うごけ 第1話

第1話

「ご両親と連絡を取ることは出来ないかな? ……これは、きちんとした診断をしなければいけないし、ちゃんと説明しなければならないことだと思ってる。実は、僕は医者として、この件に関して、100%の確証を持てている訳ではないんだ。でも、そんな時こそ、医師は専門家としての知見を精一杯駆使しつつ、人間としても誠意ある説明をしなければならないと思う。それが、僕のポリシーなんだ」

 この先生が、立派な人だということは、その話しぶりからも良く分かった。ヒジリの師範が紹介してくれた先生だけある。年は若そうだけれど、優秀そうで、人間的にも、男性としても魅力に満ち溢れた人のようだった。髭を生やしていて、体格もいい。組み合っても強そうだ。御堂聖には、長年の柔道一辺倒の生活のせいか、男の人を見ると、まず最初に強そうかどうかということを、考えてしまう癖がついていた。

「すみません、両親は今、連絡がつかないんです。母は父と別れて10年近く会っていませんし、父も、僕が中学の寮に入ったころから、会う回数が減りました。前は岡山の方でガードマンをしていたと聞いたのですが、最後に連絡があったのも、2年前。僕が中学の頃です」

 ヒジリは淡々と、事実を述べた。白衣の先生は、ヒジリの真正面にきちんと姿勢を正して、話を聞いてくれる。目を見開いて、ヒジリの話に聞き入る。ヒジリの境遇に同情してくれているのだろうか。とても情に厚そうな雰囲気も見てとれた。

「じゃあ、聖君は、強豪柔道部の名が高い、仰徳学園に中学から寮生活をしていて、高校2年の今まで、柔道に明け暮れていたんだね。2年生で次鋒を務めるんだから、才能もあるし、稽古も相当頑張ってきたんだろう。将来も柔道で身を立てていこうと考えているの?」

 ヒジリの、膝に置いた手に力がこもる。

「はぁ……まあ……。僕は将来、警察官を目指しているんです。だけど柔道以外は全然才能がない馬鹿なので、柔道で有名な大学から推薦をもらって、将来、どこかの県警からお呼びがかかればって……思っていまして」

「これまで、柔道の稽古で体を痛めたりして、入院したり、診察を受けたりしたことはある?」

「いえ……、ないです。僕は背丈はないですが、体がとにかく頑丈なのが取り柄なんで……」

「だから今日、診察を受けるのが本当に久しぶりだったって、ことだね。……繰り返しになってしまうけれど、君にここを薦めたのは峰崎先生なんだね」

「はい、師範が、こちらの病院と小宮山先生に診てもらえって仰いました。俺は最初、気が付かなかったんだけれど、小指の付け根が赤く腫れてまして。師範の見立てだと、小骨が折れてるって……。言われてから痛みも出てきたので」

 御堂聖は話しながら、額にうっすら、汗をかく。病院自体に慣れていないし、ここまで丁寧に説明を繰り返させられると、何かよほどのおおごとなのかと思ってしまう。

「じゃあ、柔道を始める前に、大きな怪我をしたり、事故にあったことはない? どこかから落ちたり、危うく命を落としかけたなど……」

 小宮山先生が真正面から、ヒジリの目を見据える。なかなか男前の先生。何かの判断に迷っているような雰囲気が感じられる。これはヒジリの柔道経験しかないくらいの10数年の修行の成果として身に着けている、勝負勘だった。

「僕は……。5歳の時に、自動車事故に会っています。家族で親戚の家から帰る途中。運転をしていた父親が、お酒に酔っていました。高速で、対向車線に入ってしまったうちの家族の車が、ダンプにぶつかって、反対側のガードレールにめり込みました。でも、家族は全員、父も母も僕も、奇跡的に命は無事でした」

「君はその時、シートベルトをしていたか、誰かに聞かされてる?」

「チャイルドシートには座っていて、でもベルトはきちんと装着されていなかったみたいです。車内で放り出されたけれど、結局、警察の人に助け出されました」

 小宮山先生は、何かの手がかりを得たような表情に変わる。けれどその日のことは、もう12年も前の話だ。

「警察官に命を救われたという出来事は、……君の将来の夢とも関係しているのかな?」

「ん……。あんまり考えたことないですけど、そうかもしれませんね。柔道を始めたきっかけも、あとからそのお巡りさんの特技が柔道だったって、親から聞かされたことからだったような気がします。……今になって、思い出しました。結局、うちの家族は、その時、親父の飲酒運転のせいでみんなの命が危険に晒されて、親父も腕に後遺症を持って、仕事も変わったりして……。親父とお袋が険悪になる家が嫌で、始めたばっかの柔道に打ち込んだのかもしれません。……なんか、これ、セラピーみたいっすね。……ははっ」

 自分で喋りながら、照れ笑いを浮かべるヒジリ。いつも生い立ちの話をすると、大人たちを必要以上にウェットな雰囲気にさせてしまうので、苦手だった。ヒジリ個人としては、悲しいとか自分が可哀想とか感じる暇もなく、柔道の稽古に明け暮れる生活だったので、余り惨めに感じたことはないのだが。

「セラピーか……。そうだね。じゃ、セラピーついでに、こんなのはどう? 催眠療法の真似事みたいなもの……。聖君。もうちょっと近づいて、僕の両目をジーっと見つめてくれる? ……じーーっと、僕の瞳の黒目の部分を見つめるんだ。そこに集中して……。視界が全部、僕の目で埋まるくらいにじーっっと僕の目を見つめて……」

 カイロプラクティックが出来る、整形外科の優秀な先生と聞いていたけれど、小宮山先生は、急に、催眠療法なんていう言葉を出して、それこそテレビに出てくる催眠術師のようなことを口にする。良くわからない展開だったが、実直なヒジリはとりあえず小宮山先生の言葉に従って、先生の両目を見つめることに集中した。

「OK。聖君。……ゴメンね、左の手を見てくれる?」

 ヒジリが目を下す。なんと針のような尖った器具が、ヒジリの手の甲に突き立てられていた。

「うぉっ。イタッ……。先生、何するんスか?」

 思わず椅子を引いて、ヒジリが抗議する。催眠療法なんて、嘘っぱちで、ヒジリの目を盗んで、先生は針で手を刺していた。ひどいではないか。

「本当に申し訳ない。聖君。……だけど、君。……やっぱり、本来、痛みが先に来るはずのものに対して、目視した後で、痛がっているよ。……まるで、痛がるべきだと、脳が感知してから慌てて痛みを再現しているみたいに。……先天的な無痛症などにも、こういう症例はあるのだけれど……。それは、僕の専門外なんだ……。僕がレントゲンとさらに精密なMRIを見せてもらって、言えることというのは、……少し突拍子もない、話なんだけれど……驚かずに、聞いてくれるかな?」

 小宮山先生の、目が迷っている。やはりこの先生は、優秀だけど誠実そうな人だった。レントゲンの拡大写真をヒジリに見せる。

「御堂聖君。……ショックで、そして奇妙なことだと思う。未成年の君だけに伝えなければならないのは、心苦しいことなのだけれど、貴方の神経系は、頚椎の下のところで分断されて再結合不可能な状態に凝固してしまっている。幼少時の事故の際に、精密検査を受けなかったのか、あるいは受けたけれどそこで見過ごされたのかわからないけれど……。恐らくはその後の長期間に渡る激しい柔道の稽古も悪影響は与えていると推測されるけれど、いつがこの決定的な障害の発生時期だったのかは、なんとも言えない。けれど、奇妙な、本当に不可思議なことなんだけれど、このレントゲンとMRIの写真。そして再検査の結果を見ても、やはり、君の神経は、運動、触覚に決定的な問題を持っているはずなんだ。この写真から見る限り、君は首から下、指一本でも動かせないくらいの運動障害を持っていなければおかしい。君の体は、動いているはずがないんだ。……ごめんね。優秀な柔道家の君には、まったく納得のいかない話だと思う。僕も誤診だと思いたいのだけれど、君は動けない、何を触っても感じられない、寝たきりの状態でいるはずなんだよ。……聖君? ……おいっ。御堂君? ……誰か、男の看護師、三浦君と紀藤君をすぐ、呼んできてくれっ」

 優秀そうな先生が、精一杯、誠実に、冷静に、医学的な見地からの所見を説明している中、ヒジリは目の前が暗くなって、気を失った。体中、至る所が、急に糸の切れた操り人形のように、力を失って椅子から床に倒れこんだ。

 そして目が覚めた時、御堂聖は17歳で、全身不随。身体麻痺の寝たきり状態になっていた。学校は休学。柔道の稽古は、道着に袖を通してから初めて、5日以上休むことになった。

