言うと、沙耶が余計に顔を赤らめる。陸が舌打ちして樹に注意しようとしたが、その前に栞が立ち上がっていた。
「ちょっと可児田君、2人が可哀想でしょ。やりすぎなんじゃないかしら。」
立ち上がった栞の横にスッと近づいた樹。栞の耳元で何か囁くと、話の途中だった栞の目つきが変わった。しばらく逡巡しているようだった栞が、なぜか大人しく席に着く。
「まっ・・・。もうちょっと様子を見ましょうか。」
陸が驚いて栞の顔を覗き込む。樹が満足気に陸たちに背を向けると、中断しかけた催眠術ショーが再開する。それを見つめる栞の表情。陸には思い当たる節がある。古本屋でレアな装丁本を掘り出した時の栞の表情。あるいは、参考書が示す問題の解き方と異なる、オリジナルな解き方を見つけた時の栞の目。そんな、知的好奇心が溢れてきている時の、熱い表情で、栞は再開されたショーに見入るのだった。
「はい2人とも風船の紐が切れて、自由になれましたよ。椅子に座って。疲れたでしょ。目を閉じてリラックスしましょうか。立ったり座ったり、風船に翻弄されて本当に疲れましたね。深~く椅子に沈み込んで、何も考えずに気持ちいい眠りに身を預けましょう。今度目を開けると、沙耶ちゃんと優奈ちゃんの手には、とっても美味しそうなソフトクリームがあります。疲れた体を甘味が癒してくれる。最高に新鮮で濃厚な、出来たてのソフトクリームですよ。ほら、目を開けて。」
優奈の顔がパアッと明るくなる。まるで餌を前にした子犬のようだ。たぶん尻尾があったらブンブン振っているだろう。お嬢様の清橋優奈は今日も屈託なく生きている。隣の沙耶は、少し嬉しそうだが、真剣な眼差しで、手に握っている「ソフトクリームがあるらしい空間」を色んな角度から見つめている。カロリーでも推し測っているのだろうか?
「では牧場自慢のソフトクリーム、遠慮なく召し上がれ。今日は大サービスで特大サイズだよ。」
沙耶が慌てて両手で持つ。優奈は満面の笑顔で食べ始める。2人ともピンクの舌を伸ばして、何もない空間を舐め始めた。甘味が口全体に染みわたるといったウットリとした表情になって、舌をペロペロと動かし始めた。蕩けそうな表情を見せて、チロチロ、ペロペロと舌を動かす美少女たち、陸は不意に、ムズ痒いような気持ちになりつつある自分に気がついて、必死にその不謹慎な感情を抑える。
「今日は暑い日です。だからこそソフトクリームの美味しさが倍増するんですが、それにしても暑い。早く食べきらないと、ソフトクリームがどんどん溶けていってしまいます。急いで急いで。」
樹の言葉に煽られて、沙耶と優奈が懸命に舌を動かす。ピチャピチャと口が音を出している。両手で持ったソフトクリームらしき空間を回転させる仕草をしながら、さっきよりも大きく舌を伸ばして、素早く上下させる。
「ああ、もう間に合わない。どんどん溶けちゃう。誰も見ていないから、もっと急いで食べましょう。今までの4倍速。ほら、1、2、3、4.」
沙耶がまわりをキョロキョロ見まわした後で、顔をブンブンと上下させながら舌を激しく動かし始める。優奈は両目をギュッとつむりながらベロを出したまま、顔を左右に振って舐めまわす。2人の女子高生からは遠慮も羞恥心も無くなってしまったような素振りだった。
「ああっ・・・どんどん溶けていっちゃう。舐めても舐めてもなかなか減らない。どうして特大サイズなんかもらっちゃったんでしょうね。まだコーンの半分くらいソフトが残ってるのに、手の甲にベト~っと垂れちゃいました。放っておくと痒くなっちゃいます。舐めちゃいましょう。」
沙耶と優奈が困った顔をしながら、自分の手の甲をペロッと舐める。
「あれ? 知らないうちに、肩にも垂れちゃってます。両手が塞がってるから、肩も直接舐めちゃいましょうか。」
顔を横に大きく傾けて、限界まで伸ばした舌を、シャツの肩に這わせる2人。
「あぁっ肩からタラーっと脇の下までソフトクリームが垂れちゃいました。急いで舐めてっ。」
両手を上に上げて、脇をペロリと舐める高倉沙耶と清橋優奈。恥じらいある少女が見せる姿ではない。倫太郎と駿斗が息を呑んでいた。陸も思わずゾクッとする。
「ほら、あごにも頬っぺたにも、お鼻の舌にもクリームが、早く舐めとらないと、痒くなっちゃいますよ。」
優奈が足をドタバタさせながら、舌を伸ばして自分の頬や顎を舐めようとする。沙耶も苦しそうに舌を伸ばしながら、出来る範囲で自分の顔をベロベロと舐めていた。
「おいっ。これっ」
