糸切り人シザー・人形の館

 今にも降りだしそうな暗雲が、空一面を覆っていた。
 吹きすさぶ北風が、土埃で汚れたマントを翻していく。
 低く、長いその唸りは一向に鳴り止む様子はない。
 身を切るような冷風のなか、旅の男は一人、平原にある小さな町の大通りを歩いていた。
 陰気な町だった。
 レンガ造りの薄汚れた家屋は、どれも扉を重く閉ざしている。
 窓にはカーテンが厚くかけられ、外からの視線を阻んでいた。
 まだ時間は昼下がりだというのに、通りに男以外の人影はない。
 屋台も、積荷を運ぶ馬車も、駆け回る子どもたちの姿も―――どこにも、見当たらなかった。
 町は、まるで真冬の荒野のように静寂に包まれている。
 決して、廃墟なわけではない。
 うっすらと、カーテンの隙間から灯りがこぼれているのがわかる。
 間違いなく人は住んでいるのに、その息遣いを感じられない。
 まるで何かに怯え、身を潜めているようでもあった。

 宿屋ですら例外ではなかった。
 入り口は内側から施錠され、しっかりと閉まっていた。
 男が何度ノックしても、誰も出てくる気配はない。
 いつから掛けられているのだろうか。『close』と書かれたプレートは、かすれて文字が消えかかっている。
 男はため息をつくと、ふと宿屋の二階に目をやった。
 視線を感じたのだ。
 見ると、カーテンがかすかに揺れていた。
 ほんの一瞬前まで、誰かがこちらを見つめていたらしい。
 そう気付いて、改めて周囲に気を配ってみると―――あちこちから、こっそりと様子を窺われているのがわかった。
「・・・・・・・・・」
 視線の元を探りはせずに、男はかぶっていたフードをさらに深くかぶせると、通りを抜けて町の外に出た。
 林道を抜けた小高い丘の先に、屋敷が建っている。
 男は、そこを目指して歩き出す。
 赤土がむき出しになった山肌から吹く土埃が、男の姿をかき消していった。

「いらっしゃいませ。どのような御用でしょうか」
 屋敷の扉を叩くと、すぐに年若いメイドが出てきて応対してきた。
 薄い黒髪の、ショートカットのよく似合う少女である。
 男はかぶっていたフードを取る。
 現れた顔は、ちょうど二十歳くらいの青年のものだった。
 月の出ない闇夜のような光沢のない黒髪が、目にかかるあたりまで垂れている。
 青みがかった鉛色の切れ長の目は冷たい光を放ち、まっすぐにメイドにむけられていた。
 顔立ちは悪くない方だろう。
 旅装束に包まれたその身体は痩せ型に長身とひ弱そうだが、そこから発する空気は反対にずっしりと重苦しいものだった。
「・・・旅の者だが、一晩の宿をお願いしたい」
 男がゆっくりと口を開いて言うと、黒髪のメイドは軽く頷いた。
「少々、お待ち下さいませ。旦那様に御伺いしてまいります」
 軋んだ音をたてて、レリーフの彫られた重厚な扉が一旦閉まる。
 男は微動だにせず、じっと前を向いたままその場に立ち、待ち続けた。
 五、六分ほど時間がたつと、再び扉が開いた。
「どうぞお入りください。心から歓迎する、とのことです」
 先ほどのメイドが、柔らかな笑みを浮かべて嫌味にならない程度に頭を下げ歓迎してくれる。
「・・・感謝する」
 男は促されるまま、屋敷の中に足を踏み入れた。
 豪奢な大広間が目の前に広がる。
 深いワインレッドの色をした、柔らかな絨毯。
 左右対称に置かれた、花冠をつけた乙女の石像。
 首を真上に上げてようやく見える天井には、きらびやかなシャンデリアがいくつも吊り下げられている。
 どれも年代を感じさせる古いものだが、よく手入れされているためむしろ品のよさを醸し出していた。
「旦那様が、お客様とお話がしたいそうです。こちらへどうぞ」
 メイドに導かれるまま、男は大広間の中心にある幅の広い階段を通って二階に上がる。
 廊下をしばらく進むと、談話室らしき部屋の前でメイドは立ち止まった。
「旦那様、お客様をお連れしました」
「ありゃりゃ、もう連れてきたのかい。しまったなあ・・・・・・ふむ、まあいいか。どうぞお入りください、旅の方」
 部屋の内側からの声に、メイドが素早く扉を開け脇に下がる。