「ヒジリ君。今日の調子はどう? ……やっぱり退屈してる? ……お姉さんとリハビリの時間だよ」

 瀬野真弓さんが顔を出す。ヒジリはつまらなさそうに視線を動かして真弓さんの顔を補足して、その後で視線を逸らす。目を動かすことは出来た。外から見て自然な形で両目の焦点を合わせられているかわからないが、黒目の移動でイエス、ノーを伝えることも出来る。しかし、口はあまり上手に動かせない。舌ももつれる。そこから出てくる自分の言葉、自分の声がまるでモンスターの雄たけびのようにおぞましくて、聞くに堪えられないものになっていた。ヒジリは喋ろうとすることを止めていた。

 寝たきりになって10日がたつ。リハビリはすぐ始めた方がいいというのが、小宮山総合病院の方針だが、御堂聖はあまり良い患者ではなかった。

「リハビリ、始めよっか。聖君。ほら、右腕のマッサージから始めるね」

 真弓さんは二十代だろうか。少し茶色に染めた髪をまとめていて、目鼻立ちのくっきりとした、魅力的なお姉さんだった。街を歩けば誰もが振り返る美人とまではいかないが、ナンパの一度や二度はされそうだ。そして笑顔がとても可愛らしい。口を大きく開けて、目がなくなってしまうほど、ハッキリと笑ってくれる。ほぼ一日中、天井を眺めることくらいしか出来ないヒジリにとっては、週に4度、1時間半の真弓さんとの時間が、唯一の楽しみだった。

 リハビリと言っても、全く動かないヒジリの四肢は、まともなリハビリには進めない。筋肉や神経に刺激を与え、血行を良くするためにマッサージをしてもらっているだけだ。もしそれすら無ければ、ヒジリの身体は? せ細って萎えていき、いずれは朽ち果ててしまうのだろう。真弓さんのリハビリ以外にも、電気の刺激や看護婦さんによる床ずれ予防の姿勢変更など、小宮山総合病院は、ヒジリに様々な治療とサービスを提供してくれる。老院長の一人息子、小宮山先生は患者の中でも、特に御堂聖には目をかけてくれている。それでも、その環境に感謝して、前向きに現実を受け入れるほどには、ヒジリの精神は成熟してはいなかった。17歳の柔道少年が、一夜にして人生の夢も趣味も、首から下の自由までも失ってしまったのである。これからの人生、ベッドに横たわって点滴で栄養をもらって、パイプで痰を吸ってもらって、シモの介助をしてもらいながら生き続けるのかと思うと、気分が真っ黒に塗り潰される。元気な介助士さんにお礼を言う気も起きなかった。

 それでも、根が単純だからだろうか、2週間もするとヒジリは、真弓さんの笑顔を一日中待って、彼女が来てくれると、目で頷いて見せるようになった。何しろ、彼女の性格は明るくて、優しい。聖の体をいつも懸命に、熱心にマッサージしてくれる。ヒジリも柔道を長く続けているから、指の疲れる動きや手首に負担のかかる動作、そしてこっそり手を抜いてもバレにくい動きなどは想像がつく。だからこそ、一切気を抜かずに、丁寧にマッサージをしてくれる、真弓さんの努力に、シンプルにほだされてしまった。そもそも、異性とこれ程、長い時間親密にスキンシップを取ったことなど、まだ母親が家にいた、6歳か7歳の頃以来、ほとんど記憶に無い。ヒジリは、動く兆候の一つも見られない自分の両手、両足を、「うごけ、うごけ、うごけ」と小声でオマジナイのように唱えながら、マッサージし続けてくれる真弓さんのためにも、一緒にリハビリを進めたいと思うようになっていた。

「今度は右足に触るよ……。ほら、うごけ、うごけ、うごけ、うごけ……。焦らないでいいんだけどね。ただのお姉さんのオマジナイ。……うごけ、うごけ、うごけ、うごけ」

 悪戯っぽく微笑む、真弓さん。彼女の目の前で、右足をピョコンと蹴り上げることが出来たら、顔をクシャクシャにして、喜んでくれるかもしれない。いや、右足の親指だけでもいい。ピクッとでも動かせたら、手を叩いて嬉しがってくれるのではないか。いつの間にか、ヒジリも真弓さんと一緒になって、心の底から念じていた。

 うごけ、うごけ、うごけ、うごけ……。

 中等部の時、県大会の個人戦準決勝で、試合開始52秒で技ありを取った小外刈り。あの時、相手を唖然とさせるほど素早く正確に動いた右足。もう一度。頼む、もう一度。

 うごけ、うごけ、うごけ、うごけ…………うごけっ!

「キャッ……。いったーい」

 ゴンという低い音が、ベッドの下から響いた。

「私、聖君になったつもりで右足動けって思い過ぎて、……自分の右足でベッド蹴っちゃったぁ……」

 スネをさすりながら、情けない笑顔をヒジリに見せる真弓さん。ヒジリは顔でもリアクション出来ないのに、きちんとコミュニケーションを取ってくれる。真弓さんは、脛に青アザが出来ないか、確かめるためにピンクの制服の長ズボンの裾をまくって、足を確認している。大人の女の人の足の素肌をマジマジと見るのも、久しぶりのことだった。

 真弓さんは、最初の印象よりも、ドジな性格なのだろうか。同じようなことが翌週何度も繰り返された。真弓さんのマッサージと合わせて、ヒジリが「右手うごけっ」、「左膝、曲がれ、うごけっ」と心の底で絶叫するたびに、真弓さんが右手をピンっと伸ばしたり、左膝を立てていたりする。一度などは、同室の高橋さんという、下半身不随のオジイサンまで、真弓さんと一緒に左手を挙げていた。

「みんな、思わず自分の体が動いちゃうくらい、聖君が良くなることを願って、本気で念じて応援してるから、こういうことが起きるんだねっ」

 真弓さんは少し照れ臭そうな笑顔で励ましてくれる。ヒジリは、少しだけ、胸の奥が締め付けられたような感触を得た気がした。

 入院4週目の夜。聖の病室を、真弓さんが訪ねてきてくれた。リハビリの日でもない、面会時間も終わっている、遅い時間だ。

「聖君。……迷惑じゃなかったら、今日も臨時で、少しマッサージしていこうか。昨日、筋肉の反応が少しあったような感触がしたの、やっぱり確かめたくて……」

 ヒジリは視線で頷いた。仕事を離れてまで、自分のことを気に掛けてくれる人がいることが、嬉しかった。学校の友人は多くはないが、柔道部の仲間とも話せなくなって1ヵ月。本音で言うと、誰かにしがみついて泣きじゃくりたい頃だった。

 腕をまくる真弓さん。今日は介助士さんの制服ではなくて、私服でいる。体の線が出るグレイのセーターとタイトめの紺のスカート。落ち着いた、女性らしい服装だった。手のマッサージを入念に行う。脳の運動機能を最も広く占めているのが手の動きに関する部分らしい。手や指への刺激は脳にも効くらしい。最も、小宮山先生の診断でも、再検査でも再々検査でも、ヒジリの脳と手の神経は、繋がっていないらしいのだが……。それでも、真弓さんの献身的なサポートを受けていると、一緒に念じずにはいられなかった。

 うごけ、うごけ、うごけ、うごけっ……・動けっ!

 主審が一本を宣言した時のような、高々と突き上げられる右手。それをイメージして、心の底から、右手の筋肉に檄を出した。その瞬間。

 ピクンッ

 肘が、僅かに曲がった。ヒジリの肘だ。そして真弓さんも、大きく右手を挙げていた。

「聖君っ。今の見た? ……凄いっ。凄いよっ。小宮山先生は、神経が頸椎で分断されてるって言ってたけど、人間の体ってやっぱり、何かの手段でバイパスが出来てくるんだよ。……聖君、若いし。……頑張りましょっ」

 目に涙を溜めて、顔をクシャクシャにして喜んでくれる真弓さん。彼女の笑顔が嬉しかった。視線を彼女の右手に送る。それに気づいた真弓さんが、少し顔を赤くして、左手で押さえ込むようにして、右手を自分の膝の上まで下した。

「さっきの、ただの筋肉の自律反射なんかじゃ、ないと思うの。ほら、足でも確かめようよ。右足ね……」

 この前のように、真剣に念じすぎて、自分の足でベッドを蹴り上げないように、真弓さんは膝と腰をヒジリの方に向けて、体を捩じるような姿勢で足のマッサージをしてくれた。

 もっと……もっと、真弓さんを喜ばせたい……。頼む、……右足、うごけっ……うごけぇえええっ!