陸が隣に座る栞に呼びかける。いつもだったら、散漫になりそうな会議など、冷静に指摘してみんなを引き締める、秀才の栞が、今日は目を爛々とさせて、度を超えたショーに見入っていた。
「シィッ。沙耶や優奈がいつも当たり前にするようなことばっかりさせてたんじゃ、可児田君の催眠術の腕前なんて評価出来ないでしょ? 2人が絶対しないようなことを見せてくれないと、真偽からしてわからないじゃない。」
栞がシレッと言い放つ。それでも彼女の表情からは、フェアな評価なんてもの以上の情熱がたぎっているように見えた。
「おいおい、もう十分じゃない? 面白いっていうより、これ、ちょっとエロだぞ?」
陸が栞に期待していた救いの一声が、ついに芹沢澪から発せられた。
陸がホッとする。架空のソフトクリーム舐めに没頭して舌を動かしまくっている美少女2人の姿は、確かにエッチな光景なのだが、親友たちを前にして、男の口からこれがエロいと指摘するのは躊躇われた。さすが男前の姉御。芹沢澪が一声かければ、みんなも納得してこの発表会をお開きに出来るだろう。可哀想な沙耶と優奈も、舌が疲れたくらいのことで、これ以上、恥をかかないで済む。
「ちゃんとみんなで見守るのが『チームワーク』だと思うんだけど、芹沢さんもいい子にしててくれない?」
樹の声がかかると、気の強い澪の表情が途端に曇る。あまり見たことのない、自分に自信のなさそうな、オロオロした澪。周りを見回しながらゆっくりと腰を下ろしてしまった。
「ん・・・・うん・・・。いい子に・・してる・・・けど・・さ。」
椅子にきちんと腰かけて、澪は両手を太腿の上に置いて、まるで集合写真でも撮るかのように、姿勢を正した。脇見も私語もしゃべらない。真面目な顔でショーに見入ってしまう。陸の期待は、儚くも裏切られてしまった。
「みんな、さっき提案した通り、ショーの最後までは、温かく見守ってよ。いいお客さんでいて欲しいんだけど。」
「おっ、おうっ。いいぞっ。可児田。」
駿斗が同意してしまう。
「沙耶ちゃん、優奈ちゃん。色っぽいよ。」
倫太郎が余計な言葉をかける。陸も歯噛みするような思いを押さえつけて、拍手を送った。樹はニヤリと笑うと、また客席に背を向けた。
「はい、2人とも休んでいいですよ~。眠ってください。ソフトクリームは食べきることが出来ました。大満足です。とっても新鮮なソフトクリームでしたね~。」
やっとホッとした表情で沙耶が両目を閉じる。椅子にくつろいで身を預けた。優奈は満足げに自分のお腹を撫でまわしている。幸せな夢でも見ているような表情だった。
「最高に新鮮なソフトクリームは、牧場の前だから、出来立てが販売出来るんですね。ここの牧場では、牛さんだけではありません。元気なニワトリさんも飼っているんですよ。・・・そう、目を覚ますと、貴方たちは牧場でスクスク育った、元気いっぱいのニワトリさんになっています。3、2、1、はい起きて。ニワトリさんですよっ。」
樹が数を数えて両手を叩くと、沙耶と優奈が目を開く。沙耶が右を見て、左を見て、そのまま顔を前に2回ほど小刻みに突き出した。
「クックッ・・・・コッ・・・コケッ・・」
唖然とする陸たちの前で、椅子から起き上がった沙耶が両手をバサバサと上下させながら、首を突き出して歩きはじめる。完全にニワトリになりきっている。自分が生徒会長であることも、美しい女子高生であることも・・・、いや、人間であることも忘れきったような、ニワトリへの、なりきりっぷりであった。
「コケコッコーッ!」
椅子に上がって時を告げたのは清橋優奈。リアルなニワトリを演じている沙耶とは、いくぶん想像力のレベルが違うようで、はっきりとコケコッコーと発音していた。ピョンッと椅子から飛び降りて、当たりをピョコピョコと動き回るのだが、その仕草がまるで、子供向けアニメのニワトリのようだ。ずいぶんとメルヘンチックな想像をしているようだった。
「クケーッ・・・コッコッコッココッ」
「コケコッコーッ。コケッコ」
二羽のニワトリが生徒会室を駆け回る。2人は完全に樹の催眠術にかかっているということがわかる。陸は背筋が寒くなる思いだった。少し天然ボケが入っているが、おしとやかで柔和な優奈。容姿も性格も群を抜いて美しい、学園の天使、沙耶。この2人が、落ちこぼれの可児田樹の言葉に自在に操られている。言葉一つでニワトリになりきってしまう彼女たちは、可児田が何か、本格的に良からぬことを企んだりしたら、一体どこまで従ってしまうのだろうか?