 男が部屋に入ると、静かに背後の扉は閉まった。
「ようこそ、我が屋敷へ」
 二十代後半ほどの年齢だろうか。
 薄い金髪頭の、細長い顔をした屋敷の主が、ソファーに腰を下ろしたまま男を出迎える。
 その身体には、三人のメイドがぴたりと寄り添っていた。
 髪を後ろで束ねたメイドと肩までのストレートヘアのメイドが、豊満な胸をさらけ出して両脇から主の顔へ押し付けている。
 そして股間部には、まだ幼さを残す顔立ちをした三つ編みのメイドが顔を埋め、懸命に肉棒をしゃぶっていた。
「ははは、あなたがいらっしゃるまでに終わらせようと思ったんですがね。―――ま、座ってください。お疲れでしょう」
 そう言って屋敷の主は、ピチャピチャと音を立てて肉棒に舌を這わすメイドの頭を押さえつけ、喉奥までねじ込ませる。
 旅の男はそれを見てもとりたて騒ぎもせず、少しだけ眉を寄せた。
 そしてやや猫背気味に、屋敷の主と向かい合うようにソファーに腰を下ろす。
「はじめまして、旅の方。ぼくはメルグ・ルッシュ・マグレット。この地方を治める領主です」
「・・・ディーク・アンバー。見ての通りの、旅人です。今回のご好意、心から感謝いたします」
「いやいや、こちらとしても願ったり叶ったりですよ」
 メルグはメイドの頭を押さえつけたまま、その三つ編みの髪をくしゃくしゃとかきまわして愛でる。
「ここらは片田舎の小さな町でしてね。胸が躍るような出来事も、時間を忘れるほど楽しい娯楽もないときてる。やることといったら、こうやって召使をかわいがってやることくらいですよ」
「・・・・・・・・・」
「それでですね。宿を提供する見返りとして、ぜひ旅のお話を聞かせてほしいと思いまして」
 ディークはそれを聞いて、困った顔をする。
「かまいませんが、ご期待にそえるような話ができるかは・・・・・」
「いやいや、旅の話というのはどんな些細なものでも面白いものですから」
 なら、と話を始めようとするディークを、メルグは慌てて止める。
「せっかくお話をしてもらうんだから、きちんと聞かないともったいない。ちょっと待っててください。すぐに終わらせますので」
 メルグが目で合図をすると、三人のメイドは目を細めて妖艶な笑みを浮かべた。
 二人のメイドが、押し付けていた胸をさらに強くこすりつける。
 上下に揺らしながら左右から挟みこみ、主の顔をその谷間の中に埋めていく。
 せわしなく形を変える胸に溺れながら、メルグは舌を出して屹立した木苺のような乳首を舐めた。
 軽く嬌声をあげると、メイドたちは乳房を手に持ち、先端を咥えさせる。
 一方、三つ編みのメイドは唇をすぼめ、音が部屋中に響きわたるほど強く肉棒を吸いはじめた。
 呼吸が続かなくなり息を吐くときにも、亀頭を舐め上げて奉仕を忘れない。
 だんだんとメルグの男根がひくついてくる。
「うっ・・・そろそろ、出すぞ」
 その言葉に、三つ編みのメイドは肉棒を口から離し、大きく口を開けて竿をしごきあげる。
 一瞬、男根が膨らんだかと思うと、白濁液が迸った。
 飛び出した精液はそのまま幼い顔を汚し、開いた口へと流れ込んでいく。
 溜め込んでいた全ての精が放出し終えたのを確認すると、三つ編みのメイドは口に溜まったそれをコクリと飲みほした。
「よしよし、上出来だ」
「ありがとうございます、旦那様」
 メルグが誉めると、三つ編みのメイドは目を輝かせてにっこりと笑う。
 その後、胸で奉仕していた二人に口で男根の掃除をさせると、メルグはメイドたちをさがらせた。
「いや、長いことお待たせしました」
「・・・ずいぶんと、手馴れた様子で尽くすメイドですね」
 繰り広げられた痴態を前に表情一つ変えず、ディークはつぶやく。
「ははは、愛情でしょうかねえ」
 メルグは高らかに笑って足を組む。
「彼女たちは心底ぼくを慕ってくれてますから。なんでも命令どおりに、文句一つ言わずに従ってくれる」
 メルグはふと、何かを思い出したかのようにしかめっ面になり、付け足した。
「・・・町の連中も見習ってほしいものです。こちらが、より発展するように様々な案を持ちかけても、ちっとも耳を傾けようとしない」