 ビクンッ。

「キャッ……わぁあああっ」

 右足の膝が上がるのが、枕のヒジリからも見える。同時に、真弓さんは椅子の上で右足をビンッと伸ばして、なんと自分の顔を膝で蹴ってしまい、椅子ごと後ろに倒れた。

「うぅぅううう」

 大丈夫かと聞こうとしたのだが、ヒジリの口はもつれてうまく喋れない。椅子ごと派手に転んだ真弓さんが、両手を床について、両膝を立てる。スカートの裾がまくれ上がって、ベージュのパンティーストッキング越しに水色のパンツが見えていた。

「いったーい……・。オデコ、ぶっちゃった……。……・でも、聖君。凄いっ。今日は大進歩よっ」

 力の入らないヒジリの手を両手で掴んで、真弓さんが大喜びしてくれる。オデコの真ん中、自分の膝が当たった部分は、赤く腫れていた。御堂聖にとっては、この病院に来てから1ヵ月の間で、一番嬉しい日だった。夜になっても眠れなくて、何度も天井を眺めながら、今日の光景を思い浮かべた。少し曲がった肘。ビクンと上がった膝。大喜びの真弓さんのクシャクシャな笑顔。そして、椅子ごと転んだ時に見えてしまった、真弓さんのパンツ。ヒジリはその夜、一睡も出来なかった。構わない。翌朝も昼も、ずっとベッドに横たわっているだけの予定なのだから。

。。。

 ヒジリの体は、少しずつ動くようになりつつある。それを真弓さんは自分のことのように喜んでくれる。担当看護婦の井村碧さんと白杉実依奈さんも、毎日、ヒジリが新たに出来るようになったことを、見に来て拍手してくれた。一人、小宮山先生だけが、首を傾げている。精密検査は何度も繰り返された。

「手が動くのが本当にどういう原理になっているのか、研究させてもらいたいくらいだ。相変わらず、触覚は自然な反応ではない。いや、神経系が分断されているのだから、当たり前なのだが……」

 普段は優しい先生だが、自分の修めてきた医学が否定されているようで、時折苛立つような様子さえ見られた。ヒジリは、それでも少しずつ、理解しつつある。

 小宮山先生は、ヒジリの体は、幼少時の事故の時点で麻痺が進展していてもおかしくない容体だったと診断している。あまりにも御堂聖少年が元気そうに柔道など始めているので、初診での見落としが、経過観察などでも見過ごされてきたのだが、頚椎に大きなダメージがあった。その時点で、聖少年は動けなくなっていたはずだった。そして柔道に打ち込むうちに、事態は悪化。気がつかないうちに全身不随にまで症状が進んでいた。

「脳機能の障害などは、先天的だったり、幼少期に欠損したりすると、見過ごされる症例がよくあるんだ。人間の脳は幼児期には柔軟な代替機能も成長させるから、本人も成長の過程で、意識せずに社会に適応するため、欠損をカバーする能力を伸ばしたりする。だから色盲の子供が大人や友達への共感能力を伸ばして、自分が色の判断が出来ていないことに気づかないままでいたりするということは、珍しくない。だけど、君の場合は、物理的に運動を司る神経が破損していて、バイパスも繋がっていないのに、動いている。……これが不思議なんだ。いったい他に、どんな代替機能があるというんだ?」

 小宮山先生の声が大きく、荒くなっている。ヒジリは冷静に観察していた。

「君のお父さんや、お母さんには、やはり連絡はつかないだろうか? 子供のころの行動や様子で、変わった点など、……今からでも思い出せることが……。いや、……申し訳ない。無理にとは、言いません」

 ヒジリに背中を向けて、机に両手をつく、先生。……この先生の真面目さ、優しさは、良くわかっていた。ヒジリの症例は、他に例を思いつかないほど、珍しいものらしいが、小宮山先生は大学病院や県外の病院にヒジリを送りつけたり、しないでいてくれる。ここで、静かにリハビリを続けたいという、ヒジリの思いを受け止めて、おそらく周囲に伝えれば小宮山先生の手柄になるようなことも、伏せておいてくれている。その信頼できる先生の、力になりたいという思いはあったが、家族を探し出して、暗い子供時代を一緒に振り返るなどということは、したくない。右腕が不自由になって、職を転々としていた父と、衝突したこともある。その父に、全身が不自由になった自分を見せたくはない。

 それに、ヒジリは秘かに恐れていた。小宮山先生の診断が進んで、新たな医学的事実を突きつけられたら、やっとギコチなくだが動き始めた体が、また1ミリも自分の意志では動かせなくなるのではないだろうかと……。

「聖君にとって、ご家族のことは、あまり良い思い出ではなかったね。……すまない。忘れて欲しい」

「は……い……」

 舌と喉は、まだ動かす上で違和感がある。それでも、先生には精一杯真摯に、返事がしたかった。

「僕もね……。仕事に没頭しすぎて、妻とうまくいかなくなって、4年前に離婚してるんだ。妻は今、ボストンで研修医をしているので、娘は僕が育てている。今年、8歳になるんだ。千鶴っていうんだ、ほら」

 机の奥から、額縁に入った、小さな写真を出して、見せてくれた。外で楽しそうにハイキングか何かに興じている、小宮山先生と、娘さんの写真。色々な家族が、それぞれの苦労をしているようだった。

「君の体が、どうして動いているのか。整形外科医としては、非常に興味がある。けれど、今はその原理の解明なんかよりも、君の運動機能その他の回復の方が、ずっとずっと大切だな。……気長にやっていこうよ」

 小宮山先生は、ヒジリの肩をポンっと叩いた。叩かれてる。そう意識したあとで、肩に感触がくる。確かにこれまでは無意識に、反射神経の鋭さでカバーしてきたけれど、気をつけて注視していると、自分の体の反応というのは、普通の順序とは違っているようだった。

 右手を動かす。ベッド脇の鉄製の手すりに伸ばす。右手の指を曲げる。親指にも力を入れて曲げる。手すりを掴むことが出来る。左手を伸ばす。手のひらを下に向ける。ベッドに左手をつく。左手の肘に、グッと力を入れて伸ばす。右手の肘はグッと内側に曲げる。上体が起きる。一つ一つの動作を、(うごけっ、うごけ)と心で掛け声を出しながら、思い描き、体に指示を出す。昔は布団から起き上がるなんて、寝ぼけながらも出来たことなのに、改めて分解してみると、驚くほど複雑な動きだった。

 今、ヒジリは、時間はかかるけれど、昔、当たり前のように出来ていた行動の半分くらいは、自分一人で出来るようになっていた。ヒジリのリハビリの過程でヒントになっているのは、柔道の新しい技の覚え方だった。まずは相手と組まずに、体の動き一つ一つを、正確に出来るようにできる限り分解して、しつこいくらいに反復練習。体に馴染んできたところで、一連の動きを通して再現する。一足飛びに、乱取りで試したりすると、師範の喝が飛ぶ。動きがスムーズに出来るよう。何度も何度も、型を繰り返す。一つの動作をスローモーションでしようとして、体のバランスを崩してしまう時は、その動きがまだ体に馴染んでいない時だ。正確に、重心をブラさずに動けるようになって初めて、スピードを考える。

 柔道の練習を思い出しながらリハビリをしていると、不意に柔道以外の課外実習も思い出すことがある。師範は人脈も見識も幅広い人で、お寺の合宿所などに夏、缶詰めになった時には、何日かに一度、柔道以外の武道家の先生も招いて、課外授業を行ってもらったりした。柔術家、合気道の先生。気功などを修めておられる師匠もいた。動かない体を、スムーズに動かす。そのリハビリをしていると、不思議と様々な武道家の先生が仰っていたいたこと、披露して頂いたことに、結びつくと思われることが多かった。

(この僕の、今、体を動かせている原理が、気功だとしたら、どうだろう? 神経は繋がっていなくても、丹田に力を入れてそこから気を流れるように動かすと、体が反応する。……出来るのは、動かすことだけだろうか? ……自然な触覚を、繋ぎなおすことは出来ないのだろうか?)