「二羽はとっても健康な雌鶏さんですよ。今から卵を産む時間です。とっても元気な卵を産みましょう。ほら、頑張って~。ポンッ」
「コーォォォ・・・・コケッ」
「コケコッコー!」
その場にしゃがみ込んだ2人は、樹の言う通りに、卵を産み始める。足を肩幅よりも少し狭いほどの距離に置いて力を入れる。お尻を僅かに、捻じ込むように左右にずらして、卵が産み落とされた音を聞くと、嬉しそうに雄叫びを上げる。
「はい、今度はもっと大きな卵が出てきますよ。しっかり気張って、力んで出しましょう。う~んっ。う~んっ」
眉をひそめて、頬を膨らまして下腹部に力を入れる高倉沙耶。清橋優奈は両手で拳を作って気張る。2人とも顔が真っ赤になるまで力を込める。
足を開いてしゃがみ込んで、こめかみに血管が浮き出るほどに気張っている彼女たちは、人間だとすると、まるで別の生理現象でいきんでいるような姿に見えてしまう。若い少女として、いや人として、絶対に人前で見せるような恰好ではない。それでも自分たちが人間だったことなどすっかり忘れ、雌鶏になりきっている2人には、そんな恰好も全く気にならない様子だった。
「ズボンッ・・・おっきな卵が出ましたよ~。」
「オ゛ッオ゛オ゛~ォォォォオオ!」
「コケコッコーッ!」
沙耶が胸を反らせて、顔を真上に上げて叫ぶ。優奈も負けじと声を上げるが、リアルなニワトリのように喉を鳴らしている沙耶に、迫力では負けていた。
「ほら、このままの勢いで、もう一個産み落としましょう。今度は長~くて、ちょとデコボコのある、なんだかゴーヤみたいな形の卵です。でももう顔まで出てます。頑張って産んでください。」
「ック・・・オ・・・・オッ・・・・・ウウウウウウッ」
「コケッ・・・コケケッ・・・・・」
血管が切れそうなくらい力を入れて、沙耶と優奈が唸りながらいきむ。時々、「デコボコ」の部分が通っていくのか、2人の目が見開かれたり、口がパクパク開いたりと表情が変化する。優奈はお尻をゆっくりと左右に振りながら、勢いをつけてゴーヤのような卵を捻り出そうとする。沙耶は両肘も床について、うつ伏せでお尻を高く突き上げて息んでいた。
「・・・か・・・会長、頑張れっ」
駿斗が思わず声をかける。熱血体育会系の小峰駿斗は、目の前で必死に何か頑張っている人を見ると応援せざるを得ないのだ。
「優奈ちゃんも、もう少し。頑張って。」
「もう、半分出てるっ。あと少しだよ。」
客席から、口々に応援の声が上がる。
(な・・・何が、どこから半分出てるっていうんだよ。)
陸は顔を赤くしてしまうが、仕方なく応援の声に加わった。
「ふ、2人とも、とにかく頑張って。あと少しだ。」
早く解放してあげたい一心で、応援する。
「皆さんも雌鶏さんたちを応援してあげてください。卵が、大きなゴーヤサイズの卵が、もうすぐ全部出ますよ、でもその前のデコボコが引っかかって、・・・もうちょっと!」
「くぅぅううううううううっ・・・うぁあああああっ」
「こ・・・・・・・けこっこ・・・・・けこっ」
いつの間にか汗でぐっしょりになりながら、沙耶と優奈が限界まで踏ん張る。弓なりになった背中が震えている。腰までシャツの裾はめくれ上がってしまっていた。プリーツスカートのしたで、お尻が小刻みに痙攣しながらグニョグニョとうねっている。
「頑張れー。頑張れー。」
「そーれっ、そーれっ。」
「ほらっもうすぐ、産まれます。力んでー。ほらっ。ズッポーーーーーーン!」
「うぅううううううううううううあああああっ・・・・・コケーェエエエッ」
「コォオオオオオオオオ、コケッコッコーォオオオオオオッ」