「そういえば・・・かなり、寂れた様子でしたね」
「でしょう!?宿屋もやっていないから、最近では人の出入りもめっきり減りましてね」
 ぼくの言うとおりにすれば、こんなことには・・・とメルグは続けようとして、ハッと顔をあげた。
「すみません、つい愚痴ってしまって」
 照れ笑いをして頭をかくと、メルグは改めてディーンに旅の話を求めた。
 ディーンは、ポツリ、ポツリと、旅先であった出来事を適当に切り出して話し始める。
 その話し方は淡々としていて、いまひとつ盛り上がりにかけていた。
 しかし、この地方では知られていない食べ物や動物、自然現象などを中心にしたツボを心得た内容だったため、結果的にメルグを大いに満足させたのだった。
 
「いや~、楽しませてもらいました」
 話が一段落すると、メルグは愉快そうに言ってほどよく冷めた紅茶を口にする。
 時間は夕暮れ時にさしかかっていた。
 雲はますます厚みを増し、外はすでに真夜中のように暗闇に包まれている。
「旅はいい。うん、実にいい。ぼくももっと気楽な身分なら、旅人として生きてみたかった」
 羨ましげにそうこぼすメルグ。
 しかしディークは、目を伏せて首を振る。
「・・・いえ、それほど楽しいものでもありませんよ。自由である分、孤独も同等ですから」
「ふむ。そういった点では、ぼくは恵まれているのかな」
 メルグは部屋の隅で待機しているメイドたちに顔を向ける。
 メイドたちは主人の視線に気付くと、瞳を潤ませてうっとりとした顔をする。
 それは主従の関係だけは決して成りえない、恋慕の混じった表情である。
 頬をほんのり染めて小さく熱い息を吐くメイドたちを、ディークはしばし観察する。
「どんな命令でも聞く、とのことですが」
「うん?―――はっはっは、表情一つ変えないので興味がないのかと思ってましたが、ディークさんもやっぱり男ですねえ」
 メルグが指を鳴らす。
 ティーセットを乗せたワゴンを二人の前に運んできたのは、ディークと応対した黒髪のメイドだった。
「お客様にお茶のおかわりを」
「かしこまりました」
 ポットにお湯を注ぎ、葉を蒸らすメイドに向かって、メルグは口元を歪ませてさらに命令する。
「お茶を出すときには、下半身を丸出しにするんだ。ちゃんと下着も脱いでね」
「はい・・・」
 主人の下卑た命令を、黒髪のメイドは抵抗することなく受け入れた。
 まるでそうするのが当然のようにスカートを下ろし、続けてパンティに手をかける。
 微かな布の擦れる音とともに、乙女のまばゆく白い肌とその奥にある若草の茂みが露わになった。
「ごらんのとおりです」
 メルグの手が柔らかなラインを描く太ももに置かれる。
 ピクンとメイドの身体が震えたが、それは嫌悪からくるものではなく、悦びからくるものなのは明らかだった。
 身をよじりながらもお茶の準備をしようとするメイドの足を、メルグはゆっくりと撫でさすっていく。
 ねちっこく絡みつく手は、ふくらはぎから足の付け根まで少しずつ上がっていき、白桃のような尻肉をつかんだ。
「ほら、こんなことをしても拒まない」
 指が尻を割り、秘所をかきまわす。
「あぁっ、くぅん!」
 甘い叫び声がメイドの口から洩れる。カチャンとカップがぶつかりあい音を立てた。
 メルグは顎をついていたもう片方の手も尻へと伸ばし、遠慮なくめちゃくちゃに揉みしだく。
「あっ、んああ・・・旦那・・・様ぁ」
「ふふふ、かわいいものでしょう?さ、ディークさんも好きなだけいじってもらってかまいませんよ」
 手を離すと、メルグはパチンと軽く黒髪のメイドの尻を叩く。
 黒髪のメイドはふらふらとディークの側にまわると、しっとりと汗ばんできた尻を突き出した。
「どうぞ、お客様の思うがままにお使いくださいませ・・・」
 ディークは相変わらず無表情を崩さぬまま、目の前に差し出された柔肉から視線をそらす。
「おや、どうなされました?」
 自分から話を振っておきながら、全く興味を示さないディークの態度をメルグは訝る。
 が、すぐに合点がいった様子で頷いた。
「ああ、こうやってぼくが見ていると気恥ずかしいと。なるほど、なるほど」
「・・・・・・・・・」