 ヒジリは体を動かすリハビリに疲れると、ベッドの上で、瞑想するように、気を練るイメージトレーニングをするようになっていた。イメージというのは大事なもののようで、少しずつ、僅かながら、体の痛みや、痒み、寝汗をかいた時のベトベトとした不快感など、想像力で補っていたはずの感触が、戻ってきている気がするようになる。これはヒジリにとって、小宮山総合病院で初診を受ける前の体に戻ることではない。それよりも、もっともっと昔。5歳の自動車事故の前のころの体の繋がり方に、戻っていく体験だった。

 夜。2時間ごとのナースの巡回の合間に、ヒジリはゆっくりと目を開ける。上体を起こす。暗がりに目が慣れると、ヒジリは今日も、夜稽古を始める。

(高橋さん……。起きて。)

 イビキをかいていた相部屋のオジイサンが、目を閉じたまま、ムックリと上体を起こす。

(ベッドから下りて、床の上に立って。)

 夢遊病のように、70過ぎのご老人が、足をベッドから出して、夜の病室で一人、立ち尽くす。下半身不随のオジイサンだ。ヒジリの念じる力によって、動かないはずの体の部位が動いている。ヒジリは、これが自分の能力なのだと、この病院で気づかされた。動くはずのない自分の体をこれまで動かしてきたのは、幼少期に培った、どんな代替能力なのだろうと自問自答してきた結果、この答えに辿り着いたのだ。

 ヒジリは、神経が繋がっていない体の部位も、気功か何か、現代西洋医学とは相入れない力で、動かすことが出来る。科学的には動かせるはずのない体を、念じて動かせる力という意味では、その力の及ぶ範囲は自分の体に限定されないのだ。

 夢遊病の徘徊老人のように、下半身不随のはずの高橋さんが太極拳を始める。初めはギコチなかったその動き。一動作ごとに念じて動かしていたその動きは、今はスムーズな太極拳として、一連の挙動が綺麗に流れている。ヒジリも一挙動ごとに分けて念じなくても、一連の動きとして、楽に念じて動かせている。これが、1週間の夜稽古の成果なのだ。

 では、小宮山病院での毎日は、いいことばかり、面白いことばかりだろうか? いや、ヒジリにとって、とても心が乱されることがある。真弓さんとのリハビリだ。介助士、瀬野真弓さんは、ヒジリを担当するリハビリの回数を減らしている。ヒジリの症状が劇的な改善を見せているから、というのもあるが、少しずつ、ヒジリとの接触に、及び腰になっているような、様子も見てとれる。

 無理もないことなのかもしれない。ヒジリとリハビリをしている間、真弓さんはしょっちゅう、体のバランスを失って、ヒジリに抱き着くようによろめいてしまったり、ついウッカリ、胸をヒジリの体に押し付けてしまったりする。そのたびに真弓さんは、色々と言い訳をして、赤面しながらヒジリに謝るのだが、かなり居心地の悪さを感じている様子だった。

 不信感……。本能的な危機感。といった感情かもしれない。少しずつ、ヒジリと接触することに、及び腰になっているような様子だった。平然を装っている人の、無意識な重心の移動に、柔道少年のヒジリは敏感だった。腰が引けている。ヒジリを少し怖がっている? いや、迷っている。そんな女性の心情を、武道家の端くれとして、顔の表情よりも体の軸と、重心の据え方から、推測していた。

 気分転換のために、昼は松葉杖の助けも借りながら、病院の中庭に出る。庭の真ん中まで行くと、気をつけながら松葉杖を外し、一人で立つ。両目を閉じてみる。驚くほど色々な情報が、体中から、体を包む肌から、頭に飛び込んでくることがわかる。風の触り心地。空気が体の僅かな産毛を撫でる瞬間。足の裏から感じられる、地面の重厚な安定感。靴の底の厚みや材質も、気をつければ足が教えてくれている。数歩、歩いてみれば、服の生地が自分の体をあちこちでくすぐったく摩る。庭の木に触れると、手のひらへの「かえり」の感触だけで、どれだけ地中深くまで値が張っているのか、それこそ手に取るようにわかる。知らなかったとは言え、ヒジリはこの世界で今まで生きてきて、世界がこれほど多くの情報に溢れていることを、何一つ感じられずにいた。5歳までに感じた感覚のデータだけをもとに、頭の中で想像して、補って、再現してきただけだった。自分が持っている能力に気がついて、体の動かし方を覚えなおし、体が送ってくる情報を感知できるようになった今、ヒジリは新しく、世界に生まれなおしたような感覚を得ていた。

 実はその、体と頭の繋ぎなおしということが、ヒジリの悩みの種の一つでもあった。5歳までには持ちえなかった、身体的生理的欲求である。健康で体力のある男子として、ヒジリの体は男性としての変化を遂げ、必然的に異性を求めるような成長をしていた。しかし、下半身のシグナルを、これまでヒジリの頭脳は受け取らずにきていた。第二次性徴の結果としての性的欲求の、処理の仕方を学ばずに、ヒジリの頭脳は今、欲望の直球の訴えを急に受け止め始めている。真弓さんとのリハビリ中。どれだけ我慢しようとしても、ヒジリは彼女の胸の豊かな曲線を見ると、触りたくて仕方がなくなってしまう。気がつくと、可愛らしい介助士さんは、またつまずいたかのように転んで、ヒジリの手のひらにその柔らかい胸を押しつけてしまっている。謝りながら、また一歩、真弓さんが後ずさる。ヒジリの心を後悔の念が襲う。それでもまた、彼女の体のラインに、どうしても目が行ってしまう。後ろを向いた真弓さんに、両手を床につけるほど前屈させて、ズボンのお尻にパンティーのラインが浮き出るほどお尻を突き出させたりしてしまう。首をかしげながら、赤面しつつリハビリに戻ろうとする真弓さん。それでもまた一歩、ヒジリのいる場所から遠ざかっていた。

 処理の仕方を覚えたてのヒジリに、性欲が昼夜を問わず押し寄せる。体の自然な触覚が、不思議な能力のバイパスを通じて回復したのはありがたかったが、このムラムラ、モンモンとする下半身の疼きには、閉口してしまった。昔は部室でエロ本を回し読みしていた部員を無視して道場の畳を雑巾がけしていたヒジリだったが、今なら彼らの行動も共感出来る。思春期の性的衝動は、どうにか逃げ道を作ってやらなければ、頭がおかしくなりそうに強力なものだった。

 真弓さんとの接触が減っていくと、ヒジリはその欲望を看護婦さんたちに向けるようになる。ヒジリの病室があるフロアは、井村碧さんと、白杉実依奈さんが担当していることが多いが、夜間の当直は奥野星来さんや川田友加里さんも交代で入っている。そのナースたちが、病室にやってきた時、ヒジリの秘かな悪戯が発動する。高橋さんのシーツを変える作業をして、こちらに背中を向けていた実依奈さんが、不意にスカートを捲り上げて、パンツに包まれた丸いお尻を見せてくれたりする。碧さんがヒジリの体温を測ってくれる時にも、必要以上にオッパイをヒジリに押しつけてくれたりもする。星来さんは巡回の時に転んで、偶然、ベッドのヒジリと唇を重ねてしまったこともあるし、友加里さんが何かを拾う時は、いつもヒジリに胸の谷間をたっぷり見せてくれる。不思議と友加里さんは、ヒジリの周りで、頻繁にモノを落とすのだ。

 看護婦さんたちの体をちょくちょく操っていて、ヒジリが気がついたことがある。それほど不自然でない動きをマイルドに操作している時は、操られている本人も、気がつかないことが多いのだ。どうも人は、四六時中自分の体の動きを注意深く意識しているわけではなく、体が覚えこんでいる単純な動きのまとまりに任せていることも多いようなのだ。ナースの体を操って、何か文章を書かせようとすれば、気がつかれるだろうが、ただ、なんとなく右を向いたり、上を向いたりさせる分には、自分の動きの不自然さにも気がつかない場合が多いということがわかってきた。

 そしてモンモンとしたエロ衝動に悩まされる、ヒジリは、ナースへの他愛のない悪戯を繰り返すうちに、自分の力の、新しい使い方も体得しつつあった。感覚の遮断だ。後から考えれば、シンプル極まりない。最近やっと、体の感覚を頭脳と繋ぎなおすことが出来た御堂聖。その逆のことを、短時間だけ周囲の人に、不思議な力を使って当てはめるだけだ。碧先輩はヒジリの体温を測ったり、体の様子を確認しながら、10秒だけ、ヒジリの念じた通り、左腕の感覚を失う。そして、何も感じなくなった左手が、ヒジリのオチンチンを優しく擦ってくれる。右手は作業を続けているし、右側を向くように誘導されている碧さんの顔は、自分の左手の動きが目に入らない角度を向いている。さりげなくその反対方向を向くように誘導されている後輩の実依奈さんは、何も気づかずにメモを取っている。メモ板をグッと顔に近づけた実依奈さん。ヒジリがぽんぽんっと、オッパイに手を伸ばして触れてみても、胸の感覚をその瞬間だけ失っているので、何も気づかない様子で、メモを取り続けている。碧さんを見ると、ヒジリが手を実依奈さんの胸に伸ばした瞬間だけ、たまたまサイドボードのあたりに顔を向けていたので、こちらも気がつかない。2人の可愛いナースさんたちが病室を後にしたところで、ヒジリはベッドの中で寝間着のズボンを下して自分のモノを握る。柔らかいお姉さんたちとの、ちょっとエッチな接触。そして気がつかれずに彼女たちの動きをうまくコントロール出来たというスリルと達成感。クセになりそうな、遊びだった。