樹の合図で、お尻をブンっと突き上げる2人の生徒会メンバー。客席の応援も最高潮に達した瞬間、甲高い雄叫びを上げた。生命の喜びに満ち溢れていた。
「はい、2人とも元の自分に戻ります。これまで自分のやっていたことも、全部覚えていますよ。」
「・・・コッ・・・え? ・・・・・・やだっ・・・。ちょっと・・・。うそっ。」
「・・コケッ・・・・・あっ・・・やだぁあ。」
2人はうつ伏せ膝立ち、客席にお尻を突き出していた大勢から、慌てて姿勢を変えてうずくまる。自分のやっていたことがまざまざと思い出されて、恥ずかしさで頭を抱えてしまった。
生徒会役員の仲間たちが、我慢しきれずに笑ってしまっている。けして悪意のある笑いではないのだが、優奈は頭が茹るほど恥ずかしがっているようだった。一方の沙耶は、戸惑いながらも、まだ自分の後方の床の辺りをキョロキョロ見回している。
「沙耶ちゃん、何か探してるの?」
「いえ・・あの・・・・私の卵・・・・・・・・。・・・・・ううん。・・・なんでもない。」
やっと完全な正気に戻ったようで、沙耶が自分を取り繕おうとするが、耳まで真っ赤だった。存在しないソフトクリームを懸命に舐めまわしていたのも恥ずかしいが、本気でニワトリの真似をしていたのも思い出しただけで消えて無くなりたくなる。まして、卵を次々産む真似なんて・・・、清楚な美少女たちには耐えられない恥ずかしい行為だった。両手で顔を覆って塞ぎ込む2人。樹が容赦なく言葉を投げかけた。
「素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたんだから、顔を隠さなくて良いですよ。あんまり恥かしがるようだったら、ほらっまた風船が両手に。また引っ張られちゃいます。」
「あぁ・・・・もうっ。」
「またっ・・・。」
体操座りの姿勢で俯いていた2人が、すぐにバンザイをして立ち上がる。すかさず樹が声をかける。
「はい、眠りましょ~。風船は無くなるけれど、2人は立ったまま眠ります。頭の中は真っ白で何にも考えられない。全部忘れて眠りこけますよ~。」
立ったまま目を閉じると、両手を横にダランとさせて、首を斜め横に落とす2人。今までの騒ぎが嘘のように、スヤスヤと幸せそうに眠ってしまっていた。
。。。
「おい、もう十分わかったよ。君の腕前は凄い。もう2人にかけた催眠術を解いて、解放してあげなよ。」
陸が口を開くと、なんと横の栞が陸の肘を掴んで止める。
「まだっ。催眠術師がお開きっていうまで、催眠術ショーはお開きにならないの。私は知りたいの・・・。どこまで出来て、どこまでは出来ないのか・・・。」
陸が覗き込むと、栞の目は好奇心がたぎって燃え上がっている。そしてその中に、かすかにサディスティックでエロチックな表情まで伺えた。
「栞が言いたいことはそれだけ?」
陸が尋ねると、栞が彼の耳元に口を近づけて囁く。こんな積極的な彼女は初めて見る。
「私のこと、変だと思うかな? ・・・なんだか、いつもおすましの会長が、どこまで操られちゃうのか、どんな顔を見せるのか。興味が膨らんでどうしようもないの。・・・これは『学術的興味』なの。」
栞がおかしい。いつも冷静で、みんなを気遣っている鶴見栞が、何かに憑りつかれたように催眠術ショーの成り行きを、いや、生徒会長の笑いものにされる様を見続けたがっている。陸が振り返って澪を見る。芹沢澪も、椅子に行儀よく腰かけて、ショーの再開をニコニコしながら拍手して受け入れている。この2人も、まるで樹の都合の良い駒になってしまっているようではないか。
(催眠術ショーって、・・・まさか客席のみんなも、術にかけられてる? ・・・いや、もしかしたら、ショーが始まるよりも、もっと前から? ・・・いつだ?)