 ディークは肯定も否定もせず、どこか冷たい眼差しをメルグに投げかけた。
 と、そのとき、外向きにはねたセミロングの、勝気そうな顔をしたメイドが部屋に入ってきた。
 メイドはメルグの元に寄ると、何やら耳打ちする。
 メルグの顔つきが変わった。
 どこか不快そうな―――それでいて、小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、「わかった」と立ち上がる。
「すみません、少し席を外させてもらいます。夕食までにはまだ時間がありますので・・・それまで、ゆっくりとおくつろぎください」
 そう言い残すと、用を伝えにきたメイドとともに部屋から出て行った。
「お客様・・・」
 黒髪のメイドが、ディークに身を寄せて顔を覗き込む。
 淫らな欲望の火がついたその瞳は、『抱いてくれ』と語っていた。
 しかしディークはそれに応えることなくメイドの肩をつかみ、自分から引き離す。
「・・・どうして、お抱きになってくれないんですか」
 悲しげな顔で、黒髪のメイドは非難する。
「茶番だからだ」
「茶番・・・?茶番って、何がですか」
「オマエの名は?」
 唐突にディークは、そう尋ねる。
「は・・・?・・・・・・クオレ、と申しますが」
 脈絡の無いその質問に戸惑いながらも、メイドは名を教える。
「クオレ、オマエはどうして身を捧げようとする?」
「旦那様が、そうお望みなさっているからです」
 クオレは即答した。
「それを実行しようとするのは、オマエ自身の意思か?」
「もちろんです。わたしたちにとって、旦那様の言いつけに従うことは何よりも幸福なことなんです」
 澱みなく、クオレは誇らしげに言ってのける。
 その言葉を聞いたディークの顔に、初めて感情が表れた。
 今にも泣き出しそうな、弱々しい笑顔。
「だから・・・茶番だ、と言ったんだ」
 涙こそ流していなかったが、その鉱石のような冷たい色の瞳は哀しみに染まっている。
 どうして、そんな顔をするのか―――。
 掛けるべき言葉が見つからず、クオレは口をつぐむ。
 と、扉をノックする音が沈黙を破った。
「失礼します」
 ぞろぞろと、十人近いメイドが部屋に入ってくる。
 しっとりとした熟女から、まだ十代前半のあどけなさが前面に押し出された少女まで、その年幅は広い。
 メイドたちはディークの真正面の壁際に、横一列に整列して頭を垂れる。
「夕食までの間、お客様のお相手をさせていただきます」
 一番年配らしき、成熟した色気を放つオールバックのメイドがそう言ってクルリと身を翻す。
 他のメイドたちもそれに倣い、ディークに背を向けると一斉にスカートをたくし上げ尻を突き出した。
 色とりどりの下着がディークの目に飛び込んでくる。
「さあ、ご満足なさるまで存分にお楽しみください。何人でも、何回でもお客様のお望みのままに・・・」
 健全な男性なら瞬時に惹きこまれるような、妖しい目線をメイドたちは投げかけてくる。
 腰をくねらせて誘うその姿は、幼い者も含めて卓越した娼婦の仕草そのものだ。
「・・・・・・」
 ディークは立ち上がる。
 しかし、メイドたちの誘いに乗るわけではなく―――無視して、扉の方へとむかった。
「お客様!」
 メイドたちはディークを追い越すと、扉の前に立ちふさがる。
「どちらへ行かれるおつもりですか」
「メルグ卿に会いに行く」
「なりません。お客様を部屋から出さないよう、旦那様に言われております。どうか、この部屋でゆっくりとおくつろぎください」
 物腰は柔らかいものの、メイドたちの目からは頑として通さないという意志が見て取れる。
「いや、オレは行く。さすがにもう、これ以上は付き合いきれない」
 ディークは冷ややかに、行く手を阻むメイドたちを見据える。
 そこにはもう、先ほどの感情の露出した表情は消え去っていた。
 メイドたちは突き刺すような眼差しに怯みながらも、道をあけようとはしない。
「・・・・・・・・・」
 ディークは素早く部屋全体を見渡す。
 そして、一番右端の窓にむかって走り出した。
「あっ!」
 驚くメイドたちをおいて、ディークは体当たりをするように窓を開きそのまま外に飛び出す。
