第十話
田中に二回も中出しされて洗うこともできず、気まずい気持ちで娘の唯花の帰宅を迎えた玲子。
「唯花、ごめんね。今日は時間がなくて、出来合いのものしかなくて」
「いいよ、お母さんはいつも美味しいご飯を作ってくれるから」
とてもいい子に育った唯花は、いつも嬉しいことを言ってくれる。
しかし、その母娘の温かい団らんに水を刺す男がいる。
「最近は冷凍食品も美味しいよね」
田中が口を開くと、二人とも顔を見合わせて押し黙る。
「……」「……」
なんで知らないおっさんが当然のように毎日一緒にご飯を食べているのだと、二人とも思っている。
「なんだ二人とも、ご飯は楽しく食べようよ」
お前がいるから楽しく食べられないのだと言ってやりたい気持ちを抑えて、玲子がため息を吐いて言う。
「田中さんは、まだ帰られないんですか?」
ぶぶ漬けでも出してやろうかと思うところだ。
無神経な田中さんなら、それも美味しそうに食べてしまうのだろうけど。
もちろん、はた迷惑でも田中さんに悪気がないのはわかっているので、あくまでソフトな言い方だが、玲子は帰宅を促す。
もうさっき散々玲子を抱いて射精もしたわけだし、もう用はないだろうといいたいのだ。
ここ最近ずっと田中が家にいるのがとても不満だった。
正直な話、田中がいると的はずれな相打ちを入れてきて、唯花と話しづらいのだ。唯花の学校の様子も聞きたいし、たまには家族の団らんを楽しみたい。
「うんそうだね。このあと玲子さんとちょっと話があるから、それが終わったら帰るね」
「話、ですか?」
玲子はその何気ない言葉に、なんだか背筋に虫でも入ってきたようなゾクッとした恐怖を覚えるのだった。
※※※
「話ってなんです?」
食事が終わって、玲子はさっそく話を切り出す。
田中の話とやらを聞くのも嫌だが、さっさと帰って欲しい。
「撮影の今後のスケジュールを決めておこうと思ってさ。これ、台本ね」
ほいっと、投げつけられた台本を見て玲子は青ざめる。
「なんですかこれは……」
「撮影の台本だよ。アダルトビデオの撮影だと思ってくれたらわかりやすいかな。まあ、もうビデオじゃなくて動画の時代だけどね」
「そういうことじゃありません!」
パッと開いただけでも、吐き気のするような酷いセリフが踊る。
こんなこと、できるわけない!
「別に俺は玲子さんにやってほしいなんて言ってないよ。別に、唯花ちゃんでもいいんだからさ」
そうだ、娘のために我慢しなきゃ。
そう思った瞬間。
心の中で「違うよ玲子、それは違う……」って声が響いた。亡き夫、篤史さんの口癖だ。
そうだ。
何かがおかしい。違和感がある。玲子はハッと気がついて叫んだ。
「……それは違う!」
「何が違うの?」
「田中さん、貴方は良い人なんかじゃない。どうしてこれまで気が付かなかったんだろう。こんな酷いことをさせる人が、良い人なわけがない!」
田中は真顔になって、手をパチンと叩いて言った。
「はい、ストップ」
その瞬間、玲子はまるで凍りついたように動かなくなった。
「……」
うつろな目で、立ったままぼんやりとしている。
「はい、これを見てね。この光は?」
田中が玲子の目の前で、緑色のペンライトを左右に揺らす。
揺れるたびにブーン、ブーンと小さな音が響く。
「この光は好き。気持ちが落ち着く、落ち着いていく……」
ゆっくりと揺れるペンライトの光に合わせて眼球を動かしながら、玲子はそう田中に教えられたように自己暗示をかけて、深い催眠状態へと入っていく。
「さて、玲子さん。何が違うのかな」
「……娘が守られない」
「ゆっくりでいいから、もっと順序よく説明していってね。どうして唯花ちゃんが守られないと思ったの?」
「こんな動画がネットにばらまかれたら、会社やご近所にバレてしまいます。そうすると会社も辞めなくてはならなくなり、夫が残してくれたこのマンションにも住めなくなります。そうしたら、娘も学校に通えなくなります」
「なるほど、それで唯花ちゃんが守れないと思ったんだ」
