催淫師 序章(改)

 四月も終わる金曜日の夜、雨桶市外にある霧に包まれた古い洋館の前に、一台のトラックが止まり、三人の人間が降りて来た。
「あんた達、本当にあそこに・・・あの‘悪霊の館’に住むのかい?」
 まず口を開いたのは、三十代後半と思しき如何にも運転手風な男。視線の先には少年と少女がいる。
「ええ・・・霊なんて信じてませんからね」
 そう答えたのは少年の方だった。
(やっぱりか・・・)
 彼は溜め息をついた。退魔士の存在が認知されても、霊や妖魔を信じる人間はあまり多くない。彼は初めてこの二人を見た時、まずはメイドのような少女の格好と、その美しさに度肝を抜かれ、次いで少年から引っ越し先を告げられて眩暈を感じたものだ。
「説明はした通りだ。信じるかどうかは勝手だが・・・気をつけるに越した事はないぜ」
 悪霊の館。これまでに館に住んだ全ての者が呪われて死んだと言われる。退魔士や霊能力者は除霊を拒絶し、入った者も悉く逃げ出した。今では当然住み手も無く、持ち主は処分に頭を痛めていた。
 少女の気を引く事も兼ねて、道中で説明したのだが、
「どうも」
 と気の無い返事が返ってきたのだ。
(全く、最近のガキは・・・にしてもこの二人の関係は一体?)
 見た目なら釣り合いが取れない事も無いのだが、どう見ても恋人同士ではない。
(まさか本当に主従関係か?)
 謎めいた二人に興味を捨てきれない・・・正確には少年と共にいる、初めて見た時から一言も口を開かない大人びた少女に。
「じゃあ俺は此処で」
 荷物を降ろし、運転手はさっさと帰る事にした。それを見た少年が指をパチンと鳴らすと、異変が生じた。
「お、俺はどうして此処に?」
 運転手は何故自分が‘悪霊の館’の前にいるのか、思い出せなくなった。一目散に走り去るトラックを見送ると少年は館の方へと向いた。
「確かに強い霊気を感じる・・・こりゃ並の退魔士の手に負えないのも無理ないな」
 誰とも無く呟く。
「本当に悪霊はいるだろうな・・・おかげで二百万で土地と建物が手に入ったんだが」
 この土地、軽く五百坪はある。建物も含めてこんな非常識な値段がついたのだ、さぞ曰くつきの場所だろうと思っていたが、まさか悪霊とは。
「まあその方が好都合なんだけどな・・・行くぞ千鶴」
「はい啓人様」
 霊は信じてはいるが、最初から恐れていない。