 ほんの数秒の落下感。
 その後に、鈍い衝撃が両足に伝わってくる。
 ディークは芝が敷きつめられた屋敷の庭に、見事に着地していた。
 上を見上げると、メイドたちが窓から身を乗り出して驚愕した様子でこちらを見つめている。
 まさか、こんな命知らずな方法を取るとは思わなかったのだろう。
「窓から逃げるなんて」
「早く庭に下りて!」
「絶対逃がしちゃダメよ。何組かに分かれて、逃げ道をなくして!」
「少しくらいなら痛めつけてもいいわ。武器になるようなものを持っていくのよ」
 メイドたちはあわてふためきながら、ディークを追おうとする。
 その手段を選ばず、なんとか主の命令を守ろうとする姿は、どう考えても尋常ではない。
「・・・もう疑いようがないな。ならば―――さっさと終わらせてしまおう」
 ディークはボソリとつぶやくと、屋敷の正門へと風を切るように駆けていった。

「これはこれは、おひさしぶりですね」
 メイドを幾人も引き連れ正門まで足を運んだメルグは、自分を呼び出した人物にむかって微笑んでみせる。
 そこに立っていたのは、茶髪にいくらか白髪が混じりはじめている中年の男であった。
 大柄で、本来は力強い印象を与える男性だったのだろう。
 しかし今は、どこか生気が抜けたように力なく、痩せぎすなメルグよりも脆く映る。
 酒でも飲んできたのか、顔は赤らんでいた。
「よくもまあ、ヌケヌケと挨拶できたもんだなぁ・・・えぇ!?」
 呂律の回らぬ口で、その男はすごんでみせる。
 メルグはやれやれと肩をすくめた。
「宿屋を開けずに、日がな一日酒びたりですか。よっぽど暇なんですね、ハッターさん」
「あーあ、その通りだ。誰かさんのおかげで町がズタボロになって以来、暇で暇でしようがねえや」
 小馬鹿したように言うメルグに、ハッターと呼ばれたその男も同じくらいに皮肉たっぷりに言い返す。
 途端にメルグの顔つきが険しくなった。
 憎悪に眉間に皺を寄せて、小さく歯軋りをする。
「・・・一体、何をしにきた。嫌味を言いにきただけなら、帰ってもらおうか」
「―――決まってんだろ、この屋敷に来る用事なんざ一つしかねえ」
 ハッターは懐に手を入れ、肉切り包丁を取り出す。
「娘を・・・レイジーを今日こそ返してもらうぜ!」
 唾を飛ばして、ハッターは怒鳴った。
 酒のせいか、それとも怒りからなのか・・・その声は震えてダミ声になっている。
「・・・・・・はっ」
 メルグはハッターの言葉を聞くと、先ほどとは打って変わって愉快そうに笑いだした。
「はははははは、あははははは!なるほど、娘を連れ戻しにねえ。―――ああ、でも・・・」
 メルグは大仰に首を振ってみせる。
 その目には、哀れみがこもっていた。
「前にも話したとおり、あなたの娘は自らぼくに仕えることを望んだんですよ」
「だから腑に落ちねえんだよ」
 ハッターは、すぐにでもメルグを襲えるように包丁の刃を突きつける。
「あいつは・・・レイジーは、オマエのことを心底嫌っていた。遠目で見ただけで虫唾が走るとよく愚痴ってたもんだぜ。それが、ある日突然オマエがレイジーを尋ねてきて二言三言言葉を交わしたら、いきなり『屋敷で働きたい』と言ってきやがった」
「それはつまり、彼女がぼくの素晴らしさに気付いたということではないですか」
「そんなわけあるかよ!しかもだ、そんな戯言を言い出したのはうちの娘だけじゃなかった」
 ハッターの足が一歩、前に出る。鋭い刃先がメルグに近付いた。
「家庭を持ってるはずの人妻や、年端もいかない女の子まで同じ事を口にして館へ行っちまった!」
 さらに一歩。
「オマエが来るたびに、必ず町の女がオマエについていく・・・残されたやつらは、なんとか自分の家族だけは守ろうと家にこもって外に出なくなっちまった。ただでさえ痛手を受けていた町は、さらに寂れていったんだ!」
 肉切り包丁は、メルグの服にこすれるほどの位置で止まっている。
 ほんの少しハッターが腕を伸ばせば、そのまま腹部に吸い込まれていきそうなほどだ。
 しかし、そんな状況にもかかわらずメルグは平然としている。