 突然、凄い勢いで湧き出してしまった、性欲と格闘するうちに、ヒジリの、周囲の女性の動きを操作する技術、それを気づかれないように視線を動かしたり体の感覚を部分的に麻痺させたりする技は、メキメキと上達していった。これは性欲というドライバー以外にも、ヒジリにこうした技を体得して上達する素養があったのかもしれない。相手の力を使って投げる。相手に気づかれないように有利な体勢、間合いに持ち込む。柔道に限らず、日本武道の基本であり、真髄かもしれない。ヒジリにも体に染みついている、基本所作であり、考え方だ。1週間もしないうちに、ヒジリはショートタイム・エッチを享受する技の達人になりつつあった。おっとりとした実依奈さんや、ホンワカしている星来さんなら、窓の外の景色を見ている間に、自分の制服のシャツをはだけて、ブラを出して、一瞬だけブラをずらし、乳首をヒジリに見せてくれてから、ブラを戻し、制服も戻した上で、何も気づかずに窓から視線をヒジリに戻し、無邪気な顔でヒジリと話を続けてくれる。しっかり者の碧さんや、緊張しがちな友加里さんでも、こちらに背を向けて作業をしている間に、ヒジリがスカートをめくってお尻を撫で、パンツに手を突っ込んでサワサワっとするぐらいのことでは、気がつかない。ヒジリの悪戯は、毎日、一歩ずつ踏み出していくのだった。

 ナースステーションの受付にいる当直のお姉さんも、無意識のうちに下を向いたり、ヒジリと反対方向を向いたりしているうちに、病室から廊下を歩くヒジリの存在に、気づかずにやり過ごしてしまう。そうさせられるようになってからは、彼の行動範囲はグッと増えた。夜は、看護婦さんたちが交代で当直や巡回をしている。ナースステーションの白板に書かれたローテーションを把握すると、ヒジリは仮眠室でいま、どの看護婦さんが眠っているのか、捕捉出来るようになった。

(今日は碧さんか……。碧さん。眠ったまま、体を起こして。体の感覚は全部遮断するから、音が鳴っても、体を触られても、何も気がつかないよね。)

 夢遊病の患者さんのように、若い看護婦さんがムックリと体を起こして、簡易ベッドから足を出して、立ち上がる。相部屋の高橋老人で何度も試してきた、寝ている相手の体を操るという手慣れた技だ。瞼を開かせてみる。それでも黒目の焦点が合わない。虚ろな、マネキンのような表情のない目。眠っている人に目を開かせると、こうなるようだ。それでも、一時的に感覚を切り離させてもらっているので、彼女は眠ったまま。気持ち良く眠ったままの井村碧さんが、白衣のボタンを一つずつ、外していってくれる。女性の服を脱がせる動作をヒジリが全部スムーズに操作出来るわけではない。しかし、本人が「特に注意深く意識していなくても普段できるくらいの行動」ならば、彼女の体に大まかな指示だけを出して、任せれば良いということが、わかってきた。白衣のシャツとスカートを脱いで、ブラジャーとパンツ、そしてパンストだけの格好になって立っている碧さん。パンストも脱がせて、ブラとパンツを肌から離して、ベッドの脇に吊るさせる。枕元に置いてあったナースキャップを、あえてかぶらせる。裸のナースの出来上がりだった。ヒジリは碧さんの代わりに、ベッドに寝そべる。自分の体の操作を最低限に押さえると、他人の体の操作に集中出来る。裸にナースキャップの碧さんの顔の筋肉を操作させてもらう。虚ろな目のまま、ニッコリと口だけ笑った。大きく口を開けてもらうと、少し、真弓さんの笑顔にも似ていた。

 オッパイを両手で掴む。昼間、人目を盗み、本人の目や感覚も盗みながら、慌てて触るのとは違う、じっくり、噛みしめるようなオッパイの揉み心地の楽しみ方。日中、コソッと触るのが嫌いなわけではない。あれはあれで、スリル満点の楽しみだ。だけど夜間、気持ちよく眠りこけているお姉さんのオッパイを思う存分モミモミするのも、また昼とは違う、贅沢な時間だった。まだ取り戻したばかりのヒジリの触覚。両手のひらで碧さんの丸くて柔らかいオッパイを好きなだけ捏ね繰り回す。乳首を摘まんで指で転がすと、ムックリ起き上がってくる。乳首に吸いつく。オッパイを舐めながら、乳首を強めに吸う。笑顔でボンヤリした目のままベッドに膝をついている碧さん。その鼻から出る息は、寝息そのものといった、安心した呼吸だった。

 枕に腰を下ろすようにしゃがみこんで、膝をグッと開いてもらう。気持ちよさそうに目を開けたまま寝ている井村碧さんは、股間を指でかきわけて、アンダーヘアーの中から女性の大切な部分を開いて見せてくれた。肉色の割れ目の繋がっている上の部分に、豆のような突起とそれを包む包皮がある。2枚組の縦の唇のような割れ目の奥には、白っぽい肌色の穴がコインくらいの大きさでポカッと空いていた。その下の方に行くほど、碧さんの綺麗な皮膚は少しずつ黒ずんでいって、皺の寄った「*」マークのような、お尻の穴が見える。割れ目の部分に顔を寄せて、ヒジリが舌を伸ばす。ペロッと舐めると、少しだけ酸味の混じった塩味と、かすかに尿のような匂いが混じっていた。体をあげて、碧さんと向かい合う。碧さんの体は下半身をパックリ開いたままで、ヒジリに抱きついて、オッパイをヒジリの胸板に押しつけながら、キスをしてくれた。睡眠中は唾液の分泌が減ると聞いたことがある。そのせいかキスの後も、働く女性の、乾いた唾液の匂いが、ヒジリの口もとに残った。それは嫌な匂いとは感じなかった。ヒジリの股間が熱く疼いている。碧さんに両手でヒジリのモノを触ってもらう。撫でるように擦ってもらう。そして、丸くて柔らかい、オッパイで挟んでもらった。最後に、亀頭の先端に、優しくキスをしてもらう。舌でオチンチンを舐めてもらうと、簡単にイッテしまった。ヒジリは自分の体がエロを強烈に求めつつも、こうした性的な刺激に対して圧倒的に経験不足だということを理解した。

 もっともっと、経験値を上げていかないと、自分の性的衝動はコントロール出来るようにならない。ヒジリは、これから頻繁に仮眠室を訪れなければならないと、決心した。

 次の日から毎晩、看護婦たちは代わる代わる、仮眠室での就寝中に、知らないうちにヒジリの欲望に奉仕するようになっていた。体が覚えているほど慣れた動きは、ヒジリがナース本人の感覚を遮断して、大まかな指示を与えるだけでも、再現させることが出来る。友加里は清楚な顔立ちに似合わずボーイフレンドとのエッチには積極的なようで、ヒジリが知らない、様々な性技を見せてくれた。星来は男性経験は乏しいものの、一人で自分を慰めることは多いようだ。プライベートで無防備なオナニーを、ヒジリの目の前、30センチという至近距離で、次々と披露してくれた。看護婦という職業はなかなかストレスが溜りやすい仕事のようで、星来も可愛い顔をして、オナニーはなかなか激しい。実依奈は一番若い看護婦さんだが、胸の発育は一番立派だった。騎乗位でヒジリと結合し、腰を上下に振ると、オッパイはブルンブルンと震える。アソコの締めつけはそこそこだったので、ヒジリはイクのを我慢することを、実依奈相手に覚えた。碧は締めつけが強いし、星来はなかなかの名器だったので、イク瞬間のコントロールは難しかった。ちなみにヒジリの初体験の相手は井村碧さん。続いて実依奈さん。友加里さんと星来ちゃんは同じ夜に順番に相手をしてもらった。

 一度、行為の途中に仮眠室がノックされて、ヒジリの肝を冷やしたことがある。

「あの、碧先輩、起きてます? 光が漏れてるから、電気つけたまま寝ちゃってるのかと思って……」

 星来ちゃんの声だった。緊張するヒジリ。決心して、碧にドアの方を向かせた。

(唇……うごけっ。……口を動かして、肺から息を出して、喋ってくれ。)

「……星来ちゃん。ありがとう。ちょっと考え事しながら、うつらうつらしてるだけだから、大丈夫よ。時間になったらそっちに行くからね」

 思ったより自然な、いつもの碧さんの声を出させることが出来た。星来さんは安心して、巡回に戻っていく。誰もこの声、この喋り方で、井村碧さんが裸にナースキャップという姿で後背位で結合しながら、寝言を口にしているとは、思わないだろう。