 玄関の扉を開けて間取りを確認した。
「思ったよりも片付いてるな。綺麗好きなのか?」
 皮肉な口調である。
「まずやる事は挨拶、それから大掃除だ」
 大きな茶色の壺を片手に啓人は奥へと進み、千鶴はそれに続く。やがて二人は霊気が密集している部屋に着いた。ドアを開けると、濃い霊気が二人の頬を撫でる。
「悪霊達・・・いや、一体とその他大勢か。姿を見せろ」
 啓人の声に応えるかのように、複数の人魂が現れやがて足のない人間の形を成していった。
「貴様達は何者だ?」
 尋ねてきたのは中央の女霊。一体何時から棲みついているのか、彼女はどう見ても江戸時代の女性であった。美形だが、気の強そうな顔立ちをしている。
「新しく住む事になった者だ。宜しくな」
 おどけた口調で言う啓人。
「とぼけおって・・・私が聞きたいのは貴様達が私達の居場所を探し当てる事が出来た理由、そして何故貴様から妖気を感じるのかと言う事だ」
「ほう・・・気付いたのか」
 啓人の顔も口調も、そして彼から発せられる雰囲気ががらりと変わる。
「確かめたいならかかって来い。その勇気があるならな」
 冷たい響きだが、内容は完全な挑発である。
「良かろう・・・貴様の精気を吸い尽くしてくれよう!」
 強烈な霊気を発しながら、女霊は何故かゆっくりと接近する。
「いい千鶴」
 一声で女霊の前に立ちはだかろうとした女を制する。それを自分への侮蔑ととったか、女霊はふっと姿を消し、次の瞬間啓人のズボンをすり抜けて一物を掴んでいた。
「ちょっと待った」
 啓人は少しも慌てず、今度は女霊の方を制する。
「どうせならキスからの方がいいんだけどな」
 余りにも余裕な啓人に激昂したか、
「何処までも愚弄しおってっ!」
 叫ぶや否や、噛み付くように唇を塞いだ。どうみても女霊が優勢だが、啓人の片手が霊魂の下半身(?)に伸びた瞬間、
「んんーーっっ!?」
 途轍ない快感に襲われ、慌てて退いた。
「魅矢様っ!!」
 驚愕の声を発し、他の霊達は息の荒い女首領・魅矢の下へと集う。
(ば・・・馬鹿な・・・)
 通常霊と触れ合うには霊の意思が必要不可欠だ。つまり、この場合は唇以外はすり抜ける筈だったのである。
「やはり‘妖力’の使い手か・・・だがしかし・・・何故私に快感を・・・」
 それこそが問題なのである。妖気を感じた時点で、ある程度の事は予想できていた。
 しかし、それだけで霊体である魅矢に快感を与えるのは不可能である。
「貴様は・・・一体・・・?」
 より実感がこもっている。
「俺は只の催淫師さ」
 自嘲気味に言う啓人。
「たわけた事を・・・催眠術などが私に通じるものか・・・」
「当たり前だっ!霊体に催眠術が効いてたまるかっ!催淫術だ、さ・い・い・ん・じゅつ!」
 流石にショックだったのか、やや興奮気味になっている啓人。
「催淫術・・・?」
 霊魂が聞き違いなどする筈がないから、本当に知らないのだろう。
「やっぱりか・・・マイナーだからな」
 言葉の内容とは正反対にがっくりきている一人の少年。ところが、
「私は聞いた事があるぞ」
 一人の霊がそう発言する。
「魅矢様、確か催淫蟲やら淫獣やらを操る術の事でございます」
 どうだ、と言わんばかりに啓人の方を見る。
「ちょっと違うな・・・それって一般的な認識だろう。まあ確かに俺みたいなタイプの術者はもういないだろうが・・・」
 一転、真面目な口調である。
「まあ合格ってことにしておいてやる」
 不遜な態度に不敵な笑み。だが、それを咎めるべき存在はまだその余韻に精神を縛られていた。
「つまりは・・・妖術の一種か」
 意外と頭の回転は速い。
「そういう事。そして遊びの時間も終わりだ」
「何?」
 啓人は自分の後ろに佇んでいた少女に顔を向けた。
「千鶴・・・雑魚共を掃除しろ」
「かしこまりました」
 真っ暗だった部屋に明かりが差し、数歩前に出た彼女を光が照らした。月の光に照らされた彼女の美貌を認識した霊達は硬直してしまった。いや、魅矢さえも気にも止めていなかった女の顔を唖然と見ている。
「ふん・・・」
 異様な光景を鼻で笑ったのは、啓人である。千鶴を初めて見た人間が性別を問わずに陥る現象なので、彼にしてみれば全く珍しくないのだ。彼女の唇が早く動き呪文を紡ぎ出した時、ようやく我に返った魅矢が号令を下す。
「殺せっ!」
 その声で残りの霊達も我に返ったが、詠唱の終了が早かった。
「滅!」
 叫ぶと同時に妖力が彼女から放出され、霊達に襲い掛かった。
「ぎゃああああああああああああああああっっっっ!!!!」
 醜い断末魔の叫びを残し、霊達は残らず消滅した。
「なっ・・・!!」
 魅矢は絶句してしまった。
(そんな馬鹿なっ!従僕の女如きがあれ程の力を持っているというのかっ!?)
「当然、俺の方が強いよな」
 止めと言わんばかりに言い放つ。
「おのれ・・・!」
 怒りに身を任せようとした魅矢だが、己の身の異変に気付く。
(体が・・・動かん・・・)
 彼女の体―正しくは魂魄だが、何かに締め付けられたように動く事も消える事も出来ない。
「俺が妖術を使えるのを忘れたらしいな・・・お前の魂魄は捕獲した」
「くっ・・・!」
(何て奴・・・この男はバケモノかっ!?)
 霊達にとって最も恐ろしいが、最も難しい筈の術をいとも簡単に使役しているのだ。
「確かに美女なんだが・・・幽霊相手ってのはなあ・・・」
 啓人が許せるのは獣とまで。流石に霊魂相手は気乗りしないというものである。
《暗黒の色、永久なる深染を彼の存在にもたらせ・・・》
 結局、‘催淫術’ではなく‘妖術’を使う事にしたのだ。
「ぐうううわあああああああああ!!!!!!」
 啓人から立ち込めた黒い霧が魅矢を包み込み、魂を蝕んでいく。魅矢は黒霧に啓人へ絶対服従を促す別の精神を植え付けられ、元来のものとの葛藤に苦しんでいる。
「お、案外しぶといじゃないか」
 魅矢の精神が抵抗し続けているのは、強靭な精神力と言うより啓人が手を抜いているのである。小動物を殺して喜ぶ、残酷な子供と同じなのである。
「じゃあ責め方を変えよう」
 その言葉と同時に、今度は凄まじい快感に襲われる。
「うっ・・・くっ・・・あーっ!ああああっっっっ!!!!」
 人間なら発狂しているところを忘我の状態で済んでいるのは流石であった。
「千鶴、柏山大附属と市役所の地図を」
「はい」
 催淫師を名乗るクセに、催淫術をほとんど使わない少年とそれに従う少女。快楽に戦く女霊の陥落を確信した二人は、新たなる動きへ関心を移す。
「‘お前達’はこの館の掃除だ」
「「はい啓人様」」
 二人の返事を聞いた少年は月夜を見上げる。
「さて・・・どんな学校かな」
 誰に向けたものでもないその呟きは、窓をすり抜け夜空へと消えた。

< 続く >

 諸事情により、遅れていた事がようやくできました。
 本質的な問題は変わってません(汗)。
 そもそも前の話を覚えている方はいるのだろうか?
 実はやられ役にすぎなかった魅矢。
 そして都合により削った啓人と千鶴の・・・。
 こんな独り善がりな作品、他にないでしょうね・・・(汗)。
 分かってても直せない、直らない・・・(汗)。
 皆様のあたたかいアドバイスを踏まえた筈の話・・・
 非難を待ってます・・・あ、でも前よりはマシ(?)なのかな。

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