「さあ、レイジーを―――いや、町の女どもを全員返しやがれ!」
「いやだね。彼女たちはもう、ぼくの所有物だ」
「・・・貴様!」
 怒りが頂点に達したハッターが、手にした刃を突き刺そうとする。
 と、いつの間に近付いたのか、ハッターの背後に立ったツインテールのメイドが、手にしたシャベルを後頭部に叩き付けた。
「―――ぐうぅっ!!」
 くぐもったうめき声をあげ、ハッターはその場に崩れ落ちる。
 不意打ちをくらわせたメイドは冷ややかにそんな彼を見下ろすと、その大きな背中を足で踏みつけた。
「お怪我はありませんか、旦那様」
「ああ、助かったよ。まったく頼りになるメイドたちで、主としては嬉しいばかりだ」
 満足げに顔をにやつかせ、メルグはそのメイドの身体をまさぐってやる。
 ツインテールのメイドは、その金色の髪を揺らしながら主人の愛撫に身をよじらせた。
「ぐ・・・ぐぐ、ぐう・・・・・・」
 身体を震わせながらも、ハッターは顔を上げてメルグをにらみつける。
 そんな敵対者から主を守らんと、残りのメイドたちがメルグを囲うように立ちはだかった。
 ハッターの視線が、そのなかの赤毛のメイドに注がれる。
 それは、先ほどメルグを呼びにきたあのメイドであった。
「お・・・おま・・・え・・・は・・・」
 メルグは驚きを隠せないハッターを見ると、その赤毛のメイドを抱き寄せた。
「そう、お宅のレイジーですよ」
「ああ・・・レイ・・ジー・・・・・・」
 久しく会うことのなかった愛娘を前にして、ハッターは懐かしさと愛おしさに涙を浮かべる。
 が、レイジーは勝気な顔を歪めると、敵意を剥き出しにして父親を見下ろす。
「何をしに来たのよ。・・・しかも、旦那様に手を出すなんて!さっさとくたばれ、この恥知らず!」」
 罵りの言葉を投げかけると、レイジーは打って変わって恋慕のこもった顔でメルグに肩を預ける。
「わたしは、自分から旦那様にお仕えしたいと思ったの。旦那様に尽くすことが、わたしが町に生まれた理由だってわかったのよ・・・」
「ははは、確かに彼女はよく尽くしてくれてますよ」
 メルグは挑発するように、レイジーの右胸を手で掴んで弄ぶ。
「特に、ワインをこぼさずに口移しするのが上手でねえ。晩酌にはかかせない存在ですよ」
「て、てめえは―――うぐぐっ」
 気力を振り絞って立ち上がろうとするハッターを、周囲のメイドたちが容赦なく暴力をくわえて地に伏せさせる。
「レ・・・イジー・・・目を覚ませ・・・」
 体中を痛めつけられながらも、ハッターは娘に懸命に訴えかける。
 しかしレイジーは、そんな惨めな父親を鼻で笑うと―――とろけるような声で、メルグに甘えだした。
「旦那様ぁ、キスさせてください・・・。そうすれば、このバカな父親でも、わたしがどれだけ旦那様を想っているのか理解できるんじゃないでしょうか」
「よしよし。それじゃあ見せ付けてやろうか、オマエの忠誠心を」
 唇を開き、メルグはぬめった舌をレイジーにむけて差し出す。
 レイジーはメルグの舌を吸い、自分の舌と絡めて愛撫しはじめた。
 ピチャピチャと水っぽい音をたてながら、二人はディープキスを何度もくり返す。
 二人の唾液の混合液が顎を伝って滴り落ちていった。
「やめろ・・・やめてくれえ・・・レイジー、やめるんだぁ・・・」
 羞恥の欠片もない娘の痴態を見せ付けられて、ハッターはついに泣き出してしまった。
「・・・はあっ」
 ようやくキスを終わらせると、レイジーは口を拭いながらうっとうしそうにハッターを見た。
「旦那様ぁ、まだ理解できないみたいです。・・・もう勘弁できません!」
「そうだね。―――じゃあ、オマエが殺してあげなさい。彼も実の娘に命を絶たれるなら、本望だろう」
 メルグはこれ以上のことはない、残酷なアイデアを出す。
 しかしレイジーは、心底楽しそうに頷いた。
「は~い!かしこまりました!」
 どこに持っていたのか、草刈り鎌を取り出すレイジー。
 そのよく砥がれた刃は、禍々しい光を放っている。
「うふふ・・・さようなら、お父さん」
 レイジーはためらうことなく、その凶器をハッターの脳天めがけて振り下ろした。

 ガキンッ!!