 仮眠を終え、勤務に戻った看護婦さんたちは、当たり前のように巡回して、ヒジリの病室も訪れてくれる。目が合うと、優しい笑顔で、「眠れないの?」などと聞いてくれる。

「看護婦さんって、……夜のシフトで仮眠を取ったりする時、夢とか見るんですか?」

 ヒジリがこう質問すると、大抵の看護婦さんは、顔を赤くする。ついさっきまで裸で一つにつながっていた彼女たちは、その行為の間、感覚は遮断された状態で安らかに眠っている。それでもヒジリが仮眠室を去って、感覚が戻った時、体が覚えている性行為の感触は、彼女たちが見る夢に影響したりしているのかもしれない。

 ある時、星来さんが無邪気な様子でこう答えてくれた。

「仮眠室って、最近、変な噂があるんだよ。……変な幽霊が出て、寝てる看護師に悪戯するって……。怖いよね~」

「そうなんだ……。でも、星来さん、あんまり怖がってないみたい」

「へ? ……いや・・私は、その、別に気持ち悪いお化けとか、見てないし、むしろ、気持ち……うふふふふ。ヒジリ君も早く寝たほうがいいわよ」

 モジモジと両手で頬を覆った星来さんが、ヒジリの部屋を後にする。さっきの仮眠室では星来さんは寝たまま、指を3本、根元までアソコに入れるオナニーを披露してくれて、そのあとでヒジリと駅弁スタイルでファックした(星来さんのレディコミを拝借した時に、覚えた体位だったので、最初に彼女で試したのだ)。そして最後に彼女をベッドに寝せて、体中にキスをした。柔らかいお腹から、アソコから、オッパイ、脇腹、首元。目を開けたままスヤスヤと、安らかに寝ている星来さんの全身を、丁寧にキスして回った。それが彼女には、あとから気持ちいい夢として繋がったのかもしれない。

「お化けが出て悪戯をする」という噂が看護婦さんの間で広まっていると知って、ヒジリは気をつけるようにした。仮眠室で悪戯をすること自体をやめようかとも思ったが、その決意は2日でくじけた。だから以前よりも慎重に、ウェットティッシュなどでナースたちの体を行為の後で拭いたり、敏感な粘膜などは酷使しないように気をつけた。そして重労働の看護婦さんたちを労わるために、悪戯の間で、短いマッサージをしてあげるようにした。ヒジリも運動部員だったので、スポーツマッサージなどは知っているし、お姉さんたちの体の状態、凝っている場所などは、もしかしたら本人以上に敏感に察知できる能力を持っていた。そして、皮膚の下の筋、筋肉、神経、血管、骨格まで、意識を集中させれば巧みに動かすことまで出来るようになっていた。プロの整体師と競っても、そのゴッドハンドぶりは負けないのではないかと、自負するほどだ。

 ナースステーションの噂はすぐに、「仮眠室にはいい幽霊が出る。悪戯をされることもあるけれど、マッサージが凄く上手。疲れがぐっととれて、気分爽快で目が覚める」という都市伝説に変化していったそうだ。

「聖君。……調子はどう? ……もうすっかり、元気になって、言葉も行動も、麻痺の症状が見られなくなったね……。やっぱり、若いって凄いね」

 久しぶりにあった真弓さん。口を大きく開いて、目をクシャっとタレ目がちにつむる、大好きな笑顔。リハビリテーションルームに、ヒジリを誘導してくれようとする瀬野真弓さんに対して、ヒジリは今度会ったら絶対に実行に移すと、決めていた計画があった。

(真弓さん……ごめんね。苦しくないから……。)

 心の中で謝ったあとで、ヒジリは真弓の体の操作を始める。まずは頸動脈。手で触れもせずに血管をグッと押さえる。脳へ送られる血が滞ると、酸欠になって意識を失う。柔道の練習でも絞め技で相手を落としたことは何度もある。

「ん……んんっ……・ぁ……」

 一瞬違和感を得た様子の真弓さん。自分の首回りに手をやったあと、何も自分を締めているものがいないことを不思議そうにしながら、腰から砕けて崩れ落ちる。その体をベッドから起きたヒジリが受け止めた。意識を失った真弓さんの血流をすぐに復活させる。30秒以上、脳が完全に酸欠となると、脳細胞がダメージを受ける。ヒジリは警察官を目指していたので、体育の選択教程で応急救護を学んでいた。意識を失うだけの酸欠状態を作り、体にダメージは与えないように回復させる。あとは体の感覚を遮断して、失神したままの真弓さんを、ヒジリの自由に動く、お人形さんにしてしまう。心の中で何度もシミュレーションした一連の技だが、想定通り、15秒で遂行することが出来た。意識を失ったまま、ガラス玉のように表情のない目を開いて、真弓さんがヨロヨロと立ち上がる。カーテンを閉めて、病室のなかのヒジリのベッドを個室状態にしてくれる。

 パタ、パタ。介助士の瀬野真弓さんが、2人きりになって、ヒジリと向き合う。

「ひじりくん……すきよ……。まゆみを……ひじりくんの、ものに……して……」

 意識を失ったままの真弓さんが、無表情で呟いて、介助士さんの制服に手をかける。眠っている看護婦さんの体をコッソリ使わせてもらうのとは違う。もう一段階、罪深い行為に手をつけたのだという意識がヒジリを責め立てた。白昼、仕事に励もうとする真弓さんを力を使って失神させて、その体を操って、自由に弄ぶ。許されないことだとわかっていたが、ヒジリの股間ははちきれそうなくらい熱くなっていた。仮眠室で夜に眠ってくれたりしない、真弓さんを手に入れるには、こうするしかないのだ。

 スラッとした長い手足。運動好きらしく、均整の取れたプロポーション。制服を脱いで下着姿になった真弓さんは、女性らしさと健康的な魅力を発散する、素敵な体を見せてくれた。

(ブラも外して、パンツも脱いで、裸を僕に見せるんだ。どこをどう触られても、君は何にも感じない。マネキンと同じだ。ほら、真弓さん。全裸で僕に笑顔を見せて。)

 固唾を飲んで見守るヒジリの前で、真弓さんが上品そうな花柄のブラジャーのホックを外して、肌から離す。思ったよりもボリュームのある、大きなオッパイが自由になってカップから零れ落ちた。適度な運動を続けているからか、張りのあるオッパイが大きさに負けずにツンと上を向いている。乳首は薄い肌色だった。乳輪は想像していたよりも少し大きめ。エッチなオッパイを、心ゆくまで目で楽しむことが出来た。そうしているうちに、真弓さんは花柄のショーツもスルスル下ろしていく。ゆっくりその場で回転すると、そのオトナの女性の魅惑的な体を360度見つめることが出来た。お尻は肉厚で腰の当たりでキュッとくびれている。腰からお尻、そして太腿までの曲線は優美でダイナミックだった。オッパイは横から見ると優しいカーブがより強調される。肌がしっとりとしていて、指を伸ばすと向こうから吸いついてくるようだった。

(キスしようね。真弓さん。)

 ヒジリが口をすぼめると、真弓さんも顔を寄せてくる。二人の呼吸が交じり合うくらいの距離になる。その時……。真弓さんの目に、急に生気がこもった。

「えっ……なに? ……ヤダッ・・どうし……むむっ・・」

 少し大きな声が出てしまった。慌てて真弓さんの唇に固く閉じるように指示を出す。真弓さんは自分が裸でいることに気がついて、おびえている。急いでこの場から逃げ出そうと彼女の体へ神経系から信号が出ているのが、なんとなくの感触でわかるが、これは遮断させてもらっている。瀬野真弓は、意識は回復してしまったけれど、体は指一本、自分の自由には動かせない。裸のまま、金縛り状態だ。

(さっき「落とした」と思ったけれど、真弓さんの体へのダメージを心配しすぎて、失神が浅かったか……。いまもう一度落とせば、まだ何とか誤魔化せる。全部彼女の夢。真弓さんは、疲れが出て、ふっと眠くなっただけなんだ。)

 次の対応策を考えている間に、事態はさらに悪化した。水色のカーテンが開かれて、外から小宮山先生が入ってきたのだ。

「真弓っ。これは……どうなってるんだっ」

 ヒジリに迷いが出た。その動揺のなかで、真弓さんの体のコントロールを失ってしまう。

「こっ。これは何でもないのっ。陽一さん。……あとで、話すから、今は出てっ」

 慌てて服を拾い上げながら、真弓さんは小宮山先生をカーテンの向こう側に送り出す。

「何でもないの。おかしな……気の迷いですっ。……リハビリが変なことになっちゃったの……。ゴメンなさいね。……でも、本当に何でもないから……。米国で話題になったからって、急に新しい手法を試したりして、……聖君も、ごめんね。びっくりしたかしら」