真剣に記憶を探ろうとする陸の思考が、目の前の見世物のせいで寸断される。樹に促されて椅子から立ち上がった沙耶と優奈が、苦しそうな表情を見せ始めたからだ。今度は何を始めるつもりか。親友たちの息苦しいような表情に、陸は激しい怒りを覚えた。
「牧場に行くだけでは物足りない。せっかく催眠術の無限に広がる世界を見てもらってるんだから、もっと遠出をしましょう。2人は今、宇宙空間にいます。ここは地球をずっと離れた別の惑星。ちょっと空気が薄いですね。」
沙耶と優奈は口をパクパクさせながら、腹式呼吸をするのだが、まだ苦しそうだ。
「でも大丈夫。この星の空気は肺呼吸にはあまりなじまないけれど、皮膚呼吸からはとっても効率的に酸素が取れるんです。服に邪魔されたお肌を解放して、空気に触れさせてあげましょう。酸素が肌からグングン吸収されて、とーっても楽になる。素晴らしい爽快感が、貴方を包み込んでくれるんですよ。」
襟元のボタンを外して、両手でシャツの襟をぐっと開く優奈。ホッとしたような表情に変わる。沙耶も遠慮がちに、襟の内側に手で仰いで風を送る。生き返ったような表情で顔を緩めた。思わず生唾を飲みこんでいる自分を意識して、陸は自己嫌悪を覚える。弛緩した表情で嬉しそうに、シャツのボタンを一つずつ外していく生徒会の仲間たち。男子もいる前なのに、「別の惑星で独りぼっち」と思い込んでいる、沙耶と優奈には全く気にならないようだった。
「ほら気持ちいい。この星の空気は酸素が薄めだけれど、皮膚から取り込むと、地球人の細胞を活性化させてくれる気体を沢山含んでいるんです。邪魔な服なんて全部脱いでしまって、全身で皮膚呼吸を楽しんでください。外気浴です。全身の細胞が喜んでいるのがわかります。・・・同じところにとどまっていると、酸素が足りなくなってしまいますから、動き回ってみましょう。重力が小さいから、フワフワ歩けますね。月面歩行みたいです。」
生徒会長、高倉沙耶と、生徒会書記の清橋優奈が、シャツをはだけて、嬉しそうにあたりを泳ぎ回る。バレリーナのように、ぴょーん、ぴょーんと軽やかに跳ねて、空気をかき分けるような仕草をする沙耶。宇宙遊泳だと思っているのだろうか。その表情はさっきまでの息苦しさとは一転、陶酔しきっているようだ。ファサッと音がして、シャツが落ちる。白いブラジャーが顔を出した。綺麗なボディーライン。形の良さそうな胸が、思わず男子たちの視線を吸い寄せる。優奈はピンク地のフリルのブラジャーと、ショーツを身に着けていた・・・。いや、すでにそれ以外、何も身に着けていなかった。柔らかそうな体つきとパステル調の色彩を思わせる優奈の肌。沙耶と優奈の肌色が、生徒会室に踊っていた。上履きも靴下も脱いだ沙耶。両腕を左右に広げて、バランスを取るようにゆったりとスキップをする。全身で、宇宙旅行を満喫していた。
「いつも多めの布で隠されているような部分ほど、敏感に呼吸してこの星の空気を吸い込んでくれますよ。空気の成分がわかりました。地球人のエネルギーの源である酸素と、細胞を活性化させて健康にさせてくれる成分、それに、ちょっとだけ、人を楽しくエッチな気分にさせる成分が含まれているみたいですね。でもせっかくの宇宙旅行。無人の惑星に一人でいるんですから、リラックスして、何も考えずに楽しんでくださいね。」
少し悩んだように立ち止まった沙耶が、おずおずと、少しずつ手を動かして、ブラジャーのホックを外す。カップがずれると、可愛らしい美乳と小ぶりの乳首が顔を出した。恥ずかしそうに、嬉しそうに、沙耶が胸をゆっくりと下から持ち上げる。突き出すように空気に触れさせて、また楽しげにスキップを始めた。優奈はショーツに初めに手をかけている。スルスルと床に布を下ろすと、右足を机の上に載せてしまう。開いた股間に手で風を送ると、「あっ・・・・」と声を出して仰け反った。顔が上気して緩んでいる。
「おっ、おいっ。可児田。もう十分・・・っていうか、やりすぎだよ。」
「そうだ。ここまでっ。」
陸が立ち上がって制止しようとしたところを、駿斗も同意してくれた。男たちの迫力で、調子に乗っている樹を止めようとしたのだが、振り返った樹の表情からはまだ余裕の色が消えていなかった。
