第四章 夏の夜の夢(後編)
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夏帆姉ぇの話を聞き終えた俺は、ただ呆然とするしかなかった。
……父さんも俺と同じ鏡を持っていた? それに夏帆を襲った……。
たまらなくなった俺は手元の鏡に向かって声をかける。
「ギィ! 一体どういうことだ? お前、俺の父さんを知ってたのか?」
鏡の中のギィからの返事はない。
「おいギィ! ギィ! 聞いてんだろ? 答えろよ!」
「……志貴、あなた……」
鏡に向かって話しかけ始めた俺の姿に、夏帆が声を上げる。その声を無視し、俺が何度もギィに呼びかけるとようやく、
(……うるせえなぁ。いちいち、俺を使った人間のことなんか覚えてねぇよ。それに、その夏帆って女の見間違いって可能性もあるだろ? 本当にお前の父親が鏡を持ってたのか?)
面倒くさそうな声でギィが答えた。
その答えに俺は大声で反論する。
「嘘をつくな! お前自分で言ったろ! お前の催眠で聞き出した内容には嘘偽りはないって。なら夏帆がさっき話した内容は事実ってことじゃないか! お前は父さんを知ってた、いや、お前は父さんにも俺と同じように催眠をかけさせる方法を教えていたんじゃないのか?!」
ギィに向かって怒鳴り散らすその様子を見つめていた夏帆姉ぇが呟く。
「……あのときの義父さんと同じだわ……志貴、あんたいったい誰と話しているの?」
夏帆姉ぇからみれば、今の俺は一人喚き散らす異常者だ。あの日、父さんもこうしてギィに向かって話をしていたに違いない。夏帆が見たという父さんの言動はまさに、今俺がこのギィに話しかけている姿そのままじゃないか。
俺はさらにギィに問いかけ続ける。
「ギィ! お前、いったい父さんに一体何をしたんだ? はっきり答えろよ!」
あまりにもしつこいので、ついにギィもあきらめたらしく、はぁとため息をついた後、
(……仕方ねえ。もう少ししてから話そうと思っていたんだがよ。まさかその女が、あのときの女だったとは予想外だった。ちらっとしか見えなかったからな、俺も忘れてたんだな。ちっ、俺もこっちの世界に来てからすっかり腑抜けちまったぜ)
あきらめたような声が聞こえてきた。
「ギィ、やっぱりお前……」
(確かに俺は、お前の父親を知ってる。お前の一つ前の持ち主がお前の父親だったんだからな。そうさ、お前の父親もお前同様、ある願いを持っていた。その願いを叶えるため、お前と同じようにあの店で俺を手に入れたんだ。いやぁ、楽しかったぜお前の父親との毎日はよ)
「楽しかった、だって?」
(あぁ、だってよ志貴。お前と違ってお前の父親は情け容赦のない、ほんとにいかれた思想の持ち主だったんだからよ)
楽しそうにギィがつぶやく。
「父さんが、いかれていただと?」
(あぁ、お前はあの父親のことを尊敬していたみたいだがよ、それは仮の姿だ。あの男の本性は根っからのサディストでな。女を服従させ、いたぶることに快感を覚える奴だったんだ。あいつは俺を使って、自分が勤める病院の患者、医者、看護師、全員を手籠めにしようとしていたんだ)
「……まさか、父さんが、そんなわけ」
(思い出してみろ。お前は父親が病院で何をしていたのか、詳しくは知らないだろ? ただいつも家に帰ってこなかった。だってそれは、病院で女たちをいたぶるのに夢中だったからな)
ギィの話を聞いていた俺の心臓がギュッと、まるで手でわしづかみにされたように縮まり、早鐘のように鼓動を打ち鳴らし始める。
そんな。そんな、まさか。
(ははっ、でもお前もお前さ。まさにあいつの息子だよ。これぞ血は争えないってやつだ。お前も俺を使って女を催眠にかけ、次々に屈服させ、服従させる快感におぼれていたろ? 否定できるか? お前の父親を見ているようで実に面白かったぞ)
「黙れ、ギィ……」
(素直になれよ、志貴。俺はお前だなんだよ、志貴。お前の本心そのものなんだ。本心を否定するな。お前は自分の欲望に忠実になっていいんだ。お前の父親は最後の最後で自分を解放しきれなくて、ああなった。お前もああなりたいのか?)
「……父さんは、本当に自殺したのか?」
俺の問いかけに、ギィはしばらく押し黙ったのち、
(あぁ、あれは本当に自殺だ。おっと、勘違いすんなよ。俺は何もしてない。俺はむしろ止めたんだぞ。そんなバカなことはやめろってな)
そう述べた。その事実に僕は耐え切れず床に膝をつく。
じゃあ、俺は、いろんな人を疑い続けたこの一年は、一体……。
「志貴、どうしたの? ねぇ、志貴!」
遠くから夏帆姉ぇの声が聞こえる。だけどそれに答えるだけの力が俺にはもう残っていない。
「志貴! あなたもあの鏡に何かされているの? ねぇ、お願い志貴! こっちを向いて!」
(だがお前はあの父親とは違う。この短期間でお前の成長はすさまじかった。お前は父親を超えて、自分の能力を最大限にまで高めたんだ。あとは自分自身を認め、自分を解放するだけ。それで全部終わる。さぁ志貴、お前自身を解放しろよ。今まで隠してきた自分の本性を認めて、俺を解き放てって。俺と一つになるんだ。そうすればその悲しみも全部消えてなくなるぜ)
ギィの言葉に被せるに夏帆姉ぇが叫ぶ。
「今ならまだ間に合うわ! お願いよ、志貴。今すぐその鏡を捨てて! すべての元凶はその鏡なのよ!」
(ほら、志貴。いい加減自分を押し殺すのはやめろって。ほら俺をあの女に向けろ。あいつもお前の奴隷にしろ)
ギィと夏帆姉ぇの声が重なり合って聞こえる。
俺は思わず耳を塞ぐ。だが、二人の声は俺の頭に響き続ける。
「志貴!」
(し-き)
「お、俺、いや、ぼ、く……おれ、お、お。僕は……」
どうすればいい……。
A 鏡を床にたたきつける。
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B 鏡を夏帆姉ぇに向ける。
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