 目に涙を浮かべて、説明しながら服を着ていく真弓さん。小宮山先生が、迷っている様子がカーテン越しに見て取れた。

「……とにかく・・。困ったら、助けを呼ぶように。……今日のことは、見なかったことにします……」

 小宮山先生が歩き去る足音。

「はい……、先生……。申し訳ございませんでした・・」

 真弓さんは、涙を流しながら、服を着終えて、ヒジリとは顔も合わせようとしないまま、カーテンを開き、病室を出る。廊下を走る音が、だんだん小さくなっていった。

 御堂聖は、一人呆然と、放心していた。さっき、真弓さんの短い悲鳴を聞きつけて、助けに来た小宮山先生の様子。そしてヒジリから逃げたいだろうに、彼との関係をまず小宮山に隠そうとした、真弓さんの反応。2人は、付き合っているのだろう。

 だとすると、業務の必要性を超えるほど熱心にヒジリのリハビリをサポートしてくれた真弓さんの心は、初めから小宮山先生へ向いていたのだろうか? 先生が担当している患者への介助を、先生と接点を増やすダシにした、とまでは言わないが。ヒジリの劇的回復が、小宮山先生へのアピールにもなって、2人の仲がより深まったという可能性はある。

 母親に捨てられ、父親とも険悪な仲になって、柔道仲間くらいしか接点のない境遇にいたヒジリ。その彼が病室で全身不随でいる間、唯一の温かい交流相手が真弓さんだったから、のぼせ上ってしまっていた。真弓さんがヒジリの回復を喜んでくれたのは、その先に小宮山先生との熱愛があったから……。そう思った時、ヒジリはすべてがどうでも良くなっていた。

 御堂聖の初恋は砕け散った。そして砕いたのは、自分自身のよこしまな行動だった。看護婦さんから出された夕食を少しだけ食べる。ヨーグルトを飲んだら、すぐに眠くなった。仮眠室で看護婦さんの柔らかい体が待っているかもしれない。それでも、それすらも、どうでも良くなってしまっていた。

。。。

 混濁する意識が寄り集まって、ヒジリはキュルキュルという音を下から聞く。天井が上から下へ、ぐんぐんスクロールしている。……妙な夢だ。そして頭が重い。鈍痛というか、なんというか、靄がかかったみたいな状態だ。

「聖君……。目が覚めたのかい? ……・では、注射をして、もう少し大人しくしていてもらうよ。……申し訳ないが、君はこの病院にこれ以上いてはいけない」

 ヒジリの顔を覗き込んだのは、小宮山先生だった。気がつくと、ヒジリは移動ベッドに乗って運ばれている。体は拘束具でベッドに固定されていた。口を開くことも出来ない。

「最近、看護士から、仮眠室にまつわる、妙な噂が寄せられていた。そのことを真弓に話したところ、彼女も今日のことを、正直に教えてくれたんだ。大変申し訳ないが、君の夕食には睡眠薬を入れさせてもらいました。君が引き出しにしまっていた、カメラの中身も確認させてもらいました。信頼できる看護士にそれと気づかれないように質問をしてみたのだが、本人は何も知らないようだ。……カメラの中には君と笑顔で関係を持っている写真が大量に出てくるのに……。君は一体、どうやって、こんなことをしたの? ……真弓にも同じことをするつもりだったの?」

 小宮山先生の目には、怒りと悲しみが入り混じっていた。視界には、介助士の真弓さんも入ってくる。2人でヒジリをどこかに移送しようとしているようだ。2人はまだ、ヒジリの最低限の処遇と安全のことを気にかけて、ことを荒立て過ぎないようにしてくれているのだろうか。……睡眠薬を盛って、患者の私物を漁ってまでして……。ヒジリは自分の所業は棚に上げて、真弓を睨みつける。彼女はもしかしたらヒジリを恋人へのアピールとしてリハビリの成果を上げて、自分の身に危険が及ぶと、あっさり、小宮山にヒジリを売ったのかもしれない。そう思うと、これまでの恋慕が憎しみに転じていく。小宮山先生がヒジリの腕に注射器を当てる。針が刺さった。

「どんな力なのか、計り知れないが、君は体を縛られても、我々に危害を加えられるという可能性がある。申し訳ないけれど、鎮静剤で君を無力化させてもらうよ。これ以上、この病院を君の玩具にさせるわけにはいかないんだ。……最後に、君のこの力を、君に自覚させたのが僕の診察だったとしたら、謝ります。君は、目覚めさせてはいけない能力に気がついてしまったんだと思う。……本当にゴメンね。さようなら」

 注射器の中の薬がすべてヒジリの静脈に注入される。ヒジリが目を彷徨わせて、ゆっくりと瞼を閉じて、脱力する。その様子を見て、小宮山先生と真弓さんが、ベッドの移動を再び始めた。

「うっ! ……ぐぁ……」

 首の後ろ。頸椎の部分にチョップを命中させられて、小宮山先生が倒れる。小宮山先生を攻撃した真弓さんは、信じられないという顔をして、自分の右手を眺める。そしてそのまま、真弓さんの頸動脈がひとりでにキュッとしまって、失神する。床に崩れ落ちた真弓さんと小宮山先生。二人はホラー映画のゾンビのようにヨロヨロと起きだして、慣性の力でまだ廊下を滑っているヒジリのベッドを止める。手すりに繋がれている拘束具を外す作業に入る。小宮山の胸元を探らせると、やはり護身用に、メスなのか、医療用の刃物を持っていた。ヒジリは左腕を差し出す。肘の少し上の部分で静脈を少し切り開く。血が噴き出る。自分の皮膚をキュッと閉めて、血管の切り口も収縮させた。

 静脈に打たれた薬。腕の静脈の脈動を止めて、血をストップさせれば、脳や体に行き渡たることはない。ほとんどの薬の成分は、今、体外に出したはずだ。……少し頭がボーっとするが、わずかな量であれば、我慢できるはず・・。拘束具を外してもらったヒジリは、ゆっくりと自分の力で立ち上がった。目の前に立っているのは、失神した、主治医の男前先生と、可愛らしい介助士さん。ヒジリを騙して薬を盛って、私物を物色して、勝手にその身柄を別の病院か施設に運び出そうとしたこの2人は、きっと医師法にもいくつか違反しているはずだ。

「ちょっとくらい、仕返しさせてもらったって、いいよね?」

。。。

「おはよう。先生。真弓さん。……景色が変わってる?」

 真弓さんと小宮山先生が目を覚ました時、2人は全裸で、小宮山先生専用の診察室にいた。1階には入院患者の病棟はないので、警備員さんの巡回時間だけ気にしていれば、他に邪魔が入る心配はない。

「……あっ……イヤっ。また、私……」

 全裸でふらふら立ち尽くしていた真弓さんが、恥ずかしがってうずくまろうとする。そこにヒジリが意識を集中させて念じる。……すぐに瀬野真弓さんは、立ち上がって、バンザイの姿勢になる。両足を揃えてつま先立ち。まるで器械体操の選手が演技を終えた後の決めポーズをするようだ。

「……・う……動けない……。これが、君の力なのか? ……一体、どうやって……」

 全裸で診察用の椅子に座ったまま、身じろぎ一つ出来ずにいる小宮山先生。不思議な力を体験していることにも、興味が少しだけいっているようだった。

「全身不随になってから、3か月近く、おふたりにはとってもお世話になりました。首から下、いや、目以外はほとんど動けなくなった僕を、診てくれた小宮山先生。リハビリを根気よく手伝ってくれた真弓さん。……でも、3か月たって、僕がピンピンしていて、2人が指一本、自分の思い通りに動かせなくなってるのって、なんだか面白いですよね。……ははは。……ちょっとした、立場逆転みたいで」

「聖君。もうやめてっ。お願い。私たちを自由にして」

 真弓さんがバンザイポーズで迫力のオッパイを突き出したまま、ヒジリに懇願する。しかし、ヒジリは気に食わない。「私たち」という言葉がまた、怒りに火を注ぐ。ヒジリは、これまで自分の性格は感情の起伏に乏しいほうだと思っていたが、今日はなぜか、感情のストッパーが外れたように、暴れたくなっている。