 次の瞬間、金属同士がぶつかりあう鈍い音が辺りに響きわたった。
 レイジーの手の中から、草刈り鎌が消えている。
 いつのまにか草刈り鎌は、はるか十数メートルも先に飛ばされて地面に転がっていた。
 驚きで目を丸くするレイジーの前に立ちふさがったのは―――ディークだった。
「そこまでにしておけ」
 そう言って、ディークは鋭い眼光をレイジーに・・・・・・いや、その後ろにいるメルグに投げかけた。
 旅装束の右手側の袖から、一メートルはある、大振りの裁ち鋏のようなものが顔を覗かせている。
 これで鎌を弾き飛ばしたのだ。
「くくく・・・尻尾を出しましたね、ディークさん」
 メルグはまるでディークが現れることを予見していたようだった。
「わざとらしく、贅沢三昧を見せ付けた甲斐がありましたよ。この町の噂は、近辺にも広まっている・・・好き好んでやってくる輩などいるはずもない」
 そう言って、人差し指をピンと立てる。
「さあ、答えてください。あなたは、王都の監察局の人間ですか?それとも、雇われの冒険者かな?」
 ディークはしばし沈黙した後、ゆっくりと口を開く。
「どちらでもない」
 そのそっけない返事に、メルグの機嫌が目に見えて悪くなった。
「どちらでもない・・・!?ふざけるな!オマエがぼくを調べにきたことはわかってるんだよ!」
「そのとおりだ。だが、オレは誰にも頼まれていない。自分の意志でここへ来た」
「・・・は、はははは・・・はははははは・・・・・・」
 ディークの言葉に、メルグはわなわなと震えだした。
 ヒステリーを起こす寸前で、肩で息をしている。
「ただの・・・旅人だと!?自分の意志でここに来ただと!?なんのためだ!」
「決まっている。オマエを殺し、哀れな女たちの操りの糸を断つためさ」
 途端に、メルグに動揺が走る。
 無意識のうちに、メルグはディークから離れるように後ずさっていた。
「操りの糸―――だと。オマエ・・・ぼくが政策に失敗したのを、調査しにきたんじゃないのか・・・」
「・・・禁呪を売りさばく裏稼業をしている、旅の商隊を襲ったときに聞いた。人の心を自在に操る禁呪の本を、寂れた地方の領主が欲しがっていた、と・・・」
 ディークはゆっくりとメルグにむかっていく。
 メルグは気圧された様子で、さらに後ずさった。
 そこに、手に様々な武器代わりの物を持ったメイドたちが屋敷中から駆けつけてきた。
「旦那様、お下がりください」
「わたしたちが命の代えてもお守りいたします!」
 口々に言いながら、メイドたちはディークをぐるりと取り囲む。
 その数は、少なく見積もっても五十人はいた。
 メルグは安堵の息をつくと、メイドたちの後ろに下がる。
「は、ははは・・・オマエが何者なのかは知らないが、ぼくの命を狙ってるんじゃあ生かしておくわけにはいかないな。死んでもらうよ」
 メイドたちが手にしたものを構えなおす。
「いや、死ぬのはオマエだ」
 ディークはメルグを見据えたまま、歩き出す。
 メイドたちの持つ凶器など、まるで目に入っていないようだった。
「何を言っている!この状況で、どうやったらぼくを殺せるっていうんだ!?オマエはここでメイドたちに嬲られて、惨めったらしく死ぬんだよ!」
 ディークの足が、一瞬止まる。
 そして、猛然とメルグ目掛けて一直線に突撃していった。
「殺せ!そいつを殺せぇ―――っ!!」
 メルグの命令に、メイドたちが一斉に襲い掛かる。
 鉈が、鍬が、果物ナイフが、金槌が、剃刀が―――ディークにむかって振り下ろされた。
 身体のあちこちを殴打され、服や皮膚が刃で切り裂かれていく。
 それでもディークは怯むことなく、メイドたちを突き飛ばしながらメルグの元へと駆け抜けた。
「ひっ・・・!」
 そして恐怖にひきつるメルグの頭を掴むと、そのまま屋敷の壁まで走ってたたきつけ、裁ち鋏の間に首を挟みこむ。
 冷たく銀色に光る刃が、薄皮を切る。
 うっすらと、メルグの首から血が滲みはじめた。
「・・・お、オマエ・・・オマエは、一体・・・・・・・・・!?」
 突然目の前に突きつけられた死の恐怖に怯えながらも、メルグはなんとか疑問を口にする。
「オレは、人の心を惑わせ操る糸を切り捨てる者・・・糸切り人(シザー)だ」
 音もなく、裁ち鋏が閉じていく。
 メルグは金切り声を上げて懇願した。