「こっち側の皆さんも、せっかくだから、この惑星にご招待しますよ。ほーら、僕の目から目を逸らすことが出来なくなる。立ち上がった体が、ふわーっと浮き上がる。重力と酸素の薄い、イツキ星へようこそ。」
「うっ・・・うわっ。」
樹の言葉を耳にした瞬間に、次元が歪むような、奇妙な悪寒に包まれて、陸は思わず椅子に手をついた。全身から方向感覚が失われるような、気持ちの悪さ。浮遊感。体がどこかに放り出されそうで、椅子を両手で掴む。
「やっ・・・嘘っ・・・・なんで? ・・・・・私たちまで?」
「ちょっ・・・息が・・・・。」
鶴見栞と芹沢澪も、困惑の声を漏らす。
「あららら・・・・これ、お客さんのつもりが、みんな樹君の催眠術にかかっちゃってるのかな?」
倫太郎の声には、いつも切迫感がない。落ち着きのあるはずの駿斗を見ると、口をパクパクさせながら、息苦しさと戦っていた。栞、澪、陸、駿斗、倫太郎・・・・。今、目の前を全裸で跳ね回ってしまっている親友を助けなければならないはずの全員が、同じように樹の言葉に操られてしまっていた。
「・・・く・・・・苦しい・・・。もう・・・無理っ!」
床に寝そべって、息苦しさに耐えていた澪が、天井に向けてピョンっと足を伸ばす。スラリと長い、綺麗な筋肉のついた右足が太腿まであらわになり、スカートが捲くれ上がる。
「ほら、澪さんの肌から気持ちいい酸素がスーッと全身に回る。最高の気分です。」
「はぁぁぁ・・・。・・・みんな、ゴメン・・・・。」
一気に弛緩した表情で天を仰いだ澪が、もう片方の左足も突き上げる。空気に触れるのが気持ちよくてたまらないといった様子で、両足で自転車をこぐような仕種を始める。すでにブルーのパンツが見えてしまっていた。
「だっ・・・男子みんな、窓の方を向いてっ。・・・特に倫太郎、アンタこっち見たら殺すっ!」
震える声で、栞が男子たちに声を出す。息苦しさに耐えられなくて、全員に背を向けながらシャツのボタンを外していた。そんな栞のささやかな抵抗を、樹は見逃さない。
「あれっ。重力が部分的に変化をしていきますよ。鶴見栞さんだけが、窓側に引っ張られていっちゃう。」
「きゃーっ・・・やだーっ。見ないでってば。」
栞の声に従って、窓側を向きながらモゾモゾと制服を脱いでいた陸たち男子3名。その目と鼻の先を、藤色のブラジャーまではだけてしまった栞が、ヨロヨロと通過していく。
「沙耶さん、優奈さん。今、最高の気分ですよね。もっと嬉しくなりますよ。ほら、お友達。生徒会のメンバーがこの惑星に遊びに来てくれました。みんな十分に皮膚呼吸が出来ていないみたいだから、手伝ってあげましょうか?」
嬉しそうに遊泳したり、両手を伸ばして海の中のワカメのように揺れていた、全裸の沙耶と優奈。樹の言葉のままに、はにかむような笑顔で他の生徒会メンバーに近づいていく。沙耶が澪の体に覆いかぶさると、シャツを脱がすのを手伝う。いつもは強気でアネゴ肌の澪が、弱々しい抵抗を見せるのだが、肌がさらけだされるごとに、ウットリとした表情に変わっていく。ブルーのブラのストラップに沙耶の手がかかる。澪が首を横に振りながら儚い抵抗を試みるが、子供をあやす母親のような沙耶がブラを外していくと、大きな質感のバストが空気に触れ、澪の顔がまた一つ、陶然となる。胸を覆い隠そうとする澪の両腕を、沙耶が優しく掴んで広げていく。完全に無防備に揺れる澪の巨乳。その後は、澪の両手は自らスカートを体から離していった。
優奈がまごついている駿斗の腰周りに、後ろから抱きつく。重力の弱い星にいると思いこんでいるので、器用に止まることが出来ないのだ。あるいは他の意図があるのだろうか。愛おしそうな表情で、小峰駿斗に裸でしがみついたまま、背中に頬をつけて、両目を閉じた。しばらくそのままでいた優奈が目を開けると、悪戯っぽい笑みを浮かべて、駿斗のズボンを下しにかかる。抵抗しようにも、美少女の柔らかい肌に直接触れるのをためらう駿斗が、ズルズルと脱がされていく。陸の目の前で、真面目な生徒会がグズグズと崩されていくようだった。悔しくて、必死に体を押さえつけようとするのだが、息苦しさと、解放感に勝てずに、自らシャツから腕を抜いていく自分がいる。これが樹の催眠術の力のせいだとわかっているぶん、屈辱感が増した。