「私たちって、言うなっ」

 指で真弓さんの乳首をビンッと弾く。もう片方の胸をギュッと揉みつぶす。バンザイをしたまま、真弓さんがシクシクと泣いた。

「聖君……。今の貴方……おかしい……。いつもと顔つきが違うわよ。……酔っているの?」

 真弓さんが痛みに鳴きながら、ヒジリの様子に気がついて、顔を覗き込んでくる。その可愛らしくて表情豊かな顔を見ると、またヒジリの胸はキリキリ痛む。

「うるっせいなぁ。酔ってねぇよっ……。うっ……ちょっと、気持ち悪いっ」

「鎮静剤が……、一部の成分だけ脳に達しているのかもしれない。大脳皮質だけわずかに麻痺して、暴力性が逆に増している。ヒジリ君。今の君はまともな思考が出来ていない。落ち着いてくれ」

 頭がボンヤリする。ヒジリの感情が山から谷へ、また山へと荒ぶった。

「誰がそうさせたんですかって、言うんですよ。これ、先生の注射でしょ。酷いことする先生だなぁ……。罰として……。恋人とエッチしちゃいます。……イェーイ、パチパチパチ。ほら、真弓ちゃんはこっちのベッドで、僕とセックスしましょう。先生は、それを見ながら、オナニーしてればいいんですよ……。キャー。スケベーっ。はっはっはぁー」

「お願いだから、ヒジリ君。落ち着いて。私たちは罰は受けるから、いつもの貴方に戻るまで、少しだけ待って欲しいの」

 真弓さんが視界の中で、二重にぼやける。可愛い真弓さんの裸が2人分見られるなら、それも悪くないような気がしてきた。

「待てません。真弓さんはベッドに寝て、思いっきり足を開いてよ。そうそう」

 まだバンザイポーズを崩していない真弓が両足を付け根が痛くなるほど広げる。もちろん、彼女の意志ではない。すべて瀬野真弓の必死の抵抗と無関係に、彼女の体が勝手に動いて、この体勢になってしまっている。

「あれっ。アソコは乳首よりも綺麗なピンクッ。ちょっと指入れちゃってもいいですか?」

「駄目駄目っ。それだけは……は……、はい。真弓のおマ〇コに、指をずっぽり、入れてください……。やっ……こんなこと、言いたくないっ」

 茶色の髪を振り乱して、ブンブンと顔を左右に振る真弓さん。しかし恋人の小宮山先生には、ハッキリと、イヤラシイ言葉を口から出すのを聞かれてしまった。遠慮なく、ヒジリは真弓さんの女性器に指を突っ込んで遊び始める。2本の指を膣の中で開いてみたり、Gスポットと呼ばれる部分がどこなのか探してみたり、クリトリスの包皮を剥いたり、? き出しになったクリを舌で転がしたり。やがてジュクジュクと、真弓さんの割れ目から、恥ずかしい液が溢れてくる。適切な刺激を適切な分量与えれば、然るべき反応を返してくれる。健康な体はとても正直だ。ピチャピチャという真弓さんのハシタナイ股間の音を、あえて激しく、診察室内に響き渡らせる。真弓さんは目に涙をためて、イヤイヤと首を振っていた。それでも乳首を舐められながら、右手ではクリトリスと膣の中を同時に責められると、泣きべそをかく声が、少しずつくぐもってくる。

「どうして……こんなに……。変よ……、こんなの……」

 真弓さんが体の快感に悶えて身を捩りながら、バンザイ開脚ポーズのまま患者に弄られて感じていることを隠せずにいる。童貞だったヒジリも、看護婦さんたちを相手に多少は経験を重ねた。しかし、それだけでは、恋人の前で我慢しようとする、意志の強い真弓さんを突き崩すことは出来ない。だから、ヒジリはまた特殊な力で、新しい技を駆使している。感覚を遮断するのではなくて、嘘の感覚を与えているのだ。5歳の事故から3か月前まで、ヒジリは自分で目視した事態から体が感じるべき感覚を想像して、その部分が本当に痛かったり、痒かったりするという、想像上の感覚を再現していた。それを教えてくれたのは、今、椅子でオナニーに励んでいる、主治医の男前先生だ。今はその、想像上の感覚を、真弓さんに送り込んであげているだけ。これまでやってきたことと、大きな違いはない。

 それでも、真弓さんはそんなことを知る由もない。股間を突き上げる快感。クリトリスや乳首を触られて、我慢出来ないくらい気持ちいいという信号を送られた神経系は、脳にそれを届けて、気持ちいいと判断している。体が、ヒジリに触れられて喜んでいる。もっと触れられたがっていると信じ込んでいる。真弓さんは、心でいくら拒もうとしても、体ではヒジリを求め、わなないていた。

「入れるよ。真弓さん」

「駄目だってば……ぁ……もぉおおおおっ。駄目だよっ。こんなに、気持ちいいのは、おかしいもんっ。・・こんなのっ……くっ……あぁあああああんっ」

 粘膜の薄皮をさらに一枚? くように、女性器の敏感度を上げている。その状態でヒジリのモノの挿入を受けた真弓さんは、ブリッジするように体を弓なりにして仰け反った。激しいセックスの始まりだ。おそらくヒジリが初恋の人とエッチをする、最後のチャンスだ。頭の中の変な痺れ感覚が薄まっていっても、ヒジリはなお、暴力的に、動物的に、真弓を犯しつくすことにした。激しく、目一杯激しく腰を振る。真弓さんは喘ぎ狂い、悶え狂いながら、何度も何度も枕に後頭部を打ちつける。彼女と性器で繋がっていることが嬉しかった。すぐに遠く別れ別れになるということはわかっていたけれど、今はオチンチンが真弓さんのおマ〇コに深く突き刺さって連結している。2人は1つに結合している。その喜びを噛みしめながら、ヒジリは腰を振って、やがて真弓の中で果てた。やはり、自分で思うよりもずっと早く、出してしまった。ちゃんと子宮まで届いただろうか? ヒジリは念じて、自分のモノをまだ勃起したままで維持する。腰の振りはさらに加速させた。

「駄目だってばぁぁああんっ。……・こんなに、気持ちよかったら、忘れられなくなっちゃう。陽一さんとじゃ、ものたりなく、なっちゃうよぉおおおっ。くっはぁあああああああっ……イっくぅううううう」

 よがり泣きながら、真弓さんも果てる。小宮山先生を見ると、2回もイッてしまったようだった。

。。。

「小宮山先生。僕はこの病院にも貴方たちにも、二度と近寄りません。貴方たちも、僕のことは忘れてください」

「……聖君。私は医師として、君が力を使い続けることをお薦めしない。これがどんな原理で機能しているのか全く分からないのに、危険だとは思わないかい? もしかしたら君は、命を削って、この力を行使しているのかもしれないんだよ」

「どうでもいいです。この力を使わずに、完全な全身不随の17歳として、目だけ動かして余命を全うするくらいだったら、この力を使いながら早死にした方がマシなんです。先生だって、僕と同じ目に遭ったら、共感してくれると思いますよ。何なら、真弓さんと一緒に、ここで首から下が一切動かない体にしてあげましょうか? 2か月くらい」

「……わかった。君の言う通りにしよう。真弓にこれ以上の手出しはしないでくれ」

「先生はやっぱり、すごく頭のいい人です。貴方は社会的信用も専門知識も持っているけれど、僕みたいな不思議な能力は持っていない。そして、僕には失うものが無くて、貴方には、色々とある。そうでしょ?」

 ヒジリは小宮山先生の机の奥から、額に入った写真を取り出した。先生と娘さんの写真だった。

「僕は未成年です。殺されさえしなければ、何があっても何年か後にはここへ戻ってくることが出来る。その時、先生の大切な真弓さんと千鶴ちゃんとが、酷い操られ方をしたら、どうします? ……そんなリスクを犯したくなかったら、医学的な興味や僕への同情、復讐心は全部忘れて、ここで大切なものに囲まれて、幸せに暮らし続けてください」

 ヒジリが肩をポンと叩くと、小宮山先生は俯いたまま、啜り泣き始めていた。その先生に、寄り添うようにして包み込む、まだ裸の真弓さん。この2人は、これ以上ヒジリを追ってくることは無さそうだった。

。。。

 病院の正門を出る時に、振り返って一礼する、御堂聖。道場では当たり前の所作だが、病院では珍しい、逃走の仕方だろうか。

 まだ夜が明けないうちに、駅を目指して丘を下りる。

 学校には戻らない。警察官を目指すのを諦めなければならないようなことをしてしまったし、柔道の稽古の日々に戻るには、あまりにも武道の枠を超えた、強力な能力を身に着けてしまった。ヒジリの所持品は、本当に限られたものしかなかった。これからどこに行くかも考えていない。しかし、自分の体はまだ動く。そして動かし続けるための能力を持っていたことに気づかされた。右足が前に出る。次は左足が出る。この体、前に向かって走れる。何も怖いとは思わなかった。

< 第2話につづく >

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