「た、助けてくれ!ぼくは何も悪くない!悪いのは、町のやつらなんだ!」
 メルグの顔がくしゃくしゃになり、嗚咽がこぼれる。
 まるで叱られた子供のように、彼は泣きじゃくっていた。
「両親が死んで領主になったとき、ぼくはなんとか町の発展に貢献しようとした。でも、町の連中はぼくの政策をまともに聞こうとはしなかった!」
「・・・・・・・・・」
「結局、無理に押し通したその政策は失敗・・・町は一気に廃れていった・・・。ぼくは悪くない!町の連中が協力しなかったのが悪いんだ!」
 やけっぱちのように叫ぶメルグ。
 ディークはただ、押し黙って話を聞いている。
「それなのに、町の連中はぼくのことを罵って・・・くそ、ぼくを誰だと思ってるんだ!だから・・・だから、ぼくは考えたのさ!ぼくの言うとおりに従ってくれる、聡明な住人を作ろうってね!」
「・・・だから、禁呪で操ったというのか」
「そうさ」
 どこか遠くを見つめ、メルグは口元を引きつらせて笑う。
 首に触れるの鋏の刃のことなど、もう見えていないようだった。
「ぼくの言うとおりにしていれば・・・きっと、前よりも裕福で幸せに暮らせるはずなんだ・・・」
「・・・最後に尋ねる。琥珀色の一つ目をした、心を操る魔物を知っているか?」
「・・・・・・いや・・・知らない・・・」
「そうか・・・。なら、『糸』を―――切らせてもらう」
 バツン、と音とともに、鋏が閉まった。
 生首がクルクルと宙を舞い、地面を転がっていく。
 頭と生き別れた胴体が、ズルズルと壁にもたれかかるようにして崩れ落ちていった。
「・・・・・・・・・」
 ディークは鋏を振って血を払うと、袖の中に収納する。
 振り返ると、メイドたちが、まさに憑き物が落ちたといった表情で―――へなへなと崩れ落ちていた。
 屋敷に来てから今までにされた仕打ちを覚えているのか、青ざめた顔をして泣いている者もいる。
 メルグが死んだことにより、彼女たちはようやく本来の自分を取り戻したのだった。
「・・・ああ・・・わたし・・・わたしは、何を・・・いやあ・・・」
 困惑してすすり泣くことしかできない少女。
 それは、応接間で給仕をしていたあの黒髪のメイドだった。
「・・・茶番、だったろう?」
 ディークが声をかけると、ビクリと肩を震わせて見上げてくる。
「・・・お客様・・・・・・わたし・・・あの屋敷で・・・・ずっと、あれが当たり前だと思っていて・・・」
 思考がまとまらないのか、嗚咽混じりの少女の台詞は要領を得ない。
 ディークは悲しげに・・・しかし、やさしさのこもった顔で、涙を拭ってやった。
「もう忘れるんだ。ろくでもない劇は終わって・・・・・・もう、何も演じる必要はないんだから」
 少女はうつむいて、力なく頷く。
 彼女の傷が癒えるのには、まだまだ時間を重ねていく必要があるようだった。
「あいつは・・・メルグは、確かに町の発展を願っていた・・・・・・」
 正気に戻った娘に肩を貸してもらい、ハッターがディークの側にくる。
「しかし、あいつは結果を急ぐあまり、判断を見誤った。鉱脈を掘ることを、主産業にしようと言い出しやがった・・・当たれば、でかいからな」
「だが・・・この地方の地盤には、ろくな鉱石など含まれていない」
「そうだ。ここいらは土は肥えているが、鉱石なんてありゃしねえ。掘り返しても土地が痩せこけていくだけだ。なのに無理に山を崩し、畑を潰して・・・」
 ハッターは、はるか丘の向こうに目をやる。
 そこに見えるのは、昔の面影をなくした赤茶けた山肌だった。
「すまねえな、旅の方。オレたち町の人間で決着をつけるべきだったのによ」
「・・・いや、オレはオレの都合でやっただけだ。もう、ここには用はない」
 ディークはマントを翻すと、もう周囲には目もくれず歩き始めた。
「今晩の宿なら、用意するぜ」
 ハッターの言葉にも答えずに、ディークは当てもなくどこか別の土地を目指して進んでいく。
「リル・・・キミは今、どこに・・・・・・」
 かすかな声でつぶやいたその言葉は、うなる風にかき消されてしまう。
 空にはあいかわらず暗雲がのしかかり、ひとすじの星の輝きすら見えなかった。

< 終 >

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