「はい」
玲子は、コクンとうなずく。
断れない性格に漬け込むのに加えて、娘を守るために身を犠牲にするって条件も加えて催眠を強化したのだが、それが裏目に出てしまったか。
「でも、さあ玲子さん。よく考えてみてよ。動画がバレないってこともあるよね」
「そんな!」
反射的にまた叫びだそうとする玲子に、田中はパチリと手を叩いて言う。
「はい、ストップ」
「……」
もともと優月玲子、唯花の母娘は、タイプは違えどお人好しで相手の好意を断れない性格で、田中の催眠に極端にかかりやすいタイプだった。
こんな美味しい獲物を見つけて、手間暇かけて追い詰めて、せっかくここまで深く催眠をかけたと思ったのにまた催眠のかかりが甘くなり始めてる。
さっきなんて田中に帰れと言ったり、悪い兆候だ。
田中は、眼球運動を通して催眠状態においた玲子の心の奥底にぬるりと入り込む。
「ふーん。まだ抵抗は激しいか。だが、ここまできて逃さないからな……」
眼球運動からアクセスして、玲子の脳の配線を少しずつ切り替え、混濁の奥底にある玲子の記憶とイメージを弄くり回す。
今日は、いつもよりじっくりと腰を据えて、玲子の心を追い詰めてやることにしよう。
※※※
「……だから、バレる危険性は少ない。それに会社や職場にバレても、誰も知らないところに引っ越して唯花ちゃんを転校させれば問題ないしょう。お金だってあるんだし、玲子さんは優秀だから新しい仕事もすぐ見つかるよ」
「バレても、転校すれば娘は無事……」
そう玲子がつぶやくのを聞いて、田中はホッとする。
四時間以上かけて、ようやく求めている答えを引き出せた。
「そうだね。でも、もし玲子さんがやらなくて推しに弱い唯花ちゃんが動画にでちゃったらどうする?」
「ダメ、それだけは絶対ダメ……」
「そうだよね。大事な大事な旦那さんの一人娘の人生が終わっちゃうもんね。それに比べたら、玲子さんが動画に出ることくらいはたいしたことないよね」
「はい、娘のために田中さんの動画に出ます」
やった、上手く思考がつながった。
「じゃあ、最後の確認するね。田中さんはどんな人?」
「田中さんは、はた迷惑だけど……母子家庭のうちを心配していろいろ面倒を見てくれる良い人」
はた迷惑はいらないんだけどなと、田中は苦笑する。
ここはいろいろ工夫して誘導しても消えなかったところだ。
「はい、じゃあもう一度手を叩いたら玲子さんは催眠から覚めるよ」
パチリ。
「あっ、うっ……」
瞳に光が戻った玲子は、そのまま口をパクパクさせる。
「どうしたの。何が言いたかったの?」
「えっと、何が言いたかったんでしょう。うーん、思い出せない……あっ! そうだ、もうこんな時間!」
玲子は時計を見てビックリする。
田中とお話すると、いつも時間がぶっ飛んで深夜になってたりするのだ。
「遅くまでごめんね。玲子さんに催眠術をかけてたら、こんな時間だ」
「催眠術なんてあるわけがないでしょう」
玲子は、呆れたように言う。
本当にこの人は、自分よりおじさんの癖に子供のようなことを言う人だ。
ずっと付き合わされていた田中の話がどうでも良すぎて、記憶が飛んでるんだろうと思う。
だから、この人と話すのは嫌なのだ。
「催眠術なんだけどなあ」
「はぁ、もういいですよ。本当は、今日は娘とゆっくり話したいと思ってたんですよ」
ため息交じりに、玲子は愚痴る。
「そうなんだ。排卵日は一週間くらい後だっけ」
「はい、それくらいだと思いますけど……?」
そんな話、田中にしたかなと玲子は首をひねる。
「撮影の台本見てくれたらわかるけど、それ排卵日に合わせてるから排卵検査薬できっちり測っておいてね」
「わかりました。やるからにはきっちりやりますから、田中さんこそ段取りを忘れないでくださいよ」
「はは、もちろんだよ。俺だってお金もらうんだから仕事としてやるさ」
仕事だと決めたら、優秀なキャリアウーマンである玲子は完璧にこなそうとする。
それに、これは娘を守るためでもあるのだから当然のことだ。