「この星の空気を肌から吸収すると、どんどん楽しくなる、気持ちよくなる。そしてどんどん、ちょっと変な気分、エッチな気分になってしまいますね。みんなで宇宙遊泳です。あれれ、重力が後ろの黒板の方角に向けて強まって行きますよ。」
「わぁぁ・・・・」
「おっとっとっと・・・」
足に絡まるズボンを何とか蹴り捨てながら、倫太郎と陸が生徒会室の後方に引っ張られていく。半裸の栞が倫太郎に文句を言いながら、片足でケンケンのように追いかけながらブラジャーを落としていく。澪と沙耶は抱き合ったまま黒板に張り付いて、クスクスと笑い合っていた。背中にしがみついて離れない優奈を背負うようにして、一番力のある駿斗も、とうとう、後ろの黒板に引っついてしまった。重力には抗えない。
「動くたびに肌からこの星の空気がどんどん吸収される。楽しくってしょうがない。ほら、重力が逆方向。こっちの黒板に向かって強まって行きますよ。」
「わぁあああ、ははははっ。何だこれ。」
「うふふふふふっ。」
「ひゃあ~。引っ張られる~。」
高校生7人が、屈託の無い笑い声を出しながら、前の黒板に押し寄せる。後ろに前に、樹の言葉一つで自在に引き寄せられ、動き回りながら、制服を下着を、床に無造作に放り投げていく。これが地球上での出来事だったら、大変なスキャンダルになるだろうが、この星では空気の成分が違うのだから、仕方ない。みんな緩んだ笑顔で嬌声を上げながら、右に左にゾロゾロと歩き回らされた。平泳ぎのような手つきで遊泳している者もいる。澪などは水泳のメドレーを見せるように体勢を変えて、生徒会室を泳ぎまわっていた。優奈はいつまでも駿斗の筋肉質な背中にしがみついて離れない。栞と倫太郎は文句を言い合いながらも、お互いの裸をチラチラ見ながら赤くなっている。そんな生徒会メンバーたちを見守りながら、嬉しそうに沙耶が泳ぐ。スレンダーな体についた、美乳が跳ねる。
「あれあれ、引力がどんどん、変な働き方をしていきますよ。女の子のお尻と、男子の顔とが引き合っていってしまいます。この星の重力より強い、一番の引力。ニュートンの見つけた万有引力の力には、誰も逆らえませんね。」
「おい、可児田、やめろってば!」
陸がたまらずに声を出すが、その声はすぐにくぐもってしまう。鶴見栞のお尻に、陸の顔が引き寄せられて、押し付けられてしまう。
「きゃー、やだやだ。」
優奈が小峰駿斗の胸元にしがみつくが、そのままジリジリと体を後退させてしまう。後ろからは倫太郎の顔が迫ってくる。
「ゴメン優奈ちゃん。・・・あと、無関係かもしれないけど駿斗にもスマンッ。これ、ニュートンのせいだからね。・・・ムギュッ」
倫太郎の減らず口が止まらないまま、顔が清橋優奈のお尻にめりこんでいく。
「や~ん! ニュートンのバカ~ッ!」
優奈が「イヤイヤ」と首とお尻を振りながら、有名な科学者に怒りをぶつけた。
「あの・・・アンタたち、ニュートンは発見者っていうだけだからっ・・・うわっ・・・。」
シレッと指摘しようとした栞のポーカーフェイスも、優奈に抱きつかれたままの駿斗の顔が、自分のお尻とドッキングした時には、思わず崩れる。栞、駿斗、優奈と倫太郎が数珠繋ぎになっていた。1メートル離れたところで、お尻を横に並べる澪と沙耶に、陸が跪いて自分の顔の半分ずつを、女友達たちの片尻ずつにくっつけて動かなくなっていた。
無重力と裸と異常な体勢。全員の心がぶっ飛んだ様子を見て取った樹が、栄誉ある生徒会役員たちを、一気に正気に戻すことにした。
「皆さんよく聞いてください。重力が弱~くなって、みなさんの体が持つ引力がさらに互いを引き寄せあう。ギューっとくっつき合う。僕が手を叩くと、僕の言葉が持つ力はそのままで、皆さんの意識だけが素に戻りますよ。ほら、3、2、1、パチンッ!」
生徒会室の真ん中、椅子を何脚も倒した上で、「押しくらまんじゅう」のように引っ付きあった全裸の生徒会メンバーたち。それぞれに体を押し付けたままで、急に目が覚めた。恥ずかしさとみっともなさ、怒りとショックと狼狽で、一瞬、言葉を失ってしまう。
「・・・・やだっ・・・。ここ、地球・・・・。」
「おっ・・・おい、可児田・・・・。これっ・・・・何させてんだっ。」
「服・・・、やぁあああっ。」
「もういい加減、離れなさいよっ。」
「お前がくっついて来てるんだろっ。」
みんなが口々に喋り出したところで、樹が一歩前に出た。
「みんな良い格好だね。どうだろう、僕の催眠術。特技って言えるほどのものかな? 高倉会長も優奈ちゃんも、ショーの始めからの記憶が全部戻ってくるよ。全部思い出す。」
「あ・・・・やだぁ・・・。」
全裸で体のあちこちを親友たちの肌にくっつけたまま、沙耶が顔を両手で隠した。優奈は顔を隠すかわりに、駿斗の胸筋に押しつけている。何も喋れなくなってしまった会長のかわりに、陸が口を開く。
「可児田君。よくわかった。君の催眠術の力は想像を超えてたよ。僕らみんな、君の自由自在になっちゃう。まさかお客の僕らまで、いつの間にか、かかっていたとは思わなかった。もう嫌って言うほど思い知らされたから、許してくれるかな。」
「そう、可児田君。早く術を解いて。」
陸と栞が下手に出てみたところ、樹が笑いを噛み殺しながら、迷っている振りを見せる。
「う~ん。そ、そ、そっかー。で、でも、秀泉学園の憧れの的、せ、生徒会のみんなが、こ、こんな格好してくれてるところ、なかなか、見られないから、ちょ、ちょっと迷うなぁ~。」
「お願い。樹君。私たちのお友達でしょ。酷いことしないで。」
優奈の泣きそうな悲鳴がすがる。陸は僅かな希望の光を感じた。純真無垢なお嬢様、優奈のお願いを断れる男子はほとんどいない。
それなのに、可児田樹の笑みは、不気味に歪んだ。
目立った変化ではない。無表情のような顔の表面の裏で、筋肉がねじれていくような、おかしな歪みかたをしたのだ。
「清橋さん・・・。いつも僕のこと、『私たちのお友達』って言うよね。あくまで生徒会として、僕を受け入れてくれてるだけだよね。自分では、本当は嫌なのに。・・・そういうところ、真っ直ぐ育ってきた人たちって、一切悪気も持たずに見せてくれるよね。ほんと・・・。」
優奈が肩をすくめて、駿斗によりいっそうしがみつく。沙耶も陸も栞も、優奈を弁護しようと言葉を捜していたが、適当な反論を思いつくことが出来なかった。
「いつの間にか催眠術にかかってたって、言ってくれるけど、催眠術って、そんな魔法みたいな技じゃないよ。」
「・・・・僕の催眠術、僕の、糞つまらない話を延々と、死ぬほど延々と、嫌々聞かされて、眠くて仕方がなくなった人だけが、かかるみたい。・・・・誰か・・、思い当たる節、あるかな?」
駿斗が優奈を抱きしめながら、何か言おうとしたが、喉からは空気しか出てこない。栞と倫太郎も、頬ずりするように頬っぺたをくっつけながら、口をパクパクさせていた。沙耶と陸がお互いの脇腹を張り付かせたまま俯く。真ん中で全員に押しつぶされそうに巨乳をひしゃげさせている澪が、唇を噛んだ。
「僕と本当の親友になりたいと、心底思っている人は、僕が手を叩くと、完全に催眠から解放されるよ。服を着て、この部屋から出て行くことが出来ます。はいっ。」
可児田樹が両手を叩く音が、生徒会室に反響する。その反響が小さくなるまで何度も聞こえるような気がしたほど、部屋は静まり返っていた。生徒会役員たちは誰一人、お互いから離れたり、樹の目を真っ直ぐ見据えたりすることが出来なかった。
「僕・・・、可児田樹のことを・・・。」
「可児田君、もうやめてっ。許してっ。」
沙耶の声が飛ぶ。よく通る声。悲鳴に近い、哀しい声。陸は、沙耶がこれほど取り乱すところを、本当に久しぶりに見た。
「僕、可児田樹のことを、秘かに軽蔑していた人たちだけが、僕が手を叩くと、『気をつけ』の姿勢になります。ほらっ。」
パチンッ・・・・。
手が鳴ると同時に、裸足の踵がいくつも、床を打つ音がした。両手のひらが太腿の横にパシッと貼りつく。無防備な胸が突き出されて揺れる。顎を上げて、生徒会役員、全員が、樹の前で横一列に整列して、直立不動になっていた。
目の前の催眠術師は、笑っているのか泣いているのか、わからないような、引きつった表情で「友人たち」を見ていた。
「友達ごっこ。学校の仲間ごっこ。全部、人気者たちのゲームじゃないか・・・。だったら、ちょっとこれから、違うゲームにも、付き合って欲しいな。友達ならいいよね?」
青ざめた表情で「気をつけ」のポーズのまま微動だにしない生徒会役員7名。前に立つ可児田樹は、彼らと同じように血の気の無い顔を、少しだけ震わせて、やがてゆっくりと微笑んだ。不気味なほどに屈託のない、サッパリとした笑顔だった。
< つづく >